2019年05月21日

伝統とは何か――女性天皇をめぐる3つの誤り

 伝統とは何か――女性天皇をめぐる3つの誤り
 ●伝統とは何か
 伝統とは、歴史に培われた文化的な蓄積のことで、独自の世界観や価値体系をもっている。
 たとえば、能や歌舞伎、華道や浮世絵、武道などの伝統は、それ自体、特有の文化形態をもち、様式やしきたり、ルールなどにそれぞれ独自性がある。
 伝統がもっともダイナミックにあらわれるのが国のかたちであろう。
 その国らしさをつくりあげているのは、観念やイデオロギーではなく、伝統である。
 日本は、神武天皇以来一二五代、二六〇〇余年にわたって、天皇中心の国のかたち、国体を維持してきた。
 伝統は、歴史の連続性が練り上げた叡智で、人間が頭で考え出したにすぎない合理主義を超える。
 経験知や長年積み重ねられた技能は、往々にして、人知を超越するのである。
 イギリスには、女王陛下が議会に臨席する際、議員1名がバッキンガム宮殿に人質として留まる慣習がいまなお残っている。
 チャールズ1世が議会によって処刑されたピューリタン革命の故事をふまえてのことだが、それもまた伝統で、多くが奇矯で不合理と映る。
 伝統の反対概念は改革で、改革には、民主主義や合理主義、唯物論が動員される。
 したがって、改革という嵐が吹いたあとに残るのは、すべてが画一化、均一化された無機質的な世界である。
 共産主義や全体主義が破綻したのは、固有の形式、独自の価値をもつ伝統文化の多様性が失われたからで、文化の花が開く伝統社会が、革命によって人民の強制収容所となってしまうのである。
 国連安保理事国5か国(米ロ英仏中)はすべて革命国家で、伝統国家は、先進8か国(G8)のなかで日本だけである。
 革命国家が民主主義一辺倒なのにたいして、日本に、和の心や謙譲の精神、善や礼儀などの精神文化がゆたかなのは、伝統国家だからである。
 文化の本質は、伝統という、合理をこえたところにそなわるのである。
 アメリカも革命国家で、広大な国土と豊富な地下資源、軍事力と経済力で世界一の強国となったが、民主主義のほかにはなにもない人工国家である。
 戦後、そのアメリカから日本に民主主義が移入され、天皇は人間宣言をおこなった。
 それでも、日本人の天皇にたいする敬愛心は失われることがなかった。
 日本人が民主主義という外来思想をうけいれたのではない。
 日本にはもともと「君民一体」という伝統があったからで、それが、戦後になって、民主主義と名称が変わっただけだった。
 西洋の民主主義は、絶対君主を倒してうまれた。
 ところが、日本の民主主義は、君民一体にもとづいたもので、天皇は国民の代表だった。
 これも日本の固有の文化で、天皇はわが国の伝統なのである。

 ●女性・女系天皇をめぐる3つの誤り
 現在、皇位継承問題にからめて、女性・女系天皇が論じられている。
 問題なのは、皇位継承というわが国古来の伝統を「男女平等」という西洋の概念をもちいて論じる風潮である。
 論じてきたように、伝統は、異文化や他の文明、他国の習俗やイデオロギーの影響をうけない。
 女性・女系天皇問題をめぐる議論に3つの誤りがあるので正しておこう。
 一、皇位継承と「男女平等」のあいだになんら相関関係はない
 二、皇位の女系相続は(女性・女系天皇)は憲法違反である
 三、「女性宮家」創設より旧宮家の皇籍復帰が優先される
 男女平等はフェミニズム
 男女平等を普遍的な価値と思っているひとが少なくない。
 だが、現在、語られている男女平等はフェミニズム(ジェンダーフリー)で、そこからでてきたのが、男女共同参画社会や「皇統の男系相続は女性差別(国連女子差別撤廃委員会)」という俗論である。
 ジェンダーフリーの起源は「スターリン憲法第12条」にまでさかのぼる。
 働かざるもの食うべからずとする12条は、女性を労働者としてとらえる思想で、日本では「男や女である前に一人の人間たれ」という言い方になる。
 ここでいう人間は労働力という意味で、男女共同参画社会は、女性の勤労所得を増やす運動である。
 男女同権という考え方がでてきたのは、第3回国際連合総会(1948年)の世界人権宣言「基本的人権、人間の尊厳および価値並びに男女の同権」(前文)以降のことで、それも、フェミニズム運動の成果としてとりいれられたにすぎない。
 うまれて百年もたたない男女平等を、皇位継承にもちだすのは、見当ちがいもはなはだしく、「皇位の男系男子継承は女性差別(小林よしのり)」や「女性尊重の時代に天皇陛下だけ例外というのはおかしい(二階俊博幹事長)」というのは無知の極みというほかない。
 世界経済フォーラムの報告によると『世界男女格差レポート』で、世界145か国中、日本は101位である。
 日本に女性の政治家や官僚、企業の重役、勤労所得や労働参加人口が少ないのは、短期就業のOLや専業主婦が多いからである。
 一方、国連開発計画 (UNDP) の「人間開発報告書」のデータでは、日本の男女間の不平等格差(平均寿命、1人あたりGDP、就学率など)は187カ国中の17位で、非就業の日本女性が、ジェンダーフリーの英米仏らの女性よりも恵まれた環境ですごしているとわかる。
 男女平等は錯覚だらけの過てる合理主義だったのである。
 女性・女系天皇は憲法違反
 女性・女系天皇は憲法違反でもある。
 現憲法では、第2条で、皇位の世襲が謳われているからである。
 皇位の継承については、皇室典範の定めるところによるとしている。
 皇室典範の第1条には、皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承すると明記されている。
 憲法が男女不平等≠宣しているのである。
 憲法14条(法の前の平等)には「国民は、人種、信条、性別、社会的身分または門地によって差別されない」とある。
 すると、2条と14条は矛盾していることになる。
 近代法である現憲法のなかで、天皇条項だけが、伝統という非合理性の上に立っているのである。
 これは、重大なポイントで、わが国では、伝統が、憲法において担保されている。
 民主主義の使徒、マッカーサーですら、天皇という伝統的存在を合理性から切り離さざるをえなかったのである。
 11宮家の皇籍復帰
 戦後の日本統治に天皇を利用したGHQが、皇室の将来的な廃絶を意図していたことは、皇室の財産を没収して、11宮家の臣籍離脱を迫ったことからも明らかであろう。
 11宮家が廃止となって、51人が皇籍を離脱したのち、皇統維持に必要な皇族は、昭和天皇の直宮3宮家(秩父宮・高松宮・三笠宮)だけとなった。
 かといって、11宮家が皇統から外れたわけではない。
 重臣会議の席上、鈴木貫太郎首相が「皇統が絶える懸念はないか」たずねると、加藤宮内次官は「(旧皇族には)皇位を継ぐべきときがくるかもしれないとの自覚のもとで身をお慎みになっていただきたい』と返答している。
 また、赤坂離宮でのお別れ晩餐会では、昭和天皇から「身分は変わるようになったけれども、わたしは今までとまったく同じ気持ちをもっている」というおことばがあった。
 皇室と11宮家の交流は、菊栄親睦会をつうじていまもつづいている。
 皇室典範第二条(「皇位は左の順序により皇族にこれを伝える」)のなかに「前項各号の皇族がないときは、皇位は、最近親の系統の皇族にこれを伝える」とある。
 この文章を「皇族もしくは旧皇族」と書き換えることで、皇統の継嗣問題は一挙に解決する。
 女性天皇などもちださずとも、皇室典範にもしくは旧皇族≠フ7文字をくわえるだけで皇統の男系男子はまもられるのである。
 保守系のなかにも、一般人になったひとが天皇になることには違和感があるという意見が少なくない。
 そこから、天皇の内親王が天皇になる「女性天皇」論が浮上してくる。
 女性天皇から、その皇子が新たな天皇になる女系天皇へは一本道である。
 そのとき、神武天皇の血統が絶え、天皇の祖先が別の血統に移る易姓革命がおきる。
 神武天皇の男系直系である旧皇族の皇籍復帰には違和感があって、神武天皇の男性遺伝子(Y染色体)をひきつがない女性、女性宮家の入り婿になった一般人男性が天皇になるのに違和感がないというのはとおる話ではない。

 ●易姓革命と皇統の男系相続
 日本が祭祀国家の形態をとって、国体と政体を切り離したのは、易姓革命を避けるためで、日本で政変がおきても、権力構造が代わるだけで、祭祀国家の頂点にいる天皇になんの動揺もなかった。
 そこに皇統が男系相続となった最大の理由がある。
 男系相続であれば、父から父へたどる系図が一本道なので争いがおきない。
 ところが、母から母へたどる系図では、入り婿という形で、権力者が入ってくる可能性がある。
 女系相続では、女帝の孝謙天皇(重祚して称徳天皇)に仕えた道鏡や次男の義嗣を天皇にして治天の君(上皇)になろうとした足利義満のような野心家を、皇統の純血性から排除できないのである。
 古代から皇統の男系相続を貫いてきたのは、皇統に他の男系の血統を入れないためで、その智恵が、結果として、神武天皇のY遺伝子が純粋な形で今上天皇まで引き継がれてきた。  
 皇統は一本の樹木にたとえることができる。
 傍系が枝で、どの枝も、神武天皇のY染色体を継承している。
 今上天皇の系列は、光格から仁孝、孝明、明治、大正、昭和の各天皇へつらなる閑院宮家(東山天皇の第六皇子閑院宮直仁親王が創設)という枝である。
 閑院宮家の創設(1710年)にうごいたのが、皇統存続に危機感を抱いた新井白石で、傍系が皇籍離脱(出家)するしきたりを枉げ、皇位継承ができる世襲親王家(伏見宮・桂宮・有栖川宮)に閑院宮をくわえた。
 歴史学者ですら「皇統」と「家系」の区別がつかない者が少なくない。
 嫡子がいなかった武烈天皇(25代)のあとを継いだ継体天皇(26代)が、応神天皇(15代)の5代末裔であることをもって、王朝交替があったなどというのがそれである。
 応神天皇から継体天皇までは、若野毛二派皇子〜意富富等王〜乎非王〜彦主人王とすべて男性である。
 したがって、神武天皇の男性遺伝子(Y染色体)が純粋な形で継承されている。
 便宜上、X染色体とY染色体を例にとって話をすすめよう。
 男性の染色体がYXで、女性がXXである。
 Y染色体を継承するのが皇統で、X染色体をひきつぐのが家系である。
 Y染色体は男性だけに継承されるので、父方をさかのぼっていけば、祖先の男性にゆきつく。
 ところが、X染色体の母方をさかのぼっても、無限数の女性の祖先があらわれるだけで、祖を特定することはできない。
 男性も女性もX染色体をもっているからである。
 Y染色体がいくら代をかさねても、他のY染色体と混交しないのは、女性がY染色体をもっていないからである。
 ちなみに、メディチ家やハプスブルク家など名家・名門から成るヨーロッパの王位継承順位が、他国の王室までまきこんで驚くほどの数にのぼっているのは、多くが家系主義(女系)だからである。

 ●日本の神話沖ノ島の古代祭祀
 皇位や皇統は神事で、世俗の政治や制度と同列に語ることができない。
 皇統の男系相続も、神事のしきたりで、聖域にあるものは伝統である。
 日本の伝統が天皇なら、天皇の象徴が祭祀である。
 祭祀を司る天皇の下で、摂政や関白、征夷大将軍、幕府、政府と権力構造が移ろってきたのがわが国の歴史で、日本は、世界最古の宗教国家でもある。
 戦後、キリスト教などの一神教のみを宗教として、日本を無宗教国家、日本人を無神論者ときめつける風潮がはびこったが、とんでもない話である。
 人口にたいする宗教施設(神社や仏閣)は世界一で、初詣や七五三、供養や法事など国民生活に密着する宗教的行事の多さも比類がない。
 キリスト教などの一神教は啓示宗教で、神話やアニミズム、汎神論にもとづく神道は自然宗教(崇拝)である。
 そして、神道と習合した大乗仏教は、集団宗教である神道にたいして、個人宗教で、釈迦の死生観は、西洋哲学に大きな影響をあたえた。
 日本人の素朴な信仰心にもとづく国体の上に、政体という権力構造がのっているのが、伝統国家・日本の国の形である。
 日本人の信仰の土台にあるのが神話である。
 天地開闢には「造化の三神」やニ柱の「別天津神」が登場するが、すがたをみることはできず、むろん、性別もない。
 そのあとうまれるのが国之常立神と豊雲野神、そして五組の男性神と女性神の「神世七代」である。
 神世七代の最後にあらわれるのが伊邪那岐神(イザナギノカミ)と伊邪那美神(イザナミノカミ)である。
 国産み・神産みでは、イザナギとイザナミとの間に日本本土となる大八洲の島々や山・海・川・石・木・海・水・風・火など森羅万象の神々がうまれる。
 このときイザナミとイザナギは「成り成りて成り合はざる処一処在り」「成り成りて成り余れる処一処在り」といい交わしている。
 天照大御神をうみだした(イザナキの左目から生まれた)日本開闢の始祖であるイザナギとイザナミが男神と女神だったことは象徴的である。
 日本の神代にいたのは、男神と女神で、人間神ではなかったのである。
 西洋は、神がひとをつくったが、日本の神話では、人間が神を生み出した。
 男女平等は、ヒューマニズム(人間主義)にもとづいている。
 男も女も同じ人間というというところから、男女平等という発想がでてくる。
 ところが、日本の場合、男神と女神の二者並立なので、比べようがない。
 男女平等の根底に、男女差別の人間観があるのを見逃してはならない。
 沖ノ島の古代祭祀が世界遺産に登録された。
 沖ノ島で国家的な祭祀が始まったのは大和朝廷の初期の4世紀である。
 その古代祭祀が廃れたのは、宮中祭祀が確立され、伊勢神宮、全国の神社が整備されたからであろう。
 古代祭祀は、その一部が宮中祭祀にひきつがれて、現在に残る。
 世界遺産委員会が沖ノ島(沖津宮)のほか、内地の宗像大社中津宮・宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群など八つの構成資産のすべてを世界遺産にみとめたのは、宮中祭祀にひきつがれた古代祭祀の歴史的連続性を評価したからである。
 沖津宮と中津宮、辺津宮の3女神を生んだのが天照大御神で、皇室の始祖であり、日本人の総氏神である。
 日本が神道を軸とする伝統国家あることが、改めて、世界から認識されたのである。


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安倍首相よ 国を売りたもうことなかれ

 2019年5月再掲出
 北方4島は日本固有の領土である
 安倍首相よ 国を売りたもうことなかれ

 ●日米ロの国益がからんだ北方領土問題
 北方領土問題は、前期と後期の二つに分けて、考えるべきだろう。
 前期が1956年の「日ソ共同宣言」から三十年余である。
 そして、後期が1991年の「日ソ共同声明」以降である。
 境界線は米ソ冷戦で、冷戦中と冷戦後では、時代精神や時代背景が劇的にちがってくる。
 前期が冷戦のさなかなら、後期は、冷戦終結後で、ゴルバチョフが登場してくる。
「日ソ共同声明」は、海部俊樹首相とゴルバチョフ大統領によって署名されたもので、このとき、平和条約と並んで、北方四島が解決されるべき領土問題として、初めて、文書の形で確認された。
 以後、細川護熙首相とエリツィン大統領の「東京宣言」(1993年)、橋本龍太郎首相とエリツィン大統領の「クラスノヤルスク合意(1997年)」と「川奈合意(1998年)」、森喜朗首相とプーチン大統領の2001年の「イルクーツク声明」、そして、小泉純一郎首相とプーチン大統領の2003年の「日露行動計画」にいたるまで、四島の帰属問題を解決して、平和条約を締結するとする「東京宣言」の精神がひきつがれてきた。
 それをひっくり返したのが、現在すすめられている安倍晋三首相とプーチン大統領による2島返還による「日ロ平和条約」のプランである。
 1956年の「日ソ共同宣言」へもどって、歯舞・色丹の引き渡しを条件に平和条約をむすび、国後・択捉を放棄するというのだが、これほど、割の合わない話もない。
 そもそも、62年も昔の冷戦時代のとりきめへ引き返して、建設的な価値をみいだせるわけはない。
 それどころか、ここで、ロシアに迎合すれば、尖閣・竹島という領土問題をかかえる日本にとって、はかりしれない負い目となる。
「日ソ共同宣言」は、米ソ冷戦時代の産物で、フルシチョフは、1960年の日米安保条約改定に際して、歯舞・色丹の引き渡しの条件に、日本領土からの外国軍隊の撤退をくわえてきた。
 これにたいして、アメリカのダレス国務長官が「日本が国後、択捉をソ連に渡したら沖縄を返さないと」と重光葵外相にきびしく迫った。
 日本が、国後・択促をふくむ4島一括返還をもとめると、ソ連は、「日ソ間に領土問題は存在しない」として、以後、北方領土問題を凍結してしまう。
 日米ロにとって、北方領土は、地政学的要衝である以上に政治的難問だったのである。

 ●戦争を騙った略奪だった北方4島占領
 北方領土問題がうごきだしたのは、冷戦終結後のゴルバチョフからだった。
 ゴルバチョフは、ノーベル平和賞を受賞したインテリで、戦後、日本が放棄した千島列島(クリル諸島)のなかに、歯舞・色丹・国後・択捉がふくまれていないことを知っていた。
 ロシアのノーベル文学賞作家ソルジェニーツィンも、著書で「これらの島(歯舞・色丹・国後・択捉)がロシアに帰属していたことは、歴史上、いちどもなかった」と書いている。
 そして、「ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄したことが日本にたいする侮辱にあたらないといえるであろうか」とヤルタ協定にもとづく対日参戦と領土略奪をきびしく批判している。
 ヤルタ協定は、アメリカのルーズベルト、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチルの三者による秘密協定とされるが、チャーチルは関与を否定、アメリカ国務省(アイゼンハワー政権)は、1956年、同協定がルーズベルトの個人的な文書で、公式文書の効力をもたないと公式に発表している。
 ルーズベルトの死後、大統領に昇格したトルーマンも、スターリンに千島の領有をみとめたものの、ヤルタ協定についてなにも知らなかった。
 1945年8月9日、ソ連は、ヤルタ協定に従って、日本に宣戦布告すると満州国に侵入、千島列島と樺太を占領した。
 このときのソ連兵の暴行と殺戮、略奪、強姦の凄まじさは筆舌に尽しがたい。
 ベルリン陥落でレイプされた一〇万の女性のうち、苦痛と絶望から一万人が自殺したといわれるが、満州の大連市や瀋陽市、ハルピン市、長春市でも同じことがおきた。
 くわえて、満州で武装解除された57万5千人の日本軍捕虜らがシベリアに抑留されて、多くが、飢えと寒さ、疲労のために死亡している。
 戦争犯罪国家ロシアは、第二次大戦を正当化するいかなる理由ももっていないのである。
 モロトフ外相は、1945年4月5日、佐藤尚武駐ソ大使に日ソ中立条約の破棄を通告したが、このとき、同条約に1年間(1946年4月25日まで)の有効期間が残っていることを双方が確認しあっている。
 ロシアの対日参戦は、中立条約破棄を通告した4か月後である。
 しかも、日本は、ソ連の対日参戦の翌日(8月10日)、「ポツダム宣言」の受諾を連合国に通告している。
 この時点で、いっさいの戦争行為は、停止されなければならなかった。
 だが、ソ連は、中立条約と戦時国際法を破って、戦争行為を継続する。
 そして、「ポツダム宣言」を受諾する前日の8月9日から9月2日の戦艦ミズーリ号における「降伏文書調印」までの20日余で、クリル諸島18島と北方4島(歯舞・色丹・国後・択捉)を奪う。
 これが、戦果ではなく、戦争を騙った略奪でしかなかったことは、国際的な評価が一致するところである。

 ●ロシアと平和条約を急ぐべき理由は一つもない
 冷戦時代のソ連共産党は、石頭の官僚集団で、戦後、ソ連が北方4島を不法占拠した歴史的事実を認識する理性をそなえていなかった。
 領土をめぐる日ロ交渉が軌道にのったのは、ゴルバチョフ以降で、共産党が崩壊した後、国際化と西側諸国との協調路線が軌道にのるかにみえた。
 ところが、プーチン独裁になって、共産党時代へ逆戻りした。
 官僚化と利権主義、プーチンへの追従が習い性になって、ふたたび、石頭にもどってしまったのである。
 ロシアのラブロフ外相は、日本が、国後、択捉、歯舞、色丹4島の領有権を主張していることについて、第二次世界大戦の結果をみとめない世界で唯一の国と批判した。
 そして、国連憲章上の義務に違反していると日本を詰った。
 国連憲章上の義務うんぬんはお門違いで、条約違反と戦時国際法を侵したのはソ連ではないか。
 ロシアは、北方4島どころか、千島列島を領有できる公的な根拠をなに一つもっていない。
 そもそも、サンフランシスコ講和条約に署名していないソ連は、同条約からの利益をえることは、25条によって拒否されている。
 ラブロフの言い分は「南クリルの島々は第2次大戦の結果、合法的にソ連に移ってそれをロシアがうけついだ。これをみとめることが日ロ平和条約交渉の第一歩だ」というものだが、そんな理屈がとおるなら、軍事介入して、ウクライナの一部だったクリミアを併合、実効支配していることまでも正当化されてしまう。
 ウクライナ問題を受けて先進7か国(G7)は対ロ制裁を実施している。
 ところが、日本は、対ロ制裁に消極的などころか、不利な条件を呑んで、平和条約をむすぼうとしている。
 日本が平和条約を急ぐべき理由は一つもない。
 経済・技術協力をいうなら、必要としているのは、ロシアのほうである。
 農業国から、産業革命を経ずに軍事大国となったロシアには、商業・工業という資本主義の根幹が欠落している。
 GDPで、米・中・日に大きく水をあけられ、かろうじて、韓国と肩を並べるレベルなのはそのせいである。
 くわえて、西側から経済制裁をうけて、立ち行きならなくなっている。
 日本が、面積で4島全体の93%を占める国後・択捉を放棄してまで、ロシアに歩み寄る必要は一つもないのだ。
 安倍晋三首相は、なぜ、歴史のねじを逆に回して、1956年の「日ソ共同宣言」へ引き返そうとするのか。
 3年を切った首相の任期をふまえて「日ロ平和条約」締結と北方領土問題の解決という功を急いでいるなら、拙速というもので、ロシアが強硬な姿勢を崩さない現在は、外交交渉の最悪のタイミングといえよう。

 ●放棄した千島列島はクリル・アイランド18島
 内閣府と元島民団体などが「北方領土の日」におこなう「北方領土返還要求全国大会」で、大会アピールから「北方4島の不法占拠」という文言を外すという。
 ラブロフの恫喝に屈したもので、今後、不法占拠や北方領土ということばを使わないという。
 その負け犬根性が、消極的2島返還論となって、日本中を被っている。
 そのリーオフマンが鈴木宗男と佐藤優だが、それは後述しよう。
 マスコミ報道から書籍など日本側資料の多くが、千島列島に北方4島をくわえる誤りを犯している。
 そして、南樺太と千島列島を放棄したサンフランシスコ講和条約で、日本が北方4島を放棄したかのようにいいつのっている。
 サンフランシスコ講和条約で日本が放棄したのは、クリル・アイランド18島で、歴史上、歯舞、色丹、国後、択捉の4島がクリル・アイランドのなかにくみこまれたことはいちどもない。
 誤解をうんだのが、国会の質疑応答で、政府の幹部が「南千島は千島にふくまれる」と答弁して、これが、のちにまで尾を引いた。
 1951年10月の衆議院で、吉田茂首相と西村熊雄外務省条約局長、高倉定助議員がこんなやりとりを交わしている。
 高倉委員 サンフランシスコ講和条約のクリル・アイランドはどこをさすのか。
 西村委員 千島列島の範囲は、北千島と南千島の両者をふくむと考えております。
 高倉委員 クリル・アイランドと千島列島を同じように考えておられるようですが、クリル群島は、明治8年の樺太・クリル交換条約によって決定されたものであって、ウルップ島から占守島に至るクリル群島十八の島が日本領土に属するのは、世界にみとめられた国際的な公文書であります。外務当局がクリル群島と千島列島をどういうふうに考えておられるか、ご説明を願いたい。
 西村委員は同じ答弁をくり返すが、このときの高倉委員の質問は核心をついている。
 樺太・クリル交換条約は、その20年前の1855年の「日露通好条約」を土台にしたもので、日露通好条約によって、国後、択捉、歯舞、色丹の4島が日本の領土、それより北のクリル・アイランドがロシアの領土ときまった。
 北千島と中千島の18島がクリル・アイランドで、南千島が日露通好条約で確定した歯舞・色丹・国後・択捉の北方4島である。
 樺太・クリル交換条約が存在したということが、クリル・アイランドと北方4島が別物である証なのである。
 1644年、幕命によって、松前藩が提出した自藩領地図に「クナシリ」や「エトロホ」「ウルフ」など39の島々が描かれている。
 日露通好条約によって、国境が画定されたのは、国後や択捉が松前藩の藩政下にあったからだったのである。

 ●親ロ派にミスリードされる北方領土問題
 一般命令第一号(連合国最高司令官総司令部)およびサンフランシスコ平和条約に記載されているクリル・アイランドに、歯舞・色丹・国後・択捉の4島がふくまれるか否か。
 外務省と一般的な理解が食い違っている以上、アメリカ政府に確認するほかなかった。
 わたしは、アメリカのジミー・カーター大統領に質問状を送って、民主党の伝手を頼って渡米した。
 スパーク・松永、ジミー・ホワイト両上院議員の好意で「アジア・パシフィック民主党大会」のパーティーに参加して、会場でカーター大統領に会うことはできたが、残念ながら、肝心の話はできず、握手を交わしただけだった。
 さて、1951年の国会答弁である。
 西村答弁は、結局、1956年、森下國雄外務政務次官によって正式に取り消された。
 そして、国後・択捉を指す「南千島」という用語の代わりに「北方領土」という用語が使われるようになった。
 1951年9月7日、吉田茂首相は、サンフランシスコ平和条約の受諾演説のなかで、こうのべている。
「千島南部の択捉、国後が日本領土であることについて、帝政ロシアもなんら異議をはさまなかったものであります。(略)千島列島は、日本降伏直後の1945年9月20日、一方的にソ連領に収容されたものであります。また北海道の一部を構成する色丹島と歯舞諸島もソ連軍に占領されたままであります」
 ところが、鈴木宗男と外務省主任分析官だった佐藤優は、吉田首相が択捉と国後を千島列島の一部とみとめたかのようにいう。
 そして、日本が、サンフランシスコ平和条約において、南樺太と千島列島を放棄したと鬼の首でもとったかのように吹聴する。
 放棄した千島列島は、クリル・アイランド18島で、このなかに、歯舞・色丹・国後・択捉の4島はふくまれていない。
 なぜ、この歴史的事実から逸脱するのか。
 政治的決着として、歯舞・色丹の返還、国後と択捉の放棄という選択肢がなくもないだろう。
 だが、そんな負け戦を急ぐ理由がどこにあるのか。
 はじめから2島返還をいうのは、敗北主義でなければ、利敵行為で、鈴木も佐藤も、反外務省のロシアのシンパシーである。
 かれらは「4島一括返還をいいつづけているかぎり北方領土はもどってこない」という。
 だが、北方領土全体の7%のすぎない歯舞・色丹を返してもらっても、4島の潜在主権どころか、2島の主権すら不確定というのでは、93%の面積を占める国後・択捉の放棄という損失のほうが大きい。
 歯舞・色丹を返しても、ロシアは、200カイリの排他的経済水域も、防衛の自由もゆるさない。
 OKなのは、プラスαの経済援助だけというなら、日ロ平和条約は、とんでもない売国条約ということになる。
 4島一括返還という国是を放棄すれば、日本は、主権から国益、国際正義まで捨てた名誉や誇りのない国になって、世界から尊敬をえることはできない。
 2島返還と平和条約という貧乏くじをひくより、対ロ経済制裁で、西側諸国と足並みを揃えたほうが、よほど、国益にかなって、長期的展望がひらけるのである。

posted by 山本峯章 at 17:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

緊急提言/北方領土 なぜ日本は2島返還≠ノ呪縛されてきたのか

 2019年5月再掲出
 緊急提言/北方領土
 なぜ日本は2島返還≠ノ呪縛されてきたのか
 ●2島返還で平和条約の短慮
 安倍晋三首相とプーチン大統領が、1956年の「日ソ共同宣言」を基礎に平和条約交渉をすすめるという。
 歯舞・色丹の返還と国後・択捉における経済協力を組み合わせた「2島プラスアルファ」で、領土問題に決着をつけようというのである。
 従来の4島返還からの大幅後退で、これでは、この60年余つみあげてきた努力が水の泡である。
 これまで、政府は「4島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」ことを日ソ交渉の基本方針に掲げてきた。
 日ロ首脳会議でも、1991年のゴルバチョフ以降、四島返還と平和条約がワンセットになっていた。
 ところが、今回の安倍・プーチン合意で、この前提が崩れ去った。
 今年の9月、プーチン大統領は、ロシア極東ウラジオストクで開かれていた東方経済フォーラムで、突如、「前提条件なしの平和条約締結」を提案した。
 前提条件なしとは、ふざけた話である。
 領土問題抜きで、平和条約をむすべるはずはない。
 ところが、安倍首相は、プーチン発言に反発するどころか、これを前向きに受け止めた。
「領土問題を(2島返還で)解決して平和条約を締結する」というのである。
 功を急いだ拙速で、4島返還の原則を放棄すれば、旧ソ連の不法占領をみとめることになる。
 木村汎氏(北大名誉教授)はこういう。
「4島返還をもとめるのは、国境不可侵、領土不拡大の原則という国際正義をロシアに突きつけることにほかならない」
 広島に原爆が投下されてから2日後の1945年8月8日、旧ソ連は、当時まだ有効だった日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告した。
 8月15日、日本は「ポツダム宣言」を受諾して、連合国に降伏した。
 しかし、ソ連軍は、その後も千島列島を南下し、9月5日までに「北方4島(歯舞・色丹・国後・択捉)」を占領した。

 ●ソ連の略奪だった北方4島
 8月16日、スターリンはトルーマン大統領に秘密電報を打っている。
 千島列島と北海道の北半分をソ連の占領地とすることをもとめたのである。
 トルーマンは、千島列島をソ連領とすることには同意したが、北海道北部の占領については拒否した。
 かつて、拙書(『レポ船の裏側』日新報道/昭和57年)で、旧ソ連軍の千島占領作戦の経緯にふれた。
 通訳としてソ連軍に同行した水津満・北千島守備軍作戦参謀の体験談である。
 引用しよう。
「ソ連軍は、8月18日から千島列島の占領を開始して、27日には、北方領土の北端である択捉島の手前まで来て、一旦引き返した。南千島の武装解除に立ち会うことを想定していた水津は、ウォルフ参謀に理由をたずねた。これより先はアメリカの担任だからソ連は手をだせない、という返事だった」
 ソ連軍は、千島列島に北方4島がふくまれないと認識していたのである。
 ところが、北方領土に米軍がいないと知って、方針を一転させる。
 8月28日、ソ連軍は、南千島へ侵攻を開始して、9月5日までのあいだに歯舞・色丹・国後・択捉の四島を占拠する。
 ソ連軍が北方4島を奪ったのは、どさくさまぎれの略奪で、4島に米軍が進駐していなかったからだったのである。
 ロシアは、北方4島を戦争の成果=戦利品という。
 スターリンは、ヤルタ会談で、ルーズベルトから「ソ連の対日参戦の代償として千島列島を譲り受ける約束をとりつけていた。
 だが、ルーズベルトがソ連に引き渡すとした千島列島は、ウルップ島以北の18島で、歯舞・色丹・国後・択捉ふくまれていない。
 そもそも、ヤルタ秘密協定は、領土不拡大を宣した「カイロ宣言」に反するルーズベルトとスターリンの密約で、当事国のアメリカでさえ、条約としてみとめていない。
 ダレス国務長官は、日ソ交渉に臨んでいる重光外相にたいして、「2島返還で受諾した場合、アメリカが沖縄を返還しない」という圧力(「ダレスの恫喝」)をかけている。
 そればかりか、外務省に「覚書」まで送りつけてきている。
「択捉・国後両島は、北海道の一部である歯舞群島および色丹とともに日本固有の領土で、日本国の主権下にあるものとしてみとめられる」というのである。
 冷戦下の当時、アメリカは、日ソ接近を警戒して、干渉してきたのである。

 ●北方4島は日本固有の国土
 1952年のサンフランシスコ講和条約で、日本は、千島列島を放棄した。
 千島列島のなかに、北方4島はふくまれていない。 
 西村熊雄条約局長が、1951年、衆院特別委員会で、「南千島(国後・択捉)は千島にふくまれる」と答弁している。
 だが、この答弁は、1956年、衆議院外務委員会で、森下國雄外務政務次官によって、正式に否定された。
 日本政府は、国後・択捉は、サンフランシスコ条約で日本が放棄した千島にふくまれないとしたのである。 
 その後、国後・択捉を指す「南千島」という用語も使われなくなった。
 もともと、北方4島は、日本固有の国土である。
 国後・択捉は、日本人の手で開拓された島で、根室や函館とのあいだに航路があって、定住者も多かった。
 歯舞・色丹にいたっては、北海道の一部である。
 かつて、『島は還らない』(昭和52年)という本を著した。
 そこに、北方領土の概略や歴史、ソ連の領土侵略について記した。
 そこから引用しよう。
 北方領土の画定は、1855年、下田条約(日露和親条約)にはじまる。
 江戸幕府とロシア帝国のあいだでむすばれた日魯通好条約(日露和親条約)によって、択捉島とウルップ島のあいだに境界線が引かれた。
 この境界線によって、択捉島以南の4島は日本の領土となった。
 4島とは、歯舞・色丹・国後・択捉である。
 一方、ウルップ島以北のクリル諸島(千島)18島がロシア領となった。
 日本政府は、この日魯通好条約を根拠に、「歯舞・色丹・国後・択捉」4島を北方領土としてきたのである。
 1875年(明治8年)、日本は、ロシアと樺太千島交換条約を締結する。
 日本は、樺太(サハリン)の領有権を放棄する代わりに、ロシアからクリル諸島(千島列島)を譲り受けた。
 シュムシュ島からウルップ島にいたる18島である。
 サンフランシスコ講和条約で日本が放棄した千島列島は、そのときロシアと交換したクリル諸島18島のことである。

 ●「日ソ共同宣言」と2島返還
 サンフランシスコ講和条約で、日本は、ウルップ島以北の千島列島18島と南樺太を放棄した。
 だからといって、国際法上、ロシアに、南樺太・千島列島・北方4島の領有権がゆるされているわけではなかった。
 サンフランシスコ条約に署名していないからで、あるのは、実効支配という戦争状態の継続だけである。
 サンフランシスコ条約第二十五条によると、同条約に調印・批准していない国へは、いかなる権利や権原、利益もあたえられないとある。
 北方領土を画定するには、日ソ2国間の平和条約締結が必要だった。
 日本とソ連は、サンフランシスコ条約が「片面講和」だったため、戦争状態が解消されていなかった。
 日本は、1954年以降、ソ連との国交回復をめざした鳩山一郎内閣のもとで、平和条約を結ぶべく、ソ連と折衝を開始した。
 日本の国連加盟の支持や抑留日本人の送還、戦時賠償の相互放棄、漁業条約の締結など日ソ間の懸案事項がすくなくなかった。
 1956年10月、鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相は、モスクワで「日ソ共同宣言」に署名した。
 戦争状態の終結と国交回復が宣言された瞬間だった。
 当初は「平和宣言」の締結を目指していた。
 だが、交渉が折り合わず、結局は「共同宣言」という形をとった。
 交渉が折り合わなかった理由は北方領土だった。
 日本側は「四島返還」をもとめたが、ソ連は、歯舞・色丹の「二島返還」をゆずらなかった。
「日ソ共同宣言」は両国で批准された。
 同宣言には、歯舞・色丹の引き渡しに同意すると書かれている。
 だが、国後・択捉には一言もふれていない。
 なぜ、そんなことになってしまったのか。
 日本が漁業交渉とのかけひきで、国後・択捉を放棄したからである。
 当時、松本・重光全権団の日ソ交渉と河野一郎の漁業交渉が同時に進行していた。
 日ソ交渉に臨んだ全権重光葵は、日本政府へこんな請訓電を発している。
「涙をのんで国家百年のため、妥結すべきと思う。この期を逸すれば、将来、歯舞・色丹さえ失うことあるべし…」
 秘書官・吉岡羽一によると、松葉杖で身体を支えてクレムリンの長い廊下を歩いてきた重光は、このとき、腹の底から絞り出すような声でいったという。
「畜生め、やはりそうだったか」
 河野一郎の日ソ漁業交渉は、1956年5月である。
 日ソ共同宣言の重光全権団のモスクワ入りが1956年7月だった。
 わずかに先行した河野一郎は、重光の知らぬまま、ソ連側と密約をむすんでいたのである。

 ●河野一郎に売られた国後・択捉
「日ソ共同宣言」に5か月先立つ1956年5月9日。
 クレムリンでおこなわれた日ソ漁業交渉で、河野一郎農相は、随行していた外務省の新関欽哉参事官を部屋から閉め出し、ソ連側の通訳をとおして、ブルガーニン首相にこうもちかけた。
「北洋水域のサケ・マス漁業を認めてくれれば、北方領土の国後・択捉の返還要求は取り下げてもいい」
 サケ・マスなどの漁獲量・操業水域・漁期などをとりきめる漁業協定がまとまらなければ出漁できない。
 水産業界からは「北方領土は漁業協定の後に交渉しろ」という声が高まっていた。
 日ソ漁業交渉をまとめた河野一郎農相は、1956年5月26日、羽田空港で、日の丸の旗をかざし、のぼりを立てた漁業関係者の大歓迎団に迎えられている。
 河野・ブルガーニンの密約後、ソ連は、領土問題で強硬姿勢に転じた。
 国後、択捉の返還を拒否しても日本側は譲歩すると判断したのである。
 歯舞・色丹の二島返還による平和条約の締結という基本路線はこのときでてきたといってよい。
 鳩山は、平和条約締結をあきらめ、領土問題を継続協議にして、共同宣言で国交回復をめざす。
 訪ソ直前になって、政権与党の自由民主党は、国交回復の条件として「歯舞と色丹の返還、国後・択捉の継続協議」を党議決定していた。
 鳩山らは、歯舞・色丹の「譲渡」と国後・択捉の「継続協議」を共同宣言に盛り込むよう主張した。
 だが、フルシチョフは、歯舞・色丹2島返還だけで、領土問題の打ち切りをはかる。
 そして、河野に、国後・択捉の継続協議を意味する「領土問題をふくむ」の字句の削除をもとめた。
 河野は、いったんもちかえり、結局、これもうけいれる。
 日ソ漁業交渉はうまくいったが、領土問題は、日本側の敗北だった。
 重光葵や吉田茂の秘書官を務めたことがある自民党の北沢直吉は、日ソ共同宣言調印後の批准国会(外務委員会)で、河野農相と激しくやりあっている。
「河野・ブルガーニン会談で、クナシリ、エトロフはあきらめるから漁業権のほうはヨロシクたのむ、といったのではないか」
 河野はシラを切った。
「天地神明に誓ってそのようなことはない」
 重光は秘書官の吉岡羽一秘書にこういっている。
「河野にしてやられた。シェピーロフ(外相)からすべて聞いた」
 重光はシェピーロフにこうたずねたという。
「貴下は、モスクワ会談の際、領土問題について、一貫して、解決済みであるとのべられたが、いかにして解決済みと考えるのか、その内容について説明がなされなかった。この機会に率直に真意を聞きたい」
 シェピーロフはこう答えた。
「モスクワで漁業交渉中の河野大臣は、交渉打開のため、ブルガーニン首相とクレムリンで会談した。その席で、河野大臣は、ソ連がエトロフ、クナシリを返還しない場合でも、日本は、平和条約を締結すると約束した」
 河野はこうともいったという。
「私は日本政界の実力者の一人で、将来、さらに高い地位につくであろう」
 そのとき、ブルガーニンは、河野にこうたずねた。
「帰国後、ただちに、全権団をモスクワに送ることができるか」
 河野はできると答えている。
 それが、1956年7月の重光全権団、9月の松本全権団、そして10月に訪ソした鳩山首相を団長とする全権団だった。
 日ソ共同宣言における2島返還は、ソ連共産党の既成路線ではなかった。
 河野・ブルガーニンの密約の産物だった。
 国後・択捉は、漁業交渉とひきかえに、取り引きされたのである。
 安倍首相は、歯舞・色丹の引き渡しを明記した日ソ共同宣言を基礎にプーチン大統領と平和条約の交渉をすすめるという。
 そのなかで、2島返還論の旗を振っているのが鈴木宗男と佐藤優である。
 安倍首相の意向をうけて、国民を洗脳しているとしか思えない。
 4島返還という従来の基本方針を下ろすのも、二島返還で決着をつけたのちに国後・択捉の経済協力という方法をとるのも一つの政治選択であろう。
 だが、歯舞・色丹・国後・択捉が日本固有の領土で、ロシアがこれら4島を不法占拠したという歴史的事実を忘れてはならない。
 領土問題における安易な妥協は、かならず将来、大きな禍根を残すことになるのである。

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文化と政治(権力)を峻別せよ

 文化と政治(権力)を峻別せよ
 ●個の文化、全体の権力
 現在、わが国では、文化と政治(権力)の区別がつかなくなってしまっている。
 たとえば、民主主義だが、これは、権力であって、文化ではない。
 多数決は、数の暴力でもあって、文化的要素は皆無である。
 全員の意見を聞くから文化というのはこじつけで、民主主義とは、投票数の集計にすぎない多数決や普通選挙のことである。
 民主主義を文化であるかのようにいうのは誤りで、われわれは、有権者総数7千万人分の1人の数値的存在ではなく、国家にたいして、全人格的にむきあう一人の国民、一人の日本人である。
 一人の日本人という感覚が文化で、根源をたどれば、天皇にゆきつく。
 天皇は、文化的存在であって、一人ひとりの日本人とむきあわれる。
 被災地におもむかれ、民を前にひざまずかれて、一人ひとりの被災者の労苦にご同情される陛下のおすがたは、被災者何万人と数字で括った政治的認識とはまったく異質なものである。
 文化的認識と政治的認識を、個と全体の差異というふうにいいかえてもよい。
 個が文化なら全体が権力(政治)で、個と全体の矛盾は永遠に解消できない。
 そこからでてきたのが二元論である。
 文化と政治、権威と権力は二元論で、この二元論によって、両者は安定する。
 この二元論が崩壊すると「乱の構造」が生じる。
 日本にも、建武の新政から南北朝、応仁の乱、戦国時代まで280年、第82代後鳥羽天皇(上皇)の討幕軍が鎌倉幕府に鎮圧された承久の乱を入れると400年にもおよぶ「乱の時代」(暗黒の中世)があった。
 原因は、権威たるべき天皇が権力をもとめたため、権威の座が空位になってしまったためだった。
 二元論が崩壊したのである。
 権威が空位になると、権威によって正統性をあたえられない権力が、存続をかけて、群雄割拠の闘争に突入する。
 この争いは不毛で、権威が関与しなければ、最後には、すべてが、共倒れになってしまう。
 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らが天下をとれたのは、天皇の後ろ盾を得たからで、第106代正親町天皇が信長を立て、第107代後陽成天皇が秀吉を太閤に叙し、家康を征夷大将軍に任じて、権威と権力の二元論が恢復した。
 社会が安定したのは、文化基盤が生じたからで、権力は、この文化基盤の上に立って、はじめて、機能する。
 数値や物理的な力にすぎない権力は、それ自体、不安定きわまりない。
 共産主義(=人民民主主義)が滅びたのは、文化的基盤をもたなかったからで、マルクス主義は、暴力革命とギロチンが象徴の権力主義である。
 夢想家ルソーはフランス革命に、自然権のロックはアメリカ独立運動に、反資本主義のマルクスはロシア革命に、それぞれ、利用されただけで、革命の本質は、くり返すようだが、文化的基盤をもつ思想ではなく、権力の収奪しか頭にない権力闘争である。

 ●乱を呼ぶ権力、和を招く文化
 社会を動かす原理が民主主義や自由主義であるかぎり、世界に平和や安定はやってこない。
 民主主義も自由主義も権力だからである。
 権力はかならず衝突して乱をひきおこす。
 権力は一元論でもあって、権力の衝突は、政敵が存在するかぎり熄むことはない。
 平安時代や江戸時代、そして、戦後日本が平和だったのは、権力抗争がすくなかった一方、文化が隆盛をきわめたからだった。
 民が文化を享受したのは、権力が権威から権力の正統性を授かって、両者がともに安定したからである。
 歴史や芸術、宗教などの文化には、永遠性や普遍性があって、大地のようにどっかりと安定している。
 権力は、その大地の上に樹立されるもので、大地が安定しなければ、権力も安定しない。
 権力は、大地(文化基盤)に依存するが、その逆はありえない。
 文化は絶対的存在だが、敵を倒してあらわれる権力は、相対的存在だからである。
 この相関関係を見失うと、2005年の小泉内閣の「皇室典範に関する有識者会議」のような本末転倒がおこる。
 このとき、権力が、民主的手続きをとおして、万世一系という伝統文化を否定しようとしたのだった。
 これが「乱の構造」で、わが国では、文化破壊を改革と呼ぶ悪癖が長いあいだの習い性になってきた。

 ●元号は歴史・文化・伝統である
 文化と権力(政治)を混同させているケースに元号がある。
 そもそも、天皇が文化なのだから、天皇の御世である元号が文化であることは言うを俟たない。
 天皇には基本的人権も選挙権もみとめられていない。
 天皇が法から自由なお立場にあらせられるのは、法的存在ではなく、文化的・歴史的存在だからである。
 その天皇を法的存在へ規定したのが戦後憲法で、GHQ憲法には、日本の伝統や歴史、文化、民族的価値観が、なに一つ、盛り込まれていない。
 本来、天皇の譲位や即位、元号は、歴史や伝統、文化であって、法の差配下にあるものではない。
 ところが、内閣法制局は、今上天皇の自らのご意志によるご譲位は、天皇の国政関与を禁じた憲法4条に抵触するとしたばかりか、天皇が皇位を譲位するような形式は「天皇の地位は国民の総意にもとづく」と定めた憲法1条と不整合となるので、皇室典範にない退位の儀式やおことばについて慎重に協議するという。
 天皇が政治的発言をされると、天皇のおことばの政治的利用という弊害が生じるが、譲位や即位、元号は、政治的力学を有さない皇室文化の一環で、これに政治が関与すると、逆に、文化への政治介入となる。
 内閣法制局は、集団的自衛権について、これまで、「権利をもっているが行使できない」と主張してきた法匪で、朝日・毎日ら左翼メディアと足並みを揃えてきた。

 ●元号の初日をメーデーにあてる不見識
 内閣法制局の答申をうけて、安倍首相は、天皇のご譲位のご意志を無視してこれを政治決定とする退位特例法をつくったばかりか、@改元月日を5月1日のメーデーにあてるA元号の事前公表B運転免許証やビザ(査証)、役所文書の西暦表示(元号廃止)などの計画を着々とすすめている。
 政治が文化の領域へ堂々と手をつっこんできたのである。
 驚くべきことに、安倍首相は、寿ぐべき元号の初日を、アメリカではゼネストの記念日として知られる5月1日のメーデー(労働者の日)をあてた。
 日本では、1952年5月1日、暴力革命を叫ぶ一部左翼団体が暴徒化、警察官側に740人、デモ隊側に200人の負傷者(死者1人)がでたが、この人民闘争は、労働界・左翼革命勢力のなかで、いまなお、高く評価されている。
 新天皇の船出、新元号発足の当日がメーデーとかさなると、メーデー行進のデモ隊が「元号反対」や「天皇制反対」のスローガンをもちださないともかぎらず、そうなれば、新生日本国の門出にも、治安上にも、大きな問題を残す。
 ちなみに、私は、この件について、友人(福田富昭/国際レスリング連盟副会長/2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員/文部科学省五輪対策チーム実行委員長)を介して、神社本庁に申し入れをおこなっている。
 安倍首相は、新元号の「事前公表」という前例のないことをしようとしている。
 これにたいして、超党派保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」は「新元号の公表は改元当日にすべき」との見解をまとめ、会長の古屋圭司衆院議院運営委員長が菅義偉官房長官に「新元号は新天皇から公布されるべき」と申し入れた。
 新元号の事前公表は、今上天皇を諡(おくりな/平成天皇)でお呼びするのと同様、あってはならないことである。
 新天皇の践祚および即位前に新元号を事前公表することは、今上陛下の御代(平成)に次の天皇の時代の元号を謳うこと(一世二元)になって、これは、神事として成り立たない。
 御代替わりにあたって、宮中では、幾つもの重大な儀式が催される。
 これは国家的神事で、政府機関がおこなう御代替わりの式典は、天皇の神事をうけるものにすぎない。
 践祚および即位は、国体の儀式であって、断じて、政体の行事ではないのである。
 不都合だからといって、一世二元となる元号の事前公表をおこなえば、新元号発布が神事に則らないご都合主義となって、はなはだ、不穏当である。
 
 ●安倍首相に叛旗を翻した「神道政治連盟」
 今回、異義を申し入れた「日本会議国会議員懇談会」と「神道政治連盟国会議員懇談会」はメンバーがダブっていることもあってきわめて近い関係にある。
 安倍内閣の閣僚20人中、安倍本人をふくめて、19人が「神道政治連盟」のメンバー(国会議員300人以上)である。
 その「神道政治連盟」が安倍首相に叛旗を翻したのである。
 神道政治連盟の上部構造が神社本庁である。
 神社本庁は、戦後、宗教法人となって、国家機関ではなくなった。
 だが、地方機関である都道府県の神社庁をつうじて、全国約8万社の神社を包括している。
 宮司など神職約2万人、信者約8千万人を擁するスケールで、全国各地の祭り(神事)を担う氏子総代会や保存会を擁する潜在的パワーは、他の宗教教団を寄せつけない。
 神道政治連盟(神政連)の中核は、神社本庁の神職たちで、各県の神社庁ごとに地方組織が置かれ、地方議員連盟も組織されている。
 神社本庁が安倍政権の支持母体であるかのようにいわれるが、政治的支持と文化的共感では、本質的な意味が異なる。
 政治的支持は、多数決的支持で、文化的共感は価値観の共有である。
 神社本庁が、文化の分野で、旗色鮮明にして、安倍政権に異義を立ててこそ本来の政教分離であろう。
 戦後、GHQ命令によって、天皇の法的効力(勅定・詔書)は失われた。
 元号も法的根拠を失ったが、政府は歴史的慣習としてこれを存続させてきた。
 そして、昭和54年の元号法成立で、元号は、よみがえった。
 ところが、同法では「元号は、政令で定める」とされている。
 政令は、内閣による命令なので、元号を決めるのは天皇ではなく、内閣総理大臣ということになる。
 戦後、日本は独立国となったので、天皇の法的効力(勅定・詔書)を復活させてよかったはずだが、どういう力がはたらいたのか、GHQ意向がそのまま残った。
 天皇ではなく、首相が元号をきめるのなら、元号の決定が天皇の権威を示すイベントとなりえない。
 元号制度をとる国は、世界で日本が唯一で、天皇の権威を示すものとなっている以上、新元号は、新天皇におきめいただく配慮がはたらいてしかるべきではなかったか。
 
 ●矛盾する親米と保守
 1979年(昭和54年)に元号法が成立してから40年近くが過ぎた。
 いまにいたって、元号を廃止する理由も根拠も見当たらない。
にもかかわらず、安倍首相は、パスポートや運転免許証、公的文書などへの西暦表記を関係省庁へ通達した。
安倍首相の不可解な行動の謎を解くカギは、「9条加憲」にあるだろう。
 自衛隊を憲法で明文化する安倍首相の「9条加憲」は、護憲派ばかりか改憲派や中道、無党派層のいずれの層からもそっぽをむかれている。
 憲法9条の1項、2項をそのままにして、3項を追加して、そこに自衛隊の合憲化を書き込むというアイデアは、果たして可能であろうか。
 賛成反対以前に、論理的矛盾につきあたって、だれだって、お手上げである。
 このアイデアを名案として歓迎するムキが一つだけある。
 アメリカである。
「われわれ(アメリカ)がつくった憲法をまもって、わが国(アメリカ)との集団的自衛権を保持せよ」とアメリカから迫られた場合、日本は、論理的矛盾はさておいて、9条に3項をくわえて、自衛隊の合憲を謳うほかない。
 これが、安倍首相の「9条加憲」の根拠である。
 アメリカは、9条の改正を望んではいない。
 事実、日米構造協議や年次改革要望書で、あれほど、露骨な内政干渉をしておきながら、アメリカは、集団的自衛権の妨害となっている憲法9条の改正にいちども言及したことがない。
 アメリカ人の大雑把な思考なら、1項、2項をそのままにして、3項で自衛隊を合憲化する論理的矛盾を意に介さない。
 どっちみち、日本を植民地のような国と思っている国なので、9条がどんな矛盾をひきおこそうが知ったこっちゃないのである。
 日本は、GHQが撤退して70年近くたっているのに、いまもって、憲法も天皇条項もGHQの金縛りになったままである。
 独立国家としての誇りや自主性をまったくもちあわせていないのである。
 国家としての誇りが元号で、これを新天皇の勅定とすることで、GHQ憲法というアメリカの呪縛をきっぱり断つことができるが、安倍首相にその気はさらさらない。
親米保守である安倍首相は、親米だけを取って、保守を捨てた売国政治家に変貌しつつあるのではないかと疑問を抱かざるをえない。
 今上天皇の譲位のご意志を、憲法4条の解釈にからめて政治決定としたのみならず、神事ともからむ元号決定を政治問題(政令)にして、天皇を除外したのは、改憲主義者とは思えない憲法原理主義≠フふるまいで、国民感情とも遊離している。
 安倍首相は、アメリカ人の感覚をもって、日本の政治をおこなっているのではないか。
 安倍首相から、日本独自の国益や誇り、固有文化を訴える迫力がかんじられないのは、かれは、愛国者でも民族主義者でもなく、戦後のアメリカンボーイだったからではなかったか。
 トランプ大統領は、貿易摩擦を回避するため、日本が、アメリカ製の武器を大量に購入する予定と嬉々として記者会見している。
 安倍首相の政治的軸足は、日本よりもアメリカにかかっている。
 このままでは、安倍政治は、アメリカのための憲法改正、アメリカのための外交、アメリカのための経済に転落してしまう危険性がある。
 安倍首相の政治・外交・経済手腕は評価されてよいだろう。
 だが、国家の誇りや国体、伝統、愛国心は、政治ではなく、文化である。
 安倍首相が、日本の歴史や伝統、文化を軽んじる方向へ足をふみだすようなことがあれば、大きなしっぺ返しをうけるだろう。
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2018年12月09日

 承詔必謹と昭和天皇のお嘆き

 ●現人神と天皇の政治利用
 昭和天皇は三島由紀夫をきらっていたとつたえられる。
 理由は、三島の『英霊の聲』(1966年/河出書房新社)が天皇のお気持ちを逆撫でするものだったからという。
 同書は、二・二六事件で銃殺刑に処せられた青年将校と神風たらんと散華した特攻隊員の霊が天皇の人間宣言を呪詛する(「なぜ人になり給ひしか」)内容の作品で、印象的なのは、二・二六事件で処刑された磯部浅一が天皇にむかって「天皇陛下、何というご失政でありますか、何というザマです、皇祖皇宗におあやまりなされませ」と絶唱する場面を思わせる描写で、これが、そののちに書かれる『文化防衛論』の前駆的な役割を担った。
 文化防衛論は、畢竟、天皇防衛論だったのである。
 神風特攻隊は、天皇と国体をまもるため散華して、英霊となって、靖国神社に還ってくる。
 だが、昭和二十一年元旦の詔書で、天皇は人間宣言をなされた。
 そこから「なぜ人になり給ひしか」の悲憤がうまれた。
 三島の現人神信仰は、あくまで、文学的な概念にすぎない。
 歴史上、天皇は、神そのものだったことはない。
 記紀に記述されている神代の時代は神話である。
 実史における天皇史は第十代崇神からはじまる。
 天皇は、現人神ではなく、神格を有したやんごとなきお方で、戦後、人間宣言によって至尊至高な人間天皇に還ったのである。
 現人神は、天皇を国家元首に立てた明治憲法の延長線上にある昭和軍国主義の産物で、元を糾せば、薩長の天皇の政治利用につきあたる。
 天皇の政治利用のメカニズムは、政・軍の権力が、権威=天皇の絶対化してこれを私物化することで、長州倒幕派は天皇をギョク(玉)≠ニ呼び、誘拐までを計画していた。
 戦時中は、軍国主義が、天皇陛下万歳の天皇絶対主義を隠れ蓑とした。
 したがって、だれも無謀な中国侵攻や南洋戦略を批判することができなかった。
 
 ●昭和天皇を苦しめた戦争責任
 2018年8月23日、全国朝刊(共同通信)に、戦争責任について苦悩する昭和天皇の心中をうかがわせる元侍従(小林忍)の日記が公開された。
 日記には「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり」と嘆かれる昭和天皇の真情が綴られている。
 昭和天皇はマッカーサーを訪ねた折、「私は、国民が戦争遂行するにあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」とのべられた。
 そして、以後、日本の発展をみまもられながら、ひそかに、戦争責任という苦悩に身を苛まれてこられた。
 天皇に、筆舌に尽くしがたい苦悩をあたえた戦争責任は、天皇の政治利用の一つの帰結で、軍部は、天皇を政治利用したそのツケをすべて天皇一人に負わせたのである。
 バワーズ副官(少佐)兼通訳の手記によると、マッカーサーは、日本の戦争の罪をどう処罰してやろうかと考えていた人物だったが、訪問された天皇陛下が「戦争は私の名前でおこなわれた。全責任は私にある」「戦争犯罪人たちの身代わりになる」と申し出られたとき、それまでの考えをすべて捨て去った。
 バワーズはこう記す。
「元帥ははた目に見てもわかるほど感動していた。私は、彼が怒り以外の感情を外に出したのを見たことがなかった。その彼が、今はほとんど劇的ともいえる様子で感動していた。彼は両腕を夫人やフェラーズ代将、そして、私を抱くように広げ、こういった。「私は平等な人間として生まれたが、あれほど全能に近い地位にあった人が、今かくもへりくだった立場になったのを見て、心が痛む思いだ」。そういって、彼は感慨深い様子で、1人でゆっくり階段を上がっていった。
 
 ●天皇の祈りと自己犠牲
 マッカーサーが感動したのは、天皇の国民にたいする責任感だった。
 天皇にとって民は大御宝である。
 西洋には、支配者たる王と被支配者である民の対立観念しかなかった。
 ところが、日本は、天皇と民が同一地平上にある君民合一≠ナ、君民共治という理想郷がすでにできあがっていた。
 第16代仁徳天皇は、民のかまどから煙が立たないのを見て、税の徴収を3年間、さらに2年間中止して、民のかまどから煙がたちのぼるのを見て安堵された。
 元寇の折、亀山上皇(後宇多天皇)は各地の寺院に参詣して、蒙古殲滅を祈願している。
 天皇は、現人神ではないが、神格を有する存在で、両者のちがいは、前者が軍国主義だったのにたいして、後者は、庶民(国民)感覚で、日本人の天皇にたいする敬愛心はそこにある。
 なにごとの 在しますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる
 伊勢神宮に参った西行法師のうただが、庶民にとって、天皇は、どなたさまかは存じ上げないが、ただひたすらかたじけない存在であった。
 戦後、大手新聞社がおこなったアンケート調査では、95%近くが天皇支持であった。戦争に負けると死刑か国外追放が常識だったなか、驚異的な支持率とその後の全国行幸における国民の熱狂的な歓迎にマッカーサーは腰を抜かすほど驚いた。
 
 ●天皇と民主主義の折り合い
「承詔必謹(みことのりをうけてはかならずつつしめ)」は下命である。
 だが、天皇と民は敬愛の関係で、臣下や従属というタテの関係だったことはない。
 十七条憲法でも、承詔必謹の対象は豪族や官僚で、太子は群卿(豪族/第四条)や群臣(官僚/第十四条)ということばを使っている。
 そもそも、民という概念がうまれるのは、十七条憲法から40年下った大化の改新(公地公民)以降のことで、それまでは、民も土地も、氏上がこれを所有する私地私民だった。
 天皇と民の接点はなく、したがって、天皇と民のあいだに、承詔必謹の思想が生じたと考えることはできない。
 懸念されるのは、天皇と西洋民主主義の離反である。
 わたしは、西洋の民主主義を日本精神の破壊者と見るもので、むろん、民主主義の信奉者ではない。
 しかしながら、日本が民主主義を捨てて、日本主義に回帰する可能性は万に一つもない。
 そうなら、民主主義と折り合いをつけて、共存する以外、天皇を未来永劫にわたってまもってゆく方法がない。
 葦津珍彦は、憲法を改正するなら、天皇主権を謳うべしという。
 私はそうは思わない。
 天皇が統治権の総覧者になるとヨーロッパ型王権が誕生する。
 ヨーロッパで市民革命がおきたのは、主権者たる王と人民が対決したからだった。
 現在、ヨーロッパなどに残っている王政は、絶対王権と国民主権の中間点にある立憲君主制である。
 統治は、権力行為で、天皇主権がファシズムに利用されたように、人民主権は共産主義に乗っ取られる。
 わが国は伝統国家(民主的君主国家)で、権力は、権威と法からゆだねられる限界内で行使される。
 象徴天皇は、戦後、GHQがもちこむ以前に、摂関・院政・武家政権において、すでに定着しており、天皇が、権力ではなく、歴史や文化、民族の象徴にして、権威だったことは、日本の歴史の真実である。
 民主主義にしても、ルソーが国家の理想とした君民共治≠ェ古代日本においてすでに実現されており、革命の産物であるデモクラシーより、日本の民主主義(君民一体)のほうがはるかに伝統的なのである。
 歴史的に実現されていた天皇と民主主義の共存を破壊したのが、明治憲法の天皇元首(大元帥/統治権の総攬者)と昭和軍国主義の現人神信仰だった。
 
 ●西南戦争と徴兵令
 そこで、障碍になってくるのが天皇元首論と「承詔必謹」である。
 かさねて指摘しておくが、天皇は、歴史上、国民に、直接、下命する立場に立たれたことはなかった。
 その大原則をひっくり返したのが徴兵令(全国徴兵の詔/明治5年) だった。
 大元帥となった天皇は、理論上、国民皆兵の指揮者となって、ここで、天皇と国民が、直接、むきあう関係になった。
 この構造を利用して、政府は、赤紙一枚で、大量の国民を戦場に駆り立てることができるようになって、日露戦争では1か月の局地戦(203高地・旅順要塞攻略)で戦死者1万6千人、戦傷者4万4千人という未曽有の大被害をだした。
 武士の時代なら想像もできない下手な戦争で、侍のいくさならこんなに多くの犠牲者がでるはずはなかった。
 赤紙一枚でいくらでも兵隊をとれる徴兵令が、対米戦争(南洋島嶼作戦)や中国戦線の戦線拡大につながって、大東亜戦争の戦死者は、二百十二万人にもおよんだ。
 西郷隆盛の士族の反乱の根底に、徴兵令があったのは疑いえない。
 志願兵制度(「壮兵」)を構想していた西郷隆盛や「萩の乱」の首謀者として処刑された前原一誠、西郷隆盛とともに私兵を率いて政府軍と戦い、壮絶なる最期を遂げた桐野利秋(中村半次郎)らは「国家のために死ぬ武士の名誉を奪うもの」として、徴兵令に反対した。
 日本人の精神の頂点に、国家のために死ぬ武士の名誉があったのである。
 承詔必謹は、日本人を戦場に送り出すため、軍人が17条憲法から盗用した論法で、これが、天皇の政治利用だったことに気づかなければ、天皇=国体の純粋性を未来永劫にわたって、まもりぬいてゆくことはできないだろう。
 
 ●承詔必謹の歴史背景
 592年。聖徳太子19歳の折、崇峻天皇が、蘇我馬子が放った刺客、東漢直駒に弑逆される。
 豪族連合に擁立された祭祀王=天皇はけっして絶対的な存在ではなかったのである。
 そこで、聖徳太子は、蘇我の出自ながら、天皇中心の政治を実現すべく、官僚(畿内)と豪族(地方)へ、天皇の下で一つになれと激をとばした。
 それが17条憲法の承詔必謹である。
 その承詔必謹が、明治以降、天皇の政治利用のキーワードとして使われはじめる。
 維新以降、天皇を利用して幕府や武士の文化を滅ぼし、国家を危うくしたのは、時代の流れにのった西洋化主義者や帝国主義者、革新官僚だった。
 明治の軍隊は、海軍の薩摩、陸軍の長州と薩長閥だったが、西郷隆盛の下野と西南戦争における敗死、紀尾井坂の変の大久保利通暗殺によって薩摩閥は勢いを失い、政界・軍部ともに、伊藤博文や山縣有朋ら長州閥、岩倉具視や三条実美ら親長州公家の独り勝ちとなった。
 これに反発したのが、政界や財界とむすんで、軍部の影響力をつよめていった統制派や革新官僚で、その代表が、永田鉄山陸軍少将やのちの東條英機陸軍大将だった。
 政・官・財界と組んで力をつけてきた統制派は、皇道派や薩長閥を排除して栄達の道を歩みはじめるが、薩長閥のような実績や人脈がなかった。
 かれらが権力の正統性としたのが、天皇と学歴だった。
 永田鉄山は、陸大をトップででて恩賜の軍刀を贈られているが、東条英機も丸暗記で有名な勉強家で、陸大をトップに近い成績で卒業している。
 知将今村均、猛将山下奉文、賢将石原莞爾が冷や飯を食わされたのは、日本の軍部が、陸軍士官学校や陸大、海軍兵学校の成績順位だけで、軍人の身分をきめていったからで、連合艦隊参謀長の宇垣纏は、海軍兵学校や海軍大学校の卒業順次がじぶんより下の者へ、敬礼も返さなかったという。

 ●承詔必謹と愚かなる戦争
 昭和の日本軍は、極端な偏差値社会だったわけで、薩長の出身者がほとんどいなかった当時の軍事エリートは、勉強はできたが、薩長とは比べものにならないほど戦争が下手だった。
 中国大陸侵攻や南洋島嶼作戦は、陸軍と海軍が予算を分捕るためにおこした意味のない戦争で、その一方、サイパン島・硫黄島の要塞化など、本土防衛に必要だった作戦はなに一つ実行に移されなかった。
 日本は、天皇を政治利用した統制派の傲慢と権力主義、学力主義のために戦争に負けたのである。
 漫画家の小林よしのりが、皇后さま82歳の誕生日のご発言から、承詔必謹を読みとって、男系天皇論者を「承詔必謹なきエセ尊皇家」と罵っている。
 皇后さまは、天皇陛下の御放送にふれて、こうのべられた。
「皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされた陛下の御表明も、謹んでこれを承りました」
 小林は、このご発言をもって、皇后さまの承詔必謹を見習うべしという。
 あの愚かな戦争からなにも学ばなかっただけではない。
 小林がもちあげる承詔必謹は、天皇利用の危険思想なのである。
 小林は、女系天皇論者で、祖先がどこの馬の骨とも知れぬ女系天皇に「承詔必謹」という絶対権力を与えよという。
 万世一系を迷信ときめつける男でもあって、日本を、天皇というアクセサリーをつけた共和国にしようという魂胆をもっている。
 保守思想のなんたるか、天皇の政治利用のなんたるかに無知で、漫画という武器で、薄っぺらな合理主義や社民主義、フェミニズム(女権主義)をもちあげている。
 私には、小林よしのりがアピールする承詔必謹が、天皇の政治利用という悪夢の再来のように聞こえるのである。
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2018年09月17日

天皇・国防問題は文化論≠ナ語れ

 ●法と権力の前で文化が窒息寸前
 安倍首相は憲法改正にご執心だが、憲法の条文など、解釈一つでどうとでもなる。
 日本は、現憲法下で世界6位の軍事力をもち、イージス艦6隻、空中給油機6機、準空母2隻を保有するほか、900キロ級の巡航ミサイルの導入までをきめている。
 憲法を改正せずとも、否、憲法を改正しないほうが、日本は適正な軍事力をもてるのである。
 加憲とやらで、国軍としてすでに国民の了解をえている自衛隊に9条3項をかぶせると、9条の1項、2項との矛盾が明らかになって、却って、反自衛隊派を勢いづかせることになる。
 日本の防衛は、生存権や国家主権(交戦権)、正当防衛などの憲法外の規範にもとづいている。
 自国をまもる、自分の家族をまもるのは、自然法や習慣法で、人間や国家の自己保存本能や尊厳は、法の規制をうけない文化のカテゴリーにある。
 憲法をまもるためなら国が滅びてもよいという護憲派の平和主義は、人間の心=文化が失われた法匪の思想≠ナ、安倍首相の加憲論は、国家防衛という本能的欲求をゆるがす余計な小細工なのである。
 憲法9条より問題なのが、日米地位協定で、日米の地位(立場)が、米独や米伊、米韓より不利益的ならば、早急に改善されなければならない。
 法の問題なら条文の改正ですむが、パーセプション・ギャップ(認識のずれ)は文化の問題で、これを放置すれば、国家や民族の尊厳までが傷つきかねない。
 近代国家は、政治と法治(ほうち)のバランスからなりたっている。
 政治とは文化で、権力や法と対立する。
 アメリカやイギリスなどに比べて、日本で、憲法(法治主義)のウエイトが高いのは、政治が弱体だからである。
 なにしろ、自国の政治判断よりも、旧宗主国(GHQ)が70年前においていった占領基本法(憲法)のほうを大事にしているのである。
 大統領制の国では、アメリカのように大統領令が憲法に優先する。
 議会がつよい国では、ドイツのように憲法が議会に隷属するか、イギリスのように議会の決定を制限する憲法そのものがない。
 日本の場合、GHQ政令の憲法を絶対化するため、憲法99条で、天皇から総理大臣、最高裁裁判長にまで、憲法遵守の義務を負わせている。
 このばかげた法の過剰支配の下で、東大法卒を中心とした法務・検察官僚がわが世の春とばかりに、国権を牛耳っている。
 法の過剰支配が、政治や文化、常識、人情を圧迫するのは当然なのだ。
 日本では、あらゆる分野に権力や権限、権益がはいりこみ、それが、文化や政治を基盤とするあたたかい家族社会を法や権力が支配する冷酷な監獄社会に仕立て上げている。
 下が規則や許認可、法令などの小さな権力をふりまわせば、上は東大法卒の赤レンガ組が、警察・司法・マスコミを従えて、法務権力というスーパーパワーを発動させるという按配なのである。
 
 ●皇室典範=国体法を憲法から切り離せ
 戦後、いっさいの権威や伝統、民族的価値が否定されて、アメリカ製憲法が唯一の価値となった。
 大きなダメージをうけたのが皇室の家法である皇室典範だった。
 皇室の廃絶を長期的視野に入れたGHQの皇室政策はきびしいもので、財産没収と11宮家の臣籍降下のほか、明治憲法と同格だった皇室典範を憲法へとりこみ、歴史的存在である天皇=国体を法律上の存在にしてしまった。
 天皇問題は、すべて、ここに起因する。
 リベラル派は、女系天皇や女性宮家を主張する。
 万世一系を否定する女性天皇は、もともと論外で、世継ぎ問題を解決するには、11宮家の皇籍復帰あるいは現皇族と旧皇室の養子縁組以外にはない。
 それには、皇室典範を憲法から切り離して天皇と皇室の家法=国体法典としなければならない。
 天皇の地位や皇族の身分、皇統問題は、歴史の問題である。
 憲法を改正するなら、9条より第一章(天皇)が先であろう。
 天皇事項を憲法から外して「国体法たる皇室典範で定める」としなければならない。
 皇室典範が皇室の家法となれば、自民党の改憲案「天皇元首」などもってのほかで、天皇および皇室が権力や法から離れた文化的存在になったとき、日本は、歴史に国家の根拠をおいた真の伝統国家となるのである。
 天皇陛下は、平成28年8月8日、ビデオメッセージで、ご高齢になられたことや身体の衰えを挙げ、公務をつづけることがむずかしくなるのではなるとして、譲位の意向をおしめしになった。
 しかし、現在の皇室典範には、生前退位に関する規定がない。
 そこで、2017年、天皇陛下の退位を一代限りでみとめる皇室典範特例法(譲位特例法)を制定、皇室会議(2017年12月1日)をへて、定例閣議(12月8日)で、2019年4月30日に天皇陛下が退位して、5月1日の皇太子徳仁親王殿下即位をもって新元号への改元をおこなうという政令案が閣議決定された(退位特例法)。
「譲位」が「生前退位」にすり替わったのは、譲位を望まれる陛下のご意向に政府が従えば、憲法4条に抵触しかねないからだという。
 皇室典範を憲法にとりこんでおいて、天皇のご意志が憲法にふれるというのは、それじたい矛盾で、皇室典範を憲法と同等の皇室の家法へもどせば、なんの問題も生じない。
 天皇問題は文化であって、文化を法や権力で支配することはできない。
 日本人にとって天皇は、制度でも法でも権力でもなく、神話や歴史、言語のような文化、民族の心で、国家以前の国体なのである。

 ●文化防衛論における「菊と刀」
 権力が国家をつくっているとだれもが思っている。
 だが、国家をまもり、国家を国家たらしめているのは文化であって、権力や軍事力ではない。
 三島由紀夫は、文化と武力の関係を「菊と刀」にたとえた。
 刀(武力)は菊(文化)をまもるものであって、権力の道具ではない。
 三島由紀夫の『文化防衛論』がまもろうとしたのは、文化概念としての天皇だった。
 国家をつくりあげているのは、文化と歴史、権威で、その象徴が天皇である。
 日本という国家の本質は文化にあって、その文化(菊)は、軍事力(刀)によってまもられなければならない。
 国家をまもることは文化をまもることだが、たたかわずして、文化をまもることはできない。
 文化は、大砲や文化侵略、伝統破壊に無防備で、革命にはひとたまりもないからである。
 日本が軍事侵略(元寇など)や宗教侵略(天草四郎の乱など)を防ぐことができたのは、菊という文化ではなく、刀という闘争力が高かったからで、三島は、文化防衛の要諦が刀であることを熟知していた。
 外国人が、なによりも恐れたのは、武士の刀だった。
 刀は武士の誇りでもあって、武士の誇りを傷つけるとその場で斬殺されかねなかったからだった。
 まして、軍靴で帝(みかど)の地を侵略すれば、武士がいっせいに抜刀して襲いかかってくる。
 日本侵略など、とうてい、思いおよばなかったのである。
 天皇をまもるのは、法でも正義でもなく、刀であって、それが文化防衛論の要諦である。
 三島由紀夫は「文化防衛論」のなかで日本文化の衰弱を「近松も西鶴も芭蕉もゐない昭和元禄」と嘆いた。
 江戸時代には、浮世草子の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、大和絵の尾形光琳や俵屋宗達、浮世絵の菱川師宣や葛飾北斎、人形浄瑠璃の近松門左衛門、東海道中膝栗毛の十返舎一九、南総里見八犬伝の滝沢馬琴、浮世床の式亭三馬と庶民芸術が花開き、庶民のあいだで川柳や狂歌が流行り、人々は歌舞伎や能、狂言に熱狂し、武家の奥方から町人の娘までが踊りや三味線、茶道や生け花、小唄や長唄などの習い事に夢中になった。
 そして子らは「寺子屋」で書や算盤を学び、江戸時代、庶民の識字率70%は世界一だった。
 近松も西鶴も芭蕉も、権力からすっぱりと切り離されている。
 そこに「菊と刀」の真骨頂がある。
「菊と刀」の刀は、外圧や権力にたいする抵抗権でもあって、カミカゼの散華は、権力と無縁な庶民が、菊という文化や国体、天皇をまもるため命を捨てて抜き払った必殺の剣だったのである。

 ●皇祖皇宗の大御心と「君民一体」
 権力にたいする怒りが爆発したのが、5・15事件や2・26事件だった。
 反乱の根っこには、隆盛を誇る財閥経済の陰で、娘を売るまでに追いつめられた東北の農村の貧困があった。
 5・15も2・26も、クーデターではなく、農村の凶作や災害に手をさしのべようとしない政府にたいする直訴で、青年将校は、天皇による一視同仁の親政をもとめて、蜂起したのだった。
 だが、側近の老臣を殺害された昭和天皇は激怒して「朕みずから近衛師団を率いて鎮圧に当たる」と主張して、一片の同情もお示しにならなかった。
 天皇が権力にとりこまれて、権力の一部になっていたことに2・26事件の青年将校らは気づかなかったのである。
 磯部浅一大尉は昭和天皇にむかって(「獄中日記」)こう叫んだ。
「天皇陛下、なんという御失政でござりますか。なぜ奸臣を遠ざけて、忠烈無双の士をお召しになりませぬか」「なんというザマです。皇祖皇宗に御あやまりなさいませ」
 磯部が信頼していたのが北一輝だったが、北も大川周明も、右翼ではない。
 国家社会主義者で、北や大川がもとめた憲法は、現在の日本国憲法に近い。
 すると、三島がいう文化概念としての天皇は、明治維新にも昭和のクーデター事件にもなかったことになる。
 後花園天皇は、大飢饉と疫病の大流行で、都に死者があふれているにもかかわらず、東山山荘・銀閣寺の造営にうつつを抜かす八代将軍足利義政を諌める漢詩を送っている。
 残民争採首陽薇 処々閉廬鎖竹扉 詩興吟酸春二月 満城紅緑為誰肥
 生き残った者も飢えて首陽山でワラビなどを採り至る所で飯櫃を閉ざし扉を封鎖している 春の二月だというのに詩を吟じるにも痛ましい 都の花や草木は誰のために育っているのだろうか。
 民を想う情や涙、怒りが文化で、日本には、皇祖皇宗の大身心という文化があったのである。
 それが君民一体で、幕府は、この国体をまもる武士集団(幕藩)だった。
 フランス革命に思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは『社会契約論』で「随意に祖国を選べというなら、わたしは君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。わたしは君民共治を理想とするが、そのような国が地上に存在するはずもないので、わたしは、やむをえず民主主義を選ぶのである」
といっている。
 ルソーは、東洋にその理想の「君民共冶」の国があったことを知らなかったのである。

 ●権威と権力の二元論は「構造と力」
 明治維新は、薩長の革命軍・テロリストによる政権略奪で、この革命が成功したのは、天皇をとったからで、薩長は天皇を玉(ギョク)と呼んだ。
 薩長の下級武士集団が、幕藩体制を打破して、中央主権国家をつくることができたのは、天皇の威光があったからで、明治維新は、天皇親政の形をとった天皇の政治利用だったのである。
 明治維新によって、権威(文化)の座におられた天皇が権力(政治)の座へ移って、日本は、文化国家から権力国家へと変容した。
 軍国主義や帝国主義は、権力の暴走で、明治維新や日清・日露戦争がおきた19世紀末〜20世紀末までの百年は日本にとって「革命と戦争」の世紀でもあった。
 日本史をながめても、権力主義の嵐が吹き荒れたのは、建武の新政から南北朝、応仁の乱、戦国時代までの暗黒の中世260年と明治・大正・昭和初期の80年の二つの時代しかない。
 応仁の乱のさなか、後花園天皇の牛車が騎馬の武士団に道を譲らされる事件がおきている。
 権威の失墜が権力の肥大化をうみ、世は、乱世へとむかってゆく。
 建武の新政破った足利尊氏によって足利幕府が発足するが、歴代足利将軍の側近政治が応仁の乱をうみ、やがてそれが群雄割拠の戦国時代を招き、日本は暗黒の中世に叩き落される。
 それとまったく同じことがおきたのが幕末の倒幕から帝国主義に走った明治時代から昭和初期で、天皇が権力へとりこまれた結果、権威の空洞化と権力の肥大化が生じて、第二次大戦の敗戦=国体の危機へとつながった。
 国家も人生も、文化的側面と権力的側面の両面を併せもっている。
 これが権威と権力、文化と政治の二元論の原型である。
 文化と権力は「構造と力」の関係で、国家は、目に見える文化という構造を失ったとき、目に見えない権力という力に呑みこまれる。
 極端なケースが革命で、形のある文化が、過去の遺物として葬られる。
 一方、観念やイデオロギー、思想などの無形の力が人々を縛りつける。
 過去や歴史は、その形を保守しなければ、力によって粉砕される。
 その力が、合理性や改革、民主主義や個人主義で、この力が増強されてゆくと、世界は、文化や歴史、伝統を失った生命維持装置のような殺伐としたものになってゆく。
 それが、スターリンや毛沢東、ポルポトがもとめた革命世界で、完全に合理化された世界は死の世界なのである。
 われわれが生を営んでいるのは、不合理な世界で、論理や合理で割り切れるものはほとんどない。
 法や権力、合理主義や民主主義ばかりもちあげていると、やがて、世界は、暗黒化してゆくことになる。
 天皇退位と新天皇即位にともなって、元号が改められる。
 一部つたえられるところによると、官公庁の書類を西暦に一本化する動きがあるという。
 元号が不便というのだが、不合理を殺ぎ落として、利便性だけを追いもとめると社会はやせ衰える。
 社会は、歴史や伝統を無条件に相続することによって、ゆたかさが維持される。
 その代表が祭祀で、国家も人間も、祭祀や儀式などの不合理な文化の領域を失うと無機的な制度や法、権力にすぎないものへ堕落する。
 日本が文化国家たりえているのは、国体を有するからで、日本は、天武天皇の大昔から明治の五箇条のご誓文に到るまで、政治(太政官)と祭祀(神祇官)の二元論だった。
 明治憲法(明治22年)が天皇を国家元首に据えたところから、文化国家である日本のすがたがゆがみはじめ、前述したように、それが、前大戦の敗戦に到って国体の危機が生じた。
 法と権力を排して国家や国体を文化論≠ナ語らなければ、伝統国家日本の成熟はありえないのである。

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2018年02月08日

月刊ベルダ1月号(2017年12月発売)より転載

「米中新時代」と
朝鮮半島の動向


●米中は似た者同士の覇権国家 
 今年(2018年)の世界情勢は、トランプと習近平が大接近した米中の二大覇権国家と、核・ミサイルでその米中にケンカを売る極東の小国北朝鮮の二つの軸を中心に展開されてゆくだろう。
米中新時代≠ニいう世界潮流のなか、唯一、米中が対立関係にあるのが朝鮮半島で、米中とも、それぞれの思惑のちがいから、北朝鮮の核・ミサイル開発にブレーキーをかけることができなかった。
 中国が金正恩体制を温存させてきたのは、北朝鮮が緩衝国として、中国の国益に合致していたからで、これまで、食料や物資の支援をおこない、国連安保理で北朝鮮の肩をもってきた。
 だが、核保有国となった金正恩北朝鮮は、いまや、中国の同盟国でも友好国ですらなくなりつつある。
 北朝鮮の核ミサイル問題の焦点が、今年はじめに完成するといわれる核弾頭と大陸間弾道ミサイル(ICBM)にあるのはいうまでもない。
 もっとも、北朝鮮の核は防衛用(相互確証破壊)であって、先制攻撃に使用されることは100%ありえない。
 したがって、アメリカには対朝戦争に踏み切る理由もメリットもない。
 この現状の固定化こそが米中の望むところで、北朝鮮が防衛的にしか使用できない核戦力を誇示したところで、米中には痛くも痒くもない。
 そのかんに中国は一帯一路戦略をおしすすめ、アメリカは武器・軍需物資を世界中に売りまくるだろう。
 12日間のアジア歴訪の旅を終えたトランプ大統領がアジアに残していったのは、現状維持という米中にとってまことに都合のよいものだったのである。
 トランプは、日・韓に大量の武器を売りつけ、中国とは、貿易不均衡の是正と称して、製造業やエネルギー分野への投資から、航空機、半導体、食品分野にいたる米国製品28兆円(2500億ドル)の大量購入の約束をとりつけた。
 米中にとって、現状の固定化は、いかに北朝鮮危機が迫ろうとも、かくも戦略的メリットが高いものだったのである。

 ●北朝鮮の核化≠ノ無力だった米中
 北朝鮮が核やミサイルをもちたがる理由は二つある。
 @対米用「核の抑止力(確証相互破壊)」
 A南北統一のための軍事的優越性の確保
 北朝鮮は、金正恩独裁体制の維持と南北統一の切り札に核をもちいようというのである。
 北朝鮮が、核弾頭とICBM(大陸間弾道ミサイル)の開発を放棄しないのは、核・ミサイル保有国にならなければ、米中と対等の立場に立つことができないと思っているからである。
 北朝鮮には、核の放棄どころか、米本土に到達するICBMを完成させるまで話し合いのテーブルにつく気すらない。
 たとえ、米朝が水面下の外交的な交渉で、ICBM開発を一時凍結したとしても、そのとき北は世界で九番目の核保有国となっている。
 核をめぐる米朝のかけひきは、1994年の「米朝枠組み合意」以来、アメリカは北朝鮮にやられっぱなしなのである。
 一方、中国は、北朝鮮にたいして、三つのアドバンスをもっている。
 1:中朝軍事同盟の破棄
 2:原油輸出の完全停止
 3:中朝国境線の完全封鎖
 中国は、国連制裁を参加せずとも、独自の政策で、北朝鮮を屈服させることができるのである。
 その中国にして、北朝鮮の非核化は手に負えなかった。
 北朝鮮は、北を潰せない中国の逆手にとって、米中を手篭めにしたのである。
 北朝鮮が核保有国になれば、イランなどへの核の商人≠ニ化す可能性を否定できず、そうなれば、中東の核化が一挙にすすむことになる。
 米中は北朝鮮の核保有にまったく無力だったのである。
 北朝鮮の核の直接的な影響をうけるのが韓国と日本だが、韓国以上に核に無力なのが専守防衛の日本である。
 敵基地攻撃能力をもてないので、被爆しても、米軍のミサイルで敵の基地を攻撃してもらう以外方法がないのだ。
 交戦権を否定する九条を温存して三項をくわえ、自衛隊を憲法上、認知したところで、九条一項二項が残っているかぎり、防衛的先制攻撃が不可能になる。
 憲法を改正して、国家防衛力が、解釈改憲の現状よりも低下するのである。
 北朝鮮が核保有国となった現在、日本のアメリカの核の傘への依存と対米従属がさらに深まって、戦後レジームからの脱却はますますむずかしくなる。
 中国メディア(環球網)は、1015年、日本がミサイル搭載用の核弾頭を短期間で開発する能力をもっているとする署名原稿(中国安全研究所副所長・の楊承軍教授)を掲載して、警戒を呼びかけた。
 日本の核保有には、中国だけではなく、アメリカも反対で、日本が国際世論の反対をおしきって核をもてば、世界と摩擦がひきおこされて、経済的・外交的に大きなダメージをこうむることになる。
 核をもてない日本は、アメリカの核の傘の下にはいらざるをえず、対米従属がさらに深まることになる。

 ●中国共産党と米国の軍産複合体
 来年以降、世界は、米中の大接近によって、二極支配の構造を呈するだろう。
 もともと、米中は似た者同士の国家で、いくつか共通点がある。
 @ともに革命からうまれたイデオロギー国家である
 A国家の上位に共産党組織や軍産共同体という軍事機構をもつ
 Bグローバリズムに立った覇権国家で、両国で二大強国を形成している
 イデオロギー的に相容れない米中両国が手をむすぶのは一種の棲み分け≠ナ、それを端的にあらわしたのが習近平の「太平洋には中国と米国を受け入れる十分な空間がある」という発言(トランプとの共同記者発表)だった。
 中国が革命国家であることはだれもが知っている。
 ところが、アメリカが革命国家であるという認識は、案外、乏しい。
 アメリカの独立戦争は、世界で最初の市民革命でもあって、独立宣言・合衆国憲法をとおして、自由・平等そして民主主義を謳いあげる市民社会を出現させた。
 アメリカと中国は、ともに革命国家で、そこに米中が一脈つうじあう理由があるだろう。
 1996年の台湾海峡ミサイル危機は、台湾総統選挙で李登輝優勢に焦燥を深めた中国軍が台湾海峡にミサイルを撃ち込んで恫喝したもので、これにたいして米海軍は、台湾海峡に太平洋艦隊を送り込んで牽制した。
 このとき、米中のあいだで、投票日の三日前にミサイル発射停止、その直後に米艦隊を海峡から撤退というシナリオができていたとされる。
 ニクソン大統領の訪中準備のため一九七一年におこなわれたキッシンジャー特別補佐官(当時)と中国の周恩来首相(同)の極秘会談では「日本の軍事大国化を防ぐには日米同盟でコントロールすべき」という瓶のふた論≠展開している。
 人工国家である米中両国は、国家の上部構造にイデオロギーにもとづく軍事機構をそなえている。
 中国の共産党、アメリカの軍産共同体がそれである。
 米中が超大国となったのは国家概念に海外侵略≠ェとりこまれているからで、中国の共産党もアメリカの軍産複合体も、世界にむかって拡張してゆく装置といってよい。
 強権国家として、対外的に拡張してゆくための国家戦略を練るのが中国共産党で、第19回中国共産党大会では、習近平思想の党規約への明記が決議されて習近平の独裁者としての地位も確定した。
 アメリカを追いこして、世界一の大国をめざす習近平の思想が、毛沢東思想やケ小平理論と並んだわけで、習近平の「一帯一路」戦略が国家戦略となったのである。
 一方、アメリカの国家戦略は、軍事力による世界制覇で、それが軍産複合体(MIC)という国家臨戦態勢である。
 トランプが軍事関連製品のセールス外交をくり広げたのは、軍産複合体のアメリカにとって、軍需物資の輸出が経済の生命線だからで、アメリカは戦争から国益をえる国家なのである。
 ホワイトハウス(大統領行政府)とCIA(中央情報局)、ペンタゴン(国防総省)の下に3万5千社にものぼる傘下企業群、金融機関、大学や研究室、政府機関やマスコミ、350万人以上の将兵を抱える軍部、議会までがつらなるのが軍産複合体制という国家臨戦態勢である。
 これは中国も同じで、中国という国家の上部概念に中国共産党と中国共産党が組織する人民解放軍が存在する。
 アメリカと中国は、国家の上に、軍産複合体(MIC)や中国共産党(人民解放軍)という軍事ハードウエアを背負った特殊な国家なのである。
 米中とも世界戦略(グローバリズム)を必要とするのは、国家を統一、発展させるには、対外侵略に依存せざるをえないからで、それが、中国でいえば、一帯一路である。

 ●「一帯一路」と日米豪印戦略対話
 一帯一路は中国西部から中央アジア、欧州を結ぶ「シルクロード経済帯」(一帯)と中国沿岸部・東南アジア・インド・アフリカ・中東・欧州とつらなる「21世紀海上シルクロード」(一路)からなる。
 経済圏に含まれる国は62カ国、その総人口は約45億人で世界の約6割に相当する。
 海上シルクロードと呼ばれるのが「真珠の首飾り」である。
 マラッカ海峡航路のほか、パキスタンのグワダール港、バングラディシュ(チッタゴン港)、ミャンマー(シットウェ港)スリランカ(ハンバントタ港)など港湾や空港の整備に力が注がれたが、ハンバントタ港開発では、中国が高利で資金提供をおこない、返済が不能になると租借地として取り上げるという悪質な手法がとられた。
 これに対抗するのが、安倍首相が提唱した日米豪印戦略対話である。
 四カ国で構成される「アジアの民主主義の孤」で、習近平の「一帯一路」に対抗する狙いがある。
 影響をうけるのがASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国で、日米豪印戦略対話が軌道にのれば、中国の影響から脱して、非同盟中立という自主的な外交路線をとることができる。
 中国の東方進出にはもともと限界がある。
 台湾を武力制覇するためには米艦隊を破らねばならず、日本をこえて太平洋に進出するにも、原油の通り道であるインド洋や南シナ海で制海権を確保するにも日米同盟をこえる海・空軍力を持たねばならない。
 一方、莫大なインフラ需要が眠る西方の「シルクロード経済帯(中央アジア)」では低利融資の大攻勢で道路やトンネル、天然ガス・パイプラインが建設されるなど関係国は中国マネーに沸いている。
「シルクロード経済圏」と銘打ったところで、資金から作業、資材、建機などすべて中国のものなので、中国の公共事業を外国でやるようなものである。
 中国は「2014年の中国の対中央アジア投資は380億ドルにたっしているが、日本は20億米ドルに過ぎない」と豪語するが、2015年に中央アジア5か国を訪問した安倍首相が「3兆円超の事業創出」を打ち出しており、今後、中央アジアで日中の経済競争がはじまるだろう。

 ●中国が抱える三つの懸念
 トランプの助言者であるキッシンジャーは、中国が北朝鮮に傀儡政権をつくるのと引き換えに米軍が朝鮮半島から撤退するという裏取引をもちだしたというが、中国はのってこなかった。
 なぜなら、力づくで金体制を倒せば、世界と共存共栄をはかるというスローガンと矛盾して、一帯一路の関係・周辺国の不信感を招かずにいないからである。
 現在、中国がもっとも重視しているのが国際世論で、訪中したトランプが中国にたいして一言もクレームを発しなかったのは、習近平の立場を考慮したからである。
 中国がおそれるのは次の三つの事態である。
 @経済侵略(一帯一路)や軍事侵犯(南シナ海)、人権侵害(チベットや東ウイグルなど)、自由主義経済(知的所有権など)違反などにたいする対中批判
 A南北統一(朝鮮半島)
 B一帯一路戦略にたいする抵抗や妨害
 アメリカと中国の蜜月化からは、米中両国が互いの無法製や違法性、失錯をかばいあうという暗黙の了解がみてとれる。
 中国にとって、将来的な最大の懸念は朝鮮半島の統一である。
 中国の隣国に7500万人の核保有国が誕生することになれば、国家間の摩擦や国防上のリスクははかりしれない。
 中国がアメリカの北朝鮮攻撃に待ったをかけた理由がそこにあった。
 米韓の主導で統一がおこなわれた場合、朝鮮半島に親米政権が誕生することになって、中国の安全保障上の大きな問題となる。 
 金正恩体制以降、中国にとって、北朝鮮は同盟国でも友好国でさえなくなったが、金体制崩壊後、朝鮮半島にアメリカの傀儡政権がうまれては困るのである。
 北朝鮮主導で統一がおこなわれた場合、韓国は、核を持ち、世界第四位の兵力数を誇る北朝鮮軍に制圧されることになる。
 北の軍事大国化と核保有、ミサイル技術はそのためのもので、統一後、韓国側が大粛清と経済恐慌にさらされるのは目に見えている。
 それなら、南北統一を避けて、中国の庇護下にはいる事大主義のほうが懸命で、そのほうが韓国の国家防衛になるだろう。
 そこからでてきたのが韓国を中国の友好国に変えてしまおうという戦略である。
 具体的には、韓国の柵封化と朝鮮半島からの米軍撤退で、アメリカも、韓国が地理的、経済的に結びつきのつよい中 国に擦り寄っていくのは避けられないと見ている。

 ●統一朝鮮で火を噴く朝鮮自治区
 南北統一がなされたとき、とんでもない問題をもちあがってくる可能性がある。
 民族独立運動である。
 中国は、チベット、ウイグル、内モンゴルの3か所で分離・独立運動を抱えているが、中国東北部(旧満州)の延辺には、人口約200万人の朝鮮自治区が存在する。
 延辺は、中華人民共和国吉林省に位置する朝鮮族の自治州で、南北朝鮮が統一されると、この地の帰属をめぐる領土問題が浮上してくる可能性がある。
 これが「高句麗問題」で、中国は、高句麗が中国の一地方政権とするが、韓国は、高句麗史を韓国史に繰り入れている。
 高句麗は、紀元前1世紀頃から紀元668年まで中国東北部から朝鮮半島北部地域にまたがって存在した東アジアの古代王国で、高句麗史を中国史とみとめれば、朝鮮史は、一千年以上も短縮されることになる。
 高句麗論争は、領土(地)と民族(血)の問題なので、政治紛争になりやすい。
 韓国は、柔道、茶道、華道、相撲から寿司やしゃぶしゃぶ、ソメイヨシノなど日本特有のものから、キリストも孔子まで韓国で生まれたという「韓国起源説」をもちだして、世界から呆れられているが、その誇大妄想と火病が韓国人の国民性である。
 中国が朝鮮半島の南北統一を望まないのは、中国東北部の朝鮮自治区で韓国人が独立運動をはじめたら、中国にとって最大の弱点であるチベットやウイグルなどの民族問題に飛び火する可能性があるからである。
 トランプと習近平が北朝鮮危機や南北統一問題を回避したのは、米中協調体制にとって現状維持が最良の選択肢だったからである。

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2017年11月07日

 月刊ベルダ11月号(2017年10月発売)より転載

 戦争屋トランプ≠ニ足並みを揃える危険性
 
 ●アメリカの北朝鮮完全破壊$略
 国連で北朝鮮を完全に破壊すると演説したトランプにたいして、北朝鮮は、太平洋上で水爆実験をおこなうと宣言した。
「ロケットマン」「老いぼれ」と罵りあっているトランプと金正恩のあいだで、核とミサイルを放棄する米朝合意が成立する可能性はゼロに近い。
 北朝鮮が核と大陸間弾道ミサイルの保有国になるのは時間の問題だが、その場合、国際社会におけるアメリカの信頼は失墜し、米本土への核攻撃、テロ国家への核拡散という新たな脅威もうまれる。
 核実験とミサイル発射をくり返してアメリカを挑発する北朝鮮だが、韓国や在韓米軍に先制攻撃をおこなう可能性はない。
 先に軍事行動をおこせば米韓の総攻撃を招くからである。
 一方、アメリカには、北朝鮮を先制攻撃する基本戦略が存在する。
 アメリカは、北の長距離ミサイル(ICBM)と核弾頭の完成を来年早々と見ている。
 その前に北朝鮮を完全破壊するのがアメリカの潜在的戦略で、北朝鮮の挑発が国威高揚のプロパガンダなのにたいして、トランプの警告には、ペンタゴンと一体化した北朝鮮の完全破壊という戦略目的が見えている。
 トランプ・ペンタゴンの狙いは、北朝鮮の暴走をエスカレートさせ、先制攻撃を正当化できる危機的状況をつくりだすことにある。
 その危機とは、グアムへのミサイル着弾と太平洋の水爆実験予告で、いずれも現実のものになりつつある。
 アメリカは、すでに北朝鮮にたいする先制攻撃を正当化できる理由を手にしているわけだが、問題は、その時期である。
 デッドラインを年内とする声が聞こえてくるのは、核弾頭小型化とICBMの完成が眼前に迫っているからである。

 ●反撃の余裕をあたえない電撃作戦
 米朝戦争は、短時間で片がつくとしても、北朝鮮への先制攻撃には、韓国側の多大の被害を想定しなければならない。
 アメリカに基地を提供している日本も例外ではなく、北の報復が日本列島におよぶ可能性も否定できない。
 先制攻撃の第一波が決定的効果をあげるか、指揮系統を破壊・遮断する「斬首作戦」が達成されないまま戦闘状態に至った場合、ソウルが火砲にさらされる。
 なにしろ、DMZ(非武装地帯)付近に配備された300門以上の新型ロケット砲が首都ソウルを射程内におさめているのである。
 2016年版防衛白書によると、北朝鮮の地上軍(約102万人)は兵力の約3分の2を非武装地帯(DMZ)付近に展開している。
 韓国が北朝鮮にたいして地政学的に圧倒的に不利なのは、北朝鮮の戦車3500両以上をふくむ機甲戦力と口径240ミリと300ミリの多連装ロケット砲(MRL)、170ミリ自走砲600門以上の射程圏内(軍事境界線から40キロ)に、韓国総人口の約半分の2500万人が住んでいるところにある。
 米朝全面衝突がないとする予測は、アメリカが、韓国人の人命を危機にさらさないという人道主義が前提になっている。
 それが、北朝鮮の核施設だけをターゲットにしたクリントン元米大統領の第1次北朝鮮核危機(1994年)だった。
 93年に核拡散防止条約(NPT)を脱退した北朝鮮は、核実験と弾道ミサイル「ノドン1号」発射を強行すると、94年、南北特使交換実務者会談で北朝鮮代表が「戦争がおきればソウルは火の海になる」と脅迫し、米朝間に緊張が高まったのである。
 このとき、アメリカが北朝鮮攻撃を実行に移せなかったのは、攻撃目標を核施設に限定する「精密爆撃」の報復として、北朝鮮が大量の長射程砲をソウルに打ち込むという恫喝に屈したからだった。
 しかし、今回は、攻撃目標が限定されておらず、北朝鮮への先制攻撃は、DMZ(非武装地帯)の無力化と百数十か所とされる重要拠点の電撃的制圧といわれる。
 反撃の時間的余裕をあたえずにDMZ(非武装地帯)の戦力を無力化するプランで、主役をつとめるのが米空軍の編隊(戦略爆撃機B1B+F15戦闘機)と韓国軍である。

 ●先制攻撃に参加できない日本
 この場合、日本は、きわめて微妙な立場に立たされる。
 アメリカが先制攻撃≠かけた場合、日本は、在日・在韓米軍と行動を共にすることができないのである。
 安全保障関連法では、日本が武力行使できる条件に、日本にたいする武力攻撃(「武力攻撃事態」)あるいは、米国が武力攻撃をうけて日本の存立が脅かされた場合(「存立危機事態」)に限定している。
 現在の安全保障関連法では、日本は、アメリカの先制攻撃にくわわることができないのみならず、在日米軍の日本の基地からの出撃も、先制攻撃であるかぎり、法制上のしばりがかかるのである。
 そこに、安倍首相が解散総選挙を急いだ理由があるするのが、事情通筋の観測である。
 北朝鮮危機を訴え、選挙に勝ったのちに、強力な臨戦内閣を組閣して、アメリカの戦争を支援しようというのである。
 安倍首相のいう国難突破解散は、消費税でも少子高齢化対策でもなく、戦時における対米協力体制(先制攻撃)構築のためのものというのである。
 安倍首相は、国連演説で、北朝鮮に核・弾道ミサイル戦力を放棄させる上で必要なのは「対話ではない。圧力だ」と強調し、加盟国に行動を呼びかけた。
 また、軍事力をふくむ「すべての選択肢」があるとする米国への「一貫した支持」を表明し、日本人拉致被害者の帰国に全力を尽くすとした。
 北朝鮮の核兵器は「水爆になったか、なろうとしている」のは事実で、核を積むための大陸間弾道ミサイル(ICBM)の保有が間近に迫っている。
 北朝鮮は、1994年の米朝枠組み合意や2005年の六カ国合意にもとづく対話の裏をかいて、核・ミサイル開発をつづけてきた。
 北朝鮮にとって対話とは、安倍首相が指摘したとおり、世界を欺き、核・ミサイル開発の時間を稼ぐ手段だったことは事実である。
 だからといって、国連の安倍演説がトランプの代弁でよいことにはならない。
 日本の国益や安全保障は、日本独自の戦略や路線の上に樹立されるべきもので、アメリカの極東戦略に追随すれば、戦争をビジネスにしてきたアメリカの論理にまきこまれることになる。

 ●アメリカにとって戦争はビジネス
 アメリカが、人的・物的被害のリスクを慮って、戦争のカードを出し渋ったことがこれまでにあったろうか。
 冷戦下におけるベトナム戦争では、インドシナ半島の戦争がアメリカの国益を左右する要素がなかったにもかかわらず、アメリカは、4万6370名の戦死者、30万以上の負傷者、戦闘以外の死者1万人以上をだして、約90万人の北ベトナム兵とベトコンを殺害している。
 朝鮮戦争でも、アメリカは、4万人に近い戦死者・行方不明者、10万人をこえる負傷者をだして、中国軍約90万人、北朝鮮軍約52万人を屠っている。
 今回の北朝鮮のミサイル・核開発危機にかぎって、アメリカが、人的・物的被害や犠牲を慮って、戦争カードを切らないという保証はないのである。
 アメリカの北朝鮮先制攻撃の要諦は、DMZ(非武装地帯)周辺に配備された長射程火砲の無力化だが、第一段階のアタックが不完全であれば、報復砲撃によって、ソウル周辺は、多大の被害をこうむることになる。
 だが、韓国側にたとえ一万人の犠牲者がでても、アメリカは、北朝鮮の徹底破壊という戦争目的を完遂させるだろう。
 国民6人に一人が犠牲になった朝鮮戦争に比べて、数万人の犠牲は、アメリカにとって、想定内なのである。
 しかも、今回は、米本土を攻撃できる大陸間弾道弾(ICBM)とミサイル核弾頭の完成が間近で、いまが北を直接叩けるラストチャンスなのである。

 ●戦争で成り立っているアメリカ。
 アメリカにとって、戦争は、国家および世界戦略の一環で、建国以来、戦争をしていなかった期間はほとんどない。
 アメリカは、戦後、20回以上、中規模以上の軍事行動をおこしている。
 そのうち、戦略的に成功した軍事行動は、戦後の日本占領(1945年)だけで、朝鮮戦争(1950年)とベトナム戦争(1961年)から湾岸戦争(1991年)、アフガニスタン戦争(2001年)、イラク戦争(2003年)にいたるアメリカの戦争は、アメリカ製兵器の壮大なる創造と消費を約束する巨大な武器市場であった。
 アメリカの都合による戦争がイラク戦争であった。
 フセインが化学兵器及び核開発をしているというCIA情報でイラクにミサイル攻撃をしかけ、アメリカは、その結果、戦場で5000人、帰国してからも多くの関連死者をだした。
 わたしは、当時、バグダートに在って、ラマダン副首相を窓口にサッダーム・フセインとのインタビューを待機していた。ラマダンが「アメリカの攻撃はない」と主張したのは、イラクに大量殺戮兵器などなかったからだが、わたしは、日本大使館の説得に応じて、最後の飛行機でバグダートを脱出した。
 イラク戦争は、結局、フセインを殺して、イスラム国(IS)という怪物をつくっただけだったが、それがアメリカの戦争である。
 ちなみに、トランプが、現在、国防総省(ペンタゴン)と密接な関係にあるのは、イラク戦争のプランナーだったCIAとの信頼関係が失われたからである。
 CIAは、アフガン戦争では、反ソ戦略にアルカイダを利用して、寝首をかかれ、イラク戦争では、核開発・大量殺戮兵器開発のガセを流して、アメリカの国益を害っている。

 ●アメリカの政体は軍産複合体
 日本人はアメリカの真のすがたを知らない。
 ベトナムからの撤退やデタント(緊張緩和)による軍事費の縮減をすすめたケネディ大統領の暗殺(アメリカ政府による真相の76年間封印)や反米的な資源外交や親ソ・親中の全方位外交をすすめた田中角栄の失脚工作(ロッキード事件)の背後にあったのが、軍産複合体のというアメリカの戦争国家体制である。
 トランプの大統領選挙における逆転当選にも、共和党=ネオコンをとおして軍産複合体による工作があったのは疑えない。
 アメリカは、国家形態自体が臨戦型で、大統領行政府(ホワイトハウス)と中央情報局(CIA)、国防総省(ペンタゴン)の三者が<軍産複合体制(MIC)>を形成している。
 日本やドイツとの戦争のためにつくりあげられた国家臨戦態勢=軍産複合体が発展的にひきつがれて、現在のアメリカの国家構造になっているのである。
 原爆を製造・投下した(マンハッタン計画)のもMICで、現在でも、最新兵器にはアメリカ中の科学の粋が結集される。
 軍産複合体制には、アメリカを代表する数千の企業と数万の下請け、金融機関、大学、研究施設からマスコミまでがふくまれる。
 350万人以上の将兵を抱える軍部と国防総省、「デュポン」「ロッキード」「ダグラス」などの軍需産業と3万5千社にのぼる傘下企業群、大学や研究室、政府機関やマスコミ、議会までが一体となった軍産複合体はアメリカ特有なもので、アメリカのパワーの源泉である。

 ●保守主義と相容れない対米従属
 アメリカがドミノ理論≠振り立てて、ベトナムへ介入したのも、軍産複合体の論理からだった。
 多くの人命を犠牲にして、アメリカになにも得るべきものがなにもなかったベトナム戦争も、巨大軍需産業と傘下企業群にとっては、特大の恩恵で、ベトナム戦争が終わったとき、軍需産業はみな大企業に成長していた。
 その後、軍産複合体の餌食になったのは、世界の火種である中東と中国の拡張政策にさらされた極東で、湾岸戦争の折、サウジアラビアはアメリカから大量に兵器を購入し、日本も尖閣列島危機にからめて、オスプレイ17機(3600億円)の購入をきめている。
 すでに日本は、北朝鮮危機にからめて、迎撃ミサイルの購入をきめ、敵基地攻撃能力をもつ巡航ミサイル導入の検討をすすめているが、トランプが挑発して、北朝鮮が危機をエスカレートさせるたび、アメリカは大儲けするのである。
 アメリカが謀略国家なのは、世界の常識だが、日本にはその認識がない。
 ロッキード事件では、朝日新聞や文藝春秋など日本中のマスコミがアメリカの謀略にひっかかって、国民は、角栄逮捕の報にこぞって喝采を送った。
 もっと悲劇的なのは、GHQが日本の無力化と共産化をはかった占領政策である憲法が、いまだ最高法として君臨している事実である。
 国家エゴがぶつかりあう世界情勢のなか、国家主権と国体を否定した現憲法ほど有害にして障害になるものはない。
 ところが、現在、自主憲法制定のうごきはなきにひとしい。
 自主憲法制定派にとって、大きな痛手が自民党の変節だった。
 自民党は、事実上、護憲派の一員で、改憲は、護憲的改憲にすぎない。
 第一次安倍内閣を放り出したあと、村上正邦元参議院議員らとホテルオオタニで会談の場をもった安倍首相は、同席したわたしが感銘をうけるほど、熱っぽく改憲の意欲を語ったものである。
 ところが、第二次安倍内閣以降、安倍首相の改憲姿勢には首をひねらざるをえない。
 とりわけ、憲法9条を変更せず、第三項を設けて自衛隊の合憲性を謳うという弥縫策には失望を禁じえなかった。

 ●対米協力と対米従属はちがう
 安倍首相の戦後レジームからの脱却は、対米従属からの脱却であって、自主独立は、日本の悲願だったはずである。
 ところが、戦後日本は、対米従属と護憲・平和主義がないまぜとなったぬるま湯のなかで、憲法9条にしがみついてきた。
 それが平和ボケで、国家主権(交戦権)の放棄が国民の国家観をいかにむしばんできたかいくら強調してもしすぎることはない。
 そして、その結果、日本は、国家の進路をみずから決定するという主権意識を見失ったまま、アメリカのいうとおりになってきた。
 憲法は、日本が独自の外交路線をつきすすむための羅針盤でもあって、そこに、独立国家の気概と国家の誇りがみなぎっていなければならない。
 自主憲法制定の意義はそこにあって、他国の都合によって、国家の進路が左右されるようなことがあってはならない。
 軍需産業が利益を上げるために紛争を回避しない軍産複合体の論理にのって、日本が、アメリカに追従するのは、対米協力ではなく、対米従属である。
 軍産複合体は、アメリカ人にとっても最悪の国家システムで、戦死をふくむ国家にたいする忠誠の代償が軍需産業の利益のみというのでは、アメリカのいうならず者国家、北朝鮮とかわるところがない。
 安倍首相は、トランプから一定の距離をおくべきだろう。
 北朝鮮への先制攻撃があるかないか予断をゆるさないが、対米従属だけが日本の国益に合致した外交政策ではないということだけは心しておくべきなのだ。
 アフガン戦争やイラク戦争をあげるまでもなく、アメリカの戦争は、軍産複合体の論理に立ったもので、その先にあるのは、さらなる悲惨と混迷、困難かもしれないのである。
posted by 山本峯章 at 15:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

 ビッグ4(日・米・中・ロ)の新時代

 ●多様性とあいまい≠フ文化
 西洋では、勝ち負けや敵味方の峻別が政治で、それが「戦争は政治の延長」といわれる所以である。
 これは、キリスト教の影響で、西洋の宗教観は、神と悪魔のたかいである。
 善悪、正邪も、唯一神の世界観からうまれた観念で、一元論である。
 正義や真理が一つしかないので、そこから戦いの論理がひきだされる。
 大航海時代以降、西洋人が他民族に残虐のかぎりをつくしたのは、キリスト教徒以外は、すべて悪なので、いくら略奪しようと殺そうと、罪の意識をかんじなかったからである。
 日本が二元論あるいは多元論なのは、土着信仰の神道が八百万の神々の汎神論だからで、日本の文化は、バランスと多様性からできている。
 それが中庸の精神で、決着を保留するあいまいの文化≠ナもある。
 あいまいさが排除されたのは、唯一神(ヤハウェ)が出現したからで、それまで、世界は、神々が人々とともにある牧歌的な空間だった。
 たとえるとそれは、邪馬台国や大和朝廷のような祭祀国家で、キリスト教やイスラム教以前の西洋も、ギリシャの神殿をみるまでもなく、多神教的なおおらかな世界だったはずである。
 あいまいは多次元的ということで、そこには、勝ち負けも敵も味方もない。
 それぞれがそれぞれの価値観をもって棲み分けるので、争いが生じないのである。
 だが、世界は、キリスト教的な価値観や唯物論、合理主義からできあがっている。
 したがって、何事にもあいまいな日本は、批判をうけ、異端視されてきた。
 それでも日本が侮られることなく、大国の地位をまもってきたのは、経済と技術力、軍事力が世界のトップレベルだったからで、あいまいさは、多様性の文化を開花させるのである。
 多様性には、柔のほか、国家防衛という剛がふくまれる。
 柔が文化なら、剛は国家意識で、これを国体(権威=天皇)と政体(権力=幕府)の関係におきかえることができる。
 日本が列強の餌食にならず、革命もおきなかったのは、国が柔と剛の両面を兼ね備えていたからである。
 列強が日本を侵略できなかったのは、武士の国だったからで、ヨーロッパの古い書物には、サムライの勇猛さや常備武器である日本刀の切れ味を記録したものが少なくない。
 それでも、宗教の侵略を防ぐことはできず、有馬義貞(島原領主)、大友宗麟(豊後領主)、大村純忠(肥前大村領主)黒田孝高・小西行長(ともに豊臣秀吉の家臣)、高山右近(赤石城主)らがキリスト教にとりこまれた。
 キリスト教が禁教となったのは、キリシタン大名や天草四郎らが火薬とひきかえに50万人もの若い女性をイエズス会の司祭に奴隷として売り渡していた事件が発覚したからである。
 豊臣秀吉や徳川家康の「バテレン追放令」から鎖国へと日本が西洋への門戸を閉じたのも国家防衛で、キリスト教の侵略を防いだのは、世界史上、日本だけである。
 尊皇攘夷だった薩長が、明治維新後、180度転身して、西洋化に走ったのも、国家防衛のためで、日本は、新政府樹立(1868年)のわずか26年後に日清戦争(1894年)、10年後には日露戦争(1904年)を戦って勝利をおさめた。
 両戦に負けていても、朝鮮半島が清国やロシアの手に落ちていても、日本は国家的危機に陥ったはずで、日本は、ぎりぎりの瀬戸際で、国家を防衛してきたのである。

 ●平和主義という鎖された世界観
 現在、日本の防衛意識は、歴史上、例がないほど劣化している。
 そして、多元的な文化も衰えて、物欲主義や享楽主義一辺倒へ傾いている。
 国家防衛を放棄した憲法9条を平和主義と錯覚して、享楽に明け暮れているのが現在の日本人で、今回の北朝鮮危機にも、空母カール・ビンソン出撃のXデイー≠ヘいつかなどとテレビといっしょにはしゃいでいる。
 そして、「ソウルと東京への核攻撃の脅威が現実の問題になった」(国連安全保障理事会)という米国のティラーソン国務長官の発言にキョトンとしているありさまである。
 北朝鮮のミサイルが日本列島に着弾すれば、目がさめるだろうが、そのときはもう遅い。
 拉致事件への手ぬるい対応から巨額のパチンコ送金や万景峰号による密輸の看過、預金を本国へ不正送金して破綻した朝銀へ一兆3千億円もの公的資金を投入して、その資金の一部が開発に使われたであろうミサイルや原爆の脅威にさらされている。
 情けないのは、朝鮮総連から抗議をうけて、マスコミが、金正男暗殺に北朝鮮が関与という報道ぴたりとをやめてしまったことで、他の国なら監視下におかれる敵性団体が脱税や生活保護の仲介機関や圧力団体としてふんぞりかえっている。
 スパイ防止法や国家反逆罪などの公安法があれば、摘発の対象となるような団体に官庁やマスコミどころか政府すら頭が上がらないのが平和国家日本なのである。
 国家防衛や危機管理の意識や能力が低いのは、日本の文化があいまいだからではない。
 その逆で、平和主義という硬直した一元的な文化に洗脳されているためである。
 スパイ法案は、全野党、全マスコミ、弁護士会や学術学会、労組ら日本中の団体から猛反対をうけ、採決どころか、議論さえされることなく葬られる。
「戦前の特高警察」「戦争への道をまっしぐら」「軍靴の音が聞こえる」という朝日新聞の社説ふうな難癖によって、国家の安全と防衛が平和の敵≠ニみなされているのである。
 国家防衛は国民の文化とモラルにささえられている。
 一方、平和主義は、文化でもモラルでもなく、ただの怠惰で、享楽主義である。
 したがって、平和主義や人権は、国家観念を蝕み、防衛意識を破壊する。
 人権と平和主義の旧民主党に政権を奪われて、日本が国家漂流≠フ悪夢に呑まれたのはつい最近のことである。
 同じことが韓国でおきている。
 
 ●大国の紛争を招く朝鮮半島事情
 人権派弁護士で平和主義を標榜する文在寅を新大統領に選出したのは、北からの攻撃を免れようという思惑からで、韓国には、日本への憎悪はあっても、北にたいする警戒心はないにひとしい。
 選挙前、従軍慰安婦像にひざまずいた文在寅は、慰安婦問題合意を無視して対日攻勢に打って出てくるだろうし、アメリカより先に平壌を訪問し、中国にTHAAD配備の撤回を約束するようなことになれば、東アジア情勢はがらりと様相を変えてしまうことになる。
 朝鮮半島をめぐって、中国と韓国、ロシアと北朝鮮が接近して、日米同盟とのあいだで複雑な三角関係≠ナきあがりかねないからである。
 朝鮮半島は、日清・日露戦争という二つの前例があるように、日・中・ロにとって地政学上、きわめて重要な要衝である。
 チベット・ウイグル・内モンゴルなど内陸部を征服した中国が、朝鮮半島を手放すことはありえない。
 中国にとって、朝鮮半島を支配下におくかアメリカやロシアに奪われるかでは、死命を制する大問題なのである。
 最悪のシナリオは、米軍による北朝鮮の軍事制圧で、その上、米・韓主導で南北統一がおこなわれるようなことになれば、朝鮮半島は、戦略的要衝どころか、咽喉元につきつけられたナイフになる。
 北朝鮮をめぐって米・中・ロが競り合っているなかで、カギを握っているのがロシアである。
 中国が石油をとめても、ロシアがタンカーを羅先港に送り込めば、北朝鮮はかんたんに寝返る。
 事大主義の朝鮮人は、国家的権益や租借地の提供に抵抗をかんじない民族なので、北朝鮮がロシアの手の内に落ちるのは、時間の問題となる。
 ロ朝間では、すでに総事業費約250億ドル(約2兆9000億円)規模の鉄道整備・改修計画が合意済みで、ウラジオストクと羅先(北朝鮮北東部)をむすぶ定期航路も開設された。
 北朝鮮は、国内の金やレアメタル(希少金属)などの開発権益をロシア側に提供して、これを工事代金に充てるという。
 その先にあるのはさらなる租借地(港)の獲得と国家の死命を制する石油を武器にしたロシアの飼い殺し外交≠ナ、羅先港は、租借化を目的にして、ロシアが建設したようなものである。
 中国とロシアは蜜月関係にあるかのように見える。
 ところが、国境問題は例外で、かつてのダマンスキー島事件や新疆ウイグル自治区の軍事衝突(1969年)は、一時、全面戦争の危機に発展した。
 そして、現在は、中央アジアが火種で、最近、中国が提案した中央アジアの「反テロ協調体制」から外されたロシアの反発には根深いものがある。
 懸念されるのは、中ロ紛争で、原因となりうるのが、北朝鮮がロシアに譲渡した鉱産資源の開発権益である。
 北朝鮮には、中国との国境付近に、埋蔵量が東アジア最大級の茂山鉄鉱山や世界一のタングステン鉱脈のほか、亜鉛や銅、金の鉱脈までがうなっている。
 これまで中国は、電力や食料などの経済援助の見返りに同地帯の鉱産資源の権益を一手に握ってきた。
 北朝鮮がこの鉱産権益をロシアに譲渡すれば、どういう事態になるか。
 ロシア軍と中国軍が国境付近で悶着をおこす可能性すら生じかねない。

 ●打つ手を失ったアメリカ
 空母カール・ビンソンを中心とする第1打撃群が、朝鮮半島や中・韓・朝がむきあう黄海へ接近するには中国の了解がなければならないが、万が一、トランプが独断で出撃を命じれば、中・朝関係が決定的に断裂する。
 アメリカの攻撃で北朝鮮が壊滅すれば、1000万人以上の難民がでるばかりか、飢餓や内乱で、同規模の死者がでる可能性がある。
 南北統一をタテマエとする韓国も米軍による軍事制圧を望んでいない。
 北朝鮮へ軍事攻撃をおこなえば、韓国にむけられた大砲・ミサイルが一斉に火を噴き、ソウルが火の海になるどころか、射程内の約2000万人に被害がおよぶ可能性がある。
 頼りは中国だけだが、北朝鮮は名指しで中国を非難しはじめた。
 中国が石油供給を中止すれば、北朝鮮経済は短期間のうちに破綻するといわれているが、疑問である。
 国連安保理決議にもとづく経済制裁がつよまるほど、北朝鮮政府の資金力が高まって、一発で数十億円(中距離弾道ミサイル・ムスダンの国際的相場3000万ドル/約33億円)かかるサイルの発射実験をくり返し、ミサイルとは桁ちがいにカネがかかる核開発も順調にすすめられている。
 最近では、非政府系の経済活動が目に見えて向上し、飢餓死が絶えたどころか、トンジュ(金の主)と呼ばれる富裕層まで出現している。
 理由は「密輸と闇経済」で、中朝・中ロ貿易の大半が密輸である。
 北朝鮮は、国連加盟国192国のうち166国と国交をむすび、交易関係をもっているが、数字にあらわれるのは数パーセントで、大半が密輸や闇取引である。
 1991年のソ連崩壊後、社会主義諸国からの支援が途絶して、配給制度をとっていた北朝鮮経済が崩壊した。
 97年に韓国に亡命した金正日の側近、黄長Y(元朝鮮労働党書記)によると配給停止によって「200万人以上の住民が餓死した」という。
 このとき、脱北した北朝鮮人が、中国で食糧や物資を調達して、中朝国境で商売をはじめた。
 北朝鮮の国民は、強制収容所と残虐な公開死刑に脅え、餓死を免れるため必死に経済活動をおこなっているのである。
 これが北朝鮮の闇市場で、現在、国内の経済活動の8割以上を占める規模にまでふくれあがっている。
 取り締まるどころか、金正恩体制で自力更生が奨励されているのは、国民を豊かにする政策を放棄すれば、国家予算をすべて金体制のなかで使えるからである。
 韓国から流れ込む資金(経済特別区収益や市民団体の支援など)や出稼ぎの上納金、在外北朝鮮公館から献納される「忠誠資金」、武器密輸などでえられた利益に加え、無煙炭などを輸出した代金がそっくり金正恩の金庫に入る。
 北朝鮮王朝を支えているのは、金日成時代は労働党員300万人といわれたが、現在は、軍や秘密警察などの権力機構を牛耳る中枢部とその周囲を固める数万人の幹部、平壌の高級住宅地に住むエリート集団ら合わせて十万人ほどといわれる。
 ミサイル実験をくり返し、核開発をすすめているのは、約十万人の狂信的な王国で、オウム真理教が国家になったようなものである。

 ●地政学的な難関に立つ日本の決断  
 アジアの東端、太平洋の西端に位置する日本は、海洋を隔てて、中国やアメリカ、ロシアの三大強国と隣接している。
 それが日本の地政学的な特殊性で、独立も国家防衛も、一筋縄ではいかない。
 アメリカにとって、日本は、太平洋の権益を争うライバルで、中国進出への最大の妨害者である。
 ロシアや中国にとっても、日本列島は、太平洋進出を妨げる障害となる。
 一方、海洋国家である日本は、海を隔てて隣接する中・朝および海路をとおして東南アジアや西太平洋に大きな影響力をもちうる。
 それが大東亜・日米戦争の原因で、日本は、第一次大戦後、西太平洋を支配下におさめ、満州国を建 国後、支那で主導権を握り、東南アジアからインドにまで手をのばしつつあった。
 現在も、当時の地政学的、文明的な条件は、当時とそれほど変わってはいない。
 変わったのが、日・米・中・ロの力関係で、中国の躍進に貢献したアメリカが、中国革命と米ソ冷戦、朝鮮戦争ののち、手の平を返して、日本と同盟関係(日米安保条約)をむすんだ。
 この軍事同盟は、両国とアジア安定にきわめて有効で、日米安保がなかったら、アメリカは米ソ冷戦に勝つことができず、中国の覇権主義に歯止めをかけることができなかったろう。
 日本の地政学的ポジションと国家的なプレゼンスは、敵に回すと脅威である一方、味方にすれば大きな戦力になる性質のもので、日米安保は、アメリカにとって世界戦略の重要な要になっている。
 かといって、日米関係が、米英関係のような強固な盟友関係になりうるかといえば、かならずしもそうではない。
 ニクソン大統領の訪中準備のために訪中したキッシンジャー大統領特別補佐官は、中国の周恩来首相(1971年)との極秘会談で、「日米安保条約は日本の軍事大国化を防ぐためのものという瓶のふた論≠展開した。
 このときキッシンジャーは「日本が再軍備拡張計画をすすめるなら伝統的な米中関係が再びものをいうだろう」とも発言している。
 この発言の意味するところは、日米安保条約は便宜上のもので、アメリカにとって、中国こそがアジアの盟友だという宣言で、それが伝統というのである。
 公開されたキッシンジャー発言は、日本に衝撃をあたえたが、大きな示唆をふくんでもいる。
 それは、アメリカを敵に回してはならないということである。
 中国やロシアにたいしても同様で、日本がたたかえば、米・ロ・中が一丸となって襲いかかってくる。
 日本を属国化することのメリットがはかりしれないからで、日米安保条約がなくなったら、尖閣列島・沖縄海域の南シナ海化≠ェ目に見えている。
 日本にとって、アメリカを盟友にしてロシア・中国を牽制するのがもっともすぐれた戦略で、他の選択肢はない。
 安倍首相が、1項と2項を残したまま、憲法9条に自衛隊の存在を明記する提案(3項)をおこなったという。
「戦力不保持」「交戦権の否定」(二項)は自衛隊明記との整合性を欠き、国家主権の否定につながるので論外だが、「戦争放棄」(一項)については、残したままでよい。
 その代わりに「日本国政府は国民の生命と領土をまもる無制限の権利をもつ」という一項(4項で)を追加すべきだろう。
 無制限のなかに核報復≠ェふくまれるのはいうまでもない。
 日本には戦争という選択肢はないが、報復までを放棄したわけではない。
 戦争を放棄するが、報復戦力には制限がないとすれば、平和主義と戦力保持のあいだに矛盾が生じない。
 日本が核をもったとき、ビッグ4(日・米・中・ロ)の新時代が幕開けするのである。




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2017年04月20日

 伝統と民主主義

 ●棲み分けている伝統と民主主義
 日本人が伝統国家の自覚を失ったのは、憲法に民主主義(国民主権)という革命概念が埋めこまれているからである。
 その一方、天皇主権や皇国史観が悪の権化として排除されてきた。
 戦後、日本では、伝統を否定する民主主義革命がおきていたのである。
 天皇主権は君民一体≠ニ対になっているので、事実上の国民主権にあたるが、そのテーマについては後段でのべよう。
 民主主義を採ったのは権力機構の政体で、文化構造の国体ではない。
 したがって、政体で変革がおきても、伝統を継承する国体はゆるがない。
 民主主義は権力(政体)のカテゴリーにあり、伝統は文化(国体)の系列にあるからである。
 伝統と民主主義が二元論的に両立したのは、わが国では、歴史上、権力(政体)と権威(国体)が分離されてきたからだった。
 この歴史的事実をわきまえなかったのが、男女平等をもちだして万世一系を否定した自民党の二階幹事長や小泉政権下の「皇室典範に関する有識者会議」の吉川弘之座長らで、現時点における法の下の男女平等で、歴史をつらぬいてきた真実をねじまげようとしたのである。
 皇室典範(憲法第2条・第5条に規定)第一章(第一条)に「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」とある。
 憲法草案をとおして、日本に民主主義をもちこんだマッカーサーが、皇位の男系男子相続(万世一系)をみとめていたである。
 民主主義と伝統の二元性を理解できなかったのは、アメリカ人のマッカーサーではなく、二階や吉川ら戦後憲法で育った日本人だったのである。

 ●民主主義は世紀の大ボラ
 大方の日本人は、国民が政治的な決定権をもつことを民主主義や国民主権と思っている。
 だが、民主主義の民≠竝走ッ主権の国民≠ヘ、個人でも実体ですらない。
 国民主権は、多数派にあたえられる権利のことで、少数派にはなんの権利もあたえられない。
 しかも多数派は、多数派に属する人々ではなく、多数という算術上の事実をさすにすぎない。
 政治をうごかすのは多数派という数字で、国民主権と称して権力者がこれをあずかるのが民主主義で、ヒトラーもルーズベルトも民主主義がうんだ独裁者だった。
 憲法第一条に「天皇の地位は主権の存する日本国民に基づく」とある。
 日本国民もその総意も、抽象的観念で、実体があるわけではない。
 それが民主主義の正体で、これが国民主権へつながったのは、権力の移動を多数決にゆだねると自動的に人民政権が成立するというルソー流の理屈からである。
 ことほど左様に国民主権はいかがわしい。
 主権(君主権=ソブリンティ)は、君主から国家へ委譲された経緯があるので、国民主権にはそもそも根拠がない。
 国民主権は革命によって生じる権利である。
 すると、日本の憲法は革命憲法だったことになる。
 民主主義をもって伝統国家を倒すのが革命である。
 戦後、社会主義(共和制)者や共産主義(一党独裁)者による革命ムードが高まったのは、国民主権が大手をふっていたからだったのである。
 現在でも、日本では、国民主権が絶対的な正義になっている。
 戦後の左翼ブームが、いまなお猛威をふるっているのである。

 ●最大のテーマは「個と全体」の矛盾 
 政治思想上の最大のテーマは「個と全体」の矛盾を解消することにある。
 個とは国民一人ひとりのことで、全体とは国家である。
 西洋では「社会契約説」で、ホッブスやルソー、ロックがこの問題を論じた。
 ホッブスは両者の二元化(「国家は怪物」「万人の戦争」論)で、一応、片をつけたが、ルソーとロックは、両者の一元化(「人民代表による国家運営」)をもとめ、マルクスとレーニンは、暴力革命と一党独裁を主張した。
問題なのは人民代表≠ニいう考え方で、暴力革命も独立戦争も、選挙にもとづく独裁(ファシズム・大統領制)も、人民が主役となる民主主義である。
 日本は、中世以降、権威と権力の二元化をもって「個と全体」の矛盾を解消してきた。
 権力は民を支配するが、民は、権力に正統性を授ける権威と同位にある。
 それが「君民一体(三位一体)」である。
 日本で独裁や恐怖政治がうまれなかった理由がそれで、ルソーも「君民一体」が理想の政治とみとめている。
 玄洋社(頭山満)や黒龍会(内田良平)の流れを汲む大日本生産党の政綱に次のようにある。
 一、欽定憲法に遵い、「君民一致」の善政を徹底せしむること
 二、国體と国家の進運に適合せざる制度法律の改廃を行い政治機関を簡素化せしむること
 三、自給自足立国の基礎を確立せしむること
 大日本生産党は、血盟団事件(井上日召)、五・一五事件の流儀をうけついだ神兵隊事件の中心的な役割をはたした右翼団体である。
 中村武彦や白井為雄らの理論家をうんだ戦後右翼の一つの原点で、両先達の研究テーマが「個と全体」の調和だったことは、自著にあるとおりである。

 ●伝統にささえられている国家
 民主主義という政治概念が文化概念を侵すと伝統が破壊される。
 同様に、文化が政治の領域へ侵入しても、国家的な危機が生じる。
 GHQが占領憲法にもりこんだ武装解除条項(第九条)を「武器を捨てると平和になる」という文化的解釈でとらえると、軍事バランスから成立している安全保障のメカニズムを根底からゆらぎ、国家防衛が危うくなる。
「9条を守る会」の東大3教授(姜尚中・小森陽一・高橋哲哉)が平和主義の立場から国家防衛を否定するのは、文化と政治、国家と国体の仕分けができていないからである。
「男女平等雇用法」や「人権法案」もこのたぐいの混乱で、一方、「スパイ法」や「国家反逆罪」はいまだ法案すらできていない。
 政治と文化、個と全体を混同させ、国家や権力を悪と断じるのが反日主義の論理で、民主主義が伝統破壊の道具に使われているのである。
 多くの日本人は、民が社会の主人になることが民主主義で、民が主権をもつことを主権在民と誤解している。
 君民一体の実体のある民≠ニ民主主義の観念上の民≠混同させているのである。
 民主主義で「個と全体」の矛盾を解消することはできない。
 むしろ、その矛盾を広げるのが民主主義といってよい。
 民主主義は、歴史の連続性を断ち切った一過性の決定で、過去の事跡や歴史の智恵を切り捨てる。
 国家も国民も歴史的存在で、歴史を失ったら、国土は不動産に、国民は住民にすぎないものになってしまう。
 民主主義では、日本人が日本人で、日本の国土や民族の文化・文明が日本のものであることが明らかにならないのである。
 それができるのは、理屈をこえた伝統だけで、歴史の連続性や歴史との一体感は、理屈ではなく、精神文化なのである。
 
 ●反日勢力による敗戦革命
 第二次大戦は「民主主義とファシズムの対決」といわれるが、実際は「革命国家と伝統国家の対決」で、日本以外の戦争当事国は、すべて革命国家だった。
 戦後、日本で民主主義旋風が吹き荒れたのは、戦争に勝ったのが、米英ソを中核とする革命国家群だったからである。
 戦争に負けた日本は、憲法から制度、社会通念にいたるまで革命国家のものへと変更された。
 日本の危機の構造は、伝統国家でありながら、革命国家の憲法を有している内部矛盾にある。
 内部から国家体制を切り崩すのが敗戦革命のメカニズムである。
 レーニンが編み出した敗戦革命は、敗戦国内に祖国にたいする絶望と憎悪を高めさせ、一方で反逆者を育成することによって、革命前夜の危機的な情況をつくりだせるという革命理論である。
 戦後、日本の政界は、親米(自民党ら)と親ソ・親中(旧社会党ら)が憲法をめぐって激しく対立した。
 敗戦革命の機関紙となったのが朝・毎などの大新聞で、広告塔となったのがNHKなどの放送メディアだった。
 左翼・反日が伝統に牙を剥くのは、君民一体の伝統が、敗戦革命の妨害となるからである。
 日本の民主主義は君民一体(共治)なので、伝統と矛盾しない。
 ところが、左翼の民主主義は、蜂起した民衆が国家主権を奪い、その主権を独裁者があずかるという革命理論なので、伝統と真っ向から対立する。
 国家主権は、革命勢力が敵とする権威と伝統の上に樹立されたものだからである。
 西洋の民主主義と日本の君民一体の伝統が、ここで決定的に対立する。
 皇国史観や教育勅語を悪の権化とする日教組やマスコミ、論壇や歴史学会の反伝統主義にはすさまじいものがあって、天皇を「土人の酋長」と教える日教組の教員さえいるほどである。

 ●日本の天皇とヨーロッパの皇帝
 紀元前のヨーロッパは多神教で、同時代の日本の邪馬台国・大和朝廷と同じような祭祀国家だったと思われる。
 キリスト教が広がる以前のヨーロッパの国々も伝統国家だったのである。
 ヨーロッパが権力闘争の修羅場となったのは、ローマ教皇(法王)とローマ皇帝という二人の権力者が出現して、権力に正統性をあたえるべき権威の座が空位になったからだった。
 パンテオン宮殿が象徴する多神教を追い出したキリスト教は、神の代理人であるローマ法王庁をとおして権力化され、俗化してゆく。
 権威が不在とあって、皇帝は、権力の正統性を元老院・軍隊・市民の推戴と軍事力にもとめるほかなかった。
 ローマ帝国は民主化された軍事政権だったのである。
 天皇と皇帝の決定的なちがいは、皇帝が権力者だったのにたいして、天皇が権力から離れた権威だったところにある。
 日本で、権威と権力の二元性が維持されてきた理由は、仏教やキリスト教が入ってきても、神話=神道が日本精神として、ゆるがなかったことだろう。
 それが伝統の力で、合議や多数決、決議や承認などの一過性の決定は、不安定なばかりか、巨大化した国家のなかではなかなかゆきわたらない。
 皇帝の専制政治がおこなわれた東ローマ帝国が1千年の命脈をたもったのにたいして、西ローマ帝国が早々に滅びたのは、元老院の承認や市民集会の決議などの手続きが巨大化した国家全体に浸透する前にゲルマン人の侵略をゆるしたからである。
 江戸三百年の平和は、幕府(権力)が天皇(権威)から預かった土地や民を御宝として扱い、民が天皇を慕い、天皇が民の幸と国家の安泰を祈るという三位一体の国体が成立していたからである。
国家の三要素(領土・国民・主権)をまもるには、権力や法、民主主義などの手続きではなく、伝統という心に刻まれた永遠の規範が必要なのである。

 ●改憲ではなく新憲法制定
 憲法には、伝統が反映されるべきで、聖徳太子の十七か条の憲法には日本の精神が簡潔に記されている。
 ところが、自民党改憲案における天皇の地位は、象徴を元首にさしかえ、以下、一条の全文をほぼ全面的にGHQ憲法を踏襲している。
 明治憲法の欠陥は、ドイツ憲法を模倣して、権威の座にあった天皇を権力の座(=元首)にすえたことで、一方、GHQ憲法の過ちは、日本の君民一体を西洋の民主主義(主権在民)にすりかえたところにある。
 自民党の改憲案は、明治憲法とGHQ憲法の悪いところ取りで、これを改憲案として堂々と掲げるところに自民党の保守党としての限界がある。
 天皇が憲法上の存在となっているかぎり、歴史の証である天皇が、道路交通法のように、法手続きによって廃絶させられる危機から免れえない。
 天皇退位問題にたいして、安倍内閣は特例法(「皇室典範の付則に記述」)で処置するという。
 これは、天皇が歴史上の存在で、伝統の象徴であることの否定で、GHQが憲法の形でおしつけた民主主義への屈服である。
 わが国の数千年の歴史は、GHQがわずか一週間で書き上げた占領基本法と比較するべくもなく、まして、これに屈すべき理由はケシ粒ほどもない。
 同様に11宮家の臣籍降下も皇室典範の憲法への組み入れも、戦勝国の時限的な戦時占領政策で、いつまでもこれをまもらなければならない理由はどこにもない。
 憲法問題については、改憲ではなく、新憲法制定にむけて、もっとつっこんだ根本的な議論が必要なのである。
posted by 山本峯章 at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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