2008年05月27日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(23)

 ●天皇の文化=神道と西洋のキリスト教文明
 雅子妃のボイコットを理由に、宮中祭祀の廃止をうったえる言説がでてきた。
 明治学院大学の原武史教授の「皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」(月刊「現代」5月号)もそのうちの一つで、サブタイトルに「宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた」とある。
 内容は、宮中祭祀は、前世紀の遺物なので、廃棄して、ボランティアをやったほうがよいという、お話にならない内容で、雅子妃の宮中祭祀ボイコットを逆手にとって、天皇体制を形骸化しようという魂胆であろう。
 これらの者たちに共通しているのが、神道を、仏教的・キリスト教的な価値観でとらえる視点である。
 天皇が、天照大神に、何事かを祈念していると思っているのである。
 宮中祭祀は「神に祈る神」=天皇が、身体を浄め、心を清らかにして臨む儀式で、一つの型である。
 型は、カタチで、言挙げしない日本の文化は、カタチを整えるところに根源がある。
 神道の参拝も、手水を使い、二拝二拍手一拝などの型だけあって、神に何事かを願うわけではない。
 浄めとカタチができれば、蘇りや生命の再生は、おのずとあらわれる。
 そこが、神との契約といわれるキリスト教や成仏をねがう仏教と異なる。
 神道は、思う、願う、念じるという賢しらを捨てて、モノ・コトの本質へ立ち返る儀式で、人間の頭で考えることは、もとより、対象になっていない。
 モノはコトへ、コトはモノへ変化して、実りをもたらす。籾というモノは、手をくわえるコトによって、苗になる。苗というモノは、太陽の恵みをうけるコトによって、稲穂というモノになり、手間をかけるコトによって、コメというモノになる。
 大自然のなかで、モノとコトが循環するのがむすび(産巣日・結び)で、その奇異(くすしあやし)にくらべて、人間の思いや考えの、いかに生臭く、小さいことか。
 身体を浄めるのは、その生臭さを水に流すことで、儀式は、賢しらを捨て、モノ・コトが循環する大自然と合一して、高天原に、この世の弥栄(いやさか)をねがうものである。
 天皇はこの儀式を、国民になりかわって、おこなっているのである。
『本居宣長』を著した小林秀雄の文章を要約して、引用する。
「(日本人にとって)宗教は、教理ではなく、祭儀という行動であった。長いあいだのその経験が、日本人の文化にたいする底力を育んだ。海外から新しい文明や観念がはいってきたとき、それをうけとる日本人の気質(かたち)は、すでに、完成していた。文明や観念に気質を変える力はない。気質が、文明や観念を吸収して、己の物とするのである」
 カタチを重んじる祭儀が、文化を吸収する日本人の気質を育て上げたというのである。
 カタチができていれば、内実がともなう。外からどんなものがきても、うけとめ、咀嚼して、じぶんのものにできる。
 大陸からきた漢字や小乗仏教、唐文化を、ひらがなや大乗仏教、国風文化につくりかえることができたのは、日本の文化は、すでに、カタチができていたからで、このカタチができあがっていなければ、内側から、外来文化にとりこまれる。
 原という者は「実りを祈る祭祀は時代遅れ」という。天皇が、豊作を念じて、天照大神を拝んでいると思っているのである。そして、そんなムダなことはやめて、世界一の高位にある天皇に、町で、ボランティアをやれというのである。
 戦後、西洋文明で育った者は、日本文化の根本が、大自然のなかで、モノがコトへ、コトがモノへ循環する美や実(まこと)にあって、宮中祭祀が、それを再現していることに、気づいていない。
 西洋合理主義にそまったひとは、すべてを、科学や合理、イデオロギー、特定の価値観で説明しようとする。そのとき、モノがコトへ、コトがモノへと循環する大自然の知恵や力が消え、代わりに、生臭く、小さい人間主義が浮上してくる。
 古代のギリシア・ローマ文明、中世のキリスト教文明、近代合理主義をへて、現代の科学万能主義へつらぬかれているのは、人間中心の理性主義である。
 フランス革命では、王の代わりに、理性神が玉座におかれたが、人間の理性に、それほどの価値がなかったことは、理性だけでつくりあげられた共産主義革命の結末をみればわかる。
 日本の文化は、自然の力を敬うところから生じているが、西洋文明は、人間が自然を支配できるという傲慢からうまれた。
 ギリシア・ローマ文明は、森林を破壊して、天水農業を破滅させ、略奪経済と侵略戦争にむかった。キリスト教の中世では、自然物から、動物までも神からの賜物とする思想のもとで、食肉文化がすすめられ、牧畜と放牧によって、ヨーロッパの森や河川は、大半が消えた。
 森林と河川が消えた大地は死に、ペストのような疫病が大流行して、森の栄養を必要とする沿海漁業も全滅した。
 人間中心主義と理性は、自然破壊と肉食文化、略奪と侵略、奴隷売買という暗黒の中世をへて、科学文明へたどりついたが、鉄の科学と火薬の化学は、効率よくひとを殺すため(武器)と、金をえる(錬金術)ための副産物だった。
 日本の文化と西洋文明は、逆転した構図になっている。
 西洋人は森を破壊しつくしたが、日本人は、森を大事にして、古代より植林をおこなってきた。日本の古代宗教では、自然やモノが迦微(かみ=神)だったので、枝一本、おろそかにできなかったのである。
 勿体ないという考え方、物を大事にする発想は、物自体が迦微だった神道の名残で、それも、日本の文化である。
 中世・近世にかけて、日本には、世界一のものが、数多く、あった。
 水田技術をささえた農業土木、釘を使わずに五重塔をつくった木造建築技術、森と河川がはぐくんだ沿海漁業、大衆レベルの食文化、士農工商によるマクロ経済、和歌や俳句、浮世絵、草紙物などの庶民文芸など、枚挙にいとまがない。
 一方、西洋は、十八世紀前後、産業革命がはじまるまで、特権階級以外、飢えをしのぐのが精一杯だった。民の味方=権威(天皇)がいなかったので、権力が、富や文化を独占したためである。
 製鉄や化学、酪農などの分野が、西洋より遅れたのは、当時、必要(需要)性が小さかったからで、近代以降、必要に応じて、日本は、短時日で、西洋と肩を並べる文明国になった。 
 日本は、近代の科学文明まで消化する文化の型=潜在力までもっていたのである。
 もう一つ、日本と西洋で、逆転しているのは、自我である。
 日本では、抑制されるべきものであった自我が、西洋では、もちあげられる。
 自我は、すべて神からの賜物であるとするキリスト教から、産み落とされた。
 聖書によると、自然も他の生物も、神がじぶんに似せてつくった人間に与え給うた生活資材で、したがって、征服も略奪も、神の御心にかなっている、ということになる。
 この自己中心的な世界観から、自我や人権思想がうまれた。日本で、人権といえば、泣くも子も黙る風潮だが、もともと、これは、キリスト教の教義で、神権政治や専制政治、絶対主義が滅びてからでてきたのが、民主主義である。
 西洋は、すすんでいるのではなく、世界戦争に勝ったキリスト教文明が、他の文明を隅におしやっているだけで、日本には、人権や民主主義以前に、人々が自然と共存して、仕合わせにくらせる神道という大思想があった。
 それを象徴しているのが、宮中祭祀で、人間は、心を浄めて、大自然と共存する以外、仕合わせに生きることはできない。
 だから、本居宣長は、ふしぎは、ふしぎのままでよろしき、といったのである。
 ふしぎを、そのまま、みとめることによって、人間の賢しらをこえた、大きな知恵につつまれる――というのは、この世界にあるありとあらゆるものは、奇異にささえられ、奇異の投影であるが、その奇異は、神の御仕業(みしわざ=古事記)なので、ふしぎという通路をとおって、われわれは、神々とともにあることができる――というのである。
 奇異の頂点は太陽で、お天道様の下に存在するものは、人間をふくめて、すべて、奇異である。天地があり、禽獣草木が生をいとなみ、人々が出遭い、万物が移りかわってゆくすがたは、けっして、理屈では説明がつかず、もののあはれ(安波礼)として、そっくり、うけとめるほかない。
 現代の日本人が、天皇の文化=神道を再発見すると、ボランティアなどという西洋のことばを聞いただけでうかれだす、原のようなばか学者は、少なくなるのである。



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2008年05月26日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(22)

 ●雅子妃は離婚して民間人に戻るべき
 小和田雅子という一女性によって、二千年以上つづいてきた天皇家の祭祀が、平成の世で、途絶えかねない事態になっている。
 公務サボタージュどころか、天皇家が主催する宮中祭祀に、平成十五年以降、皇太子妃として、一度も参列していないのである。
 天皇の最大の任務で、日本の伝統のいしずえである宮中祭祀に無関心な女性が、一二六代皇后になれば、皇室のあり方が、根本から問われることになり、天皇体制にとって、先の「皇室典範」改悪以上の危機となる。
 雅子妃の問題は、病気や個人的な事情によるものであろうか。
 皇太子妃なったほどの女性が、気まぐれから、祭祀や公務をサボタージュして、天皇家の歴史に泥を塗っているとは、とうてい、考えられない。
 成婚から皇室の伝統破壊、皇太子の洗脳にいたるまで、一連のかなしむべき事態は、一族揃って創価学会のコントロール下にあり、反日思想にこりかたまった小和田一族による確信犯的な謀略と、巷間、噂されている。
 事実ならば、雅子妃は、皇太子と離縁して民間人に戻り、徳仁親王殿下は、責任をおとりになって、皇太子の座を、皇太弟の秋篠宮文仁親王に譲られるべきであろう。
 さいわいにして、文仁親王と紀子妃のあいだには、悠仁親王というお世嗣がおられる。
 紀子妃は、平成十九年から二十年まで、天皇が251回、皇后が一八八回、つとめられた公務に一七六回、参列されており、わずか一八回の雅子妃よりも、よほど、皇后になられるべき資格をおもちである。
 病気と称して、公務や宮中祭祀をサボった翌日、いそいそとジュエリー展(平成18年/インドネシア大統領の宮中晩餐会欠席)や父母会(胡錦濤主席の宮中晩餐会欠席)へでかけ、私的外出をのべ100回以上もくり返している雅子妃とは、そもそも、資質が異なる。
 小和田家は、雅子妃の父親、恆が、大鳳会(外務省の創価学会集団)と関係が深く、宮内庁からの情報によると、雅子妃の妹夫婦は、正式な学会員である。創価学会は、家族を折伏できないのは信心が足りないせいとされて、学会内で高い地位がえられない。
 その意味では、恆も、妻の優美子も、当然、信者と考えられる。
 これで、雅子妃が、宮中祭祀に、一度もでなかった理由が、明らかであろう。
 創価学会は「神社を祀る日本は呪われた国」「神社に参拝すると一族が地獄に落ちる」という教えをふれまわっているカルト教団である。小和田一族は、雅子妃が、神道の最高神主である天皇が主催する宮中祭祀に参列すると、池田大作の怒りにふれて、仏罰が下ると思いこんでいるのなら、何をか言わんやである。
 中国への土下座外交を定着させた小和田恆は「日本はハンディキャップ国家なのでふつうの国になれない」「永久に中国へ謝罪すべし」「東京裁判は正しかった」「首相の靖国参拝は誤っている」など公然と言い放つ反日外交官で、外務省チャイナスクールをとおして中国に忠誠を誓い、創価学会の池田大作を崇める売国奴である。
 小和田家とは、いったい、どんな家系なのであろうか。
 小和田家には、恆の祖父、小和田金吉以前の系図や墓がない。士分以上であれば、考えられない。雅子妃の母親、江頭優美子も、水俣病という日本最大の公害事件をおこしたチッソ株式会社の社長・江頭豊の娘である。
 ちなみに、江頭豊は「貧乏人が腐った魚を食って病気になった」「(水俣病は)身体障害者のいいがかり」「原因がチッソでも社会的責任はない」と主張して、水俣病の解決を遅らせた張本人である。
 昭和天皇も、皇太子の小和田家との婚姻には反対で、故後藤田正晴も「皇居にむしろ旗が立つ」と猛反対した。むしろ旗といったのは、独自の情報チャンネルから、小和田家の素性や謀略に気がついていたからであろう。
 お妃候補から削除されて、皇太子も了承されたにもかかわらず、皇太子と雅子妃との再会を工作したのが、元外務次官で、恆の息がかかった柳谷謙介といわれる。雅子妃を皇太子妃に推した外務省グループのリーダー格だが、かれらが、大鳳会やチャイナスクールとつながっていたのは、疑う余地がない。
 再会後、皇太子が、雅子妃に直接電話して、宮内庁が困り果てたという。私心をはたらかされたのである。皇太子との婚姻が発表されたのは、その直後である。
 一連の出来事が<朝敵>による破壊工作員であったのら、彼女の背後には、天皇制度の崩壊を虎視眈々とにらむ、中国政府と創価学会、外務省チャイナスクールを中心とした売国奴グループの存在があるということになる。
 小泉首相の「皇室典範改悪」も、裏でうごいたのが、霞ヶ関の反日・創価学会系のグループで、その中心に小和田恆がいたとつたえられる。
 徳仁天皇・雅子皇后が誕生すると、左翼や媚中派、創価学会、改革・革命主義らによってふたたび「女系女性天皇」論がもちあげられて、反日マスコミが、愛子内親王が皇位につかれず、悠仁親王が次期天皇というのでは「雅子さまがおかわいそう」というキャンペーンをはれば、「女系女性天皇」が蒸し返される可能性がきわめて高い。
 皇室の権威や尊厳は、万世一系の男性男系にあり、皇太子妃や女系女性天皇は、もともと、皇位の系列から外れている。
 アメリカ大統領が最敬礼するのは、天皇陛下とエリザベス女王、ローマ法王の三人である。そのエリザベス女王も、天皇陛下と同席するときは、上座を譲る。男系の万世一系が、国際儀礼上、女王の上位であることをわきまえているからである。
 ローマ法王が外国を訪問した際、慣例として、その国の元首が法王を訪ねる。例外が天皇である。ヨハネ・パウロ二世が日本を訪問した際も、教皇が皇居に出向いて昭和天皇に表敬している。
 国際儀礼上、天皇陛下は、世界一の高位にある。だが、女性天皇の場合、ヨーロッパ王室は、正式の天皇とはみとめず、晩餐会でも、末席となる。
 ヨーロッパの王室は、女性の王位継承や財産相続をみとめないフランク王国の「サリカ法典」にもとづいているからである。万世一系同様、男系をとっているヨーロッパ王室も、女帝は緊急措置にすぎず、男系が絶えると、廃絶される。げんに、モナコ公国は、男子の世継ぎが誕生しなかった場合、フランスに吸収される約束になっている。
 徳仁親王が、こういう事実を見ず、雅子妃にひきまわれて、皇室外交を口走るようでは、天皇になる資格を欠いている、といわざるをえない。
 イギリスでも、皇太子が皇太弟に王位を譲ったケースがある。
 エドワード八世に代わって王位についた弟のジョージ六世である。
 ヒトラーやムッソリーニが台頭して、ヨーロッパが風雲急を告げていた1936年、イギリスで、王位にあったエドワード八世が、ウォリス・シンプソン夫人と恋に陥った。純潔をもとめられる王室の妃に、未亡人は、みとめられない。王冠をとるか、恋をとるかの選択を迫られたエドワード八世は、恋をとって、このとき、王位をジョージ六世に譲った。
 ジョージ六世は、いまにつたわる名君で、1940年のロンドン空襲で命を落としかけたときも、ロンドンから離れず、ドイツ軍のイギリス本土への侵攻にそなえ、拳銃を片手にバッキンガム宮殿にとどまり、ドイツ空軍によって破壊された国内を訪問して国民を慰め、勇気づけた。
 王は、私心を捨て、国のため、国民のために尽くすべしというのが、イギリス王室の伝統で、六世が56歳の若さで死去したのは、病弱をおして、激務にのぞんだからだとつたえられる。
 わが皇室も、これに倣って、徳仁親王は、皇位継承権を文仁親王へお譲りになって、雅子ともども、海外でお暮らしになってはいかがといいた。
 外務省の反日グループ「小和田一派」の謀略にひっかかり、邪恋で、私心があってはならない皇位の尊厳を汚したのであれば、皇祖皇宗は、けっして、お赦しになるまい。
 由々しいことに、最近、雅子妃のボイコットを理由に、宮中祭祀の廃止を主張する言説がでてきた。
 次回は、この言説の誤りと、神道における祭祀のすがたについて、のべよう。



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2008年05月14日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(21)

 ●「右翼論」その3/結果論的"善"であらねばならない任侠右翼
 農本主義や大アジア主義、国家社会主義に立つ伝統右翼は、戦後、GHQの弾圧やスポンサーだった保守政界や軍部、旧財閥の解体によって、事実上、壊滅した。
 右翼が国政や軍事、クーデターにかかわった時代は、敗戦によって、こうして、終わりを告げ、戦後日本は、共産党や組合運動の躍進によって、急速に、左傾化してゆく。
 GHQが、当初、めざしたのは、要人追放や財閥解体、農地改革などで旧体制を破壊する事実上の敗戦革命で、当時、GHQは、プレスコードや検閲、神道指令から、戦時教科書の黒塗り、武道の禁止、茶道の古書までを焚書にする、徹底的な文化破壊をおこなった。
 のちに、GHQは、ソ連・中国の脅威に気づき、急きょ、左翼路線を変更することになるが、それまでは、軍国主義をささえた右翼勢力が、GHQの最大の掃討目標だったのである。
 旧体制の組織や団体がGHQの標的になったなかで、任侠系の右翼団右翼が生き残ることができたのは、暴力団組織という独自の資金源をもっていたからである。
 任侠系の右翼団体は、戦後、うまれたわけではない。近代になって、自由民権運動や社会主義思想がさかんになってくると、危機感をつのらせた政府・公権力が、反政府運動の取り締まりに任侠団体を利用し、任侠団体も、その多くが、政治結社を名乗った。
 代表的なのが、原敬首相と床次竹次郎内相の提唱で結成された博徒と土建系任侠の全国的組織「大日本国粋会」(顧問・頭山満)で、国体護持と共産化の阻止を掲げて、労働争議介入やストライキ破りなどに、暴力的な直接行動をおこなった。
 任侠系の右翼は、伝統右翼とちがって、思想的な背景や含蓄があるわけではない。
 政治家や軍人、財界がこの任侠右翼を利用したのは、体制側にとって、かれらが、結果論的に"善"だったからである。
 政治や軍事は、結果論の世界である。たとえ、動機が善であっても、結果が悪では、政治は乱れ、戦争では負ける。悪知恵や謀略などの悪しき動機が、結果として、安全や平和をまもるのが権力のリアリズムなのである。
 一方の動機論は、結果に責任をもたない女・子どもの発想で、たとえていえば、憲法九条や絶対平和主義が、これにあたる。
 反体制側が、任侠右翼を無知でやくざな暴力集団=悪とみるのは、女・子どもの動機論に立っているからで、男・大人の結果論に立つ体制側にとって、任侠右翼は、体制の防人=善である。
 右翼論の根底にあるのは、この「結果論的善」で、任侠右翼が、反体制派にとって恐怖の対象で、かれらが、体制の防波堤、社会の防腐剤となれば、それで、十分に存在価値があり、学識をひけらかして正論を語るだけのインテリ右翼は、かえって、有害ということになる。
 任侠右翼が躍進してきたのが、60年安保闘争だった。
 昭和二七年のサンフランシスコ平和条約締結によって、日本は、独立した。
 だが、政治的には、社会党などの左翼の勢力がつよく、日本共産党も、第六回全国協議会(六全協/1955年)以降、議会への大量進出をはかり、議会内革命が懸念される情勢が生じてきた。
 左翼対策に、任侠右翼を利用しようとしたのが、吉田茂内閣で法務総裁を務めていた木村篤太郎である。
 1960年の日米安保条約改定で、政治的混乱が予想されるなか、警察力の整備に不安を抱いた木村は、20万人暴力団を組織化して共産主義勢力に対抗するべく、右翼の大物、児玉誉士夫に相談をもちかけた。
 この結果、テキヤ系組織は東京街商組合・日本街商連盟、博徒系組織は、日本国粋会を結成して、暴力団の組織化(愛国反共抜刀隊構想)がすすめられた。この構想は、吉田の承認をえられなかったものの、このとき木村は、37の右翼団体を糾合して、安保闘争にそなえる。
 安保改正の1960年、アイゼンハワー大統領の訪日反対の大規模な反対運動を阻止するため、岸信介首相は、木村篤太郎と、当時の自民党幹事長・川島正次郎に、ヤクザ・右翼の動員を命じている。
 このとき、児玉は、警視庁と打ち合わせて、稲川会五千人、松葉会二千五百人、飯島連合会三千人、国粋会千五百人、義人党三百人、神農愛国同志会一万人を「警官補助警備力」として、東京・芝の御成門周辺に配置することをきめている。
 これに前後して、血盟国事件の井上日召や浜口雄幸襲撃事件の佐卿屋留男らの護国団が音頭をとった「全日本愛国団体連合会」(全愛会議)をはじめ、「大日本愛国団体連合・時局対策協議会」(時対協)、「青年思想研究会」(青思会)、自民党議員も多く所属する保守主義者団体「日本会議」などが、次々に結成された。
 50年代の砂川闘争、新島闘争、60年代のハガチィー事件、安保闘争など、左右陣営の衝突が激化するなか、60年には、安保闘争で樺美智子が死亡、浅沼稲次郎社会党委員長が右翼のテロで倒れ、岸信介首相も、右翼に刺されて、瀕死の重傷を負うという事件がおきる。
 この60年が、左右両陣営にとって最大の山場で、その後、安保の岸内閣から所得倍増の池田勇人内閣へ政権交代がおこなわれると、社会の関心は、政治から経済へ移り、任侠右翼は、次第に、存在理由を失っていく。
 70年代にはいると、政府や警察当局は、用済みとなった任侠右翼にたいして、暴力団のレッテルを貼って取締りを強化、なかには、解散に追いこまれた団体もでた。
 任侠右翼は、もともと、博徒やテキヤ、やくざで、かれらを体制の番兵として利用したのは、権力である。使用済みになったからといって、切り捨てるのは、権力側の都合によるものだが、任侠右翼も、高度成長、とりわけ、バブル経済時には、総会屋や金融機関、不動産や建設業者と結託して、大きなしのぎをえた。
 任侠右翼に、もっとも、勢いがあったのは、この時期で、やくざ世界では、企業舎弟という新語がうまれたほどである。
 やがて、バブルが崩壊する。戦後の経済復興期に、労働運動を妨害するなど、一貫して大企業の側に立ち、企業の裏活動をささえ、もちつもたれつ関係を築いた任侠右翼にとって、バブル崩壊と暴対法の施行、総会屋への取り締まり強化は、大きなダメージとなった。
 以後、任侠右翼は、資金源も闘争目標も失って、長い低迷期にはいる。
 かつて、体制側にとって結果論(体制の守護)的善で、反体制側にとって動機論(反体制派への妨害・反社会性)的悪だった任侠右翼は、いまや、時代の変化にともなって、その在り方をかえなければならない時期を迎えているように思われる。
 というのは、かつて任侠右翼は、反共の砦として、存在価値があったが、現在、反共というスローガンは、すでに、無効になりつつあるからである。
 右と左の闘争は、すでに、決着がついている。日本人は、だれも、中国や北朝鮮のような国を理想と思っていない。そこで、旧左翼は、共産主義からコスモポリタニズム(無国籍主義)や反日主義へのりかえ、攻撃目標を、政体(政治)から国体(天皇体制)へきりかえてきた。
 左右対決という図式が消え、代わりに、愛国主義と反日主義という新たな対決の図式がうかびあがってきたのである。
 たたかいの場が、政治やイデオロギーから、国体や文化論へと移ってきた。
 ということは、運動の転換期がきたということである。
 政治は、選挙民や論壇系の政治評論家にまかせ、右翼は、国体のことだけを考え、行動すべきということであって、このうごきをつかまなければ、必要悪としての任侠右翼の存在価値が、なくなる。
 社民党や日本共産党、自民・民主党の左派は、日本をよい国にしようとして、政治活動をしているのであろうか。
 否である。政権をとって、国体を変更することがかれらの目的で、その兆候が、道州制の導入や皇室典範の改悪、人権法・フェミニズム法・外国人参政権法などで、自虐史観や媚中外交、戦争謝罪、歴史の共通認識などは、すべて、そのためのプロパガンダといってよい。
 日本を、共産党や民社党、自民・民主党左派、左翼出身の官僚のいうとおりにかえていけば、日本は、もはや、日本ではなくなる。ということは、かれらが血眼になって、やろうとしているのは、政体の変更ではなく、国体の変更だったのである。
 旧態依然として、右だ左だといっていると、右翼は、反日主義=国体変更主義の戦略に気づかないまま、取り残されて、近い将来、日本は、小泉純一郎が端緒を切った「国体変更計画」にのみこまれることになるだろう。
 かつて、右翼は、国家の危機に体を張った。そのときは、左右陣営の対立という図式がはっきりとしていたため、迷うことなく、必要悪=結果論的善の存在になりきれた。
 だが、現在は、国家の危機がどこからきているのか、ひじょうに、わかりにくくなっている。
 はっきりといおう。現在、日本が直面している国家の危機は、国体、三島由紀夫が「文化防衛論」で指摘した、日本精神が脅かされているところから生じている。
 三島は「文化防衛論」で、こうのべた。
 われわれは自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。……終局、目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。
 なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本文化伝統をかけて戦わなければならないと信じているからである。
 
 右翼が、何をまもり、何のためにたたかうのかをわきまえたとき、かれらは、ふたたび結果論的"善"となるのはあるまいか。



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2008年05月07日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(20)

 ●「右翼論」その2/極右のテロリズムと極左のゲバルト 
 日本の極右を定義することはむずかしい。
 左翼過激派、極左のように、戦略として、暴力主義を唱える団体はなく、革マルや中核派、革労協に匹敵する戦闘的な団体や組織があるわけではないからだ。
 右翼思想は、思想の練磨から奉仕活動、直接行動まで、幅が広い。
 おだやかな愛国思想からテロリズムまでが、一本の糸でつながっており、一介の草莽の士が、突如、直接行動にでるという事態も、ありうるのが、右翼のすがたなのである。
 その右翼のなかで、極右といえば、行動右翼をさす。
 行動右翼には、伝統(組織・神道)右翼と任侠(やくざ一家・暴力団系)右翼の二つの系統があり、そのうち、極右のレッテルを貼られているのが、街宣車をもち、街頭で宣伝活動をおこなっている任侠右翼とよばれる団体である。
 伝統右翼のうち、組織右翼は、思想的には、頭山満の玄洋社、内田良平の黒龍会などの国家・国権主義に立ち、現在は、三島由紀夫を慕う民族派グループが、その流れをくんでいる。
 五・一五事件、2・26事件に関与した国家社会主義の大川周明や北一輝、血盟団事件の井上日召らも、伝統右翼にくくられるが、一部の軍人と組んで、権力闘争にかかわったことから、右翼というより、むしろ、ウルトラ国家主義者といったほうがいいように思う。
 神道右翼は、蓑田胸喜、葦津珍彦らの思想家から、終戦直後、14名が天皇陛下に敗戦を詫びて割腹自殺した大東塾の影山正治までを擁する大山脈で、現代の右翼思想の一つの潮流をなしている。
 任侠右翼は、60年安保の際、共産主義革命に危機感を背景にうまれた団体で、多くが暴力団系の政治結社である。反共を旗印にしているところから、全愛会議(全日本愛国者団体会議)や児玉誉士夫系の青思会(青年思想研究会)、愛国党の赤尾敏らと共通点をもつ。
 全愛会議や児玉誉士夫系右翼については、次回、「戦後の行動右翼」で詳しくのべる。
 極右を定義することはむずかしい、とのべたのは、極右という存在はなくとも、内部にテロリズムをかかえている右翼は、ときと場合によって、突如、極右へきりかわるからである。
 いいかえれば、右翼は、テロをおこなうことによってのみ、極右となるのである。
 極左は、暴力=ゲバルトを恒常的な手段とするが、右翼は、その必要に迫られたときにかぎって、テロという非常手段をうったえる。それが極右で、極左のように、暴力主義を目的化しているわけではない。
 日本の右翼は、左翼とちがい、権力志向をもっていない。
 政権奪取のためのクーデター、あるいは、保守政党が政権をとるための前衛的な役割を担っているわけでもない。
 極右=テロは、国体を危機から救うための自己犠牲で、「一殺多生」というテロリズムの論理には、自死という、究極の無私の精神がともなっている。他人の生命を奪ったからには、みずからも、生命を絶つのが右翼のテロで、権力闘争のため、政敵を殺傷する左翼のゲバルトとは、本質的に、異なる。
 右翼テロが、美学となりうるのは、目的を果たしたあと、潔く散ってゆくからで、生きのびれば、ただの殺人者である。
 テロは、法治国家の基準からも、人道的見地から見ても、狂気の妙汰ので、犯罪行為である。
 その右翼テロが、日本の風土で、殺人と区別されてきたのは、無私という、人為がおよばない領域の行動だったからで、たとえ、それが狂気であっても、人間をこえているテロリストに、この世の法律や善悪をあてはめることはできない。
 一方、暴力革命をとおして政権をとろうとする極左のゲバルト殺人は、敵対する勢力の殲滅や粛清が目的で、かれらは、みずからの権力欲のため、多くの人々を犠牲にする、ただの殺人者である。ちなみに、極左の内部闘争によるテロの犠牲者は、百人をこえているが、犯人は、ほとんど逮捕されていない。
 テロリズムの原義は、権力による恐怖政治である。だが、日本の極右テロは、権力側に恐怖心をあたえる逆テロリズムで、標的は、我欲のために国益を害い、国体を危うくする政・官・財界の売国的指導者である。
 といっても、右翼テロの動機は、政治にかかるものではなく、あくまで、国体防衛で、拠って立つところも、国体である。国体は、政体とも、国家ともちがい、それ以前の、歴史や民族という根源的なものにかかわっている。
 政治には、まがりなりにも、一般投票という制度があり、有権者である国民は、投票をつうじて、政治に関与できる。その意味で、国家も政治も、国民の前にオープンになっている。
 ところが、その政体の土台となっている国体は、国民の手の届かないところにある。
 国体の維持という国是がまもられているかぎり、国体が、国民の手の届かないところにあっても、不都合もない。
 だが、為政者や権力をもつ者が、国体を破壊しようとした場合、国民には、それを阻止する手段がない。
 国体の変更はゆるされない。現在というこの一瞬しか生きていない者、一過性の権力にすぎない政治は、歴史に根ざしている国体を変える権利がなく、その資格もあたえられていないからである。
 その国体が、権力の座にある者の私心や私欲によって、毀損され、破壊されようとしたとき、身をもって、無防備な国体をまもるのが、右翼である。
 右翼は天皇の防人――というのは、売国奴から国体をまもれるのは、理論上、右翼しかいないからである。
 テロ事件が発生すると、識者は、「民主主義の危機である」「民主主義の世の中でテロはゆるされない」と口を揃える。
 だが、民主主義は、専制政治や独裁、全体主義よりましというだけで、けっして、理想的な体制ではない。むしろ、民の独裁なので、民や資本を味方につけると、どんなこともできる暗黒性をもっている。
 資本やマスコミは、民主主義の名のもとで、独裁者のような力をもち、国民は、これに対抗する意思も手段ももちえない。民主主義の基本である多数決も、少数派の排除という不条理をともない、格差社会や衆愚政治をうみだす。
 民主主義は、専制政治にたいするアンチテーゼなので、理論上、国家理性=国是が制限される。人権を最大の価値として、国権を危険なものとする民主主義においては、革命権までがみとめられているので、反政府運動や左翼の政治活動にたいする取り締まりもゆるやかで、むろん、中国のように、治安をまもるための予備拘束のようなことは、不可能である。
 つまり、民主主義は、左翼による革命、および、右翼による反革命の危険性にたいして無防備な制度で、けっして、安全でも平和的でもない、むしろ、危なっかしい仕組みなのである。
 革命権をみとめる民主主義において、資本とマスコミ、左翼、官僚の天下となるのは、現在の日本を見ればわかるとおりで、無防備な国体は、これまで、左翼陣営の最大の攻撃目標にされてきた。
 革命・国家転覆・国体破壊という超法規的な戦略をもつ左翼に対抗できるのは、テロという、法を超越した行動論理をもつ右翼だけで、だからこそ、民主主義のなかに、存在が許容されている。
 民主主義においては、左翼運動ばかりか、大資本の横暴、マスコミの言論暴力、官僚の過剰権力がゆるされる。右翼テロは、これを制御する手段として、存在する。民主主義が国体を否定する方向へ傾いているぶん、非合法の右翼テロが突出するのは、合法、非合法を別にして、政治力学的なバランスなのである。
 テロは、民主主義の敵なのではなく、民主主義だからこそ、テロが存在する。
 テロの恐怖がなければ、左翼・資本・マスコミ・公権力だけが肥大して、民主主義の矛盾に、国家や国体が、ねじ切れてしまうことになる。
 右翼の存在価値は、恐怖にある。その恐怖は、その行動原理が、法をこえているところからでてくる。
 右翼テロが、法をこえているのは、一過性の政体ではなく、永遠の国体に拠って立っているからで、右翼テロが、神の領域というのも、命を捨てて、国体をまもるには、無私でなければならないからである。
 極左の暴力主義と極右のテロは、じつは、もっとも遠いところにあったのである。
posted by 山本峯章 at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする