2008年05月26日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(22)

 ●雅子妃は離婚して民間人に戻るべき
 小和田雅子という一女性によって、二千年以上つづいてきた天皇家の祭祀が、平成の世で、途絶えかねない事態になっている。
 公務サボタージュどころか、天皇家が主催する宮中祭祀に、平成十五年以降、皇太子妃として、一度も参列していないのである。
 天皇の最大の任務で、日本の伝統のいしずえである宮中祭祀に無関心な女性が、一二六代皇后になれば、皇室のあり方が、根本から問われることになり、天皇体制にとって、先の「皇室典範」改悪以上の危機となる。
 雅子妃の問題は、病気や個人的な事情によるものであろうか。
 皇太子妃なったほどの女性が、気まぐれから、祭祀や公務をサボタージュして、天皇家の歴史に泥を塗っているとは、とうてい、考えられない。
 成婚から皇室の伝統破壊、皇太子の洗脳にいたるまで、一連のかなしむべき事態は、一族揃って創価学会のコントロール下にあり、反日思想にこりかたまった小和田一族による確信犯的な謀略と、巷間、噂されている。
 事実ならば、雅子妃は、皇太子と離縁して民間人に戻り、徳仁親王殿下は、責任をおとりになって、皇太子の座を、皇太弟の秋篠宮文仁親王に譲られるべきであろう。
 さいわいにして、文仁親王と紀子妃のあいだには、悠仁親王というお世嗣がおられる。
 紀子妃は、平成十九年から二十年まで、天皇が251回、皇后が一八八回、つとめられた公務に一七六回、参列されており、わずか一八回の雅子妃よりも、よほど、皇后になられるべき資格をおもちである。
 病気と称して、公務や宮中祭祀をサボった翌日、いそいそとジュエリー展(平成18年/インドネシア大統領の宮中晩餐会欠席)や父母会(胡錦濤主席の宮中晩餐会欠席)へでかけ、私的外出をのべ100回以上もくり返している雅子妃とは、そもそも、資質が異なる。
 小和田家は、雅子妃の父親、恆が、大鳳会(外務省の創価学会集団)と関係が深く、宮内庁からの情報によると、雅子妃の妹夫婦は、正式な学会員である。創価学会は、家族を折伏できないのは信心が足りないせいとされて、学会内で高い地位がえられない。
 その意味では、恆も、妻の優美子も、当然、信者と考えられる。
 これで、雅子妃が、宮中祭祀に、一度もでなかった理由が、明らかであろう。
 創価学会は「神社を祀る日本は呪われた国」「神社に参拝すると一族が地獄に落ちる」という教えをふれまわっているカルト教団である。小和田一族は、雅子妃が、神道の最高神主である天皇が主催する宮中祭祀に参列すると、池田大作の怒りにふれて、仏罰が下ると思いこんでいるのなら、何をか言わんやである。
 中国への土下座外交を定着させた小和田恆は「日本はハンディキャップ国家なのでふつうの国になれない」「永久に中国へ謝罪すべし」「東京裁判は正しかった」「首相の靖国参拝は誤っている」など公然と言い放つ反日外交官で、外務省チャイナスクールをとおして中国に忠誠を誓い、創価学会の池田大作を崇める売国奴である。
 小和田家とは、いったい、どんな家系なのであろうか。
 小和田家には、恆の祖父、小和田金吉以前の系図や墓がない。士分以上であれば、考えられない。雅子妃の母親、江頭優美子も、水俣病という日本最大の公害事件をおこしたチッソ株式会社の社長・江頭豊の娘である。
 ちなみに、江頭豊は「貧乏人が腐った魚を食って病気になった」「(水俣病は)身体障害者のいいがかり」「原因がチッソでも社会的責任はない」と主張して、水俣病の解決を遅らせた張本人である。
 昭和天皇も、皇太子の小和田家との婚姻には反対で、故後藤田正晴も「皇居にむしろ旗が立つ」と猛反対した。むしろ旗といったのは、独自の情報チャンネルから、小和田家の素性や謀略に気がついていたからであろう。
 お妃候補から削除されて、皇太子も了承されたにもかかわらず、皇太子と雅子妃との再会を工作したのが、元外務次官で、恆の息がかかった柳谷謙介といわれる。雅子妃を皇太子妃に推した外務省グループのリーダー格だが、かれらが、大鳳会やチャイナスクールとつながっていたのは、疑う余地がない。
 再会後、皇太子が、雅子妃に直接電話して、宮内庁が困り果てたという。私心をはたらかされたのである。皇太子との婚姻が発表されたのは、その直後である。
 一連の出来事が<朝敵>による破壊工作員であったのら、彼女の背後には、天皇制度の崩壊を虎視眈々とにらむ、中国政府と創価学会、外務省チャイナスクールを中心とした売国奴グループの存在があるということになる。
 小泉首相の「皇室典範改悪」も、裏でうごいたのが、霞ヶ関の反日・創価学会系のグループで、その中心に小和田恆がいたとつたえられる。
 徳仁天皇・雅子皇后が誕生すると、左翼や媚中派、創価学会、改革・革命主義らによってふたたび「女系女性天皇」論がもちあげられて、反日マスコミが、愛子内親王が皇位につかれず、悠仁親王が次期天皇というのでは「雅子さまがおかわいそう」というキャンペーンをはれば、「女系女性天皇」が蒸し返される可能性がきわめて高い。
 皇室の権威や尊厳は、万世一系の男性男系にあり、皇太子妃や女系女性天皇は、もともと、皇位の系列から外れている。
 アメリカ大統領が最敬礼するのは、天皇陛下とエリザベス女王、ローマ法王の三人である。そのエリザベス女王も、天皇陛下と同席するときは、上座を譲る。男系の万世一系が、国際儀礼上、女王の上位であることをわきまえているからである。
 ローマ法王が外国を訪問した際、慣例として、その国の元首が法王を訪ねる。例外が天皇である。ヨハネ・パウロ二世が日本を訪問した際も、教皇が皇居に出向いて昭和天皇に表敬している。
 国際儀礼上、天皇陛下は、世界一の高位にある。だが、女性天皇の場合、ヨーロッパ王室は、正式の天皇とはみとめず、晩餐会でも、末席となる。
 ヨーロッパの王室は、女性の王位継承や財産相続をみとめないフランク王国の「サリカ法典」にもとづいているからである。万世一系同様、男系をとっているヨーロッパ王室も、女帝は緊急措置にすぎず、男系が絶えると、廃絶される。げんに、モナコ公国は、男子の世継ぎが誕生しなかった場合、フランスに吸収される約束になっている。
 徳仁親王が、こういう事実を見ず、雅子妃にひきまわれて、皇室外交を口走るようでは、天皇になる資格を欠いている、といわざるをえない。
 イギリスでも、皇太子が皇太弟に王位を譲ったケースがある。
 エドワード八世に代わって王位についた弟のジョージ六世である。
 ヒトラーやムッソリーニが台頭して、ヨーロッパが風雲急を告げていた1936年、イギリスで、王位にあったエドワード八世が、ウォリス・シンプソン夫人と恋に陥った。純潔をもとめられる王室の妃に、未亡人は、みとめられない。王冠をとるか、恋をとるかの選択を迫られたエドワード八世は、恋をとって、このとき、王位をジョージ六世に譲った。
 ジョージ六世は、いまにつたわる名君で、1940年のロンドン空襲で命を落としかけたときも、ロンドンから離れず、ドイツ軍のイギリス本土への侵攻にそなえ、拳銃を片手にバッキンガム宮殿にとどまり、ドイツ空軍によって破壊された国内を訪問して国民を慰め、勇気づけた。
 王は、私心を捨て、国のため、国民のために尽くすべしというのが、イギリス王室の伝統で、六世が56歳の若さで死去したのは、病弱をおして、激務にのぞんだからだとつたえられる。
 わが皇室も、これに倣って、徳仁親王は、皇位継承権を文仁親王へお譲りになって、雅子ともども、海外でお暮らしになってはいかがといいた。
 外務省の反日グループ「小和田一派」の謀略にひっかかり、邪恋で、私心があってはならない皇位の尊厳を汚したのであれば、皇祖皇宗は、けっして、お赦しになるまい。
 由々しいことに、最近、雅子妃のボイコットを理由に、宮中祭祀の廃止を主張する言説がでてきた。
 次回は、この言説の誤りと、神道における祭祀のすがたについて、のべよう。



posted by 山本峯章 at 03:58| Comment(138) | TrackBack(9) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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