●イデオロギー語に踊らされる戦後の日本人
今回は、人権や差別、民主主義など、戦後日本を呪縛してきた<イデオロギー語>について、考えてみたい。
テロや暴力事件がおきるたび、識者は「民主主義の世の中でおきてはならないこと」と口を揃える。
だが、テロや暴力は、民主主義ではなくとも、ゆるされるべきことではなく、そんなことに、いちいち、民主主義をもちだす必要はない。
民主主義は、人類がたどりついた至高の思想なので、テロや暴力など、あってはならないというわけだろうが、はたして、そうであろうか。
民主主義の発明者で、フランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』でつぎのようにいっている。
「随意に祖国をえらべといわれたら、わたしは、君主と人民のあいだに利害対立のない国をえらぶだろう。わたしの理想は、君民共治であるが、そのような政治体制が地上に存在するはずがないので(独裁や専制政治を憎む)わたしは、やむをえず、民主主義をえらぶのである」
ルソーでさえ、民主主義について、独裁や専制政治よりはマシ、としかいっていない。
民が主になると、たしかに、王権や独裁権力は制限される。だが、つねに、民が正しいとはかぎらず、それどころか、民には、天下国家という視点がそなわらないので、大抵の場合、衆愚政治に陥る。
そもそも、民主主義は、無秩序の代名詞のようなものである。むろん、テロや暴力も排除できない。独裁や専制政治のもとでは、予防拘束や国民監視体制を敷けるが、民主政治では、そうはいかないからである。
ヒトラーは、日本国憲法のモデルといわれる、過剰に民主主義と平和主義をとりいれたワイマール憲法のもとで、民主選挙に圧勝して、登場してきた。民主主義は、テロや暴力、衆愚政治ばかりか、ファシズムの苗床にさえなるのである。
戦後、日本人が、民主主義を、この世の天国のように思ってきたのは、共産主義者や反国家主義者の宣伝によるもので、反体制の運動家にとって、たしかに、民主主義ほど都合のよい体制はない。
だが、一般の人々にとって、民主主義は、無秩序にさらされる、危なっかしい体制でもある。
ちなみに、ルソーが理想とした"君臣共治"は、日本の天皇体制のことである。
このテーマについては、モルデカイ・モーゼ(戦後、米政府の対日戦後処理にあたったユダヤ系アメリカ人)のことばを借りて、後述するが、ここでは、モーゼ長老のつぎのことばを紹介するにとどめる。
「自由と平等は相容れず、国家の力なくして人権がまもられたためしはなく、非武装の平和はジョークにすぎない。だが、これを民主主義、基本的人権、平和主義というイデオロギー語におきかえると、それが、一つの理想として、実際にあるかのような錯覚に陥る。
これが、祖国をもたないわれわれユダヤ人が数千年にわたって生きのび、世界支配を実現させたトリックである。自由や平等、人権や平和主義という虚構仮説(ありえない話)をふりまくことによって、ユダヤ人は、ユダヤ人の敵である国家の弱体化と、国家をこえた個人的な諸権利の両方を、手にいれてきたのである」
前回、「人権擁護法案」で、反日勢力が、差別と人権とタテに、国家の弱体化を画策している実態をのべた。
反差別や人権も、自由や平等、民主主義と同様、弱者である個人の権利を無制限に拡大して、国家を衰弱させようというユダヤ・テーゼで、このテーゼにからめとられると、体制は、土台からゆさぶられる。
差別は、広辞苑によると「差をつけて不当にとりあつかう」ことで、区別は「違いによって分けること」である。したがって、問題点は、「不当にとりあつかう」ことにある。
だが、現在、日本では、行政上も法的にも、在日外国人や同じ日本人を、差をつけて不当にとりあつかう、などということは、おこりえず、おこなわれてもいない。
意識の問題については、論外である。ひとによって、価値観が異なり、異なる思想や信条をもつ自由がある以上、心のなかにまでふみこむと、思想統制になり、予備拘束と同様、これは、けっして、ゆるされることではない。
今回の人権擁護法案は、被差別・人権擁護は絶対的に正しいので、心のなかにまで立ち入って、強制してもかまわないという野蛮な考えに立っている。
だから、わたしは、そういう法をゆるしてはならないと、声を大にするのである。
同法の推進者は、人権を、神のことばのように、思っている。
自由や平等、基本的人権などを、国家ではなく、ヤハヴェ(ユダヤ教の唯一神)からあたえられたものとするのが、ユダヤ・テーゼである。
そして、それをそっくり、いただいたのが、ヤハヴェを知らないはずの戦後日本人だった。
日本国憲法に、基本的人権や主権が、だれからあたえられ、だれによってまもられるのか、書かれていないのは、そのせいである。
日本国憲法をつくったのは、ユダヤ人だった。かれらは、そこに、ヤハヴェの名を書きたかったのかもしれないが、そうもいかない。だから、かれらは、主語を削ったのである。
戦後憲法は、ユダヤ人ケーディスを責任者とするGHQの少数のニューディーラーによって、わずか二週間でつくられた。たたき台となったのが、ワイマール憲法で、つくったのは、ドイツの内相をつとめたフーゴ・ブロイス以下、三人のユダヤ人学者だった。
ワイマール憲法も、自由や平等、人権や平和が、神のことばとして扱われている。
同憲法は、自由と平等(非差別)、平和主義が過剰にもりこまれた、ユダヤ人に都合のよいもので、ユダヤ人の権利をまもるため、世界を改造しようとするユダヤ・テーゼの産物でもあった。
●ユダヤ・テーゼに惑わされてきた二十世紀
日本人が、普遍的価値としてうけとめている、自由や平等、人権や民主主義などの近代主義は、祖国をもたないユダヤが、じぶんたちの都合がよい世界をつくりあげるため、戦略的につくりあげたイデオロギー語だったのである。
このあたりの事情をおさえておかなければ、日本人は、そっくり、ユダヤ・テーゼにとりこまれてしまうことになる。
ちなみに、ヒトラーがユダヤ人のジェノサイドを決意したのは、ユダヤ・テーゼの存在を知ったためといわれる。
【ユダヤ・テーゼ10項】
@中世以降、啓蒙思想などをとおして、自由と平等、人権、民主主義を普遍的な価値に高め、個人と国家と対立させてきた
Aユダヤ人であるジャン・ジャック・ルソーは「社会契約論」で、自由と平等が国家をこえることをしめした
Bルソー主義によって、ヨーロッパにおける王室の廃絶とフランス革命が実現した
Cユダヤ人であるマルクスが、ユダヤ教を「共産党宣言」にリライトして、暴力革命の必然性を示唆(ユダヤの金銭観、世界観を反映させたのが「資本論」)した
Dユダヤ人であるレーニンが、戦争こそ、革命をこえる有効な革命とする「帝国主義論」を展開(敗戦革命)した
Eドイツ法学界のユダヤ勢力が、自由と平等を過剰にもりこんだ「ワイマール憲法」をつくり、結果として、ナチス・ヒトラーの台頭をまねく
Fユダヤ人であるルーズベルトが、ニューディール政策で、アメリカの共産化をはかる
Gルーズベルトが、スターリンとつうじ、ドイツ・日本に宣戦布告をおこなって、世界大戦をひきおこす
Hユダヤ集団GHQが、戦後日本をユダヤ(無国籍者)の楽園にすべく、自由と平等を基本的人権におきかえた平和憲法を制定する
I二律背反する自由と平等をもりこんだ民主主義によって、国家理性と道徳が崩壊した
自由と平等の啓蒙主義から、フランス革命、ロシア革命、第二次世界大戦、GHQによる日本改造まで、世界史の激動に、ユダヤ・テーゼがはたらいていたわけだが、その作品の一つが、日本国憲法だった。
戦後、マッカーサー元帥以下、ユダヤ人を中心とするGHQのニューディーラーたちは、日本という国家を解体すべく、勇んで、日本にやってきた。
そして、日本の真のすがたを発見して、腰を抜かすほど、驚く。
山本七平・イザヤペンダサンの『日本人とユダヤ人』に並ぶ名著として知られているモルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』(日新報道)から引用する。
われわれ、ユダヤ民族は、西洋人にない高尚な理想をつねに頭に描いてきた。
だが、ユダヤ民族は、永い永い迫害の悲しい歴史のなかで、これら理想を実現させる余裕などまったくなく、ただ、いかに、生命の安全をまっとうするかということだけに心血を注がねばならなかった。
第二次大戦終結まで、みずからを解放するため、つねに、たたかいつづけてきたわれわれには、残念ながら、理想は、遠い夢にすぎなかった。
われわれは、敗戦後の日本へやってきて、はじめて、ユダヤ人が理想としてきたものが、日本に実在していたことを知った。
そのときの驚きは、いまなお、筆舌につくしがたい。
われわれの犯した誤りは、戦前まで、日本が世界に冠絶した、類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまったことである。
そのことを思うと、われわれの心は痛む。その痛みは、日本が戦前まで、もっていた類い稀れな長所が、われわれ、ユダヤ民族が理想としてもとめてきたものだったと知るほどに、深い後悔をともなって、倍加されるのである。
マッカーサーもわれわれも、天皇を、日本統治のために利用したのでない。
われわれは、君民共治の理想を、ルソーが空想のなかにもとめたように、現実のなかにみいだしたのである。
ユダヤ人、アインシュタインも、大正十一年、伊勢神宮を訪問した際、同様のことをのべている。
近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。
一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。
私はこのような尊い国が世界に一ヶ所ぐらいなくてはならないと考えていた。
世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。
そのとき、人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主を仰がなければならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえたもっとも古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアにはじまって、アジアに帰る。
それには、アジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
われわれは神に感謝する。
われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを――
( 祥伝社黄金文庫 「『日本文明』の真価」/清水馨八郎)
中学生が、平気で、人権ということばを口にして、大人が、そのことばにひれ伏すという異様な出来事が、戦後、半世紀もつづいてきた。
そろそろ、その呪縛から開放されなければ、ユダヤ・テーゼを戦略化する反日勢力によって、日本は、アインシュタインが感動した真のすがたを完全に失ってしまうことになるだろう。
次回から、モルデカイ・モーゼの未発表遺稿と故モルデカイ長老の意志を継ぐユージン・L・モーゼ氏の監訳をまじえ、反日主義の正体をさらに暴きだしていきたい。
2008年06月27日
2008年06月24日
「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その5)
●日本の"非日本化"を画策する反日勢力の謀略
自民党の人権問題等調査会(太田誠一会長)が、新しい「人権擁護法案(太田私案)」の骨子をまとめ、推進派の急先鋒、古賀誠選対委員長とともに、党内で意見調整をはかった。
だが、中堅・若手議員から「現在の個別法で対応すべき」「新たな法案は不要」と反対意見が続出、自民党は、今国会への法案提出を断念して、秋の臨時国会まで議論の先送りを余儀なくされた。
五年前、世論や党内の反対をうけて、廃案になり、三年前、自民党内で議論されたときには、議案の再提出にさえいたらなかった「人権擁護法案」が、亡霊のように再登場してきた裏に、反日勢力が結集した謀略が隠されていることを見逃してはならない。
政府与党の自民党が、反日勢力にとりこまれて、国体を危うくしているのである。
謀略とは、日本の"非日本化"で、反日勢力とは、左翼や無国籍主義者、日教組、労働団体のほか、朝鮮総連や在日韓国人・朝鮮人、および、被差別を自称する人々である。
太田誠一がもちだしてきた今回の新しい「人権擁護法案」は、一連の反日法案の強化策として、反日勢力が仕掛けてきた謀略戦といってよい。
【反日主義者による一連の謀略法案】
■皇室典範改悪→国体破壊(万世一系/天皇体制の否定)
■道州制導入→国家システムの解体(国家主権の分断)
■外国人選挙権→政体工作(国民国家の形骸化)
■人権擁護法案→国家機能の無力化(差別撤廃を口実にした言論弾圧)
「人権擁護法案」は、国家や国体、政体を攻撃目標にしている反日勢力が、一般国民・保守陣営の言論に "差別"という烙印をおして、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなおうという言論弾圧である。
このとき、警察権と同様の捜査権をもつのが「国家権力と対置する意見・感覚が必要」(法務省)とされる人権擁護委員会で、かれらの多くは、反日主義者といわれる。
全国に二万人ほどの人権委員は、ほぼ、半数が無職で、何らかの政治活動に従事している。反日的な団体が、メンバーの専任をおこない、差別の対象になる可能性のあるひとを優先しているので、委員は、左翼のプロ市民や組合・労働運動家のほか、部落解放同盟の関係者が少なくなく、しかも、資格要因から国籍条項が外されているため、朝鮮総連や在日韓国・朝鮮人が、多数、ふくまれている。
人権擁護法案は、かれらに、言論弾圧の強権をあたえようという法律である。
人権擁護法が成立すると、人権委員が、皇室典範改悪や道州制導入、外国人選挙権付与に反対する国民や保守論陣の言論を「差別的」と判断しただけで、同委員会が、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなえるようになる。
たとえば、わたしが、自著などに「女性天皇には神武天皇以来の男性Y遺伝子がない」と書き、それが、人権委員会から「女性差別」と認定されると、わたしは<差別主義者>として氏名を公表され、自著は回収後、廃棄処分、出版業界から追放となる仕組みで、そんな法ができたら、マスコミ・出版業界には、左翼と反体制主義者、朝日系の進歩的文化人しか残らなくなってしまうだろう。
ナチスのゲシュタボ、文化大革命の紅衛兵、戦時中の憲兵のような連中が、権力をもった行政委員として、日々、国民を監視し、私生活にまで介入して、人権侵害の申し立てがあれば、法務局に代わって、被疑者に出頭を命じ、取り調べ、個人の"社会的抹殺"という特権までもつ。
しかも、何が差別で、何が人権侵害にあたるかは、すべて、人権委員会の判断にゆだねられるため、被疑者には、抗弁がゆるされない。
いわば、公認された私刑(リンチ)で、治安維持法でも、裁判所の令状が必要だったことを考えると、この人権擁護法は、中世の魔女狩りの再来としかいいようがない。
このとき、容疑をかけられた日本人を取調べ、吊るしあげるのが、外国籍の金日成崇拝者や日本人に恨み骨髄の被差別部落出身者となる可能性も、十分、ありうる。すると、善意の日本人は、じぶんの国にいながら、外国人から弾圧をうけ、あるいは、被差別の怨恨のうさ晴らしにされることになる。
当然、密告が横行するだろう。ある日、とつぜん、「差別的発言をした」として、出頭を命じられるかもしれず、そんな風潮になったら、日本人は、びくびくしながら生きなければならなくなり、和という日本の美風は消え、人心の荒廃は、目もあてられないものとなるだろう。
いままで、問題化していなかった在日韓国・朝鮮人、および、被差別部落にたいする差別意識が増幅して、憎悪になれば、大きな社会問題となる可能性もある。さわらぬ神にタタリなし、ということになれば、かえって、寒々しい差別も生じるだろう。
この法案がとおれば、暗黒のファシズム社会と新たな差別社会が、一挙に、到来することになるが、なぜ、このような暗黒法が、自民党からでてきたのか。
創価学会・池田大作に意向がはたらいているのである。
自民党で、この「人権擁護法案」に賛成しているのは、太田誠一をはじめ、創価学会から票をもらって、当選してきた議員ばかりである。
人権擁護法案を裏で操っているのが、その創価学会を自民党へとりこんだ野中広務である。
野中から自民党幹事長にしてもらった古賀誠、その下の太田誠一が、人権擁護法案の推進しているのは、わが身かわいさのあまりで、「強姦されるほうも悪い」「レイプは元気である証拠」という暴言を吐いて落選した太田誠一は、部落開放同盟に、人権擁護法案の国会提出を約束しているという。
ちなみに、部落開放同盟は、天皇体制が、差別や人権侵害の根源と公言してはばからない反体制の集団で、野中や古賀、太田は、かれらの同調者である。
●国家・国体より差別の怨恨を優先させる野中広務
野中は、大阪大鉄局業務部審査課の主査時代に、同郷の後輩から、被差別部落出身であることを上司にバラされて「一週間、泣きに泣いた」末に、国鉄を辞めたという。
その執念が「人権擁護法案」というわけで、反差別主義の野中に、国家も国体もない。
園部町長時代は、共産党の蜷川京都府知事べったりだったが、田中角栄に目をかけられて府議会議員に当選すると、一転して、自民党と敵対していた蜷川を攻撃して、田中派の国会議員として赤絨緞をふむ。
国会議員になってから、大恩人の角栄を裏切って経世会にくわわり、竹下登が小沢一郎に寝首をかかれ、自民党が野に下ると、野中は、政敵だった社会党の村山富一を首班とする三党連立という奇策をつかって政権を取り返す。
村山内閣で、公安委員長となった野中は、細川連立政の一翼を担った公明党を攻撃、宗教法人法の改正や池田大作の国会喚問をちらつかせ、池田を攻略して、小沢から公明党を奪いとった。
ここから、大物議員でも、池田大作ににらまれると落選する自・公の腐れ縁がはじまった。
国家よりも反差別、天皇より人権の野中が、創価学会を国教にするのが夢という池田大作と組み、反日勢力を結集して、法制化しようというのが「人権擁護法案」で、これがとおるようなことになれば、日本の"非日本化"が、一気にすすむことになる。
現在、年間2万4000件ほどおきている人権侵害事件は、すべて、現行法で処理できており、差別問題も、過剰と思えるほどの法整備と国民的自制で、大きな問題は生じていない。
にもかかわず、二重に、人権擁護法案のような法律をつくろうというのは、人権や差別の新法が、国家機能を無力化という、べつの政治目的をもっているからである。
人権擁護と反差別は、基本的人権にかかわる。この基本的人権は、国家をこえた普遍的な価値というのが、日本国憲法の根幹で、国権といえども、これをこえられない。
反日主義者は、人権と差別をタテに、国家をこえる権力をわがものにすべく、人権擁護法案の立法化に、血眼になっているのである。
日本は、法治国家であるが、法は、元来、国家をこえることができない。
国家主権は、法を超越した権利で、だからこそ、国家は、国家理性によって運営されるのである。
だが、人権擁護法安が成立すると、国民の人権をまもる主体が、国家から市民グループへ移って、国民の人権をまもるという国家主権が、停止する。
反日主義者の狙いが、マスコミ支配を視野にいれた言論弾圧であることはいうをまたないが、裏に隠されている意図は――基本的人権をタテに、国家をこえる権力をもって、日本を改造することにある。
そして、四つの反日法案で、国体・国家システム・政体・国家機能を、反日主義者集団に売り渡そうというのが、創価学会にとりこまれた自民党のすがたなのである。
自民党が反日勢力と手を組む――政治の堕落は、ここに極まったというべきだろう。
自民党の人権問題等調査会(太田誠一会長)が、新しい「人権擁護法案(太田私案)」の骨子をまとめ、推進派の急先鋒、古賀誠選対委員長とともに、党内で意見調整をはかった。
だが、中堅・若手議員から「現在の個別法で対応すべき」「新たな法案は不要」と反対意見が続出、自民党は、今国会への法案提出を断念して、秋の臨時国会まで議論の先送りを余儀なくされた。
五年前、世論や党内の反対をうけて、廃案になり、三年前、自民党内で議論されたときには、議案の再提出にさえいたらなかった「人権擁護法案」が、亡霊のように再登場してきた裏に、反日勢力が結集した謀略が隠されていることを見逃してはならない。
政府与党の自民党が、反日勢力にとりこまれて、国体を危うくしているのである。
謀略とは、日本の"非日本化"で、反日勢力とは、左翼や無国籍主義者、日教組、労働団体のほか、朝鮮総連や在日韓国人・朝鮮人、および、被差別を自称する人々である。
太田誠一がもちだしてきた今回の新しい「人権擁護法案」は、一連の反日法案の強化策として、反日勢力が仕掛けてきた謀略戦といってよい。
【反日主義者による一連の謀略法案】
■皇室典範改悪→国体破壊(万世一系/天皇体制の否定)
■道州制導入→国家システムの解体(国家主権の分断)
■外国人選挙権→政体工作(国民国家の形骸化)
■人権擁護法案→国家機能の無力化(差別撤廃を口実にした言論弾圧)
「人権擁護法案」は、国家や国体、政体を攻撃目標にしている反日勢力が、一般国民・保守陣営の言論に "差別"という烙印をおして、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなおうという言論弾圧である。
このとき、警察権と同様の捜査権をもつのが「国家権力と対置する意見・感覚が必要」(法務省)とされる人権擁護委員会で、かれらの多くは、反日主義者といわれる。
全国に二万人ほどの人権委員は、ほぼ、半数が無職で、何らかの政治活動に従事している。反日的な団体が、メンバーの専任をおこない、差別の対象になる可能性のあるひとを優先しているので、委員は、左翼のプロ市民や組合・労働運動家のほか、部落解放同盟の関係者が少なくなく、しかも、資格要因から国籍条項が外されているため、朝鮮総連や在日韓国・朝鮮人が、多数、ふくまれている。
人権擁護法案は、かれらに、言論弾圧の強権をあたえようという法律である。
人権擁護法が成立すると、人権委員が、皇室典範改悪や道州制導入、外国人選挙権付与に反対する国民や保守論陣の言論を「差別的」と判断しただけで、同委員会が、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなえるようになる。
たとえば、わたしが、自著などに「女性天皇には神武天皇以来の男性Y遺伝子がない」と書き、それが、人権委員会から「女性差別」と認定されると、わたしは<差別主義者>として氏名を公表され、自著は回収後、廃棄処分、出版業界から追放となる仕組みで、そんな法ができたら、マスコミ・出版業界には、左翼と反体制主義者、朝日系の進歩的文化人しか残らなくなってしまうだろう。
ナチスのゲシュタボ、文化大革命の紅衛兵、戦時中の憲兵のような連中が、権力をもった行政委員として、日々、国民を監視し、私生活にまで介入して、人権侵害の申し立てがあれば、法務局に代わって、被疑者に出頭を命じ、取り調べ、個人の"社会的抹殺"という特権までもつ。
しかも、何が差別で、何が人権侵害にあたるかは、すべて、人権委員会の判断にゆだねられるため、被疑者には、抗弁がゆるされない。
いわば、公認された私刑(リンチ)で、治安維持法でも、裁判所の令状が必要だったことを考えると、この人権擁護法は、中世の魔女狩りの再来としかいいようがない。
このとき、容疑をかけられた日本人を取調べ、吊るしあげるのが、外国籍の金日成崇拝者や日本人に恨み骨髄の被差別部落出身者となる可能性も、十分、ありうる。すると、善意の日本人は、じぶんの国にいながら、外国人から弾圧をうけ、あるいは、被差別の怨恨のうさ晴らしにされることになる。
当然、密告が横行するだろう。ある日、とつぜん、「差別的発言をした」として、出頭を命じられるかもしれず、そんな風潮になったら、日本人は、びくびくしながら生きなければならなくなり、和という日本の美風は消え、人心の荒廃は、目もあてられないものとなるだろう。
いままで、問題化していなかった在日韓国・朝鮮人、および、被差別部落にたいする差別意識が増幅して、憎悪になれば、大きな社会問題となる可能性もある。さわらぬ神にタタリなし、ということになれば、かえって、寒々しい差別も生じるだろう。
この法案がとおれば、暗黒のファシズム社会と新たな差別社会が、一挙に、到来することになるが、なぜ、このような暗黒法が、自民党からでてきたのか。
創価学会・池田大作に意向がはたらいているのである。
自民党で、この「人権擁護法案」に賛成しているのは、太田誠一をはじめ、創価学会から票をもらって、当選してきた議員ばかりである。
人権擁護法案を裏で操っているのが、その創価学会を自民党へとりこんだ野中広務である。
野中から自民党幹事長にしてもらった古賀誠、その下の太田誠一が、人権擁護法案の推進しているのは、わが身かわいさのあまりで、「強姦されるほうも悪い」「レイプは元気である証拠」という暴言を吐いて落選した太田誠一は、部落開放同盟に、人権擁護法案の国会提出を約束しているという。
ちなみに、部落開放同盟は、天皇体制が、差別や人権侵害の根源と公言してはばからない反体制の集団で、野中や古賀、太田は、かれらの同調者である。
●国家・国体より差別の怨恨を優先させる野中広務
野中は、大阪大鉄局業務部審査課の主査時代に、同郷の後輩から、被差別部落出身であることを上司にバラされて「一週間、泣きに泣いた」末に、国鉄を辞めたという。
その執念が「人権擁護法案」というわけで、反差別主義の野中に、国家も国体もない。
園部町長時代は、共産党の蜷川京都府知事べったりだったが、田中角栄に目をかけられて府議会議員に当選すると、一転して、自民党と敵対していた蜷川を攻撃して、田中派の国会議員として赤絨緞をふむ。
国会議員になってから、大恩人の角栄を裏切って経世会にくわわり、竹下登が小沢一郎に寝首をかかれ、自民党が野に下ると、野中は、政敵だった社会党の村山富一を首班とする三党連立という奇策をつかって政権を取り返す。
村山内閣で、公安委員長となった野中は、細川連立政の一翼を担った公明党を攻撃、宗教法人法の改正や池田大作の国会喚問をちらつかせ、池田を攻略して、小沢から公明党を奪いとった。
ここから、大物議員でも、池田大作ににらまれると落選する自・公の腐れ縁がはじまった。
国家よりも反差別、天皇より人権の野中が、創価学会を国教にするのが夢という池田大作と組み、反日勢力を結集して、法制化しようというのが「人権擁護法案」で、これがとおるようなことになれば、日本の"非日本化"が、一気にすすむことになる。
現在、年間2万4000件ほどおきている人権侵害事件は、すべて、現行法で処理できており、差別問題も、過剰と思えるほどの法整備と国民的自制で、大きな問題は生じていない。
にもかかわず、二重に、人権擁護法案のような法律をつくろうというのは、人権や差別の新法が、国家機能を無力化という、べつの政治目的をもっているからである。
人権擁護と反差別は、基本的人権にかかわる。この基本的人権は、国家をこえた普遍的な価値というのが、日本国憲法の根幹で、国権といえども、これをこえられない。
反日主義者は、人権と差別をタテに、国家をこえる権力をわがものにすべく、人権擁護法案の立法化に、血眼になっているのである。
日本は、法治国家であるが、法は、元来、国家をこえることができない。
国家主権は、法を超越した権利で、だからこそ、国家は、国家理性によって運営されるのである。
だが、人権擁護法安が成立すると、国民の人権をまもる主体が、国家から市民グループへ移って、国民の人権をまもるという国家主権が、停止する。
反日主義者の狙いが、マスコミ支配を視野にいれた言論弾圧であることはいうをまたないが、裏に隠されている意図は――基本的人権をタテに、国家をこえる権力をもって、日本を改造することにある。
そして、四つの反日法案で、国体・国家システム・政体・国家機能を、反日主義者集団に売り渡そうというのが、創価学会にとりこまれた自民党のすがたなのである。
自民党が反日勢力と手を組む――政治の堕落は、ここに極まったというべきだろう。
2008年06月19日
「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その4)
●「東京裁判史観」と「自虐史観」は歴史の断絶
東京裁判史観と自虐史観は、一対になっている。
前者が「日本は、侵略戦争をおこなったので、戦犯処刑や都市空襲、原爆投下は当然の報い」というプロパガンダで、後者は、細川護煕・村山富一の戦争責任談話、宮沢喜一の「近隣諸国条項」に象徴される「日本は、アジアに侵略戦争をしかけたので、その咎を負わねばならない」という歴史上の事実誤認である。
戦勝国から完膚なきまでに叩きのめされた敗戦国が、正気を失い、戦後、半世紀以上もへて、なお、アメリカやアジアに平伏しているのが、現在の日本のすがたなのである。
なぜ、そのような意気地なしになってしまったのか。
理由は、三つ、考えられる。
一つは、戦死や要人追放、財閥解体などで、気骨のある日本人がすくなくなっていたたこと。
二つ目は、敗戦革命によって、歴史の連続性が断ち切られたこと。
三つ目は、戦時中、国家総動員法や統制経済をおこなった革新官僚が、戦後、左翼的なGHQの官僚になり、そのまま、霞ヶ関に居座ったことである。
だが、それだけの理由で、日本人が、これほどだらしなくなるものであろうか。
むろん、別に、理由があった。
東京裁判に、国家分断のワナが、仕掛けられていたのである。
「悪いのは、侵略戦争を指導した軍の一部で、一般国民は被害者だった」というテーゼが、それである。
くわえて、天皇が、戦争責任を免れた。予想していたより温和だったGHQ政策とアメリカ民主主義にふれて、いつのまにか、日本人は、「じぶんたちは軍部にダマされていた――われわれは、軍国主義の被害者だった」という、思考パターンに陥った。
GHQが仕掛けてきた思想戦に、一発で、KO負けを喫してしまったのである。
戦後、日本人が、物質的満足にしか関心をむけないエコノミック・アニマルになってしまったのは、軍事力・占領・思想戦(戦争における勝利の三原則)に、徹底的に敗北したからで、その思想戦の仕上げが、「国の指導者からダマされていた国民に罪はない」という免罪符だった。
その結果、何がおきたかといえば、「歴史の断絶」と「過去の否定」だった。
ダマされていた、ということは、悪いのは過去の体制ということになる。
東京裁判が閉廷した日、朝日新聞は「お役目ご苦労様」と書いた。日本の戦争指導者を処刑したGHQをねぎらったのである。歴史の連続性が断たれていなければ、できない芸当である。
東京裁判史観の弊害は、日本が、侵略戦争をおこなったという罪意識ではなく、一般の日本人が、指導者にダマされていたとする被害者意識である。
それに気づかせてくれたのがGHQなので、戦後日本人にとって、GHQは、恩人ということになる。
GHQを解放軍と見立てた日本共産党は、GHQの建物の前で万歳三唱をしたが、多くの日本人も、そのトリックにひっかかって、過去を見限って、アメリカ民主主義にとびついた。
それでは、GHQがもちこんできたアメリカ民主主義とは、何だったのか。
かぎりなく、共産主義に近い人民民主主義だった。
GHQは、ニューディーラーの集団だった。
「赤狩り」のマッカーシズム旋風で、ニューディールの推進者だったルーズベルト(当時はすでに死亡)一派が一網打尽にされたことからもわかるように、ニューディーラーは、大半が、共産主義思想の持ち主だった。
だからこそ、GHQの対日敗戦処理が左翼的で、かれらがおしつけてきた憲法が、あれほど左翼的だったのである。
サンフランシスコ講和条約が成って、GHQは去った。だが、左翼的な体制は残った。
この体制をまもろうするのが、護憲派で、その代表が日本共産党である。
GHQを解放軍として迎えた日本共産党が、GHQがつくった憲法をまもろうとするのは、筋がとおっている。ニューディーラーが、かぎりなく、共産主義に近かったからだが、そのニューディーラーは、アメリカで退治された。
マッカーシズムによって、アメリカは、正気にもどった。
だから、日本共産党は、かつて、解放軍と見立てたアメリカを、こんどは「米帝」と罵るのである。
サンフランシスコ講和条約のとき、日本でも、マッカーシズム旋風が吹き荒れていれば、真っ先に憲法が改正されて、東京裁判史観・自虐史観などでてくる余地はなかっただろう。
だが、軍隊や国家主義に嫌悪感をもっていた吉田茂に、戦後体制と憲法をかえる気はなかった。安全保障はアメリカにまかせて、日本は、経済発展だけに専念しようというのである。
「東京裁判史観」と「自虐史観」は戦後の日本人がつくった――というのは、この国家否定の思想は、吉田ドクトリンのもとで、GHQが敷いた左翼化路線をまっしぐらにすすんできた必然的な結果だからである。
労働・組合運動による資本主義精神の破壊と日教組による教育破壊、左翼マスコミによる世論操作――この三つで、国家の背骨は、ガタガタになる。
その路線を敷いたのが、日本の大改造をはかったGHQだったのはいうまでもない。
だが、これらの歴史や文化の破壊は、GHQのもとで、すすめられたわけではない。
GHQ改革は、短期間で収束して、言論弾圧や神道指令も、早々に、解除された。
そして、昭和27年のサンフランシスコ講和条約のあと、アメリカへ帰っていった。
昭和三十年の前半までは、戦前の日本が残っていた。どこの家も国旗をもち、祝日には、玄関に日の丸が掲げた。アメリカを悪玉にした戦争マンガ(ゼロ戦はやとなど)が人気を博し、皇国史観を題材にした映画(日本誕生/1959年)もヒットした。
当時、東京裁判史観や自虐史観は、影も形もなかった。
昭和40年代後半になって、国歌や国旗を排撃する風潮、皇国史観を否定する流れが生じたのは、戦前の日本人が第一線から去り、いれかわって、戦後のGHQ世代が社会のリーダーとなったからである。
すでに、日教組や組合・労働団体、社会党・共産党、左翼マスコミなどが大きな力をもっていた。
かれらと、戦後世代が、冷戦下、平和主義と経済発展の二大車輪をおして日本の戦後をつくった。
戦後のGHQ世代は、戦前からの歴史の連続線を継承していない。
歴史をもたない戦後世代が、ためらうことなく、GHQが敷いた左翼化路線にのったのが、小泉純一郎に代表される改革主義で、小泉は、首相在任中、万世一系を否定する皇室典範の改悪をはかった。
GHQが蒔いたタネが、長い潜伏期をへて、発芽したのである。
わたしは、戦後日本の思想的混迷の原因が、GHQの置きみやげにあるという認識をもっている。
国体にたいする危機感も、そこから、でてくる。
歴史の連続性が断たれているので、皇室典範の改悪や道州制の導入、外国人参政権の付与という、国家・国体の根幹をゆるがす法案が、何の抵抗もなく、保守党から発議されるのである。
かれらと議論して、痛感するのが、国体感覚の欠如である。
道州制をすすめている政府委員会の代表に「天皇体制をどう担保するのか」とたずねたが、かれから明快な答えは返ってこなかった。
アメリカ民主主義の枠内で考えているので、国体にまで、考えがおよばないのである。
アメリカ民主主義は、一方が社会主義の顔で、一方の顔は、経済功利主義(新自由主義)である。
いったい、どのくらいのひとが、日本の改革が、GHQ改革の焼き直しということに気づいているであろうか。
東京裁判史観と自虐史観は、一対になっている。
前者が「日本は、侵略戦争をおこなったので、戦犯処刑や都市空襲、原爆投下は当然の報い」というプロパガンダで、後者は、細川護煕・村山富一の戦争責任談話、宮沢喜一の「近隣諸国条項」に象徴される「日本は、アジアに侵略戦争をしかけたので、その咎を負わねばならない」という歴史上の事実誤認である。
戦勝国から完膚なきまでに叩きのめされた敗戦国が、正気を失い、戦後、半世紀以上もへて、なお、アメリカやアジアに平伏しているのが、現在の日本のすがたなのである。
なぜ、そのような意気地なしになってしまったのか。
理由は、三つ、考えられる。
一つは、戦死や要人追放、財閥解体などで、気骨のある日本人がすくなくなっていたたこと。
二つ目は、敗戦革命によって、歴史の連続性が断ち切られたこと。
三つ目は、戦時中、国家総動員法や統制経済をおこなった革新官僚が、戦後、左翼的なGHQの官僚になり、そのまま、霞ヶ関に居座ったことである。
だが、それだけの理由で、日本人が、これほどだらしなくなるものであろうか。
むろん、別に、理由があった。
東京裁判に、国家分断のワナが、仕掛けられていたのである。
「悪いのは、侵略戦争を指導した軍の一部で、一般国民は被害者だった」というテーゼが、それである。
くわえて、天皇が、戦争責任を免れた。予想していたより温和だったGHQ政策とアメリカ民主主義にふれて、いつのまにか、日本人は、「じぶんたちは軍部にダマされていた――われわれは、軍国主義の被害者だった」という、思考パターンに陥った。
GHQが仕掛けてきた思想戦に、一発で、KO負けを喫してしまったのである。
戦後、日本人が、物質的満足にしか関心をむけないエコノミック・アニマルになってしまったのは、軍事力・占領・思想戦(戦争における勝利の三原則)に、徹底的に敗北したからで、その思想戦の仕上げが、「国の指導者からダマされていた国民に罪はない」という免罪符だった。
その結果、何がおきたかといえば、「歴史の断絶」と「過去の否定」だった。
ダマされていた、ということは、悪いのは過去の体制ということになる。
東京裁判が閉廷した日、朝日新聞は「お役目ご苦労様」と書いた。日本の戦争指導者を処刑したGHQをねぎらったのである。歴史の連続性が断たれていなければ、できない芸当である。
東京裁判史観の弊害は、日本が、侵略戦争をおこなったという罪意識ではなく、一般の日本人が、指導者にダマされていたとする被害者意識である。
それに気づかせてくれたのがGHQなので、戦後日本人にとって、GHQは、恩人ということになる。
GHQを解放軍と見立てた日本共産党は、GHQの建物の前で万歳三唱をしたが、多くの日本人も、そのトリックにひっかかって、過去を見限って、アメリカ民主主義にとびついた。
それでは、GHQがもちこんできたアメリカ民主主義とは、何だったのか。
かぎりなく、共産主義に近い人民民主主義だった。
GHQは、ニューディーラーの集団だった。
「赤狩り」のマッカーシズム旋風で、ニューディールの推進者だったルーズベルト(当時はすでに死亡)一派が一網打尽にされたことからもわかるように、ニューディーラーは、大半が、共産主義思想の持ち主だった。
だからこそ、GHQの対日敗戦処理が左翼的で、かれらがおしつけてきた憲法が、あれほど左翼的だったのである。
サンフランシスコ講和条約が成って、GHQは去った。だが、左翼的な体制は残った。
この体制をまもろうするのが、護憲派で、その代表が日本共産党である。
GHQを解放軍として迎えた日本共産党が、GHQがつくった憲法をまもろうとするのは、筋がとおっている。ニューディーラーが、かぎりなく、共産主義に近かったからだが、そのニューディーラーは、アメリカで退治された。
マッカーシズムによって、アメリカは、正気にもどった。
だから、日本共産党は、かつて、解放軍と見立てたアメリカを、こんどは「米帝」と罵るのである。
サンフランシスコ講和条約のとき、日本でも、マッカーシズム旋風が吹き荒れていれば、真っ先に憲法が改正されて、東京裁判史観・自虐史観などでてくる余地はなかっただろう。
だが、軍隊や国家主義に嫌悪感をもっていた吉田茂に、戦後体制と憲法をかえる気はなかった。安全保障はアメリカにまかせて、日本は、経済発展だけに専念しようというのである。
「東京裁判史観」と「自虐史観」は戦後の日本人がつくった――というのは、この国家否定の思想は、吉田ドクトリンのもとで、GHQが敷いた左翼化路線をまっしぐらにすすんできた必然的な結果だからである。
労働・組合運動による資本主義精神の破壊と日教組による教育破壊、左翼マスコミによる世論操作――この三つで、国家の背骨は、ガタガタになる。
その路線を敷いたのが、日本の大改造をはかったGHQだったのはいうまでもない。
だが、これらの歴史や文化の破壊は、GHQのもとで、すすめられたわけではない。
GHQ改革は、短期間で収束して、言論弾圧や神道指令も、早々に、解除された。
そして、昭和27年のサンフランシスコ講和条約のあと、アメリカへ帰っていった。
昭和三十年の前半までは、戦前の日本が残っていた。どこの家も国旗をもち、祝日には、玄関に日の丸が掲げた。アメリカを悪玉にした戦争マンガ(ゼロ戦はやとなど)が人気を博し、皇国史観を題材にした映画(日本誕生/1959年)もヒットした。
当時、東京裁判史観や自虐史観は、影も形もなかった。
昭和40年代後半になって、国歌や国旗を排撃する風潮、皇国史観を否定する流れが生じたのは、戦前の日本人が第一線から去り、いれかわって、戦後のGHQ世代が社会のリーダーとなったからである。
すでに、日教組や組合・労働団体、社会党・共産党、左翼マスコミなどが大きな力をもっていた。
かれらと、戦後世代が、冷戦下、平和主義と経済発展の二大車輪をおして日本の戦後をつくった。
戦後のGHQ世代は、戦前からの歴史の連続線を継承していない。
歴史をもたない戦後世代が、ためらうことなく、GHQが敷いた左翼化路線にのったのが、小泉純一郎に代表される改革主義で、小泉は、首相在任中、万世一系を否定する皇室典範の改悪をはかった。
GHQが蒔いたタネが、長い潜伏期をへて、発芽したのである。
わたしは、戦後日本の思想的混迷の原因が、GHQの置きみやげにあるという認識をもっている。
国体にたいする危機感も、そこから、でてくる。
歴史の連続性が断たれているので、皇室典範の改悪や道州制の導入、外国人参政権の付与という、国家・国体の根幹をゆるがす法案が、何の抵抗もなく、保守党から発議されるのである。
かれらと議論して、痛感するのが、国体感覚の欠如である。
道州制をすすめている政府委員会の代表に「天皇体制をどう担保するのか」とたずねたが、かれから明快な答えは返ってこなかった。
アメリカ民主主義の枠内で考えているので、国体にまで、考えがおよばないのである。
アメリカ民主主義は、一方が社会主義の顔で、一方の顔は、経済功利主義(新自由主義)である。
いったい、どのくらいのひとが、日本の改革が、GHQ改革の焼き直しということに気づいているであろうか。
2008年06月16日
「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その3)
●日本国憲法は、なぜ、"無国籍"なのか
かつて、反日主義といえば、日本共産党や旧社会党の党員、あるいは、労働運動家などのマルクス主義者と相場がきまっていた。
日本共産党は、1955年の六全協まで、旧ソ連共産党国際部(コミンテルン)からの指令で、暴力革命と天皇制(日本共産党の用語)の打倒をめざしていた。その日本共産党を頂点とする左翼が、日本の国体や歴史、文化や道徳を目の敵にするのは、わからないではない。
ところが、ベルリン崩壊(1989年)以降、保守系政党や非共産主義陣営に、自虐史観派や媚中派など、反日的言動をとる政治家が、めだってふえてきた。
自民党では、野中広務や河野洋平、加藤紘一、古賀誠、山崎拓らがその筆頭だが、民主党にいたっては、菅原直人や岡田克也ら、党員の大半が、反日主義者といってよいほどである。
共産主義という天敵が消えたため、ホンネがでてきたのだとしたら、かれらは、もともと、保守政治家ではなかったことになる。
かといって、共産主義者ではない。
それでは、かれらが拠って立つ基盤は、どこにあるのか。
その謎をとくカギは、加藤紘一が、しばしば、口にする"世界市民"ということばである。
世界市民は、共産主義インターナショナルにつうじるキーワードで、国家を超えた連帯を意味する。
世界の労働者が団結して、資本主義を倒そうというのである。
その根底に、無国籍性(コスモポリタニズム)があるのは、いうまでもない。
共産主義と反日主義は、ともに、国家の否定という共通項をもっていたのである。
そのコスモポリタニスト(反日主義者)が、支持をよせるのが極東軍事裁判と日本国憲法である。
そこで、日本国憲法をひらいてみると、無国籍条項(=国家の不在)のオンパレードである。
「主権が国民に存することを宣言」(前文)「天皇は日本国民統合の象徴――この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」(第一条)「国権の発動たる戦争と国の交戦権、陸海空軍の永久放棄」(第九条)
と、まず、国家主権が否定され、その次に――。
「何ものも侵すことのできない永久=権利基本的人権」(第十一条)「思想及び良心の自由」(第十九条)「信教の自由」(第二十条)「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(第二十一条)「居住、移転及び職業選択の自由」(第二十二条)「学問の自由」(第二十三条)「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」(第二十八条)「財産権の保護」(第二十九条)「生命や自由を奪われない自由」(第三十一条)
と、国民に、国家を抜きに、あらゆる権利を保証して――。
「憲法改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成と国民投票における過半数の支持を必要とする」(第九十六条)「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(第九十八条)
と、最後に、この憲法が不磨の大典で、天皇や国会の上位あると宣言している。
そして「日本国民たる要件は法律で定める」(第十条)と、日本人であることが、国家や国体を離れて、条文にすぎない法にゆだねられる。
日本の国体や歴史、文化、道徳など、歴史の連続性をしめす文言は、一行もない。
一方で、無国籍者でも、法にしたがってさえいれば、世界市民として、人間としてのあらゆる権利を享受できる――というのが日本国憲法で、これでは、日本人に、コスモポリタンになるようにすすめているようなものである。
日本国憲法をつくったのは、GHQだが、かれらの正体がニューディーラーと呼ばれる左翼だったことは、あまり、知られていない。
ニューディール(新規まき直し)というのは、F・ルーズベルト大統領がとった共産主義政策のことで、戦後、このニューディール政策にかかわったルーズベルトのスタッフは、GHQの幹部をふくめて、マッカーシーの「非米活動調査委員会」(赤狩り)の告発によって失脚、多くが、海外へ逃亡している。
終戦前に急死したルーズベルトは別として、非米活動調査委員会がルーズベルトの政策をすすめたスタッフを糾弾したのは、ニューディーラーが、共産主義者だったからである。
それで、ニューディーラーだったGHQが、日本に国家主権を否定した無国籍憲法をおしつけた理由がわかろうというものである。
反資本主義的な「農業調整法」「産業復興法」などを次々に成立させたほか、最低賃金の規定や労働者の団体交渉権をみとめるなど、ルーズベルトは、連邦最高裁から憲法違反の判決を下されるまで、共産主義的政策をおしすすめた。
共産主義者のルーズベルトが、四回も大統領選に勝利できたのは、32人の歴代大統領が残した累積赤字をこえる200万ドルの財政赤字をつくって、票田である労働者階級に大盤振る舞いしたからだけではない。
金融・産業・マスコミを牛耳る在米ユダヤ人社会から、熱烈な支持をうけたのである。
なぜ、ユダヤ人が、ルーズベルトを支持したのか。
ルーズベルトが、1649年、オランダから、当時、ニューアムステルダムと呼ばれていたニューヨークへ移住したローゼンフェルト家を先祖とするユダヤ人だったからである。
ルーズベルトがユダヤ人だったことと、ニューディール政策と対独参戦、GHQによる対日戦後処理は、一本の線でつながっている。
対独参戦が、ユダヤ人のジェノサイド計画をすすめていたヒトラーを倒すためだったのは、いうまでもない。だが、ニューディール政策とGHQによる対日戦後処理が、ルーズベルトがユダヤ人だったことと、どうつながるのか、近現代史からは、何も見えてこない。
ルーズベルト大統領のブレーンで、日本の戦後処理立案に参画したユダヤ人、モルデカイ・モーゼによると、共産主義は、祖国をもたないユダヤ人解放のため、ユダヤ教の「メシア思想」をベースに、マルクスがつくりあげたデッチ上げだったという。
ユダヤ教の歴史観は、エデンの園で犯した原罪のため堕落した人間は、最後の審判で、善人と悪人が分かたれて、善人だけが神の国へ行く。
ユダヤ人のマルクスは、原始共産制をエデンの園に見立てて、資本主義という堕落した社会は、やがて、階級闘争と革命という最後の審判によって断ち切られて、プロレタリアだけが、この世の勝者となるというストーリーをつくった。
共産主義の話は、別の機会にゆずって、今回は、ニューディーラーがつくった日本国憲法である。
GHQで、日本国憲法の作成を指揮したのは、ルーズベルト政府の下で労働問題を担当していたケーディスである。
ユダヤ人の共産主義者で、日本の憲法に、自由と平等をもちこむと、国が滅びるということは、百も承知だった。主権在民と国家主権の否定というダメもおしてあるので、日本国は、早晩、三流国に転落するはずだった。
ユダヤの理想は、国権なき国家で、それなら、ユダヤ人も安心して暮らせる。
ユダヤ人は、国家の代わりに、ユダヤ教と「タルムード」という伝統的な民族の宝典をもっており、才能も金儲けの技術にも長けている。あとは、市民としての権利、安全さえ手にはいれば、ほかは、何も必要がなかった。
そこで、日本国憲法をよく見ると、無国籍のユダヤ人にとって、都合のよいことばかり書かれていることに気がつく。
義務は、納税くらいなもので、あとは、権利や自由と平等ばかりである。
しかも、それらは、国家ではなく、法の下で、保証される。
モルデカイ・モーゼは、自由と平等が、国家を解体させる"毒"だという。
自由と平等は、相容れないので、民主主義という虚構を立てなければならない。
ところが、民主主義もデモクラシーは、専制政体にかわる民主政体、あるいは、選挙や多数決のことにすぎず、個人に民主の特典があたえられるわけではない。
憲法に、民主主義の文字がないのも、実体がないからである。
したがって、民主主義を個人の権利と心得違いをすると、摩擦が生じて、国力が弱まる。
日本の平和憲法には、ヒナ型がある。史上、もっとも民主的だったといわれるワイマール憲法である。
つくったのは、ユダヤ人で内相も務めたフーゴ・プロイス以下3名のユダヤ人である。
このワイマール憲法も、自由と平等がふんだんにもりこまれて、ユダヤ人にとって、居心地がよいものであった。
ところが、ナチスのゲッベルス宣伝相は、ユダヤ勢力から仕掛けられた「人間獣化計画」だとして、このワイマール憲法を、事実上、廃棄する。
ゲッベルスが「人間獣化計画」に挙げたのが、次の19項目である。
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定――
日本の左翼は、ヘーワ憲法を世界に輸出しようという。
だが、ドイツ人は、ヘーワ憲法のオリジナル版だったワイマール憲法のいかがわしさを見抜き、これに猛反発して、その結果、ナチス・ヒトラーの台頭をまねいた。
日本とドイツのこの大きなちがいについて、モルデカイ・モーゼは「日本人は、あまりにも、ユダヤ人を知らなすぎた」とのべている。
次回も、ひきつづいて、同じテーマで、のべることにしよう。
かつて、反日主義といえば、日本共産党や旧社会党の党員、あるいは、労働運動家などのマルクス主義者と相場がきまっていた。
日本共産党は、1955年の六全協まで、旧ソ連共産党国際部(コミンテルン)からの指令で、暴力革命と天皇制(日本共産党の用語)の打倒をめざしていた。その日本共産党を頂点とする左翼が、日本の国体や歴史、文化や道徳を目の敵にするのは、わからないではない。
ところが、ベルリン崩壊(1989年)以降、保守系政党や非共産主義陣営に、自虐史観派や媚中派など、反日的言動をとる政治家が、めだってふえてきた。
自民党では、野中広務や河野洋平、加藤紘一、古賀誠、山崎拓らがその筆頭だが、民主党にいたっては、菅原直人や岡田克也ら、党員の大半が、反日主義者といってよいほどである。
共産主義という天敵が消えたため、ホンネがでてきたのだとしたら、かれらは、もともと、保守政治家ではなかったことになる。
かといって、共産主義者ではない。
それでは、かれらが拠って立つ基盤は、どこにあるのか。
その謎をとくカギは、加藤紘一が、しばしば、口にする"世界市民"ということばである。
世界市民は、共産主義インターナショナルにつうじるキーワードで、国家を超えた連帯を意味する。
世界の労働者が団結して、資本主義を倒そうというのである。
その根底に、無国籍性(コスモポリタニズム)があるのは、いうまでもない。
共産主義と反日主義は、ともに、国家の否定という共通項をもっていたのである。
そのコスモポリタニスト(反日主義者)が、支持をよせるのが極東軍事裁判と日本国憲法である。
そこで、日本国憲法をひらいてみると、無国籍条項(=国家の不在)のオンパレードである。
「主権が国民に存することを宣言」(前文)「天皇は日本国民統合の象徴――この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」(第一条)「国権の発動たる戦争と国の交戦権、陸海空軍の永久放棄」(第九条)
と、まず、国家主権が否定され、その次に――。
「何ものも侵すことのできない永久=権利基本的人権」(第十一条)「思想及び良心の自由」(第十九条)「信教の自由」(第二十条)「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(第二十一条)「居住、移転及び職業選択の自由」(第二十二条)「学問の自由」(第二十三条)「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」(第二十八条)「財産権の保護」(第二十九条)「生命や自由を奪われない自由」(第三十一条)
と、国民に、国家を抜きに、あらゆる権利を保証して――。
「憲法改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成と国民投票における過半数の支持を必要とする」(第九十六条)「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(第九十八条)
と、最後に、この憲法が不磨の大典で、天皇や国会の上位あると宣言している。
そして「日本国民たる要件は法律で定める」(第十条)と、日本人であることが、国家や国体を離れて、条文にすぎない法にゆだねられる。
日本の国体や歴史、文化、道徳など、歴史の連続性をしめす文言は、一行もない。
一方で、無国籍者でも、法にしたがってさえいれば、世界市民として、人間としてのあらゆる権利を享受できる――というのが日本国憲法で、これでは、日本人に、コスモポリタンになるようにすすめているようなものである。
日本国憲法をつくったのは、GHQだが、かれらの正体がニューディーラーと呼ばれる左翼だったことは、あまり、知られていない。
ニューディール(新規まき直し)というのは、F・ルーズベルト大統領がとった共産主義政策のことで、戦後、このニューディール政策にかかわったルーズベルトのスタッフは、GHQの幹部をふくめて、マッカーシーの「非米活動調査委員会」(赤狩り)の告発によって失脚、多くが、海外へ逃亡している。
終戦前に急死したルーズベルトは別として、非米活動調査委員会がルーズベルトの政策をすすめたスタッフを糾弾したのは、ニューディーラーが、共産主義者だったからである。
それで、ニューディーラーだったGHQが、日本に国家主権を否定した無国籍憲法をおしつけた理由がわかろうというものである。
反資本主義的な「農業調整法」「産業復興法」などを次々に成立させたほか、最低賃金の規定や労働者の団体交渉権をみとめるなど、ルーズベルトは、連邦最高裁から憲法違反の判決を下されるまで、共産主義的政策をおしすすめた。
共産主義者のルーズベルトが、四回も大統領選に勝利できたのは、32人の歴代大統領が残した累積赤字をこえる200万ドルの財政赤字をつくって、票田である労働者階級に大盤振る舞いしたからだけではない。
金融・産業・マスコミを牛耳る在米ユダヤ人社会から、熱烈な支持をうけたのである。
なぜ、ユダヤ人が、ルーズベルトを支持したのか。
ルーズベルトが、1649年、オランダから、当時、ニューアムステルダムと呼ばれていたニューヨークへ移住したローゼンフェルト家を先祖とするユダヤ人だったからである。
ルーズベルトがユダヤ人だったことと、ニューディール政策と対独参戦、GHQによる対日戦後処理は、一本の線でつながっている。
対独参戦が、ユダヤ人のジェノサイド計画をすすめていたヒトラーを倒すためだったのは、いうまでもない。だが、ニューディール政策とGHQによる対日戦後処理が、ルーズベルトがユダヤ人だったことと、どうつながるのか、近現代史からは、何も見えてこない。
ルーズベルト大統領のブレーンで、日本の戦後処理立案に参画したユダヤ人、モルデカイ・モーゼによると、共産主義は、祖国をもたないユダヤ人解放のため、ユダヤ教の「メシア思想」をベースに、マルクスがつくりあげたデッチ上げだったという。
ユダヤ教の歴史観は、エデンの園で犯した原罪のため堕落した人間は、最後の審判で、善人と悪人が分かたれて、善人だけが神の国へ行く。
ユダヤ人のマルクスは、原始共産制をエデンの園に見立てて、資本主義という堕落した社会は、やがて、階級闘争と革命という最後の審判によって断ち切られて、プロレタリアだけが、この世の勝者となるというストーリーをつくった。
共産主義の話は、別の機会にゆずって、今回は、ニューディーラーがつくった日本国憲法である。
GHQで、日本国憲法の作成を指揮したのは、ルーズベルト政府の下で労働問題を担当していたケーディスである。
ユダヤ人の共産主義者で、日本の憲法に、自由と平等をもちこむと、国が滅びるということは、百も承知だった。主権在民と国家主権の否定というダメもおしてあるので、日本国は、早晩、三流国に転落するはずだった。
ユダヤの理想は、国権なき国家で、それなら、ユダヤ人も安心して暮らせる。
ユダヤ人は、国家の代わりに、ユダヤ教と「タルムード」という伝統的な民族の宝典をもっており、才能も金儲けの技術にも長けている。あとは、市民としての権利、安全さえ手にはいれば、ほかは、何も必要がなかった。
そこで、日本国憲法をよく見ると、無国籍のユダヤ人にとって、都合のよいことばかり書かれていることに気がつく。
義務は、納税くらいなもので、あとは、権利や自由と平等ばかりである。
しかも、それらは、国家ではなく、法の下で、保証される。
モルデカイ・モーゼは、自由と平等が、国家を解体させる"毒"だという。
自由と平等は、相容れないので、民主主義という虚構を立てなければならない。
ところが、民主主義もデモクラシーは、専制政体にかわる民主政体、あるいは、選挙や多数決のことにすぎず、個人に民主の特典があたえられるわけではない。
憲法に、民主主義の文字がないのも、実体がないからである。
したがって、民主主義を個人の権利と心得違いをすると、摩擦が生じて、国力が弱まる。
日本の平和憲法には、ヒナ型がある。史上、もっとも民主的だったといわれるワイマール憲法である。
つくったのは、ユダヤ人で内相も務めたフーゴ・プロイス以下3名のユダヤ人である。
このワイマール憲法も、自由と平等がふんだんにもりこまれて、ユダヤ人にとって、居心地がよいものであった。
ところが、ナチスのゲッベルス宣伝相は、ユダヤ勢力から仕掛けられた「人間獣化計画」だとして、このワイマール憲法を、事実上、廃棄する。
ゲッベルスが「人間獣化計画」に挙げたのが、次の19項目である。
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定――
日本の左翼は、ヘーワ憲法を世界に輸出しようという。
だが、ドイツ人は、ヘーワ憲法のオリジナル版だったワイマール憲法のいかがわしさを見抜き、これに猛反発して、その結果、ナチス・ヒトラーの台頭をまねいた。
日本とドイツのこの大きなちがいについて、モルデカイ・モーゼは「日本人は、あまりにも、ユダヤ人を知らなすぎた」とのべている。
次回も、ひきつづいて、同じテーマで、のべることにしよう。
2008年06月06日
保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(25)
●<国家三原則>に反する外国人参政権
国家には、ゆるがせにできないものが、三つある。
「主権」「国是」「国体」の<国家三原則>である。
国家主権は、交戦権に代表される独立国家の象徴で、国是は、自国の利益をすべてに最優先する国家理性である。国体は、歴史や伝統、文化や民族性などに根ざしている国のかたちで、日本では、天皇体制がこれにあたる。
この三つに、憲法をくわえて、国家の四本柱となる。
ところが、わが国は、占領憲法を改正していないため「主権」「国是」「国体」が憲法の下におかれ、日本共産党ら野党が、この占領憲法をタテに<国家三原則>を攻撃するという危機的な事態にさらされている。
戦後、GHQによって、国家を解体された日本は、六〇余年たったいまなお、国家主権の不在やスパイ法・国家反逆罪の未制定など、独立国家としてのかたちを整えられず、半人前国家の欠陥をひきずったままである。
皇室典範への立法・司法の介入や道州制導入なども、一過性の政権が、絶対無比の国体に変更をくわえようという暴挙で、現在の政治体制が、今後もつづけば、日本は、独立国家としての体裁を失ってしまいかねない。
現在、さらに、懸念されるのが「外国人参政権」問題である。
独立国家なら「外国人参政権」問題は@主権防衛A国益優先B国体護持の観点から、ただちに、はねつけてしかるべきものである。
アメリカでは、グリーンカード(労働許可証兼永住許可証)を取得すれば、徴兵登録をもとめられる。だが、グリーンカードをとっても、徴兵登録しても、選挙権は、あたえられない。
国籍と選挙権は、いかなる国家でも、国家独立の根幹にふれる大問題なのである。
ところが、日本では、民主党元代表の岡田克也が「わたしが外国で、2、3世として生まれ育ち、選挙権をえたければ国籍を捨てろといわれたらゆるせない」と感情論むきだしのユルフンぶりである。
外国人の参政権は、国籍取得がセットになっていなければ、国籍の二重行使になる。
北米諸国やEU諸国、スイス、オーストラリアなどが外国人に地方参政権を付与しているのも、欧州連合や英連邦など、同盟国だけで、無条件で外国人に参政権をあたえているわけではない。
くわえて、同盟国内の在留外国人は、住んでいる国に"政治的運命共同体"意識をもっており、メンタリティにおいて、ほとんど、自国民とかわらないという事情がある。
一方、日本国籍の取得を拒み、外国籍のまま参政権(永住外国人地方選挙権)をもとめている特別永住外国人(主に在日韓国人)は、日本国内に反日的な民族団体(大韓民国民団/朝鮮総連)をもち、しかも、かれらの母国、韓国・北朝鮮では、戦後六十年以上たったいまも、反日教育がおこなわれている。
金正日に忠誠を誓わせ、本国への送金団体としてのみ機能している朝鮮総連が、参政権を拒否しているのは、日本の政治システム組みこまれると、民族的アイデンティティーを失いかねないからという。そんな敵意むきだしの国に、どうして、日本国民の証である参政権をあたえなければならないのか。
外国人参政権法案が成立すると、当然、北朝鮮系在日にも、参政権があたえられる。
そのとき、かれらが、戦術を変更して、地方の市町村へ大挙して押し寄せ、住宅街を建設するなどして、人口の半分を占めると、どうなるか。
在日朝鮮人には、北朝鮮最高人民会議の現役代議員(国会議員)が、六名もいるという。
日本の市や町の首長に、北朝鮮の最高人民会議の国会議員が就任することになりかねない。
地方参政権とはいえ、軍事関係基地や原子力発電所、交通機関のほか、教育、環境、周辺事態法、治安問題など、地方自治は、国家政策と密接にかかわっている。
「日本は朝鮮を侵略したのだから、参政権くらいあげるべき」(野中広務)「参政権がほしいなら国籍を取れというのは、人権にかかわる」(岡田克也)などと、ノーテンキなことをいっている場合であろうか。
●選挙で、反日・創価学会に呑みこまれた自民党
みずからの意思で、日本に永住する外国人として生きることを選択したかれらに、選挙権が付与されないことは、日本国民と外国人の区別であって、差別でも、人権侵害でもない。
ところが、参政権をもとめる在日本大韓民国民団の主張には、日本への内政干渉や批判がにじむ。
@外国人参政権の拒否は、日本国憲法、地方自治法、国際人権規約や人種差別撤廃条約などに違反している
A日本国民と同じく法律上納税の義務を負っているので、参政権は、当然の権利である
B基本的人権と「住民」の権利が保障され、地方公務員採用などにおける不要な国籍条項の撤廃につながる
B少数民族の自尊、国際人権規約B規約第27条に明記されている少数民族の権利、民族教育の制度的保障などが実現される
C戦後処理の一環。在日韓国籍住民の歴史的経緯を正しく認識することで、日本の民主主義の成熟が促される
D21世紀にむけた日本の真の国際化と社会良化。相互理解と共生社会が実現される
公権力にたずさわる公務員(警察官など)に外国人を採用できないのは、当然であろう。
「基本的人権の尊重」と「参政権」は、直接、むすびつくものではなく、戦後処理は「日韓基本条約の調印」で、解決済みになっている。
強制連行によって来日した韓国人の多くは、すでに、帰国しており、現住している韓国人は、任意の永住者であり、戦争被害者ではない。
納税義務をはたしているというが、社会党と国税庁、在日朝鮮人商工連合会(朝鮮商工連)のあいだで取り交わされた合意によって、在日韓国・朝鮮人は、事実上、免税処置をうけている。
免税ばかりではない。生活保護をうけている在日韓国・朝鮮人の人口比率(22.7%)は、日本人(0.9%)の25倍(厚生統計要覧13年度)にたっしている。
在日韓国人、朝鮮人の5人に一人がうけている生活保護は、日本国憲法25条(すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)にもとづいて、権利の享受を日本国民に限定している。
かれらは、差別されているどころか、甘やかされ、特別扱いされているのである。
帰化申請を拒んでいるのは、免税や生活保護などの既得権を失うからで、そのうえ、さらに、参政権をくれないのは、民主主義が未成熟だから、真の国際化に対応できていない、といいつのっているのである。
尊大で、カサのかかってくる在日韓国、朝鮮人をささえているのが、与・野党の反日勢力や学会・論壇である。司法にも、永住外国人の参政権をみとめるべきという意見が根強く、外国人参政権を合憲とする判例もでている。
@法律上「国民」とあるのは「日本国籍保持者」ではなく、広く政治社会の構成員
A国民主権の原理・民主主義の理念は、政治的決定にしたがう人民の自己統治
B人権問題を考える際、重要なのは、その人の国籍ではなく、生活実態
というのだが、国政選挙については、最高裁判所が、これと反対の立場をとっている。
国政をおこなう公務員をえらぶ選挙権は、国民主権の原理から、国民にのみにみとめられるという見解である。根拠は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする日本国憲法第一五条@である。
地方選挙についても、憲法第九三条Aの「住民」の前提が、日本国籍なら、外国人の参政権は、違憲になる。
司法では、憲法第93条Aの「住民」に、その地方に住んでいる外国人をふくむか否かで判例が分かれているが、最高裁判所が在留外国人選挙名簿訴訟の判決で、憲法第93条Aの「住民」を「日本国籍をもつ住民」と解釈して、憲法論議は、一応、決着がついている。
政界で、外国人参政権の決着がつかないのは、創価学会(公明党)と反日勢力が法制化をスケジュール化しているからである。
岡田克也ら、反日主義者の目的は、日本国家の弱体化であろうが、自民党の同法支持者の多くは、選挙区で、創価学会の票をもらっている連中の打算である。
公明党は<国家三原則>など眼中になく、公明党のリモコン下にある自民党にも、政権をとったら、まっさきに、岡田が入閣する民主党政権にも、国家再建は、期待できない。
かつて「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」の会長として動いた平沼赳夫氏の保守新党旗揚げが、待たれるばかりである。
国家には、ゆるがせにできないものが、三つある。
「主権」「国是」「国体」の<国家三原則>である。
国家主権は、交戦権に代表される独立国家の象徴で、国是は、自国の利益をすべてに最優先する国家理性である。国体は、歴史や伝統、文化や民族性などに根ざしている国のかたちで、日本では、天皇体制がこれにあたる。
この三つに、憲法をくわえて、国家の四本柱となる。
ところが、わが国は、占領憲法を改正していないため「主権」「国是」「国体」が憲法の下におかれ、日本共産党ら野党が、この占領憲法をタテに<国家三原則>を攻撃するという危機的な事態にさらされている。
戦後、GHQによって、国家を解体された日本は、六〇余年たったいまなお、国家主権の不在やスパイ法・国家反逆罪の未制定など、独立国家としてのかたちを整えられず、半人前国家の欠陥をひきずったままである。
皇室典範への立法・司法の介入や道州制導入なども、一過性の政権が、絶対無比の国体に変更をくわえようという暴挙で、現在の政治体制が、今後もつづけば、日本は、独立国家としての体裁を失ってしまいかねない。
現在、さらに、懸念されるのが「外国人参政権」問題である。
独立国家なら「外国人参政権」問題は@主権防衛A国益優先B国体護持の観点から、ただちに、はねつけてしかるべきものである。
アメリカでは、グリーンカード(労働許可証兼永住許可証)を取得すれば、徴兵登録をもとめられる。だが、グリーンカードをとっても、徴兵登録しても、選挙権は、あたえられない。
国籍と選挙権は、いかなる国家でも、国家独立の根幹にふれる大問題なのである。
ところが、日本では、民主党元代表の岡田克也が「わたしが外国で、2、3世として生まれ育ち、選挙権をえたければ国籍を捨てろといわれたらゆるせない」と感情論むきだしのユルフンぶりである。
外国人の参政権は、国籍取得がセットになっていなければ、国籍の二重行使になる。
北米諸国やEU諸国、スイス、オーストラリアなどが外国人に地方参政権を付与しているのも、欧州連合や英連邦など、同盟国だけで、無条件で外国人に参政権をあたえているわけではない。
くわえて、同盟国内の在留外国人は、住んでいる国に"政治的運命共同体"意識をもっており、メンタリティにおいて、ほとんど、自国民とかわらないという事情がある。
一方、日本国籍の取得を拒み、外国籍のまま参政権(永住外国人地方選挙権)をもとめている特別永住外国人(主に在日韓国人)は、日本国内に反日的な民族団体(大韓民国民団/朝鮮総連)をもち、しかも、かれらの母国、韓国・北朝鮮では、戦後六十年以上たったいまも、反日教育がおこなわれている。
金正日に忠誠を誓わせ、本国への送金団体としてのみ機能している朝鮮総連が、参政権を拒否しているのは、日本の政治システム組みこまれると、民族的アイデンティティーを失いかねないからという。そんな敵意むきだしの国に、どうして、日本国民の証である参政権をあたえなければならないのか。
外国人参政権法案が成立すると、当然、北朝鮮系在日にも、参政権があたえられる。
そのとき、かれらが、戦術を変更して、地方の市町村へ大挙して押し寄せ、住宅街を建設するなどして、人口の半分を占めると、どうなるか。
在日朝鮮人には、北朝鮮最高人民会議の現役代議員(国会議員)が、六名もいるという。
日本の市や町の首長に、北朝鮮の最高人民会議の国会議員が就任することになりかねない。
地方参政権とはいえ、軍事関係基地や原子力発電所、交通機関のほか、教育、環境、周辺事態法、治安問題など、地方自治は、国家政策と密接にかかわっている。
「日本は朝鮮を侵略したのだから、参政権くらいあげるべき」(野中広務)「参政権がほしいなら国籍を取れというのは、人権にかかわる」(岡田克也)などと、ノーテンキなことをいっている場合であろうか。
●選挙で、反日・創価学会に呑みこまれた自民党
みずからの意思で、日本に永住する外国人として生きることを選択したかれらに、選挙権が付与されないことは、日本国民と外国人の区別であって、差別でも、人権侵害でもない。
ところが、参政権をもとめる在日本大韓民国民団の主張には、日本への内政干渉や批判がにじむ。
@外国人参政権の拒否は、日本国憲法、地方自治法、国際人権規約や人種差別撤廃条約などに違反している
A日本国民と同じく法律上納税の義務を負っているので、参政権は、当然の権利である
B基本的人権と「住民」の権利が保障され、地方公務員採用などにおける不要な国籍条項の撤廃につながる
B少数民族の自尊、国際人権規約B規約第27条に明記されている少数民族の権利、民族教育の制度的保障などが実現される
C戦後処理の一環。在日韓国籍住民の歴史的経緯を正しく認識することで、日本の民主主義の成熟が促される
D21世紀にむけた日本の真の国際化と社会良化。相互理解と共生社会が実現される
公権力にたずさわる公務員(警察官など)に外国人を採用できないのは、当然であろう。
「基本的人権の尊重」と「参政権」は、直接、むすびつくものではなく、戦後処理は「日韓基本条約の調印」で、解決済みになっている。
強制連行によって来日した韓国人の多くは、すでに、帰国しており、現住している韓国人は、任意の永住者であり、戦争被害者ではない。
納税義務をはたしているというが、社会党と国税庁、在日朝鮮人商工連合会(朝鮮商工連)のあいだで取り交わされた合意によって、在日韓国・朝鮮人は、事実上、免税処置をうけている。
免税ばかりではない。生活保護をうけている在日韓国・朝鮮人の人口比率(22.7%)は、日本人(0.9%)の25倍(厚生統計要覧13年度)にたっしている。
在日韓国人、朝鮮人の5人に一人がうけている生活保護は、日本国憲法25条(すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)にもとづいて、権利の享受を日本国民に限定している。
かれらは、差別されているどころか、甘やかされ、特別扱いされているのである。
帰化申請を拒んでいるのは、免税や生活保護などの既得権を失うからで、そのうえ、さらに、参政権をくれないのは、民主主義が未成熟だから、真の国際化に対応できていない、といいつのっているのである。
尊大で、カサのかかってくる在日韓国、朝鮮人をささえているのが、与・野党の反日勢力や学会・論壇である。司法にも、永住外国人の参政権をみとめるべきという意見が根強く、外国人参政権を合憲とする判例もでている。
@法律上「国民」とあるのは「日本国籍保持者」ではなく、広く政治社会の構成員
A国民主権の原理・民主主義の理念は、政治的決定にしたがう人民の自己統治
B人権問題を考える際、重要なのは、その人の国籍ではなく、生活実態
というのだが、国政選挙については、最高裁判所が、これと反対の立場をとっている。
国政をおこなう公務員をえらぶ選挙権は、国民主権の原理から、国民にのみにみとめられるという見解である。根拠は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする日本国憲法第一五条@である。
地方選挙についても、憲法第九三条Aの「住民」の前提が、日本国籍なら、外国人の参政権は、違憲になる。
司法では、憲法第93条Aの「住民」に、その地方に住んでいる外国人をふくむか否かで判例が分かれているが、最高裁判所が在留外国人選挙名簿訴訟の判決で、憲法第93条Aの「住民」を「日本国籍をもつ住民」と解釈して、憲法論議は、一応、決着がついている。
政界で、外国人参政権の決着がつかないのは、創価学会(公明党)と反日勢力が法制化をスケジュール化しているからである。
岡田克也ら、反日主義者の目的は、日本国家の弱体化であろうが、自民党の同法支持者の多くは、選挙区で、創価学会の票をもらっている連中の打算である。
公明党は<国家三原則>など眼中になく、公明党のリモコン下にある自民党にも、政権をとったら、まっさきに、岡田が入閣する民主党政権にも、国家再建は、期待できない。
かつて「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」の会長として動いた平沼赳夫氏の保守新党旗揚げが、待たれるばかりである。
2008年06月02日
保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(24)
●日本が日本でなくなる「道州制」導入の恐怖
政府の「道州制ビジョン懇談会(座長=江口克彦PHP研究所社長)」や自民党の「道州制推進本部(本部長=谷川禎一政調会長)」、「道州制導入に向けた第二次提案(日本経団連)」、有識者でつくる「日本再建のため行革を推進する700人委員会/道州制導入研究会(座長=石原信雄元官房副長官)」などが中間報告をまとめ、それぞれ、内容を公開した。
各メディアの反応は、こぞって、好意的で、読売新聞などは「道州制知らんぷり官邸」と道州制導入に不熱心な福田康夫首相を暗に批判する熱っぽさである。
小泉内閣・安倍内閣、与野党の改革派を中心にすすめられてきた道州制は、基礎自治体の線引きや分権内容など、細部にわたる議論が先行しているが、何のために道州制を導入するのか、という肝心なことについて、何一つ、明らかになっていない。
「東京一極集中と格差の拡大、地域住民のニーズに即した行政ができない」(道州制ビジョン懇談会)という理由から、「日本の統治構造を全面的に変える」(道州制導入研究会)という飛躍した結論がみちびきだされて、明治四年の「廃藩置県」以来となる行政機構の大改革がおこなわれようとしているわけだが、それがまるで、条例変更ほどの軽さで論じられているのである。
主権をもった道州制の導入は、国家の大改造である。
当然、憲法も変えなければならないが、国家主権が分裂して、国民統合の象徴としての天皇の地位がゆらぐと、国体にも影響がおよび、革命にひとしい衝撃的な変化となる。
国体の解体と国家分裂の危機を隠蔽したまま、ある勢力が、改革の一環として、道州制の導入をはかっているのなら、これほど、物騒な話はない。
政治家が、この罠に気がつかないほど、国体防衛や国家主権に鈍感なのであれば、これも、不気味である。
道州制ビジョン懇談会の江口は、著書『地域主権型道州制』(PHP新書)に、こう書いている。
「私の『地域主権型道州制』について批判する人もいるだろう。それはそれでいい。しかし、反対のための反対、重箱の隅をつつくような反対は止めてほしい。揚げ足取りの批判はごめんこうむりたい。反対、批判するのならば、なにより、そのあなたに私は問いたい。ならば、あなたは崩れつつある、いまの日本を救うために、どのような全体構想をもっているのか、と。それもないなら、あなたと軽々に議論するつもりはない」
道州制の導入に反対なら対案を提起しろと、行政機構の改革を前提にして、居丈高なのである。そして、こうつづける。
「中央集権体制によって、国民の生活が画一化され、強制され、個性を奪われ、自由を阻害されている。実際のところ、このごろの犯罪、とくに若い人たちの犯罪などをみると、中央集権体制の抑圧が個人にストレスをあたえ、取り返しのつかない事件を発生させている例が多い」
国家の衰弱が、国民活力の低下やモラルの崩壊をうむというのが一般常識で、中央集権が諸悪の根源などという理屈は、これまで、聞いたことがない。
道州制の発案者は、松下電器産業の創業者で、PHP研究所をつくった松下幸之助とその松下が師事した下村宏(内閣情報局総裁・朝日新聞副社長/ポツダム宣言の受諾や玉音放送の中心的人物)である。
江口の「地域主権型道州制」は、松下幸之助の「廃県置州」をひきついだものと思われるが、オリジナルは、行政上のコスト削減と県による差別意識の撤廃をはかった下村宏の「道州論」である。
さらに、さかのぼると、福沢諭吉の「廃県論」がある。福沢諭吉、下村宏、松下幸之助らに共通するのは、徹底した経済効率主義と福沢の「脱亜入欧論」や著書「西洋事情」「文明論之概略」に象徴される国際主義である。
いまでいう、新自由主義とグローバリゼーションで、これが、現在の道州制に、ひきつがれた。
というのは、道州制は、すべての価値をカネに換算する新自由主義と、左翼色の濃いアメリカ新保守主義(ネオコン)の産物で、小泉内閣からはじまった構造改革のしめくくりが、この道州制導入だったからである。
アメリカは、けっして、保守主義の国家ではない。歴史の浅い国なので、回帰すべき歴史がないからである。保守思想といっても、キリスト教と反共主義のほかには、建国の理想としての自由原理主義(ハト派)と民主原理主義(タカ派)があるだけで、日本やイギリスのような歴史や知恵(コモンセンス)、伝統的な価値観や思考形態がない。
ちなみに、アメリカが、民主主義の名のもとでおこなった戦争がイラク戦争で、自由主義の名のもとでおこなった金融・経済侵略が、グローバリゼーションだった。
プラザ合意からバブル崩壊、第二の敗戦といわれる日米構造協議以降の金融・経済面での屈服から年次改革要望書にいたるまで、日本は、アメリカがおしつける構造改革とグローバリゼーションに痛めつけられてきた。
その仕上げが、東京のワシントンDC化と日本の連邦化をはかる道州制の導入である。
なぜ、道州制が必要なのか、という肝心な話をスッとばして、道州制への完全移行を前提に、改革派系の懇談会などが、州の数や線引き、権限の分担をきめたのは、国民から異論がでる前に、道州制導入を既成事実化してしまおうという狙いがあったからであろう。
道州制導入は、歴史上、類のない大改革で、革命にひとしい。
その革命を、新自由主義にのっとった経済至上主義と、伝統という裏付けのないアメリカ民主主義で、一気に実現してしまおうというのが、改革主義者のやり方とみえる。
道州制は、基礎自治体に公選制の首長をおき、将来的には、各道州が主権をもつ連邦共和制にしようという事実上の無血革命である。
十いくつの州の首長と州都が、主権と自治権を宣言して、独立集州の補選をへて大統領がえらばれることになれば、日本は、歴史が不在のアメリカのコピー国家となり、万世一系の天皇を中心に和をむすんできた日本国の二千年の歴史と伝統は、廃棄される。
ここに、是が非でも、道州制の法制化を阻止しなければならない、国体上の大問題が横たわっている。
●和と均一性、中央集権が日本のパワー
現在、連邦制をとっている国は、アメリカのほか、スイスやドイツなどがある。アメリカは、もともと、州政府や入植者が、経済原理にそって、原住民から奪った土地を分け合った国柄である。
多民族・多言語のスイスは、連邦制以外に、国家の体裁をたもつことができず、歴史的に統一国家ではなかったドイツは、敗戦後、国家が滅亡したため、ドイツ人の団結力や発展をおそれた連合国によって、東西に、さらに、米・英・仏によって、11の州政府(西ドイツ)へ、八つ裂きにされた。
連邦化は、中央集権の求心力が弱まるため、国家の衰弱につながる。
旧ソ連連邦が崩壊したのは、各連邦間の摩擦や経済不況、共産党官僚の腐敗が深刻化したためで、中央集権の求心力がはたらかなくなれば、連邦国家は、連邦間でひきおこされる摩擦と経済不況、腐敗の三悪によって、倒壊してゆく。
日本は、世界で、唯一、万世一系の神話的な存在である天皇を中心に「和」という特有の文化のもとで、家族国家を形成してきた。
アメリカのような歴史をもたない国とも、他民族・多言語の国とも、敗戦によって国土を八つ裂きにされた国とも異なる日本が、歴史的経験がない連邦制をとったら、和という中心原理(=セントラル・ドグマ)が失われ、道州間に、それまで、経験したことがない摩擦が生じて、発展どころか、数年をへずして、非力なアジアの一分裂国家へ転落してゆくだろう。
日本のパワーは、和という中心原理、均一性、中央集権という伝統的な国柄からうまれている。これを廃棄して、先進国と肩を並べられると思うのはおおまちがいで、本気で、そう思っているのだとすれば、おそるべき亡国の論である。
江口は、著書で、こうのべている。
「日本の一地方と同程度の人口・面積しかもたないアイルランドやデンマーク、スイス、オランダ、オーストリアなどが、世界屈指の高所得国に成長している一方、日本は、イギリスやドイツ、フランスを上回る人口・面積をもちながら、これらの国はおろか、先進国平均の成長率を下回るまでに経済・所得が停滞している。日本を小さな国に分けて、道州制国家になれば、中央集権のハンディキャップを克服できる」
なんという、粗雑な議論であろうか。
ヨーロッパ諸国の発展は、欧州連合(EC)という中央集権的な求心力がはたらいたからで、一方、日本経済の停滞は、アメリカのいいなりになって、グローバリゼーションや構造改革に走り、求心力を弱めたからである。
国家は"家"にたとえることができる。玄関や台所、茶の間や書斎、客間や寝室、便所もあるが、これが、統合的にはたらいて、家の形態となる。会社にたとえてもよい。製造部や営業部、総務部や経理部、人事部があって、はじめて、会社という生きた組織になる。
モノをつくり、カネを稼ぐのは、製造部や営業部である。だが、家に台所や寝室、便所が必要なのと同様に、カネは、稼ぎのない総務部や経理部、人事部へも支給されなければならない。
これが、地方交付金や補助金で、これを打ち切って、中央と地方の所得格差をひろげたのが、新自由主義の小泉改革である。
地方も自立して、じぶんでカネを稼げというのだが、東京都に食糧を自給しろというのと同様、無理な相談である。先日、奈良県の吉野へ行ったが、あそこで、どうすれば、自力で産業を興せるであろうか。
日本の経済は、過疎地のきれいな空気と工業地帯の汚れた空気が、どこか見えないところでつながっている大きな関係のなかで、成立している。過疎なのは、若者が、都会へ行ってしまったせいで、その恩恵をうけた都会が、過疎地へ地方交付金をだして、経済の手助けをする――こういう和の精神によって、これまで、日本は、発展してきた。
それが、全体性の利益追求と中央集権のメリットである。
補助金や支援がなくなれば、過疎地や産業のない地方は破産する。それが、地方を犠牲にしてきた経済国家の構造的欠陥で、この矛盾を解消するには、中央が地方へ、手をさしのべて、お返しをしなければならない。「人生いろいろ」や自己責任で片付く問題ではないのだ。
日本を連邦化して、過疎地に自己責任を課して、地域経済を活性化させることが、可能であろうか。
道州制が導入されると、州都へ資金やカネが集まって、ミニ中央集権化がおき、過疎化がさらに深刻になるだけである。とくに、道州制では、中央からの補助金がなくなるので、破産する州や自治体もでてくるだろう。
道州制は、地方経済にとって、けっして、追い風にはならない。
道州制の導入によって、資金が流入して地方が活性化するというのも、地域社会にかかる行政の権限を道州に委譲して、課税自主権、税率決定権、徴税権をもたせると、地方が元気になるというのも、世紀の大嘘である。
州では、資本マーケットが小さいので、設備投資や商品開発などに大きな資本を投下することができない。スケール・メリットがない地方経済は、中央経済とのタイ・アップが必要なのである。
日本経済の強みは、日本全土という広いマーケットに同質性・均一性があることで、これは、EC統合によって大きな市場をえたデンマークが、酪農製品の売り上げをのばしたのと同じ原理である。
小さな国だから経済がうまくいっているという江口の仮説は、デマゴギーなのである。
道州制の問題点は、経済だけではない。
主権道州ができたら、こんどは、左翼が煽って、オリジナルの憲法、国旗、国歌をつくるうごきがでてくるだろう。東京DCのある関東国と張り合い、摩擦のタネをふりまき、紛争に政治エネルギーを消耗するようなことになれば、経済発展どころではなくなる。
かつて、ヨーロッパ列強は、アフリカを再分割する際、@部族を分散させるA一国に多くの部族種を混在させるB崇める神がちがう部族を同じ国に住まわせる――という弱体化戦略をとった。
中央主権をつくりだせなかったアフリカ諸国は、いまなお、ツチ族とフツ族が殺しあったルワンダの悲劇に代表される悲惨な内戦が絶えない。
道州制によってうまれる独立自治体は、和と均一性、中央集権制という、これまで日本の国力をささえてきた特性を失った一地方にすぎず、その行く末は、内地の都市との一体感を断たれた場合の北海道をイメージするだけで、十分であろう。
地方の活性化は、革命的な道州制という方法をとらなくとも、たとえば、地方農家のオリジナル・ブランドのワイン製造にまで口出しする中央官庁の支配力を大幅に制限するだけで十分で、それが、考えうる、もっとも効果的で、現実的な方法である。
そういう、順当な方法をとらず、いきなり、道州制へ飛躍するのは、改革主義者の狙いが国体の変更にあるからではないかと、わたしは、疑わずにおられない。
政府の「道州制ビジョン懇談会(座長=江口克彦PHP研究所社長)」や自民党の「道州制推進本部(本部長=谷川禎一政調会長)」、「道州制導入に向けた第二次提案(日本経団連)」、有識者でつくる「日本再建のため行革を推進する700人委員会/道州制導入研究会(座長=石原信雄元官房副長官)」などが中間報告をまとめ、それぞれ、内容を公開した。
各メディアの反応は、こぞって、好意的で、読売新聞などは「道州制知らんぷり官邸」と道州制導入に不熱心な福田康夫首相を暗に批判する熱っぽさである。
小泉内閣・安倍内閣、与野党の改革派を中心にすすめられてきた道州制は、基礎自治体の線引きや分権内容など、細部にわたる議論が先行しているが、何のために道州制を導入するのか、という肝心なことについて、何一つ、明らかになっていない。
「東京一極集中と格差の拡大、地域住民のニーズに即した行政ができない」(道州制ビジョン懇談会)という理由から、「日本の統治構造を全面的に変える」(道州制導入研究会)という飛躍した結論がみちびきだされて、明治四年の「廃藩置県」以来となる行政機構の大改革がおこなわれようとしているわけだが、それがまるで、条例変更ほどの軽さで論じられているのである。
主権をもった道州制の導入は、国家の大改造である。
当然、憲法も変えなければならないが、国家主権が分裂して、国民統合の象徴としての天皇の地位がゆらぐと、国体にも影響がおよび、革命にひとしい衝撃的な変化となる。
国体の解体と国家分裂の危機を隠蔽したまま、ある勢力が、改革の一環として、道州制の導入をはかっているのなら、これほど、物騒な話はない。
政治家が、この罠に気がつかないほど、国体防衛や国家主権に鈍感なのであれば、これも、不気味である。
道州制ビジョン懇談会の江口は、著書『地域主権型道州制』(PHP新書)に、こう書いている。
「私の『地域主権型道州制』について批判する人もいるだろう。それはそれでいい。しかし、反対のための反対、重箱の隅をつつくような反対は止めてほしい。揚げ足取りの批判はごめんこうむりたい。反対、批判するのならば、なにより、そのあなたに私は問いたい。ならば、あなたは崩れつつある、いまの日本を救うために、どのような全体構想をもっているのか、と。それもないなら、あなたと軽々に議論するつもりはない」
道州制の導入に反対なら対案を提起しろと、行政機構の改革を前提にして、居丈高なのである。そして、こうつづける。
「中央集権体制によって、国民の生活が画一化され、強制され、個性を奪われ、自由を阻害されている。実際のところ、このごろの犯罪、とくに若い人たちの犯罪などをみると、中央集権体制の抑圧が個人にストレスをあたえ、取り返しのつかない事件を発生させている例が多い」
国家の衰弱が、国民活力の低下やモラルの崩壊をうむというのが一般常識で、中央集権が諸悪の根源などという理屈は、これまで、聞いたことがない。
道州制の発案者は、松下電器産業の創業者で、PHP研究所をつくった松下幸之助とその松下が師事した下村宏(内閣情報局総裁・朝日新聞副社長/ポツダム宣言の受諾や玉音放送の中心的人物)である。
江口の「地域主権型道州制」は、松下幸之助の「廃県置州」をひきついだものと思われるが、オリジナルは、行政上のコスト削減と県による差別意識の撤廃をはかった下村宏の「道州論」である。
さらに、さかのぼると、福沢諭吉の「廃県論」がある。福沢諭吉、下村宏、松下幸之助らに共通するのは、徹底した経済効率主義と福沢の「脱亜入欧論」や著書「西洋事情」「文明論之概略」に象徴される国際主義である。
いまでいう、新自由主義とグローバリゼーションで、これが、現在の道州制に、ひきつがれた。
というのは、道州制は、すべての価値をカネに換算する新自由主義と、左翼色の濃いアメリカ新保守主義(ネオコン)の産物で、小泉内閣からはじまった構造改革のしめくくりが、この道州制導入だったからである。
アメリカは、けっして、保守主義の国家ではない。歴史の浅い国なので、回帰すべき歴史がないからである。保守思想といっても、キリスト教と反共主義のほかには、建国の理想としての自由原理主義(ハト派)と民主原理主義(タカ派)があるだけで、日本やイギリスのような歴史や知恵(コモンセンス)、伝統的な価値観や思考形態がない。
ちなみに、アメリカが、民主主義の名のもとでおこなった戦争がイラク戦争で、自由主義の名のもとでおこなった金融・経済侵略が、グローバリゼーションだった。
プラザ合意からバブル崩壊、第二の敗戦といわれる日米構造協議以降の金融・経済面での屈服から年次改革要望書にいたるまで、日本は、アメリカがおしつける構造改革とグローバリゼーションに痛めつけられてきた。
その仕上げが、東京のワシントンDC化と日本の連邦化をはかる道州制の導入である。
なぜ、道州制が必要なのか、という肝心な話をスッとばして、道州制への完全移行を前提に、改革派系の懇談会などが、州の数や線引き、権限の分担をきめたのは、国民から異論がでる前に、道州制導入を既成事実化してしまおうという狙いがあったからであろう。
道州制導入は、歴史上、類のない大改革で、革命にひとしい。
その革命を、新自由主義にのっとった経済至上主義と、伝統という裏付けのないアメリカ民主主義で、一気に実現してしまおうというのが、改革主義者のやり方とみえる。
道州制は、基礎自治体に公選制の首長をおき、将来的には、各道州が主権をもつ連邦共和制にしようという事実上の無血革命である。
十いくつの州の首長と州都が、主権と自治権を宣言して、独立集州の補選をへて大統領がえらばれることになれば、日本は、歴史が不在のアメリカのコピー国家となり、万世一系の天皇を中心に和をむすんできた日本国の二千年の歴史と伝統は、廃棄される。
ここに、是が非でも、道州制の法制化を阻止しなければならない、国体上の大問題が横たわっている。
●和と均一性、中央集権が日本のパワー
現在、連邦制をとっている国は、アメリカのほか、スイスやドイツなどがある。アメリカは、もともと、州政府や入植者が、経済原理にそって、原住民から奪った土地を分け合った国柄である。
多民族・多言語のスイスは、連邦制以外に、国家の体裁をたもつことができず、歴史的に統一国家ではなかったドイツは、敗戦後、国家が滅亡したため、ドイツ人の団結力や発展をおそれた連合国によって、東西に、さらに、米・英・仏によって、11の州政府(西ドイツ)へ、八つ裂きにされた。
連邦化は、中央集権の求心力が弱まるため、国家の衰弱につながる。
旧ソ連連邦が崩壊したのは、各連邦間の摩擦や経済不況、共産党官僚の腐敗が深刻化したためで、中央集権の求心力がはたらかなくなれば、連邦国家は、連邦間でひきおこされる摩擦と経済不況、腐敗の三悪によって、倒壊してゆく。
日本は、世界で、唯一、万世一系の神話的な存在である天皇を中心に「和」という特有の文化のもとで、家族国家を形成してきた。
アメリカのような歴史をもたない国とも、他民族・多言語の国とも、敗戦によって国土を八つ裂きにされた国とも異なる日本が、歴史的経験がない連邦制をとったら、和という中心原理(=セントラル・ドグマ)が失われ、道州間に、それまで、経験したことがない摩擦が生じて、発展どころか、数年をへずして、非力なアジアの一分裂国家へ転落してゆくだろう。
日本のパワーは、和という中心原理、均一性、中央集権という伝統的な国柄からうまれている。これを廃棄して、先進国と肩を並べられると思うのはおおまちがいで、本気で、そう思っているのだとすれば、おそるべき亡国の論である。
江口は、著書で、こうのべている。
「日本の一地方と同程度の人口・面積しかもたないアイルランドやデンマーク、スイス、オランダ、オーストリアなどが、世界屈指の高所得国に成長している一方、日本は、イギリスやドイツ、フランスを上回る人口・面積をもちながら、これらの国はおろか、先進国平均の成長率を下回るまでに経済・所得が停滞している。日本を小さな国に分けて、道州制国家になれば、中央集権のハンディキャップを克服できる」
なんという、粗雑な議論であろうか。
ヨーロッパ諸国の発展は、欧州連合(EC)という中央集権的な求心力がはたらいたからで、一方、日本経済の停滞は、アメリカのいいなりになって、グローバリゼーションや構造改革に走り、求心力を弱めたからである。
国家は"家"にたとえることができる。玄関や台所、茶の間や書斎、客間や寝室、便所もあるが、これが、統合的にはたらいて、家の形態となる。会社にたとえてもよい。製造部や営業部、総務部や経理部、人事部があって、はじめて、会社という生きた組織になる。
モノをつくり、カネを稼ぐのは、製造部や営業部である。だが、家に台所や寝室、便所が必要なのと同様に、カネは、稼ぎのない総務部や経理部、人事部へも支給されなければならない。
これが、地方交付金や補助金で、これを打ち切って、中央と地方の所得格差をひろげたのが、新自由主義の小泉改革である。
地方も自立して、じぶんでカネを稼げというのだが、東京都に食糧を自給しろというのと同様、無理な相談である。先日、奈良県の吉野へ行ったが、あそこで、どうすれば、自力で産業を興せるであろうか。
日本の経済は、過疎地のきれいな空気と工業地帯の汚れた空気が、どこか見えないところでつながっている大きな関係のなかで、成立している。過疎なのは、若者が、都会へ行ってしまったせいで、その恩恵をうけた都会が、過疎地へ地方交付金をだして、経済の手助けをする――こういう和の精神によって、これまで、日本は、発展してきた。
それが、全体性の利益追求と中央集権のメリットである。
補助金や支援がなくなれば、過疎地や産業のない地方は破産する。それが、地方を犠牲にしてきた経済国家の構造的欠陥で、この矛盾を解消するには、中央が地方へ、手をさしのべて、お返しをしなければならない。「人生いろいろ」や自己責任で片付く問題ではないのだ。
日本を連邦化して、過疎地に自己責任を課して、地域経済を活性化させることが、可能であろうか。
道州制が導入されると、州都へ資金やカネが集まって、ミニ中央集権化がおき、過疎化がさらに深刻になるだけである。とくに、道州制では、中央からの補助金がなくなるので、破産する州や自治体もでてくるだろう。
道州制は、地方経済にとって、けっして、追い風にはならない。
道州制の導入によって、資金が流入して地方が活性化するというのも、地域社会にかかる行政の権限を道州に委譲して、課税自主権、税率決定権、徴税権をもたせると、地方が元気になるというのも、世紀の大嘘である。
州では、資本マーケットが小さいので、設備投資や商品開発などに大きな資本を投下することができない。スケール・メリットがない地方経済は、中央経済とのタイ・アップが必要なのである。
日本経済の強みは、日本全土という広いマーケットに同質性・均一性があることで、これは、EC統合によって大きな市場をえたデンマークが、酪農製品の売り上げをのばしたのと同じ原理である。
小さな国だから経済がうまくいっているという江口の仮説は、デマゴギーなのである。
道州制の問題点は、経済だけではない。
主権道州ができたら、こんどは、左翼が煽って、オリジナルの憲法、国旗、国歌をつくるうごきがでてくるだろう。東京DCのある関東国と張り合い、摩擦のタネをふりまき、紛争に政治エネルギーを消耗するようなことになれば、経済発展どころではなくなる。
かつて、ヨーロッパ列強は、アフリカを再分割する際、@部族を分散させるA一国に多くの部族種を混在させるB崇める神がちがう部族を同じ国に住まわせる――という弱体化戦略をとった。
中央主権をつくりだせなかったアフリカ諸国は、いまなお、ツチ族とフツ族が殺しあったルワンダの悲劇に代表される悲惨な内戦が絶えない。
道州制によってうまれる独立自治体は、和と均一性、中央集権制という、これまで日本の国力をささえてきた特性を失った一地方にすぎず、その行く末は、内地の都市との一体感を断たれた場合の北海道をイメージするだけで、十分であろう。
地方の活性化は、革命的な道州制という方法をとらなくとも、たとえば、地方農家のオリジナル・ブランドのワイン製造にまで口出しする中央官庁の支配力を大幅に制限するだけで十分で、それが、考えうる、もっとも効果的で、現実的な方法である。
そういう、順当な方法をとらず、いきなり、道州制へ飛躍するのは、改革主義者の狙いが国体の変更にあるからではないかと、わたしは、疑わずにおられない。