雄略天皇(21代)の没後、清寧天皇(22代/雄略天皇の第三皇子)、顕宗天皇(23代/履中天皇の孫)、仁賢天皇(24代/履中天皇の孫)武烈天皇(25代/仁賢天皇、雄略天皇の皇女の子)と雄略天皇系の天皇が四代つづく。
だが、いずれも短命で、しかも、継嗣がなかったため、ついに、血統が絶える。
そこで、大和朝廷内の有力氏族・大伴金村らは、越前に赴いて、武烈天皇と血統の異なる男大迹王(おおどのおおきみ)を大和王権の大王に推戴した。
大伴らが、越前を治めていた大男迹王を擁立したのは、初代神武天皇以来の血統(男系男子/Y遺伝子)をうけついでいる応神天皇の男系五世だったからである。
だが、樟葉宮(大阪府枚方市)で即位した継体天皇が、大和の磐余玉穂宮(奈良県)にはいるのは、それから、二十年ものちのことである。
当時、大和朝廷は、まだ、権力が一本化されておらず、継体天皇を推戴する大伴に対抗する勢力があったからと思われる。
当時、朝廷内では、物部や中臣、忌部、大伴ら――地方豪族では、吉備、三輪、穂積、葛城、新興の蘇我、九州の磐井らが、各地で威を競い合っていた。
紀元前の漢書に「百余国に分立」と書かれた状態が、基本的には、この頃まで、つづいていたのであろう。
だが、記紀などには、これらの国々が存亡をかけてたたかった記録が、それほど、多くない。
大和朝廷が、権力の正統性を、天照大神の末裔である神武天皇以来の血統にもとめた<権威の構造>だったからである。
ユーラシア大陸では、戦争と皆殺し、領土の強奪をもって、権力構造をつくりあげた。
これにたいして、古代日本の権力構造は、神代からつたわる権威の序列が、その土台となった。
これは、世界に類のない日本固有の権力機構で、日本人の宗教観や自然観、世界観と切り離して考えることができない。
古代日本は、神代の国の再来で、大連(おおむらじ)の大伴や物部、忌部、中臣らも、のちに大臣(おおおみ)となる蘇我や葛城、平群、巨勢らの豪族も、高天原の神々を祖先とする。
天の岩屋にひきこもった天照大神がふたたびすがたをあらわしたのは、アメノウズメの踊りとアメノフトダマとアメノコヤネがさしだした鏡に映ったじぶんの姿に見とれたからである。
日本書紀によると、鏡を天照大神にさしだすアメノフトダマ(天太玉命)は忌部の祖先で、アメノコヤネ(天児屋命)は、藤原氏の先祖である中臣の祖神である。
当時の氏族・豪族が、だれ一人として、天皇にとってかわろうとしなかったのは、天皇への叛逆は、天照大神の忠臣・下僕だった祖神を裏切ることになるからだったのである。
かつて、どんな国も、神話とむすびついた歴史をもっていた。
だが、敗戦や革命、国の滅亡、キリストなど一神教の支配によって、神話を失い、神話と実史が一体となった歴史をもっている国は、現在、世界のなかで、唯一、日本だけである。
共産党系の学者は、大和朝廷の豪族・氏族が、ことごとく、高天原の神々を祖先としていることを偽称と主張するが、神話はフィクションなので、偽称も何もあったものではない。
重要なのは、実史が、記紀などの史料によって、神話とつながっているその一点であって、そのような雄大な連続性を有した歴史をもっていること自体に、誇るべき価値があるのである。
その神話が、実史に残ったのが<万世一系>である。
大伴らが、大男迹王を推戴したのは、その神話伝説にのっとったもので、当時、日本は、神話と現実が渾然一体となった、神々とその末裔たちの国だったのである。
●前方後円墳の謎
神話と現実の一体性を象徴しているのが、歴代天皇陵である「前方後円墳」である。
円形と直線形(四角・三角・台形)が意味するのは<万物=宇宙>である。
この認識は、古今東西、世界共通のもので、古代日本においては、宇宙のどこかにあると思われていた高天原をさしている。
天皇は、自身が、高天原の神々の末裔であることをしめすために、天上からも見えるように、地上に、ナスカの地上絵やエジプトのピラミッドに匹敵するスケールの、巨大な前方後円墳を築いたのである。
これは、わたしの仮説ではあるが、いくつか根拠がある。
一つは、大和朝廷に対抗した吉備一族や九州の磐井氏が、大和朝廷に服従したのち、前方後円墳の造営をぴたりとやめたことである。
大和朝廷の系列にくわわったことによって、権威の正統性を主張する必要がなくなったからである。
二つ目は、高松塚古墳やキトラ古墳の天井に、精密な天文図があったことである。
これは、死者が天上の高天原へもどって、ふたたび神になるという、日本人の宗教観(古代神道)のあらわれとみてよい。
現在、天皇陵は、日教組や共産党系の歴史学者らによって、すべて、改称された。
仁徳天皇陵→大山古墳
応神天皇陵→誉田山古墳
履中天皇陵→上石津ミサンザイ古墳
景行天皇陵→渋谷向山古墳
神功天皇陵→五社神古墳
崇神天皇陵→行灯山古墳
「神話とナショナリズムは革命の敵」とする左翼勢力が、日本の歴史から国体の礎となっている天皇を抹消することにやっきになっているわけだが、さらにもう一つ、かれらが戦略的に流布させているのが、天皇の<朝鮮渡来人説>である。
左翼・反日勢力がいう朝鮮とは、中国東北部から侵入してきた高句麗(Korai=Korea)のことである。
だが、当時、日本と交流していたのは、大陸沿岸系の百済・新羅であって、かれらは、一部が日本に渡来して日本人になったほか、高句麗に滅ぼされて、現在、朝鮮半島にはいない。
現在の朝鮮は、百済・新羅をジェノサイド(民族殺戮)したモンゴル系・高句麗の国で、小沢一郎や左翼がいう「天皇の祖先は朝鮮」が、高句麗をさすのであれば、とんでもない歴史誤認である。
次回は、古墳時代以前にさかのぼって、日本および東アジアの古代史を検証してみよう。