2014年12月04日

 国家と国体(月刊ベルダ12月号から転載)

 今月(12月号)から月刊ベルダ(Verdad)の連載がはじまった。
 以下、転載させていただく。

 国家と国体 
 本島等元長崎市長が亡くなられた。
 新聞報道の小見出しに「90年に右翼から銃撃」とある。
 わたしの手許に、その本島さんからいただいた手紙がある。
「先般来の私の発言については、たいへん御心配をおかけし、尚、ご高配を賜り、深く感謝申し上げます。実は、このことは、故児玉誉士夫先生が、丸山邦夫著『天皇観の戦後史』の中で申されたり、自民党参議院議員林健太郎氏(東大名誉教授)が昨年文藝春秋十二月号で申されますように、天皇の戦争責任について、私も同じ趣旨を申し上げたわけでありました」
 文中、御心配云々とあるのは、わたしが、本島発言に反発した右翼団体「正氣塾」塾長の若島征四郎氏と本島氏がおこなう予定だった会談の立会人をひきうけたからだった。
 本島氏が、福岡市でおこなう予定だった会談を断ってこられたのは、周辺や支持者(旧社会党)らが反対したからで、正氣塾の田尻和美から銃撃をうけたのは、わたしがこの手紙をうけとったのちのことである。
 天皇の戦争責任は、微妙な問題で、天皇が国体の象徴であるかぎり、天皇に戦争責任はなく、問うこともできないが、国家元首および大元帥として、軍服を召された以上、そう言い切ることもむずかしい。
 軍部が担いだお神輿にのせられただけといっても、宣戦の詔勅に署名され、終戦の御聖断も、天皇の御意思だった。
 わたしは、予定されていた会談で、若島塾長と天皇の戦争責任や原爆投下は当然などの発言をくり返す本島氏のお二人をたしなめる心積もりだった。

 天皇の戦争責任については、林房雄氏の「われわれは有罪である。天皇とともに有罪である」(『大東亜戦争肯定論』/昭和39年)ということばで決着がついている。
 国民が天皇とともに、敗戦の不利益をひきうけることによって、戦争責任という戦勝国の言いがかりは根拠を失い、法的にも、負けた国だけに戦争責任があるという理屈はとおらない。
 天皇の戦争責任ついては、南京大虐殺や731部隊のデマを妄信して、旧日本軍にたいして憎悪をつのらせた本島個人の発言より、天皇を元首に据え、統帥権をゆだねた大日本帝国憲法(明治憲法)のほうに大きな問題があっただろう。
 ポツダム宣言の受諾が遅れて、原爆投下という悲劇を招いたのは、同宣言に国体護持の確約がなかったからで、天皇が国家元首ではなく、軍服を召されていなかったら、そんな心配は無用だったはずである。
 英仏蘭豪が、天皇の処罰をもとめ、国体に危機が生じたのは、国体と政体が分離されていたわが国の伝統を破壊した明治憲法の欠陥に原因があったのである。
 薩長が、天皇を元首に祭り上げたのは、天下取りの戦略で、かれらは、天皇を玉(ギョク)と称して、「ギョクをとれ」を倒幕クーデターの合言葉にした。
 明治憲法が、プロイセン(ドイツ)憲法を下敷きにしたのは、天皇を元首と定めて、内閣や首相の行政権を制限するためで、軍部が暴走したのは、内閣や首相が無力で、「陸海軍は天皇に直属する」という規定があったからである。
 明治憲法は、天皇をとりこめば、かんたんに軍部独裁体制ができてしまう仕組みだったのである。

 気になるのは、自民党の日本国憲法改正草案(平成二十四年四月二十七日)で、第一章「天皇」第一条が、現行の「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」のうちの日本国の象徴≠ェ日本国の元首≠ノとりかえられていることである。
 第一条の問題点は、国家のものである主権(君主権/独立権)を日本国民の総意においている点であって、日本は、1000年以上昔から、天皇を日本国の象徴としてきた。
むしろ、天皇を元首とすることのほうが異様で、それでは、国体とは何かという話になってくる。
自民党の憲法改正草案は、文化や歴史、民族性などの無形なものにささえられている国体と機能としての政体を区別せず、天皇=権威、幕府=権力というわが国の伝統を破壊した明治憲法の欠陥を踏襲しているのである。
 天皇が元首だったのは、飛鳥・奈良時代までで、天皇の権力を取り返そうとしたのが、失敗に終わった後醍醐天皇の建武の中興だった。
 朝廷(権威)と権力(執権・幕府)が分離されたのは、官制が整えられはじめた天武天皇あたりからで、平安京をひらいた桓武天皇以降、政治の実権は、天皇から官僚(行政官)、さらには、平氏源氏、鎌倉幕府など、武家集団へひきつがれてゆく。
 権威と権力の二元論的体制は、平安時代の摂関政治から江戸時代の武家政治まで、1000年以上つづき、それが、国体という国家の文化的な基礎をつくりあげた。
平清盛や源頼朝、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら数々の武将が政権を握ったが、だれ一人、天皇にとって代わろうとした者はなかった。
 政権は、明治政府をふくめて、たびたび、代わったが、天皇は万世一系で、日本という国は、天皇のもとで、千古不易の伝統国家たりえている。
 政体は一過性のものだが、国体は、いわば永遠で、明治維新や敗戦、GHQ支配という大変動がありながら、日本が日本たりえているのは、国体があったからである。
 日本は、江戸幕府や明治政府、自民党や民主党の日本ではなく、天皇の国なのである。
 その天皇を時の権力にすぎない政体のトップ(元首)に戴こうというのは、見当ちがいといわざるをえない。
 政権は、国家のリーダにふさわしい者を元首に立て、国体に忠誠を誓うべきであろう。

 右翼陣営でも国体と政体の区別がつかず、政治問題に首をつっこむ者が少なくないが、右翼がまもるべきは、天皇(国体)であって、政治家や官僚の責に帰すべき政策にくちばしをいれることではない。
天皇は、日々、国民の平安と国家の繫栄を祈っておられる。
 権力が、権威の祈りに沿うて、挺身することが政治で、政体は、国体の下位にある。
天皇を法や政治のカテゴリーとりこむのは、いかなる形でも、天皇の政治利用で、権力は、権力の前でいずまいを正すより、とりこんで、権力の補強にもちいたがる。
 日本の国の形が歪むのは、国体がないがしろにされたときで、建武の中興が失敗に終わって、権威が地に堕ちた足利時代から応仁の乱、戦国時代にわたる数百年は、日本においても、暗黒の中世となった。
 右翼の鑑とされる楠木正成は、湊川の決戦で、「七生報国」を誓って散華した。
 正成が殉じたのは、時の政権ではなく、国体であった。
 国体をまもるという一途な情熱が、右翼の本懐で、たとえそれが、権力にとって恐怖であろうと、それ以外に、右翼の存在価値はない。
posted by 山本峯章 at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする