2017年04月20日

 伝統と民主主義

 ●棲み分けている伝統と民主主義
 日本人が伝統国家の自覚を失ったのは、憲法に民主主義(国民主権)という革命概念が埋めこまれているからである。
 その一方、天皇主権や皇国史観が悪の権化として排除されてきた。
 戦後、日本では、伝統を否定する民主主義革命がおきていたのである。
 天皇主権は君民一体≠ニ対になっているので、事実上の国民主権にあたるが、そのテーマについては後段でのべよう。
 民主主義を採ったのは権力機構の政体で、文化構造の国体ではない。
 したがって、政体で変革がおきても、伝統を継承する国体はゆるがない。
 民主主義は権力(政体)のカテゴリーにあり、伝統は文化(国体)の系列にあるからである。
 伝統と民主主義が二元論的に両立したのは、わが国では、歴史上、権力(政体)と権威(国体)が分離されてきたからだった。
 この歴史的事実をわきまえなかったのが、男女平等をもちだして万世一系を否定した自民党の二階幹事長や小泉政権下の「皇室典範に関する有識者会議」の吉川弘之座長らで、現時点における法の下の男女平等で、歴史をつらぬいてきた真実をねじまげようとしたのである。
 皇室典範(憲法第2条・第5条に規定)第一章(第一条)に「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」とある。
 憲法草案をとおして、日本に民主主義をもちこんだマッカーサーが、皇位の男系男子相続(万世一系)をみとめていたである。
 民主主義と伝統の二元性を理解できなかったのは、アメリカ人のマッカーサーではなく、二階や吉川ら戦後憲法で育った日本人だったのである。

 ●民主主義は世紀の大ボラ
 大方の日本人は、国民が政治的な決定権をもつことを民主主義や国民主権と思っている。
 だが、民主主義の民≠竝走ッ主権の国民≠ヘ、個人でも実体ですらない。
 国民主権は、多数派にあたえられる権利のことで、少数派にはなんの権利もあたえられない。
 しかも多数派は、多数派に属する人々ではなく、多数という算術上の事実をさすにすぎない。
 政治をうごかすのは多数派という数字で、国民主権と称して権力者がこれをあずかるのが民主主義で、ヒトラーもルーズベルトも民主主義がうんだ独裁者だった。
 憲法第一条に「天皇の地位は主権の存する日本国民に基づく」とある。
 日本国民もその総意も、抽象的観念で、実体があるわけではない。
 それが民主主義の正体で、これが国民主権へつながったのは、権力の移動を多数決にゆだねると自動的に人民政権が成立するというルソー流の理屈からである。
 ことほど左様に国民主権はいかがわしい。
 主権(君主権=ソブリンティ)は、君主から国家へ委譲された経緯があるので、国民主権にはそもそも根拠がない。
 国民主権は革命によって生じる権利である。
 すると、日本の憲法は革命憲法だったことになる。
 民主主義をもって伝統国家を倒すのが革命である。
 戦後、社会主義(共和制)者や共産主義(一党独裁)者による革命ムードが高まったのは、国民主権が大手をふっていたからだったのである。
 現在でも、日本では、国民主権が絶対的な正義になっている。
 戦後の左翼ブームが、いまなお猛威をふるっているのである。

 ●最大のテーマは「個と全体」の矛盾 
 政治思想上の最大のテーマは「個と全体」の矛盾を解消することにある。
 個とは国民一人ひとりのことで、全体とは国家である。
 西洋では「社会契約説」で、ホッブスやルソー、ロックがこの問題を論じた。
 ホッブスは両者の二元化(「国家は怪物」「万人の戦争」論)で、一応、片をつけたが、ルソーとロックは、両者の一元化(「人民代表による国家運営」)をもとめ、マルクスとレーニンは、暴力革命と一党独裁を主張した。
問題なのは人民代表≠ニいう考え方で、暴力革命も独立戦争も、選挙にもとづく独裁(ファシズム・大統領制)も、人民が主役となる民主主義である。
 日本は、中世以降、権威と権力の二元化をもって「個と全体」の矛盾を解消してきた。
 権力は民を支配するが、民は、権力に正統性を授ける権威と同位にある。
 それが「君民一体(三位一体)」である。
 日本で独裁や恐怖政治がうまれなかった理由がそれで、ルソーも「君民一体」が理想の政治とみとめている。
 玄洋社(頭山満)や黒龍会(内田良平)の流れを汲む大日本生産党の政綱に次のようにある。
 一、欽定憲法に遵い、「君民一致」の善政を徹底せしむること
 二、国體と国家の進運に適合せざる制度法律の改廃を行い政治機関を簡素化せしむること
 三、自給自足立国の基礎を確立せしむること
 大日本生産党は、血盟団事件(井上日召)、五・一五事件の流儀をうけついだ神兵隊事件の中心的な役割をはたした右翼団体である。
 中村武彦や白井為雄らの理論家をうんだ戦後右翼の一つの原点で、両先達の研究テーマが「個と全体」の調和だったことは、自著にあるとおりである。

 ●伝統にささえられている国家
 民主主義という政治概念が文化概念を侵すと伝統が破壊される。
 同様に、文化が政治の領域へ侵入しても、国家的な危機が生じる。
 GHQが占領憲法にもりこんだ武装解除条項(第九条)を「武器を捨てると平和になる」という文化的解釈でとらえると、軍事バランスから成立している安全保障のメカニズムを根底からゆらぎ、国家防衛が危うくなる。
「9条を守る会」の東大3教授(姜尚中・小森陽一・高橋哲哉)が平和主義の立場から国家防衛を否定するのは、文化と政治、国家と国体の仕分けができていないからである。
「男女平等雇用法」や「人権法案」もこのたぐいの混乱で、一方、「スパイ法」や「国家反逆罪」はいまだ法案すらできていない。
 政治と文化、個と全体を混同させ、国家や権力を悪と断じるのが反日主義の論理で、民主主義が伝統破壊の道具に使われているのである。
 多くの日本人は、民が社会の主人になることが民主主義で、民が主権をもつことを主権在民と誤解している。
 君民一体の実体のある民≠ニ民主主義の観念上の民≠混同させているのである。
 民主主義で「個と全体」の矛盾を解消することはできない。
 むしろ、その矛盾を広げるのが民主主義といってよい。
 民主主義は、歴史の連続性を断ち切った一過性の決定で、過去の事跡や歴史の智恵を切り捨てる。
 国家も国民も歴史的存在で、歴史を失ったら、国土は不動産に、国民は住民にすぎないものになってしまう。
 民主主義では、日本人が日本人で、日本の国土や民族の文化・文明が日本のものであることが明らかにならないのである。
 それができるのは、理屈をこえた伝統だけで、歴史の連続性や歴史との一体感は、理屈ではなく、精神文化なのである。
 
 ●反日勢力による敗戦革命
 第二次大戦は「民主主義とファシズムの対決」といわれるが、実際は「革命国家と伝統国家の対決」で、日本以外の戦争当事国は、すべて革命国家だった。
 戦後、日本で民主主義旋風が吹き荒れたのは、戦争に勝ったのが、米英ソを中核とする革命国家群だったからである。
 戦争に負けた日本は、憲法から制度、社会通念にいたるまで革命国家のものへと変更された。
 日本の危機の構造は、伝統国家でありながら、革命国家の憲法を有している内部矛盾にある。
 内部から国家体制を切り崩すのが敗戦革命のメカニズムである。
 レーニンが編み出した敗戦革命は、敗戦国内に祖国にたいする絶望と憎悪を高めさせ、一方で反逆者を育成することによって、革命前夜の危機的な情況をつくりだせるという革命理論である。
 戦後、日本の政界は、親米(自民党ら)と親ソ・親中(旧社会党ら)が憲法をめぐって激しく対立した。
 敗戦革命の機関紙となったのが朝・毎などの大新聞で、広告塔となったのがNHKなどの放送メディアだった。
 左翼・反日が伝統に牙を剥くのは、君民一体の伝統が、敗戦革命の妨害となるからである。
 日本の民主主義は君民一体(共治)なので、伝統と矛盾しない。
 ところが、左翼の民主主義は、蜂起した民衆が国家主権を奪い、その主権を独裁者があずかるという革命理論なので、伝統と真っ向から対立する。
 国家主権は、革命勢力が敵とする権威と伝統の上に樹立されたものだからである。
 西洋の民主主義と日本の君民一体の伝統が、ここで決定的に対立する。
 皇国史観や教育勅語を悪の権化とする日教組やマスコミ、論壇や歴史学会の反伝統主義にはすさまじいものがあって、天皇を「土人の酋長」と教える日教組の教員さえいるほどである。

 ●日本の天皇とヨーロッパの皇帝
 紀元前のヨーロッパは多神教で、同時代の日本の邪馬台国・大和朝廷と同じような祭祀国家だったと思われる。
 キリスト教が広がる以前のヨーロッパの国々も伝統国家だったのである。
 ヨーロッパが権力闘争の修羅場となったのは、ローマ教皇(法王)とローマ皇帝という二人の権力者が出現して、権力に正統性をあたえるべき権威の座が空位になったからだった。
 パンテオン宮殿が象徴する多神教を追い出したキリスト教は、神の代理人であるローマ法王庁をとおして権力化され、俗化してゆく。
 権威が不在とあって、皇帝は、権力の正統性を元老院・軍隊・市民の推戴と軍事力にもとめるほかなかった。
 ローマ帝国は民主化された軍事政権だったのである。
 天皇と皇帝の決定的なちがいは、皇帝が権力者だったのにたいして、天皇が権力から離れた権威だったところにある。
 日本で、権威と権力の二元性が維持されてきた理由は、仏教やキリスト教が入ってきても、神話=神道が日本精神として、ゆるがなかったことだろう。
 それが伝統の力で、合議や多数決、決議や承認などの一過性の決定は、不安定なばかりか、巨大化した国家のなかではなかなかゆきわたらない。
 皇帝の専制政治がおこなわれた東ローマ帝国が1千年の命脈をたもったのにたいして、西ローマ帝国が早々に滅びたのは、元老院の承認や市民集会の決議などの手続きが巨大化した国家全体に浸透する前にゲルマン人の侵略をゆるしたからである。
 江戸三百年の平和は、幕府(権力)が天皇(権威)から預かった土地や民を御宝として扱い、民が天皇を慕い、天皇が民の幸と国家の安泰を祈るという三位一体の国体が成立していたからである。
国家の三要素(領土・国民・主権)をまもるには、権力や法、民主主義などの手続きではなく、伝統という心に刻まれた永遠の規範が必要なのである。

 ●改憲ではなく新憲法制定
 憲法には、伝統が反映されるべきで、聖徳太子の十七か条の憲法には日本の精神が簡潔に記されている。
 ところが、自民党改憲案における天皇の地位は、象徴を元首にさしかえ、以下、一条の全文をほぼ全面的にGHQ憲法を踏襲している。
 明治憲法の欠陥は、ドイツ憲法を模倣して、権威の座にあった天皇を権力の座(=元首)にすえたことで、一方、GHQ憲法の過ちは、日本の君民一体を西洋の民主主義(主権在民)にすりかえたところにある。
 自民党の改憲案は、明治憲法とGHQ憲法の悪いところ取りで、これを改憲案として堂々と掲げるところに自民党の保守党としての限界がある。
 天皇が憲法上の存在となっているかぎり、歴史の証である天皇が、道路交通法のように、法手続きによって廃絶させられる危機から免れえない。
 天皇退位問題にたいして、安倍内閣は特例法(「皇室典範の付則に記述」)で処置するという。
 これは、天皇が歴史上の存在で、伝統の象徴であることの否定で、GHQが憲法の形でおしつけた民主主義への屈服である。
 わが国の数千年の歴史は、GHQがわずか一週間で書き上げた占領基本法と比較するべくもなく、まして、これに屈すべき理由はケシ粒ほどもない。
 同様に11宮家の臣籍降下も皇室典範の憲法への組み入れも、戦勝国の時限的な戦時占領政策で、いつまでもこれをまもらなければならない理由はどこにもない。
 憲法問題については、改憲ではなく、新憲法制定にむけて、もっとつっこんだ根本的な議論が必要なのである。
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2017年04月14日

 伝統と民主主義A

 ●二階発言と戦後民主主義
 自民党の二階幹事長が、女性天皇の問題にからめて、皇位の男系相続が男女平等に反すると発言(BS朝日)して、物議をかもした。
「女性尊重の時代に天皇陛下だけ例外というのは時代遅れだ」「トップが女性の国もいくつかある」というのは、法における男女平等であって、政治や権力のカテゴリーにおかれている。
 一方、国体や皇位は、歴史や伝統という文化のカテゴリーにあって、政治や権力、法の支配をうけない。
 国家は、権力機構である一方、文化構造で、両者は表裏の関係にある。
 したがって、民主主義という政治概念と伝統という文化概念は、二元論的に両立する。
 それを裏付けているのが当時のマッカーサーの判断である。
 戦後の民主主義(男女同権)はマッカーサー憲法を原基としている。
 その憲法が定めた皇室典範の第一章(第一条)に皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承するとある。
 日本に民主主義をもちこんだマッカーサーが男系男子(万世一系)をみとめているのである。
 にもかかわらず、二階発言がとびだしてきたのは、戦後、民主主義ばかりをもちあげて、伝統や歴史的な価値観がないがしろにする風潮がはびこってきたからである。
 ●革命イデオロギーとなった民主主義
 戦後、マスコミや文化人は、民主主義を、人類が到達した最高道徳であるかのような言説をふりまいてきた。
 そして、戦前の教育勅語や道徳教育を「軍国主義」の象徴として、徹底的に排除した。
 このとき、忠孝や友愛、礼儀や謙虚などの道徳観念が捨てられた。
 政治と文化、国体と政体、権力と権威の区別がつかなかったのである。
 民主主義は、多数派の独裁ということであって、政治の技能をもたず、権力操作ができない国民一般に代わって、為政者が政治権力を行使するというだけの話である。
 それが、戦後、絶対善となったのは、民主主義も国民主権も、革命のイデオロギーだったからである。
 戦後、革命の経験も必要もなかった日本でヨーロッパの革命思想が流行したのは、公職追放令や神道指令、労組結成促進などGHQの政策によって革命を夢見る左翼が大躍進したからである。
 左翼にとって、民主主義や国民主権は、革命へのステップボードだったのである。
 ●反日主義の正体 
 17世紀のイギリス革命から20世紀のロシア革命にいたる200年ほどのあいだヨーロッパでは革命の嵐が吹き荒れた。
 その理論的支柱となったのがロック(アメリカ独立戦争)とルソー(フランス革命)そしてマルクス(ロシア革命)だった。
 中世の絶対君主制の崩壊にともなって、離反した国家と人民の関係をむすびなおそうとしたのが社会契約説である。
 万人の万人に対する闘争を避けるために国家が必要としたホッブスの半世紀後にロックが人民の抵抗権を、百年後にルソーが直接民主主義を、20世紀になって、マルクスが暴力革命によるプロレタリアート独裁を唱えた。
日教組や労組、新聞マスコミ、大学論壇の左翼色は、戦後のルソー、マルクスブームの燃えカスなのである。
テレビの討論番組で「反日主義のどこがわるい」と居直った若者が、日本という国家自体が憲法違反だという珍論をくりだした。
そして、左翼憲法学者の論を借りてきて「国家を監視するのが憲法」と主張した挙げ句、「憲法は国体」と言い放った。
「国家は悪である」というルソーの革命思想と強過ぎる大統領の権力を憲法で制限するアメリカ民主主義、そして、国家主権が否定されている戦後憲法の三者を組み合わせて、珍妙なる理屈をこねたわけだが、それが反日主義の論法である。
 ●グロテスクな精神
 ルソー主義とアメリカ大統領制、日本国憲法の三者を見比べてみよう。
 紀元前の大昔、プラトンによって退けられた民主主義は、十八世紀にルソーの手でよみがえった。
 共産主義革命という歴史破壊に、ルソー主義という大嘘が必要だったからである。
 ルソーの人民主権は、議会に収容することできない人民の意思を一般化して、一人の独裁者にゆだねるという詭弁である。
 一方、ロックは、人民の主権を議会や三権分立に委託した。
 前者がナポレオンやヒトラー、スターリンなら、後者がアメリカの大統領というわけで、アメリカの場合、大統領と議会、憲法が三つ巴の関係で、ルソーとロックがごちゃまぜになっている。
 アメリカの権力構造は、突出した大統領の権力を抑えるため三権≠フ上に憲法を置き、立法や司法が憲法をタテにホワイトハウス(行政)の暴走を阻止できる仕組みになっている。
 伝統的規範をもたない革命国家アメリカでは、憲法というガードを設けなければ、大統領の独裁専制になってしまうのである。
 アメリカの憲政主義と三権分立は、二権(立法府・司法府)が民主主義(大統領の権力=行政府)をチェックするための機関なのである。
 日本国憲法は、国家主権を否定して、国民主権を謳っている。
 戦後、日本から伝統国家の精神が消えたのは、憲法が共和制(革命国家)の内容になっているからで、国家は悪だ、武器を捨てれば平和になると叫ぶ反日主義が大手をふるい、反体制派(政党)が政権争いに参入してくるのは、国家基本法(憲法)が反体制派のバイブルになっているからである。
 ルソーの国家性悪説と強すぎる政治権力を制限するための憲法優位説、国家主権の不在の日本国憲法があいまって、日本は、世界に類のない「反日(自国の否定)」というグロテスクな精神がはびこる国となったのである。
 ●アメリカは革命国家
 民主主義は、多数決による権力奪取の手段にすぎない。
 国民主権も、政治権力の主体を国民におき、それを為政者があずかるという理屈にすぎず、一片の政治理念も宿していない。
 まして徳性や文化とは無縁の代物で、かつて、武力に頼っていた権力闘争の手段が多数決に代わっただけの話である。
 一方、文化は、伝統を継承し、過去から学ぶことで、歴史の知恵である。
 したがって、歴史や国体という文化構造をもたない革命国家は、民主主義を唯一の社会規範とするしかない。
 革命国家には、トランプ大統領の政治をみてわかるとおり、民主主義の権力(大統領令)と憲法の威力(司法による執行停止)の衝突しかない。
 内閣がなく、議会も無力なアメリカの政体は、選挙(=民主主義)によって主権を手にしたホワイトハウス(大統領+スタッフ)による独裁政治となる。
 アメリカもまた人民独裁の形をとる革命国家だったのである。
 ●王制民主主義と天皇民主主義
 日本も首相を国民投票でえらぶべきという者がいるが、愚見である。
 日本は内閣・議会政治で、独裁的な権力をもつ大統領を必要としない。
 日本の国のかたちは、歴史にもとづく文化の系統=国体(権威)が、政治をおこなう権力の系統=政体(権力)に統治の正統性を授ける二重構造になっている。
 ロックやルソーをもちださずとも、日本には、万人の戦争を避けうる国体と国家の二元構造があって、その伝統が天皇の存在である。
 したがって、伝統国家には、主権者の権力を制限する憲法は要らない。
政治が、民(民主主義)や法(憲法)ではなく、歴史(伝統)から委託されるからである。
 イギリスが憲法をもたないのは伝統国家の体裁をとっているからで、王から委託をうけた議会と文化の歴史的蓄積である一般慣習法(コモンロー)ですべて足りる。
 イギリスが王制民主主義なら、日本は天皇民主主義である。
 自由には節度、平等には分相応、人権には人格という法以外の常識や知恵がもとめられる。
 それがイギリスのコモンローで、日本の伝統的価値観である。
 ところが、戦後の日本人は、アメリカ民主主義を最高道徳(=憲法)としてとらえ、これを国体の上位においてきた。
 日本は、文化的には伝統国家だが、民主主義と法を唯一の規範とする政治の面では、新興国並みである。
 なにしろ、歴史や文化までを裁判(憲法訴訟)で決着をつけようというのである。
 日本では、最大の権力が民主主義で、憲法が民主主義の教本になっている。
 ならば、必要なのは、憲法を監視する文化(伝統)であろう。
 伝統国家というのは、国体という文化構造が政体=権力を監視する仕組みができている国のことなのである。
 ●民主主義とリベラリズム
 民主主義は、自由や平等、人権と同様、市民革命からうまれてきたことばで、歴史を否定する進歩主義である。
 近世の革命熱が冷めて、現実政治に立ち返った近代において、自由や平等などのことばは、法の専門用語として残っただけで、国民主権も、実効的な意味合いを失っている。
 代わって台頭してきたのがリベラリズムである。
 現在、世界中で、リベラリズムと保守主義が対立している。
「個と全体の矛盾」という永遠のテーマが政治の場で衝突しているのである。
 個を重く見るのがリベラルで、全体を重視するのが保守である。
 保守と革新の対立は、マルクス主義の破綻と保守主義の中道化によってほぼ解消されて、残っているのは、国家と個人が対立する構図だけとなった。
 個(個人)と全体(国家)の絶対矛盾は解消されることはない。
 個は全体の一部で、一方、全体は、個なくして成り立たないからである。
 したがって、先進国の政党は、たとえ野党でも、国家を第一義におく。
 それが「大きな政府・小さな政府」論である。
 アメリカはリベラル(民主党)と保守(共和党)の二大政党である。
 リベラルは大きな政府(=経済への政府関与)を、保守は小さな政府(=市場主義)を掲げる。
 民主主義がアメリカで機能しているのは、政治的手法としてのみもちられているからである。
 日本の民進党(旧民主党)をリベラル政党ということはできない。
 リベラルも保守も、民主主義に立ち、ともに国益をもとめる。
 ところが、日本の場合、民主主義が反体制のイデオロギーになっている。
 強行採決にたいして、野党が民主主義をまもれと叫ぶのは、かれらにとって民主主義は、多数決の原理ではなく、人民独裁なのである。
 日本で二大政党体制が成立しない理由はそこにあって、共産党と共闘関係にある民進党は、政党ではなく、革命集団なのである。
 ●まだ革命熱が冷めない後進性
 ニューディール政策のルーズベルトは民主党の大統領で、コミンテルンから多大な影響をうけた経済政策はアメリカ版共産主義≠ニ呼ばれ、最高裁から違憲判決までうけている。
 だが、反国家的政策をとったことはなく、現在の軍産複合体制をつくったのはそのルーズベルトだった。
 共和党のトランプ大統領が、共和党の一部から批判され、民主党の一部から支持されているのは、共和党の新自由主義を捨て、政府が経済政策に積極的に関与する民主党の路線をとったからである。
 アメリカ民主党は、かつての自民党の保守本流(宏池会)で、共和党にあたるのが非主流(岸信介・鳩山一郎派)である。
 日本では、政治向けの政策をおこなう非主流派と経済政策をもっぱらとする保守本流が交代に政権を担当して、バランスをとってきた。
 このサイクルが狂ったのが、細川護煕政権(非自民・非共産8党派連立政権/1993年)と民主党政権(2009年)だった。
 自民党が8党派連立政権に政権を明け渡したのは、宮沢首相の指導力欠如と分派行動が原因だったが、民主党に政権を奪われたのは、マスコミ総出の反自民キャンペーンによるもので、このとき民主党ブームがおこり、そのときの議席占有率(64.2%)はいまなお破られていない。
 日本人とりわけマスコミが非自民政権に期待したのは革命(改革)だった。
 反日主義や自虐史観が台頭、媚中派や護憲派が幅をきかせ、愛国心や国益を口にすると右翼と叩かれるようになったのもこの頃からだった。
 ●戦争で大きくなったアメリカ
 アメリカにおける政権交代は、自民党左派と右派の主導権争いのようなもので、民進党や共産党のような革命政党が護憲をタテに政治の表舞台に登場することはありえない。
 アメリカ憲法は、大統領の権力を制限するが、国権を制限しないからである。
 アメリカは「力への信仰」から成り立っている国である。
 世界最強の軍事力が、腰に拳銃をぶら下げていた時代からアメリカ人のアイデンティティーで、USAが他国をねじ伏せているかぎり、かれらは、誇りと愛国心をたずさえたアメリカ人なのである。
 武器を捨てると平和になる(九条護持)と叫びながら、日米安保条約のなかで惰眠を貪っているわが国の護憲派とは大違いなのである。
 アメリカは戦争によって、大きくなった国である。
 独立戦争やインディアン戦争、南北戦争のほか、メキシコ国土の三分の一を奪った米墨戦争、キューバを支配下におき、フィリピン・プエルトリコ・グアムを領有した米西戦争、そして、二つの世界大戦に勝利して、アメリカは世界一の強国となった。
 アメリカの戦争は、権力を一手に握る大統領の指導力と国民の熱狂的支持の下でおこなわれてきた。
 国家の形態も臨戦型で、アメリカ合衆国大統領行政府(ホワイトハウス)と中央情報局(CIA)、国防総省(ペンタゴン)の三者が形成する∧軍産複合体制(MIC)∨には、アメリカを代表する数千の企業や金融機関、大学、研究施設からマスコミまでがふくまれる。
 原爆を製造・投下したのもMICで、現在でも、最新兵器にはアメリカ中の科学の粋が結集される。
 ●「力=正義=民主主義」の図式
 アメリカの民主主義は、政治(権力)のカテゴリーにあって、革命と戦争がその決着点である。
 アメリカにとって、力が正義で、その正義をうみだすのが民主主義なのである。
「力=正義=民主主義」がアメリカの国是で、多数決(民主主義)と法だけで決着のつく文化果つる地では、戦争や軍事力を背景にした「力の支配」だけがまかりとおるのである。
 みんなにこにこ民主主義とやっているのは日本だけだが、その日本でも民主主義による伝統破壊がじわじわ進行している。
 好例が自民党の改憲案で、9条を除いて、GHQ憲法がそのまま踏襲されているどころか、明治憲法の天皇元首までをひきついでいる。
 明治憲法がプロイセン(ドイツ)憲法をモデルにしたのは、皇帝の政治力がつよかったからだが、ドイツも革命国家で、皇帝は、憲法によって定められた地位にすぎなかった。
 天皇が、アメリカの民主主義や西洋の憲法以上の存在なのは、伝統国家のオサ(長)だからで、権力や政治や法によって定められた西洋の王や皇帝よりはるか上位にある。
 そこに万世一系の権威があるのだが、民主主義と憲法に毒された戦後の日本人は、そのことをすっかり忘れている。
 伝統と民主主義をめぐる議論をもっと深めてゆく必要があるだろう。
posted by 山本峯章 at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 月刊ベルダ3月号(2017年2月発売)より転載

 伝統と民主主義@
         
 ●伝統に牙を剥く民主主義
 伝統と民主主義は決定的に対立する。
 歴史的価値の継承である伝統と歴史を否定した上に成り立っている民主主義は水と油の関係にあるからである。
 歴史を否定し、伝統を破壊するのが革命で、革命の原動力となったのが民主主義だった。
 大東亜戦争・日米戦争は、革命国家と伝統国家のたたかいで、戦争に勝ったのは、中華民国(辛亥革命)をふくめて、すべて、革命国家だった。
 連合国側は、民主主義の旗を立て、日・独のファシズム打倒をスローガンに掲げた。
 市民革命で否定した伝統的体制を民主主義の敵(悪の枢軸)と見立てたのである。
 枢軸国は戦争に負けて、ナチズムは滅びたが、日本の国体は残った。
 ナチズムは人工物だが、国体=天皇は歴史そのもので、歴史を否定することはできないからである。
 戦後、日本では、伝統と民主主義が奇妙な形態で共存してきた。
 それが可能だったのは、民主主義が憲法に代表されるルールだったのにたいして伝統が精神に根ざす文化の体系だったからである。
 国家主権(交戦権)をもたない日本が対米従属構造のなかで、アメリカの属国のようにふるまってきたのはその歪みからである。
 憲法九条が軍隊の保持や交戦権を否定しても「日米安保条約」が補完し、GHQ憲法が天皇から主権を奪っても、もともと、権力ではなく権威だった天皇の尊厳も地位もゆらぐことはなかった。
 戦後日本は、憲法ではなく、日米安保条約の下で、国際社会の一員となったのである。
 ●大きく変化する日米関係
 ところが、戦後70年にして、地殻変動が生じた。
 アメリカの弱体化と中国の強大化である。
 アメリカは一国支配の超大国から同盟国を必要とする盟主にすぎない存在へと変貌したのである。
 現在、日米関係は、従属からイコール・パートーナーシップへかわりつつある。
 安倍・トランプのゴルフ首脳会談≠ェその象徴で、日本はアメリカのキャディバックを担ぐ立場から対等にスコアを競う関係へともちあがった。
 日本の地政学的条件と科学技術、経済力がなければ、アジアにおけるアメリカの軍事的優位は保てず、日本の投資や進出、協力がなければ、アメリカの製造業は浮上できない。
 G8のメンバーで、アメリカの最大のパートナーが、国家主権をもたない半人前国家というのは恥ずべき話で、日本は、遅ればせながら自主憲法制定という戦後最大の政治課題に取り組むべき時期を迎えている。
 自主憲法制定の要諦は次の三つである。
 @GHQ憲法の破棄と自主憲法制定
 A明治憲法観における天皇主権の破棄と皇室典範の憲法からの分離
 B国家主権の宣言
 この場合、最大のテーマとなるのが、伝統国家としての国柄をいかに新憲法に反映させるかである。
 戦後、GHQによる国体破壊と国家改造が大胆にすすめられた。
 この文化破壊に駆り出されたのが民主主義とキリスト教的な価値観、そして、マルクス主義的な進歩主義だった。
 伝統を決定的に破壊したのが、民主主義と国民主権を謳った憲法だったのはいうまでもない。
憲法草案作成の中心的役割をはたしたケーディス(民政局課長)ら主要スタッフが共産主義のシンパだったからである。
 神道指令や公職追放令などの一過性の軍令は、占領が終了してGHQが撤退すれば失効する。
 だが、武装解除(9条)を盛り込んだ憲法や教育基本法、労働組合法、財閥解体、農地改革、あるいは教育勅語の廃棄などは占領が終わっても、恒久的な法や制度、構造として残り、主権回復後も、国家と国民をしばりつづける。
 昭和27年にサンフランシスコ講和条約が締結された時点で、日本は、最低限、占領憲法の廃棄と皇室典範の憲法からの分離を実現させておくべきだった。
 ところが、戦前から親英米派だった吉田茂にその気はなく、公職追放されていた鳩山一郎が政界に復帰したときは、護憲派が議席の三分の一を握ったあとだった。
 講和成立後、60年以上経った現在も、日本は、敗戦構造をひきずったままで、戦後体制(=戦後レジーム)脱却の機運がうまれてきたのは、第二次安倍内閣にいたってからである。
 ●伝統を捨てた日本の保守陣営
 その自民党の改憲案に「天皇元首(第一章第一条)」が謳われている。
 第二条(皇位継承)では皇室典範が国会決議の下位に置かれてもいる。
 明治憲法の天皇元首(天皇主権)はドイツ憲法の模倣で、皇室典範の権力への取り込みはアメリカ大統領制をモデルにしている。
 天皇をヨーロッパの王制と同一視したもので、祭祀国家の伝統とは相容れない。
 神話を源流とする権威(祭祀主)たる天皇は、権力の正統性を担保する神霊的な存在である。
 保守を自認する自民党の改憲草案においてすら、伝統が断ち切られているのである。
 民主主義を最高善と教育された戦後の日本人は、歴史主義という伝統的な意思決定を頭から否定する。
 多数派(ボルシェビキ)を絶対価値とする日教組の洗脳によるもので、標的になったのが教育勅語と皇国史観(正史)だった。
 ギリシャの哲学者プラトンは「もっともすぐれているのは哲人(偉人)による政治」と喝破した。
 秀吉の検地・刀狩りやキリシタン禁止令、江戸幕府の鎖国令は、歴史上の出来事にとどまらず、現在の日本を成り立たせている根源的な要因となっている。
 日本がキリスト教化されず、人身売買や奴隷制度がなく、士農工商の身分秩序の下で礼儀や道徳がおもんじられてきたのも、歴史と伝統の成果で、歴史は現在も生きている。
 伝統国家は、歴史という絶対的な土台の上に建っているのである。
 大日本帝国憲法第3条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とある。
 これが伝統のありようで、歴史上の事実は変更がゆるされず、継承するだけである。
 したがって、新憲法では「日本国民の総意に基づく」から「天皇はわが国の伝統である」へ変更されなければならない。
 一方、民主主義では、多数決によって、歴史まで変更しようとする。
 女性天皇(女系天皇)をみとめた皇室典範に関する有識者会議(平成17年)の吉川弘之座長(元東京大学総長)が「伝統は無視した」とのべたことからもわかるように西洋合理主義(民主主義)の下では、伝統は前世紀の遺物としか映らないのである。
 ●民主主義を盲信した戦後日本人
 戦後、日本では、民主主義が最大の価値となった。
 民主主義は、紀元前、プラトンから衆愚政治として退けられて以後、ソクラテスからプラトン、アリストテレスへとつづく西洋思想史から完全にすがたを消した代物である。
 復活したのは、18世紀になって、ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』が登場してからである。
 ルソーの主権在民論がフランス革命の精神的支柱となり、マルクスの資本論に援用されたことはすでに知られている。
 民主主義が衆愚政治に堕すのは古代ギリシャからの常識だが、ルソーは、そこで名案を思いついた。
 民衆の代表者(民)を独裁者(主)に仕立て上げれば衆愚政治を免れるというアイデアである。
 直接民主主義だった古代ギリシャのデモクラシーは、民衆全員が議事堂に入りきらない以上、空想論から出るものではなかった。
 だが、民衆の意思を一人の独裁者にゆだねるルソーの間接民主主義は、実現が可能である。
 このときルソーが使った論法が「民衆の総意」という一般化理論である。
 日本国憲法の「日本国民の総意に基づく」(第一条天皇)がこの論法である。
 国民一人ひとりを民衆≠ニ一般化して、なおかつ総意≠ニいうゴマカシをもちいて、独裁者が君臨する近代民主主義を考案したのである。
 この論法からできあがったのが、フランス革命の恐怖政治(ジャコバン派)やナポレオン帝政、ロシア革命、ヒトラー独裁で、絶対権力者が人民代表の名の下で強権をふるったのである。
 民主主義は、もともと、革命のイデオロギーである。
 民主主義の生みの親は革命で、歴史を破壊しつくし、多くの血を流してきた。
 いまさら、民主主義は平和的で、暴力を否定するなどといってもとおらない。
 なぜなら、民主主義において、すでに数の暴力(多数派による専制)≠ェ容認されているからである。
 ●ポピュリズムに転落する民主主義
 民主主義も専制政治も「力による支配」にかわりはなく、かならず「力による反逆」という対立軸をかかえこむ。
 このとき、動員されるのが暴力で、歴史や文化を破壊する民主主義は、その一方、民主主義に逆らう勢力にたいして容赦ない攻撃をくわえる。
 アメリカの戦争は、民主主義を大義に掲げたもので、キリスト教を立て、侵略と虐殺をおこなったかつての列強の侵略の論理とかわるところがない。
 アメリカがすすめてきたグローバリズムはアメリカ化にほかならず、伝統を民主主義におきかえる文化破壊だった。
 イスラム過激派との戦争は、そこからうまれたもので、アメリカという重爆撃機に抵抗する戦法としてえらばれたのがテロリズムだった。
「多数派の論理」である民主主義は、感情に支配される。
デマゴギーが共産党の常套手段であることからもわかるように、民主主義は感情訴求のイデオロギーなのである。
「万世一系(皇位の男系男子相続)」は男女差別というほど愚昧な俗説はないが、感情にうったえて、伝統を破壊するのに、これほど便利で効果的な方法はない。
 智恵も分別もいらない感情訴求は、暴動を暴力革命にみちびく共産党の危険な常套手段だが、同時に、もっとも民主主義的な方法ということもいえる。
 戦後の日本人が民主主義を後生大事にしてきたのは、自分勝手な感情の捌け口にもなるからで、痴漢常習の漫才師を二期続けて大阪府知事にえらんだのは、テレビでよく見る顔だったからである。
民主主義がポピュリズムに堕するのは感情に支配されるからである。
衆愚政治は、有権者が愚かであるがゆえに低レベルの政治がおこなわれることで、ポピュリズムは、その愚かさにつけこんだ選挙や政治、政策のことである。
 衆愚政治とポピュリズムの下で、道州制導入の国民投票や首相公選制がおこなわれると、ファシズム並みの悲惨な政治状況がうまれることになる。
 歴史の叡智を継承する伝統を失えば、行く先にあるのは、不毛な革命ゴッコや国家崩壊だけである
紀元前、ギリシャで流行った民主主義がルソーによってよみがえった。
 これに大昔の原始共産制をくっつけたのがマルクス主義である。
 マルクス主義に専制政治をくっつけたのがスターリン主義で、毛沢東主義も同じようなものである。
 政治は、三大宗教と同じように、古代から一歩も進歩していない。
 そして現在、アメリカでは、国益第一のトランプが大統領になり、フランスでは極右政党(国民戦線=FN)のルペンが大統領候補に取沙汰されている。
 ロシアのプーチンも中国の習近平も独裁的で、世界のリーダーは、だれもが民主的な手続きでえらばれた小粒なアレキサンダー大王なのである。
 ●革命熱にうかれた戦後日本人
 西洋の近代化は、三つの革命によって実現された。
 宗教革命と市民革命、そして、産業革命である。
 メイフラワー号でアメリカにやってきた人々はピューリタンで、英国から独立をかちとったアメリカ革命は、宗教革命でもあった。
 三つ目の産業革命は、伝統が残るヨーロッパよりも、新興国アメリカのほうで大きく開花した。
 摩天楼や車社会、オートメーションに象徴されるアメリカ文明は、過去なき地に打ち立てられ、かつてなかった形態とスケールで巨大化していった。
 歴史なき地で社会規範になりうるのは、宗教的戒律と民主主義だけである。
 相続すべき歴史的遺産がないからで、あるのは、プロティスタンティズムの自由と革命のエネルギーとなった民主主義だけだった。
 そして、アメリカは、そのアメリカイズムを普遍的な価値として、世界中におしつけてきた。
 戦後、伝統的価値観を捨て、アメリカナイゼーションへ走った日本人は、なんでも多数決できめられると思いこんでいる。
 教育勅語を悪の権化のようにいい、道徳教育に反対するのは、民主主義に反するというわけで、朝日新聞はことあるごとに「軍靴の音が聞こえてくる」とくり返す。
 革命は、西洋合理主義の一つの帰結で、伝統を破壊した上に成立する。
 戦後日本では、フランス革命やイギリスのピューリタン革命、アメリカ独立戦争、ロシア革命の思想的背景となった啓蒙思想のジャン・J・ルソーやJ・ロック、共産主義のマルクスらがもちあげられ、研究された。
 そのかん、日本中に左翼と反日の風が吹き荒れた。
 戦後、戦勝国から植えつけられた西洋合理主義が、左翼から進歩主義、反伝統、自虐史観、売国思想に化けて、日本中に摩擦をひきおこしていたのである。
 戦後、日本人が人類の最高英知であるかのように考えてきた民主主義は、ただの革命理論で、徳や歴史の英知を宿してはいない。
 しかも、民主主義は、だれが真の権力者かを問うだけで、政治はどうあるべきかという肝心なことには一言もふれていない。
 民主主義から歴史主義に回帰しないかぎり、いつまでも日本に、伝統国家としての自信と風格はもどってこないのである。
posted by 山本峯章 at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする