2019年05月21日

伝統とは何か――女性天皇をめぐる3つの誤り

 伝統とは何か――女性天皇をめぐる3つの誤り
 ●伝統とは何か
 伝統とは、歴史に培われた文化的な蓄積のことで、独自の世界観や価値体系をもっている。
 たとえば、能や歌舞伎、華道や浮世絵、武道などの伝統は、それ自体、特有の文化形態をもち、様式やしきたり、ルールなどにそれぞれ独自性がある。
 伝統がもっともダイナミックにあらわれるのが国のかたちであろう。
 その国らしさをつくりあげているのは、観念やイデオロギーではなく、伝統である。
 日本は、神武天皇以来一二五代、二六〇〇余年にわたって、天皇中心の国のかたち、国体を維持してきた。
 伝統は、歴史の連続性が練り上げた叡智で、人間が頭で考え出したにすぎない合理主義を超える。
 経験知や長年積み重ねられた技能は、往々にして、人知を超越するのである。
 イギリスには、女王陛下が議会に臨席する際、議員1名がバッキンガム宮殿に人質として留まる慣習がいまなお残っている。
 チャールズ1世が議会によって処刑されたピューリタン革命の故事をふまえてのことだが、それもまた伝統で、多くが奇矯で不合理と映る。
 伝統の反対概念は改革で、改革には、民主主義や合理主義、唯物論が動員される。
 したがって、改革という嵐が吹いたあとに残るのは、すべてが画一化、均一化された無機質的な世界である。
 共産主義や全体主義が破綻したのは、固有の形式、独自の価値をもつ伝統文化の多様性が失われたからで、文化の花が開く伝統社会が、革命によって人民の強制収容所となってしまうのである。
 国連安保理事国5か国(米ロ英仏中)はすべて革命国家で、伝統国家は、先進8か国(G8)のなかで日本だけである。
 革命国家が民主主義一辺倒なのにたいして、日本に、和の心や謙譲の精神、善や礼儀などの精神文化がゆたかなのは、伝統国家だからである。
 文化の本質は、伝統という、合理をこえたところにそなわるのである。
 アメリカも革命国家で、広大な国土と豊富な地下資源、軍事力と経済力で世界一の強国となったが、民主主義のほかにはなにもない人工国家である。
 戦後、そのアメリカから日本に民主主義が移入され、天皇は人間宣言をおこなった。
 それでも、日本人の天皇にたいする敬愛心は失われることがなかった。
 日本人が民主主義という外来思想をうけいれたのではない。
 日本にはもともと「君民一体」という伝統があったからで、それが、戦後になって、民主主義と名称が変わっただけだった。
 西洋の民主主義は、絶対君主を倒してうまれた。
 ところが、日本の民主主義は、君民一体にもとづいたもので、天皇は国民の代表だった。
 これも日本の固有の文化で、天皇はわが国の伝統なのである。

 ●女性・女系天皇をめぐる3つの誤り
 現在、皇位継承問題にからめて、女性・女系天皇が論じられている。
 問題なのは、皇位継承というわが国古来の伝統を「男女平等」という西洋の概念をもちいて論じる風潮である。
 論じてきたように、伝統は、異文化や他の文明、他国の習俗やイデオロギーの影響をうけない。
 女性・女系天皇問題をめぐる議論に3つの誤りがあるので正しておこう。
 一、皇位継承と「男女平等」のあいだになんら相関関係はない
 二、皇位の女系相続は(女性・女系天皇)は憲法違反である
 三、「女性宮家」創設より旧宮家の皇籍復帰が優先される
 男女平等はフェミニズム
 男女平等を普遍的な価値と思っているひとが少なくない。
 だが、現在、語られている男女平等はフェミニズム(ジェンダーフリー)で、そこからでてきたのが、男女共同参画社会や「皇統の男系相続は女性差別(国連女子差別撤廃委員会)」という俗論である。
 ジェンダーフリーの起源は「スターリン憲法第12条」にまでさかのぼる。
 働かざるもの食うべからずとする12条は、女性を労働者としてとらえる思想で、日本では「男や女である前に一人の人間たれ」という言い方になる。
 ここでいう人間は労働力という意味で、男女共同参画社会は、女性の勤労所得を増やす運動である。
 男女同権という考え方がでてきたのは、第3回国際連合総会(1948年)の世界人権宣言「基本的人権、人間の尊厳および価値並びに男女の同権」(前文)以降のことで、それも、フェミニズム運動の成果としてとりいれられたにすぎない。
 うまれて百年もたたない男女平等を、皇位継承にもちだすのは、見当ちがいもはなはだしく、「皇位の男系男子継承は女性差別(小林よしのり)」や「女性尊重の時代に天皇陛下だけ例外というのはおかしい(二階俊博幹事長)」というのは無知の極みというほかない。
 世界経済フォーラムの報告によると『世界男女格差レポート』で、世界145か国中、日本は101位である。
 日本に女性の政治家や官僚、企業の重役、勤労所得や労働参加人口が少ないのは、短期就業のOLや専業主婦が多いからである。
 一方、国連開発計画 (UNDP) の「人間開発報告書」のデータでは、日本の男女間の不平等格差(平均寿命、1人あたりGDP、就学率など)は187カ国中の17位で、非就業の日本女性が、ジェンダーフリーの英米仏らの女性よりも恵まれた環境ですごしているとわかる。
 男女平等は錯覚だらけの過てる合理主義だったのである。
 女性・女系天皇は憲法違反
 女性・女系天皇は憲法違反でもある。
 現憲法では、第2条で、皇位の世襲が謳われているからである。
 皇位の継承については、皇室典範の定めるところによるとしている。
 皇室典範の第1条には、皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承すると明記されている。
 憲法が男女不平等≠宣しているのである。
 憲法14条(法の前の平等)には「国民は、人種、信条、性別、社会的身分または門地によって差別されない」とある。
 すると、2条と14条は矛盾していることになる。
 近代法である現憲法のなかで、天皇条項だけが、伝統という非合理性の上に立っているのである。
 これは、重大なポイントで、わが国では、伝統が、憲法において担保されている。
 民主主義の使徒、マッカーサーですら、天皇という伝統的存在を合理性から切り離さざるをえなかったのである。
 11宮家の皇籍復帰
 戦後の日本統治に天皇を利用したGHQが、皇室の将来的な廃絶を意図していたことは、皇室の財産を没収して、11宮家の臣籍離脱を迫ったことからも明らかであろう。
 11宮家が廃止となって、51人が皇籍を離脱したのち、皇統維持に必要な皇族は、昭和天皇の直宮3宮家(秩父宮・高松宮・三笠宮)だけとなった。
 かといって、11宮家が皇統から外れたわけではない。
 重臣会議の席上、鈴木貫太郎首相が「皇統が絶える懸念はないか」たずねると、加藤宮内次官は「(旧皇族には)皇位を継ぐべきときがくるかもしれないとの自覚のもとで身をお慎みになっていただきたい』と返答している。
 また、赤坂離宮でのお別れ晩餐会では、昭和天皇から「身分は変わるようになったけれども、わたしは今までとまったく同じ気持ちをもっている」というおことばがあった。
 皇室と11宮家の交流は、菊栄親睦会をつうじていまもつづいている。
 皇室典範第二条(「皇位は左の順序により皇族にこれを伝える」)のなかに「前項各号の皇族がないときは、皇位は、最近親の系統の皇族にこれを伝える」とある。
 この文章を「皇族もしくは旧皇族」と書き換えることで、皇統の継嗣問題は一挙に解決する。
 女性天皇などもちださずとも、皇室典範にもしくは旧皇族≠フ7文字をくわえるだけで皇統の男系男子はまもられるのである。
 保守系のなかにも、一般人になったひとが天皇になることには違和感があるという意見が少なくない。
 そこから、天皇の内親王が天皇になる「女性天皇」論が浮上してくる。
 女性天皇から、その皇子が新たな天皇になる女系天皇へは一本道である。
 そのとき、神武天皇の血統が絶え、天皇の祖先が別の血統に移る易姓革命がおきる。
 神武天皇の男系直系である旧皇族の皇籍復帰には違和感があって、神武天皇の男性遺伝子(Y染色体)をひきつがない女性、女性宮家の入り婿になった一般人男性が天皇になるのに違和感がないというのはとおる話ではない。

 ●易姓革命と皇統の男系相続
 日本が祭祀国家の形態をとって、国体と政体を切り離したのは、易姓革命を避けるためで、日本で政変がおきても、権力構造が代わるだけで、祭祀国家の頂点にいる天皇になんの動揺もなかった。
 そこに皇統が男系相続となった最大の理由がある。
 男系相続であれば、父から父へたどる系図が一本道なので争いがおきない。
 ところが、母から母へたどる系図では、入り婿という形で、権力者が入ってくる可能性がある。
 女系相続では、女帝の孝謙天皇(重祚して称徳天皇)に仕えた道鏡や次男の義嗣を天皇にして治天の君(上皇)になろうとした足利義満のような野心家を、皇統の純血性から排除できないのである。
 古代から皇統の男系相続を貫いてきたのは、皇統に他の男系の血統を入れないためで、その智恵が、結果として、神武天皇のY遺伝子が純粋な形で今上天皇まで引き継がれてきた。  
 皇統は一本の樹木にたとえることができる。
 傍系が枝で、どの枝も、神武天皇のY染色体を継承している。
 今上天皇の系列は、光格から仁孝、孝明、明治、大正、昭和の各天皇へつらなる閑院宮家(東山天皇の第六皇子閑院宮直仁親王が創設)という枝である。
 閑院宮家の創設(1710年)にうごいたのが、皇統存続に危機感を抱いた新井白石で、傍系が皇籍離脱(出家)するしきたりを枉げ、皇位継承ができる世襲親王家(伏見宮・桂宮・有栖川宮)に閑院宮をくわえた。
 歴史学者ですら「皇統」と「家系」の区別がつかない者が少なくない。
 嫡子がいなかった武烈天皇(25代)のあとを継いだ継体天皇(26代)が、応神天皇(15代)の5代末裔であることをもって、王朝交替があったなどというのがそれである。
 応神天皇から継体天皇までは、若野毛二派皇子〜意富富等王〜乎非王〜彦主人王とすべて男性である。
 したがって、神武天皇の男性遺伝子(Y染色体)が純粋な形で継承されている。
 便宜上、X染色体とY染色体を例にとって話をすすめよう。
 男性の染色体がYXで、女性がXXである。
 Y染色体を継承するのが皇統で、X染色体をひきつぐのが家系である。
 Y染色体は男性だけに継承されるので、父方をさかのぼっていけば、祖先の男性にゆきつく。
 ところが、X染色体の母方をさかのぼっても、無限数の女性の祖先があらわれるだけで、祖を特定することはできない。
 男性も女性もX染色体をもっているからである。
 Y染色体がいくら代をかさねても、他のY染色体と混交しないのは、女性がY染色体をもっていないからである。
 ちなみに、メディチ家やハプスブルク家など名家・名門から成るヨーロッパの王位継承順位が、他国の王室までまきこんで驚くほどの数にのぼっているのは、多くが家系主義(女系)だからである。

 ●日本の神話沖ノ島の古代祭祀
 皇位や皇統は神事で、世俗の政治や制度と同列に語ることができない。
 皇統の男系相続も、神事のしきたりで、聖域にあるものは伝統である。
 日本の伝統が天皇なら、天皇の象徴が祭祀である。
 祭祀を司る天皇の下で、摂政や関白、征夷大将軍、幕府、政府と権力構造が移ろってきたのがわが国の歴史で、日本は、世界最古の宗教国家でもある。
 戦後、キリスト教などの一神教のみを宗教として、日本を無宗教国家、日本人を無神論者ときめつける風潮がはびこったが、とんでもない話である。
 人口にたいする宗教施設(神社や仏閣)は世界一で、初詣や七五三、供養や法事など国民生活に密着する宗教的行事の多さも比類がない。
 キリスト教などの一神教は啓示宗教で、神話やアニミズム、汎神論にもとづく神道は自然宗教(崇拝)である。
 そして、神道と習合した大乗仏教は、集団宗教である神道にたいして、個人宗教で、釈迦の死生観は、西洋哲学に大きな影響をあたえた。
 日本人の素朴な信仰心にもとづく国体の上に、政体という権力構造がのっているのが、伝統国家・日本の国の形である。
 日本人の信仰の土台にあるのが神話である。
 天地開闢には「造化の三神」やニ柱の「別天津神」が登場するが、すがたをみることはできず、むろん、性別もない。
 そのあとうまれるのが国之常立神と豊雲野神、そして五組の男性神と女性神の「神世七代」である。
 神世七代の最後にあらわれるのが伊邪那岐神(イザナギノカミ)と伊邪那美神(イザナミノカミ)である。
 国産み・神産みでは、イザナギとイザナミとの間に日本本土となる大八洲の島々や山・海・川・石・木・海・水・風・火など森羅万象の神々がうまれる。
 このときイザナミとイザナギは「成り成りて成り合はざる処一処在り」「成り成りて成り余れる処一処在り」といい交わしている。
 天照大御神をうみだした(イザナキの左目から生まれた)日本開闢の始祖であるイザナギとイザナミが男神と女神だったことは象徴的である。
 日本の神代にいたのは、男神と女神で、人間神ではなかったのである。
 西洋は、神がひとをつくったが、日本の神話では、人間が神を生み出した。
 男女平等は、ヒューマニズム(人間主義)にもとづいている。
 男も女も同じ人間というというところから、男女平等という発想がでてくる。
 ところが、日本の場合、男神と女神の二者並立なので、比べようがない。
 男女平等の根底に、男女差別の人間観があるのを見逃してはならない。
 沖ノ島の古代祭祀が世界遺産に登録された。
 沖ノ島で国家的な祭祀が始まったのは大和朝廷の初期の4世紀である。
 その古代祭祀が廃れたのは、宮中祭祀が確立され、伊勢神宮、全国の神社が整備されたからであろう。
 古代祭祀は、その一部が宮中祭祀にひきつがれて、現在に残る。
 世界遺産委員会が沖ノ島(沖津宮)のほか、内地の宗像大社中津宮・宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群など八つの構成資産のすべてを世界遺産にみとめたのは、宮中祭祀にひきつがれた古代祭祀の歴史的連続性を評価したからである。
 沖津宮と中津宮、辺津宮の3女神を生んだのが天照大御神で、皇室の始祖であり、日本人の総氏神である。
 日本が神道を軸とする伝統国家あることが、改めて、世界から認識されたのである。
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安倍首相よ 国を売りたもうことなかれ

 2019年5月再掲出
 北方4島は日本固有の領土である
 安倍首相よ 国を売りたもうことなかれ

 ●日米ロの国益がからんだ北方領土問題
 北方領土問題は、前期と後期の二つに分けて、考えるべきだろう。
 前期が1956年の「日ソ共同宣言」から三十年余である。
 そして、後期が1991年の「日ソ共同声明」以降である。
 境界線は米ソ冷戦で、冷戦中と冷戦後では、時代精神や時代背景が劇的にちがってくる。
 前期が冷戦のさなかなら、後期は、冷戦終結後で、ゴルバチョフが登場してくる。
「日ソ共同声明」は、海部俊樹首相とゴルバチョフ大統領によって署名されたもので、このとき、平和条約と並んで、北方四島が解決されるべき領土問題として、初めて、文書の形で確認された。
 以後、細川護熙首相とエリツィン大統領の「東京宣言」(1993年)、橋本龍太郎首相とエリツィン大統領の「クラスノヤルスク合意(1997年)」と「川奈合意(1998年)」、森喜朗首相とプーチン大統領の2001年の「イルクーツク声明」、そして、小泉純一郎首相とプーチン大統領の2003年の「日露行動計画」にいたるまで、四島の帰属問題を解決して、平和条約を締結するとする「東京宣言」の精神がひきつがれてきた。
 それをひっくり返したのが、現在すすめられている安倍晋三首相とプーチン大統領による2島返還による「日ロ平和条約」のプランである。
 1956年の「日ソ共同宣言」へもどって、歯舞・色丹の引き渡しを条件に平和条約をむすび、国後・択捉を放棄するというのだが、これほど、割の合わない話もない。
 そもそも、62年も昔の冷戦時代のとりきめへ引き返して、建設的な価値をみいだせるわけはない。
 それどころか、ここで、ロシアに迎合すれば、尖閣・竹島という領土問題をかかえる日本にとって、はかりしれない負い目となる。
「日ソ共同宣言」は、米ソ冷戦時代の産物で、フルシチョフは、1960年の日米安保条約改定に際して、歯舞・色丹の引き渡しの条件に、日本領土からの外国軍隊の撤退をくわえてきた。
 これにたいして、アメリカのダレス国務長官が「日本が国後、択捉をソ連に渡したら沖縄を返さないと」と重光葵外相にきびしく迫った。
 日本が、国後・択促をふくむ4島一括返還をもとめると、ソ連は、「日ソ間に領土問題は存在しない」として、以後、北方領土問題を凍結してしまう。
 日米ロにとって、北方領土は、地政学的要衝である以上に政治的難問だったのである。

 ●戦争を騙った略奪だった北方4島占領
 北方領土問題がうごきだしたのは、冷戦終結後のゴルバチョフからだった。
 ゴルバチョフは、ノーベル平和賞を受賞したインテリで、戦後、日本が放棄した千島列島(クリル諸島)のなかに、歯舞・色丹・国後・択捉がふくまれていないことを知っていた。
 ロシアのノーベル文学賞作家ソルジェニーツィンも、著書で「これらの島(歯舞・色丹・国後・択捉)がロシアに帰属していたことは、歴史上、いちどもなかった」と書いている。
 そして、「ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄したことが日本にたいする侮辱にあたらないといえるであろうか」とヤルタ協定にもとづく対日参戦と領土略奪をきびしく批判している。
 ヤルタ協定は、アメリカのルーズベルト、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチルの三者による秘密協定とされるが、チャーチルは関与を否定、アメリカ国務省(アイゼンハワー政権)は、1956年、同協定がルーズベルトの個人的な文書で、公式文書の効力をもたないと公式に発表している。
 ルーズベルトの死後、大統領に昇格したトルーマンも、スターリンに千島の領有をみとめたものの、ヤルタ協定についてなにも知らなかった。
 1945年8月9日、ソ連は、ヤルタ協定に従って、日本に宣戦布告すると満州国に侵入、千島列島と樺太を占領した。
 このときのソ連兵の暴行と殺戮、略奪、強姦の凄まじさは筆舌に尽しがたい。
 ベルリン陥落でレイプされた一〇万の女性のうち、苦痛と絶望から一万人が自殺したといわれるが、満州の大連市や瀋陽市、ハルピン市、長春市でも同じことがおきた。
 くわえて、満州で武装解除された57万5千人の日本軍捕虜らがシベリアに抑留されて、多くが、飢えと寒さ、疲労のために死亡している。
 戦争犯罪国家ロシアは、第二次大戦を正当化するいかなる理由ももっていないのである。
 モロトフ外相は、1945年4月5日、佐藤尚武駐ソ大使に日ソ中立条約の破棄を通告したが、このとき、同条約に1年間(1946年4月25日まで)の有効期間が残っていることを双方が確認しあっている。
 ロシアの対日参戦は、中立条約破棄を通告した4か月後である。
 しかも、日本は、ソ連の対日参戦の翌日(8月10日)、「ポツダム宣言」の受諾を連合国に通告している。
 この時点で、いっさいの戦争行為は、停止されなければならなかった。
 だが、ソ連は、中立条約と戦時国際法を破って、戦争行為を継続する。
 そして、「ポツダム宣言」を受諾する前日の8月9日から9月2日の戦艦ミズーリ号における「降伏文書調印」までの20日余で、クリル諸島18島と北方4島(歯舞・色丹・国後・択捉)を奪う。
 これが、戦果ではなく、戦争を騙った略奪でしかなかったことは、国際的な評価が一致するところである。

 ●ロシアと平和条約を急ぐべき理由は一つもない
 冷戦時代のソ連共産党は、石頭の官僚集団で、戦後、ソ連が北方4島を不法占拠した歴史的事実を認識する理性をそなえていなかった。
 領土をめぐる日ロ交渉が軌道にのったのは、ゴルバチョフ以降で、共産党が崩壊した後、国際化と西側諸国との協調路線が軌道にのるかにみえた。
 ところが、プーチン独裁になって、共産党時代へ逆戻りした。
 官僚化と利権主義、プーチンへの追従が習い性になって、ふたたび、石頭にもどってしまったのである。
 ロシアのラブロフ外相は、日本が、国後、択捉、歯舞、色丹4島の領有権を主張していることについて、第二次世界大戦の結果をみとめない世界で唯一の国と批判した。
 そして、国連憲章上の義務に違反していると日本を詰った。
 国連憲章上の義務うんぬんはお門違いで、条約違反と戦時国際法を侵したのはソ連ではないか。
 ロシアは、北方4島どころか、千島列島を領有できる公的な根拠をなに一つもっていない。
 そもそも、サンフランシスコ講和条約に署名していないソ連は、同条約からの利益をえることは、25条によって拒否されている。
 ラブロフの言い分は「南クリルの島々は第2次大戦の結果、合法的にソ連に移ってそれをロシアがうけついだ。これをみとめることが日ロ平和条約交渉の第一歩だ」というものだが、そんな理屈がとおるなら、軍事介入して、ウクライナの一部だったクリミアを併合、実効支配していることまでも正当化されてしまう。
 ウクライナ問題を受けて先進7か国(G7)は対ロ制裁を実施している。
 ところが、日本は、対ロ制裁に消極的などころか、不利な条件を呑んで、平和条約をむすぼうとしている。
 日本が平和条約を急ぐべき理由は一つもない。
 経済・技術協力をいうなら、必要としているのは、ロシアのほうである。
 農業国から、産業革命を経ずに軍事大国となったロシアには、商業・工業という資本主義の根幹が欠落している。
 GDPで、米・中・日に大きく水をあけられ、かろうじて、韓国と肩を並べるレベルなのはそのせいである。
 くわえて、西側から経済制裁をうけて、立ち行きならなくなっている。
 日本が、面積で4島全体の93%を占める国後・択捉を放棄してまで、ロシアに歩み寄る必要は一つもないのだ。
 安倍晋三首相は、なぜ、歴史のねじを逆に回して、1956年の「日ソ共同宣言」へ引き返そうとするのか。
 3年を切った首相の任期をふまえて「日ロ平和条約」締結と北方領土問題の解決という功を急いでいるなら、拙速というもので、ロシアが強硬な姿勢を崩さない現在は、外交交渉の最悪のタイミングといえよう。

 ●放棄した千島列島はクリル・アイランド18島
 内閣府と元島民団体などが「北方領土の日」におこなう「北方領土返還要求全国大会」で、大会アピールから「北方4島の不法占拠」という文言を外すという。
 ラブロフの恫喝に屈したもので、今後、不法占拠や北方領土ということばを使わないという。
 その負け犬根性が、消極的2島返還論となって、日本中を被っている。
 そのリーオフマンが鈴木宗男と佐藤優だが、それは後述しよう。
 マスコミ報道から書籍など日本側資料の多くが、千島列島に北方4島をくわえる誤りを犯している。
 そして、南樺太と千島列島を放棄したサンフランシスコ講和条約で、日本が北方4島を放棄したかのようにいいつのっている。
 サンフランシスコ講和条約で日本が放棄したのは、クリル・アイランド18島で、歴史上、歯舞、色丹、国後、択捉の4島がクリル・アイランドのなかにくみこまれたことはいちどもない。
 誤解をうんだのが、国会の質疑応答で、政府の幹部が「南千島は千島にふくまれる」と答弁して、これが、のちにまで尾を引いた。
 1951年10月の衆議院で、吉田茂首相と西村熊雄外務省条約局長、高倉定助議員がこんなやりとりを交わしている。
 高倉委員 サンフランシスコ講和条約のクリル・アイランドはどこをさすのか。
 西村委員 千島列島の範囲は、北千島と南千島の両者をふくむと考えております。
 高倉委員 クリル・アイランドと千島列島を同じように考えておられるようですが、クリル群島は、明治8年の樺太・クリル交換条約によって決定されたものであって、ウルップ島から占守島に至るクリル群島十八の島が日本領土に属するのは、世界にみとめられた国際的な公文書であります。外務当局がクリル群島と千島列島をどういうふうに考えておられるか、ご説明を願いたい。
 西村委員は同じ答弁をくり返すが、このときの高倉委員の質問は核心をついている。
 樺太・クリル交換条約は、その20年前の1855年の「日露通好条約」を土台にしたもので、日露通好条約によって、国後、択捉、歯舞、色丹の4島が日本の領土、それより北のクリル・アイランドがロシアの領土ときまった。
 北千島と中千島の18島がクリル・アイランドで、南千島が日露通好条約で確定した歯舞・色丹・国後・択捉の北方4島である。
 樺太・クリル交換条約が存在したということが、クリル・アイランドと北方4島が別物である証なのである。
 1644年、幕命によって、松前藩が提出した自藩領地図に「クナシリ」や「エトロホ」「ウルフ」など39の島々が描かれている。
 日露通好条約によって、国境が画定されたのは、国後や択捉が松前藩の藩政下にあったからだったのである。

 ●親ロ派にミスリードされる北方領土問題
 一般命令第一号(連合国最高司令官総司令部)およびサンフランシスコ平和条約に記載されているクリル・アイランドに、歯舞・色丹・国後・択捉の4島がふくまれるか否か。
 外務省と一般的な理解が食い違っている以上、アメリカ政府に確認するほかなかった。
 わたしは、アメリカのジミー・カーター大統領に質問状を送って、民主党の伝手を頼って渡米した。
 スパーク・松永、ジミー・ホワイト両上院議員の好意で「アジア・パシフィック民主党大会」のパーティーに参加して、会場でカーター大統領に会うことはできたが、残念ながら、肝心の話はできず、握手を交わしただけだった。
 さて、1951年の国会答弁である。
 西村答弁は、結局、1956年、森下國雄外務政務次官によって正式に取り消された。
 そして、国後・択捉を指す「南千島」という用語の代わりに「北方領土」という用語が使われるようになった。
 1951年9月7日、吉田茂首相は、サンフランシスコ平和条約の受諾演説のなかで、こうのべている。
「千島南部の択捉、国後が日本領土であることについて、帝政ロシアもなんら異議をはさまなかったものであります。(略)千島列島は、日本降伏直後の1945年9月20日、一方的にソ連領に収容されたものであります。また北海道の一部を構成する色丹島と歯舞諸島もソ連軍に占領されたままであります」
 ところが、鈴木宗男と外務省主任分析官だった佐藤優は、吉田首相が択捉と国後を千島列島の一部とみとめたかのようにいう。
 そして、日本が、サンフランシスコ平和条約において、南樺太と千島列島を放棄したと鬼の首でもとったかのように吹聴する。
 放棄した千島列島は、クリル・アイランド18島で、このなかに、歯舞・色丹・国後・択捉の4島はふくまれていない。
 なぜ、この歴史的事実から逸脱するのか。
 政治的決着として、歯舞・色丹の返還、国後と択捉の放棄という選択肢がなくもないだろう。
 だが、そんな負け戦を急ぐ理由がどこにあるのか。
 はじめから2島返還をいうのは、敗北主義でなければ、利敵行為で、鈴木も佐藤も、反外務省のロシアのシンパシーである。
 かれらは「4島一括返還をいいつづけているかぎり北方領土はもどってこない」という。
 だが、北方領土全体の7%のすぎない歯舞・色丹を返してもらっても、4島の潜在主権どころか、2島の主権すら不確定というのでは、93%の面積を占める国後・択捉の放棄という損失のほうが大きい。
 歯舞・色丹を返しても、ロシアは、200カイリの排他的経済水域も、防衛の自由もゆるさない。
 OKなのは、プラスαの経済援助だけというなら、日ロ平和条約は、とんでもない売国条約ということになる。
 4島一括返還という国是を放棄すれば、日本は、主権から国益、国際正義まで捨てた名誉や誇りのない国になって、世界から尊敬をえることはできない。
 2島返還と平和条約という貧乏くじをひくより、対ロ経済制裁で、西側諸国と足並みを揃えたほうが、よほど、国益にかなって、長期的展望がひらけるのである。

posted by 山本峯章 at 17:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

緊急提言/北方領土 なぜ日本は2島返還≠ノ呪縛されてきたのか

 2019年5月再掲出
 緊急提言/北方領土
 なぜ日本は2島返還≠ノ呪縛されてきたのか
 ●2島返還で平和条約の短慮
 安倍晋三首相とプーチン大統領が、1956年の「日ソ共同宣言」を基礎に平和条約交渉をすすめるという。
 歯舞・色丹の返還と国後・択捉における経済協力を組み合わせた「2島プラスアルファ」で、領土問題に決着をつけようというのである。
 従来の4島返還からの大幅後退で、これでは、この60年余つみあげてきた努力が水の泡である。
 これまで、政府は「4島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」ことを日ソ交渉の基本方針に掲げてきた。
 日ロ首脳会議でも、1991年のゴルバチョフ以降、四島返還と平和条約がワンセットになっていた。
 ところが、今回の安倍・プーチン合意で、この前提が崩れ去った。
 今年の9月、プーチン大統領は、ロシア極東ウラジオストクで開かれていた東方経済フォーラムで、突如、「前提条件なしの平和条約締結」を提案した。
 前提条件なしとは、ふざけた話である。
 領土問題抜きで、平和条約をむすべるはずはない。
 ところが、安倍首相は、プーチン発言に反発するどころか、これを前向きに受け止めた。
「領土問題を(2島返還で)解決して平和条約を締結する」というのである。
 功を急いだ拙速で、4島返還の原則を放棄すれば、旧ソ連の不法占領をみとめることになる。
 木村汎氏(北大名誉教授)はこういう。
「4島返還をもとめるのは、国境不可侵、領土不拡大の原則という国際正義をロシアに突きつけることにほかならない」
 広島に原爆が投下されてから2日後の1945年8月8日、旧ソ連は、当時まだ有効だった日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告した。
 8月15日、日本は「ポツダム宣言」を受諾して、連合国に降伏した。
 しかし、ソ連軍は、その後も千島列島を南下し、9月5日までに「北方4島(歯舞・色丹・国後・択捉)」を占領した。

 ●ソ連の略奪だった北方4島
 8月16日、スターリンはトルーマン大統領に秘密電報を打っている。
 千島列島と北海道の北半分をソ連の占領地とすることをもとめたのである。
 トルーマンは、千島列島をソ連領とすることには同意したが、北海道北部の占領については拒否した。
 かつて、拙書(『レポ船の裏側』日新報道/昭和57年)で、旧ソ連軍の千島占領作戦の経緯にふれた。
 通訳としてソ連軍に同行した水津満・北千島守備軍作戦参謀の体験談である。
 引用しよう。
「ソ連軍は、8月18日から千島列島の占領を開始して、27日には、北方領土の北端である択捉島の手前まで来て、一旦引き返した。南千島の武装解除に立ち会うことを想定していた水津は、ウォルフ参謀に理由をたずねた。これより先はアメリカの担任だからソ連は手をだせない、という返事だった」
 ソ連軍は、千島列島に北方4島がふくまれないと認識していたのである。
 ところが、北方領土に米軍がいないと知って、方針を一転させる。
 8月28日、ソ連軍は、南千島へ侵攻を開始して、9月5日までのあいだに歯舞・色丹・国後・択捉の四島を占拠する。
 ソ連軍が北方4島を奪ったのは、どさくさまぎれの略奪で、4島に米軍が進駐していなかったからだったのである。
 ロシアは、北方4島を戦争の成果=戦利品という。
 スターリンは、ヤルタ会談で、ルーズベルトから「ソ連の対日参戦の代償として千島列島を譲り受ける約束をとりつけていた。
 だが、ルーズベルトがソ連に引き渡すとした千島列島は、ウルップ島以北の18島で、歯舞・色丹・国後・択捉ふくまれていない。
 そもそも、ヤルタ秘密協定は、領土不拡大を宣した「カイロ宣言」に反するルーズベルトとスターリンの密約で、当事国のアメリカでさえ、条約としてみとめていない。
 ダレス国務長官は、日ソ交渉に臨んでいる重光外相にたいして、「2島返還で受諾した場合、アメリカが沖縄を返還しない」という圧力(「ダレスの恫喝」)をかけている。
 そればかりか、外務省に「覚書」まで送りつけてきている。
「択捉・国後両島は、北海道の一部である歯舞群島および色丹とともに日本固有の領土で、日本国の主権下にあるものとしてみとめられる」というのである。
 冷戦下の当時、アメリカは、日ソ接近を警戒して、干渉してきたのである。

 ●北方4島は日本固有の国土
 1952年のサンフランシスコ講和条約で、日本は、千島列島を放棄した。
 千島列島のなかに、北方4島はふくまれていない。 
 西村熊雄条約局長が、1951年、衆院特別委員会で、「南千島(国後・択捉)は千島にふくまれる」と答弁している。
 だが、この答弁は、1956年、衆議院外務委員会で、森下國雄外務政務次官によって、正式に否定された。
 日本政府は、国後・択捉は、サンフランシスコ条約で日本が放棄した千島にふくまれないとしたのである。 
 その後、国後・択捉を指す「南千島」という用語も使われなくなった。
 もともと、北方4島は、日本固有の国土である。
 国後・択捉は、日本人の手で開拓された島で、根室や函館とのあいだに航路があって、定住者も多かった。
 歯舞・色丹にいたっては、北海道の一部である。
 かつて、『島は還らない』(昭和52年)という本を著した。
 そこに、北方領土の概略や歴史、ソ連の領土侵略について記した。
 そこから引用しよう。
 北方領土の画定は、1855年、下田条約(日露和親条約)にはじまる。
 江戸幕府とロシア帝国のあいだでむすばれた日魯通好条約(日露和親条約)によって、択捉島とウルップ島のあいだに境界線が引かれた。
 この境界線によって、択捉島以南の4島は日本の領土となった。
 4島とは、歯舞・色丹・国後・択捉である。
 一方、ウルップ島以北のクリル諸島(千島)18島がロシア領となった。
 日本政府は、この日魯通好条約を根拠に、「歯舞・色丹・国後・択捉」4島を北方領土としてきたのである。
 1875年(明治8年)、日本は、ロシアと樺太千島交換条約を締結する。
 日本は、樺太(サハリン)の領有権を放棄する代わりに、ロシアからクリル諸島(千島列島)を譲り受けた。
 シュムシュ島からウルップ島にいたる18島である。
 サンフランシスコ講和条約で日本が放棄した千島列島は、そのときロシアと交換したクリル諸島18島のことである。

 ●「日ソ共同宣言」と2島返還
 サンフランシスコ講和条約で、日本は、ウルップ島以北の千島列島18島と南樺太を放棄した。
 だからといって、国際法上、ロシアに、南樺太・千島列島・北方4島の領有権がゆるされているわけではなかった。
 サンフランシスコ条約に署名していないからで、あるのは、実効支配という戦争状態の継続だけである。
 サンフランシスコ条約第二十五条によると、同条約に調印・批准していない国へは、いかなる権利や権原、利益もあたえられないとある。
 北方領土を画定するには、日ソ2国間の平和条約締結が必要だった。
 日本とソ連は、サンフランシスコ条約が「片面講和」だったため、戦争状態が解消されていなかった。
 日本は、1954年以降、ソ連との国交回復をめざした鳩山一郎内閣のもとで、平和条約を結ぶべく、ソ連と折衝を開始した。
 日本の国連加盟の支持や抑留日本人の送還、戦時賠償の相互放棄、漁業条約の締結など日ソ間の懸案事項がすくなくなかった。
 1956年10月、鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相は、モスクワで「日ソ共同宣言」に署名した。
 戦争状態の終結と国交回復が宣言された瞬間だった。
 当初は「平和宣言」の締結を目指していた。
 だが、交渉が折り合わず、結局は「共同宣言」という形をとった。
 交渉が折り合わなかった理由は北方領土だった。
 日本側は「四島返還」をもとめたが、ソ連は、歯舞・色丹の「二島返還」をゆずらなかった。
「日ソ共同宣言」は両国で批准された。
 同宣言には、歯舞・色丹の引き渡しに同意すると書かれている。
 だが、国後・択捉には一言もふれていない。
 なぜ、そんなことになってしまったのか。
 日本が漁業交渉とのかけひきで、国後・択捉を放棄したからである。
 当時、松本・重光全権団の日ソ交渉と河野一郎の漁業交渉が同時に進行していた。
 日ソ交渉に臨んだ全権重光葵は、日本政府へこんな請訓電を発している。
「涙をのんで国家百年のため、妥結すべきと思う。この期を逸すれば、将来、歯舞・色丹さえ失うことあるべし…」
 秘書官・吉岡羽一によると、松葉杖で身体を支えてクレムリンの長い廊下を歩いてきた重光は、このとき、腹の底から絞り出すような声でいったという。
「畜生め、やはりそうだったか」
 河野一郎の日ソ漁業交渉は、1956年5月である。
 日ソ共同宣言の重光全権団のモスクワ入りが1956年7月だった。
 わずかに先行した河野一郎は、重光の知らぬまま、ソ連側と密約をむすんでいたのである。

 ●河野一郎に売られた国後・択捉
「日ソ共同宣言」に5か月先立つ1956年5月9日。
 クレムリンでおこなわれた日ソ漁業交渉で、河野一郎農相は、随行していた外務省の新関欽哉参事官を部屋から閉め出し、ソ連側の通訳をとおして、ブルガーニン首相にこうもちかけた。
「北洋水域のサケ・マス漁業を認めてくれれば、北方領土の国後・択捉の返還要求は取り下げてもいい」
 サケ・マスなどの漁獲量・操業水域・漁期などをとりきめる漁業協定がまとまらなければ出漁できない。
 水産業界からは「北方領土は漁業協定の後に交渉しろ」という声が高まっていた。
 日ソ漁業交渉をまとめた河野一郎農相は、1956年5月26日、羽田空港で、日の丸の旗をかざし、のぼりを立てた漁業関係者の大歓迎団に迎えられている。
 河野・ブルガーニンの密約後、ソ連は、領土問題で強硬姿勢に転じた。
 国後、択捉の返還を拒否しても日本側は譲歩すると判断したのである。
 歯舞・色丹の二島返還による平和条約の締結という基本路線はこのときでてきたといってよい。
 鳩山は、平和条約締結をあきらめ、領土問題を継続協議にして、共同宣言で国交回復をめざす。
 訪ソ直前になって、政権与党の自由民主党は、国交回復の条件として「歯舞と色丹の返還、国後・択捉の継続協議」を党議決定していた。
 鳩山らは、歯舞・色丹の「譲渡」と国後・択捉の「継続協議」を共同宣言に盛り込むよう主張した。
 だが、フルシチョフは、歯舞・色丹2島返還だけで、領土問題の打ち切りをはかる。
 そして、河野に、国後・択捉の継続協議を意味する「領土問題をふくむ」の字句の削除をもとめた。
 河野は、いったんもちかえり、結局、これもうけいれる。
 日ソ漁業交渉はうまくいったが、領土問題は、日本側の敗北だった。
 重光葵や吉田茂の秘書官を務めたことがある自民党の北沢直吉は、日ソ共同宣言調印後の批准国会(外務委員会)で、河野農相と激しくやりあっている。
「河野・ブルガーニン会談で、クナシリ、エトロフはあきらめるから漁業権のほうはヨロシクたのむ、といったのではないか」
 河野はシラを切った。
「天地神明に誓ってそのようなことはない」
 重光は秘書官の吉岡羽一秘書にこういっている。
「河野にしてやられた。シェピーロフ(外相)からすべて聞いた」
 重光はシェピーロフにこうたずねたという。
「貴下は、モスクワ会談の際、領土問題について、一貫して、解決済みであるとのべられたが、いかにして解決済みと考えるのか、その内容について説明がなされなかった。この機会に率直に真意を聞きたい」
 シェピーロフはこう答えた。
「モスクワで漁業交渉中の河野大臣は、交渉打開のため、ブルガーニン首相とクレムリンで会談した。その席で、河野大臣は、ソ連がエトロフ、クナシリを返還しない場合でも、日本は、平和条約を締結すると約束した」
 河野はこうともいったという。
「私は日本政界の実力者の一人で、将来、さらに高い地位につくであろう」
 そのとき、ブルガーニンは、河野にこうたずねた。
「帰国後、ただちに、全権団をモスクワに送ることができるか」
 河野はできると答えている。
 それが、1956年7月の重光全権団、9月の松本全権団、そして10月に訪ソした鳩山首相を団長とする全権団だった。
 日ソ共同宣言における2島返還は、ソ連共産党の既成路線ではなかった。
 河野・ブルガーニンの密約の産物だった。
 国後・択捉は、漁業交渉とひきかえに、取り引きされたのである。
 安倍首相は、歯舞・色丹の引き渡しを明記した日ソ共同宣言を基礎にプーチン大統領と平和条約の交渉をすすめるという。
 そのなかで、2島返還論の旗を振っているのが鈴木宗男と佐藤優である。
 安倍首相の意向をうけて、国民を洗脳しているとしか思えない。
 4島返還という従来の基本方針を下ろすのも、二島返還で決着をつけたのちに国後・択捉の経済協力という方法をとるのも一つの政治選択であろう。
 だが、歯舞・色丹・国後・択捉が日本固有の領土で、ロシアがこれら4島を不法占拠したという歴史的事実を忘れてはならない。
 領土問題における安易な妥協は、かならず将来、大きな禍根を残すことになるのである。

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文化と政治(権力)を峻別せよ

 文化と政治(権力)を峻別せよ
 ●個の文化、全体の権力
 現在、わが国では、文化と政治(権力)の区別がつかなくなってしまっている。
 たとえば、民主主義だが、これは、権力であって、文化ではない。
 多数決は、数の暴力でもあって、文化的要素は皆無である。
 全員の意見を聞くから文化というのはこじつけで、民主主義とは、投票数の集計にすぎない多数決や普通選挙のことである。
 民主主義を文化であるかのようにいうのは誤りで、われわれは、有権者総数7千万人分の1人の数値的存在ではなく、国家にたいして、全人格的にむきあう一人の国民、一人の日本人である。
 一人の日本人という感覚が文化で、根源をたどれば、天皇にゆきつく。
 天皇は、文化的存在であって、一人ひとりの日本人とむきあわれる。
 被災地におもむかれ、民を前にひざまずかれて、一人ひとりの被災者の労苦にご同情される陛下のおすがたは、被災者何万人と数字で括った政治的認識とはまったく異質なものである。
 文化的認識と政治的認識を、個と全体の差異というふうにいいかえてもよい。
 個が文化なら全体が権力(政治)で、個と全体の矛盾は永遠に解消できない。
 そこからでてきたのが二元論である。
 文化と政治、権威と権力は二元論で、この二元論によって、両者は安定する。
 この二元論が崩壊すると「乱の構造」が生じる。
 日本にも、建武の新政から南北朝、応仁の乱、戦国時代まで280年、第82代後鳥羽天皇(上皇)の討幕軍が鎌倉幕府に鎮圧された承久の乱を入れると400年にもおよぶ「乱の時代」(暗黒の中世)があった。
 原因は、権威たるべき天皇が権力をもとめたため、権威の座が空位になってしまったためだった。
 二元論が崩壊したのである。
 権威が空位になると、権威によって正統性をあたえられない権力が、存続をかけて、群雄割拠の闘争に突入する。
 この争いは不毛で、権威が関与しなければ、最後には、すべてが、共倒れになってしまう。
 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らが天下をとれたのは、天皇の後ろ盾を得たからで、第106代正親町天皇が信長を立て、第107代後陽成天皇が秀吉を太閤に叙し、家康を征夷大将軍に任じて、権威と権力の二元論が恢復した。
 社会が安定したのは、文化基盤が生じたからで、権力は、この文化基盤の上に立って、はじめて、機能する。
 数値や物理的な力にすぎない権力は、それ自体、不安定きわまりない。
 共産主義(=人民民主主義)が滅びたのは、文化的基盤をもたなかったからで、マルクス主義は、暴力革命とギロチンが象徴の権力主義である。
 夢想家ルソーはフランス革命に、自然権のロックはアメリカ独立運動に、反資本主義のマルクスはロシア革命に、それぞれ、利用されただけで、革命の本質は、くり返すようだが、文化的基盤をもつ思想ではなく、権力の収奪しか頭にない権力闘争である。

 ●乱を呼ぶ権力、和を招く文化
 社会を動かす原理が民主主義や自由主義であるかぎり、世界に平和や安定はやってこない。
 民主主義も自由主義も権力だからである。
 権力はかならず衝突して乱をひきおこす。
 権力は一元論でもあって、権力の衝突は、政敵が存在するかぎり熄むことはない。
 平安時代や江戸時代、そして、戦後日本が平和だったのは、権力抗争がすくなかった一方、文化が隆盛をきわめたからだった。
 民が文化を享受したのは、権力が権威から権力の正統性を授かって、両者がともに安定したからである。
 歴史や芸術、宗教などの文化には、永遠性や普遍性があって、大地のようにどっかりと安定している。
 権力は、その大地の上に樹立されるもので、大地が安定しなければ、権力も安定しない。
 権力は、大地(文化基盤)に依存するが、その逆はありえない。
 文化は絶対的存在だが、敵を倒してあらわれる権力は、相対的存在だからである。
 この相関関係を見失うと、2005年の小泉内閣の「皇室典範に関する有識者会議」のような本末転倒がおこる。
 このとき、権力が、民主的手続きをとおして、万世一系という伝統文化を否定しようとしたのだった。
 これが「乱の構造」で、わが国では、文化破壊を改革と呼ぶ悪癖が長いあいだの習い性になってきた。

 ●元号は歴史・文化・伝統である
 文化と権力(政治)を混同させているケースに元号がある。
 そもそも、天皇が文化なのだから、天皇の御世である元号が文化であることは言うを俟たない。
 天皇には基本的人権も選挙権もみとめられていない。
 天皇が法から自由なお立場にあらせられるのは、法的存在ではなく、文化的・歴史的存在だからである。
 その天皇を法的存在へ規定したのが戦後憲法で、GHQ憲法には、日本の伝統や歴史、文化、民族的価値観が、なに一つ、盛り込まれていない。
 本来、天皇の譲位や即位、元号は、歴史や伝統、文化であって、法の差配下にあるものではない。
 ところが、内閣法制局は、今上天皇の自らのご意志によるご譲位は、天皇の国政関与を禁じた憲法4条に抵触するとしたばかりか、天皇が皇位を譲位するような形式は「天皇の地位は国民の総意にもとづく」と定めた憲法1条と不整合となるので、皇室典範にない退位の儀式やおことばについて慎重に協議するという。
 天皇が政治的発言をされると、天皇のおことばの政治的利用という弊害が生じるが、譲位や即位、元号は、政治的力学を有さない皇室文化の一環で、これに政治が関与すると、逆に、文化への政治介入となる。
 内閣法制局は、集団的自衛権について、これまで、「権利をもっているが行使できない」と主張してきた法匪で、朝日・毎日ら左翼メディアと足並みを揃えてきた。

 ●元号の初日をメーデーにあてる不見識
 内閣法制局の答申をうけて、安倍首相は、天皇のご譲位のご意志を無視してこれを政治決定とする退位特例法をつくったばかりか、@改元月日を5月1日のメーデーにあてるA元号の事前公表B運転免許証やビザ(査証)、役所文書の西暦表示(元号廃止)などの計画を着々とすすめている。
 政治が文化の領域へ堂々と手をつっこんできたのである。
 驚くべきことに、安倍首相は、寿ぐべき元号の初日を、アメリカではゼネストの記念日として知られる5月1日のメーデー(労働者の日)をあてた。
 日本では、1952年5月1日、暴力革命を叫ぶ一部左翼団体が暴徒化、警察官側に740人、デモ隊側に200人の負傷者(死者1人)がでたが、この人民闘争は、労働界・左翼革命勢力のなかで、いまなお、高く評価されている。
 新天皇の船出、新元号発足の当日がメーデーとかさなると、メーデー行進のデモ隊が「元号反対」や「天皇制反対」のスローガンをもちださないともかぎらず、そうなれば、新生日本国の門出にも、治安上にも、大きな問題を残す。
 ちなみに、私は、この件について、友人(福田富昭/国際レスリング連盟副会長/2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員/文部科学省五輪対策チーム実行委員長)を介して、神社本庁に申し入れをおこなっている。
 安倍首相は、新元号の「事前公表」という前例のないことをしようとしている。
 これにたいして、超党派保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」は「新元号の公表は改元当日にすべき」との見解をまとめ、会長の古屋圭司衆院議院運営委員長が菅義偉官房長官に「新元号は新天皇から公布されるべき」と申し入れた。
 新元号の事前公表は、今上天皇を諡(おくりな/平成天皇)でお呼びするのと同様、あってはならないことである。
 新天皇の践祚および即位前に新元号を事前公表することは、今上陛下の御代(平成)に次の天皇の時代の元号を謳うこと(一世二元)になって、これは、神事として成り立たない。
 御代替わりにあたって、宮中では、幾つもの重大な儀式が催される。
 これは国家的神事で、政府機関がおこなう御代替わりの式典は、天皇の神事をうけるものにすぎない。
 践祚および即位は、国体の儀式であって、断じて、政体の行事ではないのである。
 不都合だからといって、一世二元となる元号の事前公表をおこなえば、新元号発布が神事に則らないご都合主義となって、はなはだ、不穏当である。
 
 ●安倍首相に叛旗を翻した「神道政治連盟」
 今回、異義を申し入れた「日本会議国会議員懇談会」と「神道政治連盟国会議員懇談会」はメンバーがダブっていることもあってきわめて近い関係にある。
 安倍内閣の閣僚20人中、安倍本人をふくめて、19人が「神道政治連盟」のメンバー(国会議員300人以上)である。
 その「神道政治連盟」が安倍首相に叛旗を翻したのである。
 神道政治連盟の上部構造が神社本庁である。
 神社本庁は、戦後、宗教法人となって、国家機関ではなくなった。
 だが、地方機関である都道府県の神社庁をつうじて、全国約8万社の神社を包括している。
 宮司など神職約2万人、信者約8千万人を擁するスケールで、全国各地の祭り(神事)を担う氏子総代会や保存会を擁する潜在的パワーは、他の宗教教団を寄せつけない。
 神道政治連盟(神政連)の中核は、神社本庁の神職たちで、各県の神社庁ごとに地方組織が置かれ、地方議員連盟も組織されている。
 神社本庁が安倍政権の支持母体であるかのようにいわれるが、政治的支持と文化的共感では、本質的な意味が異なる。
 政治的支持は、多数決的支持で、文化的共感は価値観の共有である。
 神社本庁が、文化の分野で、旗色鮮明にして、安倍政権に異義を立ててこそ本来の政教分離であろう。
 戦後、GHQ命令によって、天皇の法的効力(勅定・詔書)は失われた。
 元号も法的根拠を失ったが、政府は歴史的慣習としてこれを存続させてきた。
 そして、昭和54年の元号法成立で、元号は、よみがえった。
 ところが、同法では「元号は、政令で定める」とされている。
 政令は、内閣による命令なので、元号を決めるのは天皇ではなく、内閣総理大臣ということになる。
 戦後、日本は独立国となったので、天皇の法的効力(勅定・詔書)を復活させてよかったはずだが、どういう力がはたらいたのか、GHQ意向がそのまま残った。
 天皇ではなく、首相が元号をきめるのなら、元号の決定が天皇の権威を示すイベントとなりえない。
 元号制度をとる国は、世界で日本が唯一で、天皇の権威を示すものとなっている以上、新元号は、新天皇におきめいただく配慮がはたらいてしかるべきではなかったか。
 
 ●矛盾する親米と保守
 1979年(昭和54年)に元号法が成立してから40年近くが過ぎた。
 いまにいたって、元号を廃止する理由も根拠も見当たらない。
にもかかわらず、安倍首相は、パスポートや運転免許証、公的文書などへの西暦表記を関係省庁へ通達した。
安倍首相の不可解な行動の謎を解くカギは、「9条加憲」にあるだろう。
 自衛隊を憲法で明文化する安倍首相の「9条加憲」は、護憲派ばかりか改憲派や中道、無党派層のいずれの層からもそっぽをむかれている。
 憲法9条の1項、2項をそのままにして、3項を追加して、そこに自衛隊の合憲化を書き込むというアイデアは、果たして可能であろうか。
 賛成反対以前に、論理的矛盾につきあたって、だれだって、お手上げである。
 このアイデアを名案として歓迎するムキが一つだけある。
 アメリカである。
「われわれ(アメリカ)がつくった憲法をまもって、わが国(アメリカ)との集団的自衛権を保持せよ」とアメリカから迫られた場合、日本は、論理的矛盾はさておいて、9条に3項をくわえて、自衛隊の合憲を謳うほかない。
 これが、安倍首相の「9条加憲」の根拠である。
 アメリカは、9条の改正を望んではいない。
 事実、日米構造協議や年次改革要望書で、あれほど、露骨な内政干渉をしておきながら、アメリカは、集団的自衛権の妨害となっている憲法9条の改正にいちども言及したことがない。
 アメリカ人の大雑把な思考なら、1項、2項をそのままにして、3項で自衛隊を合憲化する論理的矛盾を意に介さない。
 どっちみち、日本を植民地のような国と思っている国なので、9条がどんな矛盾をひきおこそうが知ったこっちゃないのである。
 日本は、GHQが撤退して70年近くたっているのに、いまもって、憲法も天皇条項もGHQの金縛りになったままである。
 独立国家としての誇りや自主性をまったくもちあわせていないのである。
 国家としての誇りが元号で、これを新天皇の勅定とすることで、GHQ憲法というアメリカの呪縛をきっぱり断つことができるが、安倍首相にその気はさらさらない。
親米保守である安倍首相は、親米だけを取って、保守を捨てた売国政治家に変貌しつつあるのではないかと疑問を抱かざるをえない。
 今上天皇の譲位のご意志を、憲法4条の解釈にからめて政治決定としたのみならず、神事ともからむ元号決定を政治問題(政令)にして、天皇を除外したのは、改憲主義者とは思えない憲法原理主義≠フふるまいで、国民感情とも遊離している。
 安倍首相は、アメリカ人の感覚をもって、日本の政治をおこなっているのではないか。
 安倍首相から、日本独自の国益や誇り、固有文化を訴える迫力がかんじられないのは、かれは、愛国者でも民族主義者でもなく、戦後のアメリカンボーイだったからではなかったか。
 トランプ大統領は、貿易摩擦を回避するため、日本が、アメリカ製の武器を大量に購入する予定と嬉々として記者会見している。
 安倍首相の政治的軸足は、日本よりもアメリカにかかっている。
 このままでは、安倍政治は、アメリカのための憲法改正、アメリカのための外交、アメリカのための経済に転落してしまう危険性がある。
 安倍首相の政治・外交・経済手腕は評価されてよいだろう。
 だが、国家の誇りや国体、伝統、愛国心は、政治ではなく、文化である。
 安倍首相が、日本の歴史や伝統、文化を軽んじる方向へ足をふみだすようなことがあれば、大きなしっぺ返しをうけるだろう。
posted by 山本峯章 at 16:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする