2010年11月12日

 天皇と日本の歴史B

 ●日本人はどこからきたのかという愚問
 古代の東アジア情勢について、誤解や曲解がまかりとおっている。
 代表的なものが、小沢一郎がいう「騎馬民族征服王朝説」や多くの日本人が信じこんでいる「弥生人大陸渡来説」で、いずれも、日本人や天皇が、朝鮮半島から渡ってきたという話になっている。
 だが、日本列島が大陸とつながっていた有史以前(氷河期・旧石器時代)から縄文・弥生、古墳時代まで、日本列島と朝鮮半島、大陸沿岸部には人種的な隔たりがなく、かれらはすべて、現在の用語でいう古モンゴロイド(アイヌ・南洋人・エスキモー・インディアンをふくむ環太平洋人)の一族だった。
 地形的にも、日本列島は、ユーラシア大陸東岸部(沿岸)で、対馬や済州島とともに、大陸の一部(のちに離島)であった。
 日本人はどこから来たのか――という設問をよく耳にするが、まったくの愚問で、日本人は、もともと、東アジアの一部だった日本列島に住んでいたのである。
 その証拠が、青森県の大平山T遺跡(1万6千年前)や茨城県後野遺跡から発見された無文土器で、佐賀県吉野ヶ里遺跡では、縄文・弥生時代の集落跡が保存されている。
 そのころ、朝鮮半島は、中国の一部(遠隔地)にすぎず、むろん、吉野ヶ里のような、古代人のゆたかな暮らしを裏付ける遺跡は発見されていない。
 どんな地域でも、経済的・文化的ゆたかさは、海に近い場所から生じるもので、日本列島は、ユーラシア東岸のなかで、もっともゆたかで文化がすすんだ沿岸部だったのである。

 ●現在とは異なる古代の東アジア情勢
 朝鮮半島で、三韓(馬韓・弁韓・辰韓)時代をへて、国家が誕生するのは、日本の古墳時代(大和朝廷)に下ってからである。
 小沢一郎は、韓国の講演で、日本と南朝鮮(伽耶・百済・新羅)が、通訳なしで交渉しえたのは、日本が朝鮮の属国だったからと断じたが、とんでもない妄想である。
 日本が伽耶(任那/日本の行政府/弁韓)や百済(馬韓)、新羅(辰韓)と数百年にわたって交易・文化交流をおこなうことができたのは、同じ民族(古モンゴロイド)だったのにくわえ、朝鮮半島が、東アジアに一部という歴史的・地政学的な事情があったからで、東アジアの人種は、共通の言語をもっていた可能性がある。
 東アジアへ、中央アジア系のモンゴロイド(匈奴の一族)が侵入してきて、朝鮮半島で大動乱がおきる。
 現在の韓国、北朝鮮の祖である高句麗の騎馬軍団が怒涛のようにおしよせてきて、新羅や百済をおびやかすのである。
 このとき、ジェノサイド(民族皆殺し)が発生して、多くの百済人が、済州島や対馬、日本列島に逃げこんだ。
 高句麗は、百済・新羅をのみこんで、やがて、朝鮮半島は、高句麗の英語読みであるコリアとなる。
 ちなみに、高句麗が朝鮮半島を手中にするのは、日本・百済連合が、新羅・唐連合に破れた「白村江の戦い(663年)」から250年後のことである。
 長い年月をかけて、千年前、朝鮮半島は、二重まぶたで温厚な古モンゴロイドに代わって、一重まぶたで目の吊り上った中央アジア系モンゴロイドの国となったのである。
 日本の朝鮮渡来説は、現在の韓国・北朝鮮の祖先が日本人の祖先であるかのようにいうものだが、日本人と現在の韓国・朝鮮人では、そもそも、血の源流が異なっていたのである。

 ●日本人の祖先は環太平洋モンゴロイド
 遺伝子調査によると、ユーラシア大陸東沿岸部に住んでいた古モンゴロイドは「YAP+」という遺伝子をもっている。
 現在、この「YAP+」が確認されるのは、中央アジア系アイヌと日本人、チベット人、済州島の一部だけで、モンゴルや朝鮮半島、中国には、皆無である。
 朝鮮や中国の祖は、中央アジアのモンゴロイドで、一方、朝鮮半島から日本へ逃げてきた人々は、日本人と同じ「YAP+」をもった人々だったのである。
 中国のチベット弾圧にくわえて、韓国の済州島にたいする虐殺の歴史、差別にはすさまじいものがあるが、済州島は、もともと、日本領だった伽耶の勢力範囲で、中国の史書にも「倭人の国」とある。
 日本と中・韓の相性がわるいのは<中央アジアモンゴロイド>と<環太平洋モンゴロイド>の相違が原因だったとみるのが、しぜんだろう。
 これらの歴史背景をのみこんでおかなければ「日本人は朝鮮人のおちこぼれ」「天皇は朝鮮からやってきた」という小沢一郎ら反日・親韓主義者のデマゴギーにひっかかることになる。
 雄略天皇の時代、日本は、任那に基地をおいて、百済・新羅をおさえ、高句麗とたたかい、一時は、半島の北西部まで攻め入るが、兵站線がのびすぎて、敗退。以後、任那防衛に専心する。
 下って、継体天皇の時代に、大和朝廷内で、朝鮮出兵がからんだ内乱がおきる。
 新羅から攻められた百済の要請をうけて、大和朝廷が軍を送ろうとした矢先に、九州の磐井が、新羅とつうじて、大和朝廷に叛旗をひるがえすのである。
 この磐井の乱が成功していれば、日本は、大和朝廷に代わって、磐井・新羅連合軍の手に落ちていたかもしれない。
 この事実からも、大和朝廷という連合政権と朝鮮半島の国が、東アジアという地域における群雄割拠だったことがわかるのである。


posted by 山本峯章 at 16:53| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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