安倍首相は、参院予算委員会で、米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について「決議があっても謝罪するつもりはない」「米下院の公聴会で証言した元慰安婦の証言に裏付けはない」とのべ、質問者の民主党の小川敏夫参院幹事長が「きちんと謝罪しなければ、日本が戦争にたいする反省をしていないと受け取られる」とつっかかると「あなたは日本を貶めようとしている」「決議案が正しいと思っているのか」ときびしく切り返した。
小川は「きちんと謝罪しないと――」というが、河野談話(従軍慰安婦の官憲介入)を筆頭に、宮沢談話(近隣諸国条項)、村山・細川談話(侵略戦争容認)、あるいは、日韓併合について談話を発表した大臣の罷免にいたるまで、日本政府が謝罪や遺憾の意を表したことによって、放っておけば風化したであろう問題が、大きな外交問題となって、いまなお、尾をひいている。
戦後、日本が、毅然とした態度をとりつづけていれば、過去の戦争にまつわる外交問題は、何一つ、おこらなかったのではないか。
日韓併合も、大韓帝国一進会の李容九が百万人の署名をそえて、李完用首相に送った「韓日合邦を要求する声明書」(1909年)が発端で、日本が武力侵攻したわけではない。
ちなみに、この声明書には「これまでの朝鮮の悲劇は、朝鮮民族がみずからまねいたことであり、朝鮮の皇帝陛下と日本の天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、国を発展させようではないか」と記されている。
日韓併合は、韓国国会の決議なので、日本は、その原則論をおしとおしておくのが国際慣例である。「事実上の侵略だった」「朝鮮に他の選択肢がゆるされていなかった」などと余計なことをいい、謝罪するから、巨額の資金と人材を投入した朝鮮国家建設の努力が、欧米が東南アジアでやった、過酷な植民地略奪と同列にあつかわれてしまうのである。
かつて、米英蘭などの侵略国家と死闘をくりひろげ、アジアを植民地から解放した日本人が、なぜ、現在のような、背骨のないナメクジ民族になってしまったのか。
わたしは、その元凶が、広島の原爆慰霊碑に刻まれている「過ちはくり返しません」ということばにあると思っている。
日本の反日運動は、根本が、コスモポリタニズム(世界市民主義)である。
その原点に、同胞を虐殺されていながら、謝罪する原爆記念碑の無国籍性がある。
東京裁判で日本を弁護したインドのパル判事は「過ちはくり返しません」という慰霊碑のことばを見て「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまうとは――。東京裁判の影響は、原子爆弾の被害より大きい」と嘆息した。
パル判事は、戦争が主権国家の交戦権の行使である以上、戦勝国が「平和にたいする罪」「人道にたいする罪」という事後法で、敗戦国を裁くのは違法と主張した。これが、英国法曹界の重鎮ハンキー卿の「戦犯裁判の錯誤」という著書で紹介されて以降、東京裁判は違法という考え方が、世界の常識になった。
そのパルは、なぜ、日本人が「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」「日本は平和にたいする罪、人道にたいする罪を犯していない」と主張しないのかと、亡くなるまで、いいつづけた。
戦後の日本は、何でもかんでも、ぺこぺこ謝り、そして、その結果、欧米とユーラシアの、謝ったからには補償をおこなえという論理にじりよられて、ヒーヒーいってきた。
その負け犬根性の原点が、非戦闘員の市民を大量に殺戮した原爆投下――その慰霊碑に刻まれた「過ちはくり返しません」という不気味な文章にあることに、日本人は、気づいていない。
パル判事は、広島を訪れた際、「ここに祀られているのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのはアメリカである。過ちを詫びるのは、日本人ではなく、アメリカだ」(一九五二年一一月三日)と批判した。
これにたいして、碑文起草者の広島大学教授雑賀忠義は「広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちをくり返さないと霊前に誓うのは、全人類の感情であり、良心の叫びである」という抗議文を提出する。
日本政府も、世界連邦=世界市民という大局に立ち、「原子爆弾使用の罪は、人類全体の罪なので、アメリカにたいする抗議をおこなわない」とした。
これに、「民族ではなく、階級で団結せよ」という世界共産主義(インターナショナリズム)を標榜する左翼がとびついた。
スターリンに媚び、アメリカの庇護の下で育った日本の左翼が、反日主義者に衣替えして生き残ることができたのは、じつに、この論拠にのって、なのである。
ノーベル賞の大江健三郎は「日本が悪いから、原爆を落とされた。原爆は日本人にあたえられた反省の材料。だが、わたしは日本人ではない。ノーベル賞をうけ、文化勲章を断ったのは、世界市民だからである」とうそぶいた。
これが、反日主義をかかげる日本人の一つの類型で、この思想が、東大教授の羹尚中・高橋哲哉・小森陽一の三バカ大将に代表される日本の学界から、マスコミ、教育界、共産党や社民党、民主党ばかりか、自民党にまで、根深く浸透している。
国から、散々、甘い汁を吸いながら、国を足蹴にするコスモポリタニズムが、インテリを中心に、戦後日本に蔓延して、どうして、日本が成熟した国になれるだろう。
●慰安婦「非難決議」には原爆投下「非難決議」で対抗せよ
わたしは、原爆記念碑のこの文言を取り払うとともに、アメリカが、日本の非難決議をおこなうのであれば、アメリカの原爆投下の咎を断罪する決議運動をすすめようと思っている。
もともと、アメリカが、日本の非難決議をおこなう背景には、原爆投下の罪意識があるからだ。
原爆投下をきめたトルーマンは「日本人とインディアンにたいしては、同じ人間の血が流れていると思われないので、良心の呵責が生じない」とのべている。実際、戦後、何百回もたずねられた「原爆投下」について、トルーマンは、難しい決断だったかと聞かれるたび「とんでもない、こんな調子で決めた」と指をパチンと鳴らした(毎日新聞【余録】)という。
ところが、それから六十数年がたち、日本人が得体の知れない異民族だった時代が過去のものとなり、アメリカ人が原爆や空襲で焼殺した日本人が、大リーグで活躍しているイチローやマツイと同じ親しい隣人だということがわかってくると、かれらは、原爆の罪意識を払拭するために、日本は原爆を投下されても文句がいえないようなことをやったのだ、という新たな理由付けの必要をかんじはじめた。
それが、今回の慰安婦をめぐる対日非難決議の背景である。
これには、前科がある。南京大虐殺である。東京裁判で、広島・長崎の原爆投下が問題になってくると、とつぜん、南京大虐殺をデッチ上げ、日本兵が、広島・長崎の原爆投下で亡くなった同数の三〇万人を虐殺したといいだした。
ヒトラーがアウシュビッツなら、トルーマンは、原爆である。前者が、史上最悪の業悪で、後者が正当な戦争行為となったのは、たんに、アメリカが戦争に勝ったからである。
原爆投下がいかに非人道的だったか、徐々に、事実関係が明らかになってきている。
陸軍長官スティムソンと国務次官グルーは、日本が降伏勧告をうけいれることができるよう、大統領トルーマンに、天皇の地位保全を約束すべきだと主張した。原爆投下のタイミングは、そのあとにすべきと説いたのである。海軍長官フォレスタル、陸軍参謀総長マーシャル、海軍軍令部総長キングも、警告なしに日本の都市に原爆を投下することには、絶対反対だった。
ところが、トルーマンと国務長官バーンズは、日本に降伏を勧告するスティムソンの草案から天皇の地位保全を認める条項と、共同提案国としてのソ連の国名を削ってしまう。日本に、降伏まで時間をかけさせ、ソ連への期待をもちつづけさせようとしたのである。
原爆の無警告投下を実行するには、日本が、早い段階で降伏条件をのむと不都合だったからである。
さらに、トルーマンは、原爆を日本の都市に投下することによって、ソ連を脅すことができると考え、無警告で原爆を投下する決意を固める。
アメリカは、生きた人間を使った核実験と軍事デモストレーションのために、三十万人の日本人を一瞬にして焼き殺したのである。
日本人が、アメリカのこの非人間性について、怒りをもち、謝罪をもとめるのは当然であろう。
そうしなかったから、日本人の魂も誇りも地に堕ちたままで、アメリカからあたえられた憲法も改正できなかったのである。
日本の反日主義は、NHKの反戦ドキュメントから筑紫哲也のニュース番組、朝日新聞、市民運動、教育界の自虐史観、東京裁判史観に毒された官界や保守系政治家にいたるまで、国益や、日本人としての誇りを否定して、他国に媚びるという点で、共通している。
そして、国家や民族の喪失感を補うため、かれらは、世界市民を口走る。
日本人が心を一つにして、アメリカに、原爆投下の謝罪をもとめてゆけば、反日主義などというひねくれた思想は、消えてゆくのである。