昨年(平成26年)の12月4日、東亜日報は、朝刊で、「ソウルの真ん中で日王誕生日式典行事」と、当日、予定されていた日本大使館主催の「天皇誕生日を祝うレセプション」を批判的に報じ、同記事から会場のホテルや開始時間を知った反日団体のグループが抗議におしかける騒ぎになった。
反日報道や反日教育、反日政策などは、いまさら問題にする気にならないが日王≠ニいう呼称については、見逃しにできない。
王≠ニいう呼称は、柵封体制(華夷秩序)において中国皇帝≠フ下の位をさすもので、この中華思想が、常識や理性を超えた韓国人の日本蔑視や反日の根拠となっているからである。
華夷秩序において、日本より上位にあるとする韓国は、中国の皇帝と同格である天皇という呼称はゆるすわけにいかない。
日本蔑視は、日本を「夷狄禽獣の類い」と見る中華思想から、そして、反日は、中華から遠く隔たった東夷に支配されたコンプレックス=「恨の精神」からでてきたもので、韓国人は、いまなお、小中華思想という古代の因習にとらわれたままである。
20年ほど前、韓国国会議員の招きで訪韓し、新聞記者と会見をおこなった際、天皇問題の応答の最中、「天皇は文化で、文化の異なる韓国の批判は的外れ」と発言したわたしにむかって鉛筆が飛んできた。鉛筆を投げつけたのは、東亜日報の記者だった。
同席していた国会議員は、会見後、「殴ったほうは忘れても、殴られたほうは忘れない」と意外なことばをもらしたものだが、両国の認識ギャップの深さをこのときほど痛感したことはなかった。
中国の反日も、中華思想にもとづいたものかといえば、そうではない。
現政権(中国共産党)の正統性は、抗日戦争勝利で、中国政府が、全人代の常務委員会会議で、「抗日戦争勝利記念日」(9月3日)と「烈士記念日」(9月30日)、「南京大虐殺殉難者国家追悼日」(12月13日)を国家法定記念日に格上げしたのは、日本は、夷狄や禽獣にひとしい存在ではなく、強大な侵略国家だったからである。
単独では、日本軍とたたかったことのない中国共産党は、アメリカの対日戦勝と、そのアメリカが、原爆投下という戦争犯罪を帳消しにするべくデッチ上げた「南京大虐殺」という虚構を戴いて、権力の正統性としているのである。
韓国は、なぜ、本家の中国が表向きにしていない中華思想をふりまわすのか。
中国にたいして、近代まで、事大朝貢体制をとってきたからである。
日本では、607年、聖徳太子が西のローマ帝国に並ぶ東の隋帝国の皇帝に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」という国書を送り、翌年、小野妹子を派遣して、国書に「東の天皇、敬みて西の皇帝に申す」と記した。
日本は、7世紀の初めには、柵封体制から離脱していたのである。
韓国が、この歴史的事実を見ようとしないのは、天皇が中国皇帝と同格になると、日本が、中国に事大する韓国の上位となるからである。
そこで、あえて、天皇にたいして、中国皇帝の臣下という意味の日王という呼称をもちいるのである。
ベトナムも、君主を退いた上皇(君主の父親)が、君主を名乗って朝貢するという苦肉の策をとって、国内の政治や文化が、柵封体制に組み込まれるのを避けている。
ところが、朝鮮は、すすんで、柵封体制にとびこみ、中華の一部(小中華)」になる道をえらんだ。
中華世界のナンバー2になれば、東の日本から、東南アジアの国々、中央アジア西域のチベットやウイグル、満州や北の遊牧民族など四方の周辺国(東夷・北狄・西戎・南蛮)の上位に立てるからである。
韓国(朝鮮)の小中華政策は、政治的には、大中華への事大主義で、文化的には、中華文化への同化=慕華思想である。
中華は、儒教にもとづく漢民族の文化的優越思想で、地理的・政治的・文化的に世界の中心(華)であるという究極の自己中心主義である。
中国という国名は、四方の周辺国を服従させた「中つ国」の意で、漢民族が住んでいる地域だけをいうなら、支那(china)である。
中国では、10年間におよんだ文化大革命で、儒教的価値観が木っ端微塵に吹き飛んだが、李王朝体制が、日本占領期を経て、李承晩独裁へひきつがれた朝鮮では、儒教的価値観とともに、中華という自己中心主義がそのまま残った。
韓国の小中華思想は、ジコチュー≠ナ、韓国人が世界中から嫌われているのは、プライドが高く、自己愛がつよい一方、他人を軽んじ、非難し、傷つける性癖からで、視野が狭く、わがままで、常識がないという幼児性をひきずってもいる。
韓国の小中華思想が、頑迷なものになったのは、本家の中国が、漢族以外の民族に支配された征服王朝でもあって、朝鮮も、金や元、清など漢民族以外の王朝に事大を強いられた歴史的経験からである。
大中華が、異民族に征服されたからには、小中華である朝鮮が、中華思想の本家であるという尊大な自覚が生じ、世界のわらいものになっている「韓国起源説」では、儒教の宗家である孔子が朝鮮人にされてさえいる。
李朝期の両班は、自身を「礼節を弁え、漢詩漢文を巧みに操り、儒教の経典に精通した中華文明の正統な継承者」と自認して、世宗が制定しようとしたとしたハングル文字を中国に背くものとして封印、中国に倣って科挙体制を取り入れ、両班を華、民を夷とするきびしい身分制度をつくって、古代社会の仕組みを近代にまでひきずってきた。
朝鮮は、中国の千年属国といわれるが、属国を望んだのは、朝鮮のほうで、中国に事大し、虎の威を借りて、周辺国(四夷)の上に立とうとしたのである。
それが、朝鮮の唯一の国是で、日本を見下す小中華思想を捨てると、国家の根本原理が失われてしまうことになる。
中国の反日は、国策だが、韓国の反日は、国是で、日本に牙をむいていなければ、国がまとまらないのである。
日本も、儒教の国だが、朝鮮のような教条主義に陥らなかったのは、平民レベルで多様化・一般化されたからである。
儒教の忠孝≠ヘ、韓国では、もっぱら孝で、これが、身内意識や排他性、目上の者に絶対服従する国民性となったが、日本では、武士の忠や礼になったほか、神道や仏教とミックスされ、正直や親切、思いやりなどの民一般の善や道徳観念、美意識へ広がっていった。
権力(幕府)が必要悪なら、善の象徴が権威(朝廷)で、民のために祈る神である天皇は、中国的な律令体制が崩壊して、武士が勃興した9世紀末には、すでに、権力から遠ざかっていた。
日本の特殊性は、武力と利権を握った武士が清廉だったことである。
忠を立てるべき天皇が権力から離れた善だったからで、ここから、支配者が民から掠奪するアジア的体制とは異なる権威と権力の二元性≠ノ立った日本独自の国家(国体)ができあがった。
ヨーロッパの王政も、華夷秩序における王も、権力で、日本では、幕府や大将軍がこれにあたる。
日本が世界最古の伝統(王朝)国家たりえているのは、権威(国体)と権力(政体)が並び立ってきたからである。
国体は、権力ではなく、文化の系譜で、日本という国は、権力が権威から認証をうけなければ、権力たりえない二元構造になっている。
事大主義や小中華思想という一元構造のなかで、自己中心主義をひきずってきた韓国人は、永遠に、天皇を理解することができないのである。