2015年11月18日

 国家と国体E 月刊ベルダ5月号(2015年4月発売)より転載

 ●なぜ、アメリカは「村山談話」「河野談話」の踏襲を望むのか
 戦後日本にとって、アメリカは、つねに、政治や外交の中心軸だった。
「親米保守」「対米従属」、「反米(親ソ・親中)左翼」などの言い方は、そのあたりの事情を物語るもので、1952年のサンフランシスコ講和条約発効、1955年の保守合同以降、親米の自民党と反米の野党が、対米関係を軸に安全保障や外交、貿易、金融などの政策を争ってきた。
 戦後日本の節目も、憲法制定から講和条約、60年安保、貿易摩擦、ロッキード事件、プラザ合意、バブル経済とその崩壊、日米構造協議、年次改革要望書、沖縄基地問題、TPPと、多くがアメリカがらみで、根底に核の傘≠ニいう対米依存がある。
核の傘≠ヘ、戦後の世界体制の一つの象徴で、「親米保守」と「対米従属」のアリバイになっている。
 といっても、「親米保守」と「従米依存」は別物で、この二者の隔たりが、これまで、日本の政治に、ブレと歪みをつくりだしてきた。
「敗戦と占領」から「冷戦構造と核の傘」へとひきつがれた戦後の日米関係は、当初から、現在のような対米従属型ではなかった。
 経済復興を軍備や憲法改正に優先させた吉田ドクトリンは、アメリカ国務長官ダレスをいたく失望させ、60年安保は、日本列島の基地化条約だった旧安保条約(51年)の双務的な安全保障条約への転換で、岸信介と重光葵がアメリカにのりこんで、要求をのませたものだった。
 だが、親米独立は、吉田茂や岸信介、鳩山一郎らまでで、その後、日米関係は、がらりと従米依存に変質する。
 とりわけ、日中・日ソ国交や資源外交で、対米従属からの脱却をはかった田中角栄が、アメリカ発の「ロッキード事件」で失脚して以来、アメリカとの関係が、対米従属一辺倒になった観がある。
 対米従属が、政権安定の切り札になったからで、従米派の小沢一郎が、アメリカがもとめる内需拡大に応えて430兆円(10年間)の財政出動をおこない、その実績をバックに権勢を振るったのが好例だろう。
 アメリカが、日本に高圧的なのは、敗戦国であることにくわえ、いいなりになってきたからで、一方、体制の異なる中国に遠慮するのは、戦勝国同士である以上に、独立国家として対等な関係にあるからである。
「年次改革要望書」をつきつけたクリントン大統領が、日本に立ち寄ることなく9日間にわたって中国に滞在(1998年)して、親米派を嘆かせたが、それが、戦前、蒋介石とむすんで、対日敵対政策(経済封鎖)をとったルーズベルト大統領以来のアメリカの伝統的な対日スタンスである。

 ●「日本封じ込め」がアメリカの国是
 もともと、日本とアメリカは、地政学的に微妙な関係にある。
 アメリカが、大戦前、日本に警戒心をもったのは、海岸線の長さが世界6位の海洋国家だったからで、北太平洋諸島を領有していた戦前、太平洋の制海能力は、モンロー主義(孤立主義)に立つアメリカをしのいでいた。
 かつて、大陸を制した国が帝国を築いたが、大航海時代以降は、イギリスやスペインやポルトガル、オランダなど、海洋を制した国が強国となった。
 大英帝国との戦争に勝ったアメリカが世界最強の国家になったのも、広大な国土の東西に大西洋と太平洋を擁する大海洋国家だったからである。
 世界一の強国アメリカにたいして、日本は、ハワイ併合を妨害したほか、第一次世界大戦後、アメリカが、喉から手がでるほど欲しかった北太平洋諸島(マーシャル諸島・ミクロネシア・北マリアナ諸島・パラオ)を占有(委任統治)し、アメリカが進出を目論む満州や朝鮮半島、中国大陸、南・東南アジアにもつよい影響力をもっていた。
 アメリカにとって、日本は、国益を害う地政学的な仮想敵国だったのである。
 アメリカが、日本封じ込めのパートナーにしたのが、日本と同盟関係にあったイギリスで、米英は「ワシントン会議(1921年)」で、3つの対日政策を決定した。
 @日英同盟を廃止して、日本を米英関係の下位に置く
 A海軍軍備比率で、米英は、日本の優位に立つ
 B日本の太平洋・アジア進出にブレーキをかけて、米英の権益をまもる
「ワシントン会議」の延長線上にあったのが、日米戦争の原因となった経済封鎖(ABCD包囲網)と大戦後の世界秩序を定めた「大西洋憲章」だった。
 大戦後の世界支配の構想が語られたルーズベルトとチャーチルの首脳会談(大西洋憲章)において、日本とドイツにたいして、国軍配備や核装備をゆるさないという日独封じ込め≠フ合意がなされたのは、アメリカにとって、日本帝国は、太平洋覇権とアジア進出の妨害者であり、英国連邦や欧州友好国にとって、ナチス・ドイツは、破壊者だったからである。
 大西洋憲章の決着が「ヤルタ・ポツダム宣言」だった。
「ヤルタ会談」で、ルーズベルトとスターリンは、千島・樺太の領有を条件に対日参戦の秘密協定をむすび、トルーマンがスターリンから対日戦参加の確約を得た「ポツダム宣言」では、日本の受諾を遅らせるため国体護持≠フ文言を外し、同宣言の発表以前に、原爆投下を命じている。
 アメリカが原爆を投下して日本を占領したのは、日本列島を極東米軍の基地にするためで、米ソ冷戦の勝利は、日本列島が旧ソ連の太平洋への出口を塞ぐ浮沈母艦≠フ役割をはたしたからだった。
敵国日本は、属国化することによって、アメリカの大きな利益に転じる。
 それが、対米従属の背景で、たしかに、超大国アメリカを敵に回す(反米)ことは国益に合致しないが、かといって、属国状態(従米)では、主権国家たりえない。
 残る選択肢は、親米独立だが、その前提となるのが、安倍首相が意欲的な自主憲法の制定だろう。

 ●日米安保で復権された国家主権
 今夏、予定されている安倍首相の「戦後70年談話」に、国の内外から関心が集まっているのは、焦点が、村山・河野の両談話の扱いにあるからで、アメリカまでが、両談話の踏襲を望んでいる。
 米・中・韓の足並みが揃ったのは、両談話が、戦後の世界体制の核心を衝いているからである。
 戦後の世界体制は、国連の名称が、戦勝国を意味する連合国(United Nations)とあるように、枢軸国だった日独が敵国扱い(53条敵国条項)に指定される一方で、拒否権をふり回す戦勝5か国(国連常任理事国)の独壇場になっている。
 村山談話と河野談話は、戦後体制にたいする敗戦国宣言≠ナ、戦勝国は、原爆を投下しても戦争犯罪を問われることがないが、敗戦国は、侵略や集団連行、大虐殺の濡れ衣を着せられても、抗弁しないどころか、すすんでこれをみとめようというのである。
 それが、対米従属や媚中の正体で、根っこにあるのは、戦勝国へのコンプレックスである。
 アメリカが、両談話に否定的な安倍首相をさかんに牽制する理由は、そこにある。
 敗戦国日本は、戦勝国と肩を並べようなどとせずに、東京裁判にしたがって、戦争にたいする罪意識を永遠にひきずっているべきというのである。
 中国の李克強首相が、全国人民代表大会で、「第二次大戦の勝利の成果と戦後の国際秩序をまもり抜き、歴史の逆行をゆるさない」とのべたのは、アメリカの代弁でもあって、これに便乗してふんぞり返っているのが参戦もしていなかった韓国である。
 対米追従や媚中親韓派が、戦後体制への屈服なら、親米独立は、アメリカと同盟関係をむすびながら、独立国家としての主権をまもることで、その端緒となったのが、60年の安保改正だった。
 旧日米安保条約は、無期限条約で、在日米軍は、日本のどこにでも基地をつくることができ、しかも、日本を防衛する義務が明文化されていなかった。
 一方、岸信介首相とアイゼンハワー大統領が署名した60年の安保条約は、集団的自衛権を前提とした双務的な体裁を採用しており、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力すると規定されている。
 占領憲法が交戦権をもたないのは、国家主権を有さないからである。
 これを解消したのが、国連憲章の自衛権(個別的・集団的)がもりこまれた60年安保で、日米安保によって、憲法第9条が形骸化され、自衛隊は、集団的自衛権をもつ実質的な国軍となった。
 内閣法制局が「保有するが行使できない」と詭弁を弄して、集団的自衛権に抵抗してきたのは、空文化された憲法をタテにとったためで、60年安保で左翼が決起したのも、安保条約が、非武装中立という憲法9条をひっくり返すものだったからである。
 60年安保で、日本は、ようやく、安全保障という国家の主柱を打ちたて、アメリカと対等の主権国家となったのだが、当時、その歴史的事実をつたえた新聞は一紙もなかった。

 ●望まれる国益主義に立った「戦後70年談話」
 安倍首相は、祖父である岸の路線を歩んでいる。
 野党や反日勢力は、集団的自衛権の行使を閣議決定した安倍首相をアメリカの番犬′トばわりするが、アメリカにとって好ましい政治家は、村山富市や河野洋平ら売国政治家で、安倍首相は、鳩山一郎や重光葵、岸信介ら、憲法改正や国家独立をもとめた旧民主党系政治家と同様、むしろ、危険視されている。
 今夏、予定されている戦後70年の安倍談話に、村山・河野談話が踏襲されていなければ、中国・韓国は騒ぐだろうが、中・韓とは国交関係がないにひとしいので、慌てることはない。
 問題は、アメリカだが、談話に「原爆投下や都市大空襲の悲劇をのりこえ――」という文言をいれておけば、アメリカは、沈黙する。
 アメリカが困るのは正義の国≠ニいう仮面が剥がれることで、南京大虐殺のデッチ上げは、原爆投下や都市大空襲を正当化するためのデマゴギーだった。

 中・韓や日本の左翼マスコミは、ワルシャワのゲットー記念碑でひざまずいたブラント首相を見習えというが、ブラントはナチスの殺人事件(ユダヤ人虐殺)≠謝罪しただけで、戦争犯罪については一切みとめず、国家間賠償もおこなっていない。
 主権国家には、交戦権があり、「正当な管轄権」(東京裁判清瀬一郎弁護士)なき軍事裁判を拒絶する権利があるからである。
 ドイツが、日本より早く再軍備をおこない、終戦の4年後には自主憲法(ボン基本法)を制定したのは、事後法による戦犯裁判の法的正当性をみとめなかったからである。
 一方、日本は、東京裁判を正義の審判として、陸海軍を解体した後、アメリカに促されるまで軍隊をもとうとせず、いまだ、自前の憲法をもっていない。
 そして、歴代首相は、これまで、「日本は戦争犯罪国家」と延々と謝ってきた。
 米・中のみならず、戦勝国が、村山・河野談話の踏襲をもとめるのは、戦勝既得権をまもるためで、これに対応するには、事実関係を明らかにして、デマゴギーを破壊することである。
 イギリスのBBC放送が米韓¥]軍慰安婦問題を世界に報じて以後旧日本軍¥]軍慰安婦問題にたいするアメリカの対日批判がトーンダウンして、シャーマン米国務次官も、従来の性奴隷「Sex Slave」という表現をやめて慰安婦「Comfort Women」に言い換えた。
 もっとも賢明な外交は、国益主義に立つことである。
 国際関係において、国家に忠誠を尽くす国益主義は、絶対善であって、いかなる国もこれを非難しない。
 日米安保条約が機能しているのは、岸信介が、日本を属国扱いしてきたアメリカと日本の左翼大連合≠ニいう逆風に立ち向かった成果で、国家や国民のために、逆風にたちむかうのが、大政治家の風格であろう。
 謀略と悪意、力の支配がまかりとおる国際社会のなかで通用するのは国益主義と国家にたいする忠誠心、かつての日本人の誇り高きサムライの魂だけなのである。

posted by 山本峯章 at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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