2017年02月08日

月刊ベルダ12月号(2015年11月発売)より転載

憲法九条がもたらした
戦後70年の平和ボケ

 ●憲法九条の平和は白旗≠フ平和
 護憲主義者や左翼は、憲法九条が、戦後70年の平和をまもってきたと主張する。
 大ウソである。
 日本は、憲法九条によって、戦争もできないような腰抜け国家≠ノなってしまっただけの話で、戦争がなかった戦後70年、日本は、平和の美名の下で、のうのうと主権を危機にさらしてきた。
 主権侵犯が、北方領土や竹島、尖閣危機、北朝鮮拉致事件にとどまっているのは、極東米軍が防波堤になっていたからで、日米安保条約がなかったら、日本は、ロ・中・韓・朝の軍事的脅威に、キリキリ舞いさせられていたろう。
 1952年の李承晩ラインによって、拿捕された日本漁船は328隻、抑留された船員は3929人、銃撃などによる日本側の死傷者は44人に上った。
 竹島は、李承晩ラインの領土侵略だが、軍隊どころか沿岸警備隊すらもっていなかった日本は、韓国警備艇や54年に配備された竹島の韓国常駐守備隊に手も足もでなかった。
 北方領土についても、日本は、旧ソ連に力でねじ伏せられたままである。
 ソ連軍が、千島を攻撃・占領したのは、日本がポツダム宣言を受諾して停戦が成立した1945年8月15日以降(8月28日〜9月5日)で、日ソ中立条約(期限1946年4月)が失効する半年以上も前だった。
 ソ連は、停戦違反と条約違反という二つの国際法を破って、千島列島と北海道の一部である歯舞・色丹を奪ったのである。
 ところが、日本政府の北方領土返還は、歯舞・色丹と千島列島20島のうちの国後と択捉(合わせて北方4島)だけで、ロシアが残りの18島の領有していることに一言も異議を唱えてこなかった。
 ロシアは、1945年のヤルタ会談を根拠にするが、スターリンとルーズベルトの密約は、日ソの領土問題には何のかかわりもなく、米国務省(アイゼンハワー大統領)も、ヤルタ協定は、ルーズベルトの個人的文書で、米国政府の公式文書ではないと宣言している。
 にもかかわらず、日本政府が、千島18島の返還を放棄したのは、敗北主義で、戦後70年の平和は、争わねば奪われる一方となる白旗≠フ平和だったのである。

 ●みずから断ち切った自主独立路線
 ヤルタ協定によって解決済みとされていた北方領土問題の突破口をひらいたのが、田中角栄だった。
 1973年、モスクワ入りした角栄は、ブレジネフ書記長、コスイギン首相、グロムイコ外相を相手に、正論を立てておしまくり、四本指を立て、歯舞、色丹、国後、択捉の四島返還が未解決と迫って、ブレジネフから「ダー(イエス)」と言質をひきだした。
 毛沢東や周恩来、ケ小平の心をつかみ、日中国交正常化させた角栄は、日米安保、日ソと日中の国交正常化によって外交上の憂いを断ち、あとは、経済で世界をリードしてゆくだけと胸を張ったものである。
 角栄がめざしたのは、日本の自主独立で、全方位・資源外交が、アメリカの逆鱗に触れたのは、日本を戦争に負けた属国とみなしていたからだった。
 外電で「ロッキード事件」がとびこんできたとき、検察・司法から朝日新聞・文藝春秋らマスコミ、野党勢力、自民党の反角栄派まで一斉にとびついたのは、角栄潰しの背後にアメリカがいたからだった。
 これも、憲法九条の弊害で、自力で国家を護れないのなら、アメリカにすがりつくほかなかったのである。
 榎本敏夫元秘書は、亡くなる数年前、わたしにこんな話をしている。
「丸紅から5億円の政治献金を受けたと話しましたが、それが、調書に記されていなかった。検察がやったのは、正当な政治献金をロッキード社からの賄賂にすりかえることでした」
 ロッキード社の極秘資料が米上院外交委員会の多国籍企業活動調査小委員会に誤配されて、発覚したとされるロッキード事件は、キッシンジャーが「やりすぎ」と批判したとおり、対日謀略で、ロッキード社では、だれ一人、贈賄を咎められていない。
 日本は、みずからの手で、自主独立路線を葬ったのである。

 ●中・韓から侮られる拝米保守
 ロッキード事件以後、竹下のプラザ合意、宮澤のバブル潰し、橋本の金融自由化、日米構造協議にもとづく小沢の430兆円赤字国債、さらに、年次改革要望書など、日本の対米従属外交が延々とつづき、日本は、坂道を転がるように劣化していった。
 このかん、中国や韓国の対日姿勢も激変した。
 日本を近代化の模範としてきた中国、日本を頼もしい兄貴分としてきた韓国が、日本をアメリカの属国≠ニして、侮りはじめたのである。
 追い討ちをかけたのが日本の土下座・謝罪外交で、訪韓した宮澤は80回もお詫びのことばをのべたという。
 靖国参拝や歴史認識などの問題は、先に日本側が謝罪して、あとから中国や韓国が抗議を申し入れるというさかさまの構造で、慰安婦問題では、河野洋平官房長官がウソをついて、韓国に反日運動の材料をあたえるという信じがたいふるまいにおよんだ。
「中韓の感情を害してはならない(近隣諸国条項)」とする宮澤談話から大東亜戦争を侵略戦争と定義した「村山談話」に至るまで、日本は、みずから自国を貶め、自己否定する愚行をかさねてきた。
 それが、親米ならぬ拝米保守で、主権や国益を投げ出して、アメリカに隷属することが、保守政治の背骨となった。
 これにたいして、民主党などの革新勢力は、媚中・親韓の一辺倒で、日本の政治は、アメリカに隷属するか、中国に媚びるか、そのどちらかという有様になっている。
 中国が軍事基地化をすすめる南シナ海の人工島周辺12カイリ内に、米軍のイージス駆逐艦が進入すると、日本のテレビ(バラエティショー)では、人気タレントや文化人らが「オトーとオカンがケンカになりそうや。どっちついたらトクなんや」などのトークがくりひろげられた。
 南シナ海は、日本のタンカーの通り道で、封鎖されたら、日本は、大ピンチに陥る。
 1970年代の石油危機を機に、日本は、石化燃料への依存度を100から50%に抑えるため原子力発電の建設をすすめ、68%になったところで福島原発事故がおこり、現在は、再び、98%にもどっている。
 化石燃料の輸入増は、年4兆円にたっして、消費税2%分が消える計算になるが、日本人は、平和主義的な響きにのせられて、原発反対を叫んでいる。
 憲法九条がもたらしたのは、平和ではなく、平和ボケだったのである。

 ●官僚と学者が利得化した憲法九条
 憲法九条を利得化したのは、日本の支配層、とりわけ官僚であろう。
 国家主権(交戦権)をもたない半人前国家では、既得権をもつ役人が、甘い汁を吸えるのである。
 保身主義・組織温存主義が身上の高級官僚は、天皇からGHQにのりかえて戦後日本の骨組みをつくりあげた。
 東郷外務大臣から電報送信の日時を知らされていたにもかかわらず、大使館を留守にして、「対米宣戦布告」の通達を遅らせた日本大使館の職員が、戦後、全員、外務省で異様な出世をしている。
 野村吉三郎大使は、吉田茂の顧問として、海上自衛隊の創設にかかわったのち、参議院議員から日本ビクター社長へ天下り、寺崎英也・井口貞夫・奥村勝蔵書記官の三人は、順番に外務省外務次官になったほか、当時の職員も、駐米大使や国連大使などへ栄進している。
 外務省は、戦後、アメリカの出先機関と化していたのである。
 南京大虐殺や従軍慰安婦などのデマゴギーに、外務省は、いっさい反論していない。
 外務省は、ユネスコの記憶遺産に「南京大虐殺文書」が登録決定されたことを遺憾とする報道官談話を発表したが、その土台をつくったのは、ほかならぬ外務省で、これまで、外務省が異議を唱えなかったことによって、大ウソが歴史的真実になってしまったのである。
 憲法九条をまもってきたのが、左翼とマスコミ、憲法学会である。
 憲法学者は、新憲法によって、軍国主義が解体して、主権が天皇から国民に移ったとして八月革命説≠主張する。
 新憲法によって、日本は、平和国家にうまれかわったというのである。

 ●憲法違反だった憲法九条
 護憲派が論拠にしているのが「無条件降伏」論である。
 日本は、ポツダム宣言を受諾して、無条件降伏したので、占領中の法改正を禁じた「ハーグ陸戦法規」にはあたらないというのである。
 ポツダム宣言は、日本政府にたいして、陸海軍の武装解除と解体をもとめたもので、13項に「日本政府にたいして、日本軍隊の無条件降伏の宣言を要求する」とある。
 国内の徹底抗戦派や中国・満州など海外の日本軍が自ら武装解除したのは、日本政府(天皇)の命令によるもので、無条件降伏したからではなかったのである。
 占領という日米の戦争状態は、昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効)までつづく。
 無条件降伏したので、憲法原案(英文)の押し付けはハーグ陸戦条約違反にあたらないというなら、ポツダム宣言は何だったのか。
 アメリカの押し付けではなかったというなら、当時、GHQが駐留していた日本に自主的に憲法を定めるに主権があったのか。
 憲法改正の議論の前に「ハーグ陸戦条約」違反を立証して、廃憲を決議するのが先決で、新憲法は、前例に倣って、国会法でとりきめればよい。
 日本国憲法の冒頭に昭和21年11月3日付けの勅語が付帯している。
 そこに「帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」とある。
 現憲法は、帝国憲法の改正というのである。
 したがって、天皇が直接、政務を執れないときは、憲法を改正してはならないという帝国憲法第七十五条に拘束される。
 占領下における天皇は、直接、政務を執れる状態にはなかった。
 帝国憲法を改正した現憲法は、憲法違反だったのである。
 これを根拠にすれば、国会で、改憲もしく廃憲を議決(多数決)しても、なんら問題はない。
 護憲派が憲法違反というなら、現憲法も、改憲を制限した帝国憲法第七十五条違反だったではないかと反論すればよいのである。

 ●安全保障を国連改革にもとめた安倍首相
 国連総会(軍縮・国際安全保障)は、すべての国が核兵器の全面廃絶のため共同行動を取るとした日本主導の決議を、加盟国の約8割にあたる156か国の賛成で採択した(22年連続)。
しかし、同決議に米・英・仏が棄権したほか、中国、ロシア、北朝鮮など核兵器保有国が初めて反対を表明した。
 米・英・仏・ロの棄権や反対は「核兵器の非人道性」が謳われているためであろうが、中国は「日本は広島や長崎の被害を強調する一方、南京大虐殺などの戦争犯罪をみとめていない」「侵略戦争の必然的結果」と敵対意識むきだしだった。
 五大戦勝国(米・ロ・英・仏・中)が拒否権をふりまわす現在の国連には、アジアの安全保障を担保する機能も意思もそなわっていない。
 なにしろ、国連安保理の常任理事国たる中国が、核と世界第3位(1位アメリカ、2位ロシア、4位日本/クレディ・スイス調査)の軍事力をちらつかせて、アジアの独立と安全保障を脅かしているのである。
 日本は、核を所有せず、表向き、長距離ミサイルももっていない。
 通常兵器なら中国とやりあえても、核ミサイルをつきつけられると、勝負にならない。
 安倍首相の国連改革構想は、国連を大改造して、戦勝国同盟から、核の安全保障システムへ格上げしようというものである。
 現在、国連加盟国は、193か国にふえたが、安保理の仕組みは、加盟国が51か国だった発足当時から何もかわっていない。
 日本がもとめているのは、常任理事国入りと拒否権の撤廃である。
 日本・ドイツ・インド・ブラジルの4か国が常任理事国入りし、現在の5常任理事国がもっている拒否権を9か国の多数決にきりかえれば、国連の機能は戦勝国による独裁的支配体制から平和同盟にきりかわる可能性がでてくる。
 日本の常任理事国入りは、193国連加盟国のうち、160か国以上が支持しているので、「3分の2(129か国)条項」はクリアできるが、常任理事国の中国が拒否権を行使すれば、暗礁に乗り上げる。
 だが、台湾を国連から追放して、北京政府を常任理事国とした「アルバニア決議(1971年)」と同様、安保理の権限外の総会決議にもちこめば、中国は拒否権を行使できず、日本がもとめる国連改革は、現実のものとなる。
 憲法九条にしがみつく一国平和主義や対米依存から抜け出すために、国連を戦勝国連合から核の共同防衛≠フ場へ昇華させようというのは、賢明な努力であろう。
 国連が、独立国家の連合体となるとき、日本は、憲法九条の呪いから解かれるのである。
posted by 山本峯章 at 04:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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