憲法はいらない
●憲法に消された国家観・国体観
憲法から国家が見えてこない。
歴史や伝統、文化をつつみこんだ国体も消えている。
あるのは国民主権だけだが、23項も並べられている国民の権利は、天から授かった(社会契約説)とされているので、国民の権利を担保する統治機構としての政体も宙にういている。
国体や国家、政体の影が薄い戦後日本のなかで、唯一の権威となったのが憲法で、第99条では、総理大臣から天皇にまで、尊重と擁護の義務を負わせている。
GHQが投げ与えた紙切れの下に、国家や政府、国体までが組み伏せられているのである。
それでも、日本が、戦後、国家として存続しえたのは、紙に書かれた憲法に代わって、国体や国家、政府の原理的な力が機能してきたからだった。
憲法が武装を禁じても、国家は、共同体の自衛権にもとづいて、武装する。
戦後、日本が、憲法九条をはじめ、憲法のクビキをのりこえて、主権国家としてふるまってきたのは、万古不変の国体を有する伝統国家だったからである。
国家は、はじめから、国家だったわけではない。
その前にクニ≠ニいう共同体があり、そこに、権力構造(=統治機構)が樹立されて、国家が誕生した。
クニは、神話時代からの歴史や文化の系列で、国体にあたる。
統治機構は、権力による支配体系で、これが、政体である。
タテ(時間)軸の国体と横軸(空間)の政体が十字に交わって、日本という国家がつくりあげられているのである。
憲法は、そのなかで、政体に付属している。
政体は、国民と国家の利害や外交関係を調整する機能で、国民が治安や国防の心配をせずとも、政府が万全を尽くし、政府が干渉せずとも、国民は経済的に自立し、法をまもり、納税義務をはたす。
憲法は、権力や権利の行使におけるルールブックで、その法の力が、国体や国家へ効果がおよぶものではない。
ところが、日本では、憲法が政体を超え、法治主義の名のもとで、国体や国家をのみこむまでに怪物化している。
そこから、国家観や国体観の崩壊が生じた。
国体や国家、政体が、それぞれのありようで組み合わさっていた国のかたちが、憲法という絶対法の下に一元化されて、旧ソ連のスターリン法のように、法がファッショ化しているのである。
現在、国体と政体、クニと国家の区別がほとんどなくなって、保守政治家までが「日本は民主主義の国」などとのべる。
政体は、戦後民主主義であっても、国家をささえているのは、「公の精神」や国にたいする誇り、国益主義などの国家観である。
現在の政治家の頭にあるのは、民主主義と主権在民だけで、その先にある国家や国体が見えていないのである。
●革命国家では憲法が国体
憲法が、戦後、日本の最高規範となったのは、憲法をおしつけたアメリカが伝統的共同体をもたない革命国家で、イギリスから独立して日が浅い新生国家だったからである。
革命国家では、政体が、そのまま、国家となる。
憲法が、自ずと国法となるのである。
明治憲法では、憲法や議会に拘束されなかった皇室典範が、戦後憲法の一部となったのは、国体が存在しないアメリカ流である。
アメリカの元首は、政府の長たる大統領である。
一方、日本の元首は、政権から離れている天皇である。
それが、伝統国家の証で、政体のほかに、国体という文化構造をもっている。
元首は、国際儀礼上の地位で、天皇は、アメリカ大統領や中国国家主席より上位におかれる。
権威の根拠は、世襲と伝統的共同体(クニ・国体)で、天皇は、祭祀国家に祭祀主である。
天皇の権威を象徴するのが世襲(万世一系)と祭祀(宮中)で、権威が、政体の正統性をささえている。
革命国家では、伝統的権威の代用として、国家基本法が立てられる。
イデオロギーや法を国家の上位におくのが、革命国家で、スターリン憲法や毛沢東語録によって、数千万、数億の人々の命が奪われた。
国家の繁栄と民の幸を祈る祭祀は、絶対善である。
一方、権力や法、イデオロギーは、絶対悪である。
絶対悪と絶対悪の権力抗争が、戦争や革命で、アメリカが革命国家でなかったら、予告なしの原爆投下や都市空襲はなかったろう。
●憲法に破壊された国体
革命国家の綱領にして、政体の基本法にすぎないものを、伝統国家である日本の最高法規とした場合、何がおきるか。
国体が崩壊して、おそるべき政治的退廃が生じる。
日本では、国体と政体が上下に組み合わさって、国家が形成されてきた。
その国体が失われると、政体は、不安定になる。
政治が不安定になると、法や権力に依存せざるをえない。
その結果、過剰な法治主義に陥って、政治がさらに無能化する。
国家防衛は、政体や法の枠を超える。
防衛は、政策ではなく、共同体の本能行動だからである。
皇室問題も、政治や法のカテゴリーにくくることができない。
国体は、政体の上位にあるからである。
防衛や国体問題など、政体をこえるものを憲法にゆだねると、問題の本質が歪められて、国家の機能が麻痺する。
現在、日本では、憲法が謳い上げる民主主義が絶対価値となって、民主ファッショが横行している。
安保法制反対の提言を発表した5人の元首相(細川護煕・羽田孜・村山富市・鳩山由紀夫・菅直人)が、「民主主義の国の首相としての資格がない」(菅)と安倍首相を批判したのも、そのケースで、日教組教育で育った戦後の政治家には、民主主義が人類の崇高な理想と映っているのである。
憲法前文によると、国政は、国民の信託によるもので、権威の根拠や権力の行使が、国民の側に委ねられ、国政の福利を享受するのも、国民である。
しかも、国民は、本来、国家しかもちえない絶対権力(君主権=ソブリンティ)までもっている。
これでは、革命をおこす必要もないので、左翼は、人民政府の実現をもとめて、護憲運動をくりひろげるのである。
憲法が、役に立っているのは、反<国体・国家・政府>運動にかんしてだけで、「民族自決権(国連人権理事会)」を叫ぶ沖縄の翁長雄志知事は、辺野古の基地拡張が憲法(92条/地方自治の基本原則)違反だとして、政府を訴えている。
左翼・反日派にとって、滅びたマルクス主義、ルソー主義に代わって、憲法が最後の命の綱≠ナ、反政府プラカードや赤旗を立てて、「憲法を守ろう」と叫んでいる。
●国体なきところに国家なし
鳩山由紀夫が訪韓して、抗日の象徴である西大門刑務所歴史館(併合時代に政治犯を収監)で、靴を脱ぎ、土下座して、カメラの放列に身をさらした。
頭の片隅にでも、国家という観念があれば、土下座など、一国の首相だった者の誇りがゆるさないところだが、左翼や反日派には、背負うべき、誇るべき国家がどこにもない。
愛国心がないのではなく、頭のなかに国体や国家がないので、祖国を愛するというマインドがどこからもわいてこないのである。
国体の喪失については、明治維新にまで遡らなければならない。
明治政府は、天皇を権力にとりこみ、国民を国家に帰属させ、高天原の神話を国家神道というイデオロギーにもちあげた。
権威=祭祀主を権力者=国家元首に仕立てた明治維新によって、国体と政体の境界線が取り払われて、日本は、西洋の革命国家のコピーとなった。
戦後は、法を唯一の規範とするアメリカに倣って、国家を捨てた。
アメリカは、ユナイテッド・ステート(政体連合)で、ネーション(国家)ではない。
革命国家では、議会や大統領が、君主に代わって、国家主権をにぎる。
国体をもたないアメリカは、政府(大統領・議会)が国家なのである。
領域(領土・領海・領空)と国民、国家主権を国家の三要素≠ニするのは、政体=国家とする西洋の考え方である。
主権が君主権(ソブリンティ)なら、民は領民で、主権がおよぶ領域までが領土である。
ヨーロッパでは、領土が国家に発展したので、領主と領民の対立関係がそのまま残されて、主権が交代する革命の火種となった。
事実、フランスやロシア、アメリカなどの先進国は、革命国家で、イギリスも、国王(チャールズ一世)が死刑になって、一時期、共和制が導入されたので、厳密には、伝統国家ということはできない。
日本の国体は、西洋における領土国家の上に権威がのった形で、民も領土も天皇から預かったものである。
それが国家で、イギリス(ユナイテッド・キングダム)は、イングランドとスコットランド、ウェールズ、北アイルランドのネーション連合である。
ネーションは、共同体で、国民性や民族性、文化、習俗を共有する。
アメリカのステーツは、法や権力にもとづく機能体組織である。
日本で、自衛隊を憲法違反だとする論理は、自衛隊を政体の一部とみるからだが、国土防衛は、政体ではなく、国家からの要請で、憲法の法の力は、国家におよばない。
日本の軍隊は、防人の昔から前大戦の特攻隊、自衛隊にいたるまで、共同体(国体)をまもる皇軍で、政府ではなく、国家や国体に属している。
●君民一体と民主主義
日本には、「君臣一体」「臣民一体」や「君民共治」という思想がある。
君民共治は、基本的人権や民主主義(一般的意思)を唱えたルソーが、人類至高とした体制で、「君民共治は、望むべくもないので、やむなく、民主主義をえらぶ」とのべたことは、広く知られている。
世界一、文化的な国民国家だった江戸をみるまでもなく、日本で民が栄えてきたのは、君民一体という高度な思想が根づいていたからで、民は、幕府ではなく、赤子として、天皇に属していた。
日本は、神道にもとづく祭祀国家で、天皇は祭祀主で、民は氏子だった。
民が天皇を崇めたのは、民が心の支えとした神話や鎮守の森(神社)信仰の代理神で、クニの起源である高天原に、日夜、民の平安を祈っておられるからである。
天皇は、権力ではなく、日本という国家の核≠ナあって、神話につらなる日本というクニは、天皇という歴史文化の総体を核として、成り立っている。
天皇は、天津神で、日本は、幕府という権力機構の上に、クニという神的な構造をおき、天皇という天津神(権威)が、幕府という国津神(権力)に統治の正統性をあたえる二重構造をとってきた。
鎌倉幕府が、蒙古襲来(元寇)に、死力を尽くしてたたかったのは、国家をまもるためで、幕府(政府)は、天皇にたいして、国家をまもる義務を負っている。
それが政体で、日本国は、開闢以来、律令制が導入された飛鳥・奈良時代の一時期を除いて、国体(権威)と政体(権力)が分離した二元体制がとられてきた。
天皇が権力者だったのは、隋・唐に倣って、律令制の導入が本格化した天智天皇(668年)から、天武・持統朝によって大宝律令(701年)が制定されたのちの百年ほどで、官僚制は、構造上、絶対的な権力者を必要とするのである。
律令体制も、平安朝には崩壊して、朝廷と公卿、武士(豪族)の二元体制が復活する。
桓武天皇(781年)によって、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命される一方、「源平藤橘」(四姓)などの廷臣勢力が台頭してくると、天皇は、再び、官位を授ける権威(祭祀主)となって、権力から遠ざかる。
それが、クニの中心に天皇がおられるということで、その体制が、連綿と現在までつづいている。
日本の政治機構は、世界に類がないほど高度で、精妙にできている。
日本のクニ、国体、政体、国家に比べると、戦争と革命の産物である民主主義国家は、粗雑というほかない。
わが国の政治をふり返ることなく、アメリカ民主主義やマルクス主義にとびつき、「平和憲法を世界に輸出すべし」というのが、日本の護憲派である。
輸出すべきは、インチキ憲法ではなく、世界最古の祭祀国家をささえてきた国体と政体、権威と権力の伝統的な二元論なのである。