2017年02月10日

月刊ベルダ8月号(2016年7月発売)より転載

 グローバリズムの崩壊と
 日本の独立


 ●グローバリズムと国家経済
 冷戦構造崩壊後、世界経済に2つの潮流がうまれた。
 一つは、アメリカを中心とするグローバリズムである。
 そして、もう一つは、中国やロシアなどの国家管理型の一国経済である。
 世界戦略と軌を一にする経済のグローバル化も国家管理型で、経済や金融が、外交や安全保障と同様、国家の管轄下におかれている。
 アメリカは、基軸通貨ドルによる国際金融資本の形成と世界スケールの経済展開で世界一の富裕国家の地位を維持し、中国は、共産党独裁にもとづく国家管理型の資本主義を完成させ、アメリカに次ぐ経済大国になった。
 ロシアも豊かな地下資源の輸出を中心に国家管理型の資本主義を強化させている。
 グローバリズムと一国主義のちがいがあるものの、米中ロが、経済に一応の成功を収めているのは、経済と国家戦略がリンクしているからで、それを端的にいいあらわしたことばが国益である。
 日本経済がかつて順調だったのは商道≠フ伝統で、商が道徳律や公共性の上に打ち立てられていた。
 日本経済には、かつて、公益という背骨がとおっていたのである。
 一方、資本家の利益に最大の価値をおく古典的資本主義は、銃が紙幣や商品に代わったにすぎない侵略主義で、権力とむすびついた植民地政策が、やがて帝国主義へと拡大していき、戦争の火種となった。
 侵略や戦争と表裏の関係にある経済は、国家の管理の下におかれるべきとしたのが、21世紀の新資本主義で、米中ロは、ハイエク(市場重視)とケインズ(公共投資)、フリードマン(マネーサプライ)を適宜に織り交ぜて、国家経済という新しい形態をつくりだした。

 ●グローバリズムの終焉
 グローバリズムもその形態の一つだが、現在、世界で、グローバリズムの終焉を印象づける出来事がつぎつぎおきている。
 一つは「日本も原爆をもったほうがよい」などの過激な発言をくり返すドナルド・トランプが2016年アメリカ大統領選挙(11月8日一般投票/12月中旬選挙人投票)の共和党候補にきまったことである。
 孤立主義のトランプが大統領に当選すれば、日米安保条約からTPPにいたるこれまでの日米関係がすべて見直される可能性がでてくる。
 二つ目が、EU離脱を選択したイギリスの国民投票である。
 小差でも、多数派が国民の総意となる国民投票では、国家主権が素人判断と気まぐれによって液状化現象をおこしてしまいかねない。 
 君主制を打倒、あるいは形骸化させて樹立された民主主義は、ファシズム化とテロリズム、衆愚政治という三つの欠陥をもっている。
 民主主義政権が、これまで大過なくやってこられたのは、議会をあわせもったからで、民主主義は、普通選挙法と議会(間接民主主義)のことといってよいくらいである。
 三つ目が、イラク戦争に参戦したブレア政権を批判するイギリスの独立調査委員会(チルコット委員会)の報告書である。
 この三つは、それぞれ別の出来事のように見えるが、そうではない。
 そこに見えてくるのは、新自由主義と民主主義を核としてきたグローバリズムの失敗と終焉である。
 トランプの孤立主義もイギリスのEU離脱も反グローバリズムで、アメリカの戦争にたいする公然たる批判も、その流れにそっている。
 英米が、一国主義へ舵を切ろうとしているのは、グローバリズムや新自由主義が中間層の貧困化≠ニいう落とし穴にはまりこんだからである。

 ●グローバリズムは掠奪型経済
 アメリカは、国際金融と軍産複合体経済を世界に展開して、国際社会の盟主として君臨してきた。
 グローバリズムは、アメリカが国是とする新自由主義と民主主義の世界化≠ニいうことである。
したがって、経済では、富の偏在と格差化を世界中におしひろげ、政治面では戦争とテロをうみださずにいなかった。
 民主化は、非キリスト教国家や伝統国家とのあいだに深刻な摩擦と混乱をひきおこすからである。
 アメリカが、世界一の軍事力を背景に、民主化と新自由主義の世界戦略をおしすすめてきたのは、自国の利益のためであって、フセインやカダフィを倒したのは、二人の独裁者が異教徒にして反米だったからである。
 それがグローバリズムの正体で、ヒト・モノ・カネの自由化や政治や経済の国家間障壁を撤廃するグローバリゼーションとは別物である。
 グローバリズムは、対外的に、帝国主義・侵略主義・覇権主義という形をとる。
 グローバリゼーションは、サッチャーやレーガン政権がはじめた新自由主義の政策で、民営化や規制緩和、大幅減税のほか金融ビッグバンや外資導入をすすめる一方、社会保障制度や被雇用者の利益をまもる諸制度を後退させた。
 今回、英米でおきているのは、中間者層の叛乱で、グローバリズムと新自由主義に「ノー」がつきつけられているのである。
 アメリカの伝統というべき孤立主義(モンロー主義)は、他国に依存せずともやっていける豊かな地下資源・工業力・農業生産力をもっていたからである。
 だが、西洋の経済は、掠奪型なので、孤立主義をとることができない。
 農業の過剰生産は海外の市場を必要とし、資本は利潤をもとめて国際市場をかけめぐる。
「暗黒の木曜日」(1929年10月24日)にはじまる大恐慌は、掠奪経済の破綻で、原因は、オートメーション化や農業の機械化によって資本家や大農場主が巨利をえる一方、工場や農場から締め出された国民が貧困化して、資本主義経済が立ち行かなくなったからだった。
 代わって立案された社会主義的な計画経済(ニューディール政策)も失敗に終わり、アメリカは、掠奪経済のツケを戦争で解消せざるをえなくなった。
 日米開戦後、アメリカ経済は、欧州から逃れてきたユダヤ資本をテコに軍需産業をフル操業させ、みるみる立ち直り、終戦後、ついに世界覇権を握る。

 ●グローバリズムはテロと戦争の温床
 イギリスの独立調査委員会(チルコット委員会)が、イラク戦争に参戦したブレア政権を批判する報告書を発表して、英国内のみならず、世界的な論議をまきおこしている。
 同報告書は「イラク戦争はひどい結果をもたらした海外介入で、その失敗は現在の世界情勢に深刻な影響をおよぼした」とも指摘している。
 フセインやカダフィらの独裁者を倒した結果、過激派組織「イスラム国(ISIL)」がうまれ、世界中の都市がテロの脅威に晒されるようになったというのである。
 中東のテロリズム(宗教戦争)が封印されてきたのは、フセインやカダフィらの独裁者が力でおさえこんでいたからで、軍事独裁政権が中東的秩序だったことは、イラクやリビアの民主化(ブッシュ大統領開戦演説)が武器と弾薬の民主化、テロ自由化の引き金になったことからも明らかだろう。
 アメリカは、戦後、20回以上、中規模以上の軍事行動をおこし、1000万人以上を殺戮しているが、9割が空爆による民間人の死者である。
 戦略的に成功した軍事行動は、戦後の日本占領(1945年)だけで、朝鮮戦争(1950年)とベトナム戦争(1961年)では敗北を喫し、アジアに対米敵対勢力をつくりあげただけだった。
 アメリカのグローバリズムが失敗したのは、国際交易や通商はグローバル化できても、文化や歴史、民族のグローバル化が不可能なことに気づかなかったか、非アメリカ的な価値は、インディアンやビキニ環礁の珊瑚礁にように、絶滅させても痛痒がないからである。
 アメリカの戦争は、西ヨーロッパのキリスト教諸国がイスラム教諸国に謀略のかぎりをつくした十字軍と本質的にかわるところがない。
 湾岸戦争(1991年)、アフガニスタン戦争(2001年)、イラク戦争(2003年)は、近代兵器の壮大なる実験場で、湾岸戦争では、イラク側の戦死者数15万人にたいして、アメリカ側の戦死者は、0、07パーセントの114人にとどまった。
 グローバリズムに代わって一国主義(孤立主義)が浮上してきたのは、グローバリズムは、結局貧しき帝国主義≠ノすぎなかったからである。
 孤立主義が拠って立つのがナショナリズムと国益主義である。
 中間層の復活をめざす社会保障の充実や被雇用者の保護政策、規制強化は、一国(孤立)主義に依存せざるをえないからである。
 イギリスのEU離脱とアメリカのグローバル経済からの撤退(トランプ・クリントンともTPP不参加を表明)によって、世界経済は、今後、孤立主義の方向にむかうことになる。

 ●対米従属/対日支配もグローバリズム 
 世界の趨勢は、グローバリズムから一国主義への転換である。
 だが、戦後70年、グローバリズムと左翼インターナショナルにどっぷり漬かってきた日本が、一国主義に立った自存自衛の国家運営ができるかといえば、あやしい話である。
 日本が対米従属から抜けられず、主権国家としてふるまえないのは、憲法9条や国家主権の放棄(国民主権)、民主主義などのグローバリズム(世界標準)に縛られているからである。
 そこには、日本独自の価値観や歴史的必然性、民族の智恵が一片も宿っていない。
 日本が他国から攻められても抵抗しないという憲法9条が、戦勝国アメリカからおしつけられたグローバリズムなら、国連憲章や日米安保にもとづく個別的・集団的自衛権もまたグローバリズムで、戦後の日本は、国家防衛という局面において、国益という視点に立った自前の安全保障を構想したことが一度もなかったのである。
 世界がグローバリズムから孤立主義に転換しても、日本は、主権をもった独立国家として他の強国と肩を並べることはできない。
 独立国家としての誇りも気構えもなく、強国にたいする手下根性≠ェ骨がらみになっているからである。

 ●グローバリズムに依存している日本の安全保障
 日本が、アメリカの核の傘≠ノまもられているという説は、妄想のきわみである。
 日本が中国や北朝鮮から核ミサイルを打ち込まれた場合、アメリカが、自国被爆のリスクを冒して、中・韓に報復的核攻撃をおこなう可能性は万に一つもない。
 核による「相互確証破壊」は、当事国同士の共倒れ≠フ論理で、第三国がこれに首をつっこむという仮定はもともとありえないのだ。
 71年のキッシンジャーと周恩来会談では「米国の真の友人は中国」「日本の経済大国化は米国の失策」「日本の核不所持は米中共同の利益」「日米安保条約は日本を封じこめるビンのフタのようなもの」などの発言が外交文書に残っており、72年のニクソンと周恩来会談でも同様の確認をおこない、のちにニクソンは「米国は中国というフランケンシュタインをつくってしまった」と回顧している。
 71年ジョンソン国務次官がニクソン大統領へ宛てた文書で日米関係をこう定義づけている。
「在日米軍は日本本土を防衛するためではなく、韓国・台湾・アセアンの戦略的防衛のため日本に駐留している」
 ところが日本では、国防や国益、国家意識さえアメリカ任せで、東大教授グループらまでが、アメリカ様がつくってくれた憲法9条のおかげで日本は平和などと言い散らしてヘラヘラしている。
「日本の防衛は日本の責任」「日本も核をもつべき」というトランプの発言は、暴論どころか、現在の日本にとって、まっとうな正論だったのである。

 ●日本の独立を妨げている占領基本法
 戦後70年、日本がアメリカにおとなしく追従してきたのは、敗戦とGHQによる占領、かつての米ソ冷戦構造、日米安保の片務性、核の傘、偵察衛星やレーダー網など軍事情報の依存と原因はかならずしも単純ではないが、最大の原因は憲法である。
 戦後処理だった占領基本法の下では、独自の外交も防衛も成立しない。
 なにしろ、国家主権が否定(国民主権・9条)されているので、独立国家として、政治力のふるいようがないのである。
 独自のプランを立て、みずからの責任で、国家の権利や国益をもとめるという独立国家としてのあたりまえの政治機能が失われたのはそのせいである。
 かつて、日本は、媚中・親韓・反日の旧民主党に政権をあたえ、国家を危機にさらした。
 現在も、日本共産党をふくめた野党4党連合がめざすのは、国家転覆で、「防衛費は人を殺す予算(共産・藤野政策委員長/NHK番組)」などと公言する政党が政権をとって、防衛大臣にでもなったら、自爆テロである。
 戦後70年、アメリカやソ連、中国の顔色ばかり見てきた日本の政治は、国軍保持・交戦権を禁じる憲法の下で、独立国家としての機能も能力も放棄したままである。
 現憲法がおしつけ憲法であるとやら、ヤルタ・ポツダム体制打破とやらというのは笑止千万である。
 自主憲法をもとうとしなかったのも、YP体制のなかで惰眠をむさぼってきたのも、朝日新聞や左翼に煽られた日本人であって、だれのせいでもないからである。
 国家防衛の最大の敵は、70年前の戦争を謝罪して悦に入り、国益などといおうものなら、右翼や国家主義者と罵詈雑言を浴びせかけるのが左翼国際派で、全方位・資源外交で対米独立路線をめざした田中角栄をアメリカや全マスコミといっしょに叩き潰したのもかれらだった。
 グローバリズムや孤立主義などという前に、日本は、一人前の国家にならなければならないのである。



posted by 山本峯章 at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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