折り合いのつけかた
●伝統国家の自覚がない日本人
安倍首相は「生前退位」問題を皇室典範の附則変更で処理するという。
当初、検討された特別措置法では、憲法第二条(国会議決と皇室典範による規定)違反になる可能性があるため、附則変更で対応しようというのである。
有識者会議の設置についても来年に先送りして、拙速を避ける意向だ。
これにたいして「陛下のお気持ちを汲んでいない」「陛下に同情的な8割の世論を無視している」という批判もある。
有識者会議の設置と皇室典範の改正を急ぎ、法改正と国会議決で、一刻も早く生前退位を実現させるべしというのである。
自民党の二階幹事長も有識者会議の設置にからめて「女性天皇の検討も一緒にやればよい」(BS朝日)とのべ、記者団に「女性尊重の時代に天皇陛下だけが例外というのは時代遅れだ」と女性天皇論を展開した。
安倍首相とは皇室観において大きなちがいがある。
二階幹事長やマスコミ世論が近代主義なら、安倍首相は、伝統主義に立っているのである。
●権力や法を超越している伝統
近代主義は、法や権力に拠って立ち、伝統主義は、歴史的な慣例や文化構造に根ざしている。
世襲や万世一系、宮中祭祀は、法や権力を超えている。
だからこそ、不動の権威なのであって、法や権力、多数決の民主主義に左右されては、権威たりえない。
いくさや選挙の勝者は権力者になれるが、歴史上、いかなる権力者も天皇になることができず、今後もありえないのは、天皇が権威であって、権力者ではなかったからである。
それが、天皇を戴く伝統国家の真のすがたである。
安倍首相の慎重な対応は、天皇の地位と皇位継承にたいする法と権力の関与を最小限におさえるためで、事実、旧皇室典範は、皇室の家法として、憲法と同格の別の法体系だった。
有識者会議では、生前退位を前提とせず、摂政による国事行為の代行なども検討されるという。
摂政は、昭和天皇の前例があり、国事行為の代行も、憲法や皇室典範に規定があるので、生前退位より自然である。
憲法によって定められた国事行為は、半ば、法制化された儀式で、皇太子による代行でもさしつかえない。
一方、憲法に明記されていない宮中祭祀は、伝統であって、天皇あるいは皇太子が摂政宮となっておこなわなければならない。
天皇の権威の根拠となるのは、憲法に規定された国事行為ではなく、伝統としての宮中祭祀である。
皇位継承も宮中祭祀と同様、法や権力の埒外にあって、法的手続きや政治判断のおよぶところではない。
伝統の範疇にあるものには手をつけないのが伝統国家の徳性で、日本の皇室が世界から尊敬されているのは、法や権力のおよばない伝統的存在である天皇が、事実上の元首となられているからである。
●皇室の自然消滅をはかったGHQ
日本が伝統国家であることを自覚している日本人は多くないだろう。
戦後、革命国家の民主主義がゆきわたって、国体という民族の伝統的精神が失われたためである。
国体は、民族の神話や宗教、習俗や言語、生活形態などをのみこんだ歴史の産物で、文化構造である。
伝統国家は、永遠の国体の上に一過性の政体が乗った二重構造になっている。
政体は、政治や法、制度などの権力構造であって、時代によって変化する。
日本が、数千年にわたって、同一国家を維持することができたのは、政体が代わっても、土台となる国体が不変だったからである。
その土台が大きくゆらいだのが先の敗戦だった。
敗戦とGHQによる日本占領によって、国体の存続がGHQの手にゆだねられた。
明治政府によって種がまかれた国体の危機が現実のものになったのである。
薩長の明治政府が国体の象徴である天皇を元首に据えたのは、権威と権力を一体化させ、列強に対抗できる帝国主義国家をつくるためだった。
国体の危機は、このとき仕込まれたといっていい。
国体の象徴である天皇を政体のトップにすえたため、権威と権力の二元論が崩れて、政変や戦争という政体上の危機が、文化構造である国体におよぶ構造になったのである。
天皇が権力にとりこまれると権威と権力の二重構造が毀れる。
日米開戦を回避できなかったばかりか、敗戦によって、二千六百年におよぶ国体が消滅の危機に瀕したのは、天皇が明治政府および陸海軍にとりこまれたからで、敗戦による国体の危機は、日本がみずから招いたものだったのである。
●天皇は国家ではなく国体の象徴
戦勝国が皇室廃絶をもとめるなか、GHQは、皇室の財産没収、11宮家の臣籍降下、旧皇室典範の改廃など皇室の自然消滅を視野に入れた政策を着々とすすめた。
最大の難問が天皇の処遇だった。
天皇が国家元首なら、敗戦国の戦争指導者として、戦勝国から裁かれなければならない。
天皇もそのおつもりで、みずからマッカーサー元帥を訪問されて、全責任をとるお覚悟をのべられた。
天皇が権力であったら、国民の支持や敬愛どころか、国民的な糾弾を浴びていたろう。先の大戦では、数百万人の同胞が、戦場や空襲、原爆で命を失っているのである。
だが、天皇が権力者=国家元首ではなく、国体という文化構造の象徴だったのなら話は別である。
天皇の全国行幸には、一億日本人が日の丸の小旗を振って、熱狂的にお迎えした。
マッカーサーは、天皇が権力者ではなく、西欧には存在しない国体の象徴であるという確信をもった。
きめてになったのが、大新聞(朝日・読売・毎日)や調査機関による「天皇制存廃世論調査」だった。
結果は驚くべきもので、どの調査も廃止が1パーセント前後、不明をふくめても10パーセント前後で、国民の9割が天皇を支持していたのである。
総司令部(GHQ)のスポークスマンは、驚愕してこのとき「天皇制があるからといって民主主義的ではないということはできない」とコメントしている。
マッカーサーの決断は、天皇を軍部や政権(政府)から切り離して、国民と一体化した象徴(日本国と日本国民統合の象徴/憲法一条)とすることだった。
マッカーサーは、はからずも、明治政府が権力者に仕立てた天皇の位をほぼ原型にもどして、国体護持を憲法に明文化したのである。
だが、このとき、マッカーサーは、大きな誤りを犯した。
天皇の地位を伝統ではなく、法制上のものとしたのである。
マッカーサーは、天皇と国体をまもったと同時に、天皇を憲法にくみいれることによって、明治政府と同様、国体と伝統国家の真のすがたをゆがめたのである。
●多数決の原理にすぎない民主主義
アメリカ人にとって、日本の皇室は、羨望の対象だという。
新興国家のアメリカにとって、民主主義は、空気のようなものだが、歴史や伝統は、もとめても永遠にえられない文化的な価値なのである。
民主主義は、文化でも文明すらでもない。
ただの多数決で、チャーチルがいったように、絶対専制や独裁、暗黒政治に苦しんだ人民がたどりついた窮余の策で、絶対専制や独裁よりマシという代物にすぎない。
しかも、民主主義は、衆愚化という致命的な欠陥を抱えている。
多数派が最大権力となる民主主義では、大衆とマスコミ、迎合政治家の三者が世論を支配して、政治をかぎりなく劣化させるのである。
大衆の欲望とマスコミの商業主義、権力欲は、目先の利益追求という点で一致する。
このとき、伝統や徳性、習慣、民族の叡智という歴史的価値が捨てられる。
歴史を断ち切った革命国家では、権力の実効性や正統性が、民主主義一本に絞られる。
自由主義も共産主義も、革命国家であるかぎり唯物主義で、げんにアメリカは、スターリンのソ連と手をむすんで日本とたたかった。
戦後、イデオロギーが、自由主義と共産主義の対立という図式で語られてきた。
しかし、実際は、伝統と革新の対立であって、軍事的に対立しながら微妙なところで米中が折り合っているのは、ともに革命国家だからである。
●伝統国家と革命国家の衝突
大東亜・太平洋戦争は、伝統国家と革命国家の衝突で、日本は、国家防衛と国体護持、大東亜共栄圏建設のため、アメリカは、国益と民主主義の理想のためにたたかった。
日本が戦争に負け、このとき、国体に危機が生じたのは、連合国の戦争目的の一つにファシズムの打倒があったからで、アメリカの目には、天皇が独裁者と映っていた。
先の大戦は、民主主義とファシズムの戦争でもあったのである。
GHQによる占領直後から、日本の伝統的精神や文化構造にたいする破壊が開始された。
共産党はGHQを救世軍と呼び、マスコミや官僚、親米派政治家はGHQの下僕となり、国民は、WGI(ウオー・ギルト・インフォメーション)と3S(スポーツ・スクリーン・セックス)作戦の虜になって、アメリカ民主主義にとりこまれていった。
GHQは、民主主義の最高法規化(憲法)から左翼活動の促進(労働組合・日教組結成)、国民道徳の排除(教育勅語の廃棄)、伝統文化の抹殺(古典の焚書)、言語改造(漢字のローマ字化)や宗教改革(神道指令やキリスト教教化活動)など日本を西洋的な革命国家に改造する計画を着々とすすめた。
GHQの政策が、突如、転換されるのは、米ソ冷戦と中国革命、朝鮮戦争によって、日本を反共の防波堤にしなければならない必要が生じたからだった。
しかし、ときすでに遅しで、新憲法が発布され、公職追放令によって、日本の中枢が左翼に独占されたあとだった。
以後、日本は、伝統国家と革命国家の中間をゆれうごくクラゲのような国になるのである。
戦後の日本人は、伝統国家であることを否定するGHQ憲法と日教組の学校教育、左翼マスコミにどっぷり浸ってきた。
そして、戦後生まれの日本人が8割以上を占め、日本が伝統国家であることの自覚と誇りをもつ日本人が急速に減少すると、首相や大臣までが自虐史観をふりまわす風潮となり、皇国史観を口にするだけで右翼やネットウヨと罵声を浴びせかけられる時勢となった。
民主主義を絶対化する世論をリードしてきたのがマスコミである。
朝毎系の大メディアが、左翼・反日のテキストとなってきたのは、戦後民主主義を絶対善≠ニしたからで、教条的民主主義の前では、戦前の日本も靖国神社も絶対悪≠ニなる。
そして、人民や民主主義、共和国を冠した国を祖国のようにもちあげ、中・韓の日本叩きをけしかけ、加担してきた。
●伝統国家にふさわしい憲法改正
独立国なら、国家反逆罪に問われるべき大メディアが、日本で一、二を争う発行部数や視聴率をえているのは、日本人の多くが民主主義を神聖視しているからである。
それでも、日本がひっくり返らないのは、天皇がおられるからである。
大メディアが反天皇を打ち出さないのは、天皇にたいする国民の支持が圧倒的だからで、共産党さえ、容認のポーズをとっている。
一方、国民のあいだでは、天皇と民主主義が違和感なく共立している。
理由は、民主主義は、思想でも普遍的な価値でもなく、多数決という方法論と普通選挙法をさしているにすぎないからである。
野党や左翼は「民主主義をまもれ」と叫ぶが、多数決に反対する者などどこにもいない。
伝統的価値は、多数決などと比べようもないもので、まして、どちらをとるかなどいう設問は、ばからしくて、国民はだれも耳を貸さない。
日本が伝統国家であることは、否定できない歴史そのもので、それを「いまは男女平等の時代」などと否定してかかるのは、アメリカ民主主義への迎合や進歩主義の請け売りにほかならない。
心ある国民は、道具として民主主義を利用しながら、伝統主義の誇りをいまだ失わずにいる。
国民の期待に応える改憲案は、この事実をふまえ、国体護持という大所高所に立った大胆な考え方がもとめられる。
憲法改正案は、まっ先に、旧皇族をふくめた皇族の家法として、皇室典範を独立させることである。
二つ目は、臣籍降下した11宮家の男系男子に皇位継承権を設けること。
11宮家にたいする皇位継承権は、憲法や内閣の拘束をうけない皇室典範できめればよいことで、伝統国家には、法や多数決、政治がおよばない領域があってよいのである。
皇室の自然消滅をはかったGHQの当時の対日政策を撤廃しておかねければ、当時のGHQの目論見どおり、日本は、将来、皇室消滅という事態を迎えなければならなくなるのである。