●アメリカニゼーションの終焉
トランプ大統領の登場によって、グローバリズムが終焉して、世界は孤立主義の時代に向かうという論調がある。
トランプは「バイアメリカン、ハイアアメリカ(アメリカの製品を買え、アメリカ人を雇え)」と叫んだだけである。
グローバリズムの終焉や孤立主義は、そこからでてきたもので、トランプは一言もそんなことをいってない。
トランプが主張しているのは、アメリカの伝統的な孤立主義ではなく、アメリカ・ファーストという一国主義である。
その一国主義も、先行したのはロシアや中国で、トランプが言い出しっぺだったわけではない。
トランプがTPPから離脱を宣言したのは、自国の雇用と製造業をまもるためで、輸入関税率を設けるというのも元安・円安に対抗するためである。
その一方で、国防費の上限撤廃を主張するトランプの一国主義は、ロシアや中国と同様、覇権主義と国家資本主義の二本立てで、脱グローバリズムなどと呼べる代物ではない。
終焉したとされるグローバリズムは、他国の伝統や慣習、ルールや価値観と衝突したアメリカニゼーションのことで、他国に文明や価値観、経済原理をおしつけるアメリカ流がうまくいったのは、唯一、日本だけである。
トランプ大統領の登場によって、多少、路線が変更されるとしても、アメリカは、依然として、グローバリズムにもとづいた覇権国家で、国益主義に立って、経済・金融・貿易・為替の分野で、今後も、露骨な政策をとってくるだろう。
トランプが反対しているのは、新自由主義(ウオール街型経済・国際金融)とグローバリゼーション(経済の地球規模化・TPP)であって、共和党の基本路線であるグローバリズム(権力の世界化)を否定しているわけではないからである。
●自由主義経済が残した爪痕
トランプ登場の背景にあったのが、新自由主義の破綻だった。
ニクソン・ショック(ドルと金の交換停止)とプレトン・ウッズ体制が破綻した1971年以降とりわけ1980年代にはいって、アメリカ経済は、投資効率の高い国際金融へ移行していった。
そのバックボーンとなったのが新自由主義で、金融の国際戦略をささえたのがグローバリズムだった。
1991年にソビエト連邦が崩壊した後、圧倒的な軍事力を背景にアメリカが世界の画一化(アメリカニゼーション)をおしすすめ、基軸通貨ドルの下で世界を金融支配するにいたった。
その結果、生じたのが「中間層の没落」とアメリカ製造業を沈滞させた「つくらざる経済」だった。
金融経済では、資産が特権階級に独占されるため、中産階級が貧困化し、製造業が空洞化する。
富の偏在と中間層の没落は、アメリカだけではなく、いまや、世界的な現象になっている。
生産と消費、貯蓄から成る経済のうち、金融経済として拡張したストックがバブルをつくり、実体経済を破壊する。
それが不良債権をうみ、市場や実体経済にダメージをあたえる。
リーマン・ショックでは、サブプライムローンなどの金融商品を大量に購入したヨーロッパの銀行などが巨額の不良債権をかかえこみ、世界が不況のただなかに叩きこまれた。
大統領選挙で、トランプが製造業の復活と雇用問題を争点に絞ったのは賢明で、アメリカ人は、アメリカの活力を奪った新自由主義と自由貿易に絶望していたのである。
●グローバリズムと国益主義の合体
今後、グローバリズムと国益主義の合体が世界の潮流になると思われる。
中国の元安やロシアの国家資本主義をひきあいにすれば、一国主義は、軍事力を強化しつつ、国家が 経済の後ろ盾にまわろうという反自由主義的な戦略である。
トランプ流がまさしくそれで、国家が経済の陣頭指揮に立とうというのである。
アメリカの一極支配は、今後、米・ロ・中の三頭体制に移ってゆくだろう。
そのあとにつづくのが、日・独・印の三国で、6か国の順位は、防衛費のそれとほぼ一致する。
三頭体制といっても、米・ロ・中が協調体制へはいってゆくわけではない。
世界の中心軸が米・ロ・中の三つになるだけで、軍事面では、軍縮ではなく、むしろ、軍拡の方向へむかう。
米・ロ・中とも軍事大国で、とりわけアメリカは、軍事予算(70兆円)が二位の中国(23兆円)を大きく引き離している。
アメリカが突出した軍事力をもっているのは、国家自体が軍産複合体(MIC)というコングロマリットだからで、指揮をとっているのが国防総省(ペンタゴン)とCIA(中央情報局)である。
日本やドイツとの戦争のためにつくられた国家臨戦態勢=軍産複合体が発展的にひきつがれて、現在のアメリカの国家構造になっているのである。
350万人以上の将兵を抱える軍部と国防総省、「デュポン」「ロッキード」「ダグラス」など3万5千社にのぼる傘下企業群、大学や研究室、政府機関やマスコミ、議会までが一体となった軍産複合体は、アメリカ特有なもので、アメリカのパワーの源泉である。
軍産複合体の市場は、世界の火種である中東と中国の拡張政策にさらされている極東で、湾岸戦争の折、サウジアラビアはアメリカから大量に兵器を購入し、日本も尖閣列島危機にからめて、オスプレイ17機(3600億円)の導入をきめている。
トランプがNATOや極東からの米軍退却をちらつかせたのは、ひきかえに兵器を売りつけようというハラで、戦後、GHQから航空機製造を禁じられた日本は、戦闘機などの重要な軍備をすべてアメリカから買ってきた。
アメリカが米軍「F35」を凌駕するステルス戦闘機「心神」(三菱重工)の完成に不快感をしめしたのはそのためで、自前で戦闘機をつくられては商売にならないのである。
●国益と軍事力が両輪の力の論理
今後、世界は、国益と軍事力を両輪にした力の論理によって、激しくゆれうごくことになるだろう。
それがグローバリズムと一国主義が並び立つ新時代のパラダイムである。
グローバリズムには、政治的局面と経済的局面がある。
前者が国家権力の世界化(グローバリズム)なら後者が「ヒト・モノ・カネ」の流れを国際化するグローバリゼーションで、両者は、通常、一体化している。
グローバリズムと対立的にとらえられている一国主義も、グローバリズムと相補的な関係にあって、国家は、すべて、国益主義と世界戦略の両方の政策を併せもっている。
極端なケースが戦争で、アメリカは、戦後、朝鮮戦争をはじめベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、紛争までふくめると百件以上の戦争をひきおこし、現在はIS(イスラム国)やアルカイダらイスラム過激派と戦争状態にある。
軍事力は、パワー・オブ・バランスの基礎条件で、軍事費が国家の実力や国家間の力関係にむすびついている。
したがって、米・ロ・中が、今後、軍縮へむかう可能性は考えられない。
アジアの覇権をもとめる中国が軍拡路線を継続すれば、これに対抗して、アメリカが軍事力を拡充させる。
アメリカのアジア戦略の軸になるのが「アジア安保」へと性格をかえつつある日米安保条約である。
だが、日本にはその自覚がない。「武器を捨てると平和になる」(憲法九条)とヒヨコのようにピヨピヨといっているのである。
●経済的発展を支えてきた軍事力
トランプ大統領の誕生によって、日本が、対米従属というフレームから自由になる可能性がでてきた。
そうなれば、戦後70年を経て、日本は、一国主義という未知の領域に足をふみいれることになる。
といっても、日米安保の体制に変化が生じるわけではない。
役割分担や装備コストの負担率が変わるだけだが、その結果、日本の軍事費が数兆円ふえ、米・中・ロに次いで世界4位の軍事国家になる。
それが日本の安全保障になると同時に、国際的地位の向上につながる。
現在、交渉中の北方領土の一部返還(歯舞・色丹)が実現すれば、日ロ関係の好転にともなって8項目の協力プラン(資源開発・技術提供・民間投資・中小企業間の交流など)がすすむ。
軍事力をふくめた国力が拮抗してくると、支配と被支配の関係が互恵的関係へ転換されて、それが二国間あるいは集団的安全保障体制へつながってゆく。
インドやアセアンとの経済協力も、同じ構図にあるが、後ろ盾になっているのは、日印安全保障条約や日米安保の汎アジア化という軍事力である。
日本の安全や経済的発展、周辺国との経済交流は、平和主義ではなく、軍事力の高さによってもたらされてきた。
中国が日本に手をだせないのも、自衛隊のバックに軍事費総額70兆円のアメリカがついているからである。
150機の航空機と原子力空母、原子力潜水艦や数隻のイージス艦、5万人の兵力をもつ在日米軍は、核攻撃の能力ももっている。
日本は一兆円に満たない支出で、総軍事費70兆円のアメリカの軍事力を利用しているのである。
●軍産複合体の正体
インドシナからの撤退やデタント(緊張緩和)による軍事費縮減をすすめたケネディ大統領の暗殺(アメリカ政府による真相の76年間封印)や資源外交や全方位外交をすすめた田中角栄の失脚工作(ロッキード事件)の背後に軍産複合体の存在があったのは疑いえない。
トランプの逆転当選にも、共和党=ネオコンをとおして軍産複合体による工作があったと思われる。
イラク戦争やリビア侵攻を批判したうえ、ロシア・中国との協調路線を唱え、軍産共同体の怒りを買ったトランプが、突如、国防費の上限撤廃を打ち出したのがその傍証で、軍産共同体の系列にあるマスコミも、ある時期以後、トランプ批判を止めた。
アメリカが謀略国家なのは、世界の常識だが、日本にはその認識がない。
ロッキード事件では、朝日新聞や文藝春秋など日本中のマスコミがアメリカ発のガセ情報に踊らされ、国民の大多数は、希代の天才政治家角栄逮捕の報にこぞって喝采を送った。
さらに悲劇的なのは、連合国が日本の無力化を、GHQが日本の共産化をはかった占領政策の憲法がいまだ最高法として君臨していることである。
世界が一国主義へむかうなか、国家主権と国体を否定した現憲法ほど有害にして障害になるものはない。
憲法と世界潮流になりつつある一国主義=自主独立が水と油だからである。
現行憲法は、国際主義という前世紀の遺物で、共産主義が人類の理想とされていた時代の妄想である。
軍事力が国家防衛のハードなら、憲法はソフトで、国をまもるには、ハードとソフトの両面の装備が必要となる。
軍備や交戦権を否定する日本の憲法(九条)は、国家防衛のソフト面にとって最大の障害で、空母の建造を仮想敵国である中国から憲法違反と指摘されるにいたっては、防衛破壊の身中の虫というしかない。
専守防衛という憲法解釈の下で長距離輸送機や空中給油機すらもてなかった日本の防衛力は、たとえ、軍事費が世界有数であっても、ソフト面を考えると世界最低のレベルといわざるをえない。
●憲法改正ではなく自主憲法制定
国家防衛を悪とする反国家・反日主義者が拠って立つのが憲法である。
外国では最高の徳とされる国をまもる気概が憲法違反になる法感覚では、軍事力を背景にした一国主義の時代に世界と伍してやってゆけそうもない。
日本の無力化をはかった戦勝国の謀略が70年をへたいまなお国家の安全保障を脅かしているのである。
主権と国家機能を奪ったGHQ憲法は、問答無用に廃棄されるべきで、一部を修正する改憲では、現行憲法をうけいれたことになる。
YP(ヤルタ・ポツダム)体制打破を主張する勢力さえ憲法改正の立場に立っている。
戦勝国がつくった世界秩序(戦後レジーム)を否定するなら憲法も否定すべきで、一部の修正では、YP体制打破にはならない。
現在、自主憲法制定のうごきはなきにひとしい。
自主憲法制定派にとって大きな痛手が自民党の変節である。
護憲的改憲が事実上の護憲となるジレンマに陥って、自民党のかつての党是だった自主憲法制定への展望を失っているのである。
護憲派が現憲法を金科玉条とするなら、自民党は9条と前文の削除、維新の党が地方自治権、公明党が環境権の上乗せで、改憲論がもっぱら護憲論の土俵のなかで議論されている。
護憲的改憲派は、憲法96条の三分の二条項をもちだすが、自主憲法制定に必要なのは現憲法廃棄である。
げんに、昭和27年のサンフランシスコ講和条約でうけいれた東京裁判における戦犯判決を、翌28年の国会決議(戦犯処刑は法務死であって戦死者とみなす)でひっくり返している。
国家主権と民主主義の原理において、国会決議に勝るものはなく、同決議は多数決が原則である。
鳩山一郎や岸信介らの日本民主党と吉田茂が率いる自由党が合同(55年体制)して以来、自民党の党是は「新憲法制定」と「経済復興」だった。
このとき鳩山一郎が、総議員の3分の2以上の確保を目指したのは、53年の時点(吉田自由党政権)で、保守全体で三分の二の議席にたっしていたからだった。
三分の二条項は、自主憲法制定の手続きの一つで、憲法廃棄という別の手続きも存在する。
自民党が改憲にこだわると、三分の二条項にひっかかって、いつまでたっても自主憲法の制定ができない。
改憲を自主憲法制定に切りかえ、方法論の抜本的な見直しが急がれる。
世界が一国主義にうごきだして、アメリカの後ろ盾と日米安保条約の補強が弱まると、憲法9条が牙をむくだろう。
憲法訴訟や政変、世論操作によって、国家防衛が9条によって否定されかねないからである。
げんに鳩山由紀夫の民主党時代、日米安保体制にひびが入りかけた。
自主憲法を制定して、国家主権(交戦権)と自主防衛戦略を打ち出さないかぎり、日本の国家防衛は、けっして磐石なものにならない。
戦勝国によって国家主権を奪われた憲法をひきずって、一国主義へ突入しつつある世界潮流から取り残されてはならない。