2017年02月11日

「伝統と革新」2016年秋号「現代メディア論」から転載

 マスコミにはびこる
 正義ヅラの胡散臭さ

         
 ●マスコミ商売のどこが社会の木鐸か
 マスコミが企業もしくは商売人で、読者や視聴者が情報の購買者にすぎないということが、わが国では、なかなか理解されない。
 とりわけ、三大紙(読売・朝日・毎日)やブロック紙(中日・北海道新聞など)、五大テレビ局(日本・朝日・TBS・フジ・東京)にたいしては、全幅の信頼をおくというより、妄信するのである。
 情報が信頼できるからではなく、数百万人もの読者や視聴者をカバーしている大新聞やテレビなら、黙って乗っていれば大勢に遅れる心配がないからである。
 信用できるのは、真実ではなく、マジョリティ(多数派)のほうで、大衆は、少数派の真実などに何の関心もむけない。
 そもそも、大衆には、真実をみきわめる能力がそなわっていない。
 専門家すら、たとえば安保法制について、一刀両断で是非を断じることはむずかしい。
 安全保障には集団的自衛権が不可欠だが、米軍に付き合って、地球の裏側にまででかけてゆく必要はあるまいというのが一般通念で、どんな政治的な問題も絶対≠ニいうわけにはいかない。
 安保法制に抗議して焼身自殺(新宿・日比谷公園)した人は、どんな絶対をかかえこんでいたのであろうか。
 靖国神社に放火しようとして逮捕された韓国人(全昶漢)が「韓国のマスコミから称賛されたかった。靖国神社については何も知らない」とのべたという。
 何も知らないのに、大それたことをやってのけたのは、マスコミにとりこまれたからである。
 それがマスコミの危険性で、多数派世論=マスコミが、現代社会において、第四の権力どころか、立法・司法・行政をはるかにしのぐ圧倒的な支配力・影響力をもっているのである。

 ●国家も国益もないあざとい商売
 日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)に反発する暴動(日比谷焼打事件)は死者17人、負傷者500人以上、検挙者2000人という大惨事となったが、きっかけは「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」(朝日新聞)と煽る新聞記事だった。
 国家予算6年分の戦費を使い果たしていた当時の日本には、戦争を継続する余力がなく、一方、ロシアには、戦争継続の意志も能力も残っていた。アメリカ大統領(セオドア・ルーズベルト)を仲介に立てたポーツマス条約は、高度な政治工作だったが、国民は、そんなことは知らない。
 新聞は、そのあたりの事情を知らないでもなかったろうが、何より商売繁盛というわけで、大衆をあおりに煽って、ついに、日比谷焼打事件へと暴走させた。
 日清・日露戦争から満州事変、日中戦争、日米開戦など新しい戦争がおこるたび、新聞は爆発的に部数をのばしていった。
 新聞にとって、戦争ほど有り難い出来事はないのである。
 戦地に多数の従軍記者を派遣したほか、戦果を空撮するための航空部局を創設(朝日新聞)するなどして部数を拡大させていった大新聞は、連日、大本営発表を大々的に報じ、鬼畜英米や「進め一億火の玉だ」などのスローガンを見出しに掲げ、あたかも、戦争協力者にようにふるまった。
だが、実際は、商売の便法だったことは、戦後の変節や昨今のガセ記事からも明らかである。
のちにゾルゲ事件で検挙される朝日新聞記者・尾崎秀実が、日中戦争の戦線拡大を叫んだのは、戦争大きくなるほど販売部数がのびる朝日新聞の主張でもあったからで、のちに第1次近衛内閣の内閣嘱託から満鉄調査部嘱託職員へ転身するなかで、ソ連のスパイ・ゾルゲに協力しながら、日本軍の徹底抗戦を説いてまわった。
これが敗戦革命≠ナ、のちに憲法学者のいう「八月革命」にひきつがれる。
海軍の米内光政ら英米派が戦線を南下(島嶼作戦)させ、陸軍が戦線を中国大陸やマレー半島(インパール作戦)へ貼りつかせることによって本土防衛が手薄になり、太平洋から米軍(空軍)、北方からソ連(機械化部隊)の反撃をうけて日本が滅亡するというのが敗戦革命のシナリオで、スターリンとルーズベルトの日本殲滅計画には、英米やソ連への属国化を想定する国際派のほか、大新聞が一枚くわわっていたのである。

 ●東京裁判に「お役目ご苦労様」
 戦後、朝日新聞が180度転身して、反戦・平和主義なるのは、公職追放で上層部が入れ代わったからだけではなかった。
 報国や愛国では商売にならなくなって、GHQに擦り寄っただけの話で、左翼にあらずんば人にあらずの戦後風潮のなかで、朝日新聞は、左翼や左翼シンパを一挙にすくいとって、再び、日本一の大新聞なってゆく。
 朝日新聞は、昭和20年9月19、20日の2日間、GHQから発行停止命令を受けている。
 原因は、鳩山一郎衆議院議員(昭和29年/内閣総理大臣)のインタビュー記事だった。「正義は力なりを標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が戦争犯罪であることを否むことはできぬであろう」(9月15日付)
 アメリカの戦争犯罪について言及したこの記事がGHQの逆鱗に触れたのである。
 発禁が明けた直後の社説(「戦争の責任、果たして如何」9月22日)にこうある。
「物的戦力と科学力において、日本が米国に遙に及ばないことは、初めから判りきつてゐたことである。我が指導者が、この事実を知らなかつたとすれば、無智、無能これに過ぐるものはないし、もし知つて国民を戦争に駆り立てたとすれば、罪万死に値しよう」
 かつて、鬼畜米英を叫んだ朝日新聞はさらにこうのべる。
「軍国主義の絶滅と政治の民主主義化は、日本自体の要求だったと万人が異口同音に叫ぶであろう」
戦争責任は指導者だけにあって、アメリカは、自由主義や民主主義を好む日本人を軍国主義から救い出した救護者だというのである。
 朝日新聞は、発禁命令を受けた当日、鈴木文四郎常務ら重役がGHQに出向き、口頭でこう誓っている。「GHQの日本改革政策を全面的に支持する」
 そして、日本の戦争指導者7人に死刑を宣した極東軍事裁判が終わった日、紙面にデカデカと「お役目ご苦労様」と書いてGHQをねぎらった。
 朝日新聞は擦り寄るべき権力者をGHQに切り替えたわけだが、はたしてこれを転向と呼んでいいものだろうか。
 転向は、信念を曲げることであって、そこに苦渋や躊躇がはたらくものである。
 ところが、朝日は、ケロッとして、反省も節を曲げたことを愧じる素振りすらも見せていない。
 それは当然で、利益になるのなら、変節を恥じないのが、商人なのである。
 新聞もテレビも、儲けのために記事や情報を売っているのであって、八百屋がナスビ、雑貨屋や歯磨き粉、魚屋がイワシを売っているのと何もちがわない。
 マスコミが有害なのは、商人の分限で、正義や真実、イデオロギーを振り回すからで、ナスビに説教されて、有り難がっているのが、昨今のマスコミ世論なのである。

 ●GHQの暴走を招いた朝日・毎日
 新聞のあくどい商魂が国家の危機を招いたのが、天皇陛下とマッカーサーの会見記事にまつわる出来事である。
 昭和20年9月27日、旧アメリカ大使館の司令官公邸で、天皇とマッカーサーの会見がおこなわれた。
 翌28日、内閣情報局は、朝日、毎日、読売報知にたいして、同会見の記事およびモーニングで正装した昭和天皇と平服姿のマッカーサーが並び立つ写真の掲載を禁止(発禁処分)する命令を下した。
 このとき、朝日新聞の細川隆元編集局長は、GHQに駆け込み、「内閣情報局はGHQよりエラいのか」と息巻き、その日のうちに内閣情報局の発禁処分を撤回させている。
 細川本人はこの事実を『朝日新聞外史』(秋田書店)のなかで得意げに書いているが、商売のためにやったとは一言もいわず、以後、日本社会党出身ながら保守本流の立場に立って『時事放談』(TBS)などで毒舌をふるった。
 GHQの統治は、あくまで間接統治で、憲法や議会制度、内閣も戦前のままだった。
 ところがこの事件から、内閣情報局の検閲機能がGHQに移って、ポツダム宣言違反になる言論弾圧(プレスコード)が開始される。
 プレスコードは過酷なもので、戦勝国にたいする批判から占領軍に不都合な記述、占領軍が日本国憲法を起草したことへの言及を禁じたばかりか、武道や日本の伝統文化にかんする古書や研究書、学術書までを廃棄、焼却させている (GHQ焚書) 。
 憲法改正にも大新聞が火をつけた。1946年2月1日、毎日新聞が、幣原内閣の「憲法問題調査委員会(松本烝治委員長)」がまとめた案を1面トップでスクープ、天皇主権が撤回されていない松本案にGHQが反発、マッカーサーが「国民主権」「戦争放棄(9条)」を盛り込んだ指針を提示するという顛末になった。
 そして、マッカーサー案にもとづいて、スクープ直後から10日間、実質9日間で現在の日本国憲法の草案まとめられた。
 草案を急いだのは、天皇の戦犯裁判を要求していた極東委員会(FEC)の先手を打つためで、天皇存続を占領政策の基本にすえたマッカーサーの意向がはたらいたものと思われるが、薄氷の芸当で、下手をすれば、FEC(11か国による対日政策の最高決定機関)の介入を招き、天皇処罰、皇室廃止という事態なっていたかもしれなかった。
 朝日、毎日に日本を滅ぼそうという意図があったわけではない。
 国家の存亡にかかる問題でも、新聞という商売には、商いのネタでしかなかったというだけの話で、スクープした毎日の西山柳造元記者も「特ダネが欲しかっただけ」と述懐している。

 ●世相が乱れると新聞が儲かる
「大事件がおきれば新聞が儲かる」という法則が最大限に発揮された出来事が60年安保闘争とロッキード事件だった。
 安保闘争は、革新政党や労働組合、学生組織(全学連)、革新系文化人、市民団体らがすすめた左翼運動で、日本人の大半は、日米安保条約の改定内容すら知らなかった。
 このとき、マスコミは、60年安保が事実上の属国条約だった50年安保の改定だったことを一言も報じなかったばかりか、「岸内閣打倒、安保反対」の一辺倒で、岸首相のいう「声なき声」を反民主主義、ファシズムと罵倒した。
 当時、日本の左翼は、世界初の人工衛星(スプートニク1号)の打ち上げに成功したソ連や「大躍進政策」の中国、「在日朝鮮人帰還事業」の北朝鮮にうかれて、安全保障のことなど頭の片隅にもなかった。
 朝日新聞が、ソ連を「世界の盟主」、中国を「希望の国」、北朝鮮を「地上の楽園」ともちあげたのは、左翼熱にうかれた日本人を読者として獲得するための商法だったのはいうまでもない。
 こうして、左翼が入社してつくった記事を読んだ読者が左翼化し、その左翼が壮大なる読者層を形成するという左翼再生産構造≠ェできあがっていったのである。
 反米左翼だったはずの朝日が、アメリカが仕掛けたロッキード事件にのって田中角栄を射落としたのも、商売のためだった。
 右左を問わず、体制派インテリ層を読者にもつ朝日・毎日にとって、アメリカからにらまれた角栄は、格好の標的で、金権主義打破というインテリ好みのキャッチフレーズをもちいて角栄を潰し、反米から親米へと徐々にスタンスを変えてゆく。

 ●経済をミスリードしてきたマスコミ
 角栄失脚後、田中派を乗っ取った竹下登(蔵相)がやったのが、アメリカが赤字解消のために考えだした為替操作の容認(プラザ合意)だった。
 日米繊維交渉で、一歩退かなかった角栄に比べてヒヨッ子同然の竹下が、アメリカの謀略にかかったのは当然で、このとき宮澤喜一は「素人はコワいね」と呟いたものである。
 プラザ合意後、急速に円高ドル安がすすむなかで公定歩合が引き下げられた(2年間で2.5%)結果、財テクブームが生じ、地価や株価が天井知らずになると、金余りと過剰融資と財テクが両輪となって、いよいよバブル経済へ突進してゆく。
 財テクによるバブル経済は、低金利と過剰融資のどちらかの蛇口をとめれば鎮静化する。
 だが、日本は、このとき、金融引き締めと総量規制という2つのブレーキを同時に利かせるハードランディングを強行して、不良債権の山と景気の停滞が併走する20年の空白をつくるのである。
 マスコミは、財テクを煽り、建設ブームにスポットライトをあて、バブルが崩壊すると、一転して、ハードランディングに拍手を送るなど、終始一貫、時流におもねた。
 小泉改革には、「市場の声を聞け」「規制撤廃」と音頭をとって、竹中平蔵の「民営化された郵政資金はアメリカに出資せよ」のスピーカーとなったマスコミが、デフレを退治したアベノミクスに冷淡なのは、難のない政策はニュースにならないからで、マスコミには、世を騒がすスキャンダルだけが関心事なのである。
 マスコミがさかんにもちだすのが「財政赤字1000兆円」である。
「増税しなければ財政破綻をおこす」「子孫に巨額財政赤字背負わせていいのか」と吹聴するのは財務省からの請け売りだが、日銀と政府のバランスシートを連結すれば赤字額が数分の一に縮小され、有利子の国債から無利子の日銀券に転換してゆけば、通貨発行益(シニョリッジ)によって、国債の総額が徐々に減額してゆく。
 金利負担も、紙幣を刷って補えば、インフレターゲットとなって、金回りもよくなる。
 だが、マスコミは、日本は第二のギリシャになると騒ぎ立てる。
 他国の財政赤字は、外国からの借金だが、日本の場合、国民の金融資産で、国富である。
 マスコミが、巨額の財政赤字で日本はツブれると騒ぐのは、危機を煽ったほうが世間の注目を集められるからで、存在しない危機を煽り、真の危機から目を逸らさせるのがかれらの悪癖なのである。

 ●権力と密着してきた大新聞
 朝日・毎日が隠れ親米なら、読売は隠れもない親米路線である。
 レールを敷いたのが、読売・日テレを育て上げた正力松太郎である。
 正力は、メディアの帝王と呼ばれることがあるが、総理をめざした政治家が権力を握るために読売新聞を建て直し、日本テレビ網を設立して、結果として、メディアの権力者になったというほうが正しい。
 政治家としての功績は、アメリカを口説き落として、日本に原子力発電所を導入したことで、正力に匹敵する国益をもたらした政治家は、他に吉田茂と岸信介、池田勇人と田中角栄くらいしかみあたらない。
 正力をバックアップしたのは、米上院議員カール・ムントで、正力は、カールのコネでCIAとの関係もつよめる。
 カール・ムントは、アメリカ流の正義と民主主義を宣伝する海外向けラジオ放送「ヴォイス・オブ・アメリカ」のプランナーで、反共を盛り込んだ対日戦略と、正力がめざした日本国内のテレビ放送網整備の構想が一致して、あとは、日米間で、トントン拍子に事がはこんでゆく。
 カール上院議員は、世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した「プロパガンダの雄」だが、一方の正力も、戦前は警察官僚で、れっきとした反共主義者だった。
 開戦時は大政翼賛会総務だったためA級戦犯(第三次)の指名をうけ、巣鴨プリズンに収容されて、一時、公職追放処分を受けたが、ほどなく復帰。財界と後藤新平の資金援助を元に買収した(1924年)ブロック紙の読売新聞を株式会社に改組(1950年)したのち、日本テレビの初代社長に就任(1952年)。のちに衆議院議員に当選(1955年)して北海道開発庁長官(第3次鳩山内閣)、1956年には、原子力委員会の初代委員長に就任している。
 戦後、朝日・毎日など主要メディアが左翼の独壇場になっていったのにたいして、読売が中立たりえたのは、正力が、カールにひけをとらない反共主義者だったからである。
 朝日・毎日が権力へ擦り寄ったのにたいして、正力の読売は、権力そのものだったわけで、メディアが標榜する反権力≠ェ嘘っ八だったことがこの一事からもわかろうというものである。

 ●社会の木鐸という迷妄
 マスコミが権力を監視する社会の木鐸=正義・真実であるかのような錯覚が生じた理由は、その出自にある。
 新聞が誕生したのは17世紀半ばで、当時、新聞の購読者はかぎられていた。文字を読めて、高価な新聞を定期的に購入できる人々が多くなかったからである。
 裕福で選挙権をもつブルジョワジーがコーヒー・ハウスに集い、新聞を元に政治議論をおこなったところから、新聞が知的権威から、やがて、社会の木鐸と目されるようになったのはうなずける。
 マスコミ人とりわけ新聞記者が正義漢や知的権威ぶるのはその名残で、報道=ニュースを有り難がった時代が、200年以上昔にはたしかにあったのである。
 新聞が現在のようにだれでも読めるようになったのは、輪転機やロール紙が登場する20世紀になってからだが、20世紀は革命と戦争の時代で、当然、新聞の読者が爆発的にふえた。
 一方、20世紀は、商業の時代でもあって、広告収入という新しい商取引が誕生した。
 ここから新聞は、多様な性格を併せもった大メディアへ成長してゆく。
 ニュースや情報、権力のプロパガンダと反権力の論陣、啓蒙や娯楽、広報や宣伝などがいりくんだ妖怪になるのだが、ベースにあるのは、売り上げと広告収入である。
 報道倫理には、表現の自由の下で、国家権力に屈せず、平等、公正、公平、中立を旨とし、国民の利益に適う報道姿勢を理念とするとあるが、空文である。
 表現(言論)の自由には、かならず、言論被害が生じ、メディアはみずから権力をもとめ、平等、公正、公平、中立は主観的な価値にすぎず、国民の利益などという一般的価値など存在しない。
 マスコミは、企業もしくは商人であって、儲かるとみれば、肥溜めにも足をつっこむのが本性で、それ以上ではない。
 世に新聞左翼≠ネる人種が、うなるほど存在している。
 朝日のような左翼仕立ての記事がウリの新聞を読んでいると、いつのまにか心情左翼になって、わけもわからず、原発反対、安保法制反対と叫びたくなる人々のことで、戦時中は、大勢の日本人が、朝日新聞の戦果報告に煽られて、ぞろぞろと提灯行列をしたものである。
 マスコミが、商品の代わりに情報を売っているあざとい商人だということをみきわめておかなければ、日本は、かれらの売り口上に騙されて、国家の舵取りを誤ってしまいかねないのである。

posted by 山本峯章 at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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