●伝統に牙を剥く民主主義
伝統と民主主義は決定的に対立する。
歴史的価値の継承である伝統と歴史を否定した上に成り立っている民主主義は水と油の関係にあるからである。
歴史を否定し、伝統を破壊するのが革命で、革命の原動力となったのが民主主義だった。
大東亜戦争・日米戦争は、革命国家と伝統国家のたたかいで、戦争に勝ったのは、中華民国(辛亥革命)をふくめて、すべて、革命国家だった。
連合国側は、民主主義の旗を立て、日・独のファシズム打倒をスローガンに掲げた。
市民革命で否定した伝統的体制を民主主義の敵(悪の枢軸)と見立てたのである。
枢軸国は戦争に負けて、ナチズムは滅びたが、日本の国体は残った。
ナチズムは人工物だが、国体=天皇は歴史そのもので、歴史を否定することはできないからである。
戦後、日本では、伝統と民主主義が奇妙な形態で共存してきた。
それが可能だったのは、民主主義が憲法に代表されるルールだったのにたいして伝統が精神に根ざす文化の体系だったからである。
国家主権(交戦権)をもたない日本が対米従属構造のなかで、アメリカの属国のようにふるまってきたのはその歪みからである。
憲法九条が軍隊の保持や交戦権を否定しても「日米安保条約」が補完し、GHQ憲法が天皇から主権を奪っても、もともと、権力ではなく権威だった天皇の尊厳も地位もゆらぐことはなかった。
戦後日本は、憲法ではなく、日米安保条約の下で、国際社会の一員となったのである。
●大きく変化する日米関係
ところが、戦後70年にして、地殻変動が生じた。
アメリカの弱体化と中国の強大化である。
アメリカは一国支配の超大国から同盟国を必要とする盟主にすぎない存在へと変貌したのである。
現在、日米関係は、従属からイコール・パートーナーシップへかわりつつある。
安倍・トランプのゴルフ首脳会談≠ェその象徴で、日本はアメリカのキャディバックを担ぐ立場から対等にスコアを競う関係へともちあがった。
日本の地政学的条件と科学技術、経済力がなければ、アジアにおけるアメリカの軍事的優位は保てず、日本の投資や進出、協力がなければ、アメリカの製造業は浮上できない。
G8のメンバーで、アメリカの最大のパートナーが、国家主権をもたない半人前国家というのは恥ずべき話で、日本は、遅ればせながら自主憲法制定という戦後最大の政治課題に取り組むべき時期を迎えている。
自主憲法制定の要諦は次の三つである。
@GHQ憲法の破棄と自主憲法制定
A明治憲法観における天皇主権の破棄と皇室典範の憲法からの分離
B国家主権の宣言
この場合、最大のテーマとなるのが、伝統国家としての国柄をいかに新憲法に反映させるかである。
戦後、GHQによる国体破壊と国家改造が大胆にすすめられた。
この文化破壊に駆り出されたのが民主主義とキリスト教的な価値観、そして、マルクス主義的な進歩主義だった。
伝統を決定的に破壊したのが、民主主義と国民主権を謳った憲法だったのはいうまでもない。
憲法草案作成の中心的役割をはたしたケーディス(民政局課長)ら主要スタッフが共産主義のシンパだったからである。
神道指令や公職追放令などの一過性の軍令は、占領が終了してGHQが撤退すれば失効する。
だが、武装解除(9条)を盛り込んだ憲法や教育基本法、労働組合法、財閥解体、農地改革、あるいは教育勅語の廃棄などは占領が終わっても、恒久的な法や制度、構造として残り、主権回復後も、国家と国民をしばりつづける。
昭和27年にサンフランシスコ講和条約が締結された時点で、日本は、最低限、占領憲法の廃棄と皇室典範の憲法からの分離を実現させておくべきだった。
ところが、戦前から親英米派だった吉田茂にその気はなく、公職追放されていた鳩山一郎が政界に復帰したときは、護憲派が議席の三分の一を握ったあとだった。
講和成立後、60年以上経った現在も、日本は、敗戦構造をひきずったままで、戦後体制(=戦後レジーム)脱却の機運がうまれてきたのは、第二次安倍内閣にいたってからである。
●伝統を捨てた日本の保守陣営
その自民党の改憲案に「天皇元首(第一章第一条)」が謳われている。
第二条(皇位継承)では皇室典範が国会決議の下位に置かれてもいる。
明治憲法の天皇元首(天皇主権)はドイツ憲法の模倣で、皇室典範の権力への取り込みはアメリカ大統領制をモデルにしている。
天皇をヨーロッパの王制と同一視したもので、祭祀国家の伝統とは相容れない。
神話を源流とする権威(祭祀主)たる天皇は、権力の正統性を担保する神霊的な存在である。
保守を自認する自民党の改憲草案においてすら、伝統が断ち切られているのである。
民主主義を最高善と教育された戦後の日本人は、歴史主義という伝統的な意思決定を頭から否定する。
多数派(ボルシェビキ)を絶対価値とする日教組の洗脳によるもので、標的になったのが教育勅語と皇国史観(正史)だった。
ギリシャの哲学者プラトンは「もっともすぐれているのは哲人(偉人)による政治」と喝破した。
秀吉の検地・刀狩りやキリシタン禁止令、江戸幕府の鎖国令は、歴史上の出来事にとどまらず、現在の日本を成り立たせている根源的な要因となっている。
日本がキリスト教化されず、人身売買や奴隷制度がなく、士農工商の身分秩序の下で礼儀や道徳がおもんじられてきたのも、歴史と伝統の成果で、歴史は現在も生きている。
伝統国家は、歴史という絶対的な土台の上に建っているのである。
大日本帝国憲法第3条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とある。
これが伝統のありようで、歴史上の事実は変更がゆるされず、継承するだけである。
したがって、新憲法では「日本国民の総意に基づく」から「天皇はわが国の伝統である」へ変更されなければならない。
一方、民主主義では、多数決によって、歴史まで変更しようとする。
女性天皇(女系天皇)をみとめた皇室典範に関する有識者会議(平成17年)の吉川弘之座長(元東京大学総長)が「伝統は無視した」とのべたことからもわかるように西洋合理主義(民主主義)の下では、伝統は前世紀の遺物としか映らないのである。
●民主主義を盲信した戦後日本人
戦後、日本では、民主主義が最大の価値となった。
民主主義は、紀元前、プラトンから衆愚政治として退けられて以後、ソクラテスからプラトン、アリストテレスへとつづく西洋思想史から完全にすがたを消した代物である。
復活したのは、18世紀になって、ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』が登場してからである。
ルソーの主権在民論がフランス革命の精神的支柱となり、マルクスの資本論に援用されたことはすでに知られている。
民主主義が衆愚政治に堕すのは古代ギリシャからの常識だが、ルソーは、そこで名案を思いついた。
民衆の代表者(民)を独裁者(主)に仕立て上げれば衆愚政治を免れるというアイデアである。
直接民主主義だった古代ギリシャのデモクラシーは、民衆全員が議事堂に入りきらない以上、空想論から出るものではなかった。
だが、民衆の意思を一人の独裁者にゆだねるルソーの間接民主主義は、実現が可能である。
このときルソーが使った論法が「民衆の総意」という一般化理論である。
日本国憲法の「日本国民の総意に基づく」(第一条天皇)がこの論法である。
国民一人ひとりを民衆≠ニ一般化して、なおかつ総意≠ニいうゴマカシをもちいて、独裁者が君臨する近代民主主義を考案したのである。
この論法からできあがったのが、フランス革命の恐怖政治(ジャコバン派)やナポレオン帝政、ロシア革命、ヒトラー独裁で、絶対権力者が人民代表の名の下で強権をふるったのである。
民主主義は、もともと、革命のイデオロギーである。
民主主義の生みの親は革命で、歴史を破壊しつくし、多くの血を流してきた。
いまさら、民主主義は平和的で、暴力を否定するなどといってもとおらない。
なぜなら、民主主義において、すでに数の暴力(多数派による専制)≠ェ容認されているからである。
●ポピュリズムに転落する民主主義
民主主義も専制政治も「力による支配」にかわりはなく、かならず「力による反逆」という対立軸をかかえこむ。
このとき、動員されるのが暴力で、歴史や文化を破壊する民主主義は、その一方、民主主義に逆らう勢力にたいして容赦ない攻撃をくわえる。
アメリカの戦争は、民主主義を大義に掲げたもので、キリスト教を立て、侵略と虐殺をおこなったかつての列強の侵略の論理とかわるところがない。
アメリカがすすめてきたグローバリズムはアメリカ化にほかならず、伝統を民主主義におきかえる文化破壊だった。
イスラム過激派との戦争は、そこからうまれたもので、アメリカという重爆撃機に抵抗する戦法としてえらばれたのがテロリズムだった。
「多数派の論理」である民主主義は、感情に支配される。
デマゴギーが共産党の常套手段であることからもわかるように、民主主義は感情訴求のイデオロギーなのである。
「万世一系(皇位の男系男子相続)」は男女差別というほど愚昧な俗説はないが、感情にうったえて、伝統を破壊するのに、これほど便利で効果的な方法はない。
智恵も分別もいらない感情訴求は、暴動を暴力革命にみちびく共産党の危険な常套手段だが、同時に、もっとも民主主義的な方法ということもいえる。
戦後の日本人が民主主義を後生大事にしてきたのは、自分勝手な感情の捌け口にもなるからで、痴漢常習の漫才師を二期続けて大阪府知事にえらんだのは、テレビでよく見る顔だったからである。
民主主義がポピュリズムに堕するのは感情に支配されるからである。
衆愚政治は、有権者が愚かであるがゆえに低レベルの政治がおこなわれることで、ポピュリズムは、その愚かさにつけこんだ選挙や政治、政策のことである。
衆愚政治とポピュリズムの下で、道州制導入の国民投票や首相公選制がおこなわれると、ファシズム並みの悲惨な政治状況がうまれることになる。
歴史の叡智を継承する伝統を失えば、行く先にあるのは、不毛な革命ゴッコや国家崩壊だけである
紀元前、ギリシャで流行った民主主義がルソーによってよみがえった。
これに大昔の原始共産制をくっつけたのがマルクス主義である。
マルクス主義に専制政治をくっつけたのがスターリン主義で、毛沢東主義も同じようなものである。
政治は、三大宗教と同じように、古代から一歩も進歩していない。
そして現在、アメリカでは、国益第一のトランプが大統領になり、フランスでは極右政党(国民戦線=FN)のルペンが大統領候補に取沙汰されている。
ロシアのプーチンも中国の習近平も独裁的で、世界のリーダーは、だれもが民主的な手続きでえらばれた小粒なアレキサンダー大王なのである。
●革命熱にうかれた戦後日本人
西洋の近代化は、三つの革命によって実現された。
宗教革命と市民革命、そして、産業革命である。
メイフラワー号でアメリカにやってきた人々はピューリタンで、英国から独立をかちとったアメリカ革命は、宗教革命でもあった。
三つ目の産業革命は、伝統が残るヨーロッパよりも、新興国アメリカのほうで大きく開花した。
摩天楼や車社会、オートメーションに象徴されるアメリカ文明は、過去なき地に打ち立てられ、かつてなかった形態とスケールで巨大化していった。
歴史なき地で社会規範になりうるのは、宗教的戒律と民主主義だけである。
相続すべき歴史的遺産がないからで、あるのは、プロティスタンティズムの自由と革命のエネルギーとなった民主主義だけだった。
そして、アメリカは、そのアメリカイズムを普遍的な価値として、世界中におしつけてきた。
戦後、伝統的価値観を捨て、アメリカナイゼーションへ走った日本人は、なんでも多数決できめられると思いこんでいる。
教育勅語を悪の権化のようにいい、道徳教育に反対するのは、民主主義に反するというわけで、朝日新聞はことあるごとに「軍靴の音が聞こえてくる」とくり返す。
革命は、西洋合理主義の一つの帰結で、伝統を破壊した上に成立する。
戦後日本では、フランス革命やイギリスのピューリタン革命、アメリカ独立戦争、ロシア革命の思想的背景となった啓蒙思想のジャン・J・ルソーやJ・ロック、共産主義のマルクスらがもちあげられ、研究された。
そのかん、日本中に左翼と反日の風が吹き荒れた。
戦後、戦勝国から植えつけられた西洋合理主義が、左翼から進歩主義、反伝統、自虐史観、売国思想に化けて、日本中に摩擦をひきおこしていたのである。
戦後、日本人が人類の最高英知であるかのように考えてきた民主主義は、ただの革命理論で、徳や歴史の英知を宿してはいない。
しかも、民主主義は、だれが真の権力者かを問うだけで、政治はどうあるべきかという肝心なことには一言もふれていない。
民主主義から歴史主義に回帰しないかぎり、いつまでも日本に、伝統国家としての自信と風格はもどってこないのである。