2019年05月21日

安倍首相よ 国を売りたもうことなかれ

 2019年5月再掲出
 北方4島は日本固有の領土である
 安倍首相よ 国を売りたもうことなかれ

 ●日米ロの国益がからんだ北方領土問題
 北方領土問題は、前期と後期の二つに分けて、考えるべきだろう。
 前期が1956年の「日ソ共同宣言」から三十年余である。
 そして、後期が1991年の「日ソ共同声明」以降である。
 境界線は米ソ冷戦で、冷戦中と冷戦後では、時代精神や時代背景が劇的にちがってくる。
 前期が冷戦のさなかなら、後期は、冷戦終結後で、ゴルバチョフが登場してくる。
「日ソ共同声明」は、海部俊樹首相とゴルバチョフ大統領によって署名されたもので、このとき、平和条約と並んで、北方四島が解決されるべき領土問題として、初めて、文書の形で確認された。
 以後、細川護熙首相とエリツィン大統領の「東京宣言」(1993年)、橋本龍太郎首相とエリツィン大統領の「クラスノヤルスク合意(1997年)」と「川奈合意(1998年)」、森喜朗首相とプーチン大統領の2001年の「イルクーツク声明」、そして、小泉純一郎首相とプーチン大統領の2003年の「日露行動計画」にいたるまで、四島の帰属問題を解決して、平和条約を締結するとする「東京宣言」の精神がひきつがれてきた。
 それをひっくり返したのが、現在すすめられている安倍晋三首相とプーチン大統領による2島返還による「日ロ平和条約」のプランである。
 1956年の「日ソ共同宣言」へもどって、歯舞・色丹の引き渡しを条件に平和条約をむすび、国後・択捉を放棄するというのだが、これほど、割の合わない話もない。
 そもそも、62年も昔の冷戦時代のとりきめへ引き返して、建設的な価値をみいだせるわけはない。
 それどころか、ここで、ロシアに迎合すれば、尖閣・竹島という領土問題をかかえる日本にとって、はかりしれない負い目となる。
「日ソ共同宣言」は、米ソ冷戦時代の産物で、フルシチョフは、1960年の日米安保条約改定に際して、歯舞・色丹の引き渡しの条件に、日本領土からの外国軍隊の撤退をくわえてきた。
 これにたいして、アメリカのダレス国務長官が「日本が国後、択捉をソ連に渡したら沖縄を返さないと」と重光葵外相にきびしく迫った。
 日本が、国後・択促をふくむ4島一括返還をもとめると、ソ連は、「日ソ間に領土問題は存在しない」として、以後、北方領土問題を凍結してしまう。
 日米ロにとって、北方領土は、地政学的要衝である以上に政治的難問だったのである。

 ●戦争を騙った略奪だった北方4島占領
 北方領土問題がうごきだしたのは、冷戦終結後のゴルバチョフからだった。
 ゴルバチョフは、ノーベル平和賞を受賞したインテリで、戦後、日本が放棄した千島列島(クリル諸島)のなかに、歯舞・色丹・国後・択捉がふくまれていないことを知っていた。
 ロシアのノーベル文学賞作家ソルジェニーツィンも、著書で「これらの島(歯舞・色丹・国後・択捉)がロシアに帰属していたことは、歴史上、いちどもなかった」と書いている。
 そして、「ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄したことが日本にたいする侮辱にあたらないといえるであろうか」とヤルタ協定にもとづく対日参戦と領土略奪をきびしく批判している。
 ヤルタ協定は、アメリカのルーズベルト、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチルの三者による秘密協定とされるが、チャーチルは関与を否定、アメリカ国務省(アイゼンハワー政権)は、1956年、同協定がルーズベルトの個人的な文書で、公式文書の効力をもたないと公式に発表している。
 ルーズベルトの死後、大統領に昇格したトルーマンも、スターリンに千島の領有をみとめたものの、ヤルタ協定についてなにも知らなかった。
 1945年8月9日、ソ連は、ヤルタ協定に従って、日本に宣戦布告すると満州国に侵入、千島列島と樺太を占領した。
 このときのソ連兵の暴行と殺戮、略奪、強姦の凄まじさは筆舌に尽しがたい。
 ベルリン陥落でレイプされた一〇万の女性のうち、苦痛と絶望から一万人が自殺したといわれるが、満州の大連市や瀋陽市、ハルピン市、長春市でも同じことがおきた。
 くわえて、満州で武装解除された57万5千人の日本軍捕虜らがシベリアに抑留されて、多くが、飢えと寒さ、疲労のために死亡している。
 戦争犯罪国家ロシアは、第二次大戦を正当化するいかなる理由ももっていないのである。
 モロトフ外相は、1945年4月5日、佐藤尚武駐ソ大使に日ソ中立条約の破棄を通告したが、このとき、同条約に1年間(1946年4月25日まで)の有効期間が残っていることを双方が確認しあっている。
 ロシアの対日参戦は、中立条約破棄を通告した4か月後である。
 しかも、日本は、ソ連の対日参戦の翌日(8月10日)、「ポツダム宣言」の受諾を連合国に通告している。
 この時点で、いっさいの戦争行為は、停止されなければならなかった。
 だが、ソ連は、中立条約と戦時国際法を破って、戦争行為を継続する。
 そして、「ポツダム宣言」を受諾する前日の8月9日から9月2日の戦艦ミズーリ号における「降伏文書調印」までの20日余で、クリル諸島18島と北方4島(歯舞・色丹・国後・択捉)を奪う。
 これが、戦果ではなく、戦争を騙った略奪でしかなかったことは、国際的な評価が一致するところである。

 ●ロシアと平和条約を急ぐべき理由は一つもない
 冷戦時代のソ連共産党は、石頭の官僚集団で、戦後、ソ連が北方4島を不法占拠した歴史的事実を認識する理性をそなえていなかった。
 領土をめぐる日ロ交渉が軌道にのったのは、ゴルバチョフ以降で、共産党が崩壊した後、国際化と西側諸国との協調路線が軌道にのるかにみえた。
 ところが、プーチン独裁になって、共産党時代へ逆戻りした。
 官僚化と利権主義、プーチンへの追従が習い性になって、ふたたび、石頭にもどってしまったのである。
 ロシアのラブロフ外相は、日本が、国後、択捉、歯舞、色丹4島の領有権を主張していることについて、第二次世界大戦の結果をみとめない世界で唯一の国と批判した。
 そして、国連憲章上の義務に違反していると日本を詰った。
 国連憲章上の義務うんぬんはお門違いで、条約違反と戦時国際法を侵したのはソ連ではないか。
 ロシアは、北方4島どころか、千島列島を領有できる公的な根拠をなに一つもっていない。
 そもそも、サンフランシスコ講和条約に署名していないソ連は、同条約からの利益をえることは、25条によって拒否されている。
 ラブロフの言い分は「南クリルの島々は第2次大戦の結果、合法的にソ連に移ってそれをロシアがうけついだ。これをみとめることが日ロ平和条約交渉の第一歩だ」というものだが、そんな理屈がとおるなら、軍事介入して、ウクライナの一部だったクリミアを併合、実効支配していることまでも正当化されてしまう。
 ウクライナ問題を受けて先進7か国(G7)は対ロ制裁を実施している。
 ところが、日本は、対ロ制裁に消極的などころか、不利な条件を呑んで、平和条約をむすぼうとしている。
 日本が平和条約を急ぐべき理由は一つもない。
 経済・技術協力をいうなら、必要としているのは、ロシアのほうである。
 農業国から、産業革命を経ずに軍事大国となったロシアには、商業・工業という資本主義の根幹が欠落している。
 GDPで、米・中・日に大きく水をあけられ、かろうじて、韓国と肩を並べるレベルなのはそのせいである。
 くわえて、西側から経済制裁をうけて、立ち行きならなくなっている。
 日本が、面積で4島全体の93%を占める国後・択捉を放棄してまで、ロシアに歩み寄る必要は一つもないのだ。
 安倍晋三首相は、なぜ、歴史のねじを逆に回して、1956年の「日ソ共同宣言」へ引き返そうとするのか。
 3年を切った首相の任期をふまえて「日ロ平和条約」締結と北方領土問題の解決という功を急いでいるなら、拙速というもので、ロシアが強硬な姿勢を崩さない現在は、外交交渉の最悪のタイミングといえよう。

 ●放棄した千島列島はクリル・アイランド18島
 内閣府と元島民団体などが「北方領土の日」におこなう「北方領土返還要求全国大会」で、大会アピールから「北方4島の不法占拠」という文言を外すという。
 ラブロフの恫喝に屈したもので、今後、不法占拠や北方領土ということばを使わないという。
 その負け犬根性が、消極的2島返還論となって、日本中を被っている。
 そのリーオフマンが鈴木宗男と佐藤優だが、それは後述しよう。
 マスコミ報道から書籍など日本側資料の多くが、千島列島に北方4島をくわえる誤りを犯している。
 そして、南樺太と千島列島を放棄したサンフランシスコ講和条約で、日本が北方4島を放棄したかのようにいいつのっている。
 サンフランシスコ講和条約で日本が放棄したのは、クリル・アイランド18島で、歴史上、歯舞、色丹、国後、択捉の4島がクリル・アイランドのなかにくみこまれたことはいちどもない。
 誤解をうんだのが、国会の質疑応答で、政府の幹部が「南千島は千島にふくまれる」と答弁して、これが、のちにまで尾を引いた。
 1951年10月の衆議院で、吉田茂首相と西村熊雄外務省条約局長、高倉定助議員がこんなやりとりを交わしている。
 高倉委員 サンフランシスコ講和条約のクリル・アイランドはどこをさすのか。
 西村委員 千島列島の範囲は、北千島と南千島の両者をふくむと考えております。
 高倉委員 クリル・アイランドと千島列島を同じように考えておられるようですが、クリル群島は、明治8年の樺太・クリル交換条約によって決定されたものであって、ウルップ島から占守島に至るクリル群島十八の島が日本領土に属するのは、世界にみとめられた国際的な公文書であります。外務当局がクリル群島と千島列島をどういうふうに考えておられるか、ご説明を願いたい。
 西村委員は同じ答弁をくり返すが、このときの高倉委員の質問は核心をついている。
 樺太・クリル交換条約は、その20年前の1855年の「日露通好条約」を土台にしたもので、日露通好条約によって、国後、択捉、歯舞、色丹の4島が日本の領土、それより北のクリル・アイランドがロシアの領土ときまった。
 北千島と中千島の18島がクリル・アイランドで、南千島が日露通好条約で確定した歯舞・色丹・国後・択捉の北方4島である。
 樺太・クリル交換条約が存在したということが、クリル・アイランドと北方4島が別物である証なのである。
 1644年、幕命によって、松前藩が提出した自藩領地図に「クナシリ」や「エトロホ」「ウルフ」など39の島々が描かれている。
 日露通好条約によって、国境が画定されたのは、国後や択捉が松前藩の藩政下にあったからだったのである。

 ●親ロ派にミスリードされる北方領土問題
 一般命令第一号(連合国最高司令官総司令部)およびサンフランシスコ平和条約に記載されているクリル・アイランドに、歯舞・色丹・国後・択捉の4島がふくまれるか否か。
 外務省と一般的な理解が食い違っている以上、アメリカ政府に確認するほかなかった。
 わたしは、アメリカのジミー・カーター大統領に質問状を送って、民主党の伝手を頼って渡米した。
 スパーク・松永、ジミー・ホワイト両上院議員の好意で「アジア・パシフィック民主党大会」のパーティーに参加して、会場でカーター大統領に会うことはできたが、残念ながら、肝心の話はできず、握手を交わしただけだった。
 さて、1951年の国会答弁である。
 西村答弁は、結局、1956年、森下國雄外務政務次官によって正式に取り消された。
 そして、国後・択捉を指す「南千島」という用語の代わりに「北方領土」という用語が使われるようになった。
 1951年9月7日、吉田茂首相は、サンフランシスコ平和条約の受諾演説のなかで、こうのべている。
「千島南部の択捉、国後が日本領土であることについて、帝政ロシアもなんら異議をはさまなかったものであります。(略)千島列島は、日本降伏直後の1945年9月20日、一方的にソ連領に収容されたものであります。また北海道の一部を構成する色丹島と歯舞諸島もソ連軍に占領されたままであります」
 ところが、鈴木宗男と外務省主任分析官だった佐藤優は、吉田首相が択捉と国後を千島列島の一部とみとめたかのようにいう。
 そして、日本が、サンフランシスコ平和条約において、南樺太と千島列島を放棄したと鬼の首でもとったかのように吹聴する。
 放棄した千島列島は、クリル・アイランド18島で、このなかに、歯舞・色丹・国後・択捉の4島はふくまれていない。
 なぜ、この歴史的事実から逸脱するのか。
 政治的決着として、歯舞・色丹の返還、国後と択捉の放棄という選択肢がなくもないだろう。
 だが、そんな負け戦を急ぐ理由がどこにあるのか。
 はじめから2島返還をいうのは、敗北主義でなければ、利敵行為で、鈴木も佐藤も、反外務省のロシアのシンパシーである。
 かれらは「4島一括返還をいいつづけているかぎり北方領土はもどってこない」という。
 だが、北方領土全体の7%のすぎない歯舞・色丹を返してもらっても、4島の潜在主権どころか、2島の主権すら不確定というのでは、93%の面積を占める国後・択捉の放棄という損失のほうが大きい。
 歯舞・色丹を返しても、ロシアは、200カイリの排他的経済水域も、防衛の自由もゆるさない。
 OKなのは、プラスαの経済援助だけというなら、日ロ平和条約は、とんでもない売国条約ということになる。
 4島一括返還という国是を放棄すれば、日本は、主権から国益、国際正義まで捨てた名誉や誇りのない国になって、世界から尊敬をえることはできない。
 2島返還と平和条約という貧乏くじをひくより、対ロ経済制裁で、西側諸国と足並みを揃えたほうが、よほど、国益にかなって、長期的展望がひらけるのである。



posted by 山本峯章 at 17:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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