2007年12月07日

保守とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(2)

 「右翼」ということばは、あいまいで、誤解や曲解をまねきやすい。
 語源は、フランス革命後、議会の右側に、保守派や国粋主義者、ファシズム党が、席を占めたことによるが、そんな歴史をひっぱってきても、右翼の何たるかを説明することはできない。
 右翼、あるいは、右翼ということばが誤解されるのは、もともと、左翼の用語だからである。ちなみに、本物の右翼が、みずからを右翼と名乗ったことは、いちどもない。
 一方の左翼は、マルクス主義にのっとった政権奪取運動で、これには、暴力革命までがふくまれる。
 この左翼の対立概念としてとらえられるので、右翼が、政治運動とみられてしまうのである。
 左翼は革命だが、保守の改革運動は、維新とよばれる。
 維は「つなぐ」の意で、過去を現在につないで新たになるから、維新となるわけで、じじつ、物事は、たいてい、原点や初心にもどって、改まるものである。
 革命に反対する勢力を右翼とよび、敵対視するのは、左翼陣営のとらえかたで、右翼には、もともと、政権奪取の意思などない。
 かつて、北一輝や大川周明が、クーデターを計画したのは、国家社会主義を実現しようとしたイデオロギストだったからで、かれらを右翼というのは、まちがいである。
 左翼の反対語は、右翼ではなく、この国家社会主義で、ともに目的は、政権奪取である。

 政権奪取運動
 左翼→マルクス主義による革命
 国家社会主義→軍部による独裁
 
 
 両方とも、もちいているのは、社会主義や共産主義という西洋の思想で、前者がスターリンなら、後者がヒトラーといえば、わかりよいであろうか。
 戦時中、日本は、国家社会主義を志向したが、これは、一歩、誤ると、共産主義国家とかわらない体制になってしまう。統制経済は、スターリンの計画経済と紙一重で、国家総動員法は、共産党の一党独裁と同じようなものだったからである。
 日本の軍国主義は、右翼政権と思われがちだが、じつは、国家社会主義という左翼政権だったのである。
 左翼と対立するのが国家社会主義、とわかれば、右翼が、思想運動と察しがつくはずである。
 日本の近代右翼は、西郷隆盛の保守思想を汲んでいる。欧化主義に走った明治政府による歴史の断絶を拒み、文化の砦としての武士階級を残そうとした西郷の保守主義が、右翼思想の一つのモデルになっているのである。
 その一方、頭山満や内田良平ら、玄洋社や黒龍会系の人々がアジア解放に心血を注いだ大アジア主義の流れがある。
 現在の左翼がかった教科書には、かれらが、軍部の大陸侵略に加担したと書かれているが、戦前のアジアは、ヨーロッパ列強の植民地で、日本がたたかった相手は、そのヨーロッパ列強だった。
 当時、支那から孫文、朝鮮半島から金玉均、インドからチャンドラ・ボース、ベトナムからクオン・デ侯、ビルマからアウン・サン、フィリピンからリカルテ将軍ら、独立運動のヒーローたちが、続々と日本へやってきて、援助をもとめた。
 かれらを援けたのが、犬養毅や頭山満、玄洋社・黒龍会の有志だった。内田良平らの活躍には、血湧き肉躍るものがあるが、こういう人々の行動は、あくまでも、思想の発現で、権力闘争とは、無縁だった。
 岩倉具視や大久保利通ら、西洋崇拝主義者とのたたかい(西南の役)に破れて、西郷がまもろうとした武士階級は、廃絶となり、日本古来の文化や価値観が、文明開化と鹿鳴館文化に打ち負かされる。
 だが、西郷の保守主義と「敬天愛人」のことばで知られる「情け」は、大アジア主義となって、玄洋社・黒龍会へひきつがれた。
 この伝統右翼は、戦後、解散させられ、GHQ支配と60年安保を契機に、黒幕系や広域暴力団系の団体が右翼(政治結社)を名乗るようになって、本来の右翼は、すがたを消した。
 現在、右翼と呼ばれるのは、狭義では、政治結社系の右翼。広義では、左翼と敵対する政治的陣営のことで、思想のうねりとしての右翼は、残念ながら、存在しない。
 現在、右翼と称する人々やグループが、街宣車で軍歌を流し、激しい演説をぶっている。これはおかしな話で、本来、政治とはかかわらない右翼は、政治運動とは無縁のはずである。
 右翼が、政治にかかわってくるのは、思想運動のはての直接行動で、かれらは、とくべつの意味合いをこめて、極右とよばれる。

 左翼→政治運動 共産・社会(革新)主義者、選挙による政権奪取
 極左→闘争主義 トロツキスト、破壊主義と暴力革命による政権奪取 
 保守→政治運動 現政体・政策の継続性を土台にした政権維持と回復
 右翼→思想運動 国体の維持、歴史の連続性にのっとった文化防衛
 極右→行動主義 国体および現政体の破壊者にたいする直接行動


 保守が、左翼から右翼、革新から反動、反日主義者やコスモポリタン(世界主義者)から国粋主義者とよばれるのは、かれらが、文明開化や欧化主義、軍国主義(ミリタニズム)、社会主義、共産主義など、西洋の文明や外来思想にたいする防波堤だったからで、西郷の悲劇と、そこが、相つうじる。
 西郷は、欧化思想に負けた。現在の日本も、グローバリゼーションやアメリカの「年次要望書」で、屋台骨がグラついている。
 西洋の思想が日本に根づかないのは、「情」がないからだ。
 歴史の知恵、伝統を学びとる知のはたらきが保守なら、右翼は、情である。義理も人情も、礼も徳も、情である。
 情は「社会的情操」ともよばれるように、心と社会をつなぎあわせる。
 ひとは、理屈ではなく、情にしたがって生きる。その情のなかに、過去の価値が、ふくまれている。
 保守に、この情のはたらきがなかったら、ただの復古主義にすぎないものになってしまう。
 愛国心を教えるというが、国を思う心のはたらきは、やむにやまれぬ情なので、教えることはできない。情があれば、しぜんに育まれる。逆に、情がはたらかなければ、愛国心どころか、反日主義に走ることになるだろう。
 右翼が情けなら、国粋主義は宗教で、国家主義はイデオロギー、民族主義は感情である。国粋主義は、排斥運動にむすびつき、民族主義は、差別主義や争いをうむ。
 国家主義も、場合によっては、社会主義や権力主義に傾く。
 政治=権力とかかわっているからである。
 文化=権威とのみかかわる右翼の思想運動は、文化防衛であって、つまるところ、国体の護持である。
 したがって、右翼の役目は、天皇をまもるという次元にいきつく。
 これは、政治運動でもイデオロギーでもなく、文化防衛である。
 一方の左翼は、徹頭徹尾、政治とイデオロギーである。
 情けどころか、文化も歴史も、否定する。ということは、人間不在なのである。
 前世紀末に、共産主義が破綻したのは、過去の遺産なくして、人間らしい生き方ができる社会をつくれないと気づいたからだった。
 ところが、日本では、左翼色が薄まったぶん、反日主義・反国家主義・反歴史主義・コスモポリタニズムが広がって、かえって、保守が弱体化した。
 保守は、イデオロギーでは勝った。だが、保守をささえるハートの部分、つまり、右翼思想が貧弱だったため、共倒れになってしまったのである。
 共産主義というイデオロギーが価値を失った以上、左翼は、もはや、政治的存在たりえない。
 だが、反日主義という、国家を呪う執念だけをもった人々、いわば、情という文化を失った人々が、消えた左翼以上のペースで、ふえつづけている。
 それが、先の参院選において、「美しい日本」「道徳教育の充実」「憲法改正」を掲げた安倍前首相への不支持というかたちであらわれた。
  朝日新聞を中心とした左翼系のメディアは、安倍前首相を「右翼」と攻撃した。
 かれらがいう右翼とは、左翼=善、右翼=悪という左翼独特の識別によるもので、かれらの用語法では、右翼が、悪の代名詞なのである。
 右翼が、左翼が倒そうとする国体(歴史・文化)の守護兵で、当面の敵だからである。 
 反日主義、反国家主義、反歴史主義、コスモポリタニズムが、政治社会やマスコミ界等に広がっていくなかで、現在の政治体制は、保守思想や過去の価値観を共有する人々、あるいは、保守主義者によってまもられている。
 だが、危ないのは、政治体制ではなく、国家の土台となる国体のほうである。
 国体は、歴史や文化の体現者たる天皇を中心になりたっている。
 右翼は、この国体をまもる前衛として、存在価値がある。
 だから、右翼は、天皇の防人であり、文化防衛の担い手となりうるのである。
 思想的に鍛錬された少数精鋭の右翼は、大衆の支持をもとめず、みずからの手で政権を運営する志向ももたない。だが、政治とは異なった次元で、国体=歴史の連続性に身を挺する少数の強者として、維新の先駆けになりうる。
 右翼がおこなうべきは、政治運動ではない。いかにして日本国の国体をまもるかという思想的鍛錬をとおして、保守主義の一つの核となることである。
 その意味で、非政治的存在でありながら、保守主義の一翼をになっている。
 次回は保守主義は何をまもるべきかについてのべる。
 
 




posted by 山本峯章 at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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