2007年12月13日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(3)

 保守ということばには「古いものを大事にする」のほかに、旧態依然、あるいは、改革を排除する、というイメージがある。
 それも、一面ではあるが、本質はちがう。
 保守は、じつは、すさまじいばかりの改革運動なのである。
「権力はかならず腐敗する」(アクトン卿)という至言があるように、歳月の経過とともに、権力は腐り、制度は疲労し、規律はゆるみ、組織はゆがみ、人心は怠惰に流れる。
 この権力の腐敗は、個と全体の矛盾と並んで、政治学上の二大難問で、いまだ、解決の目処が立っていない。
 権力が腐ると、政治体制も崩れ落ちるので、保守は、これをくいとめるために、急進的に、改革運動をおしすすめなければならない。
 それが、保守の真骨頂で、古いものを漫然とまもるのは、保守ではなく、体制主義(派)で、利権を漁る族議員が、これにあたる。
 日本史上、代表的な保守運動が、江戸の三大改革である。
 享保・寛政・天保の三大改革は、いまからふり返ると、ずいぶん窮屈なしめつけのように思えるが、これがなかったら、世界史上、類のない徳川幕府の長期政権もまた、不可能だったろう。
 徳川幕府は、独裁でも絶対主義王権でもなく、不安定な幕藩体制の上になりたっていた。全国の領主となった徳川幕府と、幕府から領地をあたえられて軍務につく各藩が、力を合わせて維持する体制で、近代的だったがゆえに、かならずしも、磐石ではなかった。
 地方にちらばった各藩が中央の幕府を軽んじ、行政官吏である武士の規律が乱れ、あるいは、武士階級が、農村や都市の商業資本を統制できなくなるような事態になれば、蟻の一穴から堤が崩れるように、幕府は、瓦解していたはずである。
 そうならなかったのは、つねに、改革がおこなわれたからである。
 三大改革では、農村振興や都市の商業・金融資本への干渉とならんで、支配階級の質素倹約と武芸の奨励が題目となった。
 幕府が、民のために祈る朝廷から全国の領地をあずかり、各藩が地方の領地を治めるという、三位一体(民⇔天皇⇔幕府)の支配構造のなかで、特権的な権力者は、でてくるはずがない。
 でてきたら、それが、幕藩体制の赤信号なのだ。
 武士階級が、慢心して贅沢にふけり、武芸を怠ることが、家康を尊敬してやまなかった徳川吉宗、吉宗の孫にあたる松平信定、吉宗が登用した水野忠之の子孫、忠邦には、我慢がならなかったのである。
 江戸三大改革は「家康公のむかしに戻す」というのがその精神で、底流に「放っておくと、権力は腐りはじめ、事態はわるくなってゆくが、体制のなかには自浄作用がそなわっていない」という世界観がある。
 これは、現在の「衆愚の思想」にもつうじるもので、世の中は、悪貨が良貨を駆逐する原理で、次第に、悪化してゆく。
 現在、国防を担う防衛省の汚職事件がマスコミに取り沙汰されている。
 江戸時代なら、守屋前次官は切腹モノだが、本人は、数人のヤメ検弁護士を立て、罪を逃れようとやっきになっている。
 このように「官の社会」に自浄作用がはたらかなくなったのは、保守による改革運動が停滞しているからで、そのため、霞ヶ関から防衛省、地方自治体の役所にいたる官僚機構のすべてが腐りはじめてきた。
 江戸時代の官吏は、公務員試験をパスした民間人ではなく、誇り高き武士で、この武士の責任のとり方が切腹だった。腹を切るのがこわいからモラルが高まったのではなく、武士のモラルの高さや名誉心が、切腹という強烈な自裁の精神をうんだのである。
 そのくらいの覚悟がなければ、権力は、腐敗から免れえない。
 日本の歴代将軍は、歴史の知恵として、この原理をわきまえ、幕府(権力)を監視する朝廷(権威)をおき、権力の絶対化と、絶対化にともなう腐敗を防いだ。
 したがって、保守運動が拠って立つところは、権威にたいする畏れということになる。
 朝廷からあずかった権力の行使に乱れがあってはならないとする覚悟が、保守の精神であり、だからこそ、そこに、自己監視→改革運動のエネルギーがはたらいたのである。

 といっても、保守は、かならずしも尊王主義とイコールではない。
 歴史や文化、国土や民が、国家安泰を神に祈る神=天皇に象徴されているので、天皇を絶対化する。絶対なのは、天皇ではなく、天皇が安泰を祈念する天地であって、そこが、王に忠誠を誓うヨーロッパの王政、共産主義・絶対主義国家の個人崇拝と根本的にちがう。
 別の機会に詳しくのべるが、日本の尊王主義は、天皇を利用して、権力を奪取しようという政権争いのなかからあらわれてきた。
 だが、古来より、権威である天皇は、ひたすら、畏れ多い存在だったのであり、権力の系列である臣下をもったことがない。
 臣下をもたないから、権力を監視できるのであり、戦時中の「現人神=大元帥」という宣伝は、日本史上、類のない捏造だったのである。
 保守は何をまもるべきかへ、話をもとへもどす。
 前回、右翼がまもるべきは、歴史や文化、国土や民の象徴としての天皇だとのべた。
 一方、保守がまもるべきは、失われた理想(=過去)である。
 革新は、未来に理想をもとめるが、保守は、過去のなかに理想をみいだす。
 事態は、日を追うごとにわるくなって、いつかは滅びるわけで、だからこそ、保守運動は、過去を模倣するという形で、改革運動をおこなうのである。
 伊勢神宮で二十年に一度、遷宮をおこなうのは、過去を未来へひきわたすには、原点へ還って、装いを新しくしなければならないからで、それも、維新の思想である。
 宇宙は人類の夢、ということばがある。革新陣営がいう未来への夢も、これと同じようなもので、火星かどこかへ行って、小便を濾過してのまなければならない地獄のようなところへ行くことは、人類の夢ではなく、地獄である。
 かつて、共産主義は人類の夢だったが、その夢のために、人類は、一億人以上が悲惨な死に追いやられ、いまなお、北朝鮮では、数パーセントの特権階級以外は、飢えと寒さのために死に瀕しており、中国の内陸部も、事情は、さしてかわらない。
 それでも、革新陣営や福田ら自民党の親中派が、北朝鮮サマサマ、中国サマサマというのは、未来には夢があるという"革命幻想"にとりつかれているからである(自民党のこのていたらくが、保守新党の可能性をさぐる勉強会=平沼新党構想がでてきた背景だが、このテーマについては、べつの機会にのべる)。
 保守思想には、理想は過去において実現されている、という歴史認識がある。
 現在が思わしくないのは、過去にうちたてた理想が崩れ去っているからで、その理想を再現するには、過去へ立ち帰らねばならない。
 未来の、火星へ行って小便をのむような生活、地獄の流血革命が、人類の理想なのではなく、かつてあり、いまもある美しい国土、ゆたかな人情、勤労の成果としての実りや繁栄が理想なのであり、これを旧悪として捨て、暗黒の未来にすべてをゆだねるのは、狂気にひとしい。
 そのことをわかっているのが、保守の心根で、カンサバティブだ、真正だと、小難しいことはいらない。
 革新派は、保守にたいして「現状を肯定する守旧思想」として攻撃する。
 だが、現状に満足していないのは、革新も保守も同じで、ただ、改革のやり方がちがう。
 保守は、家を補修し、手入れをして、大事に住む。ところが、革新は、火を放ってすべてを灰燼に帰させ、保険金で家を新築しようとする。歴史が教えるところによれば、そのくわだてはすべて失敗して、大勢が死に、飢え、文化と歴史が炎につつまれた。
 革新のデマゴギーから国民をまもることも、保守の仕事といいくわえておこう。
 次回は、権力に利用された天皇というテーマで、近現代史をふりかえってみたい。
 
posted by 山本峯章 at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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