憲法問題にかんしては、保守と革新が、攻守ところをかえる。革新が「平和憲法をまもれ(保守せよ)」と叫び、保守が「GHQ憲法は廃棄すべき(革新せよ)」と主張しているのである。
ということは、現行憲法は、左翼にとってだけ都合のよいもので、したがって、その憲法のもとで生きている戦後の日本人もまた、知らず知らずのうちに、左翼色にそまってきたということになる。
六日間で日本憲法をつくりあげたGHQの若い男女19人は、ニューディーラーだったといわれる。
F・ルーズベルトの社会主義(ニューディール=新規まき直し)的政策の申し子だったかれらは、敗戦国日本をニューディールするべく、かれらが信奉するイデオロギーにもとづいて、思い切り左翼的な憲法をつくってみせたというわけである。
自民・民主の左派から社民党・共産党にいたる大勢力が揃って護憲をいうのは、日本国憲法が、左翼のテキストとして、それだけ、よくできているということなのである。
改憲派にしても、大半は、憲法九条の戦争放棄が、事実上、国家主権の否定にあたるのでこれを改正すべきという「九条改正派」で、自主憲法制定派とのあいだには、温度差がある。
現行憲法を改正しなければならないのは、不都合があるからではない。
歴史の連続性を断ち切っているからである。
とりわけ、憲法九条の戦争放棄と十章の最高法規、憲法前文の三つは、みずから、国家主権を否定した、世界に類のない、珍奇な内容である。
むろん、日本の歴史文化、伝統は、反映されていない。
GHQは、日本をそっくりつくりかえるつもりだったので、あたりまえの話である。
あえて、保守主義といわずとも、GHQ憲法の廃棄→伝統にもとづいた自主憲法の制定は、国民感情としても当然である。
その場合、問題になるのが、自主憲法の下敷きになる思想や価値観である。
新憲法の手本に、明治天皇の「五箇条の御誓文」と聖徳太子の「十七条の憲法」以上のものはみあたらない。
というのも、新憲法にもとめられるのは、国家(主権)と国体(文化)、国民(繁栄)の三つをつなぐ哲学だからである。
「五箇条の御誓文」と「十七条の憲法」には、その三つが書かれている。
それらをひきついで、憲法改正をおこなって、はじめて、伝統憲法となる。
伝統憲法というのは、読んで字の如し、歴史や国柄が反映された憲法である。
明治憲法は、形式こそ、ヨーロッパの憲法がモデルだが、精神は「五箇条の御誓文」で、そのまた原型が聖徳太子の「十七条の憲法」なので、伝統憲法ということになる。
五箇条の御誓文にこうある。
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
「広く会議を開設し、何においても公の議論によって決めなければならない」
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
「上に立つ者も下に立つ者も心を合わせて国策につとめよ」
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス
「官史も武士も庶民も志をもって、国民が失望しないようにすべきである」
一、旧来ノ陋習を破リ天地ノ公道ニ基クベシ
「旧弊にとらわれず、世界につうずる、道理にかなった国をつくろう」
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ
「知識を広く海外にもとめて、大いにこの国を発展させるべきである」
これを現代にあった文章にかえるだけで、「主権が国民に存する」「人類普遍の原理」「崇高な理想」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」などという空想的な文言をちりばめた現憲法のものより、よほど、現実的で、りっぱな前文ができあがる。
多くのひとは、意外に思うかもしれないが、明治維新の人々にとって、公議公論は、常識であった。外来思想の受け売りではなく、伝統的な道徳として、公議公論がおもんじられていたのである。
原典は、聖徳太子の「17条の憲法」、その第17条である。
十七条を現代語訳にするとこうなる。
<ものごとは一人で判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。重大な事柄を論議するときは、みんなで検討すれば、判断をあやまらず、道理にかなう結論がえられよう>
個と全体の調和がとれた民主主義が、1400年前に、すでに、あったのである。
一方、現代の民主主義は、個人が、非の打ち所がない権利者としてとらえられているので、個人は、他者や全体と対立し、しかも、多数決という数の暴力によらなければ、何事も、決着がつかない。
多数決に該当するのが、公議公論である。各人が利己心を離れて"公"にとって、最善と思われる策を論じ合うような話し合いのことで、そこでは、エゴではなく、公益という徳がはたらく。
「17条の憲法」の第10条にこうある。
<ひとそれぞれにちがった考えがあり、相手がこれこそといっても、じぶんはよくないと思い、じぶんがこれこそと思って、相手はよくないとする。じぶんだけが聖人で、相手が愚かなどということはない。皆、ともに凡人なのだ。そもそも、だれもが賢く、反面、愚かというのに、だれが、まちがいのない判断を下せるだろうか>
自己中心的でエゴイスティックな人権、全体の利益に一歩も譲らない現代の民主主義のはるか上をゆく和の精神が、聖徳太子の時代に、確立されていたのである。
そのことを忘れて、戦後、アメリカから民主主義がはいってきたので、日本はよい国になったという議論は、愚かというしかない。
エゴや多数決でしかない人権や民主主義が、ついに、主権にまでのぼりつめたのが国民主権だが、これもインチキである。人民独裁が不可能なので、人民の代表である独裁者が人民の生殺与奪の権利をもつ、という革命思想を借りてきただけである。
日本伝統の民主主義=和の精神は、GHQも、みとめている。
昭和26年(1946年)元旦に出された詔書(人間宣言)の詔書の冒頭にしるされた五箇条の御誓文が、それである。
この詔書によって、天皇が人間になられたというが、昭和天皇は、昭和52年(1977年)8月23日の記者会見で「神格は二の次の問題で、わたしは、明治大帝のお考えを示すために、五箇条の御誓文を載せることを(マッカーサーに)もとめた」とのべておられる。
マッカーサー元帥が詔書に記載することをゆるすほど、五箇条の御誓文が民主的だったということである。
さて。憲法には、成文法と習慣(不文)法の二種類がある。
前者がフランスやアメリカなどの憲法で、後者が、イギリスやイスラエルなどの憲法である。習慣法は、伝統憲法だが、成文法にも、伝統憲法と革命憲法がある。近世・近代になって、世界中の国々が、戦争や政変、革命を経験したため、大半が革命憲法になり、成文法の伝統憲法をもつ国は、日本の明治憲法をはじめ、わずかだった。
敗戦によって、その明治憲法が、捨てられた。
現在の日本の憲法は、伝統憲法どころか、革命憲法であり、謀略憲法でもある。
というのも、国家主権(=交戦権)を否定する憲法九条「戦争放棄」は、日本を国家としてみとめないという属国化政策だからである。
そして、前文で、国家主権を国民主権におきかえ、国家の主権を奪った。
日本を主権喪失の国にした三つ目が、十章(最高法規/第九十七条、九十八条、九十九条)である。
条文をみてみよう。
第十章 最高法規
【第九十七条】この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
【第九十八条】この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
【第九十九条】天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
基本的人権が、侵すことのできない永久の権利として信託された(主語がないため、だれから信託されたかわからない)ものなら、国民と国家の絆は切れてしまう。安全や経済的・文化的恩恵が自由獲得の努力の成果なら、国家はいらないということになるが、現実は、国家の庇護のもとになければ、われわれは、一日たりとも、人間らしい生き方ができない。
子どもの作文のような憲法が、すべての法の上位にあり、立法権・行政権・司法権より重いばかりか、天皇も国会議員も、裁判官も役人も、この憲法を尊重し、擁護する義務を負わなければならないという。
アメリカが、こんな呪術のような憲法をつくったのは、武力で日本を占領していたからである。
したがって、講和が成立した1951年の時点で、その呪いから開放されなければならなかったのだが、さらに、日本は、憲法九十六条で、各議院の総議員三分の二以上の賛成と国民投票の過半数の承認という足かせをはめられて、GHQ憲法の呪縛は、いまもなお解けていない。
GHQは、日本が国家の統一を欠き、いつまでたっても一人前の国家になれない、平和憲法という毒を仕込んでいったのである。
革新陣営が現行憲法をまもろうとするのは、日本を弱体化させるためにつくったGHQ憲法が、文化・伝統破壊をおこない、革命前夜の状況をつくりだす効果をもっているからである。
改憲政党だった自民党も、いまでは、護憲派のほうが多く、改憲派も、修正派といったほうが、あたっていよう。
保守の立場に立って、伝統憲法を制定しないかぎり、日本は、現在の国力・国威低下に歯止めがかからず、やがて、アメリカが狙ったとおり、力も誇りもない、情けない国へ転落してゆくだろう。
憲法問題については、いつかまた、別の角度からふれたい。
次回は、日本の弱体化をはかるべくアメリカが仕掛けたグローバリゼーションと日本がとびついた新自由主義についてのべる。