国家と聞くと、たいていの日本人は、国家権力、あるは、法治国家というハード面だけを思いうかべるのではないか。
マスコミが、国家を、そういう印象につくりあげてしまったのである。
左翼にいわせると、国家は、人民を抑圧する制度・権力機構で、資本家は、労働者から搾取する悪党である。
マスコミには、左翼が多いので、国家の、そういうハード面だけが強調される。
その結果、国民の前へ、国家=権力、人民の敵という図式が描きだされる。
だが、権力は、あくまでも、国家の一面で、国家の本質は、むしろ、歴史や文化、伝統や習俗、国土や民族など包括したソフト面にある。
愛国心、国を誇りに思う心情は、そこからでてくる。
マスコミが「反日」を煽り、日教組が「自虐史観」を叫び、野党が「反国家」を謳ったところで、愛国心、国を誇りに思う心情は、国家のソフト面に根ざしているので、国民の大多数は、騙されないというわけである。
そのことが明らかになったのが、読売新聞がおこなった「年間連続調査『日本人』」である。
93%の日本人が「日本国民に誇り」をもち、73%が「国の役に立ちたい」と考えていることがわかったという。この結果に、左翼マスコミや日教組、反日市民運動家、共産党や社民党、自民・民主の左派は「じぶんたちは、いままで、何をやってきたのか」と、がっくり、肩を落としたのではないか。
それにしても、マスコミと世論とのこの乖離は、いったい、何であろう。
朝日新聞や毎日新聞、NHK、テレ朝、TBSなど、左翼がもぐりこんでいるメディアは、国家を悪とする報道姿勢をつらぬき、最大野党の民主党も、生活主義を標榜して、反国家の姿勢を鮮明にした。
国家のハード面だけをとらえ、一部は反日主義に、大半は、自虐史観に立って、アジアに謝罪しない日本はわるい国、と言い続けてきたのが、この国のマスコミのすがたである。
ところが、日本人の93パーセントは、日本人であることに誇りをもっている。
左翼は、日本人であることの誇りと、国家はつながらないという。
だが、国家を度外視した、個人主義の日本人など、どこにいるだろう。
日本に誇りをもつのは、国家との属性をふまえているからで、それが、73%の日本人が「国の役に立ちたい」と応えた読売のアンケート結果に、あらわれている。
先祖がつくりあげた国家は、父でもあり、母でもある。
父は、家族をまもるために、銃をもち、規律を立てる。それが国家のハード面で、母のようなやさしさ、なつかしさ、安心が、国家のソフト面といえよう。
左翼・反日主義者は、そういう家庭を破壊して、人々をすべて、イデオロギーの奴隷にしようというわけで、朝日新聞は、もっぱら、そのPR部門を担当してきた。
先週の週刊新潮(平成20年1月31日)で、高山正之がコラム変見自在でこう書いている。「この(朝日)新聞はかつて『北朝鮮は天国』と書いて9万人を地獄に送って殺した。共産主義の幻想から書いたものと思っていたが、どうもそうじゃない。記事に騙されて人が殺されにゆくのが愉しくてしょうがないのかもしれない」
朝日新聞に入社するのは、偏差値が高い極左で、思想的には、革マルに近い。体制内にもぐりこんで、内部から革命をおこすという戦略で、その路線対決で、中核派と内ゲバをくり返して、これまで、双方あわせて百人に近い同盟員が鉄パイプで虐殺されてきた。
NHK・民放の労組も、極左で、かれらと報道部は、しっかり手をにぎっている。
新聞・出版・電波の担当者も、極左ではないが、半数以上がインテリ左翼で、かれらの眼鏡にかなった者たちだけが、マスコミに登場してくる。左翼は、イデオロギー右翼ともつうじるところがあるので、保守系媒体も、でてくるのは、理論保守ばかりということになる。
さて。読売のアンケートのほうだが、「日本国民に誇りをもつ」「国の役に立ちたい」と考えるのは、保守思想である。だが、かれらは、理論保守ではない。高尚な理論やことばは知らないが、情という、人間の感性のいちばん奥深いところで、日本という国をとらえている心情保守である。
そこに、マスコミを中心とした左翼・反日・反国家主義、あるいは、右翼イデオロギーやインテリ保守との決定的なミゾがある。
左翼・反日・反国家主義と、右翼イデオロギー・インテリ保守の共通点は、国家だけを相手にしていることである。ともに「国家改造論」で、左は、マルクス主義による完全な国家統制、右は、保守理論による社会主義的な国家体制の立て直しで、情という、人間にとって、もっとも大事なものが忘れられている。
わたしが、学生時代から二十代にかけて、師事した三浦義一は、「戦後の政財界を裏で仕切った黒幕」(謀略の昭和裏面史/ 別冊宝島)とよばれているが、素顔は詩人で、北原白秋の弟子だった。三浦の保守思想は、うたごころ(和歌の心)にあり、本居宣長の「ものあはれ」につうじる心をもっていた。
わたしが衆議院に立候補した(次点で落選)した三十数年前、後見人となってもらった今東光から「政治は文化だ」と教えられた。文化というのは心で、今和尚自身は、万葉集のますらお(益荒男)ぶりを最期までつらぬいた。
昔話をもちだしたのは、読売新聞のアンケート結果と、マスコミ世論とのはなはだしい落差の正体が、文化=うたごころの有無ではないかと思いあたったからである。
理論右翼には、左翼からの転向者がすくなくない。左翼イデオロギーをひっくり返すと右翼理論になるのは、北一輝の国家改造論が、マルクスの共産党宣言と相つうじるものがあるのと同じで、両方とも、情(=文化)というものがない。
情を忘れて、理論をふりかざして、どっちが正しいか、とやっているのが、現在の思想界である。
そして、保守系は、日本人には歴史観や国家観がない、左翼は、日本には個人主義がないと批判している。
ところが、日本人の93パーセントは、日本人であることに誇りをもっている。
しかも、「日本の国や国民について、誇りに思うこと」の具体的内容では、「歴史、伝統、文化」が72%で、「国土や自然」43%、「社会の安定・治安」「国民性」(各28%)があとにつづく。
前回の調査と比べると、「歴史、伝統、文化」が19ポイント増えた一方、「教育・科学技術水準」が22ポイント減の19%、「経済的繁栄」が17ポイント減の19%に落ちこんだという。
誇れるのは経済だけで、日本人は、じぶんの国に誇りをもっていない、戦争でアジアを侵略して、ろくに謝罪をしないような国の指導者を、日本人は、情けなく思っている、という朝日新聞の主張は、これで、音を立てて崩れ去った。
日本人が、国を誇りに思うのは、国や民族への情がはたらいているからである。
一方、左翼には、一片の情もなく、インテリ保守も、あやしいものである。
ともに国家改造主義で、心や文化、情というものをすっかり忘れている。
否、もともとないから、理論に走るのである。
国家改造というのは、政治家や役人が、国民の税金で、じぶんたちに都合のよいように体制をつくりかえようというくわだてで、左右いずれにしても、役人中心の巨大な国家になる。
今回の読売アンケートの「小さな政府」と「大きな政府」の選択肢では、38%が「小さな政府」をえらび、33%の「大きな政府」を上回った。
国民が国家に望んでいるのは、強大な官僚機構をもち、役人が幅をきかせるような国になることではなく、誇りをもって外交・防衛をおこない、国内については、余計な公務員を減らして、少数精鋭でいけということである。
今回のアンケートは、マスコミ左翼やインテリ保守より、情という文化において、大衆のほうが成熟していたことをしめしたように思える。
次回は、うたごころ(大和心)にからめて、天皇と国体について、のべる。