2008年02月01日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(11)

●国体と天皇、神道とうたごころ 
 日本の場合、天皇を抜きに、国体を語ることはできない。
 立憲君主国や制限(象徴)君主国というのは、西洋風な政体論であって、国体は、それとは別の次元にある。
 独自の歴史や文化、国土、民族に根ざしているのは、いうまでもないが、国体にとってもっとも重要なのは、宗教感情である。
 民族が共有する神によって、国のかたちが、できあがるからである。
 日本の国体をささえている宗教は、神道(しんとう)である。
 日本の国教は仏教、というひともいるが、大乗仏教は、聖徳太子が国政にもちいたように、信仰の対象であって、国体をかたちづくる宗教感情とは、別物である。
 神道は、日本の習俗や文化、日本人の心に影響をあたえてきた一つの世界観で、仏教やキリスト教、イスラム教のような、信仰の対象となる教団宗教ではない。
 ところが、戦後、神道を軍国主義のバイブルとみたGHQが「信教の自由」の名のもとに<神道指令>をだして、一種の禁教にしてしまったため、神道が、教団宗教であるかのようにうけとられ、また、そのようにあつかわれるようになった。
 GHQは、すぐ、誤りに気がつき、昭和24年に解除した。だが、左翼イデオロギーに染まっていた教育界、学会、論壇、マスコミは、GHQの失策につけこんで、戦後の日本から、神道を抹殺する文化革命をひそかにおしすすめた。
 その結果、日本人は、民族の背骨となる世界観を失い、精神的な根なし草になって、多くが、唯物論や反日主義、コスモポリタニズムへと押し流されていった。
 戦後、GHQが、本物の日本人を要職から追放すると、代わって、左翼や精神的無国籍者が日本の指導的立場に立った。かれらにとって、神道は、前体制の遺物にすぎず、GHQ革命の邪魔物でしかなかった。GHQ革命は、一種の文化革命でもあったので、民族の固有・伝統文化が、かれらの標的になったのである。
 だが、神道は、生きのびた。それだけ、日本人の心に、神道が深く根を下ろしていたということであろう。
 天皇を抜きに国体を語ることができない、というのは、神道の世界観によって打ち立てられている日本の国体の中心に、神道の最高神官である天皇がおられるからで、キリスト教的価値観や西洋合理主義、唯物史観で、この構造を説明することは、できない。
 本居宣長は、漢意(からごころ=現代では西洋合理主義)で、神道の世界観を読みとることはできないとした。読みとれば、不合理だ、非論理的だということになり、神話の世界は崩壊してゆく。
 あとに残るのは、神の道を失った唯物論(=餓鬼道)の世界である。
 西洋合理主義では、すべて、科学で説明がつくとするが、元素や遺伝子を解明できたといっても、元素や遺伝子が、なぜ、存在するのか、わからない。太陽の生成構造を科学で説明したところで、唯物論で、存在の第一原因が解明されるわけではない。
 外務省は、中国の圧力におされて「日中歴史共同研究」を立ち上げ、すでに、二回、北京で会議をおこなったが、「日中間の歴史認識の食い違いを埋める」(外務省)などということは不可能で、そんなタテマエは、中国への屈服の言い訳にすぎない。
 すべての歴史を「人民を抑圧してきた権力史」とみる唯物論者に、神道的な歴史観などわかるはずはないので、議論したところで、意味がない。事実、中国側は、日本史を唯物史観で読みかえ、日本側がそれに反論するというパターンがくり返されたようだが、反論は、相手の論理にまきこまれている証拠で、反論すればするほど、相手の術中にハマってゆく。
 一方、日本側は、反唯物史観論をもちださないので、結局、議論は、天皇・神道にたいする批判と弁明に終始することになる。これでは、日本が被告席に座らされている裁判のようなもので、このようなばかな会議へ、北京まででかけていくほうがどうかしている。
 唯物史観は、人民の抵抗史だが、神道の歴史観は、神代とこの世がかさなりあったすがた(=中今)をしており、戦後、権力史に書きかえられるまで、日本史は、神話や文化が土台になったおおらかなものだった。
 皇国史観というのは、天皇ではなく、神道の歴史観で、どこの国の歴史も、その国特有の宗教観が反映されている。
 日本の神道には、絶対神がいない。自然や天然物、造形物、生物すべてが神そのものであって、最高神が太陽、その化身が天照大神である。太陽を頂点とした自然の営みが惟神(かんながら)というもので、そのかたちは、神代もこの世も、かわるところがない。
 かつて、森喜朗元首相が「日本は神の国」といって、ひんしゅくを買ったが、神道の神は、神ではなく、迦微である。そのなかに、人間をはじめ、鳥獣、草木、山河、海や空など、奇異(くすあやしき)なものが、すべて、ふくまれる。
 本居宣長によると、奇異(それぞれにふしぎ)なものは、すべて迦微で、この世にあるものは、すべて奇異なので、世界には、迦微ならぬものはなし、ということになる。
 迦微に、神という字を当てたのは、迦微のなかでも、ひときわ、可畏(かしこ)きものだからで、頂点に立つのが、太陽(天照大神)である。
 万物は、太陽のもとで生成され、成育する。太陽も生命も、この世に実在する。神は空想だが、神道の迦微は、天照大神(太陽)や産巣日神(生成・生育)として、森羅万象をしたがえている。
 実体と空想が、こうして、調和をとりあうのが、惟神(かんながら)の世界で、本居宣長は、これを「神の道」といった。
 神道は、アニミズムを源流にもつといっても、あながち、まちがいではないが、神道の場合、モノに御霊が宿るのではなく、モノやコト、それ自体が迦微(神)で、神々のはたらきが、この世の仕組み(惟神=神の道)である。
 本居宣長のことばを借りると「貴きも賤しきも、強きも弱きも、善きも悪しきもの」もあり、可畏こきもののなかには、実りをもたらす和魂(にぎみたま)のほかに、台風や飢饉、地震や雷のように、災いをもたらす荒魂(あらみたま)がおり、神々の世界はいろとりどり(八百万の神々)ということになる。
 神々のはたらきを祈念する天皇は、神代から血筋がつながっているので「神に祈る神」となり、この世における神道的価値観の中心となる。
 それが、天皇を抜きに、国体を語ることができないという根拠である。
 神の道というのは、この世もまた、神代の延長だからである。
 この世でおこるくすあやしいさまが、このあはれで、そのことに気づき、驚き、感動する心を、宣長は、大和心と呼んだ。
「もののあはれ」を「物の哀れ」というのは、まちがいで、あはれは、「噫、ハレ」あるいは、安波礼で、この「あはれ」をそのままことばにしたのが、和歌なので、神道とうたごころは、そこでつながる。
本居宣長が「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」と詠んだその大和心が日本人の心で、それが、神の道を生きる心根である。
 保守思想には「神の道」という考え方があり、キリスト教社会でも、アメリカ中西部のファンダメンタリストからイギリスの保守主義まで、神の道が用意されている。
 むろん、この神は、教団宗教の神体ではなく、「神の祝福あれ」というときの神で、善という観念が、個人の生き方であれ、政治であれ、すべて、善神に集約されている。
 神というものを立てなければ、成立しないのが、善なのである。
 イデオロギーにもとづいて、人為的・強制的に社会を改造することをせず、その国の歴史的集積のなかで、自然に形づくられてきた知恵や文化、伝統、習俗をまもろうとするのが、神の道を立てる保守主義であって、宣長も、「天下を治めるには、古(いにしえ)のやり方をもちいて、善神の御心にかなうようにあるべし」といっている。
 神道において、この世は、天照大神や産巣日神とともにある「今即神代(中今)」なので、つねに、善神の御心にかなうように生きなければならないが、その御証人となる立場が、天皇である。
 権威と権力の二元論も、そこからきている。善神の化身である天皇のゆるしをえて、はじめて、幕府が権力を掌握できるということは、権力が、善神の監視のもとにあるということで、善神という基準がなくなれば、現在の国会のように、政治が千々に乱れて、国は、滅ぶ。
 保守思想の根本は、歴史が、すでに、神の道という理想を実現させているので、誤りや悪をとりのぞくほか、何も変えてはならないとするところにある。
 右翼論でいえば、天皇が善神の化身なので、身体を張って、天皇をまもることが第一義で、うたごころ(大和心)を忘れて、政治を語るのは、国体を忘れている証拠、ということになる。
 右翼が、拠って立つところは、政体ではなく、国体=天皇=権威でなければならない。
 多数決で、国が売られる可能性を否定できないのが、民主主義というものだが、国体をまもるという立場に立てば、身体を張って政治的決着を阻止することが、善神の御心にかなう。
 つまり、民主主義と対決を迫られるのが保守で、そこが、衆愚に流れる自由主義とちがうところである。
 政治を「マツリゴト」というのは、善神の御心を奉るという意味で、その善神がおられるのは、多数決がおこなわれる国会ではなく、神代からつながっている日本という国の、国体にほかならない。
 国体までを政治の下におこうというのが、憲法の皇室典範だが、このテーマについては別の機会にのべよう。

posted by 山本峯章 at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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