日本の保守政治家のあいだに、保守主義をつよめてゆこうといううごきがでてきたことを、わたしは、まことによろこばしく思う。
平沼赳夫、中川昭一、島村宜伸らが主催する勉強会がそれだが、なぜ、かれらが、保守主義をかかげたのか、他の保守議員とどこがちがうのか、今回は、そのあたりを入り口にして、国体と政体のちがいついて、のべたい。
保守系有志の勉強会「健全な保守」の平沼、中川、島村らと、河野洋平、加藤紘一、山崎拓、古賀誠、二階正博、福田康夫ら自民党左派、あるいは、小沢一郎、菅直人、岡田克也ら民主党主流のちがいは、一言でいえば、国体意識があるか、ないか、である。
「健全な保守」がもち、自民左派・民主主流に欠落しているのは、歴史や文化、民族性に根ざした国体という、国家・政体・国柄の土台となるイメージである。
別項で、権威と権力の二元論について、のべた。権威が朝廷・天皇で、権力にあたるのが幕府・政府だが、これは、そのまま、国体と政体の関係におきかえることができる。
●権威=朝廷・天皇=国体(歴史・文化・民族性など)
●権力=幕府・政府=政体(民主主義・資本主義)
国体と対応する政体は、政治形態ということで、これは、経済形態とワンセットになっている。
民主主義と資本主義が、日本の政体で、自民党も民主党も、この枠内で、国益・民益を追求している。
政体論においては、枠組みがきまっているので、両党に大きなちがいはでてこない。
むろん、枠内での対立点は、多くある。政治は「個と全体」の利益調整なので、自由競争と福祉政策、大きな政府と小さな政府、国益と民益など、二者択一的な争点をめぐって、政治家は、選挙運動や国会・政党活動などをとおして、丁丁発止とやりあう。
かつての自民党は、旧自由党系が、宏池会の池田勇人から宮沢喜一、谷垣貞一にいたるまで、経済一辺倒で、一方の旧民主党系は、改憲主義者の鳩山一郎から安保条約の岸信介、前首相の安倍晋三まで、政治向き、というちがいがあり、両派は、経済と国家の安全という振り子のなかで、政権を争ってきた。
それが、かつて、政局問題となり、民主党が躍進してきた現在、政権交代へと発展する可能性もあるが、それが、民主主義と自由経済の枠内におさまるかぎり、政権交代も改革も、政体にかかる変更にとどまり、国体は、ゆるがない。
つまり、政体は、国体に抵触しない限度内で、国益・民益を追いもとめる政治ゲームであり、たとえば、アメリカの共和党と民主党、イギリスの保守党と労働党がいくら激しく競り合っても、国体は、ゆるがない。
争点を政体論にとどめおくという暗黙のルールが、まもられているからである。
ところが、日本では、その境界線が、はっきりしない。
政体と国体の仕分けが、プロの政治家でも、よくできていないのだ。
元凶は憲法である。憲法は、政体の基本法で、そのなかで、民主主義を謳うのは、どこの国でも同じだが、日本の場合、国体の規定が憲法のなかにくみこまれてしまっている。
政体は、国体のうえにのっている。ところが、現憲法によると、政体が、逆に、国体を規制している。これは、属国憲法の特徴で、GHQは、国体を衰弱死させるような憲法を残していったのである。
わたしが、持論だった二大政党制に、最近、懐疑的になったのも、そのことと無縁ではない。現在の憲法では、政権交代が、国体変更の方向をむかいかねず、とても危なくて、政権交代など、軽々しく、口にできなくなった。
植民地憲法は、戦前のインド憲法がそうだったように、国体が、宗主国がつくる憲法=政体の下におかれる。政体以前の歴史や文化、民族性などが、政治に隷属するものとなるのである。
日本国憲法も、植民地憲法なので、天皇の地位を憲法でさだめ、国家ではなく、国民に主権をあたえている。
ということは、選挙、あるいは、国会議決で国体を変更できるというわけで、独立国家の条件である国体と政体の二元論的分離が、皮肉なことに、国家の基本法である憲法によって、否定されているのである。
国体が、政治に干渉されると、国の土台がゆらぐ。
したがって、各国は、国家反逆罪を設けて、政治や民主主義の暴走を防いでいる。
ところが、日本の憲法には、国家反逆罪も国家転覆罪も、スパイ防止法も、国家防衛のための危機管理項目もない。それどころか、国民主権なので、政治によって、国体の変更が可能で、そんな憲法が、事実上、変更不可能になっている。
戦勝国アメリカが、日本に、こんな憲法をあたえたのは、日本を占領体制のままにしておきたかったからで、それには、国体を不安定にさせておくのが、いちばんよい。日本の憲法で、徹頭徹尾、国体が形骸化されているのは、GHQの謀略なのである。
左翼が憲法をまもろうとしているのも、国体の規定がなく、代わりに、国民主権が謳われているからだ。これでは、暴力革命をおこして、憲法を停止させなくとも、現憲法下で、国会に赤旗を立てることができる。
国体と国家主権がない憲法は、共産党宣言のようなもので、事実、官費で靖国神社にわずかな玉串料を払っても、この国では、憲法違反になる。憲法から、国体条項が外されているどころか、国体が、敵視されているのである。
その憲法によって、国体が危うくされたのが、皇室典範の改定問題だった。有識者会議の吉川弘之が「歴史観や国家観にもとづいてつくったのではない」とのべたように、改悪皇室典範をつくったメンバーの大半は、反伝統主義の進歩主義者で、こういう連中が、二千年の歴史をひっくり返そうとしたのは、皇室典範という国体の大典が、憲法の片隅にくみいれられていたからである。
憲法という政体の基本法によって、かえって、国体が危うくされているのが、この国の危機の構造である。そして、植民地憲法の不備をついて、売国政治家が、さかんに、国体へ手をのばしてくる。
自民・民主の売国政治家が、日本に敵対政策をかかげる中国に媚び、日本を貶める理由は、日本の憲法が、植民地憲法だからである。そこから、対米にしろ対中にしろ、大国によりかかる事大主義でてくる。自虐史観や東京裁判史観などという負け犬根性がはびこるのも、憲法で、国家主権が否定されているからである。
河野洋平、加藤紘一、山崎拓、古賀誠、二階正博、福田康夫、小沢一郎、菅直人、岡田克也ら、保守系反日政治家が、こぞって、中国に媚びるのは、現在の植民地憲法のもとでは、構造的に、強国の保護下でしか国家の安全がたもてないからで、たまたま、かれらは、対米従属より、華夷秩序(柵封体制)のほうをえらんだのである。
国家が独立した国家たりえるのは、国体がなければならない。愛国心や誇り、国民性などを培うのは、国体で、政体などは、植民地や属国にだってある。
独立や国家主権は、政策ではなく、国体思想である。そこで、中国は、靖国神社や教科書、歴史認識などの国体を標的にし、これをうけて、日本の売国政治家も、戦争犯罪をふれてまわり、南京虐殺記念館まででかけて行って花輪を飾り、自国の歴史に泥をかける。
国体の要である歴史が、中国の気にいられたい与党政治家によって、危機にさらされているのである。
国体は、政治の埒外にあるので、もともと、無防備である。戦後、左翼にあらねばひとにあらずの風潮のなかで、革命志向の野党やマスコミ、進歩的文化人が、国体を標的にした。それに気づき、反撃を開始したのが、三島由紀夫の「文化防衛論」だった。
三島は、文化防衛とは、天皇をまもることで、畢竟、それは、国体をまもることだと喝破した。
しかし、三島以後、国体防衛論は、保守陣営・論壇のなかでも勢力を失い、保守といえば、もっぱら、政体における保守=カンサバティブをさすようになった。
だが、政治は、流動するので、そんなものに国体をあずけるわけにいかない。
小泉元首相が、皇室典範改訂をすすめ、福田現首相が、中国の意向をうけて、靖国神社にかわる、無宗教の戦没者慰霊施設をつくろうというのは、国体意識が乏しいからである。
ここで、政治家の国体意識の乏しさをあげつらっても仕方がないが、いっておかなければならないのは、日本人の心の故郷というべき神道、万世一系の天皇、歴史、伝統、習俗、価値観、歴史観、民族性という国体を構成する分野に、現在という一瞬の国益・民益をはかるにすぎない政治は、けっして、手をつけてはならないということである。
政体は、目の前の問題を相手にするが、国体は、現在と過去、未来、つまり、歴史の連続性とともにある。
福田が、中国にほめてもらいたい一心で、靖国神社をコケにすれば、福田の政治的判断によって、神道を礎にしている日本の国体は、根底からゆらぐ。そんな資格は、福田にあたえられていない。福田にかぎらず、従軍慰安婦の河野談話も、古賀誠の南京虐殺記念館館の表敬訪問や献花も、国体への冒涜以前に、選挙に当選したにすぎない代議士には、ゆるされていない越権である。
政治家は、政治や経済に懸命たちむかうべきだが、国体にたいしては、沈黙しなければならない。
国体は、まもるべきもので、まもるべきものがあるから、政治がうまれるのである。
それが、国体と政体の関係ということができよう。