ヨーロッパの王室は、中世における権力闘争の覇者で、征服王の家系である。
歴史的にも浅く、三〜四百年ほど前といえば、ちょうど、日本の戦乱期にあたる。
しばしば、日本の天皇と比較されるが、絶対権力者であるヨーロッパの王は、天皇ではなく、むしろ、平氏の平清盛や源氏の源頼朝、足利尊氏、あるいは、天下統一をはたした織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、戦乱期の覇者に近い。
天皇は、覇者でも、権力者でもない。
覇者に、征夷大将軍などの称号をあたえ、一方で、幕府を監視する権威である。
天皇のこの権威は、神話にもとづいている。
神話は、一つの寓話ではあるが、その根源に、神道という民族の宗教原理があり、国体や国柄、伝統や文化は、その神道の価値観に根ざしている。
天皇は、権力に正統性を付与し、幕府を総監するだけではなく、国家の繁栄や民の幸、収穫を祈念する神道の最高神官でもある。
これが、日本特有の権威(天皇)と権力(幕府)の二元体制である。
ヨーロッパに天皇にあたる地位がなかった理由は、キリスト教の布教によって、民族の神話が失われたからで、ヨーロッパ各国の古来の伝統や文化も、民族の神話とともに、消えさった。
民族固有の神話を失ったヨーロッパ各国において、新たな神話となったのが、「神が創造した最初の人間、アダムと妻のイヴが神の戒めに背いたため、エデンの園から追放された(原罪=キリスト教の中心教義)」とするキリスト教の物語で、権力構造においても、キリスト教をうけいれたヨーロッパの王国は、いずれも「神より与えられた統治権は神聖にして不司侵である」という帝王神権説をとって、絶対権力をつくりあげた。
権威の後ろ盾がなかったため、ヨーロッパ王政は、絶対主義という強権を立てなければならなかったのである。
歴史や民族、文化が異なるドイツ、フランス、イタリアなどのヨーロッパ諸国が、EU統合という大事業をなしえたのは、キリスト教という同一宗教、キリスト教を中心とした独自の文化と価値観でむすばれていたからで、ヨーロッパに、ユダヤ教や回教など、別の絶対神が根を張っていたら、統合は、不可能だったかもしれない。
万世一系の天皇を戴くわが国の皇室は、古事記や日本書紀に描かれている神話を起源にして、現在まで、連綿とつづいている。
政体が、源平から鎌倉、室町、戦国時代をへて、織豊、徳川、明治と変遷してきたにもかかわらず、後醍醐天皇による一時期の王政復古を別として、国体がゆるがなかったのは、天皇の権威と幕府の権力のあいだに、一線画されていたからで、権力と権威の二元構造が、古代から今日までひきつがれてきたのも、権力者がかわっても、国体は変化しない柔構造が、すぐれた政治形態だったからであろう。
この二世紀のあいだに、ヨーロッパ王制の多くが、消滅した。
ブルボン王朝はフランス革命で、ロマノフ王家はロシア共産革命によって滅び、第一次大戦に敗れたドイツでは、ホーへンツ、オレルン王家が消えた。オーストリアでは、ハプスブルグ家が王制から去り、第二次大戦後、イタリアのサボイア王家が、国外に追放された。
国家は、国体という文化構造のうえに、政体という権力構造をのせている。
ヨーロッパで多くの王家が消えていったのは、拠って立つところが、歴史や文化などに裏打ちされた国体ではなく、権力闘争がくり広げられる政体だったからである。
権力闘争の産物である政体は、時代によって、変遷する。
ところが、国体という歴史的な文化構造は、かわることがない。
そこから、国家の母体は、権力の実体たる政体ではなく、国体だったと、わかる。
国体から、権威が派生する。
権力は、その権威によって、正統性をあたえられる。
したがって、権威の裏づけがない権力は、絶対主義でもとらないかぎり、安定した支配体制をつくりあげることはできない。
立花隆が、雑誌に「戦後日本の国体は憲法九条」などと書いているが、護憲論者の強弁という以前に、政体にぞくする政治や法律が、国体を規制しうるという考え方が、そもそも、まちがっている。
同様に、憲法で天皇のありかたを定めるのも、憲法で皇室典範を規定するのも、誤っている。
権威は、権力の都合や法解釈によって左右されてはならないからである。
だいいち、一過性の権力機構にすぎない政体に、そんな権限はゆるされていない。
国体は、文化の体系であって、文化の根源をさぐれば、どこの国でも、神話にゆきつく。
神話によると、天皇は、高天原から降臨した神々の子孫で、いまなお、国の繁栄や民の幸を祈っておられる。
神話の母体である神道の精神は、無私である。
私心をはさまず、高天原の神々が理想としたすがたを再現しようとするのが「惟神(かみながら)の道」で、天皇は、覇権を争う権力者と、正反対の立場に身をおかれている。
そこに、幕府が、天皇のゆるしをえて、国を支配する原理がある。
神武天皇の血筋をひいておられる万世一系の天皇が、日本の伝統文化や生活感情、習俗の土台になっている神道の最高神官であらせられる以上、戦闘能力にすぐれているにすぎない武力集団が、その天皇に、為政の勅をもとめるのは、すぐれて、しぜんなふるまいであり、それが、日本の国柄である。
武力だけで、覇権を争ったヨーロッパの王政とのちがいは、いかばかりか。
もっとも、わが国においても、七世紀初めまで、天皇は、王的な権力もそなえていた。
というのも、大和朝廷の成立以前、あるいは、その初期において、政体といえるような権力構造がなかったため、政治が、文字どおり、まつりごと(政=祭祀)だったからである。その過程で、いくさ(征夷)をふくめた強権の発動があったと思われるが、ユーラシア大陸でおこなわれたような凄惨なたたかいはなかった。
その理由は、神道の起源とも関連するが、森林や肥沃な平野、河川、海岸線がゆたかな日本では、砂漠や痩せた土地の国々とはちがって、生存競争や生死をかけた争いのタネが、それほど多くなかったからである。
人々は、大自然のなかで、おおらかに生きていた。それが、万葉人と呼ばれる日本人の始祖で、かれらは、自然そのものを神として、その自然法則にのっとって生きる、神道という世界観をきずきあげた。
砂漠や山岳、放牧しかできない痩せた土地では、魂の救済をもとめる一神教の啓示宗教がうまれる。
だが、ゆたかな自然に恵まれた日本では、もっと素朴な、太陽の恵みを称える祭祀が根づいた。
神道の最高神は、太陽である。
収穫や自然の恵み、巡ってくる四季、一日や一年という区切りは、すべて、太陽のはたらきによるものだからである。
もっとも、神道は、インカやエジプトのような太陽神崇拝とは異なる。
太陽のもとにある森羅万象が、それぞれ、神々(八百万神)で、この世は、神々の活動(産巣日=ムスビ)の場にほかならず、そのすがたは、神代から現在まで、かわらないとする。
高天原の太陽も、この世で輝いている太陽も同じなので、高天原はこの世とつながっている、というのが、神道における太陽で、それが、天照大神のもとで、さまざまな神々が活躍した神話におきかえられて、いまにつたえられている。
日本の伝統や文化、習俗や生活感情には、神道的な価値観が反映されている。
たとえば、西洋の時間は直線的だが、神道の時間は循環する。お正月は、ふたたびめぐってきた新しい年で、過去は、忘れられる。
禊(みそぎ)や浄め、よみがえり、水に流す、という習俗や考えかたは、神道のもので、それが、文化だけにとどまらず、日本人の価値観や気質にまで投影されている。
日本の国体は、風土や歴史、文化、日本人の精神の深くにはいりこんでいる神道の価値観にささえられている。
その中心におられるのが、万世一系の天皇で、それが、国体のすがたといってよい。
明治維新後、一神教的な価値観がはいってきて、伝統的な神道文化に珍奇な西洋文化を接ぎ木するかたちで、近代化がおこなわれた。
かわったのは、明治政府という政体だけではなかった。
権威と権力の二元構造、国体のあり方も、大きな変更をくわえられた。
その結果、何がおきたか。そのテーマについては、次回、のべることとする。