2008年05月14日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(21)

 ●「右翼論」その3/結果論的"善"であらねばならない任侠右翼
 農本主義や大アジア主義、国家社会主義に立つ伝統右翼は、戦後、GHQの弾圧やスポンサーだった保守政界や軍部、旧財閥の解体によって、事実上、壊滅した。
 右翼が国政や軍事、クーデターにかかわった時代は、敗戦によって、こうして、終わりを告げ、戦後日本は、共産党や組合運動の躍進によって、急速に、左傾化してゆく。
 GHQが、当初、めざしたのは、要人追放や財閥解体、農地改革などで旧体制を破壊する事実上の敗戦革命で、当時、GHQは、プレスコードや検閲、神道指令から、戦時教科書の黒塗り、武道の禁止、茶道の古書までを焚書にする、徹底的な文化破壊をおこなった。
 のちに、GHQは、ソ連・中国の脅威に気づき、急きょ、左翼路線を変更することになるが、それまでは、軍国主義をささえた右翼勢力が、GHQの最大の掃討目標だったのである。
 旧体制の組織や団体がGHQの標的になったなかで、任侠系の右翼団右翼が生き残ることができたのは、暴力団組織という独自の資金源をもっていたからである。
 任侠系の右翼団体は、戦後、うまれたわけではない。近代になって、自由民権運動や社会主義思想がさかんになってくると、危機感をつのらせた政府・公権力が、反政府運動の取り締まりに任侠団体を利用し、任侠団体も、その多くが、政治結社を名乗った。
 代表的なのが、原敬首相と床次竹次郎内相の提唱で結成された博徒と土建系任侠の全国的組織「大日本国粋会」(顧問・頭山満)で、国体護持と共産化の阻止を掲げて、労働争議介入やストライキ破りなどに、暴力的な直接行動をおこなった。
 任侠系の右翼は、伝統右翼とちがって、思想的な背景や含蓄があるわけではない。
 政治家や軍人、財界がこの任侠右翼を利用したのは、体制側にとって、かれらが、結果論的に"善"だったからである。
 政治や軍事は、結果論の世界である。たとえ、動機が善であっても、結果が悪では、政治は乱れ、戦争では負ける。悪知恵や謀略などの悪しき動機が、結果として、安全や平和をまもるのが権力のリアリズムなのである。
 一方の動機論は、結果に責任をもたない女・子どもの発想で、たとえていえば、憲法九条や絶対平和主義が、これにあたる。
 反体制側が、任侠右翼を無知でやくざな暴力集団=悪とみるのは、女・子どもの動機論に立っているからで、男・大人の結果論に立つ体制側にとって、任侠右翼は、体制の防人=善である。
 右翼論の根底にあるのは、この「結果論的善」で、任侠右翼が、反体制派にとって恐怖の対象で、かれらが、体制の防波堤、社会の防腐剤となれば、それで、十分に存在価値があり、学識をひけらかして正論を語るだけのインテリ右翼は、かえって、有害ということになる。
 任侠右翼が躍進してきたのが、60年安保闘争だった。
 昭和二七年のサンフランシスコ平和条約締結によって、日本は、独立した。
 だが、政治的には、社会党などの左翼の勢力がつよく、日本共産党も、第六回全国協議会(六全協/1955年)以降、議会への大量進出をはかり、議会内革命が懸念される情勢が生じてきた。
 左翼対策に、任侠右翼を利用しようとしたのが、吉田茂内閣で法務総裁を務めていた木村篤太郎である。
 1960年の日米安保条約改定で、政治的混乱が予想されるなか、警察力の整備に不安を抱いた木村は、20万人暴力団を組織化して共産主義勢力に対抗するべく、右翼の大物、児玉誉士夫に相談をもちかけた。
 この結果、テキヤ系組織は東京街商組合・日本街商連盟、博徒系組織は、日本国粋会を結成して、暴力団の組織化(愛国反共抜刀隊構想)がすすめられた。この構想は、吉田の承認をえられなかったものの、このとき木村は、37の右翼団体を糾合して、安保闘争にそなえる。
 安保改正の1960年、アイゼンハワー大統領の訪日反対の大規模な反対運動を阻止するため、岸信介首相は、木村篤太郎と、当時の自民党幹事長・川島正次郎に、ヤクザ・右翼の動員を命じている。
 このとき、児玉は、警視庁と打ち合わせて、稲川会五千人、松葉会二千五百人、飯島連合会三千人、国粋会千五百人、義人党三百人、神農愛国同志会一万人を「警官補助警備力」として、東京・芝の御成門周辺に配置することをきめている。
 これに前後して、血盟国事件の井上日召や浜口雄幸襲撃事件の佐卿屋留男らの護国団が音頭をとった「全日本愛国団体連合会」(全愛会議)をはじめ、「大日本愛国団体連合・時局対策協議会」(時対協)、「青年思想研究会」(青思会)、自民党議員も多く所属する保守主義者団体「日本会議」などが、次々に結成された。
 50年代の砂川闘争、新島闘争、60年代のハガチィー事件、安保闘争など、左右陣営の衝突が激化するなか、60年には、安保闘争で樺美智子が死亡、浅沼稲次郎社会党委員長が右翼のテロで倒れ、岸信介首相も、右翼に刺されて、瀕死の重傷を負うという事件がおきる。
 この60年が、左右両陣営にとって最大の山場で、その後、安保の岸内閣から所得倍増の池田勇人内閣へ政権交代がおこなわれると、社会の関心は、政治から経済へ移り、任侠右翼は、次第に、存在理由を失っていく。
 70年代にはいると、政府や警察当局は、用済みとなった任侠右翼にたいして、暴力団のレッテルを貼って取締りを強化、なかには、解散に追いこまれた団体もでた。
 任侠右翼は、もともと、博徒やテキヤ、やくざで、かれらを体制の番兵として利用したのは、権力である。使用済みになったからといって、切り捨てるのは、権力側の都合によるものだが、任侠右翼も、高度成長、とりわけ、バブル経済時には、総会屋や金融機関、不動産や建設業者と結託して、大きなしのぎをえた。
 任侠右翼に、もっとも、勢いがあったのは、この時期で、やくざ世界では、企業舎弟という新語がうまれたほどである。
 やがて、バブルが崩壊する。戦後の経済復興期に、労働運動を妨害するなど、一貫して大企業の側に立ち、企業の裏活動をささえ、もちつもたれつ関係を築いた任侠右翼にとって、バブル崩壊と暴対法の施行、総会屋への取り締まり強化は、大きなダメージとなった。
 以後、任侠右翼は、資金源も闘争目標も失って、長い低迷期にはいる。
 かつて、体制側にとって結果論(体制の守護)的善で、反体制側にとって動機論(反体制派への妨害・反社会性)的悪だった任侠右翼は、いまや、時代の変化にともなって、その在り方をかえなければならない時期を迎えているように思われる。
 というのは、かつて任侠右翼は、反共の砦として、存在価値があったが、現在、反共というスローガンは、すでに、無効になりつつあるからである。
 右と左の闘争は、すでに、決着がついている。日本人は、だれも、中国や北朝鮮のような国を理想と思っていない。そこで、旧左翼は、共産主義からコスモポリタニズム(無国籍主義)や反日主義へのりかえ、攻撃目標を、政体(政治)から国体(天皇体制)へきりかえてきた。
 左右対決という図式が消え、代わりに、愛国主義と反日主義という新たな対決の図式がうかびあがってきたのである。
 たたかいの場が、政治やイデオロギーから、国体や文化論へと移ってきた。
 ということは、運動の転換期がきたということである。
 政治は、選挙民や論壇系の政治評論家にまかせ、右翼は、国体のことだけを考え、行動すべきということであって、このうごきをつかまなければ、必要悪としての任侠右翼の存在価値が、なくなる。
 社民党や日本共産党、自民・民主党の左派は、日本をよい国にしようとして、政治活動をしているのであろうか。
 否である。政権をとって、国体を変更することがかれらの目的で、その兆候が、道州制の導入や皇室典範の改悪、人権法・フェミニズム法・外国人参政権法などで、自虐史観や媚中外交、戦争謝罪、歴史の共通認識などは、すべて、そのためのプロパガンダといってよい。
 日本を、共産党や民社党、自民・民主党左派、左翼出身の官僚のいうとおりにかえていけば、日本は、もはや、日本ではなくなる。ということは、かれらが血眼になって、やろうとしているのは、政体の変更ではなく、国体の変更だったのである。
 旧態依然として、右だ左だといっていると、右翼は、反日主義=国体変更主義の戦略に気づかないまま、取り残されて、近い将来、日本は、小泉純一郎が端緒を切った「国体変更計画」にのみこまれることになるだろう。
 かつて、右翼は、国家の危機に体を張った。そのときは、左右陣営の対立という図式がはっきりとしていたため、迷うことなく、必要悪=結果論的善の存在になりきれた。
 だが、現在は、国家の危機がどこからきているのか、ひじょうに、わかりにくくなっている。
 はっきりといおう。現在、日本が直面している国家の危機は、国体、三島由紀夫が「文化防衛論」で指摘した、日本精神が脅かされているところから生じている。
 三島は「文化防衛論」で、こうのべた。
 われわれは自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。……終局、目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。
 なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本文化伝統をかけて戦わなければならないと信じているからである。
 
 右翼が、何をまもり、何のためにたたかうのかをわきまえたとき、かれらは、ふたたび結果論的"善"となるのはあるまいか。





posted by 山本峯章 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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