●伝統とは何か
伝統とは、歴史に培われた文化的な蓄積のことで、独自の世界観や価値体系をもっている。
たとえば、能や歌舞伎、華道や浮世絵、武道などの伝統は、それ自体、特有の文化形態をもち、様式やしきたり、ルールなどにそれぞれ独自性がある。
伝統がもっともダイナミックにあらわれるのが国のかたちであろう。
その国らしさをつくりあげているのは、観念やイデオロギーではなく、伝統である。
日本は、神武天皇以来一二五代、二六〇〇余年にわたって、天皇中心の国のかたち、国体を維持してきた。
伝統は、歴史の連続性が練り上げた叡智で、人間が頭で考え出したにすぎない合理主義を超える。
経験知や長年積み重ねられた技能は、往々にして、人知を超越するのである。
イギリスには、女王陛下が議会に臨席する際、議員1名がバッキンガム宮殿に人質として留まる慣習がいまなお残っている。
チャールズ1世が議会によって処刑されたピューリタン革命の故事をふまえてのことだが、それもまた伝統で、多くが奇矯で不合理と映る。
伝統の反対概念は改革で、改革には、民主主義や合理主義、唯物論が動員される。
したがって、改革という嵐が吹いたあとに残るのは、すべてが画一化、均一化された無機質的な世界である。
共産主義や全体主義が破綻したのは、固有の形式、独自の価値をもつ伝統文化の多様性が失われたからで、文化の花が開く伝統社会が、革命によって人民の強制収容所となってしまうのである。
国連安保理事国5か国(米ロ英仏中)はすべて革命国家で、伝統国家は、先進8か国(G8)のなかで日本だけである。
革命国家が民主主義一辺倒なのにたいして、日本に、和の心や謙譲の精神、善や礼儀などの精神文化がゆたかなのは、伝統国家だからである。
文化の本質は、伝統という、合理をこえたところにそなわるのである。
アメリカも革命国家で、広大な国土と豊富な地下資源、軍事力と経済力で世界一の強国となったが、民主主義のほかにはなにもない人工国家である。
戦後、そのアメリカから日本に民主主義が移入され、天皇は人間宣言をおこなった。
それでも、日本人の天皇にたいする敬愛心は失われることがなかった。
日本人が民主主義という外来思想をうけいれたのではない。
日本にはもともと「君民一体」という伝統があったからで、それが、戦後になって、民主主義と名称が変わっただけだった。
西洋の民主主義は、絶対君主を倒してうまれた。
ところが、日本の民主主義は、君民一体にもとづいたもので、天皇は国民の代表だった。
これも日本の固有の文化で、天皇はわが国の伝統なのである。
●女性・女系天皇をめぐる3つの誤り
現在、皇位継承問題にからめて、女性・女系天皇が論じられている。
問題なのは、皇位継承というわが国古来の伝統を「男女平等」という西洋の概念をもちいて論じる風潮である。
論じてきたように、伝統は、異文化や他の文明、他国の習俗やイデオロギーの影響をうけない。
女性・女系天皇問題をめぐる議論に3つの誤りがあるので正しておこう。
一、皇位継承と「男女平等」のあいだになんら相関関係はない
二、皇位の女系相続は(女性・女系天皇)は憲法違反である
三、「女性宮家」創設より旧宮家の皇籍復帰が優先される
男女平等はフェミニズム
男女平等を普遍的な価値と思っているひとが少なくない。
だが、現在、語られている男女平等はフェミニズム(ジェンダーフリー)で、そこからでてきたのが、男女共同参画社会や「皇統の男系相続は女性差別(国連女子差別撤廃委員会)」という俗論である。
ジェンダーフリーの起源は「スターリン憲法第12条」にまでさかのぼる。
働かざるもの食うべからずとする12条は、女性を労働者としてとらえる思想で、日本では「男や女である前に一人の人間たれ」という言い方になる。
ここでいう人間は労働力という意味で、男女共同参画社会は、女性の勤労所得を増やす運動である。
男女同権という考え方がでてきたのは、第3回国際連合総会(1948年)の世界人権宣言「基本的人権、人間の尊厳および価値並びに男女の同権」(前文)以降のことで、それも、フェミニズム運動の成果としてとりいれられたにすぎない。
うまれて百年もたたない男女平等を、皇位継承にもちだすのは、見当ちがいもはなはだしく、「皇位の男系男子継承は女性差別(小林よしのり)」や「女性尊重の時代に天皇陛下だけ例外というのはおかしい(二階俊博幹事長)」というのは無知の極みというほかない。
世界経済フォーラムの報告によると『世界男女格差レポート』で、世界145か国中、日本は101位である。
日本に女性の政治家や官僚、企業の重役、勤労所得や労働参加人口が少ないのは、短期就業のOLや専業主婦が多いからである。
一方、国連開発計画 (UNDP) の「人間開発報告書」のデータでは、日本の男女間の不平等格差(平均寿命、1人あたりGDP、就学率など)は187カ国中の17位で、非就業の日本女性が、ジェンダーフリーの英米仏らの女性よりも恵まれた環境ですごしているとわかる。
男女平等は錯覚だらけの過てる合理主義だったのである。
女性・女系天皇は憲法違反
女性・女系天皇は憲法違反でもある。
現憲法では、第2条で、皇位の世襲が謳われているからである。
皇位の継承については、皇室典範の定めるところによるとしている。
皇室典範の第1条には、皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承すると明記されている。
憲法が男女不平等≠宣しているのである。
憲法14条(法の前の平等)には「国民は、人種、信条、性別、社会的身分または門地によって差別されない」とある。
すると、2条と14条は矛盾していることになる。
近代法である現憲法のなかで、天皇条項だけが、伝統という非合理性の上に立っているのである。
これは、重大なポイントで、わが国では、伝統が、憲法において担保されている。
民主主義の使徒、マッカーサーですら、天皇という伝統的存在を合理性から切り離さざるをえなかったのである。
11宮家の皇籍復帰
戦後の日本統治に天皇を利用したGHQが、皇室の将来的な廃絶を意図していたことは、皇室の財産を没収して、11宮家の臣籍離脱を迫ったことからも明らかであろう。
11宮家が廃止となって、51人が皇籍を離脱したのち、皇統維持に必要な皇族は、昭和天皇の直宮3宮家(秩父宮・高松宮・三笠宮)だけとなった。
かといって、11宮家が皇統から外れたわけではない。
重臣会議の席上、鈴木貫太郎首相が「皇統が絶える懸念はないか」たずねると、加藤宮内次官は「(旧皇族には)皇位を継ぐべきときがくるかもしれないとの自覚のもとで身をお慎みになっていただきたい』と返答している。
また、赤坂離宮でのお別れ晩餐会では、昭和天皇から「身分は変わるようになったけれども、わたしは今までとまったく同じ気持ちをもっている」というおことばがあった。
皇室と11宮家の交流は、菊栄親睦会をつうじていまもつづいている。
皇室典範第二条(「皇位は左の順序により皇族にこれを伝える」)のなかに「前項各号の皇族がないときは、皇位は、最近親の系統の皇族にこれを伝える」とある。
この文章を「皇族もしくは旧皇族」と書き換えることで、皇統の継嗣問題は一挙に解決する。
女性天皇などもちださずとも、皇室典範にもしくは旧皇族≠フ7文字をくわえるだけで皇統の男系男子はまもられるのである。
保守系のなかにも、一般人になったひとが天皇になることには違和感があるという意見が少なくない。
そこから、天皇の内親王が天皇になる「女性天皇」論が浮上してくる。
女性天皇から、その皇子が新たな天皇になる女系天皇へは一本道である。
そのとき、神武天皇の血統が絶え、天皇の祖先が別の血統に移る易姓革命がおきる。
神武天皇の男系直系である旧皇族の皇籍復帰には違和感があって、神武天皇の男性遺伝子(Y染色体)をひきつがない女性、女性宮家の入り婿になった一般人男性が天皇になるのに違和感がないというのはとおる話ではない。
●易姓革命と皇統の男系相続
日本が祭祀国家の形態をとって、国体と政体を切り離したのは、易姓革命を避けるためで、日本で政変がおきても、権力構造が代わるだけで、祭祀国家の頂点にいる天皇になんの動揺もなかった。
そこに皇統が男系相続となった最大の理由がある。
男系相続であれば、父から父へたどる系図が一本道なので争いがおきない。
ところが、母から母へたどる系図では、入り婿という形で、権力者が入ってくる可能性がある。
女系相続では、女帝の孝謙天皇(重祚して称徳天皇)に仕えた道鏡や次男の義嗣を天皇にして治天の君(上皇)になろうとした足利義満のような野心家を、皇統の純血性から排除できないのである。
古代から皇統の男系相続を貫いてきたのは、皇統に他の男系の血統を入れないためで、その智恵が、結果として、神武天皇のY遺伝子が純粋な形で今上天皇まで引き継がれてきた。
皇統は一本の樹木にたとえることができる。
傍系が枝で、どの枝も、神武天皇のY染色体を継承している。
今上天皇の系列は、光格から仁孝、孝明、明治、大正、昭和の各天皇へつらなる閑院宮家(東山天皇の第六皇子閑院宮直仁親王が創設)という枝である。
閑院宮家の創設(1710年)にうごいたのが、皇統存続に危機感を抱いた新井白石で、傍系が皇籍離脱(出家)するしきたりを枉げ、皇位継承ができる世襲親王家(伏見宮・桂宮・有栖川宮)に閑院宮をくわえた。
歴史学者ですら「皇統」と「家系」の区別がつかない者が少なくない。
嫡子がいなかった武烈天皇(25代)のあとを継いだ継体天皇(26代)が、応神天皇(15代)の5代末裔であることをもって、王朝交替があったなどというのがそれである。
応神天皇から継体天皇までは、若野毛二派皇子〜意富富等王〜乎非王〜彦主人王とすべて男性である。
したがって、神武天皇の男性遺伝子(Y染色体)が純粋な形で継承されている。
便宜上、X染色体とY染色体を例にとって話をすすめよう。
男性の染色体がYXで、女性がXXである。
Y染色体を継承するのが皇統で、X染色体をひきつぐのが家系である。
Y染色体は男性だけに継承されるので、父方をさかのぼっていけば、祖先の男性にゆきつく。
ところが、X染色体の母方をさかのぼっても、無限数の女性の祖先があらわれるだけで、祖を特定することはできない。
男性も女性もX染色体をもっているからである。
Y染色体がいくら代をかさねても、他のY染色体と混交しないのは、女性がY染色体をもっていないからである。
ちなみに、メディチ家やハプスブルク家など名家・名門から成るヨーロッパの王位継承順位が、他国の王室までまきこんで驚くほどの数にのぼっているのは、多くが家系主義(女系)だからである。
●日本の神話沖ノ島の古代祭祀
皇位や皇統は神事で、世俗の政治や制度と同列に語ることができない。
皇統の男系相続も、神事のしきたりで、聖域にあるものは伝統である。
日本の伝統が天皇なら、天皇の象徴が祭祀である。
祭祀を司る天皇の下で、摂政や関白、征夷大将軍、幕府、政府と権力構造が移ろってきたのがわが国の歴史で、日本は、世界最古の宗教国家でもある。
戦後、キリスト教などの一神教のみを宗教として、日本を無宗教国家、日本人を無神論者ときめつける風潮がはびこったが、とんでもない話である。
人口にたいする宗教施設(神社や仏閣)は世界一で、初詣や七五三、供養や法事など国民生活に密着する宗教的行事の多さも比類がない。
キリスト教などの一神教は啓示宗教で、神話やアニミズム、汎神論にもとづく神道は自然宗教(崇拝)である。
そして、神道と習合した大乗仏教は、集団宗教である神道にたいして、個人宗教で、釈迦の死生観は、西洋哲学に大きな影響をあたえた。
日本人の素朴な信仰心にもとづく国体の上に、政体という権力構造がのっているのが、伝統国家・日本の国の形である。
日本人の信仰の土台にあるのが神話である。
天地開闢には「造化の三神」やニ柱の「別天津神」が登場するが、すがたをみることはできず、むろん、性別もない。
そのあとうまれるのが国之常立神と豊雲野神、そして五組の男性神と女性神の「神世七代」である。
神世七代の最後にあらわれるのが伊邪那岐神(イザナギノカミ)と伊邪那美神(イザナミノカミ)である。
国産み・神産みでは、イザナギとイザナミとの間に日本本土となる大八洲の島々や山・海・川・石・木・海・水・風・火など森羅万象の神々がうまれる。
このときイザナミとイザナギは「成り成りて成り合はざる処一処在り」「成り成りて成り余れる処一処在り」といい交わしている。
天照大御神をうみだした(イザナキの左目から生まれた)日本開闢の始祖であるイザナギとイザナミが男神と女神だったことは象徴的である。
日本の神代にいたのは、男神と女神で、人間神ではなかったのである。
西洋は、神がひとをつくったが、日本の神話では、人間が神を生み出した。
男女平等は、ヒューマニズム(人間主義)にもとづいている。
男も女も同じ人間というというところから、男女平等という発想がでてくる。
ところが、日本の場合、男神と女神の二者並立なので、比べようがない。
男女平等の根底に、男女差別の人間観があるのを見逃してはならない。
沖ノ島の古代祭祀が世界遺産に登録された。
沖ノ島で国家的な祭祀が始まったのは大和朝廷の初期の4世紀である。
その古代祭祀が廃れたのは、宮中祭祀が確立され、伊勢神宮、全国の神社が整備されたからであろう。
古代祭祀は、その一部が宮中祭祀にひきつがれて、現在に残る。
世界遺産委員会が沖ノ島(沖津宮)のほか、内地の宗像大社中津宮・宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群など八つの構成資産のすべてを世界遺産にみとめたのは、宮中祭祀にひきつがれた古代祭祀の歴史的連続性を評価したからである。
沖津宮と中津宮、辺津宮の3女神を生んだのが天照大御神で、皇室の始祖であり、日本人の総氏神である。
日本が神道を軸とする伝統国家あることが、改めて、世界から認識されたのである。