2008年08月01日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(26)

 ●書籍化のタイトルは「『情』の国家論」
 本ブログが単行本(光人社刊)化されることになり、タイトルが「『情』の国家論」にきまった。
 このタイトルは、共著をおねがいした村上正邦先生との対談中、村上先生の口からでたことばをいただいたもので、言いえて妙、の感が深い。
 今回は、同書のタイトルにもちいた「情」についてのべたい。
 愛情ということばがあるが、愛と情は、別物である。
 愛が個人的感情なら、情は、社会的感情といってよいであろう。
 それを的確にいいあらわしているのが、義理人情で、本来、対立するはずの義理と人情が、情(なさけ)ということばのなかで、むすびついている。義理という社会観念とひとの熱い心が、一体化して、日本人の心のかたちをつくりだしているのである。
 思いやりや同情、寛容の精神も、愛ではなく、情である。
 個人の心に根ざしながら、他者とともにあろうとする。この運命共同体の意識をつくりだしているのが、和の精神で、これもまた、日本人の伝統的な心根である。
 愛国心も、ほんらい、情(憂)国心であろう。国のために身を捧げる覚悟は、わが身を燃焼しつくす恋になぞらえて、国への恋心である。特攻隊や2・26事件に殉じた人々の手記を読むと、国という歴史的共同体に、恋焦がれる深い情が、ひしひしと、つたわってくる。
 日本の神々は、鎮守の森の土地神も(地域)祖霊(同族)も、個人をこえている。情も、日本の神々と同様に、地縁や血縁、同じ釜の飯という仲間意識をとおして、共同体や集団にたいしてはたらく。
 掟(ルール)やナラワシ(常識)も、同胞とともにあろうとする情である。
 情が、家族から同族、ムラ、シマ(生活圏)をこえて、国家や歴史までひろがってゆくのは、土地神や祖霊が、日本共通の神話でつながっているからで、この神々を統べるのが天照大御神である。
 かつて、日本人が同じ心(情)をもちあえたのは、神話を共有していたからである。
 日本の古代宗教=原始神道は、はじめから、天皇中心だったわけではない。
 大和朝廷が優位になると、天皇が、土地の神や五穀の神(=社稷)をまつる最高祭司となり、地方の豪族が、天皇の宗教的権威を奉って、大和朝廷が、自然成立した。
 権力者や有力者が覇権をあらそう前に、津々浦々の神々が、手をむすんだのである。
 戦争ではなく、和の精神をもって、古代朝廷が統一をはたすことができたのは、天照大御神のもとで、共存をさぐりあう情がはたらいたからで、そこに、血みどろの権力抗争をくりひろげたユーラシアとの決定的なちがいがある。 
 キリスト教の愛を唯一の価値とした中世ヨーロッパ、善を説く儒教の古代中国で、戦乱が熄むことなく、たびたび、虐殺がおこなわれたのは、かれらの愛や善が、個人の領域にあったからで、かれらは、共同体にはたらく情をもちえなかった。
 情と似て非なる愛が、拠って立つところは、個人主義である。
 個人主義に立つ愛は、冷める。場合によっては、憎しみへかわる。排他的で、社会性に乏しく、しばしば、外部にたいして、敵意をむきだしにする。
 明治以前、日本にあったのは、交し合う情で、愛という観念は、なかった。個人主義が根づいていなかったからである。
 かつて、日本では、ひとは、個人ではなく、親の子で、子の親だった。祖の末裔にして子孫の祖で、しかも、家族や地域、共同体や組織の一部にくみいれられていたので、わが身が、単独で存在しているなどと、だれも、考えなかった。
 日本に個人という考え方がめばえたのは、成仏をもとめる仏教や神と契約するキリスト教が伝来してからである。仏教の輪廻転生やキリスト教の魂の救済は、一人の人間としてうけとめる問題なので、はじめから、個人が対象なのである。
 日本に、個人主義が根を下ろしたのは、明治維新の文明開化をとおして、近代的自我がうけいれられてからで、さらに、戦後、アメリカから、自由と平等の民主主義がはいってくると、情や和の精神にとってかわって、個人主義が、普遍的な価値となった。
 自由も平等も、成仏や救済と同様、一人の個人にかかる観念なので、根幹に個人主義がすえられるのである。
 戦後、情の文化がすたれていったのは、この個人主義が蔓延してきたからである。
 個人主義は、全体主義の反対概念で、西洋の思想は、神と悪魔、愛と憎、正邪、善悪というふうに、一方を否定する二分法で、このとき「抗争の論理」がうまれる。
 二元論と似ているようだが、二元論は、権威と権力のように、双方が並び立つ。
 愛は、憎や嫉妬、敵愾心をまねきよせ、善悪で一方を否定しても、立場やイデオロギーによって、そのつど、善悪が逆転する。自由や平等、人権や平和など、空理をふりまわすほど、愛やヒューマニズム、正義をもちだすほど、憎悪や非人間性、悪徳がはびこる。
 西洋の二分法では、いつまでも、抗争に決着がつかず、個と全体、個人と集団の対立や矛盾も、永遠に解消されない。
 空理のもとでは、こうして、情という、血のかよった人間の心が失われてゆく。
 世界市民を標榜する政治家が、帰国した拉致被害者を北朝鮮へ送還すべきと、血も涙もないことをいい、弱者の切り捨てや格差化社会をすすめた元首相が、人生色々とうそぶくのは、マルクス主義にしろ、新自由主義にしろ、西洋の思想に染まった者には、情が欠けているからである。
 日本は、八百万の神々のもとで、万物が、それぞれ自在にある多元論の国である。
 どちらが正しいか、ではなく、実情をふまえ、理に走らず、私心に溺れず、人間の心で判断する。
 それが情である。愛や正義のような空理ではなく、ひとの心なので、きっぱり、白黒にわけられないが、白黒をつけないのは、空理ではなく、ひとの心がはたらいている証拠である。
 現在、日本では、歴史や国体から切り離された個人主義がはびこって、政治からも社会からも、家庭からも人心からも、情が消えかかっている。
 本ブログで、保守政治と国体について、のべてきたのは、政治は、もともと、情にもとづくまつりごとで、とくに、保守政治は、歴史(時間)の連続性と国体(空間)の護持を使命としていることを明らかにしたかったからである。
「『情』の国家論」で、わたしがもとめたのは、日本の文化や歴史、日本人の心に根ざした国家の、あるべきすがただったのである。
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2008年07月25日

「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その7)

 ●反日主義はユダヤの思想
 1979年に刊行され、現在なお、版を重ねている稀有な本がある。
 前回のブログで紹介した、ユダヤ人長老モルデカイ・モーゼ著『あるユダヤ人の懺悔/日本人に謝りたい』(日新報道)である。
 ネット上では、ほぼ全編がデータ・ベース化され、モルデカイ・モーゼの正体について、さまざまな説がとびかうほど関心を集めている。
 そのモルデカイ・モーゼの子息(ユージン・E・モーゼ=イスラエル在住)とかれのグループから、日新報道の遠藤社長をつうじて、モルデカイの未発表の遺稿とユージン氏の署名がある原稿、および、パンフレット(同人誌のようなもの)を託された。
 翻訳して、リライト・加筆したものを日本で出版したい意向という。
『あるユダヤ人の懺悔/日本人に誤りたい』にまして、刺激的なテーマなので、翻訳と監修、加筆がすんだ一部を紹介したい。

 ユダヤ人は、政治や権力にたよって、みずからを解放する希望をもちえなかった。
 それどころか、政治や権力によって、二千年来、ユダヤ人は、差別され、居住地から追われ、ゲットー(ユダヤ人強制収容所)におしこまれてきた。
 国家や権力は、ユダヤ人にとって、リヴァイアサン(旧約聖書にでてくる怪物で、ホッブスの著書名)以外の何物でもなかったのだ。
 在日韓国・朝鮮人は、日本から差別をうけてきたと主張する。
 だが、かれらは、かつて、ゲットーにおしこまれたことがあったろうか。理由もなく、居住地から追われたであろうか。在日という理由だけで、法や国家権力、暴力によって、血も涙もない差別や虐待をうけたであろうか。
 集団虐殺(ポグロム)という悲劇を、くり返し、味わったであろうか。
 われわれ、ユダヤ人は、それらのすべてを体験して、強制収容された六百万人同胞を、ナチス・ゲットーのガス室において、失ったのである。
 われわれにとって、政治や国家、ユダヤ人以外の民族、ユダヤ教以外の宗教は、すべて、敵であった。
 敵ということばすら、われわれには、ふさわしくないだろう。ユダヤ人は、ただ一方的に、追われ、隔離され、殺されただけだったのだから。
 国家をもたないわれわれには、耕すべき土地がなかった。金融以外にゆるされた職業もなかった。ユダヤ社会から、多くのすぐれた医者や弁護士、教授や科学者、思想家が輩出したのは、ユダヤ人は、土地を耕す代わりに、頭脳を耕したからで、ロスチャイルド以下、多くの金融コングロマリットが世界へ雄飛したのは、キリスト教社会が、資本主義の根幹である金貸しを、賤業として、放棄したからであった。
 農業や一般産業、役人や軍人へのみちが断たれていたユダヤ人には、頭脳と金貸しのほかに、生きてゆくすべがなかった。だが、その二つこそ、世界が、人類が、産業発展の恒久財として、必要としていたものであった。
 国家も土地も、安全もなかったユダヤ人が頼りにできたのは、頭脳と蓄財と世界中にひろがった人的ネットワークだけであった。皮肉なことであるが、国家と土地と安全がなかったゆえに、頭脳と蓄財、人的ネットワークをいかして、多くのユダヤ人が成功をおさめた。
 成功が、嫉妬をまねくのは、太った鵞鳥が狼の食欲をそそるのと同じことで、ユダヤ人は、成功するほど、受難をまねきよせる逆風のなかで、ひたすら、生きのびるみちをさぐってきた。
 だが、ユダヤ人にとって、国家は、われわれユダヤ人を食い殺すリヴァイアサンをこえていた。飼いならすことによって、かえって、守護獣になる可能性をひめているのだ。
 われわれユダヤ人は、そのことを見逃すほどお人好しではなかった。
 ユダヤ人にとって、国家ほど、邪悪で、偉大なものはなかった。二千年にわたって、国家に虐げられてきたからこそ、国家の悪魔性と偉大さの両方を、われわれは、よく知るのである。
 国家をもたず、他国に寄生しているユダヤ人が、なすべきこと、なしうるのは、もてる財力と頭脳をつかって、国家をユダヤ人にとって都合のよいものへ変えること以外になかった。国家の牙を抜き、国家がユダヤ人にとって安全で、居心地のよいものへ改造することによってのみ、ユダヤ人は、生きのびることも、繁栄することもできる。
 国家をもたないユダヤ人が、寄生する国家内で、非ユダヤ人と共存するには、国家を無力化して、一つの利便的機関へ改造しなければならない。その戦略は、ユダヤ人が二千年前、国を失って以来、もちつづけてきた永遠のエートス(=血肉化された精神)であった。
 それが、結実したのが、フランス革命とアメリカ独立戦争、ロシア革命とドイツ革命(ワイマール憲法)、ニューディール政策とGHQによる日本改造だった。
 これらの革命のシナリオを書いたのが、わがユダヤの同胞で、熱烈なユダヤ教の信者だったジャン・ジャック・ルソー、カール・マルクス、ウラジーミル・レーニン、ゲオルグ・イェリネック、非ユダヤ人ながら、ヨーロッパのユダヤ社会を味方につけて独立戦争に勝利したベンジャミン・フランクリンとジョージ・ワシントン、ユダヤ系で隠れ共産主義者だったフランクリン・ルーズベルト大統領、戦後、全共闘・反日勢力などに大きな影響をあたえたヘルベルト・マルクーゼである。

 ユダヤ人がおこなってきた歴史的革命劇
●ジャン・ジャック・ルソー
 ホッブスの『リヴァイアサン』をリライトした『社会契約論』で、自由権・平等権を拡大することによって、国家を転覆できる理論を構築。これが、フランス革命のテーゼとなった。
●カール・マルクス
モーゼの口伝律法「タルムード」を『資本論』『共産党宣言』にリライト、ロシア革命の下敷きをつくった。
●ウラジーミル・レーニン
ジョン・アトキンソン・ホブソンの著作を『帝国主義論』へリライト。暴力革命以外に、戦争による革命=敗戦革命があることをしめした。
●ゲオルグ・イェリネック
 ドイツ革命をとおして、国家主権と、自由・平等:平和主義を同等におくワイマール憲法を制定、ドイツの弱体とヒトラー登場のお膳立てをした。
●フランクリン・ルーズベルト
擬似共産主義のニューディール政策は、レーニンにテキストを提供したホブソンが立
案したものである。戦後、全米に吹き荒れたマッカーシーの"赤狩り"はルーズベルト以下、容共派の残党狩りであった。
GHQは、その容共一派で、日本改造と日本国憲法は、ニューディール政策の輸出版であった。
●ヘルベルト・マルクーゼ
ナチスから逃れてアメリカに亡命、国家を悪の根源とする『エロス的文明』をとおして「否定の哲学」を主唱、これが、マルクス主義に代わるイデオロギーとして、全共闘運動や反日主義、フェミニズム運動のマニュアルになった。

 フランス革命から、現在、日本で吹き荒れている反日主義運動まで、すべて、国家を無力化して、万人を「地球市民」に仕立てるべく、ユダヤ人が、緻密に練り上げた大戦略で、これら、二百年以上におよぶ歴史改造は、祖国を追われて、二千年の漂流をへたユダヤ人でなければなしえなかった偉業といえよう。
 わたくし、ユージン・モーゼが、日新報道の遠藤社長をつうじて、日本の著名な政治評論家である山本峯章先生に、所見を託するのは、日本の政治家、学者、学生、国民の多くが、ユダヤ人の謀略にすこしも気がつかず、われわれがつくった革命理論、反国家主義、反道徳のエロス主義を、あたかも、正義であるかのようにうけとめ、国の方向を見失うのをおそれるからである。
 われらが父、モルデカイ・モーゼは、『あるユダヤ人の懺悔/日本人に誤りたい』の冒頭に、こう記している。
「経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象の跛行性の原像を日本人はまだつかんでいないように思われる。
 この病理のルーツが分からないと、治療法も発見できないのは、至極当然であろう。
 日本をこよなく愛する私としては、この問題を解明して、日本人が真の日本歴史を生き生きと構築できるよう側面から及ばずながらお助けしなければならないという強い義務感、責任感におそわれるのである。
 何故か。それはこれら病巣のルーツがほとんど誤れるユダヤ的思考の所産であるからに他ならないからである。我々は信じ難いほど頭が悪かったのだ。
 もともと、我々が犯した誤ちはごく単純そのものの誤ちだったのだ。
 しかるに、この小さな誤ちの及ぼした影響は想像以上に大きかった。それは、戦前まで日本が世界に冠絶した類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまう結果となったのであった。
 このことを知るに及んで、我々の心は痛むのである。しかも、その日本が戦前もっていた類い稀れな長所というものが我々ユダヤ民族の理想の具現化されたものでもあったことを知り、ますます我々の苦悩は倍加されるのである」

 ユージン・E・モーゼ氏が『あるユダヤ人の懺悔/日本人に誤りたい』の続編として考えている出版物(『反日主義はユダヤの思想』/仮題)には、以下の内容が網羅される予定で、今後、追って、内容を紹介してゆきたい。

■ユダヤ人が日本国憲法に仕掛けた国家自壊の法則
■ユダヤとメーソンリーにあやつられていた倒幕運動
■ユダヤの策略にひっかかった坂本竜馬と維新政府
■文明開化の正体と福沢諭吉・森有礼の「脱亜入欧」
■ユダヤとの共闘が実をむすんだ日露戦争の勝利
■ユダヤ人がつくった東京裁判「平和にたいする罪」
■自虐史観のお手本はレーニンの「帝国主義論」
■日米戦争を仕掛けた「国際ユダヤ」の深謀と短慮
■日本軍がインド洋ではなく南太平洋へむかった理由
■GHQはユダヤ系のメーソンリー・クラブだった
■日本国憲法とフランス革命をつなぐ一本の細い糸
■虚構仮説=マルクス主義を妄信した日本のインテリ
■全共闘の教祖だったマルクーゼの「否定の哲学」
■ユダヤの人間破壊工作にのったフェミニズム
■反日主義はユダヤ・プロパガンダの最高傑作? 
■二つの大嘘! コスモポリタニズムと平和主義
posted by 山本峯章 at 10:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月27日

「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その6)

 ●イデオロギー語に踊らされる戦後の日本人
 今回は、人権や差別、民主主義など、戦後日本を呪縛してきた<イデオロギー語>について、考えてみたい。
 テロや暴力事件がおきるたび、識者は「民主主義の世の中でおきてはならないこと」と口を揃える。
 だが、テロや暴力は、民主主義ではなくとも、ゆるされるべきことではなく、そんなことに、いちいち、民主主義をもちだす必要はない。
 民主主義は、人類がたどりついた至高の思想なので、テロや暴力など、あってはならないというわけだろうが、はたして、そうであろうか。
 民主主義の発明者で、フランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』でつぎのようにいっている。
「随意に祖国をえらべといわれたら、わたしは、君主と人民のあいだに利害対立のない国をえらぶだろう。わたしの理想は、君民共治であるが、そのような政治体制が地上に存在するはずがないので(独裁や専制政治を憎む)わたしは、やむをえず、民主主義をえらぶのである」
 ルソーでさえ、民主主義について、独裁や専制政治よりはマシ、としかいっていない。
 民が主になると、たしかに、王権や独裁権力は制限される。だが、つねに、民が正しいとはかぎらず、それどころか、民には、天下国家という視点がそなわらないので、大抵の場合、衆愚政治に陥る。
 そもそも、民主主義は、無秩序の代名詞のようなものである。むろん、テロや暴力も排除できない。独裁や専制政治のもとでは、予防拘束や国民監視体制を敷けるが、民主政治では、そうはいかないからである。
 ヒトラーは、日本国憲法のモデルといわれる、過剰に民主主義と平和主義をとりいれたワイマール憲法のもとで、民主選挙に圧勝して、登場してきた。民主主義は、テロや暴力、衆愚政治ばかりか、ファシズムの苗床にさえなるのである。
 戦後、日本人が、民主主義を、この世の天国のように思ってきたのは、共産主義者や反国家主義者の宣伝によるもので、反体制の運動家にとって、たしかに、民主主義ほど都合のよい体制はない。
 だが、一般の人々にとって、民主主義は、無秩序にさらされる、危なっかしい体制でもある。
 ちなみに、ルソーが理想とした"君臣共治"は、日本の天皇体制のことである。
 このテーマについては、モルデカイ・モーゼ(戦後、米政府の対日戦後処理にあたったユダヤ系アメリカ人)のことばを借りて、後述するが、ここでは、モーゼ長老のつぎのことばを紹介するにとどめる。
「自由と平等は相容れず、国家の力なくして人権がまもられたためしはなく、非武装の平和はジョークにすぎない。だが、これを民主主義、基本的人権、平和主義というイデオロギー語におきかえると、それが、一つの理想として、実際にあるかのような錯覚に陥る。
 これが、祖国をもたないわれわれユダヤ人が数千年にわたって生きのび、世界支配を実現させたトリックである。自由や平等、人権や平和主義という虚構仮説(ありえない話)をふりまくことによって、ユダヤ人は、ユダヤ人の敵である国家の弱体化と、国家をこえた個人的な諸権利の両方を、手にいれてきたのである」
 前回、「人権擁護法案」で、反日勢力が、差別と人権とタテに、国家の弱体化を画策している実態をのべた。
 反差別や人権も、自由や平等、民主主義と同様、弱者である個人の権利を無制限に拡大して、国家を衰弱させようというユダヤ・テーゼで、このテーゼにからめとられると、体制は、土台からゆさぶられる。
 差別は、広辞苑によると「差をつけて不当にとりあつかう」ことで、区別は「違いによって分けること」である。したがって、問題点は、「不当にとりあつかう」ことにある。
 だが、現在、日本では、行政上も法的にも、在日外国人や同じ日本人を、差をつけて不当にとりあつかう、などということは、おこりえず、おこなわれてもいない。
 意識の問題については、論外である。ひとによって、価値観が異なり、異なる思想や信条をもつ自由がある以上、心のなかにまでふみこむと、思想統制になり、予備拘束と同様、これは、けっして、ゆるされることではない。
 今回の人権擁護法案は、被差別・人権擁護は絶対的に正しいので、心のなかにまで立ち入って、強制してもかまわないという野蛮な考えに立っている。
 だから、わたしは、そういう法をゆるしてはならないと、声を大にするのである。
 同法の推進者は、人権を、神のことばのように、思っている。
 自由や平等、基本的人権などを、国家ではなく、ヤハヴェ(ユダヤ教の唯一神)からあたえられたものとするのが、ユダヤ・テーゼである。
 そして、それをそっくり、いただいたのが、ヤハヴェを知らないはずの戦後日本人だった。
 日本国憲法に、基本的人権や主権が、だれからあたえられ、だれによってまもられるのか、書かれていないのは、そのせいである。
 日本国憲法をつくったのは、ユダヤ人だった。かれらは、そこに、ヤハヴェの名を書きたかったのかもしれないが、そうもいかない。だから、かれらは、主語を削ったのである。
 戦後憲法は、ユダヤ人ケーディスを責任者とするGHQの少数のニューディーラーによって、わずか二週間でつくられた。たたき台となったのが、ワイマール憲法で、つくったのは、ドイツの内相をつとめたフーゴ・ブロイス以下、三人のユダヤ人学者だった。
 ワイマール憲法も、自由や平等、人権や平和が、神のことばとして扱われている。
 同憲法は、自由と平等(非差別)、平和主義が過剰にもりこまれた、ユダヤ人に都合のよいもので、ユダヤ人の権利をまもるため、世界を改造しようとするユダヤ・テーゼの産物でもあった。

 ●ユダヤ・テーゼに惑わされてきた二十世紀 
 日本人が、普遍的価値としてうけとめている、自由や平等、人権や民主主義などの近代主義は、祖国をもたないユダヤが、じぶんたちの都合がよい世界をつくりあげるため、戦略的につくりあげたイデオロギー語だったのである。
 このあたりの事情をおさえておかなければ、日本人は、そっくり、ユダヤ・テーゼにとりこまれてしまうことになる。
 ちなみに、ヒトラーがユダヤ人のジェノサイドを決意したのは、ユダヤ・テーゼの存在を知ったためといわれる。

【ユダヤ・テーゼ10項】
@中世以降、啓蒙思想などをとおして、自由と平等、人権、民主主義を普遍的な価値に高め、個人と国家と対立させてきた
Aユダヤ人であるジャン・ジャック・ルソーは「社会契約論」で、自由と平等が国家をこえることをしめした
Bルソー主義によって、ヨーロッパにおける王室の廃絶とフランス革命が実現した
Cユダヤ人であるマルクスが、ユダヤ教を「共産党宣言」にリライトして、暴力革命の必然性を示唆(ユダヤの金銭観、世界観を反映させたのが「資本論」)した
Dユダヤ人であるレーニンが、戦争こそ、革命をこえる有効な革命とする「帝国主義論」を展開(敗戦革命)した
Eドイツ法学界のユダヤ勢力が、自由と平等を過剰にもりこんだ「ワイマール憲法」をつくり、結果として、ナチス・ヒトラーの台頭をまねく
Fユダヤ人であるルーズベルトが、ニューディール政策で、アメリカの共産化をはかる
Gルーズベルトが、スターリンとつうじ、ドイツ・日本に宣戦布告をおこなって、世界大戦をひきおこす
Hユダヤ集団GHQが、戦後日本をユダヤ(無国籍者)の楽園にすべく、自由と平等を基本的人権におきかえた平和憲法を制定する
I二律背反する自由と平等をもりこんだ民主主義によって、国家理性と道徳が崩壊した


 自由と平等の啓蒙主義から、フランス革命、ロシア革命、第二次世界大戦、GHQによる日本改造まで、世界史の激動に、ユダヤ・テーゼがはたらいていたわけだが、その作品の一つが、日本国憲法だった。
 戦後、マッカーサー元帥以下、ユダヤ人を中心とするGHQのニューディーラーたちは、日本という国家を解体すべく、勇んで、日本にやってきた。
 そして、日本の真のすがたを発見して、腰を抜かすほど、驚く。
 山本七平・イザヤペンダサンの『日本人とユダヤ人』に並ぶ名著として知られているモルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』(日新報道)から引用する。

 われわれ、ユダヤ民族は、西洋人にない高尚な理想をつねに頭に描いてきた。
 だが、ユダヤ民族は、永い永い迫害の悲しい歴史のなかで、これら理想を実現させる余裕などまったくなく、ただ、いかに、生命の安全をまっとうするかということだけに心血を注がねばならなかった。
 第二次大戦終結まで、みずからを解放するため、つねに、たたかいつづけてきたわれわれには、残念ながら、理想は、遠い夢にすぎなかった。
 われわれは、敗戦後の日本へやってきて、はじめて、ユダヤ人が理想としてきたものが、日本に実在していたことを知った。
 そのときの驚きは、いまなお、筆舌につくしがたい。
 われわれの犯した誤りは、戦前まで、日本が世界に冠絶した、類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまったことである。
 そのことを思うと、われわれの心は痛む。その痛みは、日本が戦前まで、もっていた類い稀れな長所が、われわれ、ユダヤ民族が理想としてもとめてきたものだったと知るほどに、深い後悔をともなって、倍加されるのである。
 マッカーサーもわれわれも、天皇を、日本統治のために利用したのでない。
 われわれは、君民共治の理想を、ルソーが空想のなかにもとめたように、現実のなかにみいだしたのである。

 ユダヤ人、アインシュタインも、大正十一年、伊勢神宮を訪問した際、同様のことをのべている。

 近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。
 一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。
 私はこのような尊い国が世界に一ヶ所ぐらいなくてはならないと考えていた。
 世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。
 そのとき、人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主を仰がなければならない。
 この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえたもっとも古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。
 世界の文化はアジアにはじまって、アジアに帰る。
 それには、アジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
 われわれは神に感謝する。
 われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを――
( 祥伝社黄金文庫 「『日本文明』の真価」/清水馨八郎)

 中学生が、平気で、人権ということばを口にして、大人が、そのことばにひれ伏すという異様な出来事が、戦後、半世紀もつづいてきた。
 そろそろ、その呪縛から開放されなければ、ユダヤ・テーゼを戦略化する反日勢力によって、日本は、アインシュタインが感動した真のすがたを完全に失ってしまうことになるだろう。
 次回から、モルデカイ・モーゼの未発表遺稿と故モルデカイ長老の意志を継ぐユージン・L・モーゼ氏の監訳をまじえ、反日主義の正体をさらに暴きだしていきたい。
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2008年06月24日

「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その5)

 ●日本の"非日本化"を画策する反日勢力の謀略
 自民党の人権問題等調査会(太田誠一会長)が、新しい「人権擁護法案(太田私案)」の骨子をまとめ、推進派の急先鋒、古賀誠選対委員長とともに、党内で意見調整をはかった。
 だが、中堅・若手議員から「現在の個別法で対応すべき」「新たな法案は不要」と反対意見が続出、自民党は、今国会への法案提出を断念して、秋の臨時国会まで議論の先送りを余儀なくされた。
 五年前、世論や党内の反対をうけて、廃案になり、三年前、自民党内で議論されたときには、議案の再提出にさえいたらなかった「人権擁護法案」が、亡霊のように再登場してきた裏に、反日勢力が結集した謀略が隠されていることを見逃してはならない。
 政府与党の自民党が、反日勢力にとりこまれて、国体を危うくしているのである。
 謀略とは、日本の"非日本化"で、反日勢力とは、左翼や無国籍主義者、日教組、労働団体のほか、朝鮮総連や在日韓国人・朝鮮人、および、被差別を自称する人々である。
 太田誠一がもちだしてきた今回の新しい「人権擁護法案」は、一連の反日法案の強化策として、反日勢力が仕掛けてきた謀略戦といってよい。
【反日主義者による一連の謀略法案】
■皇室典範改悪→国体破壊(万世一系/天皇体制の否定)
■道州制導入→国家システムの解体(国家主権の分断)
■外国人選挙権→政体工作(国民国家の形骸化)
■人権擁護法案→国家機能の無力化(差別撤廃を口実にした言論弾圧)

「人権擁護法案」は、国家や国体、政体を攻撃目標にしている反日勢力が、一般国民・保守陣営の言論に "差別"という烙印をおして、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなおうという言論弾圧である。
 このとき、警察権と同様の捜査権をもつのが「国家権力と対置する意見・感覚が必要」(法務省)とされる人権擁護委員会で、かれらの多くは、反日主義者といわれる。
 全国に二万人ほどの人権委員は、ほぼ、半数が無職で、何らかの政治活動に従事している。反日的な団体が、メンバーの専任をおこない、差別の対象になる可能性のあるひとを優先しているので、委員は、左翼のプロ市民や組合・労働運動家のほか、部落解放同盟の関係者が少なくなく、しかも、資格要因から国籍条項が外されているため、朝鮮総連や在日韓国・朝鮮人が、多数、ふくまれている。
 人権擁護法案は、かれらに、言論弾圧の強権をあたえようという法律である。
 人権擁護法が成立すると、人権委員が、皇室典範改悪や道州制導入、外国人選挙権付与に反対する国民や保守論陣の言論を「差別的」と判断しただけで、同委員会が、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなえるようになる。
 たとえば、わたしが、自著などに「女性天皇には神武天皇以来の男性Y遺伝子がない」と書き、それが、人権委員会から「女性差別」と認定されると、わたしは<差別主義者>として氏名を公表され、自著は回収後、廃棄処分、出版業界から追放となる仕組みで、そんな法ができたら、マスコミ・出版業界には、左翼と反体制主義者、朝日系の進歩的文化人しか残らなくなってしまうだろう。
 ナチスのゲシュタボ、文化大革命の紅衛兵、戦時中の憲兵のような連中が、権力をもった行政委員として、日々、国民を監視し、私生活にまで介入して、人権侵害の申し立てがあれば、法務局に代わって、被疑者に出頭を命じ、取り調べ、個人の"社会的抹殺"という特権までもつ。
 しかも、何が差別で、何が人権侵害にあたるかは、すべて、人権委員会の判断にゆだねられるため、被疑者には、抗弁がゆるされない。
 いわば、公認された私刑(リンチ)で、治安維持法でも、裁判所の令状が必要だったことを考えると、この人権擁護法は、中世の魔女狩りの再来としかいいようがない。
 このとき、容疑をかけられた日本人を取調べ、吊るしあげるのが、外国籍の金日成崇拝者や日本人に恨み骨髄の被差別部落出身者となる可能性も、十分、ありうる。すると、善意の日本人は、じぶんの国にいながら、外国人から弾圧をうけ、あるいは、被差別の怨恨のうさ晴らしにされることになる。
 当然、密告が横行するだろう。ある日、とつぜん、「差別的発言をした」として、出頭を命じられるかもしれず、そんな風潮になったら、日本人は、びくびくしながら生きなければならなくなり、和という日本の美風は消え、人心の荒廃は、目もあてられないものとなるだろう。
 いままで、問題化していなかった在日韓国・朝鮮人、および、被差別部落にたいする差別意識が増幅して、憎悪になれば、大きな社会問題となる可能性もある。さわらぬ神にタタリなし、ということになれば、かえって、寒々しい差別も生じるだろう。
 この法案がとおれば、暗黒のファシズム社会と新たな差別社会が、一挙に、到来することになるが、なぜ、このような暗黒法が、自民党からでてきたのか。
 創価学会・池田大作に意向がはたらいているのである。
 自民党で、この「人権擁護法案」に賛成しているのは、太田誠一をはじめ、創価学会から票をもらって、当選してきた議員ばかりである。
 人権擁護法案を裏で操っているのが、その創価学会を自民党へとりこんだ野中広務である。
 野中から自民党幹事長にしてもらった古賀誠、その下の太田誠一が、人権擁護法案の推進しているのは、わが身かわいさのあまりで、「強姦されるほうも悪い」「レイプは元気である証拠」という暴言を吐いて落選した太田誠一は、部落開放同盟に、人権擁護法案の国会提出を約束しているという。
 ちなみに、部落開放同盟は、天皇体制が、差別や人権侵害の根源と公言してはばからない反体制の集団で、野中や古賀、太田は、かれらの同調者である。

 ●国家・国体より差別の怨恨を優先させる野中広務
 野中は、大阪大鉄局業務部審査課の主査時代に、同郷の後輩から、被差別部落出身であることを上司にバラされて「一週間、泣きに泣いた」末に、国鉄を辞めたという。
 その執念が「人権擁護法案」というわけで、反差別主義の野中に、国家も国体もない。
 園部町長時代は、共産党の蜷川京都府知事べったりだったが、田中角栄に目をかけられて府議会議員に当選すると、一転して、自民党と敵対していた蜷川を攻撃して、田中派の国会議員として赤絨緞をふむ。
 国会議員になってから、大恩人の角栄を裏切って経世会にくわわり、竹下登が小沢一郎に寝首をかかれ、自民党が野に下ると、野中は、政敵だった社会党の村山富一を首班とする三党連立という奇策をつかって政権を取り返す。
 村山内閣で、公安委員長となった野中は、細川連立政の一翼を担った公明党を攻撃、宗教法人法の改正や池田大作の国会喚問をちらつかせ、池田を攻略して、小沢から公明党を奪いとった。
 ここから、大物議員でも、池田大作ににらまれると落選する自・公の腐れ縁がはじまった。
 国家よりも反差別、天皇より人権の野中が、創価学会を国教にするのが夢という池田大作と組み、反日勢力を結集して、法制化しようというのが「人権擁護法案」で、これがとおるようなことになれば、日本の"非日本化"が、一気にすすむことになる。
 現在、年間2万4000件ほどおきている人権侵害事件は、すべて、現行法で処理できており、差別問題も、過剰と思えるほどの法整備と国民的自制で、大きな問題は生じていない。
 にもかかわず、二重に、人権擁護法案のような法律をつくろうというのは、人権や差別の新法が、国家機能を無力化という、べつの政治目的をもっているからである。
 人権擁護と反差別は、基本的人権にかかわる。この基本的人権は、国家をこえた普遍的な価値というのが、日本国憲法の根幹で、国権といえども、これをこえられない。
 反日主義者は、人権と差別をタテに、国家をこえる権力をわがものにすべく、人権擁護法案の立法化に、血眼になっているのである。
 日本は、法治国家であるが、法は、元来、国家をこえることができない。
 国家主権は、法を超越した権利で、だからこそ、国家は、国家理性によって運営されるのである。
 だが、人権擁護法安が成立すると、国民の人権をまもる主体が、国家から市民グループへ移って、国民の人権をまもるという国家主権が、停止する。
 反日主義者の狙いが、マスコミ支配を視野にいれた言論弾圧であることはいうをまたないが、裏に隠されている意図は――基本的人権をタテに、国家をこえる権力をもって、日本を改造することにある。
 そして、四つの反日法案で、国体・国家システム・政体・国家機能を、反日主義者集団に売り渡そうというのが、創価学会にとりこまれた自民党のすがたなのである。
自民党が反日勢力と手を組む――政治の堕落は、ここに極まったというべきだろう。
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2008年06月19日

「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その4)

 ●「東京裁判史観」と「自虐史観」は歴史の断絶
 東京裁判史観と自虐史観は、一対になっている。
 前者が「日本は、侵略戦争をおこなったので、戦犯処刑や都市空襲、原爆投下は当然の報い」というプロパガンダで、後者は、細川護煕・村山富一の戦争責任談話、宮沢喜一の「近隣諸国条項」に象徴される「日本は、アジアに侵略戦争をしかけたので、その咎を負わねばならない」という歴史上の事実誤認である。
 戦勝国から完膚なきまでに叩きのめされた敗戦国が、正気を失い、戦後、半世紀以上もへて、なお、アメリカやアジアに平伏しているのが、現在の日本のすがたなのである。
 なぜ、そのような意気地なしになってしまったのか。
 理由は、三つ、考えられる。
 一つは、戦死や要人追放、財閥解体などで、気骨のある日本人がすくなくなっていたたこと。
 二つ目は、敗戦革命によって、歴史の連続性が断ち切られたこと。
 三つ目は、戦時中、国家総動員法や統制経済をおこなった革新官僚が、戦後、左翼的なGHQの官僚になり、そのまま、霞ヶ関に居座ったことである。
 だが、それだけの理由で、日本人が、これほどだらしなくなるものであろうか。
 むろん、別に、理由があった。
 東京裁判に、国家分断のワナが、仕掛けられていたのである。
「悪いのは、侵略戦争を指導した軍の一部で、一般国民は被害者だった」というテーゼが、それである。
 くわえて、天皇が、戦争責任を免れた。予想していたより温和だったGHQ政策とアメリカ民主主義にふれて、いつのまにか、日本人は、「じぶんたちは軍部にダマされていた――われわれは、軍国主義の被害者だった」という、思考パターンに陥った。
 GHQが仕掛けてきた思想戦に、一発で、KO負けを喫してしまったのである。
 戦後、日本人が、物質的満足にしか関心をむけないエコノミック・アニマルになってしまったのは、軍事力・占領・思想戦(戦争における勝利の三原則)に、徹底的に敗北したからで、その思想戦の仕上げが、「国の指導者からダマされていた国民に罪はない」という免罪符だった。
 その結果、何がおきたかといえば、「歴史の断絶」と「過去の否定」だった。
 ダマされていた、ということは、悪いのは過去の体制ということになる。
 東京裁判が閉廷した日、朝日新聞は「お役目ご苦労様」と書いた。日本の戦争指導者を処刑したGHQをねぎらったのである。歴史の連続性が断たれていなければ、できない芸当である。
 東京裁判史観の弊害は、日本が、侵略戦争をおこなったという罪意識ではなく、一般の日本人が、指導者にダマされていたとする被害者意識である。
 それに気づかせてくれたのがGHQなので、戦後日本人にとって、GHQは、恩人ということになる。
 GHQを解放軍と見立てた日本共産党は、GHQの建物の前で万歳三唱をしたが、多くの日本人も、そのトリックにひっかかって、過去を見限って、アメリカ民主主義にとびついた。
 それでは、GHQがもちこんできたアメリカ民主主義とは、何だったのか。
 かぎりなく、共産主義に近い人民民主主義だった。
 GHQは、ニューディーラーの集団だった。
「赤狩り」のマッカーシズム旋風で、ニューディールの推進者だったルーズベルト(当時はすでに死亡)一派が一網打尽にされたことからもわかるように、ニューディーラーは、大半が、共産主義思想の持ち主だった。
 だからこそ、GHQの対日敗戦処理が左翼的で、かれらがおしつけてきた憲法が、あれほど左翼的だったのである。
 サンフランシスコ講和条約が成って、GHQは去った。だが、左翼的な体制は残った。
 この体制をまもろうするのが、護憲派で、その代表が日本共産党である。
 GHQを解放軍として迎えた日本共産党が、GHQがつくった憲法をまもろうとするのは、筋がとおっている。ニューディーラーが、かぎりなく、共産主義に近かったからだが、そのニューディーラーは、アメリカで退治された。
 マッカーシズムによって、アメリカは、正気にもどった。
 だから、日本共産党は、かつて、解放軍と見立てたアメリカを、こんどは「米帝」と罵るのである。
 サンフランシスコ講和条約のとき、日本でも、マッカーシズム旋風が吹き荒れていれば、真っ先に憲法が改正されて、東京裁判史観・自虐史観などでてくる余地はなかっただろう。
 だが、軍隊や国家主義に嫌悪感をもっていた吉田茂に、戦後体制と憲法をかえる気はなかった。安全保障はアメリカにまかせて、日本は、経済発展だけに専念しようというのである。
「東京裁判史観」と「自虐史観」は戦後の日本人がつくった――というのは、この国家否定の思想は、吉田ドクトリンのもとで、GHQが敷いた左翼化路線をまっしぐらにすすんできた必然的な結果だからである。
 労働・組合運動による資本主義精神の破壊と日教組による教育破壊、左翼マスコミによる世論操作――この三つで、国家の背骨は、ガタガタになる。
 その路線を敷いたのが、日本の大改造をはかったGHQだったのはいうまでもない。
 だが、これらの歴史や文化の破壊は、GHQのもとで、すすめられたわけではない。
 GHQ改革は、短期間で収束して、言論弾圧や神道指令も、早々に、解除された。
 そして、昭和27年のサンフランシスコ講和条約のあと、アメリカへ帰っていった。 
 昭和三十年の前半までは、戦前の日本が残っていた。どこの家も国旗をもち、祝日には、玄関に日の丸が掲げた。アメリカを悪玉にした戦争マンガ(ゼロ戦はやとなど)が人気を博し、皇国史観を題材にした映画(日本誕生/1959年)もヒットした。
 当時、東京裁判史観や自虐史観は、影も形もなかった。
 昭和40年代後半になって、国歌や国旗を排撃する風潮、皇国史観を否定する流れが生じたのは、戦前の日本人が第一線から去り、いれかわって、戦後のGHQ世代が社会のリーダーとなったからである。
 すでに、日教組や組合・労働団体、社会党・共産党、左翼マスコミなどが大きな力をもっていた。
 かれらと、戦後世代が、冷戦下、平和主義と経済発展の二大車輪をおして日本の戦後をつくった。
 戦後のGHQ世代は、戦前からの歴史の連続線を継承していない。
 歴史をもたない戦後世代が、ためらうことなく、GHQが敷いた左翼化路線にのったのが、小泉純一郎に代表される改革主義で、小泉は、首相在任中、万世一系を否定する皇室典範の改悪をはかった。
 GHQが蒔いたタネが、長い潜伏期をへて、発芽したのである。
 わたしは、戦後日本の思想的混迷の原因が、GHQの置きみやげにあるという認識をもっている。
 国体にたいする危機感も、そこから、でてくる。
 歴史の連続性が断たれているので、皇室典範の改悪や道州制の導入、外国人参政権の付与という、国家・国体の根幹をゆるがす法案が、何の抵抗もなく、保守党から発議されるのである。
 かれらと議論して、痛感するのが、国体感覚の欠如である。
 道州制をすすめている政府委員会の代表に「天皇体制をどう担保するのか」とたずねたが、かれから明快な答えは返ってこなかった。
 アメリカ民主主義の枠内で考えているので、国体にまで、考えがおよばないのである。
 アメリカ民主主義は、一方が社会主義の顔で、一方の顔は、経済功利主義(新自由主義)である。
 いったい、どのくらいのひとが、日本の改革が、GHQ改革の焼き直しということに気づいているであろうか。
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2008年06月16日

「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その3)

 ●日本国憲法は、なぜ、"無国籍"なのか
 かつて、反日主義といえば、日本共産党や旧社会党の党員、あるいは、労働運動家などのマルクス主義者と相場がきまっていた。
 日本共産党は、1955年の六全協まで、旧ソ連共産党国際部(コミンテルン)からの指令で、暴力革命と天皇制(日本共産党の用語)の打倒をめざしていた。その日本共産党を頂点とする左翼が、日本の国体や歴史、文化や道徳を目の敵にするのは、わからないではない。
 ところが、ベルリン崩壊(1989年)以降、保守系政党や非共産主義陣営に、自虐史観派や媚中派など、反日的言動をとる政治家が、めだってふえてきた。
 自民党では、野中広務や河野洋平、加藤紘一、古賀誠、山崎拓らがその筆頭だが、民主党にいたっては、菅原直人や岡田克也ら、党員の大半が、反日主義者といってよいほどである。
 共産主義という天敵が消えたため、ホンネがでてきたのだとしたら、かれらは、もともと、保守政治家ではなかったことになる。
 かといって、共産主義者ではない。
 それでは、かれらが拠って立つ基盤は、どこにあるのか。
 その謎をとくカギは、加藤紘一が、しばしば、口にする"世界市民"ということばである。
 世界市民は、共産主義インターナショナルにつうじるキーワードで、国家を超えた連帯を意味する。
 世界の労働者が団結して、資本主義を倒そうというのである。
 その根底に、無国籍性(コスモポリタニズム)があるのは、いうまでもない。
 共産主義と反日主義は、ともに、国家の否定という共通項をもっていたのである。
 そのコスモポリタニスト(反日主義者)が、支持をよせるのが極東軍事裁判と日本国憲法である。
 そこで、日本国憲法をひらいてみると、無国籍条項(=国家の不在)のオンパレードである。
「主権が国民に存することを宣言」(前文)「天皇は日本国民統合の象徴――この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」(第一条)「国権の発動たる戦争と国の交戦権、陸海空軍の永久放棄」(第九条)
 と、まず、国家主権が否定され、その次に――。
「何ものも侵すことのできない永久=権利基本的人権」(第十一条)「思想及び良心の自由」(第十九条)「信教の自由」(第二十条)「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(第二十一条)「居住、移転及び職業選択の自由」(第二十二条)「学問の自由」(第二十三条)「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」(第二十八条)「財産権の保護」(第二十九条)「生命や自由を奪われない自由」(第三十一条)
 と、国民に、国家を抜きに、あらゆる権利を保証して――。
「憲法改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成と国民投票における過半数の支持を必要とする」(第九十六条)「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(第九十八条)
 と、最後に、この憲法が不磨の大典で、天皇や国会の上位あると宣言している。
 そして「日本国民たる要件は法律で定める」(第十条)と、日本人であることが、国家や国体を離れて、条文にすぎない法にゆだねられる。
 日本の国体や歴史、文化、道徳など、歴史の連続性をしめす文言は、一行もない。
 一方で、無国籍者でも、法にしたがってさえいれば、世界市民として、人間としてのあらゆる権利を享受できる――というのが日本国憲法で、これでは、日本人に、コスモポリタンになるようにすすめているようなものである。
 日本国憲法をつくったのは、GHQだが、かれらの正体がニューディーラーと呼ばれる左翼だったことは、あまり、知られていない。
 ニューディール(新規まき直し)というのは、F・ルーズベルト大統領がとった共産主義政策のことで、戦後、このニューディール政策にかかわったルーズベルトのスタッフは、GHQの幹部をふくめて、マッカーシーの「非米活動調査委員会」(赤狩り)の告発によって失脚、多くが、海外へ逃亡している。
 終戦前に急死したルーズベルトは別として、非米活動調査委員会がルーズベルトの政策をすすめたスタッフを糾弾したのは、ニューディーラーが、共産主義者だったからである。
 それで、ニューディーラーだったGHQが、日本に国家主権を否定した無国籍憲法をおしつけた理由がわかろうというものである。
 反資本主義的な「農業調整法」「産業復興法」などを次々に成立させたほか、最低賃金の規定や労働者の団体交渉権をみとめるなど、ルーズベルトは、連邦最高裁から憲法違反の判決を下されるまで、共産主義的政策をおしすすめた。
 共産主義者のルーズベルトが、四回も大統領選に勝利できたのは、32人の歴代大統領が残した累積赤字をこえる200万ドルの財政赤字をつくって、票田である労働者階級に大盤振る舞いしたからだけではない。
 金融・産業・マスコミを牛耳る在米ユダヤ人社会から、熱烈な支持をうけたのである。
 なぜ、ユダヤ人が、ルーズベルトを支持したのか。
 ルーズベルトが、1649年、オランダから、当時、ニューアムステルダムと呼ばれていたニューヨークへ移住したローゼンフェルト家を先祖とするユダヤ人だったからである。
 ルーズベルトがユダヤ人だったことと、ニューディール政策と対独参戦、GHQによる対日戦後処理は、一本の線でつながっている。
 対独参戦が、ユダヤ人のジェノサイド計画をすすめていたヒトラーを倒すためだったのは、いうまでもない。だが、ニューディール政策とGHQによる対日戦後処理が、ルーズベルトがユダヤ人だったことと、どうつながるのか、近現代史からは、何も見えてこない。
 ルーズベルト大統領のブレーンで、日本の戦後処理立案に参画したユダヤ人、モルデカイ・モーゼによると、共産主義は、祖国をもたないユダヤ人解放のため、ユダヤ教の「メシア思想」をベースに、マルクスがつくりあげたデッチ上げだったという。
 ユダヤ教の歴史観は、エデンの園で犯した原罪のため堕落した人間は、最後の審判で、善人と悪人が分かたれて、善人だけが神の国へ行く。
 ユダヤ人のマルクスは、原始共産制をエデンの園に見立てて、資本主義という堕落した社会は、やがて、階級闘争と革命という最後の審判によって断ち切られて、プロレタリアだけが、この世の勝者となるというストーリーをつくった。
 共産主義の話は、別の機会にゆずって、今回は、ニューディーラーがつくった日本国憲法である。
 GHQで、日本国憲法の作成を指揮したのは、ルーズベルト政府の下で労働問題を担当していたケーディスである。
 ユダヤ人の共産主義者で、日本の憲法に、自由と平等をもちこむと、国が滅びるということは、百も承知だった。主権在民と国家主権の否定というダメもおしてあるので、日本国は、早晩、三流国に転落するはずだった。
 ユダヤの理想は、国権なき国家で、それなら、ユダヤ人も安心して暮らせる。
 ユダヤ人は、国家の代わりに、ユダヤ教と「タルムード」という伝統的な民族の宝典をもっており、才能も金儲けの技術にも長けている。あとは、市民としての権利、安全さえ手にはいれば、ほかは、何も必要がなかった。 
 そこで、日本国憲法をよく見ると、無国籍のユダヤ人にとって、都合のよいことばかり書かれていることに気がつく。
 義務は、納税くらいなもので、あとは、権利や自由と平等ばかりである。
 しかも、それらは、国家ではなく、法の下で、保証される。
 モルデカイ・モーゼは、自由と平等が、国家を解体させる"毒"だという。
 自由と平等は、相容れないので、民主主義という虚構を立てなければならない。
 ところが、民主主義もデモクラシーは、専制政体にかわる民主政体、あるいは、選挙や多数決のことにすぎず、個人に民主の特典があたえられるわけではない。
 憲法に、民主主義の文字がないのも、実体がないからである。
 したがって、民主主義を個人の権利と心得違いをすると、摩擦が生じて、国力が弱まる。
 日本の平和憲法には、ヒナ型がある。史上、もっとも民主的だったといわれるワイマール憲法である。
 つくったのは、ユダヤ人で内相も務めたフーゴ・プロイス以下3名のユダヤ人である。
 このワイマール憲法も、自由と平等がふんだんにもりこまれて、ユダヤ人にとって、居心地がよいものであった。
 ところが、ナチスのゲッベルス宣伝相は、ユダヤ勢力から仕掛けられた「人間獣化計画」だとして、このワイマール憲法を、事実上、廃棄する。
 ゲッベルスが「人間獣化計画」に挙げたのが、次の19項目である。
 愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定――
 日本の左翼は、ヘーワ憲法を世界に輸出しようという。
 だが、ドイツ人は、ヘーワ憲法のオリジナル版だったワイマール憲法のいかがわしさを見抜き、これに猛反発して、その結果、ナチス・ヒトラーの台頭をまねいた。
 日本とドイツのこの大きなちがいについて、モルデカイ・モーゼは「日本人は、あまりにも、ユダヤ人を知らなすぎた」とのべている。
 次回も、ひきつづいて、同じテーマで、のべることにしよう。
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2008年06月06日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(25)

 ●<国家三原則>に反する外国人参政権 
 国家には、ゆるがせにできないものが、三つある。
「主権」「国是」「国体」の<国家三原則>である。
 国家主権は、交戦権に代表される独立国家の象徴で、国是は、自国の利益をすべてに最優先する国家理性である。国体は、歴史や伝統、文化や民族性などに根ざしている国のかたちで、日本では、天皇体制がこれにあたる。
 この三つに、憲法をくわえて、国家の四本柱となる。
 ところが、わが国は、占領憲法を改正していないため「主権」「国是」「国体」が憲法の下におかれ、日本共産党ら野党が、この占領憲法をタテに<国家三原則>を攻撃するという危機的な事態にさらされている。
 戦後、GHQによって、国家を解体された日本は、六〇余年たったいまなお、国家主権の不在やスパイ法・国家反逆罪の未制定など、独立国家としてのかたちを整えられず、半人前国家の欠陥をひきずったままである。
 皇室典範への立法・司法の介入や道州制導入なども、一過性の政権が、絶対無比の国体に変更をくわえようという暴挙で、現在の政治体制が、今後もつづけば、日本は、独立国家としての体裁を失ってしまいかねない。
 現在、さらに、懸念されるのが「外国人参政権」問題である。
 独立国家なら「外国人参政権」問題は@主権防衛A国益優先B国体護持の観点から、ただちに、はねつけてしかるべきものである。
 アメリカでは、グリーンカード(労働許可証兼永住許可証)を取得すれば、徴兵登録をもとめられる。だが、グリーンカードをとっても、徴兵登録しても、選挙権は、あたえられない。 
 国籍と選挙権は、いかなる国家でも、国家独立の根幹にふれる大問題なのである。
 ところが、日本では、民主党元代表の岡田克也が「わたしが外国で、2、3世として生まれ育ち、選挙権をえたければ国籍を捨てろといわれたらゆるせない」と感情論むきだしのユルフンぶりである。
 外国人の参政権は、国籍取得がセットになっていなければ、国籍の二重行使になる。 
 北米諸国やEU諸国、スイス、オーストラリアなどが外国人に地方参政権を付与しているのも、欧州連合や英連邦など、同盟国だけで、無条件で外国人に参政権をあたえているわけではない。
 くわえて、同盟国内の在留外国人は、住んでいる国に"政治的運命共同体"意識をもっており、メンタリティにおいて、ほとんど、自国民とかわらないという事情がある。
 一方、日本国籍の取得を拒み、外国籍のまま参政権(永住外国人地方選挙権)をもとめている特別永住外国人(主に在日韓国人)は、日本国内に反日的な民族団体(大韓民国民団/朝鮮総連)をもち、しかも、かれらの母国、韓国・北朝鮮では、戦後六十年以上たったいまも、反日教育がおこなわれている。
 金正日に忠誠を誓わせ、本国への送金団体としてのみ機能している朝鮮総連が、参政権を拒否しているのは、日本の政治システム組みこまれると、民族的アイデンティティーを失いかねないからという。そんな敵意むきだしの国に、どうして、日本国民の証である参政権をあたえなければならないのか。
 外国人参政権法案が成立すると、当然、北朝鮮系在日にも、参政権があたえられる。
 そのとき、かれらが、戦術を変更して、地方の市町村へ大挙して押し寄せ、住宅街を建設するなどして、人口の半分を占めると、どうなるか。
 在日朝鮮人には、北朝鮮最高人民会議の現役代議員(国会議員)が、六名もいるという。
 日本の市や町の首長に、北朝鮮の最高人民会議の国会議員が就任することになりかねない。
 地方参政権とはいえ、軍事関係基地や原子力発電所、交通機関のほか、教育、環境、周辺事態法、治安問題など、地方自治は、国家政策と密接にかかわっている。
「日本は朝鮮を侵略したのだから、参政権くらいあげるべき」(野中広務)「参政権がほしいなら国籍を取れというのは、人権にかかわる」(岡田克也)などと、ノーテンキなことをいっている場合であろうか。

 ●選挙で、反日・創価学会に呑みこまれた自民党
 みずからの意思で、日本に永住する外国人として生きることを選択したかれらに、選挙権が付与されないことは、日本国民と外国人の区別であって、差別でも、人権侵害でもない。
 ところが、参政権をもとめる在日本大韓民国民団の主張には、日本への内政干渉や批判がにじむ。
 @外国人参政権の拒否は、日本国憲法、地方自治法、国際人権規約や人種差別撤廃条約などに違反している
 A日本国民と同じく法律上納税の義務を負っているので、参政権は、当然の権利である
 B基本的人権と「住民」の権利が保障され、地方公務員採用などにおける不要な国籍条項の撤廃につながる
 B少数民族の自尊、国際人権規約B規約第27条に明記されている少数民族の権利、民族教育の制度的保障などが実現される
 C戦後処理の一環。在日韓国籍住民の歴史的経緯を正しく認識することで、日本の民主主義の成熟が促される
 D21世紀にむけた日本の真の国際化と社会良化。相互理解と共生社会が実現される
 公権力にたずさわる公務員(警察官など)に外国人を採用できないのは、当然であろう。
「基本的人権の尊重」と「参政権」は、直接、むすびつくものではなく、戦後処理は「日韓基本条約の調印」で、解決済みになっている。
 強制連行によって来日した韓国人の多くは、すでに、帰国しており、現住している韓国人は、任意の永住者であり、戦争被害者ではない。
 納税義務をはたしているというが、社会党と国税庁、在日朝鮮人商工連合会(朝鮮商工連)のあいだで取り交わされた合意によって、在日韓国・朝鮮人は、事実上、免税処置をうけている。
 免税ばかりではない。生活保護をうけている在日韓国・朝鮮人の人口比率(22.7%)は、日本人(0.9%)の25倍(厚生統計要覧13年度)にたっしている。
 在日韓国人、朝鮮人の5人に一人がうけている生活保護は、日本国憲法25条(すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)にもとづいて、権利の享受を日本国民に限定している。
 かれらは、差別されているどころか、甘やかされ、特別扱いされているのである。
 帰化申請を拒んでいるのは、免税や生活保護などの既得権を失うからで、そのうえ、さらに、参政権をくれないのは、民主主義が未成熟だから、真の国際化に対応できていない、といいつのっているのである。
 尊大で、カサのかかってくる在日韓国、朝鮮人をささえているのが、与・野党の反日勢力や学会・論壇である。司法にも、永住外国人の参政権をみとめるべきという意見が根強く、外国人参政権を合憲とする判例もでている。
 @法律上「国民」とあるのは「日本国籍保持者」ではなく、広く政治社会の構成員
 A国民主権の原理・民主主義の理念は、政治的決定にしたがう人民の自己統治
 B人権問題を考える際、重要なのは、その人の国籍ではなく、生活実態
 というのだが、国政選挙については、最高裁判所が、これと反対の立場をとっている。
 国政をおこなう公務員をえらぶ選挙権は、国民主権の原理から、国民にのみにみとめられるという見解である。根拠は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする日本国憲法第一五条@である。
 地方選挙についても、憲法第九三条Aの「住民」の前提が、日本国籍なら、外国人の参政権は、違憲になる。 
 司法では、憲法第93条Aの「住民」に、その地方に住んでいる外国人をふくむか否かで判例が分かれているが、最高裁判所が在留外国人選挙名簿訴訟の判決で、憲法第93条Aの「住民」を「日本国籍をもつ住民」と解釈して、憲法論議は、一応、決着がついている。 
 政界で、外国人参政権の決着がつかないのは、創価学会(公明党)と反日勢力が法制化をスケジュール化しているからである。
 岡田克也ら、反日主義者の目的は、日本国家の弱体化であろうが、自民党の同法支持者の多くは、選挙区で、創価学会の票をもらっている連中の打算である。
 公明党は<国家三原則>など眼中になく、公明党のリモコン下にある自民党にも、政権をとったら、まっさきに、岡田が入閣する民主党政権にも、国家再建は、期待できない。
 かつて「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」の会長として動いた平沼赳夫氏の保守新党旗揚げが、待たれるばかりである。
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2008年06月02日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(24)

 ●日本が日本でなくなる「道州制」導入の恐怖
政府の「道州制ビジョン懇談会(座長=江口克彦PHP研究所社長)」や自民党の「道州制推進本部(本部長=谷川禎一政調会長)」、「道州制導入に向けた第二次提案(日本経団連)」、有識者でつくる「日本再建のため行革を推進する700人委員会/道州制導入研究会(座長=石原信雄元官房副長官)」などが中間報告をまとめ、それぞれ、内容を公開した。
 各メディアの反応は、こぞって、好意的で、読売新聞などは「道州制知らんぷり官邸」と道州制導入に不熱心な福田康夫首相を暗に批判する熱っぽさである。
 小泉内閣・安倍内閣、与野党の改革派を中心にすすめられてきた道州制は、基礎自治体の線引きや分権内容など、細部にわたる議論が先行しているが、何のために道州制を導入するのか、という肝心なことについて、何一つ、明らかになっていない。
「東京一極集中と格差の拡大、地域住民のニーズに即した行政ができない」(道州制ビジョン懇談会)という理由から、「日本の統治構造を全面的に変える」(道州制導入研究会)という飛躍した結論がみちびきだされて、明治四年の「廃藩置県」以来となる行政機構の大改革がおこなわれようとしているわけだが、それがまるで、条例変更ほどの軽さで論じられているのである。
 主権をもった道州制の導入は、国家の大改造である。
 当然、憲法も変えなければならないが、国家主権が分裂して、国民統合の象徴としての天皇の地位がゆらぐと、国体にも影響がおよび、革命にひとしい衝撃的な変化となる。
 国体の解体と国家分裂の危機を隠蔽したまま、ある勢力が、改革の一環として、道州制の導入をはかっているのなら、これほど、物騒な話はない。
 政治家が、この罠に気がつかないほど、国体防衛や国家主権に鈍感なのであれば、これも、不気味である。
 道州制ビジョン懇談会の江口は、著書『地域主権型道州制』(PHP新書)に、こう書いている。
「私の『地域主権型道州制』について批判する人もいるだろう。それはそれでいい。しかし、反対のための反対、重箱の隅をつつくような反対は止めてほしい。揚げ足取りの批判はごめんこうむりたい。反対、批判するのならば、なにより、そのあなたに私は問いたい。ならば、あなたは崩れつつある、いまの日本を救うために、どのような全体構想をもっているのか、と。それもないなら、あなたと軽々に議論するつもりはない」
 道州制の導入に反対なら対案を提起しろと、行政機構の改革を前提にして、居丈高なのである。そして、こうつづける。
「中央集権体制によって、国民の生活が画一化され、強制され、個性を奪われ、自由を阻害されている。実際のところ、このごろの犯罪、とくに若い人たちの犯罪などをみると、中央集権体制の抑圧が個人にストレスをあたえ、取り返しのつかない事件を発生させている例が多い」
 国家の衰弱が、国民活力の低下やモラルの崩壊をうむというのが一般常識で、中央集権が諸悪の根源などという理屈は、これまで、聞いたことがない。
 道州制の発案者は、松下電器産業の創業者で、PHP研究所をつくった松下幸之助とその松下が師事した下村宏(内閣情報局総裁・朝日新聞副社長/ポツダム宣言の受諾や玉音放送の中心的人物)である。
 江口の「地域主権型道州制」は、松下幸之助の「廃県置州」をひきついだものと思われるが、オリジナルは、行政上のコスト削減と県による差別意識の撤廃をはかった下村宏の「道州論」である。
 さらに、さかのぼると、福沢諭吉の「廃県論」がある。福沢諭吉、下村宏、松下幸之助らに共通するのは、徹底した経済効率主義と福沢の「脱亜入欧論」や著書「西洋事情」「文明論之概略」に象徴される国際主義である。
 いまでいう、新自由主義とグローバリゼーションで、これが、現在の道州制に、ひきつがれた。
 というのは、道州制は、すべての価値をカネに換算する新自由主義と、左翼色の濃いアメリカ新保守主義(ネオコン)の産物で、小泉内閣からはじまった構造改革のしめくくりが、この道州制導入だったからである。
 アメリカは、けっして、保守主義の国家ではない。歴史の浅い国なので、回帰すべき歴史がないからである。保守思想といっても、キリスト教と反共主義のほかには、建国の理想としての自由原理主義(ハト派)と民主原理主義(タカ派)があるだけで、日本やイギリスのような歴史や知恵(コモンセンス)、伝統的な価値観や思考形態がない。
 ちなみに、アメリカが、民主主義の名のもとでおこなった戦争がイラク戦争で、自由主義の名のもとでおこなった金融・経済侵略が、グローバリゼーションだった。
 プラザ合意からバブル崩壊、第二の敗戦といわれる日米構造協議以降の金融・経済面での屈服から年次改革要望書にいたるまで、日本は、アメリカがおしつける構造改革とグローバリゼーションに痛めつけられてきた。
 その仕上げが、東京のワシントンDC化と日本の連邦化をはかる道州制の導入である。
 なぜ、道州制が必要なのか、という肝心な話をスッとばして、道州制への完全移行を前提に、改革派系の懇談会などが、州の数や線引き、権限の分担をきめたのは、国民から異論がでる前に、道州制導入を既成事実化してしまおうという狙いがあったからであろう。
 道州制導入は、歴史上、類のない大改革で、革命にひとしい。
 その革命を、新自由主義にのっとった経済至上主義と、伝統という裏付けのないアメリカ民主主義で、一気に実現してしまおうというのが、改革主義者のやり方とみえる。
 道州制は、基礎自治体に公選制の首長をおき、将来的には、各道州が主権をもつ連邦共和制にしようという事実上の無血革命である。
 十いくつの州の首長と州都が、主権と自治権を宣言して、独立集州の補選をへて大統領がえらばれることになれば、日本は、歴史が不在のアメリカのコピー国家となり、万世一系の天皇を中心に和をむすんできた日本国の二千年の歴史と伝統は、廃棄される。
 ここに、是が非でも、道州制の法制化を阻止しなければならない、国体上の大問題が横たわっている。

 ●和と均一性、中央集権が日本のパワー 
 現在、連邦制をとっている国は、アメリカのほか、スイスやドイツなどがある。アメリカは、もともと、州政府や入植者が、経済原理にそって、原住民から奪った土地を分け合った国柄である。
 多民族・多言語のスイスは、連邦制以外に、国家の体裁をたもつことができず、歴史的に統一国家ではなかったドイツは、敗戦後、国家が滅亡したため、ドイツ人の団結力や発展をおそれた連合国によって、東西に、さらに、米・英・仏によって、11の州政府(西ドイツ)へ、八つ裂きにされた。
 連邦化は、中央集権の求心力が弱まるため、国家の衰弱につながる。
 旧ソ連連邦が崩壊したのは、各連邦間の摩擦や経済不況、共産党官僚の腐敗が深刻化したためで、中央集権の求心力がはたらかなくなれば、連邦国家は、連邦間でひきおこされる摩擦と経済不況、腐敗の三悪によって、倒壊してゆく。
 日本は、世界で、唯一、万世一系の神話的な存在である天皇を中心に「和」という特有の文化のもとで、家族国家を形成してきた。
 アメリカのような歴史をもたない国とも、他民族・多言語の国とも、敗戦によって国土を八つ裂きにされた国とも異なる日本が、歴史的経験がない連邦制をとったら、和という中心原理(=セントラル・ドグマ)が失われ、道州間に、それまで、経験したことがない摩擦が生じて、発展どころか、数年をへずして、非力なアジアの一分裂国家へ転落してゆくだろう。
 日本のパワーは、和という中心原理、均一性、中央集権という伝統的な国柄からうまれている。これを廃棄して、先進国と肩を並べられると思うのはおおまちがいで、本気で、そう思っているのだとすれば、おそるべき亡国の論である。
 江口は、著書で、こうのべている。
「日本の一地方と同程度の人口・面積しかもたないアイルランドやデンマーク、スイス、オランダ、オーストリアなどが、世界屈指の高所得国に成長している一方、日本は、イギリスやドイツ、フランスを上回る人口・面積をもちながら、これらの国はおろか、先進国平均の成長率を下回るまでに経済・所得が停滞している。日本を小さな国に分けて、道州制国家になれば、中央集権のハンディキャップを克服できる」
 なんという、粗雑な議論であろうか。
 ヨーロッパ諸国の発展は、欧州連合(EC)という中央集権的な求心力がはたらいたからで、一方、日本経済の停滞は、アメリカのいいなりになって、グローバリゼーションや構造改革に走り、求心力を弱めたからである。
 国家は"家"にたとえることができる。玄関や台所、茶の間や書斎、客間や寝室、便所もあるが、これが、統合的にはたらいて、家の形態となる。会社にたとえてもよい。製造部や営業部、総務部や経理部、人事部があって、はじめて、会社という生きた組織になる。
 モノをつくり、カネを稼ぐのは、製造部や営業部である。だが、家に台所や寝室、便所が必要なのと同様に、カネは、稼ぎのない総務部や経理部、人事部へも支給されなければならない。
 これが、地方交付金や補助金で、これを打ち切って、中央と地方の所得格差をひろげたのが、新自由主義の小泉改革である。
 地方も自立して、じぶんでカネを稼げというのだが、東京都に食糧を自給しろというのと同様、無理な相談である。先日、奈良県の吉野へ行ったが、あそこで、どうすれば、自力で産業を興せるであろうか。
 日本の経済は、過疎地のきれいな空気と工業地帯の汚れた空気が、どこか見えないところでつながっている大きな関係のなかで、成立している。過疎なのは、若者が、都会へ行ってしまったせいで、その恩恵をうけた都会が、過疎地へ地方交付金をだして、経済の手助けをする――こういう和の精神によって、これまで、日本は、発展してきた。
 それが、全体性の利益追求と中央集権のメリットである。
 補助金や支援がなくなれば、過疎地や産業のない地方は破産する。それが、地方を犠牲にしてきた経済国家の構造的欠陥で、この矛盾を解消するには、中央が地方へ、手をさしのべて、お返しをしなければならない。「人生いろいろ」や自己責任で片付く問題ではないのだ。
 日本を連邦化して、過疎地に自己責任を課して、地域経済を活性化させることが、可能であろうか。
 道州制が導入されると、州都へ資金やカネが集まって、ミニ中央集権化がおき、過疎化がさらに深刻になるだけである。とくに、道州制では、中央からの補助金がなくなるので、破産する州や自治体もでてくるだろう。
 道州制は、地方経済にとって、けっして、追い風にはならない。
 道州制の導入によって、資金が流入して地方が活性化するというのも、地域社会にかかる行政の権限を道州に委譲して、課税自主権、税率決定権、徴税権をもたせると、地方が元気になるというのも、世紀の大嘘である。
 州では、資本マーケットが小さいので、設備投資や商品開発などに大きな資本を投下することができない。スケール・メリットがない地方経済は、中央経済とのタイ・アップが必要なのである。
 日本経済の強みは、日本全土という広いマーケットに同質性・均一性があることで、これは、EC統合によって大きな市場をえたデンマークが、酪農製品の売り上げをのばしたのと同じ原理である。
 小さな国だから経済がうまくいっているという江口の仮説は、デマゴギーなのである。
 道州制の問題点は、経済だけではない。
 主権道州ができたら、こんどは、左翼が煽って、オリジナルの憲法、国旗、国歌をつくるうごきがでてくるだろう。東京DCのある関東国と張り合い、摩擦のタネをふりまき、紛争に政治エネルギーを消耗するようなことになれば、経済発展どころではなくなる。
 かつて、ヨーロッパ列強は、アフリカを再分割する際、@部族を分散させるA一国に多くの部族種を混在させるB崇める神がちがう部族を同じ国に住まわせる――という弱体化戦略をとった。
 中央主権をつくりだせなかったアフリカ諸国は、いまなお、ツチ族とフツ族が殺しあったルワンダの悲劇に代表される悲惨な内戦が絶えない。
 道州制によってうまれる独立自治体は、和と均一性、中央集権制という、これまで日本の国力をささえてきた特性を失った一地方にすぎず、その行く末は、内地の都市との一体感を断たれた場合の北海道をイメージするだけで、十分であろう。
 地方の活性化は、革命的な道州制という方法をとらなくとも、たとえば、地方農家のオリジナル・ブランドのワイン製造にまで口出しする中央官庁の支配力を大幅に制限するだけで十分で、それが、考えうる、もっとも効果的で、現実的な方法である。
 そういう、順当な方法をとらず、いきなり、道州制へ飛躍するのは、改革主義者の狙いが国体の変更にあるからではないかと、わたしは、疑わずにおられない。
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2008年05月27日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(23)

 ●天皇の文化=神道と西洋のキリスト教文明
 雅子妃のボイコットを理由に、宮中祭祀の廃止をうったえる言説がでてきた。
 明治学院大学の原武史教授の「皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」(月刊「現代」5月号)もそのうちの一つで、サブタイトルに「宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた」とある。
 内容は、宮中祭祀は、前世紀の遺物なので、廃棄して、ボランティアをやったほうがよいという、お話にならない内容で、雅子妃の宮中祭祀ボイコットを逆手にとって、天皇体制を形骸化しようという魂胆であろう。
 これらの者たちに共通しているのが、神道を、仏教的・キリスト教的な価値観でとらえる視点である。
 天皇が、天照大神に、何事かを祈念していると思っているのである。
 宮中祭祀は「神に祈る神」=天皇が、身体を浄め、心を清らかにして臨む儀式で、一つの型である。
 型は、カタチで、言挙げしない日本の文化は、カタチを整えるところに根源がある。
 神道の参拝も、手水を使い、二拝二拍手一拝などの型だけあって、神に何事かを願うわけではない。
 浄めとカタチができれば、蘇りや生命の再生は、おのずとあらわれる。
 そこが、神との契約といわれるキリスト教や成仏をねがう仏教と異なる。
 神道は、思う、願う、念じるという賢しらを捨てて、モノ・コトの本質へ立ち返る儀式で、人間の頭で考えることは、もとより、対象になっていない。
 モノはコトへ、コトはモノへ変化して、実りをもたらす。籾というモノは、手をくわえるコトによって、苗になる。苗というモノは、太陽の恵みをうけるコトによって、稲穂というモノになり、手間をかけるコトによって、コメというモノになる。
 大自然のなかで、モノとコトが循環するのがむすび(産巣日・結び)で、その奇異(くすしあやし)にくらべて、人間の思いや考えの、いかに生臭く、小さいことか。
 身体を浄めるのは、その生臭さを水に流すことで、儀式は、賢しらを捨て、モノ・コトが循環する大自然と合一して、高天原に、この世の弥栄(いやさか)をねがうものである。
 天皇はこの儀式を、国民になりかわって、おこなっているのである。
『本居宣長』を著した小林秀雄の文章を要約して、引用する。
「(日本人にとって)宗教は、教理ではなく、祭儀という行動であった。長いあいだのその経験が、日本人の文化にたいする底力を育んだ。海外から新しい文明や観念がはいってきたとき、それをうけとる日本人の気質(かたち)は、すでに、完成していた。文明や観念に気質を変える力はない。気質が、文明や観念を吸収して、己の物とするのである」
 カタチを重んじる祭儀が、文化を吸収する日本人の気質を育て上げたというのである。
 カタチができていれば、内実がともなう。外からどんなものがきても、うけとめ、咀嚼して、じぶんのものにできる。
 大陸からきた漢字や小乗仏教、唐文化を、ひらがなや大乗仏教、国風文化につくりかえることができたのは、日本の文化は、すでに、カタチができていたからで、このカタチができあがっていなければ、内側から、外来文化にとりこまれる。
 原という者は「実りを祈る祭祀は時代遅れ」という。天皇が、豊作を念じて、天照大神を拝んでいると思っているのである。そして、そんなムダなことはやめて、世界一の高位にある天皇に、町で、ボランティアをやれというのである。
 戦後、西洋文明で育った者は、日本文化の根本が、大自然のなかで、モノがコトへ、コトがモノへ循環する美や実(まこと)にあって、宮中祭祀が、それを再現していることに、気づいていない。
 西洋合理主義にそまったひとは、すべてを、科学や合理、イデオロギー、特定の価値観で説明しようとする。そのとき、モノがコトへ、コトがモノへと循環する大自然の知恵や力が消え、代わりに、生臭く、小さい人間主義が浮上してくる。
 古代のギリシア・ローマ文明、中世のキリスト教文明、近代合理主義をへて、現代の科学万能主義へつらぬかれているのは、人間中心の理性主義である。
 フランス革命では、王の代わりに、理性神が玉座におかれたが、人間の理性に、それほどの価値がなかったことは、理性だけでつくりあげられた共産主義革命の結末をみればわかる。
 日本の文化は、自然の力を敬うところから生じているが、西洋文明は、人間が自然を支配できるという傲慢からうまれた。
 ギリシア・ローマ文明は、森林を破壊して、天水農業を破滅させ、略奪経済と侵略戦争にむかった。キリスト教の中世では、自然物から、動物までも神からの賜物とする思想のもとで、食肉文化がすすめられ、牧畜と放牧によって、ヨーロッパの森や河川は、大半が消えた。
 森林と河川が消えた大地は死に、ペストのような疫病が大流行して、森の栄養を必要とする沿海漁業も全滅した。
 人間中心主義と理性は、自然破壊と肉食文化、略奪と侵略、奴隷売買という暗黒の中世をへて、科学文明へたどりついたが、鉄の科学と火薬の化学は、効率よくひとを殺すため(武器)と、金をえる(錬金術)ための副産物だった。
 日本の文化と西洋文明は、逆転した構図になっている。
 西洋人は森を破壊しつくしたが、日本人は、森を大事にして、古代より植林をおこなってきた。日本の古代宗教では、自然やモノが迦微(かみ=神)だったので、枝一本、おろそかにできなかったのである。
 勿体ないという考え方、物を大事にする発想は、物自体が迦微だった神道の名残で、それも、日本の文化である。
 中世・近世にかけて、日本には、世界一のものが、数多く、あった。
 水田技術をささえた農業土木、釘を使わずに五重塔をつくった木造建築技術、森と河川がはぐくんだ沿海漁業、大衆レベルの食文化、士農工商によるマクロ経済、和歌や俳句、浮世絵、草紙物などの庶民文芸など、枚挙にいとまがない。
 一方、西洋は、十八世紀前後、産業革命がはじまるまで、特権階級以外、飢えをしのぐのが精一杯だった。民の味方=権威(天皇)がいなかったので、権力が、富や文化を独占したためである。
 製鉄や化学、酪農などの分野が、西洋より遅れたのは、当時、必要(需要)性が小さかったからで、近代以降、必要に応じて、日本は、短時日で、西洋と肩を並べる文明国になった。 
 日本は、近代の科学文明まで消化する文化の型=潜在力までもっていたのである。
 もう一つ、日本と西洋で、逆転しているのは、自我である。
 日本では、抑制されるべきものであった自我が、西洋では、もちあげられる。
 自我は、すべて神からの賜物であるとするキリスト教から、産み落とされた。
 聖書によると、自然も他の生物も、神がじぶんに似せてつくった人間に与え給うた生活資材で、したがって、征服も略奪も、神の御心にかなっている、ということになる。
 この自己中心的な世界観から、自我や人権思想がうまれた。日本で、人権といえば、泣くも子も黙る風潮だが、もともと、これは、キリスト教の教義で、神権政治や専制政治、絶対主義が滅びてからでてきたのが、民主主義である。
 西洋は、すすんでいるのではなく、世界戦争に勝ったキリスト教文明が、他の文明を隅におしやっているだけで、日本には、人権や民主主義以前に、人々が自然と共存して、仕合わせにくらせる神道という大思想があった。
 それを象徴しているのが、宮中祭祀で、人間は、心を浄めて、大自然と共存する以外、仕合わせに生きることはできない。
 だから、本居宣長は、ふしぎは、ふしぎのままでよろしき、といったのである。
 ふしぎを、そのまま、みとめることによって、人間の賢しらをこえた、大きな知恵につつまれる――というのは、この世界にあるありとあらゆるものは、奇異にささえられ、奇異の投影であるが、その奇異は、神の御仕業(みしわざ=古事記)なので、ふしぎという通路をとおって、われわれは、神々とともにあることができる――というのである。
 奇異の頂点は太陽で、お天道様の下に存在するものは、人間をふくめて、すべて、奇異である。天地があり、禽獣草木が生をいとなみ、人々が出遭い、万物が移りかわってゆくすがたは、けっして、理屈では説明がつかず、もののあはれ(安波礼)として、そっくり、うけとめるほかない。
 現代の日本人が、天皇の文化=神道を再発見すると、ボランティアなどという西洋のことばを聞いただけでうかれだす、原のようなばか学者は、少なくなるのである。



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2008年05月26日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(22)

 ●雅子妃は離婚して民間人に戻るべき
 小和田雅子という一女性によって、二千年以上つづいてきた天皇家の祭祀が、平成の世で、途絶えかねない事態になっている。
 公務サボタージュどころか、天皇家が主催する宮中祭祀に、平成十五年以降、皇太子妃として、一度も参列していないのである。
 天皇の最大の任務で、日本の伝統のいしずえである宮中祭祀に無関心な女性が、一二六代皇后になれば、皇室のあり方が、根本から問われることになり、天皇体制にとって、先の「皇室典範」改悪以上の危機となる。
 雅子妃の問題は、病気や個人的な事情によるものであろうか。
 皇太子妃なったほどの女性が、気まぐれから、祭祀や公務をサボタージュして、天皇家の歴史に泥を塗っているとは、とうてい、考えられない。
 成婚から皇室の伝統破壊、皇太子の洗脳にいたるまで、一連のかなしむべき事態は、一族揃って創価学会のコントロール下にあり、反日思想にこりかたまった小和田一族による確信犯的な謀略と、巷間、噂されている。
 事実ならば、雅子妃は、皇太子と離縁して民間人に戻り、徳仁親王殿下は、責任をおとりになって、皇太子の座を、皇太弟の秋篠宮文仁親王に譲られるべきであろう。
 さいわいにして、文仁親王と紀子妃のあいだには、悠仁親王というお世嗣がおられる。
 紀子妃は、平成十九年から二十年まで、天皇が251回、皇后が一八八回、つとめられた公務に一七六回、参列されており、わずか一八回の雅子妃よりも、よほど、皇后になられるべき資格をおもちである。
 病気と称して、公務や宮中祭祀をサボった翌日、いそいそとジュエリー展(平成18年/インドネシア大統領の宮中晩餐会欠席)や父母会(胡錦濤主席の宮中晩餐会欠席)へでかけ、私的外出をのべ100回以上もくり返している雅子妃とは、そもそも、資質が異なる。
 小和田家は、雅子妃の父親、恆が、大鳳会(外務省の創価学会集団)と関係が深く、宮内庁からの情報によると、雅子妃の妹夫婦は、正式な学会員である。創価学会は、家族を折伏できないのは信心が足りないせいとされて、学会内で高い地位がえられない。
 その意味では、恆も、妻の優美子も、当然、信者と考えられる。
 これで、雅子妃が、宮中祭祀に、一度もでなかった理由が、明らかであろう。
 創価学会は「神社を祀る日本は呪われた国」「神社に参拝すると一族が地獄に落ちる」という教えをふれまわっているカルト教団である。小和田一族は、雅子妃が、神道の最高神主である天皇が主催する宮中祭祀に参列すると、池田大作の怒りにふれて、仏罰が下ると思いこんでいるのなら、何をか言わんやである。
 中国への土下座外交を定着させた小和田恆は「日本はハンディキャップ国家なのでふつうの国になれない」「永久に中国へ謝罪すべし」「東京裁判は正しかった」「首相の靖国参拝は誤っている」など公然と言い放つ反日外交官で、外務省チャイナスクールをとおして中国に忠誠を誓い、創価学会の池田大作を崇める売国奴である。
 小和田家とは、いったい、どんな家系なのであろうか。
 小和田家には、恆の祖父、小和田金吉以前の系図や墓がない。士分以上であれば、考えられない。雅子妃の母親、江頭優美子も、水俣病という日本最大の公害事件をおこしたチッソ株式会社の社長・江頭豊の娘である。
 ちなみに、江頭豊は「貧乏人が腐った魚を食って病気になった」「(水俣病は)身体障害者のいいがかり」「原因がチッソでも社会的責任はない」と主張して、水俣病の解決を遅らせた張本人である。
 昭和天皇も、皇太子の小和田家との婚姻には反対で、故後藤田正晴も「皇居にむしろ旗が立つ」と猛反対した。むしろ旗といったのは、独自の情報チャンネルから、小和田家の素性や謀略に気がついていたからであろう。
 お妃候補から削除されて、皇太子も了承されたにもかかわらず、皇太子と雅子妃との再会を工作したのが、元外務次官で、恆の息がかかった柳谷謙介といわれる。雅子妃を皇太子妃に推した外務省グループのリーダー格だが、かれらが、大鳳会やチャイナスクールとつながっていたのは、疑う余地がない。
 再会後、皇太子が、雅子妃に直接電話して、宮内庁が困り果てたという。私心をはたらかされたのである。皇太子との婚姻が発表されたのは、その直後である。
 一連の出来事が<朝敵>による破壊工作員であったのら、彼女の背後には、天皇制度の崩壊を虎視眈々とにらむ、中国政府と創価学会、外務省チャイナスクールを中心とした売国奴グループの存在があるということになる。
 小泉首相の「皇室典範改悪」も、裏でうごいたのが、霞ヶ関の反日・創価学会系のグループで、その中心に小和田恆がいたとつたえられる。
 徳仁天皇・雅子皇后が誕生すると、左翼や媚中派、創価学会、改革・革命主義らによってふたたび「女系女性天皇」論がもちあげられて、反日マスコミが、愛子内親王が皇位につかれず、悠仁親王が次期天皇というのでは「雅子さまがおかわいそう」というキャンペーンをはれば、「女系女性天皇」が蒸し返される可能性がきわめて高い。
 皇室の権威や尊厳は、万世一系の男性男系にあり、皇太子妃や女系女性天皇は、もともと、皇位の系列から外れている。
 アメリカ大統領が最敬礼するのは、天皇陛下とエリザベス女王、ローマ法王の三人である。そのエリザベス女王も、天皇陛下と同席するときは、上座を譲る。男系の万世一系が、国際儀礼上、女王の上位であることをわきまえているからである。
 ローマ法王が外国を訪問した際、慣例として、その国の元首が法王を訪ねる。例外が天皇である。ヨハネ・パウロ二世が日本を訪問した際も、教皇が皇居に出向いて昭和天皇に表敬している。
 国際儀礼上、天皇陛下は、世界一の高位にある。だが、女性天皇の場合、ヨーロッパ王室は、正式の天皇とはみとめず、晩餐会でも、末席となる。
 ヨーロッパの王室は、女性の王位継承や財産相続をみとめないフランク王国の「サリカ法典」にもとづいているからである。万世一系同様、男系をとっているヨーロッパ王室も、女帝は緊急措置にすぎず、男系が絶えると、廃絶される。げんに、モナコ公国は、男子の世継ぎが誕生しなかった場合、フランスに吸収される約束になっている。
 徳仁親王が、こういう事実を見ず、雅子妃にひきまわれて、皇室外交を口走るようでは、天皇になる資格を欠いている、といわざるをえない。
 イギリスでも、皇太子が皇太弟に王位を譲ったケースがある。
 エドワード八世に代わって王位についた弟のジョージ六世である。
 ヒトラーやムッソリーニが台頭して、ヨーロッパが風雲急を告げていた1936年、イギリスで、王位にあったエドワード八世が、ウォリス・シンプソン夫人と恋に陥った。純潔をもとめられる王室の妃に、未亡人は、みとめられない。王冠をとるか、恋をとるかの選択を迫られたエドワード八世は、恋をとって、このとき、王位をジョージ六世に譲った。
 ジョージ六世は、いまにつたわる名君で、1940年のロンドン空襲で命を落としかけたときも、ロンドンから離れず、ドイツ軍のイギリス本土への侵攻にそなえ、拳銃を片手にバッキンガム宮殿にとどまり、ドイツ空軍によって破壊された国内を訪問して国民を慰め、勇気づけた。
 王は、私心を捨て、国のため、国民のために尽くすべしというのが、イギリス王室の伝統で、六世が56歳の若さで死去したのは、病弱をおして、激務にのぞんだからだとつたえられる。
 わが皇室も、これに倣って、徳仁親王は、皇位継承権を文仁親王へお譲りになって、雅子ともども、海外でお暮らしになってはいかがといいた。
 外務省の反日グループ「小和田一派」の謀略にひっかかり、邪恋で、私心があってはならない皇位の尊厳を汚したのであれば、皇祖皇宗は、けっして、お赦しになるまい。
 由々しいことに、最近、雅子妃のボイコットを理由に、宮中祭祀の廃止を主張する言説がでてきた。
 次回は、この言説の誤りと、神道における祭祀のすがたについて、のべよう。



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2008年05月14日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(21)

 ●「右翼論」その3/結果論的"善"であらねばならない任侠右翼
 農本主義や大アジア主義、国家社会主義に立つ伝統右翼は、戦後、GHQの弾圧やスポンサーだった保守政界や軍部、旧財閥の解体によって、事実上、壊滅した。
 右翼が国政や軍事、クーデターにかかわった時代は、敗戦によって、こうして、終わりを告げ、戦後日本は、共産党や組合運動の躍進によって、急速に、左傾化してゆく。
 GHQが、当初、めざしたのは、要人追放や財閥解体、農地改革などで旧体制を破壊する事実上の敗戦革命で、当時、GHQは、プレスコードや検閲、神道指令から、戦時教科書の黒塗り、武道の禁止、茶道の古書までを焚書にする、徹底的な文化破壊をおこなった。
 のちに、GHQは、ソ連・中国の脅威に気づき、急きょ、左翼路線を変更することになるが、それまでは、軍国主義をささえた右翼勢力が、GHQの最大の掃討目標だったのである。
 旧体制の組織や団体がGHQの標的になったなかで、任侠系の右翼団右翼が生き残ることができたのは、暴力団組織という独自の資金源をもっていたからである。
 任侠系の右翼団体は、戦後、うまれたわけではない。近代になって、自由民権運動や社会主義思想がさかんになってくると、危機感をつのらせた政府・公権力が、反政府運動の取り締まりに任侠団体を利用し、任侠団体も、その多くが、政治結社を名乗った。
 代表的なのが、原敬首相と床次竹次郎内相の提唱で結成された博徒と土建系任侠の全国的組織「大日本国粋会」(顧問・頭山満)で、国体護持と共産化の阻止を掲げて、労働争議介入やストライキ破りなどに、暴力的な直接行動をおこなった。
 任侠系の右翼は、伝統右翼とちがって、思想的な背景や含蓄があるわけではない。
 政治家や軍人、財界がこの任侠右翼を利用したのは、体制側にとって、かれらが、結果論的に"善"だったからである。
 政治や軍事は、結果論の世界である。たとえ、動機が善であっても、結果が悪では、政治は乱れ、戦争では負ける。悪知恵や謀略などの悪しき動機が、結果として、安全や平和をまもるのが権力のリアリズムなのである。
 一方の動機論は、結果に責任をもたない女・子どもの発想で、たとえていえば、憲法九条や絶対平和主義が、これにあたる。
 反体制側が、任侠右翼を無知でやくざな暴力集団=悪とみるのは、女・子どもの動機論に立っているからで、男・大人の結果論に立つ体制側にとって、任侠右翼は、体制の防人=善である。
 右翼論の根底にあるのは、この「結果論的善」で、任侠右翼が、反体制派にとって恐怖の対象で、かれらが、体制の防波堤、社会の防腐剤となれば、それで、十分に存在価値があり、学識をひけらかして正論を語るだけのインテリ右翼は、かえって、有害ということになる。
 任侠右翼が躍進してきたのが、60年安保闘争だった。
 昭和二七年のサンフランシスコ平和条約締結によって、日本は、独立した。
 だが、政治的には、社会党などの左翼の勢力がつよく、日本共産党も、第六回全国協議会(六全協/1955年)以降、議会への大量進出をはかり、議会内革命が懸念される情勢が生じてきた。
 左翼対策に、任侠右翼を利用しようとしたのが、吉田茂内閣で法務総裁を務めていた木村篤太郎である。
 1960年の日米安保条約改定で、政治的混乱が予想されるなか、警察力の整備に不安を抱いた木村は、20万人暴力団を組織化して共産主義勢力に対抗するべく、右翼の大物、児玉誉士夫に相談をもちかけた。
 この結果、テキヤ系組織は東京街商組合・日本街商連盟、博徒系組織は、日本国粋会を結成して、暴力団の組織化(愛国反共抜刀隊構想)がすすめられた。この構想は、吉田の承認をえられなかったものの、このとき木村は、37の右翼団体を糾合して、安保闘争にそなえる。
 安保改正の1960年、アイゼンハワー大統領の訪日反対の大規模な反対運動を阻止するため、岸信介首相は、木村篤太郎と、当時の自民党幹事長・川島正次郎に、ヤクザ・右翼の動員を命じている。
 このとき、児玉は、警視庁と打ち合わせて、稲川会五千人、松葉会二千五百人、飯島連合会三千人、国粋会千五百人、義人党三百人、神農愛国同志会一万人を「警官補助警備力」として、東京・芝の御成門周辺に配置することをきめている。
 これに前後して、血盟国事件の井上日召や浜口雄幸襲撃事件の佐卿屋留男らの護国団が音頭をとった「全日本愛国団体連合会」(全愛会議)をはじめ、「大日本愛国団体連合・時局対策協議会」(時対協)、「青年思想研究会」(青思会)、自民党議員も多く所属する保守主義者団体「日本会議」などが、次々に結成された。
 50年代の砂川闘争、新島闘争、60年代のハガチィー事件、安保闘争など、左右陣営の衝突が激化するなか、60年には、安保闘争で樺美智子が死亡、浅沼稲次郎社会党委員長が右翼のテロで倒れ、岸信介首相も、右翼に刺されて、瀕死の重傷を負うという事件がおきる。
 この60年が、左右両陣営にとって最大の山場で、その後、安保の岸内閣から所得倍増の池田勇人内閣へ政権交代がおこなわれると、社会の関心は、政治から経済へ移り、任侠右翼は、次第に、存在理由を失っていく。
 70年代にはいると、政府や警察当局は、用済みとなった任侠右翼にたいして、暴力団のレッテルを貼って取締りを強化、なかには、解散に追いこまれた団体もでた。
 任侠右翼は、もともと、博徒やテキヤ、やくざで、かれらを体制の番兵として利用したのは、権力である。使用済みになったからといって、切り捨てるのは、権力側の都合によるものだが、任侠右翼も、高度成長、とりわけ、バブル経済時には、総会屋や金融機関、不動産や建設業者と結託して、大きなしのぎをえた。
 任侠右翼に、もっとも、勢いがあったのは、この時期で、やくざ世界では、企業舎弟という新語がうまれたほどである。
 やがて、バブルが崩壊する。戦後の経済復興期に、労働運動を妨害するなど、一貫して大企業の側に立ち、企業の裏活動をささえ、もちつもたれつ関係を築いた任侠右翼にとって、バブル崩壊と暴対法の施行、総会屋への取り締まり強化は、大きなダメージとなった。
 以後、任侠右翼は、資金源も闘争目標も失って、長い低迷期にはいる。
 かつて、体制側にとって結果論(体制の守護)的善で、反体制側にとって動機論(反体制派への妨害・反社会性)的悪だった任侠右翼は、いまや、時代の変化にともなって、その在り方をかえなければならない時期を迎えているように思われる。
 というのは、かつて任侠右翼は、反共の砦として、存在価値があったが、現在、反共というスローガンは、すでに、無効になりつつあるからである。
 右と左の闘争は、すでに、決着がついている。日本人は、だれも、中国や北朝鮮のような国を理想と思っていない。そこで、旧左翼は、共産主義からコスモポリタニズム(無国籍主義)や反日主義へのりかえ、攻撃目標を、政体(政治)から国体(天皇体制)へきりかえてきた。
 左右対決という図式が消え、代わりに、愛国主義と反日主義という新たな対決の図式がうかびあがってきたのである。
 たたかいの場が、政治やイデオロギーから、国体や文化論へと移ってきた。
 ということは、運動の転換期がきたということである。
 政治は、選挙民や論壇系の政治評論家にまかせ、右翼は、国体のことだけを考え、行動すべきということであって、このうごきをつかまなければ、必要悪としての任侠右翼の存在価値が、なくなる。
 社民党や日本共産党、自民・民主党の左派は、日本をよい国にしようとして、政治活動をしているのであろうか。
 否である。政権をとって、国体を変更することがかれらの目的で、その兆候が、道州制の導入や皇室典範の改悪、人権法・フェミニズム法・外国人参政権法などで、自虐史観や媚中外交、戦争謝罪、歴史の共通認識などは、すべて、そのためのプロパガンダといってよい。
 日本を、共産党や民社党、自民・民主党左派、左翼出身の官僚のいうとおりにかえていけば、日本は、もはや、日本ではなくなる。ということは、かれらが血眼になって、やろうとしているのは、政体の変更ではなく、国体の変更だったのである。
 旧態依然として、右だ左だといっていると、右翼は、反日主義=国体変更主義の戦略に気づかないまま、取り残されて、近い将来、日本は、小泉純一郎が端緒を切った「国体変更計画」にのみこまれることになるだろう。
 かつて、右翼は、国家の危機に体を張った。そのときは、左右陣営の対立という図式がはっきりとしていたため、迷うことなく、必要悪=結果論的善の存在になりきれた。
 だが、現在は、国家の危機がどこからきているのか、ひじょうに、わかりにくくなっている。
 はっきりといおう。現在、日本が直面している国家の危機は、国体、三島由紀夫が「文化防衛論」で指摘した、日本精神が脅かされているところから生じている。
 三島は「文化防衛論」で、こうのべた。
 われわれは自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。……終局、目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。
 なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本文化伝統をかけて戦わなければならないと信じているからである。
 
 右翼が、何をまもり、何のためにたたかうのかをわきまえたとき、かれらは、ふたたび結果論的"善"となるのはあるまいか。



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2008年05月07日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(20)

 ●「右翼論」その2/極右のテロリズムと極左のゲバルト 
 日本の極右を定義することはむずかしい。
 左翼過激派、極左のように、戦略として、暴力主義を唱える団体はなく、革マルや中核派、革労協に匹敵する戦闘的な団体や組織があるわけではないからだ。
 右翼思想は、思想の練磨から奉仕活動、直接行動まで、幅が広い。
 おだやかな愛国思想からテロリズムまでが、一本の糸でつながっており、一介の草莽の士が、突如、直接行動にでるという事態も、ありうるのが、右翼のすがたなのである。
 その右翼のなかで、極右といえば、行動右翼をさす。
 行動右翼には、伝統(組織・神道)右翼と任侠(やくざ一家・暴力団系)右翼の二つの系統があり、そのうち、極右のレッテルを貼られているのが、街宣車をもち、街頭で宣伝活動をおこなっている任侠右翼とよばれる団体である。
 伝統右翼のうち、組織右翼は、思想的には、頭山満の玄洋社、内田良平の黒龍会などの国家・国権主義に立ち、現在は、三島由紀夫を慕う民族派グループが、その流れをくんでいる。
 五・一五事件、2・26事件に関与した国家社会主義の大川周明や北一輝、血盟団事件の井上日召らも、伝統右翼にくくられるが、一部の軍人と組んで、権力闘争にかかわったことから、右翼というより、むしろ、ウルトラ国家主義者といったほうがいいように思う。
 神道右翼は、蓑田胸喜、葦津珍彦らの思想家から、終戦直後、14名が天皇陛下に敗戦を詫びて割腹自殺した大東塾の影山正治までを擁する大山脈で、現代の右翼思想の一つの潮流をなしている。
 任侠右翼は、60年安保の際、共産主義革命に危機感を背景にうまれた団体で、多くが暴力団系の政治結社である。反共を旗印にしているところから、全愛会議(全日本愛国者団体会議)や児玉誉士夫系の青思会(青年思想研究会)、愛国党の赤尾敏らと共通点をもつ。
 全愛会議や児玉誉士夫系右翼については、次回、「戦後の行動右翼」で詳しくのべる。
 極右を定義することはむずかしい、とのべたのは、極右という存在はなくとも、内部にテロリズムをかかえている右翼は、ときと場合によって、突如、極右へきりかわるからである。
 いいかえれば、右翼は、テロをおこなうことによってのみ、極右となるのである。
 極左は、暴力=ゲバルトを恒常的な手段とするが、右翼は、その必要に迫られたときにかぎって、テロという非常手段をうったえる。それが極右で、極左のように、暴力主義を目的化しているわけではない。
 日本の右翼は、左翼とちがい、権力志向をもっていない。
 政権奪取のためのクーデター、あるいは、保守政党が政権をとるための前衛的な役割を担っているわけでもない。
 極右=テロは、国体を危機から救うための自己犠牲で、「一殺多生」というテロリズムの論理には、自死という、究極の無私の精神がともなっている。他人の生命を奪ったからには、みずからも、生命を絶つのが右翼のテロで、権力闘争のため、政敵を殺傷する左翼のゲバルトとは、本質的に、異なる。
 右翼テロが、美学となりうるのは、目的を果たしたあと、潔く散ってゆくからで、生きのびれば、ただの殺人者である。
 テロは、法治国家の基準からも、人道的見地から見ても、狂気の妙汰ので、犯罪行為である。
 その右翼テロが、日本の風土で、殺人と区別されてきたのは、無私という、人為がおよばない領域の行動だったからで、たとえ、それが狂気であっても、人間をこえているテロリストに、この世の法律や善悪をあてはめることはできない。
 一方、暴力革命をとおして政権をとろうとする極左のゲバルト殺人は、敵対する勢力の殲滅や粛清が目的で、かれらは、みずからの権力欲のため、多くの人々を犠牲にする、ただの殺人者である。ちなみに、極左の内部闘争によるテロの犠牲者は、百人をこえているが、犯人は、ほとんど逮捕されていない。
 テロリズムの原義は、権力による恐怖政治である。だが、日本の極右テロは、権力側に恐怖心をあたえる逆テロリズムで、標的は、我欲のために国益を害い、国体を危うくする政・官・財界の売国的指導者である。
 といっても、右翼テロの動機は、政治にかかるものではなく、あくまで、国体防衛で、拠って立つところも、国体である。国体は、政体とも、国家ともちがい、それ以前の、歴史や民族という根源的なものにかかわっている。
 政治には、まがりなりにも、一般投票という制度があり、有権者である国民は、投票をつうじて、政治に関与できる。その意味で、国家も政治も、国民の前にオープンになっている。
 ところが、その政体の土台となっている国体は、国民の手の届かないところにある。
 国体の維持という国是がまもられているかぎり、国体が、国民の手の届かないところにあっても、不都合もない。
 だが、為政者や権力をもつ者が、国体を破壊しようとした場合、国民には、それを阻止する手段がない。
 国体の変更はゆるされない。現在というこの一瞬しか生きていない者、一過性の権力にすぎない政治は、歴史に根ざしている国体を変える権利がなく、その資格もあたえられていないからである。
 その国体が、権力の座にある者の私心や私欲によって、毀損され、破壊されようとしたとき、身をもって、無防備な国体をまもるのが、右翼である。
 右翼は天皇の防人――というのは、売国奴から国体をまもれるのは、理論上、右翼しかいないからである。
 テロ事件が発生すると、識者は、「民主主義の危機である」「民主主義の世の中でテロはゆるされない」と口を揃える。
 だが、民主主義は、専制政治や独裁、全体主義よりましというだけで、けっして、理想的な体制ではない。むしろ、民の独裁なので、民や資本を味方につけると、どんなこともできる暗黒性をもっている。
 資本やマスコミは、民主主義の名のもとで、独裁者のような力をもち、国民は、これに対抗する意思も手段ももちえない。民主主義の基本である多数決も、少数派の排除という不条理をともない、格差社会や衆愚政治をうみだす。
 民主主義は、専制政治にたいするアンチテーゼなので、理論上、国家理性=国是が制限される。人権を最大の価値として、国権を危険なものとする民主主義においては、革命権までがみとめられているので、反政府運動や左翼の政治活動にたいする取り締まりもゆるやかで、むろん、中国のように、治安をまもるための予備拘束のようなことは、不可能である。
 つまり、民主主義は、左翼による革命、および、右翼による反革命の危険性にたいして無防備な制度で、けっして、安全でも平和的でもない、むしろ、危なっかしい仕組みなのである。
 革命権をみとめる民主主義において、資本とマスコミ、左翼、官僚の天下となるのは、現在の日本を見ればわかるとおりで、無防備な国体は、これまで、左翼陣営の最大の攻撃目標にされてきた。
 革命・国家転覆・国体破壊という超法規的な戦略をもつ左翼に対抗できるのは、テロという、法を超越した行動論理をもつ右翼だけで、だからこそ、民主主義のなかに、存在が許容されている。
 民主主義においては、左翼運動ばかりか、大資本の横暴、マスコミの言論暴力、官僚の過剰権力がゆるされる。右翼テロは、これを制御する手段として、存在する。民主主義が国体を否定する方向へ傾いているぶん、非合法の右翼テロが突出するのは、合法、非合法を別にして、政治力学的なバランスなのである。
 テロは、民主主義の敵なのではなく、民主主義だからこそ、テロが存在する。
 テロの恐怖がなければ、左翼・資本・マスコミ・公権力だけが肥大して、民主主義の矛盾に、国家や国体が、ねじ切れてしまうことになる。
 右翼の存在価値は、恐怖にある。その恐怖は、その行動原理が、法をこえているところからでてくる。
 右翼テロが、法をこえているのは、一過性の政体ではなく、永遠の国体に拠って立っているからで、右翼テロが、神の領域というのも、命を捨てて、国体をまもるには、無私でなければならないからである。
 極左の暴力主義と極右のテロは、じつは、もっとも遠いところにあったのである。
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2008年04月27日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(19)

 ●「右翼論」その1/右翼がまもるべきは国体の永遠性 
 右翼といっても、日本と欧米では、根本思想が異なる。
 ヨーロッパの右翼がもとめるのは、現実世界にある政治権力である。
 一方、日本の右翼は、悠久の歴史という時間の経過が刻みこまれている国体の護持を使命とする。
 国体は、天壌無窮の神勅(日本書紀)にもとづいて「神の御子孫たる皇孫が、天地の果てることの無きが如く、統べ治め給う永遠の国土」のことで、政治や政体は、国体の上にのっている一過性の権力機構にすぎない。
 永遠の国土、というのは、易姓革命によって、存亡流転してきた中華王朝にたいする反対概念で、聖徳太子が、隋の皇帝に送った親書「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と、万世一系の皇統を太陽にたとえた故事からもわかるとおり、このことばは、日本の国体が永久不変であることをあらわしている。
 国体の永遠性は、神道から生じたもので、論拠を立てて、言挙げすべきことではない。
 どんな民族も、神話をもっており、その神話は、何ものにもかえがたいので、日本の右翼は、身をもって、国体をまもってきたのである。
 特攻隊の遺書に、国体のすがたをいいあてたものがあるので、紹介したい。

 生を享けて、二三年、私には私だけの考え方もありましたが、それは、もう無駄ですから、申しません。特に善良な大多数の国民を欺瞞した政治家たちだけは、今も心にくいような気がします。しかし私は、国体を信じ、愛し、美しいと思うがゆえに、政治家や統帥の輔弼者たちの命を奉じます。
 実に日本の国体は美しいものです。
 古典そのものよりも、神代の有無よりも、私は、それを信じてきた祖先達の純心そのものの歴史のすがたを愛します。美しいと思います。
 国体とは祖先達の一番美しかったものの蓄積です。実在では、わが国の最善至高なるものが、皇室だと信じます。私はその美しく尊いものを、身をもって守ることを光栄としなければなりません。(後略)
名をも身をも さらに惜しまず もののふは 守り果さむ 大和島根を

 国学院大学の学徒動員で、階級は予備少尉。山口輝夫という二三歳のこの特攻隊員が命を捨てて、まもろうとしたのは、日本の国体であって、東条内閣でも、所属する海軍でもなかった。
 日本の右翼が、政権奪取をめざさず、国体の護持だけに使命感をもちつづけてきたのは、政治権力によって国の根幹をかえてきたユーラシアの国々とは異なり、日本の国柄が、国体という神話や歴史、文化、習俗という永遠の基盤にあって、権力は、一過性の政治機構にすぎなかったからだった。
 国体という観念のない欧米では、右翼という呼称は、ファシスト政党など、政体内の反民主主義グループをさすことが多い。政体内の勢力である以上、政権奪取をめざし、当然、選挙にも出馬する。
 ヒトラーのナチス党も、ワイマール憲政下の民主選挙で、第一党に躍り出て、政権をとった。欧米の右翼は、ナチズムの流れをくむ超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム)や民族の優位性を叫ぶ民族主義的な政党活動であって、もとめるのは、あくまでも、政治権力である。
 ヨーロッパで、国体の観念が育たなかったのは、国家がイコール境界線で、古代の神々が、キリスト教に滅ぼされたからである。
 境界線をもたない島国で、太陽を絶対存在(太陽神ではない)とする神道という雄大な宗教観のもとで、異文化・異教を呑みこんできた日本では、力の論理による抗争や政治ではなく、和を土台にした国体運動によって、国が治まってきた。
 これは、日本独自の文化体系で、祖先は、この国体をまもるため、命を投げだしてきた。
 日本の右翼が、街宣と称して、宣伝カーで軍歌を流し、日の丸を振り、政策を訴えるのは、本来、筋がちがう。選挙に出て、議席を確保するという使命がない以上、右翼の活動は、政治活動ではなく、国体運動でなければならないからである。
 国体運動というのは、文化・伝統防衛で、畢竟、天皇をまもることである。
 かつて、火焔瓶闘争をおこない、トラック部隊(資金調達)を組識して、暴力革命を志向した共産党が第六回全国協議会(六全協)の後、議会内革命へ路線変更して「天皇制反対」のスローガンを捨てた。
 日本共産党は、革命という国体変更を諦めて、政権奪取へむかったのである。
 日本の右翼も、政権を狙うのなら、日本共産党と同様、路線変更して、ヨーロッパ型の右翼へモデル・チェンジをしなければならないが、そのとき、右翼の存在価値はなくなる。
 日本の右翼は、権力志向をもたないことで、国体の守護者たりえている。
 権力を志向すれば、権謀術数や利害、損得などの一過性の世界にまきこまれて、俗化される。この現実主義によって、右翼の存在価値がなくなってしまうのは、恐怖というインパクトが消えるからである。
 右翼の恐怖は「歴史からの報復」という側面をもっている。
 この国をつくり、まもってきたのは、いま生きている人間ではない。過去に、多くの人々が流した血の上に国体が築かれている。その国体を、現在を生きているにすぎない者たちが、じぶんたちの都合や理屈によって危うくしたとき、歴史から報復をうけるのは、当然である。
 歴史に消えていった死者は、何もできない。
 だが、右翼は、過去の人々の意思を継いで、現在を生きる国体の守護者である。
 だから、権力者や国体破壊者は、右翼がこわいのである。
 現在という一過性を生きているにすぎない人間が、じぶんの信条にしたがって、歴史や伝統、文化を破壊し、死者たちの魂をふみにじって恥じないのは、この国から、国体をまもるという右翼思想が、根こそぎ、消えてしまったからである。
 万世一系という2000年の伝統を破壊しようとした有識者会議のロボット学者が「歴史や伝統などは勘案に値しない」と言い放った。その六十年前、「万世一系の美しい国体をまもるため」といって、三千人に近い若者が、特攻機にのりこんで散華したことを思うと、ゆるされるべきことばではない。
 国体は、政治や権力、利害や打算どころか、現実からも切り離されて、過去から現在へつながる線上にただよっている。蒙古軍とたたかった武者も、203高地で戦死した兵も、特攻隊も、すべて、この国体のために、散っていった。
 国体は永遠なので、一過性の政治や法どころか、生死までをのりこえる。
 かつて、右翼がこわかったのは、国に殉じた愛国者の代理人という立場に立ったからで、かれらのなかで、燃えたぎっていたのは、ことばや理屈ではなく、情であり、祈りであった。
 情も祈りも、死を超越しているので、生にしがみついている者たちは、かれらの言動に震えあがったのである。
 その右翼が、政治論争や政権奪取に目の色をかえたら、国体を忘れたただの政治屋にすぎないものになり、こわいどころか、滑稽である。
 右翼のこわさは、生死をのりこえた思想を、身をもって体現させるところにある。
 本物の右翼にとって、テロリズムは、タブーではない。
 といっても、このテロリズムは、政争による暴力とは、まったくの別物である。
 政争によるテロは、気狂いに刃物であって、戦前の三月事件や十月事件、永田鉄山を斬殺した相沢事件は、議会を無力化して、軍の独走をまねいた愚行で、あれがなかったら、日本の戦争は、まったく、ちがったかたちになっていたであろう。
 右翼は、徹頭徹尾、国体守護の立場に立つ。
 かつて、大東塾という右翼団体は、景山正治塾頭以下、十四名が、天皇陛下に敗戦を詫びて、集団で、割腹自殺をとげた。自死をもって、国体の守護神にならんとしたのである。
 右翼は、天皇に還るほかない。天皇の防人となる。天皇の権威をまもることが、国体護持の王道であることを自覚するほかに、右翼は、右翼たりえない。
 右翼論について、次回は、極右と極左、戦後右翼と順を追ってにのべてゆきたい。

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2008年04月21日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(18)

 ●楠木正成と西郷隆盛がめざしたもの
 右翼という名称は、フランス革命時、議長席の右方に、王政派やファシスト党が席を占めたことに由来する。
 革命派や改革派が左翼とよばれるのも同様で、議席が、議長席の左方に位置していたからである。
 ヨーロッパの場合、イデオロギーによって、右と左が分かたれる。
 だが、日本では、事情が異なる。左が社会主義やマルクス主義でも、右は、かならずしも、イデオロギーに縛られているわけではないからである。
 戦前や戦中、右翼といえば、国家主義のことで、その国家主義にも、北一輝や大川周明の国家社会主義から、頭山満が率いる玄洋社などの大アジア主義、それに、国粋主義という三つの流れがあり、それぞれ、別個に活動をおこなっていた。
 なかでも、異色だったのが、天皇を戴いた革命運動の国家社会主義で、イデオロギーとしては、右翼より、むしろ、左翼に近かった。
 国家社会主義は、2・26事件で壊滅するが、東条英機の「統制経済」や「国家総動員法」も、一種の官僚社会主義で、戦後、この全体主義が、そっくり、ひきつがれて、現在の永田町・霞ヶ関体制になったことに、多くのひとは、気がついていない。
 頭山満の玄洋社、内田良平の黒龍会などの大アジア主義は、孫文らとむすんで、アジア解放という大戦略を立てた。だが、政府の協力がえられず、結局、これも、途中で挫折を余儀なくされた。
 残ったのが、国粋主義で、これが、現在の右翼へ、細い糸で、つながっている。
 国粋主義にたいして、マスコミは、「狂信的」という形容詞をつけたがるが、国の歴史や文化、習俗、伝統を保守しようとする考えは、本来、自然にして、常識的なもので、どこの国も、国家の中心に"国粋"というスピリットをすえている。
 孝明天皇は、国粋主義者であらせられ、尊皇攘夷も、もとをただせば、国粋主義である。
 幕末から明治維新にかけての闘争は、佐幕と勤皇、開国と攘夷、公武合体と倒幕、文明開化と士族の反抗と、すべて、国粋主義をめぐって生じたといってよいが、結局、勝ったのは、開明派だった。
 西洋文明の移植という方法で、近代化をめざした明治政府にとって、国粋主義は、国策を妨害する邪魔者で、是が非でも、取り除かなければならない目の上のコブだった。
 だが、国粋主義がめざすところは、「歴史の連続性」にあり、この国粋主義が排除されると、歴史が断絶して、やがて、国家は、求心力を失って、ばらばらになる。
 日本は、戦後、アメリカ民主主義とソ連のマルクス主義をうけいれて、事実上の文化的植民地となった。明治維新につづき、ふたたび、歴史の断絶をおこなったわけだが、その結果、日本は、国家中枢を官僚と反日勢力が握る、外国のような国になってしまった。
 皇室典範を改悪しようという有識者会議の議長が、伝統や歴史などカンケーないと言い放って、どこからも批判が出ないような国が、はたして、本来の日本のすがたといえるであろうか。
 さて。歴史上、「歴史の連続性」という思想に殉じた大人物が、二人、いる。
 楠木正成と西郷隆盛である。
 この二人には、いくつか、共通点がある。
 一つは、二人が旗印に掲げた銘に、いずれも「天」の文字があることである。
「敬天愛人(あいしん)」(西郷隆盛)
「非理法権天」(楠木正成)
 儒教における天も、高天原の天も、一過性の地上の価値や出来事をこえている。
 天は、永遠という「歴史の連続性」を暗示しているのである。
 そういう観点に立つと、二人の行動の謎が、徐々にとけてくる。
 二つ目の共通点は、敢えて、決戦と敗死をえらんだことである。
 歴史という長いスパンで見ると、妥協して、いっとき、生きながらえるより、大義(歴史の連続性・国体護持)ために散るほうが、はるかに大きな価値がある。
 たとえ、国が方向を誤っても、それを正そうとしたじぶんが、どのような思想に立って、戦場で散ったか。それが、後世につたわれば、日本は、ふたたび、天道へもどれる、という希望と確信が二人を死地へむかわせたのではないか、というふうに、わたしは、考えている。
 正成は、後醍醐天皇へ、足利尊氏との和睦を進言している。天皇が尊氏を許して、尊氏を征夷大将軍に任じれば、天皇親政・律令体制の復古はならなくとも、歴史の連続性は、まもられる。
 だが、正成の真意を理解できない後醍醐天皇のとりまきの公卿らは、正成を嘲っただけだった。
 そのあと、正成は、わずか7百騎を率いて、湊川で、数十万の尊氏大軍勢とたたかって散るが、このとき、「七生報国」ということばを残している。
 七回生まれかわる七生は、個人や地上の出来事をこえた、歴史のことにほかならない。
 そして、国というのは、政権を手にした幕府=権力ではなく、天皇=国体である。
 正成の天皇に対する忠は、個人崇拝ではなく、国体護持という歴史の連続性へのつよい意思のあらわれで、それが、国粋主義の本質といってよい。
 西郷隆盛も、西南戦争のさなか、山県有朋の自刃勧告にたいして、堂々たる決起の大義を書き送り、味方には――
「一統安堵し此の城を枕にして決戦致すべき候に付き、今一層奮発し、後世に恥辱を残さざる様に覚悟肝要にこれあるべく候也」
 と檄をとばした。
 安堵というのは、歴史が、われわれの正しさを証明するであろうから、安心しろという意味である。
 江戸城の無血開城、朝鮮の平和外交(武力による征韓論は板垣退助の意見で、西郷は、みずから使者に立つという外交路線を主張した)など、徹頭徹尾、流血を避けてきた西郷が、西南の役で、徹底抗戦をえらんだ理由が、これである。
 政府が、日本の西洋化というまちがったみちをえらび、その誤りに気づかぬまま滅びるより、われわれが、ここで政府軍とたたかって、歴史に敢闘の足跡を残せば、いつか日本は、その過ちに気づくであろうというのである。
 西郷の心根をもっともよく知る勝海舟は「西郷さんは、じぶんの思想を歴史にゆだねた」と評したが、江藤淳も、『南洲残影』にこう書いている。
 明治維新の目的は、無道の国から派遣された黒船を撃ち攘(はら)い、国を守ることにあったのではなかったか。
 ところが天子をいただく明治政府は、何をなしたか。
 みずからすすんで、西洋を真似て、無道の国への道を歩みはじめているではないか。
 国家をまもらんとした西郷が、なぜ、国家を代表する政府に叛旗を翻したか。
 国家とは――その時代に存在している政府や国民だけのものではないからである。
 過去、現在、未来と連綿とつづく垂直的なるもの(歴史の連続性)、それこそが、西郷のまもらんとした国家であった。
 明治政府は、垂直的共同体としての国家を断ち切り、これを滅ぼさんとする革命勢力ではないか。
 歴史を切断する勢力とは、断固として、たたかわねばならない。
 これが、西郷の思いではなかったろうか。(大意)
 日本の右翼が、政治闘争を志向せず、政権をめざさないのは、もとめ、まもるべきものが、国体=歴史の連続性にあるからで、そこが、政権をめぐって、権力闘争へ走るヨーロッパの右翼と異なる。
 わたしは、右翼と称する人々が、政治問題を語るのをにがにがしく思っている。右翼が目をむけるべきは、歴史の連続性であって、政治という一過性の問題は、政治家と選挙民に、まかせておき、政治家が、国を売るような誤りを犯したら、そのときは黙って、その過ちを贖わせればよいのである。
 次回は、右翼の在り方について、思うところをのべよう。
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2008年04月16日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(17)

 ●権威と権力を合体させた維新政府の過ちとその呪縛(続)
 革命やクーデター、倒幕(反政府)闘争がめざすのは、すべて、権力の奪取である。
 したがって、そこに大義がなければ、叛乱とみなされる。
 大義というのは国体のことで、国体護持の意思がはたらいていなければ、どんな理由があろうと、政治闘争は、私利や権力欲にとりつかれた亡者の私闘、叛乱にすぎないものとなる。
 そこに、歴史上の覇者が、朝廷に、錦の御旗や詔勅、官位をもとめた根拠がある。
 いくさや政治権力の行使は、私利や権力欲のためではなく、国体のためである――。
 したがって、詔勅や官位を戴きたいと。
 歴代の覇者は、国体の護持を天皇に誓って、いくさをおこない、幕府をひらいたのである。
 国体は、歴史や文化、国の繁栄や民の幸までを包含している。
 天皇は、その国体の象徴である
 だから、権威なのであって、私闘や権力欲と皮一枚で接する権力とは、無縁である。
 一神教のもとにあるのは、権力だけである。ローマ法王庁も、権力を絶対化する役割を担っただけで、権威たりえなかった。歴史や文化、民の幸までをふくむ国体という観念がなければ、権威はどこからもうまれず、権威の裏づけをもたない権力は、暴力装置でみずからを絶対化するしかない。
 したがって、ヨーロッパ(ユーラシア)では、権力闘争がはてしなくつづく。
 現在の戦争なき状態――バランス・オブ・パワーは、一神教世界の平和なのである。
 国体というのは、この世は神の国(高天原)の延長という、神道の世界観である。
 キリスト教やマホメット教では、真実が神の国にある。仏教は来世、儒教は天に真実がある。いずれも、この世を仮の世界とみるニヒリズム(虚無主義)であって、現世に神をみいだす国体という観念は、一神教からは、けっして、でてこない。
 日本人が、古代から、国体意識をもちえたのは、神道の国だったからで、日本の文化や習俗、心のありかたまで、すべて神道的価値観に根ざしている。
 西洋文明と日本文化は、根本がちがうので、すりあわせることができない。
 西洋の学問をした者は「日本人は権利意識が乏しい」という。だが、ヨーロッパでたたかいとらなければならなかった生きる権利は、日本では、和の心や相身互いの精神で手にはいった。
 権利意識など必要がなく、そんなことをいいだせば、かえって、和の心がそこなわれることになる。
 明治維新は革命だった――というのは、その変革が、神道文化へのキリスト教文明の接ぎ木だったからである。
 じじつ、明治維新は、日本史では例がない、ヨーロッパ型の権力闘争だった。
 神道的価値観から一神教的価値観への大転換をもたらしたのが、権威と権力の一体化である。
 孝明天皇は、討幕派に転向した岩倉具視に毒殺されたという説が根強い。
 最近、発見された主治医(伊良子光順)の日記にも「急性薬物中毒」と記されている。
 一介の公卿にすぎなかった岩倉具視が、孝明天皇が崩御された翌年、若き明治天皇を立てて王政復古(大政奉還)を実現させ、一躍、維新政府の中枢にのしあがってゆくことができたのは、天皇(権威)を政府(権力)のトップにつけるという、大革命をやってのけたからである。
 そこで、日本の伝統的な政治システム=権威と権力の二元体制は、終わりを告げた。
 大久保利通や岩倉具視ら、明治政府の首脳がめざしたのは、明らかに、ヨーロッパ型の政体で、このとき、国体も、事実上、崩壊した。
 明治政府は、日本文化の廃棄と西洋文明の導入を宣言して、文明開化を国是とした。
 森有礼文部大臣は、国語を英語に代えるように主張し、葛飾北斎ら日本の美術品はタダ同然で海外に売り払われた。武士は野蛮で、鹿鳴館文化というヨーロッパの猿真似が上流ということになり、このとき、皇室の正装や正餐も、洋式となった。
 当時、日本で、近代化が可能だったのは、文明開化の号令があったからではなく、日本の国体が磐石で、とりわけ、江戸時代の知的水準が、西洋文明を理解して、再生産できるほどに高度だったせいである。
 遣唐使の廃止によって、国風文化が栄えたように、日本には、他国の文化や文明を吸収して、さらに発展させる潜在能力をもっている。
 科学の利器である文明は、文化革命をおこさずとも、知的水準が高ければ、うけいれることができる。
 知的水準が高い文化の受け皿も、また、国体である。明治政府が、政体や文化、文明をヨーロッパ化する方法をとっていなければ、近代日本で、江戸の文化と西洋の文明が調和した第二の国風文化がうまれていただろう。
 ところが、明治政府は、それに気づかず、鹿鳴館文化や武士の廃絶というヨーロッパの模倣に走ったばかりではなく、このとき、皇室の王室化という、国体の変更をおこなった。
 そして、使節団を率いて、欧米を視察した岩倉具視や大久保利通は、文化や国体の担い手だった武士の廃絶に反対した西郷隆盛を西南の役で討ち、日本文化の否定、日本のヨーロッパ化を国是に、世界へのりだしてゆく。
 明治維新後、富国強兵をスローガンした国造りは、一応の成功を収め、日本は、世界の烈強と肩を並べるまでになった。だが、これは、西欧化が成功したのではなく、前述したとおり、江戸の文化レベルや髷を切って軍人や官僚となった武士の精神性が高かったからである。
 日清・日露戦争に勝利できたのも、たたかったのが、戊辰戦争を体験した幕末の武士だったからで、当時は、まだ、江戸時代の遺風が十分に残っていた。
 その後、第一次大戦における勝利やシベリア派兵などをとおして、日本は、国際社会で大国に列されるまでになった。
 だが、当時の日本は、維新政府の犯した大きな間違いに、まだ気づいていない。
 権威としての「現人神」と統治者としての「大元帥」の合体というヨーロッパの王制的権力が、どんなに危険性をひめているかついて、何も――。
 大正デモクラシーをへて、昭和にはいると、国体を変更したツケが、徐々に、まわってくる。
 権力が暴走するのである。朝廷のもとで自粛していた歴代幕府とはちがい、畏れるべき天皇をわがものにした政府、とりわけ、軍部は、自己制御の能力を失って、怪物的権力を増殖させてゆく。
 そして、日本は、戦争のための戦争という、西洋型の戦争へふみこんでゆく。
 大東亜戦争は、ヨーロッパ型の帝国主義にのったもので、日本は、蒋介石の中華民国やアメリカとたたかう必要など、みじんもなかった。
 政府(権力)が、天皇(権威)から政治をあずかるという二元的な政治システムが機能していたら、冷静な判断がはたらいて、戦線は、満州国の建設と南方の資源を握っているヨーロッパ列強との対決にとどまり、支那やアメリカとの開戦には、ブレーキがかかったはずである。
 支那戦線の拡大や真珠湾攻撃には、常識で考えて、何一つ、合理的根拠がなかった。
 だが、天皇が、大元帥として、権力の側におかれていたため、政府と軍部が天皇をとりあうという事態が生じ、結局、天皇をとりこんだ軍部がファッショ体制を敷いて、日本は不合理きわまりない、対支・対米戦争へつきすすんでゆく。
 幕末の争乱期、討幕派の志士らは、天皇を"玉(ぎょく)"とよび、「玉をとったほうが勝ち」と公言してはばからなかった。
 先の大戦でも、同じ論理のもとで、軍部が天皇をとりこんだ。
 天皇に主権(政治権力)があると定めた統帥権をタテに、天皇を大元帥に戴いた軍部が政党や議会をおさえ、その一方で、現人神として奉った天皇の威を借りて、国家総動員法を敷き、陸・海軍の兵士を不合理なたたかいに駆りたて、無計画に戦線を拡大させるのである。
 天皇が、権力にとりこまれたため、政治を監視する権威が不在となって、国家が危殆に瀕した。
 それが、前回、冒頭でのべた、天皇の戦犯問題と国体(皇室)の危機の真相である。
 一五〇年前、明治政府が犯した過ちは、払拭されたのであろうか。
 否である。それどころか、日本は、その禍根をいまもなおひきずっている。
 それが、保守精神の欠如である。
 じぶんの頭で、国益や国是、国の誇りについて、自主的にモノを考えられない政治家や官僚が、アメリカや中国という"玉"をとりあい、いわば、大国の虎の威を借りて、親米や反米、親中などの旗をふりまわしている。
 かつて、天皇の権威を借りて、国内で権力を奪い合った陸軍統制派・海軍英米派とすこしもかわらない。
 保守は、国体の基盤に立つ、ということである。
 政治家は、国益と国是のためにはたらき、国民やマスコミは、愛国心や公徳心を大事にする。それが、しぜんなすがたで、何ものからも支配されていないことが、保守精神なのである。
 保守精神は、民族や国家の歴史、文化の総体たる国体に拠って立つ。
 じぶんのうまれた国土、同胞、歴史、文化に心をおくことによって、はじめて、独立心や誇り、自信がうまれる。国体は、そういう情緒をとおしてあらわれるもので、国体を捨てて、じぶんの国に罵詈を浴びせ、アメリカに平伏し、中国に媚びるのは、日本を西洋より劣った国と見て、自国の歴史や伝統、文化の破棄を主張した岩倉欧米使節団のようなもので、始末に負えない。
 国家は、権力という現実主義に、国体は、保守という情にささえられている。
 自国の国体を愛することが第一で、そうすると、変革することより、変革しないことのほうに、現在より過去のほうに、より高い価値があることが、わかってくる。
 それが、保守主義である。
 国体の西欧化に反対して、西南戦争をたたかった西郷隆盛は、保守主義をつらぬいて殉死した。
 現在の保守主義の欠如は、万世一系の天皇を政治的に利用している憲法をもち、天皇を権威として立てられない政治的風土と、西欧化(アメリカ化・グローバリゼーション)のなかにあって、国体意識を血肉化できない社会的風潮によって生じた、とわたしは、思っている。
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2008年04月15日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(16)

 ●権威と権力を合体させた維新政府の過ちとその呪縛
 1945年の敗戦によって、日本は、神武紀元以来、連綿とつづいてきた国体(皇室)の存続が危殆に瀕するという、未曾有の国難に直面した。
 天皇の戦犯問題である。
 天皇が、東京裁判で裁かれ、あるいは、イタリアのサボイア王家と同様、皇室の解体がおこなわれていたら、国体が崩壊して、日本は、分裂国家か、大国の属国になっていたと思われる。
 日本がポツダム宣言の受諾を渋ったのも、国体の護持という確証がえられなかったからで、それが、広島・長崎への原爆投下という惨禍につながった。
 そういう事態に立ち至ったのは、明治政府が、権威と権力を一体化させ、天皇を戦争の当事者にしてしまったからである。
 ロシア、英国、オーストラリアなどの戦勝国が、天皇の戦争責任をもとめたのも、天皇が、かつての、ヨーロッパの王室と同様、権力者と思ったからだった。
 天皇の権威に象徴される国体、その国体の認承によって、権力に正統性があたえられる政体――これが、わが国の二元的な政治システムで、権威たる天皇は、権力である元首や大元帥と、一線が画された存在でなければならなかった。
 ところが、明治政府は、権威である天皇を<元首・大元帥・現人神>として権力の側にとりこんで政治的に利用した。
 そのつけが、一〇〇年後にまわってきたのである。
 戦後、劇的なかたちであらわれた天皇体制の危機は、明治維新の段階で、すでに、仕込まれていたわけだが、先の戦争の失敗から現在の社会的欠陥まで、原因をさぐると、すべて、そこへゆきつく。
 今回は、2回にわたって、そのテーマについてのべる。
 さて。我が国にとって幸運だったのは、GHQ最高指令官・マッカーサーが占領政策に天皇を利用すべく、アメリカ議会や他の戦勝諸国の反対を押し切って、戦犯から除外したことである。
 マッカーサーの判断によって、天皇の戦犯問題と皇室解体の危機は、かろうじて、回避されたが、国体の護持が、薄氷をふむような危うさに瀕したことは、日本史上、最大の汚点といってよい。
 もともと、日本の天皇制度は、権威と権力を分離することによって、権力の増長を防ぐ歴史の知恵で、だからこそ、日本の国体は、二千年以上にわたって、まもられてきたのである。
 薩長閥による明治政府が、この伝統的な体制をこわしたのは、かれらの近代化が、欧化主義だったからで、下級武士にもおよばない低い身分だったかれらに、日本の伝統を重んじる気風は、そなわっていなかった。
 明治維新は、きわめて、複雑な構造をしている。
 慶応三年(1867年)、十五代将軍徳川慶喜は、政権を朝廷に奉還し、その翌年、官軍が江戸に迫ったところで、勝海舟・西郷隆盛の会談をとおして、江戸城の無血開城までおこなっている。
 ここまで平和裏にすすむのは異例としても、これは、日本史にいくたびかあらわれた政権交代劇の一つといってよい。
 ところが、官軍は、徳川家と親藩の徹底殲滅をはかって、内戦をひきおこす。
 戊辰戦争である。
 徳川慶喜は、すでに、恭順の意をしめしており、親藩にも反抗の意図はなかった。あとは、公武合体にしろ公儀政体にしろ、新しい政府をつくるために、英傑が力をあわせればよかったわけだが、薩長がそうしなかったのは、公武合体論の孝明天皇が急死して、「薩長政府」樹立の機運がうまれたからである。
 このとき、薩摩や長州は、権力の正統性を顕す錦の御旗をもとめた。
 戊辰戦争は、錦の御旗をわがものにしようとする薩長の権力欲によってひきこされたといってよい。
 幕末の乱世にあっても、徳川幕府は、天皇から征夷大将軍の官位を戴き、三百年の長きにわたって日本を統治してきた。為政者としての正統性もあり、薩長軍と対抗する戦闘能力も十二分にもっていた。
 一方、薩摩や長州が王制復古や天皇親政をうったえても、錦の御旗がなければ、倒幕に大義名分が立たない。当時、薩長軍が、天皇の勅書と錦の御旗を必要としたのは、かれらがめざした倒幕が権力闘争で、事実上のクーデターだったからである。
 錦の御旗がなければ、倒幕運動は、ただの叛乱である。事実、薩長の倒幕運動には、関が原で徳川に敗れた両藩の意趣返しという動機が隠れていた可能性がある。
 錦の御旗や天皇の詔勅によって、権力に正統性が付与されるというやりかたは、日本の伝統的な政治システムで、足利尊氏が、後醍醐天皇親政に対抗すべく、北朝一代目となる光巌天皇を立てて、室町幕府をひらいたのも、同じ原理である。
 明治維新において、薩長(東征)軍が幕府軍を圧倒できたのは、かれらが、錦の御旗を手にしたからだった。一方、朝敵となった幕府軍は、賊軍の汚名を着せられて、ことごとく、敗れ去った。
 錦の御旗のもとで、権力を手にした政治権力は、こんどは、権威である天皇の意思にかなう政体を組織して、国家・国民のために、行政組織を合理的に運営しなければならない。
 それが、権威と権力、国体と政体の二元論的関係である。
 ところが、明治政府は、討幕に利用した天皇を――徳川三〇〇藩候の解体や廃藩置県、廃刀令などの政治改革に利用する。
 民の平安や国の繁栄を神々に祈る最高神官として、権力構造と一線が画されていた天皇を現人神として神格化する一方、明治政府は、天皇を元首・大元帥という権力者に仕立て上げたのである。
 権威である天皇が、権力へとりこまれると、権威が空白となって、騒乱がまきおこるのは、これまでの歴史がしめすとおりである。
 後醍醐天皇の建武の新政を、わたしは、評価しない。
 清廉な鎌倉幕府・北条執権を倒して何がおきたであろうか。
 南北朝から、内紛がたえなかった足利幕府、足利義満・義正の悪政、応仁の乱から戦国時代をへて、徳川幕府が安定政権を打ち立てるまで、日本は、270年にわたって、暗黒の中世をさまよわねばならなかった。
 権威と権力が別々に機能していれば、なかったはずの暗黒の270年だが、明治維新でも、建武の新政と同じことがおきた。
 明治政府が天皇をとりこんだことによって、権威が空白となり、あっというまに、軍国主義ができあがってしまったのである。権力を監視する天皇が不在で、現人神が、権力に就けば、その権力が怪物化するのは、必然である。
 マッカーサーは、占領統治に天皇を利用した。だが、それは、かならずしも、権威と権力の二元論から外れたものではなかった。天皇は、マッカーサーに「わたしはどうなってもよいが、国民を飢えから救ってもらいたい」といわれ、マッカーサーは、曲がりなりにも、その意にそおうとした。
 権威である天皇の祈念が、マッカーサーという権力につうじたのである。
 天皇の戦争責任が不問になったのは、本来、天皇は、民の幸を「神に祈る神」(本居宣長)であって、もともと、権力から、切り離された存在だったからである。
 新憲法では象徴(権威)となったが、新憲法で規定された天皇の象徴性は、国民の統合であって、国体と明記されていない。
 わたしが、憲法を改正して、天皇の条項、および、皇室典範を憲法から外すべきと思うのは、国体が、法や政体の下位におかれると、文化や歴史、国民の幸が、政治権力の下にきてしまい、危険きわまりないからである。
 古来にはじまり、武家政治の中世から江戸末期まで、天皇の権威は、国体の象徴としてであって、国体の根拠は、政治力や軍事力ではなく、歴史や文化、なによりも、民の幸せと国家の繁栄におかれている。
 国体には、国家の安泰と民の幸という神々の祈りが、すでに、封じ込まれているのである。
 お天道様のもとで、人々が、八百万の神々とともに、生産や繁殖に励むことをめざしているのが、神道のもとにある日本の国体で、そのため、天皇は、皇居内で年間三十回にもおよぶ祭}、多くの国事行為をおこなっている。
 権力が、国体をまもるということは、国家・国民をまもることで、その規範から外れることがないよう、権力を監視するのが、権威=天皇である。
 天皇が国体の象徴、というのは、そういう意味合いからである。
 次回は、権力構造という視点から、もういちど、明治維新を見直してみよう。

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2008年04月10日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(15)

 ●天皇と神道――ヨーロッパ王制とキリスト教
 ヨーロッパの王室は、中世における権力闘争の覇者で、征服王の家系である。
 歴史的にも浅く、三〜四百年ほど前といえば、ちょうど、日本の戦乱期にあたる。
 しばしば、日本の天皇と比較されるが、絶対権力者であるヨーロッパの王は、天皇ではなく、むしろ、平氏の平清盛や源氏の源頼朝、足利尊氏、あるいは、天下統一をはたした織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、戦乱期の覇者に近い。
 天皇は、覇者でも、権力者でもない。
 覇者に、征夷大将軍などの称号をあたえ、一方で、幕府を監視する権威である。
 天皇のこの権威は、神話にもとづいている。
 神話は、一つの寓話ではあるが、その根源に、神道という民族の宗教原理があり、国体や国柄、伝統や文化は、その神道の価値観に根ざしている。
 天皇は、権力に正統性を付与し、幕府を総監するだけではなく、国家の繁栄や民の幸、収穫を祈念する神道の最高神官でもある。
 これが、日本特有の権威(天皇)と権力(幕府)の二元体制である。
 ヨーロッパに天皇にあたる地位がなかった理由は、キリスト教の布教によって、民族の神話が失われたからで、ヨーロッパ各国の古来の伝統や文化も、民族の神話とともに、消えさった。
 民族固有の神話を失ったヨーロッパ各国において、新たな神話となったのが、「神が創造した最初の人間、アダムと妻のイヴが神の戒めに背いたため、エデンの園から追放された(原罪=キリスト教の中心教義)」とするキリスト教の物語で、権力構造においても、キリスト教をうけいれたヨーロッパの王国は、いずれも「神より与えられた統治権は神聖にして不司侵である」という帝王神権説をとって、絶対権力をつくりあげた。
 権威の後ろ盾がなかったため、ヨーロッパ王政は、絶対主義という強権を立てなければならなかったのである。
 歴史や民族、文化が異なるドイツ、フランス、イタリアなどのヨーロッパ諸国が、EU統合という大事業をなしえたのは、キリスト教という同一宗教、キリスト教を中心とした独自の文化と価値観でむすばれていたからで、ヨーロッパに、ユダヤ教や回教など、別の絶対神が根を張っていたら、統合は、不可能だったかもしれない。
 万世一系の天皇を戴くわが国の皇室は、古事記や日本書紀に描かれている神話を起源にして、現在まで、連綿とつづいている。
 政体が、源平から鎌倉、室町、戦国時代をへて、織豊、徳川、明治と変遷してきたにもかかわらず、後醍醐天皇による一時期の王政復古を別として、国体がゆるがなかったのは、天皇の権威と幕府の権力のあいだに、一線画されていたからで、権力と権威の二元構造が、古代から今日までひきつがれてきたのも、権力者がかわっても、国体は変化しない柔構造が、すぐれた政治形態だったからであろう。
 この二世紀のあいだに、ヨーロッパ王制の多くが、消滅した。
 ブルボン王朝はフランス革命で、ロマノフ王家はロシア共産革命によって滅び、第一次大戦に敗れたドイツでは、ホーへンツ、オレルン王家が消えた。オーストリアでは、ハプスブルグ家が王制から去り、第二次大戦後、イタリアのサボイア王家が、国外に追放された。
 国家は、国体という文化構造のうえに、政体という権力構造をのせている。
 ヨーロッパで多くの王家が消えていったのは、拠って立つところが、歴史や文化などに裏打ちされた国体ではなく、権力闘争がくり広げられる政体だったからである。
 権力闘争の産物である政体は、時代によって、変遷する。
 ところが、国体という歴史的な文化構造は、かわることがない。
 そこから、国家の母体は、権力の実体たる政体ではなく、国体だったと、わかる。
 国体から、権威が派生する。
 権力は、その権威によって、正統性をあたえられる。
 したがって、権威の裏づけがない権力は、絶対主義でもとらないかぎり、安定した支配体制をつくりあげることはできない。
 立花隆が、雑誌に「戦後日本の国体は憲法九条」などと書いているが、護憲論者の強弁という以前に、政体にぞくする政治や法律が、国体を規制しうるという考え方が、そもそも、まちがっている。
 同様に、憲法で天皇のありかたを定めるのも、憲法で皇室典範を規定するのも、誤っている。
 権威は、権力の都合や法解釈によって左右されてはならないからである。
 だいいち、一過性の権力機構にすぎない政体に、そんな権限はゆるされていない。
 国体は、文化の体系であって、文化の根源をさぐれば、どこの国でも、神話にゆきつく。
 神話によると、天皇は、高天原から降臨した神々の子孫で、いまなお、国の繁栄や民の幸を祈っておられる。
 神話の母体である神道の精神は、無私である。
 私心をはさまず、高天原の神々が理想としたすがたを再現しようとするのが「惟神(かみながら)の道」で、天皇は、覇権を争う権力者と、正反対の立場に身をおかれている。
 そこに、幕府が、天皇のゆるしをえて、国を支配する原理がある。
 神武天皇の血筋をひいておられる万世一系の天皇が、日本の伝統文化や生活感情、習俗の土台になっている神道の最高神官であらせられる以上、戦闘能力にすぐれているにすぎない武力集団が、その天皇に、為政の勅をもとめるのは、すぐれて、しぜんなふるまいであり、それが、日本の国柄である。
 武力だけで、覇権を争ったヨーロッパの王政とのちがいは、いかばかりか。
 もっとも、わが国においても、七世紀初めまで、天皇は、王的な権力もそなえていた。
 というのも、大和朝廷の成立以前、あるいは、その初期において、政体といえるような権力構造がなかったため、政治が、文字どおり、まつりごと(政=祭祀)だったからである。その過程で、いくさ(征夷)をふくめた強権の発動があったと思われるが、ユーラシア大陸でおこなわれたような凄惨なたたかいはなかった。
 その理由は、神道の起源とも関連するが、森林や肥沃な平野、河川、海岸線がゆたかな日本では、砂漠や痩せた土地の国々とはちがって、生存競争や生死をかけた争いのタネが、それほど多くなかったからである。
 人々は、大自然のなかで、おおらかに生きていた。それが、万葉人と呼ばれる日本人の始祖で、かれらは、自然そのものを神として、その自然法則にのっとって生きる、神道という世界観をきずきあげた。
 砂漠や山岳、放牧しかできない痩せた土地では、魂の救済をもとめる一神教の啓示宗教がうまれる。 
 だが、ゆたかな自然に恵まれた日本では、もっと素朴な、太陽の恵みを称える祭祀が根づいた。
 神道の最高神は、太陽である。
 収穫や自然の恵み、巡ってくる四季、一日や一年という区切りは、すべて、太陽のはたらきによるものだからである。
 もっとも、神道は、インカやエジプトのような太陽神崇拝とは異なる。
 太陽のもとにある森羅万象が、それぞれ、神々(八百万神)で、この世は、神々の活動(産巣日=ムスビ)の場にほかならず、そのすがたは、神代から現在まで、かわらないとする。
 高天原の太陽も、この世で輝いている太陽も同じなので、高天原はこの世とつながっている、というのが、神道における太陽で、それが、天照大神のもとで、さまざまな神々が活躍した神話におきかえられて、いまにつたえられている。
 日本の伝統や文化、習俗や生活感情には、神道的な価値観が反映されている。
 たとえば、西洋の時間は直線的だが、神道の時間は循環する。お正月は、ふたたびめぐってきた新しい年で、過去は、忘れられる。
 禊(みそぎ)や浄め、よみがえり、水に流す、という習俗や考えかたは、神道のもので、それが、文化だけにとどまらず、日本人の価値観や気質にまで投影されている。 
 日本の国体は、風土や歴史、文化、日本人の精神の深くにはいりこんでいる神道の価値観にささえられている。
 その中心におられるのが、万世一系の天皇で、それが、国体のすがたといってよい。
 明治維新後、一神教的な価値観がはいってきて、伝統的な神道文化に珍奇な西洋文化を接ぎ木するかたちで、近代化がおこなわれた。
 かわったのは、明治政府という政体だけではなかった。
 権威と権力の二元構造、国体のあり方も、大きな変更をくわえられた。
 その結果、何がおきたか。そのテーマについては、次回、のべることとする。

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2008年03月23日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(14)

●「神道」は日本民族固有の価値・世界観である
 今回は、神道について、すこし、整理してみたい。
 神道は、保守主義や右翼思想の根っ子の部分にひそんでいるが、これは、欧米の保守思想や国家主義が、キリスト教とつながっているのと、同じ構造である。
 民族的宗教観と国体、国柄が、表裏一体の関係にあるからである。
 広辞苑をひもとくと、神道の項目に「かんながらの道」とある。
 これが、神道の真髄で、神道には、これ以上の説明は、必要がない。
 かんながら(惟神)とは、人為をくわえないさま、神慮のまま、という意味である。
 自然や天体、物や事があるがままにあるのが神慮で、そのありさまが、惟神の道、神道のすがた、というのである。
 一神教の場合、自然や天体をつくったのが絶対神で、人間は、それを神からもらいうけるので、自然も他の生物も、人間の所有物や糧にすぎない物となる。
 キリスト教が、神との契約といわれるのはそのためで、中世ヨーロッパにおいて、侵略や他民族の虐殺がおこなわれたのは、キリスト者にとって、地球上の生産財すべてが、神からあたえられたものだったからである。
 神からもらった生産財には、自然のほか、動物もふくまれる。異教徒や未開人も動物なので、中世や大航海時代、ローマ法王の名のもとで、十字軍遠征、あるいは、インカ帝国などの非キリスト教地域で、虐殺や略奪をくり返して、キリスト者は、なんら、罪や良心の咎めをかんじるところがなかった。
 近世・近代になって、神は、科学にとってかわった。神がつくった自然の合理から科学がうまれたので、科学も、神の恩恵というわけで、こんどは、科学が絶対神になって、ふたたび、侵略がはじまった。
 列強のアジア侵略は、ヨーロッパ文明による文化破壊で、アジアやアフリカ、旧アメリカが、かれらに、徹底的に破壊され、奪われ尽くされた。
 一神教がうみだした科学=合理主義が、理性神にまで高められたのが革命である。
 フランス革命では、実際に、祭壇に、理性神が飾られた。
 そのフランス革命をモデルにしたのが、ソ連の共産主義革命だった。
 そして、二十世紀において、多くの共産主義国家がうまれ、大半が滅び、滅びつつある。
 一神教が、絶対神→科学→合理主義→理性→イデオロギー、というふうにすすんできたので、共産主義というイデオロギーのもとにある中国が、中世の十字軍遠征の論理をひきついで、いまなお、チベットの文化破壊やチベット僧侶の虐殺をおこなっているのである。
 神道における宗教観は、一神教世界のそれと、まったく、ちがう。
 宗教観がちがうと、価値観や自然観、世界観も、当然、ちがってくる。
 明治維新以前、日本は、特有の民族文化をもった文明国家で、当時の日本人の美的感覚や識字率、土木や建築技術、政治システムなど、多くの分野で、世界一だったことが、学術的に証明されている。
 日本の文化の高さをささえていたのが、神道の価値観だった。
 神道の「かみ」は、人間はもとより、鳥獣、木草、海や山、その他諸々、すべての存在をさす。その場合のかみは「迦微」で、八百万の神も、本来、迦微である。「神」という文字が付されるのは、全存在の頂点にある太陽だけで、それも、太陽に精霊が宿っているという意味ではなく、太陽そのものが神で、そこが、ギリシャの太陽神やアニミズム(精霊崇拝)とちがう。
 西洋の学者のなかには、神道は宗教ではなく、哲学というひともいるが、絶対神を拝んで救済をもとめるのが宗教なら、神道は、一神教と同じ宗教の枠にくくることはできない。
 神である太陽のもとで、森羅万象があるがままにあり、生あるものが精一杯生を営む、というのが「惟神の道」だが、この神道と、絶対神から、生産財として、自然や動物などをあたえられたと考える傲慢な一神教(絶対神)では、対極といってよいほど、遠い距離にある。
 ●神道と江戸の国学四大人
 日本の古代信仰が、神道として体系化されたのは、江戸時代で、当時、神道の研究は、国学とよばれた。テキストは、古事記や日本書紀などの古典、および民間伝承で、国学=神道を完成させたのは、荷田春満(かだのあずままろ)・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤の四人(四大人)である。
 なかでも、本居宣長は、キリスト教や儒教など、ユーラシア大陸の価値・世界観を「漢意(からごころ)」として排して、神道の中心に、大和心をすえた。
 敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花 
 大和心は、理屈を抜いた情緒や直観で、自然や物事と対面して生じる情けでもある。
 さて。この神道の特異なところは、教義や教典、御神体がないことである。
 しかも、おもんじるのは、祭祀だけで、徳目も、浄明正直(浄く明るく正しく直く)だけという、じつにさっぱりとしたもので、宗教というより、民族固有の世界観といったほうが、たしかに、わかりよい。
 荷田と賀茂、宣長は、順に、師弟の関係にあり、世界観もほぼ同じだが、宣長の後継者を名乗った平田篤胤だけが、やや、異色である。平田篤胤の神道は、天御中主神(アメノミナカヌシ)をキリスト教の創造主に見立て、天皇を現人神とする西洋的な宗教観をうちたてたが、それが、師と仰ぐ宣長がきらった漢意で、平田神道からうまれたのが、天皇を現人神とする国家神道である。
 国家神道では、天皇を現人神としたが、一方で権力は、天皇を大元帥に祭り上げ、政治的に利用した。国家神道は、戦後、GHQによって禁止されたが、神道における天皇は、万世一系の最高神官で、いっとき、武器をもってたたかいはしたが、もともと、高天原から降りてこられた葦原の国(日本)の管理者である。
 権力(幕府・政府)は、したがって、この国が浄明正直であれと願い、祈る天皇の大御心に応えなければならない。そこに、権威と権力が二元化した日本特有の政治構造と、日本で朝敵がもっとも忌まわしい存在となる根拠がある。
 もう一つ。神道が、一神教ともっともちがうところは、あの世がないことである。
 一神教では、あの世という異次元があり、そこに、絶対神がいる。
 人々は、絶対神にひれ伏して、死後、免罪されて天国へ行けるよう祈る。
 神道で、この世のことを「葦原中つ国」というのは、高天原と黄泉国の中間にあるという意味だが、これは、仏教の影響をうけた形跡で、死んでも、この世にとどまって守護神(祖霊)になる神道では、死は、生の抜け殻の死体でしかなく、したがって、忌まわしいだけのものでしかない。
 この世と高天原、黄泉国がつながっている神道には、死後の世界という観念がなく、生死や有形無形を問わず、全存在は、太陽のもとにある。キリスト教が生前(=原罪)の、仏教が死後(=浄土)の宗教なのにたいして、神道が生の宗教といわれるのは、そのためである。
 神道では、絶対神にあたるのが太陽だが、太陽は、あくまでも、この世のものである。
 この世に、太陽という絶対神が輝いているのは、高天原と葦原の国がつながっているからで、この世では、したがって、神代でおきることと同じことがおきる。
 宣長によると、この世界は「奇異なる物(迦微)と事(産巣日=むすび)」の生起消滅の連鎖で、神代で八百万の神々によってなされた事跡が、そのまま、葦原の国でおこっているという。
 太陽の運行も、巡ってくる四季も、草木の生長や動物の繁殖も、世界に存在するさまざまな文物も、人間の性行為さえ、漢意を抜き去ってながめると、奇異(くすしあやし)としかいいえないもので、この世で、奇跡(=奇異)がおきるのは、高天原とつながっているからである。
 刻一刻と、目の前にあらわれる事実や事象が「神の道=惟神」で、それをそのまま「神の御所為(みしわざ)」と見る。神道で、現在を「中今(なかいま)」「神代即今」というのは、いま現在、おきている出来事も、神代でおきたことと同様に、神慮であって、理屈では解けないからである。
 科学で説明しようとしても、なぜ、原子や遺伝子が存在するのか、という最大の謎は、とうてい、科学の手に負えない。
 宣長は、当時、解読不能だった「古事記」を読み解き、そのなかに、生々しく記録されていた神道の真髄を探りあて、その尊きを尊み、 可畏(かしこ)きを畏みているべきであるとした。
 かみには、貴きも賎しきも、強きも弱きも、善きも悪しきもあり、荒魂がいれば、和魂もいる。それらの神々が、太陽系の時空間でくりひろげる奇異とともに、われわれが存在するというのが、太古から有史以前、古事記の万葉世界、現在につらなる神道の世界観で、人間の小さい認識(漢意)で、その理(ことわり)を測り知ることはできない。
 これが、日本人の宗教心で、絶対神の救済をもとめないから、日本人は宗教心が乏しいというのは、西洋人の偏見、無知、思い上がりでしかない。
 戦後、日本人が、自信を失ったのは、戦前まで残っていた神道の価値観が、科学万能主義やマルクス主義、アメリカ化などによって、根絶やしになったためであろうが、一方、初詣や七五三のお参りでは、日本人は、いまなお、こぞって、神社へむかう。
 日本人の心の奥底に、ノスタルジーとしての神道が、根強く残っているからであろう。
 日本人の精神を復活させる鍵は、神道にある、というのが、わたしの持論なのである。
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2008年03月11日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(13)

 ●憲法九条を戦後日本の国体と強弁する立花隆
 雑誌「現代」に、立花隆が「憲法九条は戦後日本の国体」という論文を書いている。
 国体は、歴史や伝統、文化、宗教感情、習俗などに根ざしており、政治や法は、国体の上にのっている政体にすぎない。
 立花の暴論には、驚くしかないが、憲法九条を戦後日本の国体と強弁するのは、事実上の国体否定で、かれら護憲主義者の主張は、最後には、国境を取り払い、世界連邦をつくって、全人類が手をつなごう、という誇大妄想へゆきつく。
 過激派の「世界同時革命」のようなものだが、いったん、こういうイデオロギーにとりつかれると、国家の礎である国体が、世界連邦建設の障壁になるというわけで、保守陣営をふくめた護憲派の政治家、論壇人、マスコミ文化人らが、競って、反日主義をいいつのるようになる。
 反日主義は、左翼ではなく、国体という観念が抜けおちたコスモポリタニズム(世界市民=無国籍主義)で、そんな連中が、憲法九条をたてまつるのは、国体を否定したいからにほかならない。
 憲法九条、および、憲法に謳われている国民主権は「国家は――国家の維持・強化を最高原理として行動する」という国家理性(国是)や国家主権と対立する。
 それも当然で、日本の国体や国是を否定する目的でつくられているGHQ憲法から、コスモポリタニズムに立った絶対平和主義や国体・国益の否定がでてくるのは、必然のなりゆきである。
 さらにそこから、反日主義がとびだしてくるのも、占領憲法に封印されていたシナリオで、要するにかれらは、GHQ憲法という敗戦革命の申し子なのである。
 政治や法を国体に優先させると、国家は、文化的に不毛な人工国家へ転落してゆく。共産主義国家がよい例で、国体の代わりにイデオロギーをもちこんだ結果、国家が機能マヒと経済破綻をおこして、前世紀の末、大半が地球上からすがたを消した。
 国体を否定した国家が、衰弱するのは、文化や歴史、宗教感情が国体ともども、消えてしまったからである。
 戦後の日本が、いまだ、独立国家の体をなしていないのも、政治や法に比べて、国体の比重が軽いからで、そこに、国家としての致命的欠陥がある。
 国体というまもるべき実体がないので、国益がふみにじられ、防衛観念が薄まり、媚中外交や対米従属、自虐史観から、反日主義などというとんでもないものまでがとびだしてくる。

 ●太陽と神道、天皇と国体
 今回は、国体論をのべるにあたって、神道をからめて、考えてみたい。
 原始の時代から、人々の心をとらえてきた宗教感情は、やがて、独自の価値観や世界観をかたちづくり、それが、文化や習俗、民族性などに投影されて、国体ができあがった。
 政体ができる前に、素朴な宗教的共同体があったのである。
 歴史や伝統、文化、習俗に根ざしている国体は、もとをたどると、宗教感情へゆきつくはずで、日本の場合、それが神道で、万世一系の天皇は、「神に祈る神」として、いまもなお、神道の最高神官という立場にある。
 国家は、この伝統的な国体の上に、封建体制や民主主義、立憲政体などの合理的な権力をのせた二重構造になっている。
 時代や状況とともに変化する権力構造と、万古不易の国体が、擦り合わさっているのが国家で、この二重構造をふまえなければ、国家の全体像は、なかなか、見えてこない。
 宗教感情といっても、国によってちがい、国体には、その差異が、反映される。
 その差異によって、国々の価値観や世界観、ものの考え方も、異なってくる。
 真・善・美になぞらえていえば、西洋の一神教がもとめてきたのはで、東洋の仏教や儒教は、をおもんじる。日本の神道は、美で、日本人は、キリスト教の真理や儒教的な善悪よりも、をたいせつにする。
 日本人の美意識は、伝統的な価値観、古くからの習俗と同様、神道からきている。
 真理をもとめる一神教な世界が、合理主義一辺倒で、弱肉強食となるのは、善がかえりみられないからで、儒教的な善悪の世界観が、不自由で窮屈になるのは、美がないからである。
 美は、内部に、真や善をのみこみながら、それ自体、感性的な価値をもっている。
 事物が美しいのは、邪や悪がとりのぞかれているからで、しかも、真や善以上の価値がある。真が頭脳から、善が精神からうみだされるものであれば、美は、もっと高度な審美的感性からでてくる。その意味で、神道は、一神教や観念宗教をこえた、芸術の域にまで高められた、日本固有の宗教であり、文化であり、美意識ということができる。
 日本の国体は、このような、古来の宗教感覚や美意識を土台にしている。
 したがって、この神道がいかなるものか、どんなかたちをしているか、それをふり返らなければ、日本の国体を語ることができず、われわれは、日本人としての自分自身のすがたを知ることもできない。
 現在、日本が、あらゆる分野で停滞しているのは、借り物の外来文化にたよりきって、神道という感性や国体を見失っているせいではないか。
 かつて、日本が、大陸からの文物を国風化する懐の深さ、柔軟さをもつことができたのは、受け皿となる国体が磐石だったのにくわえ、神道が、太陽を最高の存在とみる大らかない自然観をもっていたからである。
 太陽のもとでは、すべて平等で、しかも、太陽をこえるものは、存在しない。
 仏教もキリスト教も、太陽の恵みのもとにある森羅万象の一つなので、神仏習合というかたちで、共存できる。
 神道は、すべてをのみこむ太陽を崇めるが、霊魂とみているわけではない。
 自然の存在、現象そのものが、神の道で、そのなかで、太陽を最高の神と見立てている。最高神が、照らしだしているので、この世は、下界ではなく、中つ国なのである。
 神道のもっとも大きな特徴は、仏教やキリスト教とちがい、あの世とこの世の境界線がないことである。
 キリスト教などの一神教、あるいは、この世が天の差配のもとにあるとする儒教、死の哲学である仏教では、現世のほかに、天国や来世、彼岸があるが、神道という日本独自の宗教観においては、高天原は、現世とつながったままになっている。
 高天原でも、この世(芦原中つ国)でも、最高神は、同じ太陽で、太陽の化身である天照大神の神話が、血筋によって、現在まで、連綿とつづいている。
 そこに、神道と天皇が中心となった日本の国体のレジティマシー(正統性)がある。
 この世が、高天原の再来なのであれば、真・善・美は、すでに実現されているというのが、神道的世界観で、それが失われているのなら、浄めと復活でよみがえらせることができる。
 そこに、神道の保守思想があるのだが、そのテーマについては、いつかまた、ふれる。
 森喜朗元首相の「日本は神の国」、安倍晋三前首相の「美しい国・日本」は、神道的な価値観にもとづいたものだったわけだが、いかんせん、現在の日本では、神道的な素養が払底しているので、意思がうまくつたわらず、左翼マスコミから、散々、叩かれる破目になった。
 神道は、宗教というより、日本人が数千年にわたって共有してきた文化=世界観であり、天皇は、実史と融合している神話時代の唯一の実在者=国体の象徴で、政治体制がどうかわろうと、その地位やかたちは、ゆるがない。
 神道と国体は、このように、天皇が仲立ちとなった歴史の連続性、および、文化の永続性の関係である。
 このすがたをみず、憲法九条が戦後日本の国体などというのは、知的退廃も、はなはだしい。
 


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2008年02月18日

保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(12)

 ●「国体」と「政体」
 日本の保守政治家のあいだに、保守主義をつよめてゆこうといううごきがでてきたことを、わたしは、まことによろこばしく思う。
 平沼赳夫、中川昭一、島村宜伸らが主催する勉強会がそれだが、なぜ、かれらが、保守主義をかかげたのか、他の保守議員とどこがちがうのか、今回は、そのあたりを入り口にして、国体と政体のちがいついて、のべたい。
 保守系有志の勉強会「健全な保守」の平沼、中川、島村らと、河野洋平、加藤紘一、山崎拓、古賀誠、二階正博、福田康夫ら自民党左派、あるいは、小沢一郎、菅直人、岡田克也ら民主党主流のちがいは、一言でいえば、国体意識があるか、ないか、である。
「健全な保守」がもち、自民左派・民主主流に欠落しているのは、歴史や文化、民族性に根ざした国体という、国家・政体・国柄の土台となるイメージである。
 別項で、権威と権力の二元論について、のべた。権威が朝廷・天皇で、権力にあたるのが幕府・政府だが、これは、そのまま、国体と政体の関係におきかえることができる。

 ●権威=朝廷・天皇=国体(歴史・文化・民族性など)
 ●権力=幕府・政府=政体(民主主義・資本主義)


 国体と対応する政体は、政治形態ということで、これは、経済形態とワンセットになっている。
 民主主義と資本主義が、日本の政体で、自民党も民主党も、この枠内で、国益・民益を追求している。
 政体論においては、枠組みがきまっているので、両党に大きなちがいはでてこない。
 むろん、枠内での対立点は、多くある。政治は「個と全体」の利益調整なので、自由競争と福祉政策、大きな政府と小さな政府、国益と民益など、二者択一的な争点をめぐって、政治家は、選挙運動や国会・政党活動などをとおして、丁丁発止とやりあう。
 かつての自民党は、旧自由党系が、宏池会の池田勇人から宮沢喜一、谷垣貞一にいたるまで、経済一辺倒で、一方の旧民主党系は、改憲主義者の鳩山一郎から安保条約の岸信介、前首相の安倍晋三まで、政治向き、というちがいがあり、両派は、経済と国家の安全という振り子のなかで、政権を争ってきた。
 それが、かつて、政局問題となり、民主党が躍進してきた現在、政権交代へと発展する可能性もあるが、それが、民主主義と自由経済の枠内におさまるかぎり、政権交代も改革も、政体にかかる変更にとどまり、国体は、ゆるがない。
 つまり、政体は、国体に抵触しない限度内で、国益・民益を追いもとめる政治ゲームであり、たとえば、アメリカの共和党と民主党、イギリスの保守党と労働党がいくら激しく競り合っても、国体は、ゆるがない。
 争点を政体論にとどめおくという暗黙のルールが、まもられているからである。
 ところが、日本では、その境界線が、はっきりしない。
 政体と国体の仕分けが、プロの政治家でも、よくできていないのだ。
 元凶は憲法である。憲法は、政体の基本法で、そのなかで、民主主義を謳うのは、どこの国でも同じだが、日本の場合、国体の規定が憲法のなかにくみこまれてしまっている。
 政体は、国体のうえにのっている。ところが、現憲法によると、政体が、逆に、国体を規制している。これは、属国憲法の特徴で、GHQは、国体を衰弱死させるような憲法を残していったのである。
 わたしが、持論だった二大政党制に、最近、懐疑的になったのも、そのことと無縁ではない。現在の憲法では、政権交代が、国体変更の方向をむかいかねず、とても危なくて、政権交代など、軽々しく、口にできなくなった。
 植民地憲法は、戦前のインド憲法がそうだったように、国体が、宗主国がつくる憲法=政体の下におかれる。政体以前の歴史や文化、民族性などが、政治に隷属するものとなるのである。
 日本国憲法も、植民地憲法なので、天皇の地位を憲法でさだめ、国家ではなく、国民に主権をあたえている。
 ということは、選挙、あるいは、国会議決で国体を変更できるというわけで、独立国家の条件である国体と政体の二元論的分離が、皮肉なことに、国家の基本法である憲法によって、否定されているのである。
 国体が、政治に干渉されると、国の土台がゆらぐ。
 したがって、各国は、国家反逆罪を設けて、政治や民主主義の暴走を防いでいる。
 ところが、日本の憲法には、国家反逆罪も国家転覆罪も、スパイ防止法も、国家防衛のための危機管理項目もない。それどころか、国民主権なので、政治によって、国体の変更が可能で、そんな憲法が、事実上、変更不可能になっている。
 戦勝国アメリカが、日本に、こんな憲法をあたえたのは、日本を占領体制のままにしておきたかったからで、それには、国体を不安定にさせておくのが、いちばんよい。日本の憲法で、徹頭徹尾、国体が形骸化されているのは、GHQの謀略なのである。
 左翼が憲法をまもろうとしているのも、国体の規定がなく、代わりに、国民主権が謳われているからだ。これでは、暴力革命をおこして、憲法を停止させなくとも、現憲法下で、国会に赤旗を立てることができる。
 国体と国家主権がない憲法は、共産党宣言のようなもので、事実、官費で靖国神社にわずかな玉串料を払っても、この国では、憲法違反になる。憲法から、国体条項が外されているどころか、国体が、敵視されているのである。
 その憲法によって、国体が危うくされたのが、皇室典範の改定問題だった。有識者会議の吉川弘之が「歴史観や国家観にもとづいてつくったのではない」とのべたように、改悪皇室典範をつくったメンバーの大半は、反伝統主義の進歩主義者で、こういう連中が、二千年の歴史をひっくり返そうとしたのは、皇室典範という国体の大典が、憲法の片隅にくみいれられていたからである。
 憲法という政体の基本法によって、かえって、国体が危うくされているのが、この国の危機の構造である。そして、植民地憲法の不備をついて、売国政治家が、さかんに、国体へ手をのばしてくる。
 自民・民主の売国政治家が、日本に敵対政策をかかげる中国に媚び、日本を貶める理由は、日本の憲法が、植民地憲法だからである。そこから、対米にしろ対中にしろ、大国によりかかる事大主義でてくる。自虐史観や東京裁判史観などという負け犬根性がはびこるのも、憲法で、国家主権が否定されているからである。
 河野洋平、加藤紘一、山崎拓、古賀誠、二階正博、福田康夫、小沢一郎、菅直人、岡田克也ら、保守系反日政治家が、こぞって、中国に媚びるのは、現在の植民地憲法のもとでは、構造的に、強国の保護下でしか国家の安全がたもてないからで、たまたま、かれらは、対米従属より、華夷秩序(柵封体制)のほうをえらんだのである。
 国家が独立した国家たりえるのは、国体がなければならない。愛国心や誇り、国民性などを培うのは、国体で、政体などは、植民地や属国にだってある。
 独立や国家主権は、政策ではなく、国体思想である。そこで、中国は、靖国神社や教科書、歴史認識などの国体を標的にし、これをうけて、日本の売国政治家も、戦争犯罪をふれてまわり、南京虐殺記念館まででかけて行って花輪を飾り、自国の歴史に泥をかける。
 国体の要である歴史が、中国の気にいられたい与党政治家によって、危機にさらされているのである。
 国体は、政治の埒外にあるので、もともと、無防備である。戦後、左翼にあらねばひとにあらずの風潮のなかで、革命志向の野党やマスコミ、進歩的文化人が、国体を標的にした。それに気づき、反撃を開始したのが、三島由紀夫の「文化防衛論」だった。
 三島は、文化防衛とは、天皇をまもることで、畢竟、それは、国体をまもることだと喝破した。
 しかし、三島以後、国体防衛論は、保守陣営・論壇のなかでも勢力を失い、保守といえば、もっぱら、政体における保守=カンサバティブをさすようになった。
 だが、政治は、流動するので、そんなものに国体をあずけるわけにいかない。
 小泉元首相が、皇室典範改訂をすすめ、福田現首相が、中国の意向をうけて、靖国神社にかわる、無宗教の戦没者慰霊施設をつくろうというのは、国体意識が乏しいからである。
 ここで、政治家の国体意識の乏しさをあげつらっても仕方がないが、いっておかなければならないのは、日本人の心の故郷というべき神道、万世一系の天皇、歴史、伝統、習俗、価値観、歴史観、民族性という国体を構成する分野に、現在という一瞬の国益・民益をはかるにすぎない政治は、けっして、手をつけてはならないということである。
 政体は、目の前の問題を相手にするが、国体は、現在と過去、未来、つまり、歴史の連続性とともにある。
 福田が、中国にほめてもらいたい一心で、靖国神社をコケにすれば、福田の政治的判断によって、神道を礎にしている日本の国体は、根底からゆらぐ。そんな資格は、福田にあたえられていない。福田にかぎらず、従軍慰安婦の河野談話も、古賀誠の南京虐殺記念館館の表敬訪問や献花も、国体への冒涜以前に、選挙に当選したにすぎない代議士には、ゆるされていない越権である。
 政治家は、政治や経済に懸命たちむかうべきだが、国体にたいしては、沈黙しなければならない。
 国体は、まもるべきもので、まもるべきものがあるから、政治がうまれるのである。
 それが、国体と政体の関係ということができよう。
posted by 山本峯章 at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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