2017年04月14日

 伝統と民主主義A

 ●二階発言と戦後民主主義
 自民党の二階幹事長が、女性天皇の問題にからめて、皇位の男系相続が男女平等に反すると発言(BS朝日)して、物議をかもした。
「女性尊重の時代に天皇陛下だけ例外というのは時代遅れだ」「トップが女性の国もいくつかある」というのは、法における男女平等であって、政治や権力のカテゴリーにおかれている。
 一方、国体や皇位は、歴史や伝統という文化のカテゴリーにあって、政治や権力、法の支配をうけない。
 国家は、権力機構である一方、文化構造で、両者は表裏の関係にある。
 したがって、民主主義という政治概念と伝統という文化概念は、二元論的に両立する。
 それを裏付けているのが当時のマッカーサーの判断である。
 戦後の民主主義(男女同権)はマッカーサー憲法を原基としている。
 その憲法が定めた皇室典範の第一章(第一条)に皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承するとある。
 日本に民主主義をもちこんだマッカーサーが男系男子(万世一系)をみとめているのである。
 にもかかわらず、二階発言がとびだしてきたのは、戦後、民主主義ばかりをもちあげて、伝統や歴史的な価値観がないがしろにする風潮がはびこってきたからである。
 ●革命イデオロギーとなった民主主義
 戦後、マスコミや文化人は、民主主義を、人類が到達した最高道徳であるかのような言説をふりまいてきた。
 そして、戦前の教育勅語や道徳教育を「軍国主義」の象徴として、徹底的に排除した。
 このとき、忠孝や友愛、礼儀や謙虚などの道徳観念が捨てられた。
 政治と文化、国体と政体、権力と権威の区別がつかなかったのである。
 民主主義は、多数派の独裁ということであって、政治の技能をもたず、権力操作ができない国民一般に代わって、為政者が政治権力を行使するというだけの話である。
 それが、戦後、絶対善となったのは、民主主義も国民主権も、革命のイデオロギーだったからである。
 戦後、革命の経験も必要もなかった日本でヨーロッパの革命思想が流行したのは、公職追放令や神道指令、労組結成促進などGHQの政策によって革命を夢見る左翼が大躍進したからである。
 左翼にとって、民主主義や国民主権は、革命へのステップボードだったのである。
 ●反日主義の正体 
 17世紀のイギリス革命から20世紀のロシア革命にいたる200年ほどのあいだヨーロッパでは革命の嵐が吹き荒れた。
 その理論的支柱となったのがロック(アメリカ独立戦争)とルソー(フランス革命)そしてマルクス(ロシア革命)だった。
 中世の絶対君主制の崩壊にともなって、離反した国家と人民の関係をむすびなおそうとしたのが社会契約説である。
 万人の万人に対する闘争を避けるために国家が必要としたホッブスの半世紀後にロックが人民の抵抗権を、百年後にルソーが直接民主主義を、20世紀になって、マルクスが暴力革命によるプロレタリアート独裁を唱えた。
日教組や労組、新聞マスコミ、大学論壇の左翼色は、戦後のルソー、マルクスブームの燃えカスなのである。
テレビの討論番組で「反日主義のどこがわるい」と居直った若者が、日本という国家自体が憲法違反だという珍論をくりだした。
そして、左翼憲法学者の論を借りてきて「国家を監視するのが憲法」と主張した挙げ句、「憲法は国体」と言い放った。
「国家は悪である」というルソーの革命思想と強過ぎる大統領の権力を憲法で制限するアメリカ民主主義、そして、国家主権が否定されている戦後憲法の三者を組み合わせて、珍妙なる理屈をこねたわけだが、それが反日主義の論法である。
 ●グロテスクな精神
 ルソー主義とアメリカ大統領制、日本国憲法の三者を見比べてみよう。
 紀元前の大昔、プラトンによって退けられた民主主義は、十八世紀にルソーの手でよみがえった。
 共産主義革命という歴史破壊に、ルソー主義という大嘘が必要だったからである。
 ルソーの人民主権は、議会に収容することできない人民の意思を一般化して、一人の独裁者にゆだねるという詭弁である。
 一方、ロックは、人民の主権を議会や三権分立に委託した。
 前者がナポレオンやヒトラー、スターリンなら、後者がアメリカの大統領というわけで、アメリカの場合、大統領と議会、憲法が三つ巴の関係で、ルソーとロックがごちゃまぜになっている。
 アメリカの権力構造は、突出した大統領の権力を抑えるため三権≠フ上に憲法を置き、立法や司法が憲法をタテにホワイトハウス(行政)の暴走を阻止できる仕組みになっている。
 伝統的規範をもたない革命国家アメリカでは、憲法というガードを設けなければ、大統領の独裁専制になってしまうのである。
 アメリカの憲政主義と三権分立は、二権(立法府・司法府)が民主主義(大統領の権力=行政府)をチェックするための機関なのである。
 日本国憲法は、国家主権を否定して、国民主権を謳っている。
 戦後、日本から伝統国家の精神が消えたのは、憲法が共和制(革命国家)の内容になっているからで、国家は悪だ、武器を捨てれば平和になると叫ぶ反日主義が大手をふるい、反体制派(政党)が政権争いに参入してくるのは、国家基本法(憲法)が反体制派のバイブルになっているからである。
 ルソーの国家性悪説と強すぎる政治権力を制限するための憲法優位説、国家主権の不在の日本国憲法があいまって、日本は、世界に類のない「反日(自国の否定)」というグロテスクな精神がはびこる国となったのである。
 ●アメリカは革命国家
 民主主義は、多数決による権力奪取の手段にすぎない。
 国民主権も、政治権力の主体を国民におき、それを為政者があずかるという理屈にすぎず、一片の政治理念も宿していない。
 まして徳性や文化とは無縁の代物で、かつて、武力に頼っていた権力闘争の手段が多数決に代わっただけの話である。
 一方、文化は、伝統を継承し、過去から学ぶことで、歴史の知恵である。
 したがって、歴史や国体という文化構造をもたない革命国家は、民主主義を唯一の社会規範とするしかない。
 革命国家には、トランプ大統領の政治をみてわかるとおり、民主主義の権力(大統領令)と憲法の威力(司法による執行停止)の衝突しかない。
 内閣がなく、議会も無力なアメリカの政体は、選挙(=民主主義)によって主権を手にしたホワイトハウス(大統領+スタッフ)による独裁政治となる。
 アメリカもまた人民独裁の形をとる革命国家だったのである。
 ●王制民主主義と天皇民主主義
 日本も首相を国民投票でえらぶべきという者がいるが、愚見である。
 日本は内閣・議会政治で、独裁的な権力をもつ大統領を必要としない。
 日本の国のかたちは、歴史にもとづく文化の系統=国体(権威)が、政治をおこなう権力の系統=政体(権力)に統治の正統性を授ける二重構造になっている。
 ロックやルソーをもちださずとも、日本には、万人の戦争を避けうる国体と国家の二元構造があって、その伝統が天皇の存在である。
 したがって、伝統国家には、主権者の権力を制限する憲法は要らない。
政治が、民(民主主義)や法(憲法)ではなく、歴史(伝統)から委託されるからである。
 イギリスが憲法をもたないのは伝統国家の体裁をとっているからで、王から委託をうけた議会と文化の歴史的蓄積である一般慣習法(コモンロー)ですべて足りる。
 イギリスが王制民主主義なら、日本は天皇民主主義である。
 自由には節度、平等には分相応、人権には人格という法以外の常識や知恵がもとめられる。
 それがイギリスのコモンローで、日本の伝統的価値観である。
 ところが、戦後の日本人は、アメリカ民主主義を最高道徳(=憲法)としてとらえ、これを国体の上位においてきた。
 日本は、文化的には伝統国家だが、民主主義と法を唯一の規範とする政治の面では、新興国並みである。
 なにしろ、歴史や文化までを裁判(憲法訴訟)で決着をつけようというのである。
 日本では、最大の権力が民主主義で、憲法が民主主義の教本になっている。
 ならば、必要なのは、憲法を監視する文化(伝統)であろう。
 伝統国家というのは、国体という文化構造が政体=権力を監視する仕組みができている国のことなのである。
 ●民主主義とリベラリズム
 民主主義は、自由や平等、人権と同様、市民革命からうまれてきたことばで、歴史を否定する進歩主義である。
 近世の革命熱が冷めて、現実政治に立ち返った近代において、自由や平等などのことばは、法の専門用語として残っただけで、国民主権も、実効的な意味合いを失っている。
 代わって台頭してきたのがリベラリズムである。
 現在、世界中で、リベラリズムと保守主義が対立している。
「個と全体の矛盾」という永遠のテーマが政治の場で衝突しているのである。
 個を重く見るのがリベラルで、全体を重視するのが保守である。
 保守と革新の対立は、マルクス主義の破綻と保守主義の中道化によってほぼ解消されて、残っているのは、国家と個人が対立する構図だけとなった。
 個(個人)と全体(国家)の絶対矛盾は解消されることはない。
 個は全体の一部で、一方、全体は、個なくして成り立たないからである。
 したがって、先進国の政党は、たとえ野党でも、国家を第一義におく。
 それが「大きな政府・小さな政府」論である。
 アメリカはリベラル(民主党)と保守(共和党)の二大政党である。
 リベラルは大きな政府(=経済への政府関与)を、保守は小さな政府(=市場主義)を掲げる。
 民主主義がアメリカで機能しているのは、政治的手法としてのみもちられているからである。
 日本の民進党(旧民主党)をリベラル政党ということはできない。
 リベラルも保守も、民主主義に立ち、ともに国益をもとめる。
 ところが、日本の場合、民主主義が反体制のイデオロギーになっている。
 強行採決にたいして、野党が民主主義をまもれと叫ぶのは、かれらにとって民主主義は、多数決の原理ではなく、人民独裁なのである。
 日本で二大政党体制が成立しない理由はそこにあって、共産党と共闘関係にある民進党は、政党ではなく、革命集団なのである。
 ●まだ革命熱が冷めない後進性
 ニューディール政策のルーズベルトは民主党の大統領で、コミンテルンから多大な影響をうけた経済政策はアメリカ版共産主義≠ニ呼ばれ、最高裁から違憲判決までうけている。
 だが、反国家的政策をとったことはなく、現在の軍産複合体制をつくったのはそのルーズベルトだった。
 共和党のトランプ大統領が、共和党の一部から批判され、民主党の一部から支持されているのは、共和党の新自由主義を捨て、政府が経済政策に積極的に関与する民主党の路線をとったからである。
 アメリカ民主党は、かつての自民党の保守本流(宏池会)で、共和党にあたるのが非主流(岸信介・鳩山一郎派)である。
 日本では、政治向けの政策をおこなう非主流派と経済政策をもっぱらとする保守本流が交代に政権を担当して、バランスをとってきた。
 このサイクルが狂ったのが、細川護煕政権(非自民・非共産8党派連立政権/1993年)と民主党政権(2009年)だった。
 自民党が8党派連立政権に政権を明け渡したのは、宮沢首相の指導力欠如と分派行動が原因だったが、民主党に政権を奪われたのは、マスコミ総出の反自民キャンペーンによるもので、このとき民主党ブームがおこり、そのときの議席占有率(64.2%)はいまなお破られていない。
 日本人とりわけマスコミが非自民政権に期待したのは革命(改革)だった。
 反日主義や自虐史観が台頭、媚中派や護憲派が幅をきかせ、愛国心や国益を口にすると右翼と叩かれるようになったのもこの頃からだった。
 ●戦争で大きくなったアメリカ
 アメリカにおける政権交代は、自民党左派と右派の主導権争いのようなもので、民進党や共産党のような革命政党が護憲をタテに政治の表舞台に登場することはありえない。
 アメリカ憲法は、大統領の権力を制限するが、国権を制限しないからである。
 アメリカは「力への信仰」から成り立っている国である。
 世界最強の軍事力が、腰に拳銃をぶら下げていた時代からアメリカ人のアイデンティティーで、USAが他国をねじ伏せているかぎり、かれらは、誇りと愛国心をたずさえたアメリカ人なのである。
 武器を捨てると平和になる(九条護持)と叫びながら、日米安保条約のなかで惰眠を貪っているわが国の護憲派とは大違いなのである。
 アメリカは戦争によって、大きくなった国である。
 独立戦争やインディアン戦争、南北戦争のほか、メキシコ国土の三分の一を奪った米墨戦争、キューバを支配下におき、フィリピン・プエルトリコ・グアムを領有した米西戦争、そして、二つの世界大戦に勝利して、アメリカは世界一の強国となった。
 アメリカの戦争は、権力を一手に握る大統領の指導力と国民の熱狂的支持の下でおこなわれてきた。
 国家の形態も臨戦型で、アメリカ合衆国大統領行政府(ホワイトハウス)と中央情報局(CIA)、国防総省(ペンタゴン)の三者が形成する∧軍産複合体制(MIC)∨には、アメリカを代表する数千の企業や金融機関、大学、研究施設からマスコミまでがふくまれる。
 原爆を製造・投下したのもMICで、現在でも、最新兵器にはアメリカ中の科学の粋が結集される。
 ●「力=正義=民主主義」の図式
 アメリカの民主主義は、政治(権力)のカテゴリーにあって、革命と戦争がその決着点である。
 アメリカにとって、力が正義で、その正義をうみだすのが民主主義なのである。
「力=正義=民主主義」がアメリカの国是で、多数決(民主主義)と法だけで決着のつく文化果つる地では、戦争や軍事力を背景にした「力の支配」だけがまかりとおるのである。
 みんなにこにこ民主主義とやっているのは日本だけだが、その日本でも民主主義による伝統破壊がじわじわ進行している。
 好例が自民党の改憲案で、9条を除いて、GHQ憲法がそのまま踏襲されているどころか、明治憲法の天皇元首までをひきついでいる。
 明治憲法がプロイセン(ドイツ)憲法をモデルにしたのは、皇帝の政治力がつよかったからだが、ドイツも革命国家で、皇帝は、憲法によって定められた地位にすぎなかった。
 天皇が、アメリカの民主主義や西洋の憲法以上の存在なのは、伝統国家のオサ(長)だからで、権力や政治や法によって定められた西洋の王や皇帝よりはるか上位にある。
 そこに万世一系の権威があるのだが、民主主義と憲法に毒された戦後の日本人は、そのことをすっかり忘れている。
 伝統と民主主義をめぐる議論をもっと深めてゆく必要があるだろう。
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 月刊ベルダ3月号(2017年2月発売)より転載

 伝統と民主主義@
         
 ●伝統に牙を剥く民主主義
 伝統と民主主義は決定的に対立する。
 歴史的価値の継承である伝統と歴史を否定した上に成り立っている民主主義は水と油の関係にあるからである。
 歴史を否定し、伝統を破壊するのが革命で、革命の原動力となったのが民主主義だった。
 大東亜戦争・日米戦争は、革命国家と伝統国家のたたかいで、戦争に勝ったのは、中華民国(辛亥革命)をふくめて、すべて、革命国家だった。
 連合国側は、民主主義の旗を立て、日・独のファシズム打倒をスローガンに掲げた。
 市民革命で否定した伝統的体制を民主主義の敵(悪の枢軸)と見立てたのである。
 枢軸国は戦争に負けて、ナチズムは滅びたが、日本の国体は残った。
 ナチズムは人工物だが、国体=天皇は歴史そのもので、歴史を否定することはできないからである。
 戦後、日本では、伝統と民主主義が奇妙な形態で共存してきた。
 それが可能だったのは、民主主義が憲法に代表されるルールだったのにたいして伝統が精神に根ざす文化の体系だったからである。
 国家主権(交戦権)をもたない日本が対米従属構造のなかで、アメリカの属国のようにふるまってきたのはその歪みからである。
 憲法九条が軍隊の保持や交戦権を否定しても「日米安保条約」が補完し、GHQ憲法が天皇から主権を奪っても、もともと、権力ではなく権威だった天皇の尊厳も地位もゆらぐことはなかった。
 戦後日本は、憲法ではなく、日米安保条約の下で、国際社会の一員となったのである。
 ●大きく変化する日米関係
 ところが、戦後70年にして、地殻変動が生じた。
 アメリカの弱体化と中国の強大化である。
 アメリカは一国支配の超大国から同盟国を必要とする盟主にすぎない存在へと変貌したのである。
 現在、日米関係は、従属からイコール・パートーナーシップへかわりつつある。
 安倍・トランプのゴルフ首脳会談≠ェその象徴で、日本はアメリカのキャディバックを担ぐ立場から対等にスコアを競う関係へともちあがった。
 日本の地政学的条件と科学技術、経済力がなければ、アジアにおけるアメリカの軍事的優位は保てず、日本の投資や進出、協力がなければ、アメリカの製造業は浮上できない。
 G8のメンバーで、アメリカの最大のパートナーが、国家主権をもたない半人前国家というのは恥ずべき話で、日本は、遅ればせながら自主憲法制定という戦後最大の政治課題に取り組むべき時期を迎えている。
 自主憲法制定の要諦は次の三つである。
 @GHQ憲法の破棄と自主憲法制定
 A明治憲法観における天皇主権の破棄と皇室典範の憲法からの分離
 B国家主権の宣言
 この場合、最大のテーマとなるのが、伝統国家としての国柄をいかに新憲法に反映させるかである。
 戦後、GHQによる国体破壊と国家改造が大胆にすすめられた。
 この文化破壊に駆り出されたのが民主主義とキリスト教的な価値観、そして、マルクス主義的な進歩主義だった。
 伝統を決定的に破壊したのが、民主主義と国民主権を謳った憲法だったのはいうまでもない。
憲法草案作成の中心的役割をはたしたケーディス(民政局課長)ら主要スタッフが共産主義のシンパだったからである。
 神道指令や公職追放令などの一過性の軍令は、占領が終了してGHQが撤退すれば失効する。
 だが、武装解除(9条)を盛り込んだ憲法や教育基本法、労働組合法、財閥解体、農地改革、あるいは教育勅語の廃棄などは占領が終わっても、恒久的な法や制度、構造として残り、主権回復後も、国家と国民をしばりつづける。
 昭和27年にサンフランシスコ講和条約が締結された時点で、日本は、最低限、占領憲法の廃棄と皇室典範の憲法からの分離を実現させておくべきだった。
 ところが、戦前から親英米派だった吉田茂にその気はなく、公職追放されていた鳩山一郎が政界に復帰したときは、護憲派が議席の三分の一を握ったあとだった。
 講和成立後、60年以上経った現在も、日本は、敗戦構造をひきずったままで、戦後体制(=戦後レジーム)脱却の機運がうまれてきたのは、第二次安倍内閣にいたってからである。
 ●伝統を捨てた日本の保守陣営
 その自民党の改憲案に「天皇元首(第一章第一条)」が謳われている。
 第二条(皇位継承)では皇室典範が国会決議の下位に置かれてもいる。
 明治憲法の天皇元首(天皇主権)はドイツ憲法の模倣で、皇室典範の権力への取り込みはアメリカ大統領制をモデルにしている。
 天皇をヨーロッパの王制と同一視したもので、祭祀国家の伝統とは相容れない。
 神話を源流とする権威(祭祀主)たる天皇は、権力の正統性を担保する神霊的な存在である。
 保守を自認する自民党の改憲草案においてすら、伝統が断ち切られているのである。
 民主主義を最高善と教育された戦後の日本人は、歴史主義という伝統的な意思決定を頭から否定する。
 多数派(ボルシェビキ)を絶対価値とする日教組の洗脳によるもので、標的になったのが教育勅語と皇国史観(正史)だった。
 ギリシャの哲学者プラトンは「もっともすぐれているのは哲人(偉人)による政治」と喝破した。
 秀吉の検地・刀狩りやキリシタン禁止令、江戸幕府の鎖国令は、歴史上の出来事にとどまらず、現在の日本を成り立たせている根源的な要因となっている。
 日本がキリスト教化されず、人身売買や奴隷制度がなく、士農工商の身分秩序の下で礼儀や道徳がおもんじられてきたのも、歴史と伝統の成果で、歴史は現在も生きている。
 伝統国家は、歴史という絶対的な土台の上に建っているのである。
 大日本帝国憲法第3条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とある。
 これが伝統のありようで、歴史上の事実は変更がゆるされず、継承するだけである。
 したがって、新憲法では「日本国民の総意に基づく」から「天皇はわが国の伝統である」へ変更されなければならない。
 一方、民主主義では、多数決によって、歴史まで変更しようとする。
 女性天皇(女系天皇)をみとめた皇室典範に関する有識者会議(平成17年)の吉川弘之座長(元東京大学総長)が「伝統は無視した」とのべたことからもわかるように西洋合理主義(民主主義)の下では、伝統は前世紀の遺物としか映らないのである。
 ●民主主義を盲信した戦後日本人
 戦後、日本では、民主主義が最大の価値となった。
 民主主義は、紀元前、プラトンから衆愚政治として退けられて以後、ソクラテスからプラトン、アリストテレスへとつづく西洋思想史から完全にすがたを消した代物である。
 復活したのは、18世紀になって、ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』が登場してからである。
 ルソーの主権在民論がフランス革命の精神的支柱となり、マルクスの資本論に援用されたことはすでに知られている。
 民主主義が衆愚政治に堕すのは古代ギリシャからの常識だが、ルソーは、そこで名案を思いついた。
 民衆の代表者(民)を独裁者(主)に仕立て上げれば衆愚政治を免れるというアイデアである。
 直接民主主義だった古代ギリシャのデモクラシーは、民衆全員が議事堂に入りきらない以上、空想論から出るものではなかった。
 だが、民衆の意思を一人の独裁者にゆだねるルソーの間接民主主義は、実現が可能である。
 このときルソーが使った論法が「民衆の総意」という一般化理論である。
 日本国憲法の「日本国民の総意に基づく」(第一条天皇)がこの論法である。
 国民一人ひとりを民衆≠ニ一般化して、なおかつ総意≠ニいうゴマカシをもちいて、独裁者が君臨する近代民主主義を考案したのである。
 この論法からできあがったのが、フランス革命の恐怖政治(ジャコバン派)やナポレオン帝政、ロシア革命、ヒトラー独裁で、絶対権力者が人民代表の名の下で強権をふるったのである。
 民主主義は、もともと、革命のイデオロギーである。
 民主主義の生みの親は革命で、歴史を破壊しつくし、多くの血を流してきた。
 いまさら、民主主義は平和的で、暴力を否定するなどといってもとおらない。
 なぜなら、民主主義において、すでに数の暴力(多数派による専制)≠ェ容認されているからである。
 ●ポピュリズムに転落する民主主義
 民主主義も専制政治も「力による支配」にかわりはなく、かならず「力による反逆」という対立軸をかかえこむ。
 このとき、動員されるのが暴力で、歴史や文化を破壊する民主主義は、その一方、民主主義に逆らう勢力にたいして容赦ない攻撃をくわえる。
 アメリカの戦争は、民主主義を大義に掲げたもので、キリスト教を立て、侵略と虐殺をおこなったかつての列強の侵略の論理とかわるところがない。
 アメリカがすすめてきたグローバリズムはアメリカ化にほかならず、伝統を民主主義におきかえる文化破壊だった。
 イスラム過激派との戦争は、そこからうまれたもので、アメリカという重爆撃機に抵抗する戦法としてえらばれたのがテロリズムだった。
「多数派の論理」である民主主義は、感情に支配される。
デマゴギーが共産党の常套手段であることからもわかるように、民主主義は感情訴求のイデオロギーなのである。
「万世一系(皇位の男系男子相続)」は男女差別というほど愚昧な俗説はないが、感情にうったえて、伝統を破壊するのに、これほど便利で効果的な方法はない。
 智恵も分別もいらない感情訴求は、暴動を暴力革命にみちびく共産党の危険な常套手段だが、同時に、もっとも民主主義的な方法ということもいえる。
 戦後の日本人が民主主義を後生大事にしてきたのは、自分勝手な感情の捌け口にもなるからで、痴漢常習の漫才師を二期続けて大阪府知事にえらんだのは、テレビでよく見る顔だったからである。
民主主義がポピュリズムに堕するのは感情に支配されるからである。
衆愚政治は、有権者が愚かであるがゆえに低レベルの政治がおこなわれることで、ポピュリズムは、その愚かさにつけこんだ選挙や政治、政策のことである。
 衆愚政治とポピュリズムの下で、道州制導入の国民投票や首相公選制がおこなわれると、ファシズム並みの悲惨な政治状況がうまれることになる。
 歴史の叡智を継承する伝統を失えば、行く先にあるのは、不毛な革命ゴッコや国家崩壊だけである
紀元前、ギリシャで流行った民主主義がルソーによってよみがえった。
 これに大昔の原始共産制をくっつけたのがマルクス主義である。
 マルクス主義に専制政治をくっつけたのがスターリン主義で、毛沢東主義も同じようなものである。
 政治は、三大宗教と同じように、古代から一歩も進歩していない。
 そして現在、アメリカでは、国益第一のトランプが大統領になり、フランスでは極右政党(国民戦線=FN)のルペンが大統領候補に取沙汰されている。
 ロシアのプーチンも中国の習近平も独裁的で、世界のリーダーは、だれもが民主的な手続きでえらばれた小粒なアレキサンダー大王なのである。
 ●革命熱にうかれた戦後日本人
 西洋の近代化は、三つの革命によって実現された。
 宗教革命と市民革命、そして、産業革命である。
 メイフラワー号でアメリカにやってきた人々はピューリタンで、英国から独立をかちとったアメリカ革命は、宗教革命でもあった。
 三つ目の産業革命は、伝統が残るヨーロッパよりも、新興国アメリカのほうで大きく開花した。
 摩天楼や車社会、オートメーションに象徴されるアメリカ文明は、過去なき地に打ち立てられ、かつてなかった形態とスケールで巨大化していった。
 歴史なき地で社会規範になりうるのは、宗教的戒律と民主主義だけである。
 相続すべき歴史的遺産がないからで、あるのは、プロティスタンティズムの自由と革命のエネルギーとなった民主主義だけだった。
 そして、アメリカは、そのアメリカイズムを普遍的な価値として、世界中におしつけてきた。
 戦後、伝統的価値観を捨て、アメリカナイゼーションへ走った日本人は、なんでも多数決できめられると思いこんでいる。
 教育勅語を悪の権化のようにいい、道徳教育に反対するのは、民主主義に反するというわけで、朝日新聞はことあるごとに「軍靴の音が聞こえてくる」とくり返す。
 革命は、西洋合理主義の一つの帰結で、伝統を破壊した上に成立する。
 戦後日本では、フランス革命やイギリスのピューリタン革命、アメリカ独立戦争、ロシア革命の思想的背景となった啓蒙思想のジャン・J・ルソーやJ・ロック、共産主義のマルクスらがもちあげられ、研究された。
 そのかん、日本中に左翼と反日の風が吹き荒れた。
 戦後、戦勝国から植えつけられた西洋合理主義が、左翼から進歩主義、反伝統、自虐史観、売国思想に化けて、日本中に摩擦をひきおこしていたのである。
 戦後、日本人が人類の最高英知であるかのように考えてきた民主主義は、ただの革命理論で、徳や歴史の英知を宿してはいない。
 しかも、民主主義は、だれが真の権力者かを問うだけで、政治はどうあるべきかという肝心なことには一言もふれていない。
 民主主義から歴史主義に回帰しないかぎり、いつまでも日本に、伝統国家としての自信と風格はもどってこないのである。
posted by 山本峯章 at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

「伝統と革新」2016年秋号「現代メディア論」から転載

 マスコミにはびこる
 正義ヅラの胡散臭さ

         
 ●マスコミ商売のどこが社会の木鐸か
 マスコミが企業もしくは商売人で、読者や視聴者が情報の購買者にすぎないということが、わが国では、なかなか理解されない。
 とりわけ、三大紙(読売・朝日・毎日)やブロック紙(中日・北海道新聞など)、五大テレビ局(日本・朝日・TBS・フジ・東京)にたいしては、全幅の信頼をおくというより、妄信するのである。
 情報が信頼できるからではなく、数百万人もの読者や視聴者をカバーしている大新聞やテレビなら、黙って乗っていれば大勢に遅れる心配がないからである。
 信用できるのは、真実ではなく、マジョリティ(多数派)のほうで、大衆は、少数派の真実などに何の関心もむけない。
 そもそも、大衆には、真実をみきわめる能力がそなわっていない。
 専門家すら、たとえば安保法制について、一刀両断で是非を断じることはむずかしい。
 安全保障には集団的自衛権が不可欠だが、米軍に付き合って、地球の裏側にまででかけてゆく必要はあるまいというのが一般通念で、どんな政治的な問題も絶対≠ニいうわけにはいかない。
 安保法制に抗議して焼身自殺(新宿・日比谷公園)した人は、どんな絶対をかかえこんでいたのであろうか。
 靖国神社に放火しようとして逮捕された韓国人(全昶漢)が「韓国のマスコミから称賛されたかった。靖国神社については何も知らない」とのべたという。
 何も知らないのに、大それたことをやってのけたのは、マスコミにとりこまれたからである。
 それがマスコミの危険性で、多数派世論=マスコミが、現代社会において、第四の権力どころか、立法・司法・行政をはるかにしのぐ圧倒的な支配力・影響力をもっているのである。

 ●国家も国益もないあざとい商売
 日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)に反発する暴動(日比谷焼打事件)は死者17人、負傷者500人以上、検挙者2000人という大惨事となったが、きっかけは「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」(朝日新聞)と煽る新聞記事だった。
 国家予算6年分の戦費を使い果たしていた当時の日本には、戦争を継続する余力がなく、一方、ロシアには、戦争継続の意志も能力も残っていた。アメリカ大統領(セオドア・ルーズベルト)を仲介に立てたポーツマス条約は、高度な政治工作だったが、国民は、そんなことは知らない。
 新聞は、そのあたりの事情を知らないでもなかったろうが、何より商売繁盛というわけで、大衆をあおりに煽って、ついに、日比谷焼打事件へと暴走させた。
 日清・日露戦争から満州事変、日中戦争、日米開戦など新しい戦争がおこるたび、新聞は爆発的に部数をのばしていった。
 新聞にとって、戦争ほど有り難い出来事はないのである。
 戦地に多数の従軍記者を派遣したほか、戦果を空撮するための航空部局を創設(朝日新聞)するなどして部数を拡大させていった大新聞は、連日、大本営発表を大々的に報じ、鬼畜英米や「進め一億火の玉だ」などのスローガンを見出しに掲げ、あたかも、戦争協力者にようにふるまった。
だが、実際は、商売の便法だったことは、戦後の変節や昨今のガセ記事からも明らかである。
のちにゾルゲ事件で検挙される朝日新聞記者・尾崎秀実が、日中戦争の戦線拡大を叫んだのは、戦争大きくなるほど販売部数がのびる朝日新聞の主張でもあったからで、のちに第1次近衛内閣の内閣嘱託から満鉄調査部嘱託職員へ転身するなかで、ソ連のスパイ・ゾルゲに協力しながら、日本軍の徹底抗戦を説いてまわった。
これが敗戦革命≠ナ、のちに憲法学者のいう「八月革命」にひきつがれる。
海軍の米内光政ら英米派が戦線を南下(島嶼作戦)させ、陸軍が戦線を中国大陸やマレー半島(インパール作戦)へ貼りつかせることによって本土防衛が手薄になり、太平洋から米軍(空軍)、北方からソ連(機械化部隊)の反撃をうけて日本が滅亡するというのが敗戦革命のシナリオで、スターリンとルーズベルトの日本殲滅計画には、英米やソ連への属国化を想定する国際派のほか、大新聞が一枚くわわっていたのである。

 ●東京裁判に「お役目ご苦労様」
 戦後、朝日新聞が180度転身して、反戦・平和主義なるのは、公職追放で上層部が入れ代わったからだけではなかった。
 報国や愛国では商売にならなくなって、GHQに擦り寄っただけの話で、左翼にあらずんば人にあらずの戦後風潮のなかで、朝日新聞は、左翼や左翼シンパを一挙にすくいとって、再び、日本一の大新聞なってゆく。
 朝日新聞は、昭和20年9月19、20日の2日間、GHQから発行停止命令を受けている。
 原因は、鳩山一郎衆議院議員(昭和29年/内閣総理大臣)のインタビュー記事だった。「正義は力なりを標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が戦争犯罪であることを否むことはできぬであろう」(9月15日付)
 アメリカの戦争犯罪について言及したこの記事がGHQの逆鱗に触れたのである。
 発禁が明けた直後の社説(「戦争の責任、果たして如何」9月22日)にこうある。
「物的戦力と科学力において、日本が米国に遙に及ばないことは、初めから判りきつてゐたことである。我が指導者が、この事実を知らなかつたとすれば、無智、無能これに過ぐるものはないし、もし知つて国民を戦争に駆り立てたとすれば、罪万死に値しよう」
 かつて、鬼畜米英を叫んだ朝日新聞はさらにこうのべる。
「軍国主義の絶滅と政治の民主主義化は、日本自体の要求だったと万人が異口同音に叫ぶであろう」
戦争責任は指導者だけにあって、アメリカは、自由主義や民主主義を好む日本人を軍国主義から救い出した救護者だというのである。
 朝日新聞は、発禁命令を受けた当日、鈴木文四郎常務ら重役がGHQに出向き、口頭でこう誓っている。「GHQの日本改革政策を全面的に支持する」
 そして、日本の戦争指導者7人に死刑を宣した極東軍事裁判が終わった日、紙面にデカデカと「お役目ご苦労様」と書いてGHQをねぎらった。
 朝日新聞は擦り寄るべき権力者をGHQに切り替えたわけだが、はたしてこれを転向と呼んでいいものだろうか。
 転向は、信念を曲げることであって、そこに苦渋や躊躇がはたらくものである。
 ところが、朝日は、ケロッとして、反省も節を曲げたことを愧じる素振りすらも見せていない。
 それは当然で、利益になるのなら、変節を恥じないのが、商人なのである。
 新聞もテレビも、儲けのために記事や情報を売っているのであって、八百屋がナスビ、雑貨屋や歯磨き粉、魚屋がイワシを売っているのと何もちがわない。
 マスコミが有害なのは、商人の分限で、正義や真実、イデオロギーを振り回すからで、ナスビに説教されて、有り難がっているのが、昨今のマスコミ世論なのである。

 ●GHQの暴走を招いた朝日・毎日
 新聞のあくどい商魂が国家の危機を招いたのが、天皇陛下とマッカーサーの会見記事にまつわる出来事である。
 昭和20年9月27日、旧アメリカ大使館の司令官公邸で、天皇とマッカーサーの会見がおこなわれた。
 翌28日、内閣情報局は、朝日、毎日、読売報知にたいして、同会見の記事およびモーニングで正装した昭和天皇と平服姿のマッカーサーが並び立つ写真の掲載を禁止(発禁処分)する命令を下した。
 このとき、朝日新聞の細川隆元編集局長は、GHQに駆け込み、「内閣情報局はGHQよりエラいのか」と息巻き、その日のうちに内閣情報局の発禁処分を撤回させている。
 細川本人はこの事実を『朝日新聞外史』(秋田書店)のなかで得意げに書いているが、商売のためにやったとは一言もいわず、以後、日本社会党出身ながら保守本流の立場に立って『時事放談』(TBS)などで毒舌をふるった。
 GHQの統治は、あくまで間接統治で、憲法や議会制度、内閣も戦前のままだった。
 ところがこの事件から、内閣情報局の検閲機能がGHQに移って、ポツダム宣言違反になる言論弾圧(プレスコード)が開始される。
 プレスコードは過酷なもので、戦勝国にたいする批判から占領軍に不都合な記述、占領軍が日本国憲法を起草したことへの言及を禁じたばかりか、武道や日本の伝統文化にかんする古書や研究書、学術書までを廃棄、焼却させている (GHQ焚書) 。
 憲法改正にも大新聞が火をつけた。1946年2月1日、毎日新聞が、幣原内閣の「憲法問題調査委員会(松本烝治委員長)」がまとめた案を1面トップでスクープ、天皇主権が撤回されていない松本案にGHQが反発、マッカーサーが「国民主権」「戦争放棄(9条)」を盛り込んだ指針を提示するという顛末になった。
 そして、マッカーサー案にもとづいて、スクープ直後から10日間、実質9日間で現在の日本国憲法の草案まとめられた。
 草案を急いだのは、天皇の戦犯裁判を要求していた極東委員会(FEC)の先手を打つためで、天皇存続を占領政策の基本にすえたマッカーサーの意向がはたらいたものと思われるが、薄氷の芸当で、下手をすれば、FEC(11か国による対日政策の最高決定機関)の介入を招き、天皇処罰、皇室廃止という事態なっていたかもしれなかった。
 朝日、毎日に日本を滅ぼそうという意図があったわけではない。
 国家の存亡にかかる問題でも、新聞という商売には、商いのネタでしかなかったというだけの話で、スクープした毎日の西山柳造元記者も「特ダネが欲しかっただけ」と述懐している。

 ●世相が乱れると新聞が儲かる
「大事件がおきれば新聞が儲かる」という法則が最大限に発揮された出来事が60年安保闘争とロッキード事件だった。
 安保闘争は、革新政党や労働組合、学生組織(全学連)、革新系文化人、市民団体らがすすめた左翼運動で、日本人の大半は、日米安保条約の改定内容すら知らなかった。
 このとき、マスコミは、60年安保が事実上の属国条約だった50年安保の改定だったことを一言も報じなかったばかりか、「岸内閣打倒、安保反対」の一辺倒で、岸首相のいう「声なき声」を反民主主義、ファシズムと罵倒した。
 当時、日本の左翼は、世界初の人工衛星(スプートニク1号)の打ち上げに成功したソ連や「大躍進政策」の中国、「在日朝鮮人帰還事業」の北朝鮮にうかれて、安全保障のことなど頭の片隅にもなかった。
 朝日新聞が、ソ連を「世界の盟主」、中国を「希望の国」、北朝鮮を「地上の楽園」ともちあげたのは、左翼熱にうかれた日本人を読者として獲得するための商法だったのはいうまでもない。
 こうして、左翼が入社してつくった記事を読んだ読者が左翼化し、その左翼が壮大なる読者層を形成するという左翼再生産構造≠ェできあがっていったのである。
 反米左翼だったはずの朝日が、アメリカが仕掛けたロッキード事件にのって田中角栄を射落としたのも、商売のためだった。
 右左を問わず、体制派インテリ層を読者にもつ朝日・毎日にとって、アメリカからにらまれた角栄は、格好の標的で、金権主義打破というインテリ好みのキャッチフレーズをもちいて角栄を潰し、反米から親米へと徐々にスタンスを変えてゆく。

 ●経済をミスリードしてきたマスコミ
 角栄失脚後、田中派を乗っ取った竹下登(蔵相)がやったのが、アメリカが赤字解消のために考えだした為替操作の容認(プラザ合意)だった。
 日米繊維交渉で、一歩退かなかった角栄に比べてヒヨッ子同然の竹下が、アメリカの謀略にかかったのは当然で、このとき宮澤喜一は「素人はコワいね」と呟いたものである。
 プラザ合意後、急速に円高ドル安がすすむなかで公定歩合が引き下げられた(2年間で2.5%)結果、財テクブームが生じ、地価や株価が天井知らずになると、金余りと過剰融資と財テクが両輪となって、いよいよバブル経済へ突進してゆく。
 財テクによるバブル経済は、低金利と過剰融資のどちらかの蛇口をとめれば鎮静化する。
 だが、日本は、このとき、金融引き締めと総量規制という2つのブレーキを同時に利かせるハードランディングを強行して、不良債権の山と景気の停滞が併走する20年の空白をつくるのである。
 マスコミは、財テクを煽り、建設ブームにスポットライトをあて、バブルが崩壊すると、一転して、ハードランディングに拍手を送るなど、終始一貫、時流におもねた。
 小泉改革には、「市場の声を聞け」「規制撤廃」と音頭をとって、竹中平蔵の「民営化された郵政資金はアメリカに出資せよ」のスピーカーとなったマスコミが、デフレを退治したアベノミクスに冷淡なのは、難のない政策はニュースにならないからで、マスコミには、世を騒がすスキャンダルだけが関心事なのである。
 マスコミがさかんにもちだすのが「財政赤字1000兆円」である。
「増税しなければ財政破綻をおこす」「子孫に巨額財政赤字背負わせていいのか」と吹聴するのは財務省からの請け売りだが、日銀と政府のバランスシートを連結すれば赤字額が数分の一に縮小され、有利子の国債から無利子の日銀券に転換してゆけば、通貨発行益(シニョリッジ)によって、国債の総額が徐々に減額してゆく。
 金利負担も、紙幣を刷って補えば、インフレターゲットとなって、金回りもよくなる。
 だが、マスコミは、日本は第二のギリシャになると騒ぎ立てる。
 他国の財政赤字は、外国からの借金だが、日本の場合、国民の金融資産で、国富である。
 マスコミが、巨額の財政赤字で日本はツブれると騒ぐのは、危機を煽ったほうが世間の注目を集められるからで、存在しない危機を煽り、真の危機から目を逸らさせるのがかれらの悪癖なのである。

 ●権力と密着してきた大新聞
 朝日・毎日が隠れ親米なら、読売は隠れもない親米路線である。
 レールを敷いたのが、読売・日テレを育て上げた正力松太郎である。
 正力は、メディアの帝王と呼ばれることがあるが、総理をめざした政治家が権力を握るために読売新聞を建て直し、日本テレビ網を設立して、結果として、メディアの権力者になったというほうが正しい。
 政治家としての功績は、アメリカを口説き落として、日本に原子力発電所を導入したことで、正力に匹敵する国益をもたらした政治家は、他に吉田茂と岸信介、池田勇人と田中角栄くらいしかみあたらない。
 正力をバックアップしたのは、米上院議員カール・ムントで、正力は、カールのコネでCIAとの関係もつよめる。
 カール・ムントは、アメリカ流の正義と民主主義を宣伝する海外向けラジオ放送「ヴォイス・オブ・アメリカ」のプランナーで、反共を盛り込んだ対日戦略と、正力がめざした日本国内のテレビ放送網整備の構想が一致して、あとは、日米間で、トントン拍子に事がはこんでゆく。
 カール上院議員は、世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した「プロパガンダの雄」だが、一方の正力も、戦前は警察官僚で、れっきとした反共主義者だった。
 開戦時は大政翼賛会総務だったためA級戦犯(第三次)の指名をうけ、巣鴨プリズンに収容されて、一時、公職追放処分を受けたが、ほどなく復帰。財界と後藤新平の資金援助を元に買収した(1924年)ブロック紙の読売新聞を株式会社に改組(1950年)したのち、日本テレビの初代社長に就任(1952年)。のちに衆議院議員に当選(1955年)して北海道開発庁長官(第3次鳩山内閣)、1956年には、原子力委員会の初代委員長に就任している。
 戦後、朝日・毎日など主要メディアが左翼の独壇場になっていったのにたいして、読売が中立たりえたのは、正力が、カールにひけをとらない反共主義者だったからである。
 朝日・毎日が権力へ擦り寄ったのにたいして、正力の読売は、権力そのものだったわけで、メディアが標榜する反権力≠ェ嘘っ八だったことがこの一事からもわかろうというものである。

 ●社会の木鐸という迷妄
 マスコミが権力を監視する社会の木鐸=正義・真実であるかのような錯覚が生じた理由は、その出自にある。
 新聞が誕生したのは17世紀半ばで、当時、新聞の購読者はかぎられていた。文字を読めて、高価な新聞を定期的に購入できる人々が多くなかったからである。
 裕福で選挙権をもつブルジョワジーがコーヒー・ハウスに集い、新聞を元に政治議論をおこなったところから、新聞が知的権威から、やがて、社会の木鐸と目されるようになったのはうなずける。
 マスコミ人とりわけ新聞記者が正義漢や知的権威ぶるのはその名残で、報道=ニュースを有り難がった時代が、200年以上昔にはたしかにあったのである。
 新聞が現在のようにだれでも読めるようになったのは、輪転機やロール紙が登場する20世紀になってからだが、20世紀は革命と戦争の時代で、当然、新聞の読者が爆発的にふえた。
 一方、20世紀は、商業の時代でもあって、広告収入という新しい商取引が誕生した。
 ここから新聞は、多様な性格を併せもった大メディアへ成長してゆく。
 ニュースや情報、権力のプロパガンダと反権力の論陣、啓蒙や娯楽、広報や宣伝などがいりくんだ妖怪になるのだが、ベースにあるのは、売り上げと広告収入である。
 報道倫理には、表現の自由の下で、国家権力に屈せず、平等、公正、公平、中立を旨とし、国民の利益に適う報道姿勢を理念とするとあるが、空文である。
 表現(言論)の自由には、かならず、言論被害が生じ、メディアはみずから権力をもとめ、平等、公正、公平、中立は主観的な価値にすぎず、国民の利益などという一般的価値など存在しない。
 マスコミは、企業もしくは商人であって、儲かるとみれば、肥溜めにも足をつっこむのが本性で、それ以上ではない。
 世に新聞左翼≠ネる人種が、うなるほど存在している。
 朝日のような左翼仕立ての記事がウリの新聞を読んでいると、いつのまにか心情左翼になって、わけもわからず、原発反対、安保法制反対と叫びたくなる人々のことで、戦時中は、大勢の日本人が、朝日新聞の戦果報告に煽られて、ぞろぞろと提灯行列をしたものである。
 マスコミが、商品の代わりに情報を売っているあざとい商人だということをみきわめておかなければ、日本は、かれらの売り口上に騙されて、国家の舵取りを誤ってしまいかねないのである。

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月刊ベルダ2月号(2017年1月発売)より転載

 三極時代における日本の外交戦略

●オフショア(沖合)・バランシングと日本の防衛
 トランプが大統領になる2017年以降、アメリカとロシア、中国の3強が世界版図を分け合う情勢になるだろう。
 世界大国アメリカの一極支配から、地域大国となる米・ロ・中の多極支配へパラダイムが変更されるのである。
 背景にあるのがアメリカの弱体化と、アメリカ一極支配というグローバリズムの破綻である。
 強国の論理や国益の追求を地球規模におしひろげてゆく覇権主義は、かつての帝国主義のように、過去のものになりつつある。
 トランプの一国主義は国益主義≠ノほかならず、今後、国益にもとづく国家的連携が新たな国際秩序となってゆくだろう。
 その象徴が、在日米軍の撤退や日本の核保有容認論、米ロ接近など、大統領選挙戦中のトランプ発言だった。
 トランプの政策はオフショア(沖合)・バランシング≠ノ根ざしている。
 軍事力を背景にしたグローバリズムは経済的に採算がとれず、同盟国の紛争に介入するのはリスクが大きすぎ、国益に反するというのである。
 現在、アメリカで検討されているオフショア・バランシング政策の内容は次のとおりである。

 1 欧州・中東の兵力を縮小あるいは撤退させ、東アジアの軍事力をハワイまで後退させる
 2 米軍兵力を陸軍から海・空軍の重視へ転換する
 3 駐留米軍の負担を同盟国に分担ではなく全額代替えさせる

 といっても、在日米軍の撤退ということにはならない。
 日本単独では中国の覇権主義に対抗できないからである。
 アメリカの交易の60%がアジアで、アジアの権益がアメリカの国益と直結している。
 中国の覇権主義はアメリカの国益と合致しないのである。
 アメリカ(軍産複合体)の狙いは、アメリカ製の武器を日本に買わせ、自衛隊に米軍の代理をつとめさせるところにあるだろう。
 その延長線上にあるのが、日・韓に核をもたせるという考え方で、中国の核にたいする抑止力を日・韓に負わせようというのである。

 ●「日・米・ロ」のトライアングル外交
 トランプとプーチンの接近は、対テロ戦争で手を組み、それぞれ、自国の経済建て直しに全力を尽くそうという思惑からである。
 米・ロによるイスラム過激派(イスラム国)制圧が現実すると、米・ロ関係の強化にはずみがつく。
 米・ロの接近によって、大きな影響をうけるのが中国だろう。
 ロシアとアメリカのプレゼンスが高まると中国の地位が相対的に低下するからである。
 バランス・オブ・パワーの力学では1+1は3にも4にもなる。
 これに日本がくわわって、日・米・ロの「トライアングル外交」が成立すると中国の覇権主義にブレーキがかかる。
 中国はこれまで、軍事力と経済力を武器に侵略的な対外政策をすすめてきた。
 チベットやウイグル、南シナ海では、軍事力にモノをいわせ、中央アジアやアフリカなどでは経済で影響力を高めるという両刀使いの戦略を展開してきたのである。
 日本にたいする敵対政策も覇権主義にもとづいている。
 覇権をもとめ、仮想敵をつくりだすことによって、国家の求心力をつくりだそうというわけで、中国政府はこれまで日本の戦争犯罪(南京虐殺・靖国問題)などを煽って、反日デモまで工作してきた。
 覇権主義の土台となっているのが中華思想で、中国外交には、伝統的に、君臨と服従以外の選択肢がない。
 経済・軍事の両面で拮抗し、実質的にアジア安保となっている日米安保条約を堅持している日本は、中国にとって、中華思想に馴染まない永遠の仮想敵なのである。
 日米・日ロに新しい外交関係が構築されても、日中関係の好転は望めない。
 特ア外交では、安易な接近や妥協が、逆に障害となる危険性を弁えておくべきだろう。

 ●シミュレーション・ウオーと安全保障
 中国が軍拡に走るのは、現代の戦争は、比較軍事力によって勝敗が決するシミュレーション・ウオー(仮想戦争)だからである。
 仮想戦争では軍拡競争に後れをとると事実上の敗戦となる。
 それが米ソ冷戦におけるアメリカの勝利で、米・中の軍拡競争も同じ構造である。
 冷戦で、軍事力と並んで大きな要素となるのが経済力と地政学的条件である。
 米ソ冷戦でアメリカが勝利した理由の一つになったのが日本列島の米軍基地で、旧ソ連は、太平洋方面の劣勢を最後まで覆すことができなかった。
 大国による軍事制圧は、イラク戦争がIS(イスラム国)という怪物をうんだだけだったように、テロの報復や敵対勢力の拡散、新たな紛争、難民流出をまねくだけで、支配の決定的な力にならず、今後、なることもない。
 大国による軍事衝突の可能性も消滅したといってよい。
 かつての大戦は、すべて、独裁政権と国民の無知のもとでおこなわれた。
 中国の軍事的脅威は、日本に武器を売りたいアメリカと媚中派によるプロパガンダにほかならず、全世界がネット情報を共有する環境の下で、大規模な国家戦争はおこりえないのである。

 ●米・ロ・中との地政学的対立
 日本は、かつて、三つの大戦をたたかった。
 日清戦争と日露戦争、大東亜戦争である。
 中国(中華民国)とロシアには勝ち、アメリカには負けた。
 現在、日本外交の重点が米・ロ・中の3国に絞られているのは、三つの大戦と無縁ではない。
 日本がアメリカとロシア、中国と深い因縁をもつ理由は三つあるだろう。

 1、海を隔てた隣国同士で、日本は、米・ロ・中の中間地点に位置している
 2、革命国家(米・ロ・中)と伝統国家の確執がある
 3、米・ロ・中と日本は文明圏が異なり、価値観に大きな相違がある

 日本が米・ロ・中と戦争したのは、利害が対立あるいは競合したからである。
 地政学的には太平洋をめぐる確執で、かつて、西太平洋を勢力圏とした日本がいまなお、米・ロ・中の利害対立者として立ちはだかっているのである。
 日本が米・ロ・中と確乎たる外交関係をむすばなければならないのは、地政学上、敵対関係に陥りやすいからである。
 外交は、摩擦や衝突を防ぐための交渉で、交流や友好、通商は二の次の問題である。
 戦争を防ぐための原則は、交戦力・情報収集力の保持と相互不干渉の三つである。
 交戦力や十分な情報力をもち、なおかつ一定の距離を保つところに外交という高等技術が展開される。
 日本は憲法で交戦力を否定し、情報機関をもたず、親米や親中という無節操な外交に終始して、米・ロ・中、韓との自主外交を台無しにしてきた。
 日本の平和主義は、摩擦や紛争の種をまきちらす火遊びだったのである。

 ●軍事から経済に移った危機の構造 
 軍事力と地政学的力学にもとづく仮想戦争の次にくるのが経済戦争である。
 現在、国家あるいは国家間において、軍事的な緊張をこえる混乱や摩擦のタネになっているのが経済である。
 といっても、自由貿易や資本の自由化の下にある実体経済は、経済制裁などのケースを除いて、大きな問題にはならない。
 問題は、国際金融資本と新自由主義である。
 実体経済を破壊する金融経済と富が少数の資本家に独占される新自由主義によって、資本主義体制が根底からゆらぎはじめている。
 バブルとその崩壊、巨額の不良債権処理と経済規模の縮小、中間層の貧困化と失業などの尻拭い(「国家と市場の戦い」)をさせられる国家が負担に耐えられず、危機に瀕しているのである。
 トランプの登場の背後にあったのは、1911年のウオール街の叛乱≠ノ端を発した新自由主義への反抗で、他の先進国も同様の事情をかかえている。
 国家のみならずEU全体をゆるがしたサブプライムローン問題やギリシャを筆頭とする欧州財政危機の深傷はまだ癒えていない。
 トランプの一国主義宣言やイギリスのEU離脱の背景にあったのは、経済の建て直しで、国際金融資本と新自由主義の暴風が吹き荒れた後、新たな経済体制をつくりあげなければ国家も国際関係も立ち行きならなくなっている。
 軍事力で仕切られてきた世界構造が、産業や経済、技術、雇用という非軍事部門に左右されはじめたのである。

 ●日本外交と戦後レジーム
 米占領下からスタートした戦後日本は、主権国家としての諸条件を欠いたまま諸外国との外交関係をひらいた。
 憲法で国家主権(交戦権)を否定したばかりか、スパイ防止法も国家反逆罪ももたず、大使館には情報官も駐在していない国が主権の行使である自主外交をおこなえるはずはない。
 日本が自主外交を放棄して、対米従属の外交に終始してきたのは、潜在主権を戦勝国アメリカに置いた戦後体制をひきずっているからである。
 そして、武器を捨てると平和になるという平和観念論(憲法前文)に立てこもってきた。
 外交は「戦闘をともなわない戦争」といわれるように、主権と国益をかけた壮絶な駆け引きで、きわめつけの現実主義である。
 はたして日本は、アメリカやロシアと対等に外交をおこなえる条件を十分に整えているだろうか。
 否である。
 戦後、日本が、外交・防衛について、アメリカに追従してきたのは、自主的な世界戦略を放棄してきたからである。
 YP体制は、戦勝国が強制したというよりも、日本がみずから選択した敗北主義で、戦後レジームを 否定するなら憲法以下、法制や政令、制度を独立国家のものにきりかえなければならない。
 アメリカ一極体制の崩壊によって、外交・防衛をアメリカに頼ってきた日本のこれまでの外交・防衛の構造が根本から崩れ落ちた。
 戦後70年にして、日本は、アメリカから離れて、みずからの力で国際社会へのりだしていかねばならなっくなったのである。
 日本の自主外交は、軍備や同盟間を万全にしてアジアのバランス・オブ・パワーを保ちつつ、経済面でイニシアチヴを握るところに見出される。
 戦後、日本が短時日で一流国の仲間入りをはたすことができたのは、日米同盟にくわえて、復興と経済成長をなしとげ、経済的に成功したからである。
 この戦略はいまでも有効で、とりわけ、世界の安定が、軍事力ではなく、経済にシフトされた現在、技術・経済日本のはたすべき役割は小さくない。

 ●よみがえる大東亜共栄思想
 中心になるのが経済・産業技術の分野で、日本の外交は、米・ロの二元外交を軸にして、インドや東南アジア諸国にたいして積極的にすすめられるべきである。
 これは、大東亜共栄圏の再現で、共存共栄のスローガンが再び謳われる。
 かつて英米は、大東亜共栄圏が西洋への敵対思想だとして、経済封鎖や軍事挑発をおこなって、日本を第二次大戦へひきずりこんだ。
 現在、同じことをやっても、西洋には、妨害する理由も力もない。
 大東亜共栄思想は、アジアにおける経済の共同防衛で、地域大国である日本を核としたアジア安全保障でもある。
 中・韓が日本外交の重点から除外されるのは、特アには、大東亜共栄思想が通用しないからで、中・韓相手では、かつてのルーズベルトのように、交渉をかさねるほど溝が深くなる。
 日本が対米交渉を中止して「ハルノート」を無視していたら、大東亜戦争はあっても、日米開戦はありえなかった。
 平和的交渉が不可能な国には、沈黙して、防衛を万全にしていることが最善の外交なのである。

 ●無限の可能性をひめる日本の技術
 かつて日本にゼロ戦や戦艦大和があったように、現在の日本には先端技術と工業技術がある。
 スーパーコンピューターをはるかにしのぐ量子コンピューターもノーベル賞レベルで世界をリードし、国産ステルス戦闘機「心神」は米軍「F―35」を凌駕する能力をもっている。
 中国は基礎研究と軍事技術での敗北をみとめた。
 これが、非軍事部門における日本の安全保障である。
 日本は、アメリカに頼らずとも、技術面で独自の平和外交を展開できる。
 ロシアには技術提供と民間資本導入にもとづくシベリア開発が有望で、とりわけ要求されているのがIT分野の技術である。
 工業技術や基礎研究がない中国や韓国には手がだせない分野で、シェア世界一のサムソンのスマートフォンの部品は大半が日本製である。
 日本の新幹線を導入するインドや製造業のインフラ設備が整っていない東南アジアへの技術導入には、経済成長にともなって、巨大な市場が誕生するメリットもある。
 米国ではローテク製造業が不振で、それが高い失業率につながっている。
 第二次世界大戦後につくられた道路や橋梁などの老朽化が社会問題化しており、トランプは、大型インフラ投資の方針を掲げている。
 トランプが選挙期間中にコマツを名指しで批判したことにたいして、同社の大橋徹二社長は「米国のコマツ工場は全体で約6000人を雇用している」と切り返している。
 空洞化しているアメリカの製造業に日本のメーカーがのりこんで技術移出と雇用をひきうければ、アメリカ経済は復活し、日本にとっても、中国以上の大市場となる。
 資源開発も同様で、日本は、技術力で、潜在的資源国家になりうる。
 原油の資源量は、経済的に採算がとれる埋蔵量や確認埋蔵量(重質油・超重質油)の数倍といわれる。
 原油の重質留分分解技術は、日本が世界一で、原油の残渣物を10%下げることによって、その分、新たに原油を掘り当てたにひとしい。
 日本は軍事面でアメリカに依存しているが、技術ではアメリカと肩を並べるかそれ以上である。
 政治家である以上に経済人であるトランプの登場によって、日本は、技術によって、米・ロ・亜と共存共栄の路線を堂々と選択できるのである。
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月刊ベルダ1月号(2016年12月発売)より転載

 自主独立の最大の障害は憲法

 ●アメリカニゼーションの終焉
 トランプ大統領の登場によって、グローバリズムが終焉して、世界は孤立主義の時代に向かうという論調がある。
 トランプは「バイアメリカン、ハイアアメリカ(アメリカの製品を買え、アメリカ人を雇え)」と叫んだだけである。
 グローバリズムの終焉や孤立主義は、そこからでてきたもので、トランプは一言もそんなことをいってない。
 トランプが主張しているのは、アメリカの伝統的な孤立主義ではなく、アメリカ・ファーストという一国主義である。
 その一国主義も、先行したのはロシアや中国で、トランプが言い出しっぺだったわけではない。
 トランプがTPPから離脱を宣言したのは、自国の雇用と製造業をまもるためで、輸入関税率を設けるというのも元安・円安に対抗するためである。
 その一方で、国防費の上限撤廃を主張するトランプの一国主義は、ロシアや中国と同様、覇権主義と国家資本主義の二本立てで、脱グローバリズムなどと呼べる代物ではない。
 終焉したとされるグローバリズムは、他国の伝統や慣習、ルールや価値観と衝突したアメリカニゼーションのことで、他国に文明や価値観、経済原理をおしつけるアメリカ流がうまくいったのは、唯一、日本だけである。
 トランプ大統領の登場によって、多少、路線が変更されるとしても、アメリカは、依然として、グローバリズムにもとづいた覇権国家で、国益主義に立って、経済・金融・貿易・為替の分野で、今後も、露骨な政策をとってくるだろう。
 トランプが反対しているのは、新自由主義(ウオール街型経済・国際金融)とグローバリゼーション(経済の地球規模化・TPP)であって、共和党の基本路線であるグローバリズム(権力の世界化)を否定しているわけではないからである。

 ●自由主義経済が残した爪痕
 トランプ登場の背景にあったのが、新自由主義の破綻だった。
 ニクソン・ショック(ドルと金の交換停止)とプレトン・ウッズ体制が破綻した1971年以降とりわけ1980年代にはいって、アメリカ経済は、投資効率の高い国際金融へ移行していった。
 そのバックボーンとなったのが新自由主義で、金融の国際戦略をささえたのがグローバリズムだった。
 1991年にソビエト連邦が崩壊した後、圧倒的な軍事力を背景にアメリカが世界の画一化(アメリカニゼーション)をおしすすめ、基軸通貨ドルの下で世界を金融支配するにいたった。
 その結果、生じたのが「中間層の没落」とアメリカ製造業を沈滞させた「つくらざる経済」だった。
 金融経済では、資産が特権階級に独占されるため、中産階級が貧困化し、製造業が空洞化する。
 富の偏在と中間層の没落は、アメリカだけではなく、いまや、世界的な現象になっている。
 生産と消費、貯蓄から成る経済のうち、金融経済として拡張したストックがバブルをつくり、実体経済を破壊する。
 それが不良債権をうみ、市場や実体経済にダメージをあたえる。
 リーマン・ショックでは、サブプライムローンなどの金融商品を大量に購入したヨーロッパの銀行などが巨額の不良債権をかかえこみ、世界が不況のただなかに叩きこまれた。
 大統領選挙で、トランプが製造業の復活と雇用問題を争点に絞ったのは賢明で、アメリカ人は、アメリカの活力を奪った新自由主義と自由貿易に絶望していたのである。

 ●グローバリズムと国益主義の合体
 今後、グローバリズムと国益主義の合体が世界の潮流になると思われる。
 中国の元安やロシアの国家資本主義をひきあいにすれば、一国主義は、軍事力を強化しつつ、国家が 経済の後ろ盾にまわろうという反自由主義的な戦略である。 
 トランプ流がまさしくそれで、国家が経済の陣頭指揮に立とうというのである。
 アメリカの一極支配は、今後、米・ロ・中の三頭体制に移ってゆくだろう。
 そのあとにつづくのが、日・独・印の三国で、6か国の順位は、防衛費のそれとほぼ一致する。
 三頭体制といっても、米・ロ・中が協調体制へはいってゆくわけではない。
 世界の中心軸が米・ロ・中の三つになるだけで、軍事面では、軍縮ではなく、むしろ、軍拡の方向へむかう。
 米・ロ・中とも軍事大国で、とりわけアメリカは、軍事予算(70兆円)が二位の中国(23兆円)を大きく引き離している。
 アメリカが突出した軍事力をもっているのは、国家自体が軍産複合体(MIC)というコングロマリットだからで、指揮をとっているのが国防総省(ペンタゴン)とCIA(中央情報局)である。
 日本やドイツとの戦争のためにつくられた国家臨戦態勢=軍産複合体が発展的にひきつがれて、現在のアメリカの国家構造になっているのである。
 350万人以上の将兵を抱える軍部と国防総省、「デュポン」「ロッキード」「ダグラス」など3万5千社にのぼる傘下企業群、大学や研究室、政府機関やマスコミ、議会までが一体となった軍産複合体は、アメリカ特有なもので、アメリカのパワーの源泉である。
 軍産複合体の市場は、世界の火種である中東と中国の拡張政策にさらされている極東で、湾岸戦争の折、サウジアラビアはアメリカから大量に兵器を購入し、日本も尖閣列島危機にからめて、オスプレイ17機(3600億円)の導入をきめている。
 トランプがNATOや極東からの米軍退却をちらつかせたのは、ひきかえに兵器を売りつけようというハラで、戦後、GHQから航空機製造を禁じられた日本は、戦闘機などの重要な軍備をすべてアメリカから買ってきた。
 アメリカが米軍「F35」を凌駕するステルス戦闘機「心神」(三菱重工)の完成に不快感をしめしたのはそのためで、自前で戦闘機をつくられては商売にならないのである。

 ●国益と軍事力が両輪の力の論理
 今後、世界は、国益と軍事力を両輪にした力の論理によって、激しくゆれうごくことになるだろう。
 それがグローバリズムと一国主義が並び立つ新時代のパラダイムである。
 グローバリズムには、政治的局面と経済的局面がある。
 前者が国家権力の世界化(グローバリズム)なら後者が「ヒト・モノ・カネ」の流れを国際化するグローバリゼーションで、両者は、通常、一体化している。
 グローバリズムと対立的にとらえられている一国主義も、グローバリズムと相補的な関係にあって、国家は、すべて、国益主義と世界戦略の両方の政策を併せもっている。
 極端なケースが戦争で、アメリカは、戦後、朝鮮戦争をはじめベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、紛争までふくめると百件以上の戦争をひきおこし、現在はIS(イスラム国)やアルカイダらイスラム過激派と戦争状態にある。
 軍事力は、パワー・オブ・バランスの基礎条件で、軍事費が国家の実力や国家間の力関係にむすびついている。
 したがって、米・ロ・中が、今後、軍縮へむかう可能性は考えられない。
 アジアの覇権をもとめる中国が軍拡路線を継続すれば、これに対抗して、アメリカが軍事力を拡充させる。
 アメリカのアジア戦略の軸になるのが「アジア安保」へと性格をかえつつある日米安保条約である。
 だが、日本にはその自覚がない。「武器を捨てると平和になる」(憲法九条)とヒヨコのようにピヨピヨといっているのである。

 ●経済的発展を支えてきた軍事力
 トランプ大統領の誕生によって、日本が、対米従属というフレームから自由になる可能性がでてきた。
 そうなれば、戦後70年を経て、日本は、一国主義という未知の領域に足をふみいれることになる。
といっても、日米安保の体制に変化が生じるわけではない。
 役割分担や装備コストの負担率が変わるだけだが、その結果、日本の軍事費が数兆円ふえ、米・中・ロに次いで世界4位の軍事国家になる。
 それが日本の安全保障になると同時に、国際的地位の向上につながる。
 現在、交渉中の北方領土の一部返還(歯舞・色丹)が実現すれば、日ロ関係の好転にともなって8項目の協力プラン(資源開発・技術提供・民間投資・中小企業間の交流など)がすすむ。
 軍事力をふくめた国力が拮抗してくると、支配と被支配の関係が互恵的関係へ転換されて、それが二国間あるいは集団的安全保障体制へつながってゆく。
 インドやアセアンとの経済協力も、同じ構図にあるが、後ろ盾になっているのは、日印安全保障条約や日米安保の汎アジア化という軍事力である。
 日本の安全や経済的発展、周辺国との経済交流は、平和主義ではなく、軍事力の高さによってもたらされてきた。
 中国が日本に手をだせないのも、自衛隊のバックに軍事費総額70兆円のアメリカがついているからである。
 150機の航空機と原子力空母、原子力潜水艦や数隻のイージス艦、5万人の兵力をもつ在日米軍は、核攻撃の能力ももっている。
 日本は一兆円に満たない支出で、総軍事費70兆円のアメリカの軍事力を利用しているのである。

 ●軍産複合体の正体
 インドシナからの撤退やデタント(緊張緩和)による軍事費縮減をすすめたケネディ大統領の暗殺(アメリカ政府による真相の76年間封印)や資源外交や全方位外交をすすめた田中角栄の失脚工作(ロッキード事件)の背後に軍産複合体の存在があったのは疑いえない。
 トランプの逆転当選にも、共和党=ネオコンをとおして軍産複合体による工作があったと思われる。
 イラク戦争やリビア侵攻を批判したうえ、ロシア・中国との協調路線を唱え、軍産共同体の怒りを買ったトランプが、突如、国防費の上限撤廃を打ち出したのがその傍証で、軍産共同体の系列にあるマスコミも、ある時期以後、トランプ批判を止めた。
 アメリカが謀略国家なのは、世界の常識だが、日本にはその認識がない。
 ロッキード事件では、朝日新聞や文藝春秋など日本中のマスコミがアメリカ発のガセ情報に踊らされ、国民の大多数は、希代の天才政治家角栄逮捕の報にこぞって喝采を送った。
 さらに悲劇的なのは、連合国が日本の無力化を、GHQが日本の共産化をはかった占領政策の憲法がいまだ最高法として君臨していることである。
 世界が一国主義へむかうなか、国家主権と国体を否定した現憲法ほど有害にして障害になるものはない。
 憲法と世界潮流になりつつある一国主義=自主独立が水と油だからである。
 現行憲法は、国際主義という前世紀の遺物で、共産主義が人類の理想とされていた時代の妄想である。
 軍事力が国家防衛のハードなら、憲法はソフトで、国をまもるには、ハードとソフトの両面の装備が必要となる。
 軍備や交戦権を否定する日本の憲法(九条)は、国家防衛のソフト面にとって最大の障害で、空母の建造を仮想敵国である中国から憲法違反と指摘されるにいたっては、防衛破壊の身中の虫というしかない。
 専守防衛という憲法解釈の下で長距離輸送機や空中給油機すらもてなかった日本の防衛力は、たとえ、軍事費が世界有数であっても、ソフト面を考えると世界最低のレベルといわざるをえない。

 ●憲法改正ではなく自主憲法制定
 国家防衛を悪とする反国家・反日主義者が拠って立つのが憲法である。
 外国では最高の徳とされる国をまもる気概が憲法違反になる法感覚では、軍事力を背景にした一国主義の時代に世界と伍してやってゆけそうもない。
 日本の無力化をはかった戦勝国の謀略が70年をへたいまなお国家の安全保障を脅かしているのである。
 主権と国家機能を奪ったGHQ憲法は、問答無用に廃棄されるべきで、一部を修正する改憲では、現行憲法をうけいれたことになる。
 YP(ヤルタ・ポツダム)体制打破を主張する勢力さえ憲法改正の立場に立っている。
 戦勝国がつくった世界秩序(戦後レジーム)を否定するなら憲法も否定すべきで、一部の修正では、YP体制打破にはならない。
 現在、自主憲法制定のうごきはなきにひとしい。
 自主憲法制定派にとって大きな痛手が自民党の変節である。
 護憲的改憲が事実上の護憲となるジレンマに陥って、自民党のかつての党是だった自主憲法制定への展望を失っているのである。
 護憲派が現憲法を金科玉条とするなら、自民党は9条と前文の削除、維新の党が地方自治権、公明党が環境権の上乗せで、改憲論がもっぱら護憲論の土俵のなかで議論されている。
護憲的改憲派は、憲法96条の三分の二条項をもちだすが、自主憲法制定に必要なのは現憲法廃棄である。
 げんに、昭和27年のサンフランシスコ講和条約でうけいれた東京裁判における戦犯判決を、翌28年の国会決議(戦犯処刑は法務死であって戦死者とみなす)でひっくり返している。
 国家主権と民主主義の原理において、国会決議に勝るものはなく、同決議は多数決が原則である。
 鳩山一郎や岸信介らの日本民主党と吉田茂が率いる自由党が合同(55年体制)して以来、自民党の党是は「新憲法制定」と「経済復興」だった。
 このとき鳩山一郎が、総議員の3分の2以上の確保を目指したのは、53年の時点(吉田自由党政権)で、保守全体で三分の二の議席にたっしていたからだった。
 三分の二条項は、自主憲法制定の手続きの一つで、憲法廃棄という別の手続きも存在する。
 自民党が改憲にこだわると、三分の二条項にひっかかって、いつまでたっても自主憲法の制定ができない。
 改憲を自主憲法制定に切りかえ、方法論の抜本的な見直しが急がれる。
 世界が一国主義にうごきだして、アメリカの後ろ盾と日米安保条約の補強が弱まると、憲法9条が牙をむくだろう。
 憲法訴訟や政変、世論操作によって、国家防衛が9条によって否定されかねないからである。
げんに鳩山由紀夫の民主党時代、日米安保体制にひびが入りかけた。
自主憲法を制定して、国家主権(交戦権)と自主防衛戦略を打ち出さないかぎり、日本の国家防衛は、けっして磐石なものにならない。
 戦勝国によって国家主権を奪われた憲法をひきずって、一国主義へ突入しつつある世界潮流から取り残されてはならない。

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2017年02月10日

 月刊ベルダ12月号(2016年11月発売)より転載

 自主憲法制定と憲法改正
 
 ●YP体制打破と憲法改正の矛盾
 改憲派も護憲派も9条ばかりを問題にする。
 憲法問題が9条をめぐる議論にすりかえられているのである。
 憲法9条を削除するだけなら、現在、国家の自衛権は、国際法(日米安保条約・国連憲章)が補填しているので、9条改憲論者は、結果として、護憲論者と同じ主張をしていることになる。
 現憲法の欠陥である占領基本法の骨格がそのまま残されるからである。
 憲法の問題点は、国家基本法がYP体制という戦勝国のイデオロギーからできあがっているところにある。
 YP体制とは「ヤルタ協定」「ポツダム宣言」にもとづく大戦後の世界秩序のことで、大西洋憲章とヤルタ協定・ポツダム宣言(YP体制)、ハイドパーク協定とハル・ノートから憲法へ一本の線でつながっている。
 憲法改正論議の前にあるべきは、アングロサクソンの対日敵対政策やYP体制における大国エゴ、ハル・ノートの謀略性とハーグ陸戦条約違反など、戦後憲法がうまれた経緯や事情、時代背景の検討であって、これを法律論やイデオロギー論争へすりかえると、いつまでたっても、GHQ占領体制=YP体制を払拭できない。
 ちなみに米ソ冷戦から中国革命、朝鮮戦争、ベトナム戦争その他の世界紛争は、支配権や権益、国益をめぐる戦勝国同士の内輪もめである。
 YP体制を象徴するのが国連(戦勝国連合)で、敗戦国の日本とドイツには、いまなお敵国条項が適用されている。
 日本国憲法は国連憲章に類似しているといわれる。
 YP体制の価値観を最高法規(98条)にすえているからで、99条では、国務大臣や国会議員、裁判官から天皇にまで憲法の尊重と擁護の義務を負わせ、さらに三分の二条項(96条)が改正を不可能にしている。
 戦勝国のイデオロギーで敗戦国を半永久的に縛っておこうというのである。
 憲法改正とは、憲法96条のよる法手続きのことで、憲法の内容を改正するという意味ではない。
 かつて自民党が掲げたのは自主憲法制定であって、それには憲法96条の手続きをふまねばならないので、便宜上、改憲という用語がもちいられただけである。
 ところが、現在、政界からマスコミにいたるまで、憲法の内容を変更するという意味合いで、憲法改正ということばをもちいている。
 憲法改正なら、占領基本法をひきつぐことになって、自前の憲法をつくったことにならない。
 憲法改正(96条)の前にあるべきは終戦処理としての憲法破棄で、戦勝国による占領支配が終わった段階で、日本は、憲法と皇室典範や11宮家の臣籍降下を原状に復すべきだったのである。

 ●ルーズベルト大統領の愚かさ 
 ヤルタ会談は、昭和20年2月、米(ルーズベルト)・英(チャーチル)・ソ(スターリン)の三首脳が降伏後のドイツの管理、国際連合の創設、わが国の領土分割などについて話しあった会談で、このとき、ルーズベルトとスターリンのあいだで、ソ連の対日参戦と日本領土の取得などについて秘密協定がむすばれている。
 ポツダム会談は、ドイツ降伏後の昭和20年7月、米英ソの首脳が対日降伏宣言を発表した会談で、同宣言では、日本が「世界征服」を試みたとして「全日本軍の無条件降伏」「戦争犯罪人の処罰」「民主主義的傾向の復活強化」などが宣せられた。
 これがYP体制の土台となる「東京裁判史観」で、その上にのっているのが自虐史観や反日主義である。
 ポツダム宣言に「カイロ宣言の条項は履行される」とある同宣言に日付や署名がないのは、ルーズベルトと蒋介石の謀略だったからで、チャーチルは、国会答弁で、ルーズベルトに騙されたと証言している。
 カイロ宣言では、満州や台湾、澎湖島に中国への帰属、1914年以後獲得した太平洋上のすべての日本領島嶼の放棄、朝鮮の独立が謳われ、これがポツダム宣言にひきつがれた。
日本憎しにこりかたまったルーズベルトは、明治以後、日本が獲得した領土や権益をすべてスターリンと蒋介石にただでくれてやったのである。
 ニューディール計画をとおして共産主義の影響をうけたルーズベルトのスターリンびいきは度外れたもので、大統領に就任(1933年)すると共和党などの反対をおしきってソ連を承認している。
 中国好きは、阿片戦争の時代からアヘンをふくむ中国貿易をおこなっていた祖父の影響で、一方、その中国を侵略している日本にたいして、つよい嫌悪感をもっていた。
 YP体制はルーズベルトの愚かさによってつくりあげられたのである。

 ●ハル・ノートという謀略
 ルーズベルトの軸足は、次第にチャーチルからスターリン、蒋介石へと移ってゆく。
 そこに日米戦争の本質がある。
 第二次大戦は、民主主義と帝国主義のたたかいではなく、ルーズベルトがスターリンや蒋介石をまきこんだ日本抹殺計画だったのである。
 アングロサクソンと日本の対立関係は、日本が人種的差別撤廃提案を発議したパリ講和会議(1919年)に端を発し、ルーズベルトとチャーチルの大西洋憲章(1941年)をへて、開戦後、日本への原爆投下と武装解除を密約した「ハイドパーク協定」(1944年)にいたって、いよいよ激烈なものになってゆく。
 憲法9条の武装解除は原爆投下と対になっていたのである。
 それでも護憲主義者は、9条を世界に誇るべき平和のシンボルというつもりであろうか。
 国連の母体となったYP体制は、のちに国連常任理事国となる米英ソ中が中心となった世界観で、根幹にあるのが大国主義と植民地支配である。
ルーズベルトが主導したYP体制に対抗して、日本が提唱したのが大東亜共同宣言(1943年)だった。
 日本は、ABCD包囲網にたいして、大東亜共栄思想のたたかいを挑んだ。
 その意味で、大東亜戦争は、アジアを手の内におさめようとする米英ソ中と大和民族の決戦だったといえる。
 西洋文明と日本文化の決戦となった前大戦では、人種差別意識にもとづいた原爆投下や都市空襲で非戦闘員の大量殺戮をおこなったアメリカに一片の正義もみとめられない。
 日米戦争が、日本海軍によるパールハーバー攻撃(1941年)からはじまったというのはウソである。
 米英は盧溝橋事件(1937年)直後からの2つの援蒋ルート(南部仏印とビルマ経由)を使って、中国軍に大量の戦闘機・戦闘車両・重火器だけではなく、空軍兵士(フライング・タイガース)を送り込み、日本軍と交戦状態(日本側の損失記録/被撃墜115機、戦死者300名)にはいっていた。
 アメリカが狙っていたのは、支那の植民地化と満州国の利権で、日本つぶしの軍事行動は、中国大陸ですでに火蓋が切られていたのである。
 フライング・タイガースは、日本の都市を空襲する計画を立てていた。
 重爆撃機による日本本土空襲が実際におこなわれなかったのは、支那戦線で日本の戦闘機が優勢だったからだが、それでも、加藤隼戦隊との死闘は後世まで語り伝えられている。
 フライング・タイガースによる挑発に失敗したアメリカは、新たな謀略を仕組む。
 日米戦争開戦前の日米交渉において、1941年、アメリカ側から日本側に提示されたハル・ノートである。
 三期目(1940年)の選挙戦で、イギリスに航空機2万6000機をふくむ大量の武器援助をおこなう計画を発表したルーズベルトは、1941年にレンドリース法を成立させ、中華民国やイギリス、ソ連、フランスなどの連合国にたいして武器や弾薬、戦闘機、軍需物資など終戦までに巨額(現在価格7000億ドル)の軍事援助をおこなっている。
 口先で平和主義を語る一方、陰で連合国の武器供給人となったルーズベルトは、カイロ・ヤルタ・ポツダムにおいて、スターリンや蒋介石に常軌を逸した迎合を重ねた。
 ソ連の参戦および樺太南部の返還と千島列島の引き渡しは、ルーズベルトとスターリンの個人的な約束だったとして、アメリカは、国家の関与をみとめておらず、事実、米国務省も軍も、ソ連の動向をつかんでいなかった。
 ルーズベルトが、蒋介石に巨額の軍事援助や借款、カイロ会談出席や台湾の返還、沖縄領有、四大強国扱いを約束したのは、対日戦線から離脱させないためだった。
 日本を敵視するルーズベルトの個人的執念が、中国革命や朝鮮戦争、ソ連の超大国化をうみ、アジアの混迷を深めたのである。

 ●GHQがつくった革命憲法
 50年以降、マッカーシーの赤狩り≠ェ猛威をふるい、ルーズベルト側近の多くが共産主義者として槍玉に上がった。
 ヤルタ会談で大統領顧問として出席したアルジャー・ヒス、ハル・ノートの原案をつくったハリー・ホワイト、日本国憲法の起草や公職追放令に独裁的な権力をふるったGHQ民生局のケーディスや上司のホイットニーらが標的になったが、マッカーシーがいちばんの摘発したかったのは、終戦直前、謎の死をとげたルーズベルトだったはずである。
GHQのスタッフは、軍人のマッカーサー以外、すべてルーズベルトの息がかかったニューディーラーで、かれらは、アメリカで失敗したニューディール政策=共産主義革命を日本で成功させようという野望を抱いていた。
 キャッチフレーズが民主化≠ナ、これが国民主権から人民政府へ移行すると議会内で共産主義革命が成立する。
 日本国憲法はそのマニュアルで、ケーディスやホイットニーらが夢見た共産主義革命の道筋が隠語にように書きつづられている。
 日本がマッカーサーの憲法草案をうけいれた理由は、日本に主権がなかったことにくわえて、戦後処理に奔走した幣原喜重郎首相がマッカーサーに全面的に屈服したからだった。
 マッカーサーは、GHQ憲法の早期制定をすすめなければ、天皇の戦犯指名をもとめる連合国の圧力をはね返すことができないと幣原を説得している。
 女性参政権や労働組合の結成、教育や経済、農地などへの国家不干渉の原則は、マッカーサーと幣原の合意で大筋がきまったが、これらの民主化政策がすべて憲法にもりこまれることになった。
 天皇にさえ尊重と擁護の義務を負わせる憲法99条は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が日本国を支配下においたという宣言で、このとき、日本は、憲法の下でYP体制に組み込まれたのである。
 
 ●YP体制を内側からささえる左翼
 憲法を破棄すべき理由はいくつかあるだろう。
 戦勝国が敗戦国に法の変更を強制するのは「ハーグ陸戦条約」違反で、連合国の対日降伏条件である「ポツダム宣言」に反している。
 同宣言には、陸海軍の即時無条件降伏(1〜5項、13項)と武装解除(9項)、日本本土の占領(7項)、「世界征服の挙に出つるの過誤」の受け入れ(6項)、基本的人権の確立(10項)、領土縮小(本州、北海道、九州、四国以外の領地主権の放棄/8項)など全13項から成るが、新憲法制定について一言もふれていない。
 昭和28年8月3日の衆院本会議で戦犯の赦免に関する決議を採択し、巣鴨プリズンに拘束されていた戦犯全員が日本政府の責任において釈放された。
 東京裁判に法的根拠がなく、戦犯として処刑された人々は、戦死者(法務死)とみなすという国家決議は、サンフランシスコ講和条約に背くが、なんら問題はおきていない。
 GHQ憲法がポツダム宣言など国際条約や国際法違反という根拠から国会で無効決議を採択すれば、28年の戦犯の赦免に関する決議と同様、多数決で現憲法破棄、新憲法制定の道が開かれる。
 YP体制は、スターリンの野望とルーズベルトの愚かさがもたらしたものだが、戦後70年がたち、その歴史的影響力は完全に消滅している。
 にもかかわらず、日本でYP体制が維持されているのは、日本人がみずからが、敗戦とGHQ体制を利得としているからである。
 GHQの公職追放令によって、大学や論壇、教育界や歴史学会、マスコミや法曹界、官界など日本の知的階級がケーディスやホイットニー好みの共産主義者に占領されることになった。
 YP体制を構築し、内側からささえているのは、護憲と議会内革命の立場に立つ日本の左翼インテリ層で、YP体制打破をいうなら、その標的となるものは、日本国内で大手をふっている敗戦利得者である。
 非戦平和主義や非武装中立論、反米や反安保、親ソ・親中は、護憲派からうまれた政治勢力で、日本では、GHQの日本弱体化計画≠ひきついだ左翼や反日主義者が憲法の庇護をうけ、政界においても、護憲派の衣を着た反日主義者が、野党として議会の一角を占めている。
戦後、植民地を失ったヨーロッパが凋落する一方、世界の主役は、米ソ二大強国と中国となった。
 その構図がそっくり反映されているのが戦後日本で、東京裁判史観のなかで、親米派と親中派・親ソ派が政権を争っている。
 それがYP(ヤルタ・ポツダム)体制で、その象徴が国体と国家主権を廃棄させられた憲法である。
 YP体制をいうなら、自主憲法を制定して、戦後の敗戦利得のなかでのうのうとしてきた左翼・反日の支配層にゆさぶりをかけるしかないのである。
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 月刊ベルダ11月号(2016年10月発売)より転載

 保守と右翼
 
 ●保守を右翼と呼ぶ誤り
 保守と右翼が混同されている。
 好例が安倍政権は右翼≠ニいうレッテルである。
 もともと、右翼や左翼ということばは、フランス革命当時、王党派が議会の右側、革命派(ジロンド派)が左側に座ったことに由来している。
 したがって、保守の安倍首相が右翼なのはあたりまえなのだが、日本では、右翼ということばが、左翼陣営やリベラル派のあいだで、悪の代名詞としてもちいられている。
 ファシズムや好戦主義者の代名詞になっているのである。
 西洋の右翼は、日本の保守もしくは与党で、政治勢力である。
 一方、日本でいう右翼は、国体の防人で、文化の概念である。
 ヨーロッパに日本でいう右翼(=天皇主義)が存在しないのは、国体が失われているからで、国連安保常任理事国(米・英・仏・ロ・中)はみな革命国家である。
 伝統(権威)と武力(権力)が一体化していた古代国家(王国)が消滅したのは、権威と権力が一元化されていたからである。
 革命とは権力による権威の否定にほかならない。
 日本に国体が残っているのは、権威と権力が両立していたからで、先進国のなかで、唯一、日本は、革命を経験していない伝統国家なのである。
 かつてクニは、神話や素朴な宗教心、習俗などの文化概念によってみずからを統一した祭祀共同体で、邪馬台国(大和朝廷)の女王卑弥呼は、軍事力ではなく祈祷でクニを治めた巫女だった。
 現在の日本は、大和朝廷と歴史的連続性を有しており、天皇は、大和朝廷を建てた神武天皇の男系子孫(万世一系)である。
 日本が伝統国家として、世界から尊敬をうけているのは、国体という歴史の財産が残っているのみならず、現体制をささえているからで、その象徴が天皇である。
 自民党にもとめられているのは、革命国家の保守主義(カンサバティブ)ではなく、伝統国家の国体思想で、日本の保守党には、国体の防人としての使命も課せられている。

 ●右翼の本質は防衛にあり
 右翼の本質は、防人で、歴史や文化、風土、習俗などの伝統の守護者としてふるまう。
 勇を奮ってまもらなければならないのは、伝統は無防備だからで、千年の蓄積も、タリバンに破壊されたバーミヤン大仏のように、一発の大砲で粉々になる。
 防衛は、攻撃よりもはるかに戦略的意味が重い。
 攻撃は、失敗しても撤退するだけだが、まもりに失敗すればすべてを失う。
 神風に破れた蒙古軍は船団を失っただけだが、日本軍が負けていたら国家を失っていたろう。
 神風特攻隊が散華したのは、本土防衛軍だったからで、防衛は、攻撃よりも壮絶なたたかいになる。
 右翼がまもるべきは、物質的な価値や権力ではなく、精神性や無形の文化である国体である。
 それが三島由紀夫のいった文化防衛で、三島は、命を捨てて国体や日本精神という無形の文化をまもろうとした。
 文化という内面を侵蝕されるとつぎは文明という外面の崩壊がはじまる。
 アメリカ民主主義とGHQ憲法が、かつての誇り高き道徳国家をアメリカに追従する二流国にしてしまったのは、権力がはたらいたからではなく、国体という内面を侵蝕されたからだった。
 国体は空気のようなもので、だれも意識することがない。
 その無意識が国体の真のすがたで、国民は無言でこれをささえている。
 日の丸を振って愛国心を訴え、政治スローガンを叫ぶのが国体護持ではない。
 無自覚なほどにクニに同化して、はじめて、国体はまもられる。
 特攻隊員の遺書をみてわかるように、かれらは、祖国愛と高い教養、強靭な精神力をもっていた。
 それが右翼=防人の本質で、国家をまもるには、まもるべき国家に惚れきる純粋性や熱情、歴史や文化につうじる聡明さがもとめられる。
 
 ●左翼には保守、反日には右翼が対抗
 かつて、右翼が反共と同義だったのは、共産主義革命から国体をまもるためだった。
 共産主義は、国体という歴史の連続性と文化の蓄積を根こそぎ否定する権力構造で、いわば国家自体が、共産主義が管理する監獄となる。
 中国でおきた共産主義革命が、戦後、日本でおきなかったのは、容共政策をとったGHQが反共へ転じたためで、朝鮮戦争がおきなかったら、日本も共産化されていた可能性が多分にあった。
 国体が失われる危機となるのが、敗戦と国家分裂、そして革命である。
 戦後、日本にその三つの危機がいちどきに襲ってきた。
 敗戦と連合国による分割統治、そして左翼の大躍進によって、日本は、革命前夜の情況になった。
 連合国による四島分割統治と天皇の戦犯指名を免れて、一応、危機を脱したものの、深い傷跡が残った。
 日本の支配階級が、右翼からそっくり左翼に入れ代わったからである。
 戦前の一般的な日本人は、現在の感覚でいえばすべてウヨクで、民族主義者であることが国民の徳の一つに数えられていた。
 ところが、戦後、霞ヶ関をはじめ教育界や大学、法学や歴史学などの学会、大新聞などのエリート階級が、戦前戦中、アカや非国民と呼ばれて社会の中枢から外れている人々に占領された。
 戦後日本では、敗戦直後の革命の危機は脱したものの、公職追放とGHQの容共政策によって、左翼革命の準備が着々とすすんでいたのである。
 それを阻止したのは、天皇と皇室を敬愛する一般国民だった。
 左翼は国体とともにある国民の前で身動きがとれなかったのである。
 だが、現在、日本という国家を危機に陥れているのは、日本共産党が議会で一定の議席を占める共産主義ではない。
 危険なのは左翼よりも反日で、政権を狙う左翼にたいして、反日は、国体の破壊を目的とする。
 国体が崩壊すれば、国家主権(交戦権)をもたない日本は、革命をおこさずとも、国家としての機能と体裁を失って、アメリカか中国の属国にならざるをえない。
 反日主義は、国家の主権を他国にゆだねようという売国思想なのである。
 左翼には政権を争う保守が対抗する。
 だが、伝統破壊を目的とする反日は、メディアや教育などをつうじて、じわじわと国民生活に浸透する。
 反日攻撃の防波堤となるのが、国体の防人たるウヨク=民族派である。
 現在、ウヨクと呼ばれているのは、戦前の日本人の精神を継承している人々で、ふだん市井に埋没しているが、国体がおびやかされたときは立ち上がる。
 右翼の本質は防人というのはその意味合いなのである。

 ●国体を破壊したのは戦後左翼
 戦後、国体意識が失われたのは、GHQの情報工作のせいだけではない。
 GHQは、三大紙による「天皇制存廃世論調査」で天皇支持が9割をこえた事実をふまえて「天皇制があるからといって民主主義的ではないとはいえない」と正式にコメントしている。
 国体破壊の意図がなかったというより、GHQには、国体にたいする認識がほとんどなかったのである。
 国体意識を破壊したのは、日本共産党や日教組、労組などの革命勢力とこれに同調したマスコミや学会、言論界、GHQによって再編された官界だった。
 GHQの公職追放令によって20万人以上の要人が公職から追われ、日本の中枢機構が左翼に占領された。
 GHQによって息を吹き込まれ、GHQの日本弱体化戦略をひきついだ左翼と反日勢力のスローガンとなったのが、平和憲法だった。
 憲法は改正が可能で、神道指令や言論統制のような占領政策は、講和が成立すれば解除される。
 だが、日本の中枢機構を左翼一色にした公職追放令は、解除不能なので、百年の禍根となって、いまも日本を呪いつづけている。
 GHQが種をまいた戦後左翼・反日が目の敵にしたのが皇国史観で、天皇から君が代、日の丸に至るまでが、反皇国史観の名目で攻撃目標となった。
 祝日(旗日)に玄関に日の丸を掲げる風習がなくなったのは、GHQが日本から引き揚げたあとのことで、日教組や労組、大新聞が、日の丸=軍国主義という教育や宣伝をおこなったためだった。
 日教組と歴史学会、教科書出版社、文部省は、国史が皇国史観を連想させるという理由から、軍国主義の元凶とされた皇国史観や神話も排除して、国史ならぬ天皇不在の日本史がつくりあげた。
 国体という日本精神は、いまなお、左翼革命運動のターゲットとなっているのである。
 
 ●消えた極左、残った極右
 サンフランシスコ講和条約がむすばれてGHQが撤退した4年後、日本では憲法改正をめぐって大きな政治変動が生じた。
 左右両派に分裂していた日本社会党が統一されて、憲法改正の阻止に必要な3分の1議席を獲得すると、憲法改正を目指す保守勢力も、自由党と日本民主党が合同して自由民主党を結成、議席の3分の2弱を確保する。
 これが「55年体制」で、このとき日本共産党も大きな変貌をとげた。
 それまでの武装闘争路線を捨て、議会内革命路線をとるのである。
 日本共産党にとって、国体が抜き去られている憲法は革命運動の障壁にならないどころか、国民主権は、むしろ追い風だった。
 革命は、暴力であれ選挙であれ、国民(人民)主権の名目の下で独裁政権を樹立することだからである。
 妨害になるのは歴史と文化の実体たる国体だけだった。
 だからこそ革命は殺戮と破壊によって過去を消滅しようとする。
 だが、戦後日本では、左翼の手で国体がほぼ完全に否定されていた。
 日本共産党にとって、GHQによって改造された戦後は、革命前夜だったのである。
危機感を抱いた保守陣営のなかでまっ先に行動をおこしたのが、検事総長や法務大臣、防衛庁長官などを歴任し、政界引退後、自由民主党の院外団「自由民主党同志会」を率いた木村篤太郎だった。
 木村は、法務総裁だった当時、国粋会など全国の任侠団体を結集した「反共抜刀隊」計画を立てている。
 右翼の大同団結は吉田茂の反対で実現しなかったが、これが任侠右翼として60年安保闘争以後までも引き継がれる。
 これが、極右と呼ばれるグループで、いまは多くが民族派を名乗っている。
 極左は、あさま山荘事件で連合赤軍(赤軍派・京浜安保共闘)が壊滅したのち内ゲバをくり返すだけの殺人集団へ転落していった。
 極左が全滅したのは、かれらがもとめたのが政治権力だったからである。
 武装蜂起による世界同時革命が荒唐無稽だったというより、共産主義自体が崩壊して革命という政治目的が消失したからである。
 一方、権力と政治から切り離されている極右には、依然として、国体の護持という目的が残されている。
 60年安保の前年に結成された全愛会議(全日本愛国者団体会議)に参加した民族主義団体は、1964年の第6回大会には440にもふえた。
 全愛会議の綱領は「国体護持」「反共協同戦線」で、60年安保闘争には、自民党の要請をうけて、多くの任侠団体が動員された。
 だが、安保闘争が終わると、政治結社を名乗って革命勢力と対抗した任侠団体は、警察の大弾圧をうけて、政治の世界からすがたを消す。
 右翼は、国体の防人であって、権力の従者ではなかったからである。
 といっても、右翼は権力に利用されたわけではない。
 右翼の本懐は国体の護持にあって、ときには権力とむすび、ときには権力の敵となる。
 左右を問わず、国体をおびやかす勢力にとって、右翼は恐怖の対象となる。
 極左は消えても、国体をおびやかす勢力があるかぎり、極右は存在理由を失わないのである。
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 月刊ベルダ10月号(2016年9月発売)より転載

 伝統主義と民主主義の
折り合いのつけかた


 ●伝統国家の自覚がない日本人
 安倍首相は「生前退位」問題を皇室典範の附則変更で処理するという。
当初、検討された特別措置法では、憲法第二条(国会議決と皇室典範による規定)違反になる可能性があるため、附則変更で対応しようというのである。
 有識者会議の設置についても来年に先送りして、拙速を避ける意向だ。
 これにたいして「陛下のお気持ちを汲んでいない」「陛下に同情的な8割の世論を無視している」という批判もある。
 有識者会議の設置と皇室典範の改正を急ぎ、法改正と国会議決で、一刻も早く生前退位を実現させるべしというのである。
 自民党の二階幹事長も有識者会議の設置にからめて「女性天皇の検討も一緒にやればよい」(BS朝日)とのべ、記者団に「女性尊重の時代に天皇陛下だけが例外というのは時代遅れだ」と女性天皇論を展開した。
 安倍首相とは皇室観において大きなちがいがある。
 二階幹事長やマスコミ世論が近代主義なら、安倍首相は、伝統主義に立っているのである。

 ●権力や法を超越している伝統
 近代主義は、法や権力に拠って立ち、伝統主義は、歴史的な慣例や文化構造に根ざしている。
 世襲や万世一系、宮中祭祀は、法や権力を超えている。 
 だからこそ、不動の権威なのであって、法や権力、多数決の民主主義に左右されては、権威たりえない。
 いくさや選挙の勝者は権力者になれるが、歴史上、いかなる権力者も天皇になることができず、今後もありえないのは、天皇が権威であって、権力者ではなかったからである。
 それが、天皇を戴く伝統国家の真のすがたである。
 安倍首相の慎重な対応は、天皇の地位と皇位継承にたいする法と権力の関与を最小限におさえるためで、事実、旧皇室典範は、皇室の家法として、憲法と同格の別の法体系だった。
 有識者会議では、生前退位を前提とせず、摂政による国事行為の代行なども検討されるという。
 摂政は、昭和天皇の前例があり、国事行為の代行も、憲法や皇室典範に規定があるので、生前退位より自然である。
 憲法によって定められた国事行為は、半ば、法制化された儀式で、皇太子による代行でもさしつかえない。
 一方、憲法に明記されていない宮中祭祀は、伝統であって、天皇あるいは皇太子が摂政宮となっておこなわなければならない。
 天皇の権威の根拠となるのは、憲法に規定された国事行為ではなく、伝統としての宮中祭祀である。
 皇位継承も宮中祭祀と同様、法や権力の埒外にあって、法的手続きや政治判断のおよぶところではない。
 伝統の範疇にあるものには手をつけないのが伝統国家の徳性で、日本の皇室が世界から尊敬されているのは、法や権力のおよばない伝統的存在である天皇が、事実上の元首となられているからである。

 ●皇室の自然消滅をはかったGHQ
 日本が伝統国家であることを自覚している日本人は多くないだろう。
 戦後、革命国家の民主主義がゆきわたって、国体という民族の伝統的精神が失われたためである。
 国体は、民族の神話や宗教、習俗や言語、生活形態などをのみこんだ歴史の産物で、文化構造である。
 伝統国家は、永遠の国体の上に一過性の政体が乗った二重構造になっている。
 政体は、政治や法、制度などの権力構造であって、時代によって変化する。
 日本が、数千年にわたって、同一国家を維持することができたのは、政体が代わっても、土台となる国体が不変だったからである。
 その土台が大きくゆらいだのが先の敗戦だった。
 敗戦とGHQによる日本占領によって、国体の存続がGHQの手にゆだねられた。
 明治政府によって種がまかれた国体の危機が現実のものになったのである。
 薩長の明治政府が国体の象徴である天皇を元首に据えたのは、権威と権力を一体化させ、列強に対抗できる帝国主義国家をつくるためだった。
 国体の危機は、このとき仕込まれたといっていい。
 国体の象徴である天皇を政体のトップにすえたため、権威と権力の二元論が崩れて、政変や戦争という政体上の危機が、文化構造である国体におよぶ構造になったのである。
 天皇が権力にとりこまれると権威と権力の二重構造が毀れる。
 日米開戦を回避できなかったばかりか、敗戦によって、二千六百年におよぶ国体が消滅の危機に瀕したのは、天皇が明治政府および陸海軍にとりこまれたからで、敗戦による国体の危機は、日本がみずから招いたものだったのである。

 ●天皇は国家ではなく国体の象徴
 戦勝国が皇室廃絶をもとめるなか、GHQは、皇室の財産没収、11宮家の臣籍降下、旧皇室典範の改廃など皇室の自然消滅を視野に入れた政策を着々とすすめた。
 最大の難問が天皇の処遇だった。
 天皇が国家元首なら、敗戦国の戦争指導者として、戦勝国から裁かれなければならない。
 天皇もそのおつもりで、みずからマッカーサー元帥を訪問されて、全責任をとるお覚悟をのべられた。
 天皇が権力であったら、国民の支持や敬愛どころか、国民的な糾弾を浴びていたろう。先の大戦では、数百万人の同胞が、戦場や空襲、原爆で命を失っているのである。
 だが、天皇が権力者=国家元首ではなく、国体という文化構造の象徴だったのなら話は別である。
 天皇の全国行幸には、一億日本人が日の丸の小旗を振って、熱狂的にお迎えした。
 マッカーサーは、天皇が権力者ではなく、西欧には存在しない国体の象徴であるという確信をもった。
 きめてになったのが、大新聞(朝日・読売・毎日)や調査機関による「天皇制存廃世論調査」だった。
 結果は驚くべきもので、どの調査も廃止が1パーセント前後、不明をふくめても10パーセント前後で、国民の9割が天皇を支持していたのである。
 総司令部(GHQ)のスポークスマンは、驚愕してこのとき「天皇制があるからといって民主主義的ではないということはできない」とコメントしている。
 マッカーサーの決断は、天皇を軍部や政権(政府)から切り離して、国民と一体化した象徴(日本国と日本国民統合の象徴/憲法一条)とすることだった。
 マッカーサーは、はからずも、明治政府が権力者に仕立てた天皇の位をほぼ原型にもどして、国体護持を憲法に明文化したのである。
 だが、このとき、マッカーサーは、大きな誤りを犯した。
 天皇の地位を伝統ではなく、法制上のものとしたのである。
 マッカーサーは、天皇と国体をまもったと同時に、天皇を憲法にくみいれることによって、明治政府と同様、国体と伝統国家の真のすがたをゆがめたのである。

 ●多数決の原理にすぎない民主主義 
 アメリカ人にとって、日本の皇室は、羨望の対象だという。
 新興国家のアメリカにとって、民主主義は、空気のようなものだが、歴史や伝統は、もとめても永遠にえられない文化的な価値なのである。
 民主主義は、文化でも文明すらでもない。
 ただの多数決で、チャーチルがいったように、絶対専制や独裁、暗黒政治に苦しんだ人民がたどりついた窮余の策で、絶対専制や独裁よりマシという代物にすぎない。
 しかも、民主主義は、衆愚化という致命的な欠陥を抱えている。
 多数派が最大権力となる民主主義では、大衆とマスコミ、迎合政治家の三者が世論を支配して、政治をかぎりなく劣化させるのである。
 大衆の欲望とマスコミの商業主義、権力欲は、目先の利益追求という点で一致する。
 このとき、伝統や徳性、習慣、民族の叡智という歴史的価値が捨てられる。
 歴史を断ち切った革命国家では、権力の実効性や正統性が、民主主義一本に絞られる。
 自由主義も共産主義も、革命国家であるかぎり唯物主義で、げんにアメリカは、スターリンのソ連と手をむすんで日本とたたかった。
 戦後、イデオロギーが、自由主義と共産主義の対立という図式で語られてきた。
 しかし、実際は、伝統と革新の対立であって、軍事的に対立しながら微妙なところで米中が折り合っているのは、ともに革命国家だからである。

 ●伝統国家と革命国家の衝突
 大東亜・太平洋戦争は、伝統国家と革命国家の衝突で、日本は、国家防衛と国体護持、大東亜共栄圏建設のため、アメリカは、国益と民主主義の理想のためにたたかった。
 日本が戦争に負け、このとき、国体に危機が生じたのは、連合国の戦争目的の一つにファシズムの打倒があったからで、アメリカの目には、天皇が独裁者と映っていた。
 先の大戦は、民主主義とファシズムの戦争でもあったのである。
 GHQによる占領直後から、日本の伝統的精神や文化構造にたいする破壊が開始された。
 共産党はGHQを救世軍と呼び、マスコミや官僚、親米派政治家はGHQの下僕となり、国民は、WGI(ウオー・ギルト・インフォメーション)と3S(スポーツ・スクリーン・セックス)作戦の虜になって、アメリカ民主主義にとりこまれていった。
 GHQは、民主主義の最高法規化(憲法)から左翼活動の促進(労働組合・日教組結成)、国民道徳の排除(教育勅語の廃棄)、伝統文化の抹殺(古典の焚書)、言語改造(漢字のローマ字化)や宗教改革(神道指令やキリスト教教化活動)など日本を西洋的な革命国家に改造する計画を着々とすすめた。
 GHQの政策が、突如、転換されるのは、米ソ冷戦と中国革命、朝鮮戦争によって、日本を反共の防波堤にしなければならない必要が生じたからだった。
 しかし、ときすでに遅しで、新憲法が発布され、公職追放令によって、日本の中枢が左翼に独占されたあとだった。
 以後、日本は、伝統国家と革命国家の中間をゆれうごくクラゲのような国になるのである。
 戦後の日本人は、伝統国家であることを否定するGHQ憲法と日教組の学校教育、左翼マスコミにどっぷり浸ってきた。
 そして、戦後生まれの日本人が8割以上を占め、日本が伝統国家であることの自覚と誇りをもつ日本人が急速に減少すると、首相や大臣までが自虐史観をふりまわす風潮となり、皇国史観を口にするだけで右翼やネットウヨと罵声を浴びせかけられる時勢となった。
 民主主義を絶対化する世論をリードしてきたのがマスコミである。
 朝毎系の大メディアが、左翼・反日のテキストとなってきたのは、戦後民主主義を絶対善≠ニしたからで、教条的民主主義の前では、戦前の日本も靖国神社も絶対悪≠ニなる。
 そして、人民や民主主義、共和国を冠した国を祖国のようにもちあげ、中・韓の日本叩きをけしかけ、加担してきた。

 ●伝統国家にふさわしい憲法改正
 独立国なら、国家反逆罪に問われるべき大メディアが、日本で一、二を争う発行部数や視聴率をえているのは、日本人の多くが民主主義を神聖視しているからである。
 それでも、日本がひっくり返らないのは、天皇がおられるからである。
 大メディアが反天皇を打ち出さないのは、天皇にたいする国民の支持が圧倒的だからで、共産党さえ、容認のポーズをとっている。
 一方、国民のあいだでは、天皇と民主主義が違和感なく共立している。
 理由は、民主主義は、思想でも普遍的な価値でもなく、多数決という方法論と普通選挙法をさしているにすぎないからである。
 野党や左翼は「民主主義をまもれ」と叫ぶが、多数決に反対する者などどこにもいない。
 伝統的価値は、多数決などと比べようもないもので、まして、どちらをとるかなどいう設問は、ばからしくて、国民はだれも耳を貸さない。
 日本が伝統国家であることは、否定できない歴史そのもので、それを「いまは男女平等の時代」などと否定してかかるのは、アメリカ民主主義への迎合や進歩主義の請け売りにほかならない。
 心ある国民は、道具として民主主義を利用しながら、伝統主義の誇りをいまだ失わずにいる。
 国民の期待に応える改憲案は、この事実をふまえ、国体護持という大所高所に立った大胆な考え方がもとめられる。
 憲法改正案は、まっ先に、旧皇族をふくめた皇族の家法として、皇室典範を独立させることである。 
 二つ目は、臣籍降下した11宮家の男系男子に皇位継承権を設けること。
 11宮家にたいする皇位継承権は、憲法や内閣の拘束をうけない皇室典範できめればよいことで、伝統国家には、法や多数決、政治がおよばない領域があってよいのである。
 皇室の自然消滅をはかったGHQの当時の対日政策を撤廃しておかねければ、当時のGHQの目論見どおり、日本は、将来、皇室消滅という事態を迎えなければならなくなるのである。
 
 
 
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 月刊ベルダ9月号(2016年8月発売)より転載

 天皇の「生前退位」が広げた波紋

 ●もっとも望ましい皇太子の摂政宮就任
 安倍首相は、天皇陛下がビデオメッセージで生前退位のご意向をしめされた問題について、ご年齢とご公務の負担など陛下の心労を重くうけとめるとしながらも、生前退位の法制化などの具体的な政府の方針は示さなかった。
 菅官房長官も「公務の円滑な遂行が困難になることを懸念されたお気持ちをのべられたもので、国政に影響を及ぼす発言ではない」として、天皇が政治に影響力をもたない憲法上の限界をしめすにとどまった。
 今上天皇が生前に皇太子に皇位を譲る「生前退位」の理由がご高齢なのであれば、憲法(第5条)及び皇室典範(第16条)の規定にしたがって、皇太子が摂政をつとめられるのが順当と思われる。
 事実、陛下が前立腺がん(2003年)や心臓冠動脈のバイパス手術(2012年)でご静養中だった時期、皇太子殿下や秋篠宮殿下が公務を代行されておられる。
 皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)が大正天皇のご療養から崩御にいたる5年間(1921年から1926年/大正10年から大正15年)にわたって摂政(摂政宮)をつとめられた歴史的前例も存在する。
 皇太子摂政であれば、皇室会議だけで手続きがすみ、元号を変更する必要もない。
 昭和天皇が摂政となられた5年間、元号は大正のままで、昭和へ改元されたのは、大正天皇の崩御後、昭和天皇が践祚されて第124代天皇となられたのち(大正15年/1926年)のことであった。
 摂政という選択肢がある以上、二百年前の光格天皇(119代)以後、絶えて久しい生前退位の復活には、歴史的必然性が乏しいといわざるをえない。

 ●皇室典範を憲法の下において生じた国体の危機
 生前退位を可能にするには皇室典範の改正で十分という意見がある。
 憲法に組み込まれた皇室典範は、法律の一つにすぎず、国会の承認があれば改正は可能というのである。
 だが、これには、大きな問題がある。
 今上天皇が生前退位されるとすれば、大日本帝国憲法や旧皇室典範をとびこえ、江戸時代後期の光格天皇の前例にまでさかのぼらなければならない。
 現行憲法や現皇室典範は、大日本帝国憲法や旧皇室典範の改定である。
 江戸時代の前例を適用して生前退位を法制化すると、明治以来の法体系との連続性や整合性が失われて、恣意的な法改正によって、天皇や皇室のあり方を変えることが無制限に可能になってしまう。
 天皇陛下のご意思にもとづいて「生前退位」の法改正がおこなわれるとすれば、憲法第四条の1(天皇は国政に関する権能を有しない)に抵触するのみならず、天皇がお望みになれば、法の名の下で、皇位の女系相続といった伝統に反した皇室制度の変更までが可能になって、歴史や国体との整合性が失われかねない。
 最大の問題点は「生前退位」を法制化によって定めると、国体の象徴である天皇が国体の下部構造である政体によって規定されるという矛盾が生じてしまうことである。
 天皇が権力を超越した存在だったことは、しばしばおこなわれた生前譲位に幕府が関与しなかったことからも明らかである。
 万が一、「生前退位」が実現すれば、新天皇は、権力が定めた史上初の天皇ということになって、権威(国体)と権力(政体)の二元性が根本からゆらぐだろう。
 象徴天皇を憲法の規定とする菅発言からもうかがえるように、憲法改正案に天皇元首を謳った自民党には、天皇が憲法ではなく、国体にもとづく存在という認識が乏しい。
 天皇が政治的影響力を有さないのは、権威と権力の二元化というわが国の伝統にもとづくもので、かならずしも、憲法の規定に根拠にしたものではない。
 天皇の象徴性も、市民革命によって権力者としての地位を失ったヨーロッパ王制の象徴ではなく、権威と権力の二元化にもとづく非政治化であって、古来より、天皇は、権力者ではなく、象徴的存在だった。
 天皇の地位を憲法で規定すれば、天皇を国家元首とした明治憲法の二の舞となり、天皇の政治利用という道をひらくことになる。
 改憲案に天皇元首を謳った自民党に猛省と再考を促したい。

 ●天皇は万世一系によって世襲される歴史上の地位
 日本人が忘れかけている国体について、三つの常識を提示しておきたい。
 1、天皇は、歴史=国体が継承してきた地位で、天皇家が相続する身分ではない。
 2、天皇の地位を継承するのは万世一系(神武天皇の嫡流)である。
 3、皇位継承問題は権力や法の干渉をうけない。
 天皇は、歴史がひきついできた地位で、永遠なのは、その歴史性である。
 天皇の位が先に継承されて、万世一系の系統を引き継ぐどなたが天皇の位を世襲されるのかは、万世一系の原則に従う、それが伝統国家としてのわが国の歴史である。
 天皇の嫡嗣が皇位を継がれるのは、その一形態であって、天皇家に男系男子が絶えた場合、他系統に皇統をもとめなければならない。
 したがって、永遠なる国体を維持するには、その地位につく万世一系の男系男子の幅を大きくとっておく必要がある。
 現皇室は、世襲親王家の一つで、118代天皇後桃園天皇とは家系的つながりの薄い閑院宮の119代光格天皇を祖としている。
 閑院宮は、皇統の断絶を懸念した新井白石と東山天皇(113代)が創設した世襲親王家の一つで、114代中御門天皇の系列で男系男子が絶えても、皇統が保たれたのは、新井白石の智恵のたまものであった。
 一方、現在、GHQが皇室の自然消滅を図った11宮家の臣籍降下にたいして、これを復元させようといううごきはなきにひとしい。
 皇位の世襲を謳った皇室典範が、改廃可能な法体系(憲法)にとりこまれているところに、GHQがつくった戦後体制の矛盾がある。
 旧皇室典範は、皇室の家法として、憲法とは別の、しかも同格の法典として用意されていた。
 これは、権力と権威が二元化されていたわが国特有の体制をあらわしたもので、飛鳥浄御原令や大宝律令などの古代法にも天皇の地位について記述がない。
 天皇や国王が世襲なのは、血統による正統性がもっとも安定した伝統の継承形式だからで、それ以外の方法では、権力が介入して、政争や乱をまねかずにいない。
 永遠の国体が変動する権力構造や一過性の政体の下位におかれると、国家の屋台骨が不安定になる。
 日本が紀元前の大和朝廷以来、同一体制を維持してきた理由は、権威と権力が不可侵の関係にあったからで、それが、日本を世界一の伝統国家にしたのである。

 ●国家をつくった天武天皇・国体に殉じた楠木正成
 国家観があって、はじめて、国家ができる。
 世界の後進的地域が、一足先に国家をつくった列強の餌食になったのは、国家観がなく、したがって、国家をつくれなかったからで、イギリスやオランダの食い物になったインドやインドネシアは、領主群が勢力を競いあう広大なる未開の地でしかなかった。
 日本が列強をよせつけなかったのは、体裁としても機能としても国家だったからで、その中心にいたのが天皇だった。
 現代人にピンとこないだろうが、古代において、国家は、超越的空想でしかなかった。
 国家は、もともと、戦争からうまれるもので、中国大陸で、秦(始皇帝)や漢王朝が誕生したのは、紀元前770年から500年間もつづいた春秋・戦国時代のあとのことだった。
 戦争は武人による権力・勢力争いだが、その先の国づくりをひきうけるのは政治家である。
 戦場(武)と国家(政)をつなげるのが国家観で、中国は、そのために500年をついやしたのである。
 日本が、紀元前という早い時代に国家概念をもつことができたのは、天皇という超越的な存在があったからで、日本の神話も、国産み、神産み、国譲りの物語である。
 天皇が国家を構想しえたのは、個人をこえた歴史上の存在だったからで、歴史=国体という時間軸に立って、はじめて、国家が見えてくる。
 天武天皇は、皇親政治をとって独裁体制を敷き、大宝律令の前身である飛鳥浄御原令の制定、新しい都(藤原京)の造営、『日本書紀』『古事記』の編纂と着々と国家的事業をすすめる一方、天皇の称号と日本の国号を定めた。
 日本という国家および権力機構は、天皇がつくったのである。
 土台にあったのが国体で、国体が政体を擁して、国家となったのである。
「建武の新政」で足利尊氏らと後醍醐天皇を助け、尊氏が叛旗を翻したあとは南朝軍を統率、湊川の戦いで700人の小勢で数万の尊氏の軍勢に挑み、破れた楠木正成は「七生報国」を誓って、弟正季とともに自害した。
 七生報国の国は、空間的・世俗的な国家ではない。
 正成の国家は、歴史という時間軸と神性からなっている国体のことである。
 尊氏は、武家時代の到来を念頭に、正成を家臣に迎えようとしたが、正成は一顧だにしなかった。
 正成が七生報国を誓った国という概念は、権力構造としての国家ではなく、神性をおびた国体だったからである。
 水戸黄門こと徳川光圀は、正成終焉の地・湊川に墓石を建立、そこに自筆で「嗚呼忠臣楠子之墓」と記した。
 封土や俸禄の代償として忠勤奉仕に励む武士の論理は打算で、俗世の利害に左右される。
 光圀公は、権力の走狗となる粗雑な武士に失望して、国体に殉じた楠木正成に武士の理想をもとめたのである。
 幕府や主君のあいだにあるのは契約で、建武の新政が失敗したのは、武士が恩賞に不満をもったからだった。
 利害や個人的栄達に心をうごかされる武士は、身命を捨てて、国体=神州をまもることはできない。
 楠木正成に日本精神を見た光圀の思想は、やがて、幕末の尊皇攘夷へと発展していく。

 ●大御心に反する天皇の声は「聞いてはならない」
 国家や法、制度は、現在的にして唯物的である。
 したがって、万人が敬意をいだく権威はそなわらない。
 権威は、歴史という時間的連続性に宿るものだからである。
 天皇が権威たりうるのは皇祖皇宗と一体化した歴史の体現者だからで、憲法上の象徴天皇として歴史から切り離されると権力構造の一部にすぎなくなってしまう。
 天皇陛下の今回のおことばやお気持ちが、はたして、皇祖皇宗の大御心に添っていたであろうか。
 陛下のお考えやおことばが大御心に反していたなら、葦津珍彦がいったように「聞いてはいけない」ということになる。
 天皇陛下が皇太子時代、家庭教師をつとめたヴァイニング夫人は、クエーカー教の正式会員で、アメリカ民主主義の信奉者であった。
 皇太子徳仁親王も、数年間、オックスフォード大学に留学されている。
 天皇陛下や皇太子殿下の個人的なお考えは、女系天皇容認とつたえられるが、皇位継承について、陛下や皇太子殿下からおことばをいただく必要はない。
 耳を傾けるべきは、日本書紀などの正史にもとづいて先人がくり返してきた不変の原理で、それが大御心である。
 皇祖皇宗は、女系天皇や皇位継承を法にゆだねる現行憲法をおゆるしにならないだろう。
 戦後、占領軍によって臣籍降下させられた11宮家をいまだ皇籍復帰論させられない現状を深く憂いてもおられる。
 それが、民の幸と国の繁栄を願う皇祖皇宗の遺訓たる大御心で、天皇陛下のおことばは、陛下の個人的なお考えを超えた歴史の意志でなければならない。
 日米開戦に反対した葦津珍彦が「天皇が大御心に反することを仰せになったら聞いてはならぬ」といったのは、今上天皇がひきつがれたのは、現世的権力ではなく、歴史的権威だったからである。

 ●大御心を背負って成り立つ権力の正統性
 大御心の添うことによって、一過性の権力に正統性がそなわる。
 それが、権威と権力の二元論で、国体護持は、権力者が負うべき最大の義務である。
 国体をまもるというということは、大御心をまもるということであって、政治家は、国体護持の義務を最大限に負わなければならない。
 ところが、現在、政治家は、天皇は憲法上の存在と言い放って、恥じるところがない。
 権威と権力は、並び立っているのではなく、大御心の下に幕府が開かれたことからわかるように、上下の関係にある。
 いくさの勝者、選挙の多数派にすぎない権力には、権威という正統性がそなわらず、権力が施政権を有する政治権力たりえない。
 戦国時代の群雄割拠は、それが原因で、武田信玄や織田信長が京をめざしたのは、天皇拝謁をもとめてのことだった。
 武田信玄が、上洛途上、病死して、天皇拝謁を実現した織田信長が、天下統一の号令を発して、100年以上にわたった戦国時代の幕が下ろされた。
 皇位を簒奪しようとした人物には、歴史上、弓削道鏡や平将門(桓武天皇の玄孫)、以仁王(後白河法皇の子)、足利義満らがあげられるが、平将門や以仁王は、崇神・応神・継体の新王朝と同様、皇統の男子相続者なので、皇位簒奪にはあたらない。
 万世一系を危うくしたのが、道鏡と義満で、かれらが新天皇や上皇(新天皇=足利義嗣)になっていれば、皇室の起源が神武天皇ではなくなっていた。
 明朝皇帝から「日本国王」として冊封を受けた義満は、皇位を簒奪することによって、日王として自身の地位をあげ、日本を明の属国にしようとした。
 義満急死は、四代将軍となった足利義持と公卿らによる暗殺だった可能性が高く、のちに、義嗣も義持に殺されている。
 皇位簒奪に失敗した道鏡が左遷(下野薬師寺造寺別当)されたのも、和気清麻呂の機転(宇佐八幡宮神託事件)によるもので、天皇の権威は、万世一系の維持という形でまもられてきたのである。

 
 

 
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月刊ベルダ8月号(2016年7月発売)より転載

 グローバリズムの崩壊と
 日本の独立


 ●グローバリズムと国家経済
 冷戦構造崩壊後、世界経済に2つの潮流がうまれた。
 一つは、アメリカを中心とするグローバリズムである。
 そして、もう一つは、中国やロシアなどの国家管理型の一国経済である。
 世界戦略と軌を一にする経済のグローバル化も国家管理型で、経済や金融が、外交や安全保障と同様、国家の管轄下におかれている。
 アメリカは、基軸通貨ドルによる国際金融資本の形成と世界スケールの経済展開で世界一の富裕国家の地位を維持し、中国は、共産党独裁にもとづく国家管理型の資本主義を完成させ、アメリカに次ぐ経済大国になった。
 ロシアも豊かな地下資源の輸出を中心に国家管理型の資本主義を強化させている。
 グローバリズムと一国主義のちがいがあるものの、米中ロが、経済に一応の成功を収めているのは、経済と国家戦略がリンクしているからで、それを端的にいいあらわしたことばが国益である。
 日本経済がかつて順調だったのは商道≠フ伝統で、商が道徳律や公共性の上に打ち立てられていた。
 日本経済には、かつて、公益という背骨がとおっていたのである。
 一方、資本家の利益に最大の価値をおく古典的資本主義は、銃が紙幣や商品に代わったにすぎない侵略主義で、権力とむすびついた植民地政策が、やがて帝国主義へと拡大していき、戦争の火種となった。
 侵略や戦争と表裏の関係にある経済は、国家の管理の下におかれるべきとしたのが、21世紀の新資本主義で、米中ロは、ハイエク(市場重視)とケインズ(公共投資)、フリードマン(マネーサプライ)を適宜に織り交ぜて、国家経済という新しい形態をつくりだした。

 ●グローバリズムの終焉
 グローバリズムもその形態の一つだが、現在、世界で、グローバリズムの終焉を印象づける出来事がつぎつぎおきている。
 一つは「日本も原爆をもったほうがよい」などの過激な発言をくり返すドナルド・トランプが2016年アメリカ大統領選挙(11月8日一般投票/12月中旬選挙人投票)の共和党候補にきまったことである。
 孤立主義のトランプが大統領に当選すれば、日米安保条約からTPPにいたるこれまでの日米関係がすべて見直される可能性がでてくる。
 二つ目が、EU離脱を選択したイギリスの国民投票である。
 小差でも、多数派が国民の総意となる国民投票では、国家主権が素人判断と気まぐれによって液状化現象をおこしてしまいかねない。 
 君主制を打倒、あるいは形骸化させて樹立された民主主義は、ファシズム化とテロリズム、衆愚政治という三つの欠陥をもっている。
 民主主義政権が、これまで大過なくやってこられたのは、議会をあわせもったからで、民主主義は、普通選挙法と議会(間接民主主義)のことといってよいくらいである。
 三つ目が、イラク戦争に参戦したブレア政権を批判するイギリスの独立調査委員会(チルコット委員会)の報告書である。
 この三つは、それぞれ別の出来事のように見えるが、そうではない。
 そこに見えてくるのは、新自由主義と民主主義を核としてきたグローバリズムの失敗と終焉である。
 トランプの孤立主義もイギリスのEU離脱も反グローバリズムで、アメリカの戦争にたいする公然たる批判も、その流れにそっている。
 英米が、一国主義へ舵を切ろうとしているのは、グローバリズムや新自由主義が中間層の貧困化≠ニいう落とし穴にはまりこんだからである。

 ●グローバリズムは掠奪型経済
 アメリカは、国際金融と軍産複合体経済を世界に展開して、国際社会の盟主として君臨してきた。
 グローバリズムは、アメリカが国是とする新自由主義と民主主義の世界化≠ニいうことである。
したがって、経済では、富の偏在と格差化を世界中におしひろげ、政治面では戦争とテロをうみださずにいなかった。
 民主化は、非キリスト教国家や伝統国家とのあいだに深刻な摩擦と混乱をひきおこすからである。
 アメリカが、世界一の軍事力を背景に、民主化と新自由主義の世界戦略をおしすすめてきたのは、自国の利益のためであって、フセインやカダフィを倒したのは、二人の独裁者が異教徒にして反米だったからである。
 それがグローバリズムの正体で、ヒト・モノ・カネの自由化や政治や経済の国家間障壁を撤廃するグローバリゼーションとは別物である。
 グローバリズムは、対外的に、帝国主義・侵略主義・覇権主義という形をとる。
 グローバリゼーションは、サッチャーやレーガン政権がはじめた新自由主義の政策で、民営化や規制緩和、大幅減税のほか金融ビッグバンや外資導入をすすめる一方、社会保障制度や被雇用者の利益をまもる諸制度を後退させた。
 今回、英米でおきているのは、中間者層の叛乱で、グローバリズムと新自由主義に「ノー」がつきつけられているのである。
 アメリカの伝統というべき孤立主義(モンロー主義)は、他国に依存せずともやっていける豊かな地下資源・工業力・農業生産力をもっていたからである。
 だが、西洋の経済は、掠奪型なので、孤立主義をとることができない。
 農業の過剰生産は海外の市場を必要とし、資本は利潤をもとめて国際市場をかけめぐる。
「暗黒の木曜日」(1929年10月24日)にはじまる大恐慌は、掠奪経済の破綻で、原因は、オートメーション化や農業の機械化によって資本家や大農場主が巨利をえる一方、工場や農場から締め出された国民が貧困化して、資本主義経済が立ち行かなくなったからだった。
 代わって立案された社会主義的な計画経済(ニューディール政策)も失敗に終わり、アメリカは、掠奪経済のツケを戦争で解消せざるをえなくなった。
 日米開戦後、アメリカ経済は、欧州から逃れてきたユダヤ資本をテコに軍需産業をフル操業させ、みるみる立ち直り、終戦後、ついに世界覇権を握る。

 ●グローバリズムはテロと戦争の温床
 イギリスの独立調査委員会(チルコット委員会)が、イラク戦争に参戦したブレア政権を批判する報告書を発表して、英国内のみならず、世界的な論議をまきおこしている。
 同報告書は「イラク戦争はひどい結果をもたらした海外介入で、その失敗は現在の世界情勢に深刻な影響をおよぼした」とも指摘している。
 フセインやカダフィらの独裁者を倒した結果、過激派組織「イスラム国(ISIL)」がうまれ、世界中の都市がテロの脅威に晒されるようになったというのである。
 中東のテロリズム(宗教戦争)が封印されてきたのは、フセインやカダフィらの独裁者が力でおさえこんでいたからで、軍事独裁政権が中東的秩序だったことは、イラクやリビアの民主化(ブッシュ大統領開戦演説)が武器と弾薬の民主化、テロ自由化の引き金になったことからも明らかだろう。
 アメリカは、戦後、20回以上、中規模以上の軍事行動をおこし、1000万人以上を殺戮しているが、9割が空爆による民間人の死者である。
 戦略的に成功した軍事行動は、戦後の日本占領(1945年)だけで、朝鮮戦争(1950年)とベトナム戦争(1961年)では敗北を喫し、アジアに対米敵対勢力をつくりあげただけだった。
 アメリカのグローバリズムが失敗したのは、国際交易や通商はグローバル化できても、文化や歴史、民族のグローバル化が不可能なことに気づかなかったか、非アメリカ的な価値は、インディアンやビキニ環礁の珊瑚礁にように、絶滅させても痛痒がないからである。
 アメリカの戦争は、西ヨーロッパのキリスト教諸国がイスラム教諸国に謀略のかぎりをつくした十字軍と本質的にかわるところがない。
 湾岸戦争(1991年)、アフガニスタン戦争(2001年)、イラク戦争(2003年)は、近代兵器の壮大なる実験場で、湾岸戦争では、イラク側の戦死者数15万人にたいして、アメリカ側の戦死者は、0、07パーセントの114人にとどまった。
 グローバリズムに代わって一国主義(孤立主義)が浮上してきたのは、グローバリズムは、結局貧しき帝国主義≠ノすぎなかったからである。
 孤立主義が拠って立つのがナショナリズムと国益主義である。
 中間層の復活をめざす社会保障の充実や被雇用者の保護政策、規制強化は、一国(孤立)主義に依存せざるをえないからである。
 イギリスのEU離脱とアメリカのグローバル経済からの撤退(トランプ・クリントンともTPP不参加を表明)によって、世界経済は、今後、孤立主義の方向にむかうことになる。

 ●対米従属/対日支配もグローバリズム 
 世界の趨勢は、グローバリズムから一国主義への転換である。
 だが、戦後70年、グローバリズムと左翼インターナショナルにどっぷり漬かってきた日本が、一国主義に立った自存自衛の国家運営ができるかといえば、あやしい話である。
 日本が対米従属から抜けられず、主権国家としてふるまえないのは、憲法9条や国家主権の放棄(国民主権)、民主主義などのグローバリズム(世界標準)に縛られているからである。
 そこには、日本独自の価値観や歴史的必然性、民族の智恵が一片も宿っていない。
 日本が他国から攻められても抵抗しないという憲法9条が、戦勝国アメリカからおしつけられたグローバリズムなら、国連憲章や日米安保にもとづく個別的・集団的自衛権もまたグローバリズムで、戦後の日本は、国家防衛という局面において、国益という視点に立った自前の安全保障を構想したことが一度もなかったのである。
 世界がグローバリズムから孤立主義に転換しても、日本は、主権をもった独立国家として他の強国と肩を並べることはできない。
 独立国家としての誇りも気構えもなく、強国にたいする手下根性≠ェ骨がらみになっているからである。

 ●グローバリズムに依存している日本の安全保障
 日本が、アメリカの核の傘≠ノまもられているという説は、妄想のきわみである。
 日本が中国や北朝鮮から核ミサイルを打ち込まれた場合、アメリカが、自国被爆のリスクを冒して、中・韓に報復的核攻撃をおこなう可能性は万に一つもない。
 核による「相互確証破壊」は、当事国同士の共倒れ≠フ論理で、第三国がこれに首をつっこむという仮定はもともとありえないのだ。
 71年のキッシンジャーと周恩来会談では「米国の真の友人は中国」「日本の経済大国化は米国の失策」「日本の核不所持は米中共同の利益」「日米安保条約は日本を封じこめるビンのフタのようなもの」などの発言が外交文書に残っており、72年のニクソンと周恩来会談でも同様の確認をおこない、のちにニクソンは「米国は中国というフランケンシュタインをつくってしまった」と回顧している。
 71年ジョンソン国務次官がニクソン大統領へ宛てた文書で日米関係をこう定義づけている。
「在日米軍は日本本土を防衛するためではなく、韓国・台湾・アセアンの戦略的防衛のため日本に駐留している」
 ところが日本では、国防や国益、国家意識さえアメリカ任せで、東大教授グループらまでが、アメリカ様がつくってくれた憲法9条のおかげで日本は平和などと言い散らしてヘラヘラしている。
「日本の防衛は日本の責任」「日本も核をもつべき」というトランプの発言は、暴論どころか、現在の日本にとって、まっとうな正論だったのである。

 ●日本の独立を妨げている占領基本法
 戦後70年、日本がアメリカにおとなしく追従してきたのは、敗戦とGHQによる占領、かつての米ソ冷戦構造、日米安保の片務性、核の傘、偵察衛星やレーダー網など軍事情報の依存と原因はかならずしも単純ではないが、最大の原因は憲法である。
 戦後処理だった占領基本法の下では、独自の外交も防衛も成立しない。
 なにしろ、国家主権が否定(国民主権・9条)されているので、独立国家として、政治力のふるいようがないのである。
 独自のプランを立て、みずからの責任で、国家の権利や国益をもとめるという独立国家としてのあたりまえの政治機能が失われたのはそのせいである。
 かつて、日本は、媚中・親韓・反日の旧民主党に政権をあたえ、国家を危機にさらした。
 現在も、日本共産党をふくめた野党4党連合がめざすのは、国家転覆で、「防衛費は人を殺す予算(共産・藤野政策委員長/NHK番組)」などと公言する政党が政権をとって、防衛大臣にでもなったら、自爆テロである。
 戦後70年、アメリカやソ連、中国の顔色ばかり見てきた日本の政治は、国軍保持・交戦権を禁じる憲法の下で、独立国家としての機能も能力も放棄したままである。
 現憲法がおしつけ憲法であるとやら、ヤルタ・ポツダム体制打破とやらというのは笑止千万である。
 自主憲法をもとうとしなかったのも、YP体制のなかで惰眠をむさぼってきたのも、朝日新聞や左翼に煽られた日本人であって、だれのせいでもないからである。
 国家防衛の最大の敵は、70年前の戦争を謝罪して悦に入り、国益などといおうものなら、右翼や国家主義者と罵詈雑言を浴びせかけるのが左翼国際派で、全方位・資源外交で対米独立路線をめざした田中角栄をアメリカや全マスコミといっしょに叩き潰したのもかれらだった。
 グローバリズムや孤立主義などという前に、日本は、一人前の国家にならなければならないのである。

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